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2021年3月1日 (月) 12:34時点における版

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読売ジャイアンツ

1946年に優勝していたら

1946年の巨人はスタルヒンらの移籍問題から優勝を逃す形となりましたが、もしこの年優勝できていたら?

  1. 1948年の南海優勝は無かったかもしれない。
  2. 巨人の第2期黄金時代到来も早まっていた。

1974年に優勝していたら

  1. 巨人はV10を達成していた。
  2. 「燃えよドラゴンズ!」がここまでポピュラーになる事はならなかったかもしれない。
  3. アニメ版「侍ジャイアンツ」の結末が違っていたかも知れない。
    • そして、平成に入ってからリメイク版が製作される。
  4. 巨人ばかり強いと面白くないので、パ・リーグで導入されていた前後期制がセ・リーグでも導入されていた。
    • あるいはクライマックスシリーズが1970年代に導入されていた。
  5. 長嶋茂雄は負けるまで現役を続行していた。
  6. 若干とはいえ、巨人の発言力は増大していたに違いない。
  7. 川上監督は続投していたに違いない。

1978年に優勝していたら

  1. 長嶋茂雄監督は続投していたかもしれない。
  2. 日本シリーズにおけるレフトポール際への本塁打の判定を巡る抗議もなかった。

1982年に優勝していたら

10月まで中日との優勝争いを繰り広げるも、優勝した中日と0.5ゲーム差の2位。もし中日と巨人の立場が逆だったら?

  1. 藤田政権の「トロイカ体制」で巨人は3連覇を成し遂げていた。
  2. 日本シリーズは西武ライオンズと巨人の対戦となっていた。
    • ただ、日本一は西武のものとなっていた。
  3. 近藤貞雄は大洋や日本ハムの監督にならなかったかもしれない。
  4. もし中日との直接対決で優勝を決めていた場合、1994年の10.8決戦の時には「12年前の再現だ」と話題になったかも。

1986年に優勝していたら

この年は首位広島とゲーム差無しだったものも、勝率の差で優勝を逃しました。もし巨人の方が勝率を上回って優勝していたら・・・。

  1. 1986年の日本シリーズで新人だった西武・清原と巨人・桑田のKKコンビ同士の対決が1年目から実現していた。
    • 巨人対西武の日本シリーズが1年早く実現するため、史実通り西武が日本一になっていれば清原和博は史実の87年の涙をこの時に流していた。
  2. 徳光和夫が「巨人の優勝は日本シリーズが始まるまで諦めない。だって広島の選手の乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?」と発言することはなかった。
  3. ≒「もし原辰徳が津田恒実からファウルボールを打った際に骨折しなかったら」かもしれない。

1988年に優勝していたら

  1. 王監督解任はなかった。
    • 藤田監督の二次政権もなかったか遅れている。
      • もしかしたら王さんから直接ミスターに交代していたかも?
  2. ドーム元年を飾ったとされた。
  3. (現実のまま行けば)1987年・1988年・1989年・1990年と4連覇を達成していた。

1992年に優勝していたら

1992年のセリーグは終盤のヤクルト・阪神・広島との大混戦の優勝争いの結果、ヤクルトの優勝。巨人は2ゲーム差の2位(阪神と同率)でした。もし、巨人が優勝していたら?

  1. 藤田監督は続投していた。
    • その場合、長嶋茂雄の監督就任は大幅に遅れていた。
      • 長嶋ではなく堀内が90年代後半に監督に就任していた可能性もある。原監督の就任に関してはおそらく史実通り。
        • 長嶋が就任しなければ「メークドラマ」という言葉も生まれなかったので、96年に優勝できたとしても別の用語が使われていた。
        • 92年のドラフト1位には伊藤智仁が指名され、松井秀喜が巨人以外に入団する。
      • 93年オープン戦以降にユニフォームを変更せず、V9時代の復刻風のデザインがもう少し長く使われていた。
  2. 90年代以降の巨人の球団史は大いに変わっていただろう。
    • 少なくとも「10.8決戦」は無く、94年は中日に優勝を攫われていたと思われる。
    • 無論、2000年の日本シリーズ・ON対決もなかっただろう。

1994年に10・8決戦に敗れて優勝を逃がしていたら

1994年10月8日、セントラルリーグ公式戦の最後の試合(130試合目)である中日×巨人戦が行われ、どちらかが勝てばセリーグ優勝という状況の中、巨人が6-3で中日を破り36回目の優勝を飾りました。そして日本シリーズでは西武ライオンズを4勝2敗で下し17回目の日本一を達成しました。しかし、もし中日が勝っていたら・・・。

  1. 長嶋茂雄はこの年限りで巨人監督を辞任(前半独走しながら後半追いつかれた責任を取り、この試合で負けたら辞任する方針だったため。)。
    • なお落合も長嶋監督の胴上げを公約していたため、長嶋監督退任なら同時に引退の予定だった。
    • 参考
      • 長嶋監督が辞任しても落合は(長嶋本人から説得されるなりして)なんやかんやで引退を撤回し現役続行していた可能性もある。
    • よって藤田元司が翌年から監督復帰することになる。
      • いや、当時の投手コーチ・堀内恒夫が監督就任というのが自然かと。
    • 原辰徳の監督就任が早まっていた。
    • 「メークドラマ」は無かったかも。
  2. 1990年代後半から2000年代にかけての巨人の球団史は、大きく変わっていただろう。
    • 実史より早く、野球人気が低迷していたかもしれない。
      • サッカーJリーグ人気に押されて、テレビのプロ野球中継は激減していたかもしれない。
    • 逆指名で巨人に入る人も減っていたかもしれない。
      • その後巨人の成績は現実よりは低迷していたかも。逆に阪神は1999年あたりに優勝できていたかもしれない。
  3. 史実では槙原が打ち込まれ同点に追いつかれたあたりで斎藤雅樹にスイッチしたが、その斎藤が打ち込まれて逆転されていた場合は斎藤の衰え(史実は1997年ごろから顕著に)がもう少し早く来ていたか?

1996年に優勝を逃していたら

1996年、この年のシーズンは中盤まで首位が広島で、巨人は首位に最大11.5ゲーム差をつけられていたものの、後半から巨人がじわりじわりと逆転し、最終的には逆転優勝、いわゆる「メークドラマ」と呼ばれる逆転劇でした。 もし「メークドラマ」がなく、優勝を逃していたらどうなっていたでしょう?

