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※編集される方は「[[Chakuwiki:お願い/ざんねんなモノ事典]]」をご覧ください。
*1900年以前に生まれた人物でお願いします。
*以下は出来る限り年代順に並べていただくと助かります。
==鎌倉時代以前==
;天智天皇
#とにかくビビリ屋。少しでも造反の気配があったら即刻殺してしまう。
#*元がほぼクーデター(乙巳の変。まあ、これは蘇我親子が調子に乗り過ぎていたからだが)で権力を手にしたようなものなので、奪われるのは怖かったんだろう。乙巳の変の実行犯である蘇我石川麻呂も自害させてるし。
#*更に白村江の戦も「ヒィィー大陸が攻めてくるぅー!」とビビりすぎて出兵させたようなものであり、負けたら「ウワァー! 攻めてくる! どうしよ! どうしよ!」と防人制度まで作った。
#今際の際に大海人皇子(弟、後の天武天皇)に皇位を譲ろうとしたのも勿論難癖付けて殺す為であり、出家されたことで肩透かしを食らう。そして死後に息子は大海人に討たれる。


{{お願い/もしあの番組}}
;聖武天皇
==まあ~まこ==
#藤原広嗣の乱の最中に行幸を始めたり、遣都を繰り返したり、仏教にのめりこんで寺をあちこちに建てたりとメチャクチャして、官民の受けがよくなかった。
===MARGINAL#4 KISSから創造るBig Bang===
#*これら一連の事件は長屋王の祟りなどと言われる。聖武天皇がロクに調べもせずに、藤原氏による長屋王叩きを「かまわん、ドンドンやれ」と放置したせいで、ほとんど何も悪い事をしていない彼の自殺を招いた。<del>どこかで聞いたような話である</del>
#鈴木裕斗は以降もテレビアニメで主役級常連だった。
#元々藤原家は天皇家にすり寄っていたが、聖武天皇が光明子を「皇后」にしてしまったせいで藤原氏の台頭を招く結果となる。
#高橋直純も以降史実以上にテレビアニメに出ていた。
#また、天下一の公共事業である東大寺盧舎那仏建立に着手するも、結局大仏が完成する様を見る前に崩御した。
#例に漏れずワーナーの撤退によってニコニコ動画で見られなくなることはなかった。
#*なおその大仏は'''5回も破壊されている'''。
#*大仏の表面に施す金メッキによる水銀公害で、平城京は甚大な被害を受けてしまったので長岡京へ遣都したのではないか、という仮説が近年浮上している。
#1873年(明治5年)にグレゴリオ暦へ移行した際、換算間違いにより、崩御日が1日早くなっていた。
#*約140年後の2012年(平成24年)に、ようやく正しい崩御日に訂正された。


===マーメイドメロディーぴちぴちピッチピュア===
;孝謙天皇/称徳天皇
#翌年3月まで続き、3年目もあった。
#この人のせいで、万世一系の天皇家が危うく途絶えるところだった。
#*フクちゃんの実名が判明しており、戦闘形態も用意されていた。
#*男を知らずに育つとどうなるかがよく判る事例。
#*最終的に海斗の記憶は戻っていた。
#**宗教にハマりすぎるのも怖いね。
#*原作通りるちあが次期海の女神となり、新たに北太平洋の次世代マーメイドプリンセスが主人公となっていた。
#*言い方は悪いがこの親にしてこの娘在りということかねぇ…。
#*史実での後番組だった「トランスフォーマー ギャラクシーフォース」は前作「スーパーリンク」同様テレビ東京系金曜夕方18:00枠の放送となっていた。
#趣味は、自分の気に入らない人間に、お下劣な名前を付けること。
#シリアス路線変更が成功とみられた。
#喜多村英梨はこの時点でブレイクしていた。
#*中田あすみ・寺門仁美は以後も積極的に声優として活動している。


