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「もし古代中国が○○だったら」の版間の差分

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#*項羽のことだから正面から正攻法で漢軍を叩き潰して終わりだろう。あるいは范増がさっさと暗殺してるとか。
 
#*項羽のことだから正面から正攻法で漢軍を叩き潰して終わりだろう。あるいは范増がさっさと暗殺してるとか。
 
#*劉邦は、「四面楚歌」の状態になっても「まだ味方はいる」と言いそう。
 
#*劉邦は、「四面楚歌」の状態になっても「まだ味方はいる」と言いそう。
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#**張良あたりが策を弄して包囲網を脱出、日本海を越えて日本列島に到着、やがて日本に土着して「初代・神武天皇」として皇室の祖となっていたかも。
 
#項羽は天下をとったのち、叔父の項梁に「太祖」の号を追贈。項羽自身は死後「武王」と呼ばれる。
 
#項羽は天下をとったのち、叔父の項梁に「太祖」の号を追贈。項羽自身は死後「武王」と呼ばれる。
 
#*覇王の響きが気に入っていたので帝号は名乗らず。皇帝は秦だけで使われた称号になっていた。
 
#*覇王の響きが気に入っていたので帝号は名乗らず。皇帝は秦だけで使われた称号になっていた。

2020年6月8日 (月) 16:06時点における版

  1. 中国大陸は楚によって統一されるが、項羽の死後は反乱が相次ぎ、再び分裂。
    • 中国大陸は統一するものではなく、いくつかの国に分かれているもの、という認識になり、現在の中華人民共和国ももう少し規模が小さいものになっていた。
  2. 漢ではなく楚語、楚字、楚民族など楚が中国そのものを表す文字となっていた。
    • 第一項(再び分裂)が発生したとすれば、楚が中国全体を代表する呼び名とはなっていないはずなので、それは難しいかも。
    • 下手すると支那だの唐だのの呼び名も全部になってたかも
      • 「支那」は「秦」から来た名称なので、漢が天下をとった史実と、あんまり事情は変わりそうにない。
      • またカラという日本語は漠然と外国を指しており、それに「唐」の漢字を宛てただけなので、もし漢字の訓読みが発明された時に中国が「隋」であったとすれば「隋」をカラと読んでいたはず。9世紀頃に「楚」が中華帝国として存続していれば「楚」が「唐」に成り代わったかもしれないが、可能性は低いなあ……
    • 中国語(当然別名は楚語)自体も文法や語彙が幾分異なっていたと思う。現在の広東語に代表される南方諸方言・東南アジアの諸言語やロマンス諸語のように形容詞後置、になっていた可能性はある。
    • 但し、やはり北方民族進出で現代北京語のような文法になった可能性も否定できない。あるいはヨーロッパにおけるフランス語のように北方語・南方語の入り混じった文法になった可能性も…
    • 劉邦の名である邦が避諱されないため、国を表す言葉は邦になる。但し、項羽の名である籍の字が避諱され、戸籍などの一部熟語が置き換わってた(籍→席など)。
      • 項羽と劉邦ではなく「項籍と劉季」って呼ばれてたかもしれない。
  3. 項姓が使われている。
    • 中国のハードル代表は劉翔ではなく項翔に。
  4. 四面漢歌・・・なんか言いにくい。
    • 項羽のことだから正面から正攻法で漢軍を叩き潰して終わりだろう。あるいは范増がさっさと暗殺してるとか。
    • 劉邦は、「四面楚歌」の状態になっても「まだ味方はいる」と言いそう。
      • 張良あたりが策を弄して包囲網を脱出、日本海を越えて日本列島に到着、やがて日本に土着して「初代・神武天皇」として皇室の祖となっていたかも。
  5. 項羽は天下をとったのち、叔父の項梁に「太祖」の号を追贈。項羽自身は死後「武王」と呼ばれる。
    • 覇王の響きが気に入っていたので帝号は名乗らず。皇帝は秦だけで使われた称号になっていた。
  6. 漢が誕生しないので蜀漢や劉備の誕生は絶望的!!
    • 後漢の光武帝も出てこないのか、それは残念。
    • 曹参、夏侯嬰も負け組になるので魏の誕生も難しくなる。
  7. 変わりに呂布が巴蜀をとり、蜀の皇帝になる。
    • きれいな呂布さんの誕生。
      • そうなったら、SNKの人気格闘ゲーム「ワールドヒーローズ」にリョフはいないことになるな。
  8. 天下分け目の決戦は韓信と。
  9. 虞姫は、世界三大美女もしくは逆に中国三大悪女に名を連ねていた。
  10. 彭越は劉邦の粛清で塩漬けになる代わりに、項羽に捕まってミンチにされた。
  11. 邪魔な劉邦も居なくなったことで、中途半端になっていた秦の都の咸陽を徹底的に破壊され、発掘される現在まで幻の都市扱いになるところだった。
  12. 匈奴がちょっかいを出しに、年に何度も趙の北方で大暴れを行うが、項羽一人意気込んでも毎度食糧不足に悩まされて、成果を挙げず撤退を繰り返す事になる。



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