  1. 優勝は中日か広島のものとなっていた。
  2. 後半戦に猛チャージで優勝を狙える立場にいながら優勝を逃していたら、長嶋監督は責任を取って辞任していたかも。
  3. 「メークドラマ」という言葉自体、有名になることなく消えていた。
    • もちろん「メークドラマ」はこの年の新語・流行語大賞の年間大賞にも選ばれることもない。
  4. 翌97年は最下位に落ち込んだかも。(現実でもメークドラマの反動で4位に落ち込んでいた)

1999年に優勝していたら

1999年、巨人は序盤低迷したものの、後半戦で中日を猛追し、一時は1.5ゲーム差にまで詰め寄りました。最終的には中日がペナントを制しましたが、もし巨人が優勝していたら?

  1. 史実より、1年早くON対決が実現していた。
  2. 上原が野茂以来3人目、セ・リーグでは史上初の新人MVPに選ばれていた。
    • もしパ・リーグで西武が優勝していたら、松坂と合わせ史上初のW新人MVPだったかも。
  3. しかし、日本シリーズではダイエーにあっさり負けていた。
    • 翌年、史実通り、巨人が日本一と成り、前年の雪辱を果たす。
  4. 工藤は翌年巨人ではなく、中日に移籍したかも。
    • 少なくとも、史実通り、ダイエー残留は絶対に無い。なぜなら、あの球団社長がいるから。
  5. 星野仙一はこの年限りで中日監督を辞任していた…?その場合、後任は山田久志になるのだろうか。
  6. 逆に2000年のセ・リーグ優勝チームが中日だったかもしれない。

2001年に優勝していたら

この年、巨人はヤクルトと終盤まで優勝を争うが、最後に力尽きヤクルトに優勝をさらわれてしまいます。もし、巨人が優勝していたら?

  1. 長嶋監督の最後の花道を、優勝という形で飾ることができた。
    • 翌年の原監督就任は現実の通り。
  2. 日本シリーズは、巨人VS近鉄となっていた。
    • おそらく長嶋監督のことだから1996年と同じ結果になっていたかもしれない。(近鉄が4勝1敗で日本一)
  3. (現実のまま行けば)2000年・2001年・2002年と3連覇を飾ることができた。
  4. 若松監督(当時)はこの年限りで辞任?その場合、古田敦也は史実より早く選手兼任監督になっていたのだろうか。

2003年に優勝していたら

  1. 原監督解任はなかった。
    • その後の成績次第ではあるが史実の二次政権と同じ2015年頃までそのまま続けていた。
  2. 松井の抜けた穴が大きいといわれることはなかった。
  3. 阪神の快進撃をかわしてなら、ネタになっていた。
    • 史実より5年早く「メークレジェンド」という言葉が使われていた。
    • 2008年に史実通り逆転優勝していたら「03年の再現だ」と言われていた。

2004年に優勝していたら

  1. 翌年以降の低迷がなく、原監督の再就任は遅れていたがなかった。
  2. 堀内監督の評価が高くなり、原監督解任が疑問視されることはなかった。
    • 堀内が巨人で唯一の胴上げ未経験監督になることはなかった。
      • 初めての胴上げ未経験監督は高橋由伸となっていた。
  3. 「史上最強打線」が現実以上に話題になっていた。
  4. それでも05年は反動で史実通り失速しているかも。

2006年に優勝していたら

  1. 序盤の快進撃を維持できたとされた。
  2. 堀内時代は黒歴史感が強まった。
  3. (現実のまま行けば)2006年・2007年・2008年・2009年と4連覇を達成していた。

2010年に優勝していたら

この年のセ・リーグは8月まで阪神タイガース読売ジャイアンツ中日ドラゴンズが日替わりで首位がかわる大混戦。結局優勝したのは中日ドラゴンズ。

巨人は、この年優勝した中日と1ゲーム差ながら3位に終わるが、もし優勝していたら…?

  1. この年亡くなった木村拓也コーチに捧げる優勝として語り継がれていた。
    • 追悼試合での谷の決勝ホームランも現実以上に語り継がれる。
    • 惜しむらくはこの年の日ハムと広島がどちらもBクラスという事。CSに日ハムだけでも進めていたらその機運がより高まったに違いない。
  2. この年の日本シリーズは、巨人VSロッテの対戦となっていた。
    • CS敗退したのは巨人の方で、中日VSソフトバンクのほうになってたかも?
      • この年限りで山本昌は引退してたかも?
    • 史実通りロッテ日本一の場合、加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」発言が蒸し返されることになっていたかも。
  3. 「当確でございます」が話題になる事はなかった。
  4. V9以来の4連覇として話題となった。

2012年に優勝を逃がしていたら

前年のドラフトで菅野騒動に揺れた巨人は開幕直後は低迷しましたが交流戦で優勝しそのままの勢いで優勝しましたが、 もし優勝を逃してたら

共通事項
  1. 原監督はこの年限りで引退してた。
    • 後任には堀内前監督が復帰してたか!?
      • 原監督が社会人野球の監督になった場合…社会人野球へ進んでたかもしれない…
      • さすがにそれは無いと思う。となれば「生え抜き」の前提を覆し、高橋由伸への繋ぎとして川相が監督になっていたか?
        • 繋ぎなら尾花もあり得るのだが、如何せん横浜での成績がネックとなる。
    • もしかしたら由伸の引退・監督就任が早まったか?
  2. 日本シリーズでの危険球誤審事件もなかったかも。
  3. 優勝は3連覇の中日だっただろう。
    • 高木守道が翌年に監督を解任されることも無いため、谷繁元信は史実よりも現役を続けていた。
優勝チームが…
中日ドラゴンズだった場合
  1. 史実通り日本ハムがパリーグ出場チームだった場合は日本シリーズは2007年以来の組み合わせだった。
東京ヤクルトスワローズだった場合
  1. 前年の逆転V逸のリベンジを果たしたと言われ。89年の近鉄並に盛り上がっただろう…
  2. 史実通り日本ハムがパリーグ出場チームだった場合は日本シリーズはヤクルトOB監督対決が実現してた。
  3. 場合によっては13年、14年は最下位に沈む事は無く真中監督の就任はなかったorもしくは遅れていた。
横浜DENAベイスターズだった場合
  1. セ・リーグの最下位からの優勝が37年ぶり実現し01年の近鉄並に盛り上がっただろう…
  2. もしかしたらベイスたんが流行語大賞を受賞してたかも?
  3. 金本知憲から「選手より監督が目立つようじゃダメ」と言われることもなかった。

2015年に優勝していたら

  1. それでも日本一にならなければ原監督引退→由伸引退・監督就任は避けられなかったと思う。
    • レギュラーシーズンから極端な貧打状態だったので、投手戦に持ち込まない限りCS敗退か日本シリーズで4タテされていても全くおかしくない。
      • V9以来の4連覇として話題となるが、CSあるいは日本シリーズでのストレート負けで吹き飛んでしまう。
    • この場合は井端の引退も避けられなかった。
    • 少なくとも江川就任が噂されるような事は絶対にない。
  2. ある程度早い時期に優勝が決まった場合、戸根や田口などの若手の積極的な起用も行えたかもしれない。
  3. 巨人ファン以外は「また巨人か…」と落胆していた。
    • むしろ史実とほぼ同じくらいのゲーム差なら、昨シーズンにCSで負けているのを引き合いに出して「この程度の巨人ならCSでひっくり返せる」と思っている気がする。

2016年に優勝していたら

8月に入っても巨人の快進撃は止まらず、首位広島から4.5ゲームに縮めなおも追い上げムードだった。もし巨人が勢いそのまま優勝していたら?