===毎日かあさん===
;桓武天皇
番組自体の視聴率は高かったが、それ以上に大ヒットしていたらと仮定する。
#この人もビビリ屋。
#少なくとも5年以上は放送されていた。
#*父・光仁天皇の皇后だった井上廃后とその息子の他戸廃太子、弟の早良廃太子と、身内に非業の死を遂げた人達を怨霊として恐れ、彼らへ追称を送ったり、慰霊する寺院や神社を建てたりと、それはもうビビりまくった。
#*3年目で放送時間が変更されることはなかった。
#**早良親王については、聖武天皇と同じようなことをして死に追い込んだ故、後年は自責の念にとらわれていたようで、流刑した淡路国からわざわざ大和国へ改葬し、「崇道天皇」と追称したりしている。
#テレ東ゴールデンタイムのアニメ枠が『ナルト』と『ポケモン』を残して消滅することはなかった。
#*平城京から長岡京に都を遷すも、災害やら身内の不幸が起きまくったことにビビり、そこから更に平安京へ遣都した。
#*『妖怪ウォッチ』、『アイカツ!』、『遊☆戯☆王』シリーズは今でもゴールデンタイムで放送されていた。
#*石上神宮から神宝を運び出したら病気になり、自分の歳と同じ人数の僧侶にお経を読ませて、神宝を納め直すも回復せず、崩御してしまった。
#*『FAIRLY TAIL』の放送が継続されていた。
#*『イナズマイレブン』、『たまごっち!』、『ダンボール戦機』のシリーズが終了することはなかった。
#**放送終了があったとしても、史実以上に遅れていた。
#***『ダンボール戦機』に至っては、アニメ化自体がなかった可能性が高い。
#『妖怪ウォッチ』や『おそ松さん』のヒットを待たずして、本作をきっかけに日常アニメのブームが再燃していた。
#*とはいっても『妖怪ウォッチ』はエブリデイ・マジックもの、『おそ松さん』はナンセンスギャグものだから『毎日かあさん』とは作風がだいぶ違う。
#**もしかしたら『どうぶつの森』、『太鼓の達人』、『トミカ』がTVアニメ化されたのかも。
#派生番組の『Hello!毎日かあさん』や小泉今日子主演の実写映画版も、本作同様に人気を得ていた。
#*と言うより、実写映画版が大ヒットしていたら本項のようになっていた可能性が高い。
#名実共に「平成のサザエさん」と言わしめるほどの国民的アニメになっていた。
#アニメ映画も劇場公開されていた。
#*原作者である西原理恵子が監修し、脚本も担当。
#「とうさん」との離婚→再同居→死別までの一連のエピソードや、子どもたちの成長など原作のリアルな家庭事情を、表現を軟化させるなどして少しでも描写していれば、ほぼこの項目のようなことが実現していただろう。
#*でもテレ東は視聴率より収益重視なので(視聴率重視なら史実での放送時間移動はありえない)、キャラクター商品が馬鹿売れでもしない限り難しいかも(↑でも書いたが、あるいは実写映画版が大ヒットしていたら…)。


===マイリトルポニー トモダチは魔法===
;花山天皇
「ヒットしていなかったら」の項目にもありますが、こちらは飽くまで'''日本国内において'''ということで。
#一言で言うなら'''変態'''
#子供が動物としての馬にも興味を持つようになる。
#*父の冷泉天皇も、手紙にでっかい{{あきまへん}}の絵を添えて送るほどの変態であったが、花山天皇は性欲の権化の如きお方であらせられた。
#なぜかJRAがコラボを持ち掛けてくる。
#'''即位式の真っ最中'''に女官と{{あきまへん}}を行った。当時16歳なのに…。
#*2015年、ついに現実世界でコラボしてしまった。
#即位後も親子丼に明け暮れる始末であった。
#ブシロードの新たなドル箱となる。
#奥さんが死んでしまったため「オレもう出家する!」と言い出し、周囲からは「陛下ならそのうち飽きて還俗するだろ」と陰口を叩かれた。
#*なんだかんだ言っていつの時代も「子供向け」は安定している。
#結局在位2年で出家するが、そのときまだ19歳である。性欲が収まるわけがなく、女には手を出しまくり。
#*主題歌も七森中☆ごらく部が起用された事があるから、同じ経緯でブシロードとゆかりがある[[ラブライブ!|μ's]]が起用されていたかも。
#*あまりにスケコマしすぎたため、'''恨みを買って暗殺されかけた'''。しかもそれをダシに藤原道長はライバルを蹴落とし出世した。
#**もし今も放映中ならどうぶつビスケッツ×PPPが主題歌を担っていた。そして下記のようなことになっていた。
#西国三十三所巡礼を復活させた人物として有名であるが、第20番札所の[[京都市の寺院#善峯寺|善峯寺]]は花山院崩御後の創建なので、明らかに矛盾している。
#**Poppin'Partyも起用されていた。
#**ミルキィホームズも起用されていただろう。
#HKT48が子供の視聴者が多い番組に出演する際に、本作の日本語版エンディングテーマだった「片思いの唐揚げ」が歌われていた。
#*この曲もふくまれた「スキ!スキ!スキップ!」も史実以上にヒットしていただろうが、「ブロニー」からはあまりいい心証は持たれていなかっただろう。
#もちろん第3シーズン以降も継続して放映されている。
#2015年以後、マイリトルポニーの日本でのライセンス契約がセガトイズに移行することはなかった。
#(↑のように今もブシロードが権利を持っていたと仮定して)2017年あたりにけものフレンズとコラボレーションをしており、メーン6全員がフレンズ化していた。
#*もしそうなった場合、JRAとのコラボレーションは行われなかった。
#*『My Little Pony: Equestria Girls(原題)』というMLPの人間化作品が既にあるので…。
#**デザインはこれをベースにしていたと思う。
#*『バンドリ! ガールズバンドパーティー!』でも主題歌のカバーはあった。