  1. 高橋由伸監督は1981年の藤田元司監督以来35年ぶりの就任1年目で優勝を果たしている。
    • 正しくは2002年の原辰徳監督以来14年ぶりだった。
    • 彼が堀内恒夫以来の胴上げ未経験監督となることもなかった。
  2. 「リメークドラマ」が流行語ノミネートされていた。
    • 一方で「神ってる」はノミネートされなかった。
  3. 鈴木尚広は現役を続行。
  4. ソフトバンクから森福允彦、DeNAから山口俊の獲得はない。
    • いや、勢いに乗って史実以上の大量補強体制になるかと。
  5. 一方の広島は25年ぶりの優勝のチャンスを逃し、ファンは落胆していた。
  6. 2017年に巨人が13連敗を喫することはなかった。

2018年に優勝していたら

  1. 平成のセ・リーグは巨人の優勝で始まって巨人の優勝で終わったことになっていた。
  2. 史実通りソフトバンクがCSを勝ち上がっていた場合、日本シリーズは2000年以来の組み合わせだった。
    • ただ総合力を考えると、日本一はやはりソフトバンクだっただろう。
      • ホークスは南海時代より伝統的に巨人が苦手なためそうでもない。
  3. 高橋監督は2019年も続投していた。
  4. 丸佳浩は巨人ではなくロッテに移籍したかも。

東京ヤクルトスワローズ

1991年に優勝していたら

1991年シーズンのヤクルトは、6月に球団新記録の12連勝で一時は首位に立つも、その後失速し優勝争いから脱落。もしヤクルトが勢いそのまま優勝していたら?

  1. (現実のまま行けば)ヤクルトは91年・92年・93年と三連覇を達成。
  2. 野村ヤクルトVS森西武のカードは、日本シリーズの黄金カードになっていた。

1992年に優勝を逃していたら

1992年のヤクルトは広島・巨人・阪神との優勝争いとなるも、最後の最後で阪神との直接対決に勝って優勝しました。もし、ヤクルトが優勝を逃していたらどうなっていたでしょう?

  1. 「2勝したほうが優勝とし、第1戦を甲子園、2戦目を神宮、3戦目を東京ドームでおこなう」プレーオフ巴戦が実現していた。
    • 広島も関わっていたら、市民球場でも行われていただろう。
  2. もし現実の阪神との首位決戦に敗れていたら、野村監督の責任問題にも発展していた。
    • 阪神や巨人が優勝していたらそこまで追求されたかは微妙。ただし、現実のような長期政権にはならなかったかもしれない。
    • 広島が優勝した場合は、責任問題に発展していたかもしれないし、最悪の場合はこの年のオフに辞任していたかも。
  3. 現実のとおり、翌1993年に優勝していたら「前年のリベンジ」として盛り上がっていた。
    • 野村監督が続投していたら、手のひらを返したように「名将」と呼ばれるようになっていた。
  4. ただ、広島・巨人・阪神のどれがが優勝したとしても、日本シリーズでは燃え尽き症候群で惨敗していたかも。

1995年に優勝を逃していたら

この年、ヤクルトは序盤首位を走るも、中盤に広島の猛チャージを受け2.5ゲーム差まで追い上げられますが、そのまま逃げ切って優勝。 もし、ヤクルトが優勝を逃していたら?

  1. 2年連続で優勝を逃していたので、野村監督の責任問題にも発展していた。
    • 序盤で首位を走っていながら終盤に首位を逆転される展開だったら、野村監督は辞任していたかも。
  2. 優勝は、広島のものとなっていた。
    • 日本シリーズではオリックスの震災復興ムードに呑まれたか

2002年に優勝していたら

  1. 若松監督の「小さな大監督」は定着していた。

2004年に優勝していたら

  1. 古田が再編騒動の傍ら、優勝に貢献していたら伝説となっていた。
    • 同年の明るい話題が増えていた。

2006年に優勝していたら

  1. 古田はプレイングマネージャーとして当初の冷ややかな声を覆したとして、選手引退後も指導者オファーが殺到した。

2011年に優勝していたら

2011年シーズン9月までヤクルトは首位を走っていたものの、その9月に中日に大きく負け越して10ゲーム差をひっくり返され優勝ならず。もしヤクルトが優勝していたら?

  1. 祝賀会場等の予約は当然無駄にならなかった。
  2. 中日落合監督の解任劇はそこまで大きな話題にはならなかった。
    • 当然あのオーナーも注目の的にはならなかった。
      • それがガッツポーズの件を意味しているのであれば、オーナーではなく球団社長。
  3. どっちみち中日落合監督は辞任している。
  4. CSも勝利して日本シリーズに進出した場合、1993年以来18年ぶりに平日デーゲームが組まれるという事態が起きていた可能性もある。
    • 11月16日と17日に女子バレーの日本戦が組まれており、且つヤクルト戦はフジテレビに優先権があるため、最低でもこの両日のうち1日はデーゲーム開催を強いられていたと思われる。
  5. CSにも勝っていれば、鳥類同士の日本シリーズが4年早く実現した。
  6. 場合によっては小川淳司監督は2015年以降も監督を務め真中満監督の就任が無かった、もしくは遅れてたかも?
    • 上手くいけば2019年現在も小川監督が2010年途中から続いてた可能性も…
  7. CSでの活躍が注目されて、山田哲人のブレイクが早まっていた。
  8. 第2次小川政権はなかったか史実以上の期待だった。

2016年に優勝していたら

  1. 真中満監督が辞任することはなかった。
  2. 山田哲人が3年連続トリプルスリーを達成していれば可能性があっただろう。

2018年に優勝していたら

  1. 第二次小川政権への疑問はなかった。
  2. 青木は救世主とされていた。
  3. 日本シリーズの対戦相手が西武なら、1997年以来の組み合わせになっていた。