===魔界王子 devils and realist===
;菅原孝標女
#2期も決定していた。
#本名不明なのでこう表記するしかない。『更級日記』の作者。
#同時期に放送された女性向けアニメ『Free!』『BROTHERS CONFLICT』と食い合いになっていた。
#通称'''1000年前のお前ら'''。やる事なす事とても1000年前の人物とは思えないほどアグレッシブ。
#設定の類似した『黒執事』と比較されていた。
#*物語を読みたすぎて、13歳の時に薬師如来像'''(等身大)'''を彫る。しかもその内容が「この世の全ての物語を読ませてください」。[[ONE PIECE|海賊王]]かお前は。
#ソロモンの72柱への関心が高まっていた。
#*やっと都入りを果たすと、源氏物語の写本を手にした途端部屋に引きこもり数日間微動だにしない。
#『神々の悪戯』は史実以上にヒットしていた。
#**親も呆れて勉強しろと言ったが、耳に入るわけも無かった。
#**この時の心境が凄い。「ひき出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ」!! 当時の皇后はいわば「全世界のNo.2」であり、それすら今の心地には劣るわ! というわけ。
#こんなんでも一応結婚は出来たが、30歳になってからなので当時ではかなりの行き遅れ…。
#更級日記とはいわば「子供たちも独り立ちし、夫にも先立たれた菅(ryの心境を綴った日記」であり、上記のようなイカれた回顧録の末には「こういうことはやるものではない」と結論付けている。


===まかでみ・WAっしょい!===
;梶原景時
#榊一郎の新規作品のアニメ化が「アウトブレイク・ カンパニー」までブランクが空くことはなかった。
#鎌倉幕府の重鎮であるが、豊臣で言う所の石田三成ポジション。
#*「まかでみックス」もアニメ化されていた。
#逆梶論争が有名なように、とにかく敵を作りやすいやつ。
#宮崎羽衣のテレビアニメ出演本数が1年1本に落ち込むことはなかった。
#*説明力が高かったらしく、報連相をきちんとするという点では評価できるのだが(笑)。
#村田あゆみは歌手として以降もCDを出していた。
#*空気を読まずに勇猛果敢な畠山重忠をボロクソに非難したことで、より源氏の猪武者どもから恨まれるようになった。
#東京都中野区や小金井市で大々的なコラボが実現していた。
#ついには頼朝の死後、我慢の限界が来たのか'''66名'''もの連判(勿論重忠も含む)で訴追、失脚の後に襲撃を受けて一族郎党滅ぼされる。死人に口なし。
#余談だが、[[茨城県]]の一部地域ではゲジゲジのことを'''カジワラ'''と呼ぶ。深くは探るまい。


===マギ===
;平宗盛
「ヒットしていなかったら」の項目にもありますが、こちらはあくまで『黒子のバスケ』並にヒットしていたら
#平清盛の息子の中でも'''できの悪い'''ほう。
#二期のアニメもアニメージュで特集されていた。
#*兄の重盛や、弟の知盛などは武士らしく武勇に優れているが、宗盛はというと臆病で、とても武士らしくなく「驕る平家は久しからず」を体現している。
#梶裕貴といえばエレン・イェーガーではなくアリババ・サルージャだ。
#清盛が亡くなり、すでに嫡男であった重盛も亡く、平家の棟梁として指揮をするも戦経験もほとんどなかったので、そのほとんどは弟の知盛まかせになっている。
#少年サンデーの漫画が次々とアニメ化されていた。
#壇ノ浦の戦いで、義経軍に敗れた平家武士が次々に入水自殺をする中、どうしたらよいのかわからずオロオロするばかりであった。
#*「サンデーCM劇場」で映像化された作品は一通りTV放映されたかOVAが作られていた。
#*それを見かねた家臣が「お供いたす」といって入水するも、無駄に泳ぎが得意だったため、死ぬことができず源氏方に捕縛されてしまう。
#*「姉ログ」・「電波教師」・「境界のRINNE」・「うしおととら」・「だがしかし」への期待は史実以上だった。
#*鎌倉に護送され、頼朝から死罪を賜るがその最中、ずっと頼朝にへりくだり、命乞いをしたという。
#**「電波教師」に至っては[[もしあのアニメが大ヒットしていたら/て#電波教師|大ヒット]]していた可能性がある。
#**「競女!!!!!!!!」も。
#BEAMSやsuperg groupies等のファッションブランドとコラボした商品を発売していた。
#序盤のシーンカットがなければこの項目のようになっていたかも。
#「マギ シンドバッドの冒険」への期待は史実より高まっていた。


===マグネロボ ガ・キーン===
;北条政子
#DVDソフトの発売が史実よりも早まっていた。
#'''鬼嫁'''。
#古川登志夫はこの時点でブレイクしていた。
#*当時としては非常に珍しい恋愛結婚であり、夫・頼朝が浮気した際には浮気相手の家をハンマーでぶっ壊している。
#以降も東映動画(現:東映アニメーション)は積極的にロボットアニメを作り続けていた。
#政治的には非常に優秀だったが、優秀過ぎて自分の息子たちも最終的に死に追いやる結果を招く(意図していたのではないと思うが)。
#スパロボにも参戦していた。
#*彼女と弟の義時によって頼朝の重臣たちはほとんど始末されている。前漢の呂一族かよ(呂一族と違って完全に夫の一族を滅ぼしている分たちが悪い)。
#*ジーグ、ガ・キーン、バラタックのマグネロボシリーズの主役機3体による合体攻撃で、「マグネロボアタック」なるFDSPに近い合体攻撃ができていたかもしれない。
#最終的に頼朝との間の子は全て先立たれ、源氏政権は数十年で滅亡している。