横浜DeNAベイスターズ

1962年~64年に優勝していたら

特に1964年はマジック1で最終戦を終え、阪神が残っていた3試合を全勝したために逆転された。

  1. 三原監督の時代にあと2、3回は優勝できていた。
    • 三原が近鉄やヤクルトの監督をすることは無かった。
    • 「死に馬に蹴られた」と発言することも無かった。
  2. 巨人の連覇開始は遅れていた。
  3. なかなか優勝できない阪神は南海と阪急にファンを奪われていた。
    • 阪神のセ・リーグ初優勝が遅れていた。
      • 最悪1985年に初優勝、なんてことも考えられる。
    • 関西ではパ・リーグ人気の方が高まっていたかも。
      • その場合現実と異なり阪神がダイエーに身売りされていた可能性もある。

1970年代に優勝していたら

  1. 中日・広島・ヤクルトのいずれかの優勝回数が一個減っていた。
    • 70年代前半は巨人V9の真っ只中だったので、70年代後半が有力か?
  2. または、1973年シーズンに開幕から6月頃まで広島とともに首位争いの主導権を握っていたのでそのあたりに優勝していた。
  3. 横浜移転直後に優勝していたら、横浜の街の盛り上がりは異常なものとなっていた。

1980年代に優勝していたら

  1. 長嶋茂雄の大洋監督就任が実現していた
  2. ベイスターズに改名することは無かった。
    • 21世紀になっても大洋ホエールズのままだった。
    • とはいえいずれ鯨は獲れなくなっているし、遅くてもマルハが球団経営から撤退する頃にはチーム名を変えていたと思う。
  3. 高木豊、加藤博一、屋鋪要のスーパーカートリオが現実よりも有名なものとなっていた。
    • スーパーカートリオは優勝の立役者として、後に他球団にトレードされることなく、ホエールズ(ベイスターズ)で現役を終えていた。
  4. 一番可能性が高いのは唯一Aクラス(3位)だった1983年か。

1997年に優勝していたら

この年、横浜はシーズン後半に首位のヤクルトを脅かす急追を見せたもののあと一歩及ばず、2位で終わりました。もし、横浜がヤクルトを逆転して優勝できていたら?

  1. 日本シリーズももちろん制覇。
  2. 翌年は1997年に最下位だった某球団にペナントを奪われた。
    • 燃え尽き症候群のため8月までに失速。
    • もし連覇していた場合、ベイスターズフィーバーは史実以上になっていた。
  3. もちろん大矢監督は続投していた(辞任の原因となったフロントとの対立が無ければ…)。
    • 権藤博は躍進の立役者として大いに評価されていた。
      • 翌年にはバッテリーコーチからヘッド格へ昇格していた。少し遅れはするが後々には監督への就任も当然あっただろう。
      • 史実通り権藤監督に交代した場合、「別監督による連続日本一」をソフトバンクより先に達成していたかもしれない。
  4. もしかしたら横浜の暗黒期到来は数年遅れていたか、もしくは無かった。
  5. 阪神は1995年から2001年まで7年連続で最下位になっていたかも(史実ではこの間は1997年のみ5位だった)。
  6. 一方、逆転されたヤクルトは、野村克也監督の責任問題に発展。
    • 最悪の場合、野村監督がこのシーズン限りで辞任していたかも。
  7. 『ダウンタウンのごっつええ感じ』が打ち切りになることは無かった。
    • TBSの放送で優勝を決めていた。

1998年に優勝を逃がしていたら

  1. 横浜→DeNAは13球団(消滅した近鉄も含む)で唯一、平成時代にリーグ優勝を経験できずに終わっていた。
    • それどころか「横浜ベイスターズ」としては「横浜大洋ホエールズ」と同様リーグ優勝の経験が無いまま身売りされることになった。
  2. 権藤監督の辞任が早まっていたかも。
  3. 優勝は中日か巨人のものになっていた。
  4. 大魔神が流行語にはならず、ライト層にも浸透しなかった。

1999年に優勝していたら

2連覇が懸っていた1999年。序盤は好調だったものの、三浦大輔の不調や佐々木主浩らの故障などで、3位に終わった横浜。もし、2連覇できていたら?

  1. 権藤監督政権が実史より息の長いものとなっていた。
    • よって、後の森祇晶監督就任は遅れていたか、就任自体なかった。
      • そのため暗黒時代もなかったか遅れていた。
  2. 大魔神・佐々木が、大リーグに行くことはなかった(佐々木はこの年、シアトルマリナーズに移籍)。
    • 佐々木は、大リーグに行くことなく、横浜で現役を終えていただろう。
  3. ローズが153打点を記録し二冠王に輝いたり、当時のチーム打率のプロ野球記録を打ち立てたことも有名になっていた。
    • ローズが3冠王を獲得していたかも。
    • MVPはもちろんローズがぶっちぎりで最多票を集めて受賞。(ちなみにローズは史実でも野口・上原に次ぐ3位だった)
  4. 川村丈夫が沢村賞…とまではいかなくともMVP争いに絡むくらいはできていたかもしれない。
  5. 日本シリーズは横浜vsダイエーだった。
    • 「ベイスターズvsホークス」の日本シリーズが18年早く実現していた。
  6. 史実では福盛和男・森中聖雄が台頭してはいたがそれ以上に中継ぎ陣の疲弊や野村弘樹・佐々木の故障や三浦の不調が響きV逸したが、野村・佐々木・三浦のうち誰か1人でも万全だったら優勝できたか?

2011年に優勝していたら

  1. 横浜ベイスターズというチーム名で有終の美を飾れていた。
  2. DeNAに買収され 「横浜DeNAベイスターズ」 というチーム名になることもなかったかも。

2012年に優勝していたら

  1. 横浜DeNAベイスターズの評判がやや上がっていたかも。
  2. 中畑清監督の就任1年目での優勝という快挙。
  3. 阪神が最下位になっていた。

2015年に優勝していたら

  • 前半戦は1位だったが、交流戦以降で負けが込み最終的には安定の最下位に。もし後半戦でも勢いを維持していたら?
  1. 久々のリーグ優勝ということもあり、交流戦で貯金を一気に掻っ攫っていたパの球団に対する逆襲意欲が物凄い事になっていた。
  2. ラミレスはもう数シーズンオリックスのスタッフを務めていた。
    • もちろん中畑清が監督続投。
    • むしろヘッドコーチ格でコーチングスタッフ入りしていたと思う。
  3. 有名選手の引退が相次いだシーズンなので、「日本一になったら「有終の美」として番長も引退するのではないか」と三浦大輔に対する注目度が急激に上がっていたかもしれない。
    • 翌シーズンを見るに本当に引退が1年早まった可能性も…。
  4. 優勝の勢いに乗って、DeNAによるハマスタ買収がすんなり決着していた。
  5. 10年ぶりのAクラス入りだったので初のCS出場とDeNA初優勝のダブルで盛り上がった。
  6. 史実より2年早く、DeNA×ソフトバンクの日本シリーズが実現していた。
    • 日本一とはいかずもソフトバンク相手に2勝か3勝はできていた可能性も。