===マクロスΔ===
;源義経
作中ユニットのワルキューレのブレイクや、劇場版の公開が決定していますが、ここではアニメとしてのヒットしていたらと仮定
#戦'''しか'''得意じゃなかった英雄。兄の頼朝は戦'''だけが'''ダメだったので性格も真逆(女癖は同レベルだが)。
#鈴木みのりはデビュー作にしてブレイクした。
#*政治的センスの欠如のせいで、「俺は頼朝兄さんの弟だから鎌倉武士より優遇されているはずだ」と思い込み、後白河法皇から官位を躊躇なく受け取り決定的な亀裂を生んでしまう。
#前作のヒロインであるシェリル・ノームの新曲がリリースされることもなかった。
#その戦の方法も奇襲とか放火とか、木曽義仲と大差ないレベルのDQNぶり。
#後半クールも戦闘シーンがほぼ毎週行われていればこの項目のようになっていたのかもしれない。
#*彼らだけがそうだったわけじゃなく、基本的に源氏はやり方が汚い。
#河森正治が「重神機パンドーラ」で中国と組むことはなかったかも。
#*特に問題視されたことが、非戦闘員(船の漕ぎ手など)への加害行為。当時の価値観では絶対的なタブーだった。
#内田雄馬がアニメで一時的にメインキャラ担当本数が減ることはなかったかもしれない。
#平家物語では「出っ歯で背が低く、平家の中の選り屑よりもブサイク」などと不必要なまでに容姿をけなされている。
#2018年に放送されるのは新シリーズではなくこのアニメの2期だった。
#*両親が美男美女だったんだから彼だけそこまでブサイクだったとも思えないので、ブサイクだった方は山本義経という別の武将ではないかという説が濃厚。
#監督が同じ「博多豚骨ラーメンズ」のネット局は本作並だったかもしれない。
#*隣にいつも弁慶がいたから相対的にチビに見えたという説もある(笑)。
#生存し蝦夷地(北海道)からモンゴルに渡りチンギス=ハンになりましたというのはとっくに否定されている。
#*北行伝説に至ってはアイヌへの同化政策のために義経北行伝説が利用されたこともあった。いわば家系に義経の名を加え箔をつけ見栄を張ったというわけである。
#**しかもアイヌの伝承では義経は悪役になることが多かった。


===マケン姫っ!===
;四条天皇
*2期があったものの原作は2019年現在続いており以降何期もアニメ化されるほどだったら。
#歴代皇室で最も<del>4コマ漫画みたいな</del>ざんねんな御崩御を遂げた天皇。
#富樫美鈴は歌手として大ブレイクしていて以降もシングルを出していた。
##ある日のことです。陛下は廊下をご覧になり、「この廊下に滑る石を置いたら転ぶかもな」とお思いになられました。
#通でスタッフが大幅に変わることはなかった。
##陛下は試しに石を置いてみましたが、本当に滑るのか気になって、自分でお試しになられました。
#*大畑晃一は以降もテレビアニメの監督を担当していた。
##ところが陛下が石を踏んでみると、思った以上に滑りました。そして、別の石がたまたま転んだところにございました。
#*通はオリジナルストーリーではなかったかも。
##頭をお打ちになられた陛下は'''そのまま12年の短い一生を終えました'''。
#*放送は史実より早かった。
#テレビせとうちは通も放送していた。


====マケン姫っ!通====
==室町時代==
#OP、ED共々売上で惨敗することはなかった。
;足利尊氏
#下屋則子は史実以上の主役級常連となっていて翌年に結婚したか不透明になっていた。
#室町幕府初代将軍であるが、生きている内に乱戦を終わらせられなかったどころか、むしろ悪化させている。
#*鶴岡聡も以降史実以上に主役級常連だったかも。
#一般的なイメージ(後述)とは異なり、尊氏は「私は早く隠居してゴロゴロしたい」という手紙を残しているくらい、めんどくさがり屋であった。
#美名もテレビアニメ出演本数が低調となることもなかったかもしれない。
#*まず建武の新政の折、弟の直義が鎌倉幕府残党に虐められていたので、尊氏は後醍醐天皇の許可を得ずに出兵。尊氏をウザがっていた後醍醐帝は「尊氏が関東の武士を手下にして、鎌倉幕府を復活させる気だな」と難癖をつけて新田義貞に尊氏討伐令を下す。
#古谷静佳が事務所を退所することなく以降もテレビアニメ出演があったかも。
#*これを知った尊氏は「私はそんなことしましぇぇーーーん!!」と即出家して隠居。勿論その程度で新田軍は攻撃をやめず、直義はボコボコにやられる。ヘタレか!
#テレビせとうちでも遅れネットで放送されていた。
#*結局尊氏もボコボコにやられ、北朝を開いて抵抗。後醍醐一味に逆襲したが、鋼鉄メンタルで吉野に逃げた後醍醐帝は南朝を開き、南北朝時代が開始される。
#*ところが今度は尊氏の執事・高師直が直義と政争に明け暮れ、直義は南朝に逃げて猛襲。ではここで尊氏は何をしたか!?
#**はい、諸悪の根源である師直を見捨てて逃げました。人として正しいことにしろ武将としてそれはどうなのか。
#*その後、心労がたたって直義共々病没。これにより更に南北朝の戦いは激化していく。
#要するに'''ヘタレ'''であり、消極的な方に消極的な方に逃げて保身にばかり走ったせいでこんなにわかりづらい歴史を歩ませている。筆者も学生時代は「何がしたいんだこいつは!」と頭を抱えながら歴史の勉強をしていた物である。
#更に、南北朝時代を作った張本人ということで、幕末~戦前にかけては「勇者」楠木正成を崇め奉るためのわかりやすい「魔王」にされ、木像が義詮(息子)・義満(孫)共々首を刎ねられるわ、教科書でも平清盛と並ぶ極悪人呼ばわりされるわ、尊氏ファンだということがばれただけで'''国会で訴追される'''わ、日本史史上No.1の嫌われ者扱いされていた。