2016年に優勝していたら

  1. 中畑監督は史実以上に無能扱いされていた。

2019年に優勝していたら

  1. 筒香嘉智のメジャー挑戦は史実以上に好意的にみられていた。
  2. シーズン成績によっては、今永昇太が投手三冠を獲得し沢村賞を手にしていたかもしれない(史実では無冠・該当者なし)。
  3. CSはおそらく巨人が勝ちあがってくるので、ハマスタでの対戦成績を鑑みるに日本シリーズへの切符は横浜が手にしていた可能性が高い。
    • 日本一とはいかずもソフトバンク相手にそれなりに善戦できていた可能性も。
  4. 2019年はラグビー(決勝が日産スタジアム)・サッカー(F・マリノスがJ1制覇)と合わせ、横浜市がスポーツで躍動した一年となっていた。

中日ドラゴンズ

1972年・1973年に優勝していたら

与那嶺監督率いる中日は1972年・1973年と勝ち越してV9巨人を苦しめた。もしどちらかで巨人を倒して優勝していたら?

  1. もちろん「読売巨人軍・栄光のV9」など存在しなかった。
    • 川上監督や長嶋茂雄は現実より早く引退していたかもしれない。
    • V9がV8あるいはV7になっていた。
    • 73年10月22日の阪神対巨人戦で阪神ファンが暴動を起こすこともなかった。
  2. 中日は、黄金時代に突入。名古屋の街は活気にみちあふれていた。

1975年に優勝していたら

この年は、広島の「赤ヘル旋風」の前に2位で終わるも4.5ゲームという僅差。もし優勝したのが中日だったら?

  1. 中日は球団史上初のV2を達成。
    • 与那嶺監督は名将として、長期政権を築いていた。
  2. 広島の初優勝は一年遅れていた。
    • 長嶋巨人の初優勝もそれに伴って遅れていた。
  3. 「燃えよドラゴンズ!」は「中日の優勝を予言する歌」として、全国に知れ渡っていた。
    • 正しくは「燃えよドラゴンズ! V2」。
  4. この年の日本シリーズは中日VS阪急だった。
    • 後の山田久志の監督就任がもっと話題を呼んだ。
    • このシリーズは後に「ドラクエ決戦」と呼ばれるようになった。
  5. 果たして阪急は史実通り4連勝(引き分けを挟んで)できただろうか。
  6. 重松清が『赤ヘル1975』を書くことはなかった。
  7. 井上弘昭が10月19日の広島戦で「満塁敬遠」を受けることはなく、逆に山本浩二を抜いて首位打者のタイトルを獲得していた。

1984年に優勝していたら

1984年、山内一弘が監督に就任。初年度は巨人戦に14連勝するなどして、優勝した広島と3.0ゲーム差の2位となった。もし中日が優勝していたら。

  1. この年の日本シリーズは、中日VS阪急ブレーブスの顔合わせとなっていた。
    • 30年ぶりの日本一を期待するファンが多数詰めかけ、1試合の最低観客数更新はなかった。
    • 後の山田久志監督就任がもっと話題を呼んだ。
    • このシリーズは後に「ドラクエ決戦」と呼ばれるようになった。
  2. 小松と牛島が出演したミカロンのCMはさらに有名になっていた。
  3. 「燃えよ!ドラゴンズ'84」がリリースされ、史実では一部のカラオケ版でしか聴けない「山内監督の胴上げだ」の歌詞になる。
  4. 山内一弘監督政権がもう少し長く続いていた可能性があるので、星野仙一の就任が遅れていた。
    • ゆえにユニフォームのデザイン変更も大幅に遅れていた。
  5. 広島の古葉監督はこの年限りで辞任していた(史実では翌1985年に辞任)。

1987年に優勝していたら

  1. 星野仙一氏が監督1年目にしての優勝だった。
  2. 巨人の王貞治氏の監督辞任と藤田元司氏の監督就任が早まっていたかもしれない。

1991年に優勝していたら

1991年シーズン前半、中日は首位を走っていたが、シーズン後半広島に逆転されて優勝ならず。もし中日が優勝していたら。

  1. 星野仙一が監督を辞任することはなかった。
    • 高木守道が監督に就任することはなかった。
    • 史実の2期政権が終わる2001年まで監督を続けていたかも。
      • 星野監督辞任の理由は夫人の病気に伴うものだったので、さすがに続投は無かったと思う。ただ中日ファンからの辞任を惜しむ声は史実以上だったかも。
    • 逆に山本浩二の監督辞任が早まり、2001年の復帰もなかったかも。
  2. 例のごとく、日本一は逃している。
    • ましてや相手は、森監督率いる当時最強の西武ライオンズ。日本シリーズでは、完膚なきまでに叩きのめされていただろう。
    • 仮にパリーグの優勝チームが西武ではなく近鉄だった場合(史実では2位)、3年越しの名阪決戦として注目されていた。
  3. 広島は1986年以来現在(2011年)に至るまで24年間リーグ優勝から遠ざかっていることになる。
    • 0ゲーム差または0.5ゲーム差で優勝を逃した場合、「サヨナラインフィールドフライ事件」が史実より大きく取り上げられていた。
    • 2016年の広島リーグ優勝は30年ぶりという事になっていた。
  4. そもそも彦野が「サヨナラ代走ホームラン」の怪我で離脱せず1年間活躍できていた。

1993年に優勝していたら

この年は、8月末に首位ヤクルトに追いつくも結局引き離され2位に終わったがもし優勝したのが中日だったら?

  1. 平成初の最下位からの優勝が8年早く実現していた
    • 高木守道は名将と謳われ、長期政権を築いていた。
  2. ヤクルトは逆転V逸のショックで翌年は最下位に沈み。野村克也監督が辞任していた…
    • ヤクルトは再び暗黒時代に突入し広島は95、96辺りに、横浜は97に優勝できたかもしれない…
      • 2011も史実と同じ中日がヤクルトを逆転して優勝したら1993アゲインと呼ばれた。
  3. この年リリースされた「燃えよドラゴンズ平成FIVE」の冒頭の台詞にもあるように、平成5年に5年ぶり5回目の優勝として話題になった。
  4. もしかしたら落合博満がFA宣言せずに中日に残留し中日で現役を終えていた?
  5. 「最多勝投手が2人出た球団は優勝できない」というジンクスはなかった。
  6. セ・リーグMVP(史実ではヤクルト・古田敦也)は今中か?