==まさ~まの==
;足利義教
===政宗くんのリベンジ===
#室町幕府6代将軍。かの有名な3代将軍義満の子(三男説が有力)。
#大亀あすかは以降もテレビアニメに活発に出ていた。
#元々出家していたが、5代将軍義量(義教の甥っ子)が早死にしたため、くじ引きで選ばれた。
#政宗繋がりで宮城県の民放でも放送されたかもしれない。
#くじ引きで選ばれた負い目故に、部下をうんと厳しく縛り付けたため、'''万人恐怖'''とまで呼ばれた。
#*モデルになったといわれる校舎の高校がある高知県でも放送されていた。
#*闘鶏の見物人に道を遮られたのに激怒し、都中から鶏を追放した。
#*丸眞正宗(小山酒造)の廃業はなかった可能性も。
#*酌の仕方が下手だっただけで侍女の髪を掴んで切り落とし、出家させてしまった。
#ライ○。プのような企業やトレーニング器具メーカーとの大々的なコラボが実現したかもしれない。
#*あまりにバンバン部下を手打ちにするため日親という高僧が説教に来たが、カッとなって灼熱の鍋を被せ、舌を切り落とした。
#早見沙織は女の子っぽい男役もありだとされた。
#こんなんだから家臣の赤松満祐が'''あまりにビビり過ぎてしまい'''、「やられる前にやるしかない」と決起して嘉吉の乱を起こして殺された。厳しすぎる締め付けが逆効果となったのである。室町幕府としては初の暗殺された征夷大将軍となる(後に13代・義輝も暗殺される)。


===魔法騎士<!--マジックナイト-->レイアース===
;足利義政
もし「美少女戦士セーラームーン」並にヒットしていたら
#室町幕府8代将軍。今でいう、オタク。
#「名探偵コナン」がアニメ化されたか怪しい。
#超口うるさい乳母や重臣たちが何でもかんでも決めてくれた(最も義政の父・義教があまりに強烈なワンマンだった反動かもしれないが)ので、「義政」という名前にもかかわらず全く政治に興味を示さず、もっぱら芸術にばかり関心を示していた。
#*多分19時枠で放送されあとは史実通り。
#*銀閣を建てたのもこの人であり、日本のわびさびを含んだ文化は義政の後ろ盾あって完成されたと言える。評価できるのはここだけである。
#1997年時点でOVAは発売されておらずTV放送が続いていた。
#**当時、芸術家というのは最低の扱いであり苛烈な差別を受けていた。しかし義政はそーゆーのに全く興味を示さなかったため、身分に関係なく優秀な(芸を持つ)人は丁重に召し抱えた。
#*OVA版は劇場版として公開されていた。
#そして「もう一刻も早く将軍を辞めたいから、子供もできないし弟・義視に譲ってやる」と言い出した途端に息子が生まれ、鬼嫁・日野富子の後押しもあって応仁の乱が勃発してしまう。
#椎名へきるは声優として大成功し歌手に比重を置くことはなかったかもしれない。
#*この最中も戦争をうっちゃらかして芸術に金を使っていたため、富子は「あのバカ夫め~!」と激怒しながらも政治改革に次ぐ政治改革を行い、市民を滅茶苦茶に搾り取りつつかろうじて幕府の運営を保っていた。
#*一般向けアニメの第一線で活躍するようになり逆に「YAT安心!宇宙旅行」「エデンズボゥイ」に出なかった可能性も。
#が、応仁の乱は予想以上にグダグダとなり、京都周辺は灰燼と化し、結局何のために戦争をしているのかもわからなくなって義視も降参し9代将軍は義尚となった。
#**それらも史実以上に大ヒットしていただろう。
#*三石琴乃といい意味で切磋琢磨していた。
#**ナレーターでも三石琴乃以上に活躍していたかもしれない。
#吉成圭子のED曲も田村直美のOP曲並にヒットしていた。
#*制服向上委員会も爆発的にヒットしていた。
#**史実ほど大っぴらな政治活動に走れなかっただろう。
#南青山少女歌劇団によってミュージカル化されていた。
#*南青山少女歌劇団が2001年に活動休止することはなかった。
#東京ムービー新社は現存していた。
#「カードキャプターさくら」「ツバサクロニクル」は民放でアニメ化されていた。