1994年に10・8決戦に勝って優勝していたら

1994年10月8日、セントラルリーグ公式戦の最後の試合(130試合目)である中日×巨人戦が行われ、どちらかが勝てばセリーグ優勝という状況の中、巨人が6-3で中日を破り36回目の優勝を飾りました。そして日本シリーズでは西武ライオンズを4勝2敗で下し17回目の日本一を達成しました。しかし、もし中日が勝っていたら・・・。

  1. 中日が5回目(当時)の優勝を果たす。
    • 名古屋での反応は言わずもがな、だが全国的(特に関東)には・・・。
  2. 翌年、当時の高木守道監督のシーズン中の休養(事実上の辞任)が起こることはなかった。
    • 第二次星野政権樹立は1,2年程度ずれ込んでいた。ナゴヤドームで高木監督が見られたかも。
      • むしろ、第二次星野政権さえもありえなかったかもしれない。
        • その場合星野氏が阪神の監督に就任することはなかった。
      • あるいはナゴヤ球場ラストイヤーまで高木政権→ナゴヤドームオープニングイヤーから第二次星野政権になっていたかも。
        • ソンドンヨルやジョンボムは来なかったか、来るのが1,2年遅かったかも。
    • 当時巨人の4番だった落合が、中日の監督に就任していたか、根拠は無いがなんか怪しい。
    • その後の球団史が今とは違うことが予想される。
    • 守道氏の生涯で唯一の退場劇もなかったはず。
      • 政権が長期化することで、退場回数はむしろ増えていたかも。
        • 現役時代は退場ゼロでも、監督やコーチになったとたん退場回数が増えるケースは意外とあるからね。星野もそうだし。
        • 長らく退場回数日本一だった金田氏さえ、監督としての退場回数のほうが多い。
  3. 中日は日本シリーズに負けてしまい、40年ぶりの日本一は達成できなかった。
    • 西武の森監督は続投し、石毛・工藤は西武に残留している。
    • 巨人に勝って喜んで、それに満足して日本シリーズで燃え尽きるのは中日の悪しき伝統。
      • 森監督はこの年のシーズンで成績がどうであろうが退任はすでに決まっていた。そこでやる気をなくしていたため、史実では巨人が日本一になっていた。同じような感じで中日が38年ぶりの日本一になっていた可能性があった。
        • 森監督辞任の第一報は中日新聞が流したことになる。
  4. ナゴヤ球場最後の優勝だった。
    • 優勝していればナゴヤ球場最後の日本シリーズだった。
    • いや、1996年も土壇場で追いつきペナントを制し、本当にナゴヤ球場で最後の日本シリーズとなった。
      • となると「メイクミラクル」という言葉は2008年に使われていた。流行語大賞にもならなかった。そして「メイクレジェンド」は生まれてない。
  5. 1994年は西武ライオンズ球場(当時)開催分の第3・4・5戦がテレビ朝日の独占だったため、ネットしたメーテレにおいて50%超えと言う驚異的な視聴率を記録していた。
  6. 「燃えよドラゴンズ!'94優勝記念盤」がリリースされた。史実ではこの年の優勝祈願バージョン自体リリースされていなかった。
  7. ナゴヤ球場正門前駅の廃止が延びていた。(現実では10・8決戦当日が最終営業日)
    • ドームへの移転前のラストゲームまで営業を続けていたかも。
      • いや、いずれにせよ翌シーズン開幕前までに常設駅として尾頭橋駅が開業することが決まってたから、せいぜい日本シリーズ期間限りで廃止となる。
  8. 逆転したイニングと継投のタイミング次第では山本昌がこの試合で勝利投手となり、1989年の西本聖以来5年ぶりの20勝投手になっていた。
  9. セ・リーグMVP(史実では巨人・桑田真澄)は大豊泰昭(同年は本塁打・打点の二冠王。最有力)か山本昌(最多勝。ただし史実通り沢村賞を受賞するため野手の大豊が有利?)、アロンゾ・パウエル(首位打者)のうち誰かになっていた。

1996年に優勝していたら

1996年は巨人・中日・広島による団子レースが繰り広げられました。最終的に巨人がペナントを制しますが、もし別球団だったら?

  1. 「メークドラマ」は中日ファンの間でブレイクした。
    • ちょっと待った、「メークドラマ」は長嶋茂雄(現:巨人軍終身名誉監督)が考えたフレーズだぞ。
  2. でも結局この年の日本シリーズには勝てなかったかも。
    • ナゴヤ球場なら自慢の強竜打線(コールズ、立浪、パウエル、音、山崎、大豊など)が火を噴くが、相手のオリックス・ブルーウェーブも田口、イチロー、ニール、DJ、藤井、高橋智といった好打者揃いだし、(貧打戦だった現実とは逆に)日本シリーズ史上屈指の馬鹿試合になりそう。
    • 一方、グリーンスタジアム神戸では強竜打線が全く通用せず、オリックスのワンサイドゲームになる。
      • しかし、日本シリーズ敗退がきっかけで「機動力野球」の必要性が1年早く中日球団内に浸透し、翌1997年のナゴヤドーム移転に備えたチーム改革がなされるかもしれない。その場合、1997年の最下位転落はなかったかも。
        • つまりその場合、暗黒時代真っ只中の阪神が1995年から2001年まで7年連続最下位になっていたことになる。
        • この年限りでオリックスのコーチを辞任した山田久志が、そのまま中日コーチに就任していたかもしれない。
    • ちなみに当時のオリックス・仰木彬監督は、中日が日本一となった1954年、日本シリーズ対戦相手だった西鉄ライオンズの新人選手だった。つまりこの年中日に日シリで勝てば、同じナゴヤ球場(当時の名称「中日球場」)で42年ぶりに雪辱を果たしたことになる。
    • また、史実で7年後(2003年)にトレード相手となった平井正史・山崎武司が日本シリーズで対戦。星野監督が平井のピッチングを見たことがきっかけで史実より早く中日への移籍が実現していたかも?
  3. 日本シリーズでは中日-オリックスとなり、地元出身のイチローが中日応援団から拍手喝采を浴びた
    • 愛工大名電の先輩・山崎武司と日本シリーズで出会っていた。
    • イチローvs今中・山本昌の対戦が見どころの1つになりそう。また、山本昌vs星野伸之という「球の遅い一流投手」同士の対決も見られた。
  4. 先述にもあるようにナゴヤ球場ラストイヤーを飾れていた。
    • 名鉄名古屋本線・ナゴヤ球場前駅(現・山王駅)への、特急などの臨時停車は、史実ではリーグ最終戦限りで廃止されたが、日本シリーズ進出時はその期間中も実施されていた。
    • また、1995年に開業したJR尾頭橋駅が、日本シリーズの盛り上がりを経験したことになる。
  5. 「燃えよドラゴンズ!'96優勝記念盤」がリリースされた。史実では94年と同様優勝祈願バージョン自体リリースされていなかった。
    • 8番の歌詞では、日本シリーズ対戦相手のオリックスを意識して「神戸の青波」などのフレーズが盛り込まれる。
  6. 音・山﨑・大豊の3連発が現実以上に語り継がれるだろう。
    • 1985年の阪神のバックスクリーン3連発と同じくらい有名になっていた。
  7. 中山裕章が胴上げ投手を務めていた場合は賛否両論となっていたかもしれない。
  8. 球団創設60周年のメモリアルイヤーを飾れていた。
  9. セ・リーグMVP(史実では巨人・松井秀喜)は山﨑武司(同年の本塁打王)が受賞していた。

1998年に優勝していたら

1998年、ナゴヤドーム2年目の中日は、関川・久慈、李鍾範を獲得し、前年の最下位からの巻き返しを図りましたが、最終的にはOB・権藤博監督率いる横浜との優勝争いに敗れ、2位に終わりました。この年、優勝を達成していたら?

  1. ベイスターズは2018年現在に至るまで、58年間(近鉄バファローズが存在していた年数より長い!)リーグ優勝を達成できていない。
    • それ故に2017年の日本シリーズ出場は57年ぶりということで現実以上に盛り上がりを見せていた。
  2. 日本シリーズは西武と対戦。いつものように敗退…してしまうのか、それともこの年こそ日本一達成か。
  3. 川上憲伸が新人で沢村賞(史実より6年早い)に選出されていた…と思いきや史実でも沢村賞は横浜ではなくヤクルト・川崎憲次郎だから厳しいかも。
  4. 平成初の前年最下位からの優勝が3年早く実現していた。

2000年に優勝していたら

  1. ドラゴンズが「辰年・20世紀末」にリーグ優勝達成、それも悲願のリーグ連覇というわけで、名古屋の街の盛り上がりは尋常ではなかった。
  2. 日本シリーズは前年のリベンジマッチと言わんばかりにダイエーと再戦。工藤がいなくなり、秋山も衰えが来てたから、悲願の日本一達成もあり得た…と思いきや、こちらも宣・サムソンが抜けてるし、優勝が精いっぱいかもしれない。
    • 宣の穴はギャラードで埋められる…と思いきや、史実で江藤・二岡に連続ホームランを打たれてV逸を決定づけられたそのギャラードが日本シリーズでダイエー相手に炎上し、日本一を逃すきっかけになっていたかもしれない。
    • サムソンの穴は中継ぎ陣の補強に成功していれば…(史実では佐野重樹・鈴木平の獲得がいずれも大失敗)
  3. 「燃えよドラゴンズ!2000」が史実以上にヒットしていた。実際に優勝した1974年・82年と同じく板東英二が歌っていたので「板東英二が歌う燃えドラがリリースされると優勝する」というジンクスになっていた。
  4. 史実では翌2001年限りで辞任していた星野監督がもう少し監督を続けていたかも。
  5. 中日が工藤公康か江藤智(どちらも巨人移籍)のどちらかを獲得に成功していればこうなっていたかも。
  6. メルビン・バンチが沢村賞を受賞していた?(史実ではバンチも候補に挙がったが、完投数が2と少なかったため受賞できず。結局は「該当者なし」)
    • そうなれば2016年の広島・ジョンソンより16年早く、バッキー(阪神・1964年)に続く2人目の外国人沢村賞投手が誕生していた。
  7. 逆に巨人・長嶋監督は大補強を敢行してもなお優勝を逸した責任を取り同年限りで辞任。史実より1年早く原監督が誕生していた。
  8. ディンゴが目論見通りV2の使者となれていたか。
  9. セ・リーグMVP(史実は巨人・松井)は(史実のメンバーの場合)投手ならバンチorギャラードか。ただしディンゴの活躍、工藤の獲得成功云々によってはまた違った顔ぶれになるかもしれない。

2005年に優勝していたら

  1. 名古屋の街は(この時点で)悲願のリーグ連覇達成ということで盛り上がった。史実通り2006年も優勝していた場合、巨人以来セ・リーグ2球団目の3連覇を達成していた。
    • 2007年も優勝した場合、リーグ4連覇となる。
    • これに加えてこの年は、セントレア開港、愛知万博開催、春のセンバツで愛工大名電が優勝と、愛知県にとってイベントぞろいの年。ここでドラゴンズが連覇達成となれば、そりゃもうすごいこと。グランパスは降格寸前だったけど。
  2. 史実ではウッズが藤井への暴行事件を起こし、出場停止で途中離脱したのがV逸に響いた。これがなければ、この年の優勝があり得たかも。
    • 9月7日の阪神戦(史実で阪神の中村豊が決勝ホームラン打った日)に勝っていれば可能性があった。
      • そうなると中村豊は阪神時代に1本もホームランを打てず(平井から打った↑のホームランが阪神で唯一)、同年限りで引退していただろう。
    • ウッズ自身も離脱しなければ(横浜時代から移籍をまたいで3年連続の)本塁打王を取れていたかもしれない。打点王は流石に今岡の成績が圧倒的すぎるから不可能だろうけど…。
      • 福留も30本塁打を達成できていれば…
  3. この年の日本シリーズはどうなっていたことか…翌年の「強竜打線」でも日本ハムに完敗していたし、ヘタしたら史実の阪神同様、ロッテ相手に33-4みたいになっていたかも。
  4. セ・リーグMVP(史実は阪神・金本)はウッズか福留(福留は史実にて翌年に受賞)だろうか?

2007年に優勝していたら

  • 背景については同年の阪神の節を参照。
  1. 中日恒例の燃え尽き症候群により、またしても日本シリーズで負ける。
    • CSで負けたかもしれない。
    • この年は史実でもCSストレート勝ち→日本シリーズ制覇するまでの力を残していたからそうなっていない可能性のほうが高い。
    • そうなれば「53年ぶり日本一」は、正真正銘の「完全制覇」となる。そのため、中日が「完全制覇」を達成できていない年数が、2009年に近鉄球団の55年間を塗り替えてしまうことはなかった。
  2. それでも名古屋ではV2ということで盛り上がる。
  3. 日本シリーズ第5戦では山井大介が完投し完全試合を達成していた。