===まじもじるるも===
;日野富子
#「弱虫ペダル」に続いてヒットしたため渡辺航先生の評価が上がっていた。
#足利義政の正妻で'''鬼嫁'''。
#*出版社の垣根を越えたコラボが実現していたかも。
#同じ鬼嫁でも北条政子の場合、武家政権確立の為にと辣腕を振るった尼将軍だったが、こちらは守銭奴といった方が良いかもしれない。
#高橋信、遠藤ゆりかはブレイクしていた。
#足利義尚と足利義視との後継者争いの体で始まった応仁の乱勃発の原因の一人であるが、この混乱に乗じて金儲けをしようとたくらむ。
#以降も長崎県で深夜アニメが放送される機会が増えていた。
#*敵味方関係なく、戦費に困った東軍・西軍の諸大名に高利貸しを行い、自分の懐を蓄えようとする。


===マシュマロ通信===
;足利義尚
#二年目が放送されており、『おねがいマイメロディ』、『ジュエルペット』シリーズはなかった。
#というわけで、親はオタクでも子は育つということで選ばれた9代将軍。
#*『おねがいマイメロディ』シリーズと『ジュエルペット』シリーズは、『レジェンズ~甦る竜王伝説~』の後番組として放送されていた。
#*「緑髪将軍」と言われるほどの美男子で、女の子にモテモテであった。しかしこれが彼の悲劇を生む。
#**あるいは『キティズパラダイス』内のミニアニメになっていた。
#応仁の乱が原因で信用が地に落ちた幕府の威光を取り戻す為、六角氏征伐などを敢行。母譲りの才覚と父譲りの芸術観を持ち多くの人に慕われた。
#***『ロビーとケロビー』・『リルリルフェアリル』シリーズも。
#…のだが、あまりに働き過ぎで遂にプッツン来てしまったのか、六角征伐終了後に突如として女狂いとなり、浴びるように酒を飲んでは{{あきまへん}}にふけった。
#NEOPLEXは倒産しなかった。
#*その結果、わずか25歳で早逝。父よりも先に逝く親不孝により、義政は心身を病み後を追うように亡くなった(55歳没なので人生わずか50年の時代としては大往生である)。
#*DVD7巻以降の発売にやきもきさせられることはなかった。
#**8巻以降のパッケージイラストがおざなりすぎておかしな事になったりせずに済んだ。
#*ほとんど使われなかった曲ばかりが少し入ってただけのサントラに続き、まともなサントラ2が発売された。
#OPを歌った七海まいは原紗央莉(AV女優)にならなかった。
#EDを歌ったGraceは解散しなかった。
#JIVE製単行本発売が9巻で止まることはなかった。
#*後年復刊企画で『ワンモア』『モアモア』『バイバイ』という変則的な出方をすることもなかった。
#**それぞれの描き下ろしを見ることもできなかった。
#**「モアモノ」の誤植も見られなかった。
#ハウステンボスのマシュマロタウンは閉鎖されることなく聖地として賑わった。
#*HTBは経営が野村からH.I.S.に変わることも規模を縮小することもなかった。
#**毛色の違うアトラクションを試行錯誤的に導入せずHTB全域でオランダ色を堅持していた。
#*マシュマロタウンは一建物内にとどまらず、ハウステンボスがティムニーランド化していた。
#クラウドシリアルが発売され懸賞のお目覚めクラウド人形も作られた。
#ベティズブルーからサンディだけでなく多くのキャラの衣装が発売された。
#福圓美里は史実より早く大ブレイクしていた。


===マシュランボー===
;武田信長
#カードがもっと人気になっていた。
#武田信玄でおなじみの甲斐武田氏の傍流にあたる、上総武田氏(真里谷氏)の祖。
#つなぎのために作られたようなカードリアン篇なんて存在しなかった。
#*ネーミングだけ見ると、「武田」と「信長」で何かと強そうなイメージだけは湧く。
#*丸一年放送され、2クール目後半からはクラーケン軍団との対決が描かれた。さらに3クール目はダイハンガー軍団やキマイラス軍団との三つ巴の対決が展開され、4クール目はゼネラルモンスター&サタンマシュランボーおよびラナンキュラス軍団との対決に発展していた。
#上総一国でおよそ10万石を有する有力な大名ではあるが、戦国時代の主戦場である畿内から離れた関東にあるので、何かと歴史の片隅に追いやられている感が強い。
#**ラナンキュラスの設定は音声ドラマ版&漫画版のキングマトリクサーにより近くなっていた。
#信長の野望より、前の時代のひとなので、ゲームには登場しない。
#**ビンカは史実同様3クール目で登場し、その正体が明かされていた。
#**ゴールドマシュランボー・ゴッドマシュラはそれぞれ3クール目と4クール目にて登場。
#**最後は漫画版同様、ハッピーエンドで終わっていた。
#リメイクされていた。
#時間操作モノがもっと出回っていた。
#メインスポンサーのバンダイがフィギュアやゲームなども積極展開していた。
#東京国際アニメフェアにて予定通り総集編映画二部作が公開されていた。
#本作のマトリクサーの設定から『仮面ライダー剣』のアンデッド絡みで比較ないしネタにされる対象になっていた。
#現在に至るまでテレ朝の土曜夕方6時半は東映アニメーション製作の少年向けアニメ枠が続いている。
#*「デジモンクロスウォーズ」シリーズ&「デジモンユニバース アプリモンスターズ」・「聖闘士星矢Ω」・「マジンボーン」はこちらで放送されていた。
#東映アニメーションは男児向けオリジナルアニメ制作に積極的になった。


===ましろ色シンフォニー -The color of lovers-===
;一休宗純
*主題歌は悪くない売り上げでしたが…。
#僧侶の中ではかなりのスケベだった。
#以降もぱれっと作品のアニメ化が積極的に行われていた。
#*男色だけではなく女犯も平気で行い、森侍者という愛人がいたり、実の子供の弟子がいたりした。
#*「干物妹!うまるちゃんR」の騒動は起こらなかったかもしれない。
#*彼の漢詩集「狂雲集」では女性との{{あきまへん}}のことが多く詠まれている。
#吉田真弓、壱智村小真は以降もテレビアニメに出演していた。
#*小野涼子もテレビアニメ出演本数が減ることはなかった。
#翌年の「スマイルプリキュア!」で物議を醸す可能性が出ていたかも。


===マジンガーシリーズ===
;細川政元
====グレートマジンガー====
#一言で言うなら'''オカルトおじさん'''。
前作『マジンガーZ』を凌ぐ視聴率を獲得したものの玩具の売り上げは前作を大きく下回った。
#「半将軍」と呼ばれるほどの権力の座にありながら、天狗となって空を飛ぶことを夢見る修験道オタクであった。
#その後のロボットアニメの主人公は熱血タイプよりも影のあるタイプが増えていた。
#*度々公務をすっぽかして「旅に出ます」と書き残して失踪したり、後柏原天皇の即位式を「意味がないから」と言って中止させたりと、もうムチャクチャ。
#自然退場したユリシーザー将軍との決着が描かれていた。
#*そのため名門細川家の当主でありながら生涯独身であり、養子を3人貰っているが、そのせいで派閥闘争が発生。
#後番組がグレンダイザーではなく続編要素の強い作品になっていた。
#*しかし我関せずと修行にふけっていたため、風呂場で行水していた所を暗殺される。
#*その作品で闇の帝王との決着が描かれていた
#ちなみに、信長より先に本能寺を焼いている。
#**グレンダイザーは名称を変えて登場していたかも。
#**要するに、[[もしあの作品のアニメ化が実現していたら#ゴッド・マジンガー|こうなっていた]]。
#**もちろん、「デビルマン対闇の帝王」の内容にも影響を与えていた。
#*さらに大ヒットした場合、[[もしあのアニメが今でも続いていたら/は~わ行#マジンガーZ|こうなっていた]]かも。
#前作の主人公、兜甲児の登場の仕方が違うものになっていた。
#作者の永井豪が今ほど剣鉄也を嫌うことはなかったかも。
#放送終盤には「グレートマジンガー対闇の帝王」が東映まんがまつり内で公開されていた。


====UFOロボ グレンダイザー====
==戦国・安土桃山時代==
フランスやイタリア、アラブ諸国など、日本国外では国によっては大ヒットしたが、もし日本国内でもそれ並みに大ヒットしていたら?
;佐久間信盛
#マジンガーZ、ゲッターロボのように続編が作られていた。
#信長のかなり古い家臣で、「退き佐久間」の異名を持つ重臣だが…。
#*もしかしたらマジンガーシリーズは[[もしあのアニメが今でも続いていたら/は~わ行#マジンガーZ|今でも続いていたかも。]]
#*裏を返せば「攻めには使えない」って言ってるようなものである。
#東映制作の永井豪原作のロボットアニメは史実よりも多く作られていた。
#あまりに使えなさ過ぎて「もうお前いらんから、敵の城でも分捕るくらいの手柄立ててくるかサッサと隠居しろ、'''イヤなら腹切れ'''」というとんでもない命令を受けてしまった人。
#真ゲッターロボ以降のゲッターロボシリーズは東映アニメーション制作になっていた。
#*その際に19項目にも及ぶダメ出しを受けており、相当に苛立たせていたことが推察される。
#ゴッドマジンガー以降のマジンガーシリーズも東映アニメーション制作になっていた。
#基本的に信長は下っ端は即手打ちにするが重臣は割と大事にするので、ここまで怒らせてしまった人は彼と明智光秀くらいであろう。
#*そしてキャスト、スタッフに大きく影響が出ていた。
#グレンダイザーギガへの期待が史実以上に高まっていた。


====ゴッドマジンガー====
;大友宗麟
#1年間放送されていた。
#名代のスケベさで名を遺した。
#ゲッターロボ號以降のゲッターロボシリーズは東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)制作になっていた。
#*あまりに好色すぎるため腹心の立花道雪からも叱責されている、と歴史書に残されてしまっている。
#*マジンカイザー以降のマジンガーシリーズもトムス制作になっていた。
#**グチグチ行ってくる道雪がムカついたようでペットの猿を嗾けて脅かそうとしたら、逆に'''鉄扇で一撃粉砕(物理)'''されてしまい猿のように反省した(創作説があるが、そういう創作が出てくるくらいざんねんな人物であったことは事実である)。
#スパロボにも参戦していた。
#知名度に反して意外と敗北回数が多い。
#おまけに奥さん(重臣の妹なので無下に扱えなかった)が悪魔のように恐ろしかった、と宣教師が語っており、キリシタン大名なのに嫁さんがキリシタンを弾圧していた。
#*出自は奈多八幡宮の宮司の娘。当然、夫とは信仰で相いれない。
#*当時のキリスト教関係者は、彼女に対し旧約聖書に登場する悪女にちなむあだ名を付けていた。