2009年に優勝していたら

  1. 立浪和義・井上一樹のラストイヤーを「有終の美」ならぬ「優勝の美」で飾る。
  2. チェンが打線の援護に恵まれ、13勝ぐらいできていれば可能性があっただろう。
  3. MVPはトニ・ブランコ辺りが受賞していた。
    • 「汎用応援歌を使用されていた新外国人」がMVPを受賞したのは前例があるのだろうか?
  4. 史実通り2010年・2011年も優勝すれば3連覇。さもなれば落合監督の2011年限りの解任もなかったか、もしくは史実通り発表されるも後に撤回されていた?
  5. 沢村賞は吉見一起が受賞していたかも(史実では当時西武の涌井秀章。なお2018年現在までも吉見は沢村賞を受賞できず)。
    • もしくは前述のように援護に恵まれ勝ち星を伸ばしたチェン。

2012年に優勝していたら

  1. 落合解任への批判は沈静化していた。
  2. 高木監督が老害扱いされる事はなかった。
  3. 辰年優勝も話題となった。
  4. 翌年からBクラスに落ちることもない。
  5. 高木監督の後任は立浪和義になっていた。

阪神タイガース

もし阪神タイガースがあの年に優勝していたら

広島東洋カープ

1976年に優勝していたら

  1. 広島は1975・76年とV2を達成。
  2. 1977年にBクラスに転落することはなかったかもしれない。
  3. 対戦相手が実史通り阪急だった場合、前年のリベンジとなっていた。

1985年に優勝していたら

  • 1985年は8月まで阪神・広島・巨人の3チームがデッドヒートを繰り広げていましたが、9月になって阪神が2位広島に7.5ゲームと突き放し、最終的には阪神が優勝しました。もし、広島が勢いを持続して優勝していたら?
  1. 広島は1984・85・86年とV3を達成していた。
    • 広島の黄金時代が再来していた。
  2. 21年ぶりのリーグ優勝に期待をかけていた阪神ファンの落胆は大きかったかも。
    • バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発は現実ほど印象に強く残らなかった。
  3. 阪神は1992年に優勝していたかも。
  4. 古葉監督の最後の花道を優勝という形で飾ることができた。

1988年に優勝していたら

  1. (現実のまま行けば、)昭和・平成2元号続けて当該元号最後のセ・リーグ優勝チームは広島という事になっていた。
  2. 日本シリーズは86年と同じく、広島VS西武だった。
    • 史実通り西武が日本一の場合、昭和・平成2元号続けて当該元号最後の日本シリーズは広島が工藤公康率いる球団(88年→西武、18年→ソフトバンク)に敗れたということになっていた。
    • 相手が近鉄だった場合(史実では10.19で引き分けに終わって2位)、1980年以来の組み合わせになっていた。

1992年に優勝していたら

  • 1992年はヤクルト・巨人・阪神のデッドヒートで有名でしたが、広島は序盤首位をキープしていたものの5月以降失速。最終的に4位だったものの首位のヤクルトから8ゲーム差と大健闘。もし、広島が序盤の勢いそのままに優勝していたら?
  1. 広島カープは79年・80年以来のV2を達成。
    • 相手が実史通り西武だったら、前年のリベンジとなっていた。
  2. 北別府が200勝達成ももう少しクローズアップされていた。
  3. 達川光男は、もう1~2年現役を続けていたかも(現実は、92年オフに引退)。

1994年に優勝していたら

  • 1994年の広島は、一時期は最下位から10連勝の快進撃で優勝争いに加わるものの、その後失速し巨人・中日につづく3位に終わる。もし、広島が勢いそのままに優勝していたら?
  1. 10.8決戦はなかった。
    • もしくは、広島市民球場でカープVSジャイアンツの10.8になっていた。
  2. 川口和久が巨人にFA移籍することなく、カープに残留していた。
  3. 平成初の前年最下位からの優勝が7年早く実現した。

1995年に優勝していたら

この年の広島は、野村謙二郎・前田智徳・江藤智・緒方孝市らの強力打線が活躍。8月にはヤクルトに2.5ゲーム差まで迫ったが、ケガ人が出て失速。ヤクルトに逃げ切られてしまいます。 もし、ヤクルトを逆転して優勝していたら?

  1. 巨人に行った川口を物ともしない優勝だったということで、話題になっていた。
    • この年新人王を獲得した山内泰幸が川口の代わりとして話題に。
  2. この年の日本シリーズは、イチロー擁するオリックス・ブルーウエーブとの対戦となっていた。
    • 野村・前田・江藤・緒方らの強力打線が日本シリーズでも爆発し、優勝はカープのものとなっていた。
    • 逆に広島投手陣もイチローを筆頭とするオリックス打線に打ち込まれ、壮絶な打撃戦になっていた。
      • 野村ヤクルトだからこそイチロー封じができたわけで、広島にできたかは疑問が残る。
  3. 金本知憲は広島時代にリーグ優勝を経験していた。
  4. オリックスがこのシリーズを制し、史実通り翌年巨人を下してV2を成し遂げていた場合、阪急時代の1975、76年と比較されていた。(それぞれの相手が広島・巨人だったため)

1996年に優勝していたら

  • 背景については同年の中日の節を参照。
  1. 「メークドラマ」は流行語にならなかった。
    • 逆に当時の三村監督が言った「奇跡は起こすためにある」がクローズアップされたかも(発言自体は1994年だけど)。
  2. 後のカープ暗黒時代が訪れる事は無かったと思う。
    • 向こう10年程はAクラスが続いてたはず。
      • 逆に巨(ry
        • 長嶋監督はこの年ではなくても、翌97年に史実同様低迷していたならそこで辞任していた。
  3. 日本シリーズは、広島VSオリックスだった。
  4. 金本知憲は広島時代にリーグ優勝を経験していた。
  5. 江藤が夏場に死球禍に見舞われ離脱していなければ優勝できていた可能性が高い。江藤本人もその後、史実ほど早くは衰えなかった。

2013年に優勝していたら

  1. 連続Bクラス脱却を優勝で飾り、盛り上がりを見せた。
  2. 野村監督退任が遅れていた可能性も。

2015年に優勝していたら

  1. 「黒田フィーバー」が流行語ノミネートされていた。
  2. 前田健太は残留していた。
    • 楽天時代の田中将大のように、優勝を置き土産に旅立ったの方がしっくりくる。
  3. 広島地区で視聴率50%を達成していた。
    • 2016年の優勝時の視聴率が70%越えだったらしいので、翌シーズンが史実通りの成績で連覇となれば90%越えもあった可能性が…?
  4. むしろあの「世紀の大誤審」「幻のホームラン」がなければ展開が変わっていた。
  5. 緒方孝市が史実の翌年通りの采配をしていたら十分あり得たかもしれない。
  6. 黒田博樹はこの段階で現役引退を決めていたかもしれない(史実では本当に優勝した2016年に引退)。

2019年に優勝していたら

  1. 4連覇で緒方監督は退任せず名将の呼び声も高くなっていた。
  2. 大物退団もはねのけるバイタリティがあったと評された。

関連項目