====真マジンガー衝撃!Z編====
;[[上杉謙信]]
#第二期が製作されていた。
#いうまでもなくチート武将であるが、重度のアル中。
#*一部「真マジンガーZERO」の設定が反映されていた。
#*馬の上で飲酒するためにわざわざ特注の盃を作らせていた。飲酒運転じゃん。
#*2期の内容はグレート編になっており、勇者ブレードの正体も鉄也と判明していた。
#*しかも塩(敵に送るくらいだからたくさんあった)や味噌や梅干しといった高血圧まっしぐらメニューをつまみに浴びるように飲んでいたので、冬に'''トイレで気張り過ぎて脳の血管が切れて'''死ぬ。(まあ49歳だから早逝ではないんだが)
#**ポセイドンはグレンダイザーと何らかの接点を持っていた。
#**おまけに後継者を決めずに何の前触れもなく突然死したので、甥の景勝と養子の景虎で大戦争が勃発してしまう。
#*スパロボにもしっかり2期の設定が反映されている。
#生涯不犯(未婚)であり、美少年をたくさん侍らせていたという逸話からガチホモ、もしくは女性だと言われている。ホントかよ?
#赤羽根健治はこの時点でブレイクしていた。
#*そもそも女性説自体学者の勝手なる思い込みから生まれたものであってまぁまずないと思われる。(当時の学者からも酷評された)
#その代わり、マジンカイザーSKLが制作されなかった可能性大。
#**だが否定されながらもサブカル界隈ではいろんなところで女性版謙信が登場している。
#「変な奴がいるぞ!」がネット流行語に選ばれていた。
#さらに近年では、後述の弱い方のオダの城の人間を食い扶持に困るからという理由で売り飛ばしていたことが判明している。勿論、謙信以外の武将もこのようなことは当たり前のように行っていた。
#本作のヒットを受けて、本作と同じスタッフでゲッターロボシリーズの新作テレビアニメが制作されていた可能性もある。
#また「敵に塩を送る」の美談は、現在では「塩を有料で売り捌いた」ということが判明している。世の中そう甘くはないのである、塩だけに。
#場合によっては2018年公開の『マジンガーZ/INFINITY』にも影響が出ていた。


===マジンボーン===
;小田氏治
#ゲーム版もヒットしていた。
#通称'''「弱い方のオダ」'''。
#二年目に突入していた。
#小田城の城主であったが'''6回'''も奪われており、史上最も城を奪われたことが多い大名として知られる。
#最強ジャンプは現在でも月刊誌のままだった。
#*裏を返せば5回は取り戻している(最後は取り戻せなかった)わけでただ弱いだけではないのだが…。
#劇場版も制作されていた。
#最後は豊臣秀吉の小田原征伐の巻き添えを喰らって惣無事令違反で全領地を没収されてしまい、結城秀康の家来にまで零落れてしまった。
#*『[[アイカツ!ファン|アイカツ!]]』との同時上映になっていた。
#土の魔神&木の魔神の出番はもう少し多かった。
#*時間の魔神ももう少し早くから登場していた。
#*炎の魔神以外の魔神もプラモデル化されていた。
#フレイド(設定上、さすがに台詞はあまり多くないだろうが)や始まりの魔神以外の魔神たちにも声と台詞が用意されていた。


===マシンロボシリーズ===
;[[織田信長]]
====マシンロボ クロノスの大逆襲====
#'''裏切られすぎ。'''
*ヒロインのレイナは絶大な人気を得たが、作品自体もヒットしていたらと仮定。
#*日本の歴史で一番たくさん謀反を起こされたのではないかと言うくらい、裏切られて裏切られて裏切られまくった。
#続編「ぶっちぎりバトルハッカーズ」は当初の予定通り本作と地続きになっていた。
#**最終的に一番目をかけてた奴に裏切られて死んだ。
#*ロムとレイナは当然続投していた。
#*最初に裏切った弟の信勝は、一度許してやったのにまた裏切ったせいで殺す羽目になった。これはまあ信勝が兄を舐めすぎたというのもあるが。
#*当初の予定通り、ガルザックも商品化されていた。
#*従わない奴はキルオブゼームとばかりに殺しまくるほど短気な割に、身内と優秀な奴には評価が甘いので、悉く裏切られ、何度も包囲網を敷かれる羽目になる。
#ランドコマンダー5の扱いもよくなっていた。
#一方本人はそんなに裏切ったことはない。せいぜい足利義昭を操ろうとしてたくらいか。
#トランスフォーマーに対抗しうる作品となっていた。
#肝心な時に限って雨がやたら降る「雨男」であり、せっかく鉄砲戦術で戦争史に革命を起こしたのに、雨のせいで火縄銃が全く使えず完敗ということもあった…。(まあ、桶狭間に関してはそれが勝因になったんだけどね)
#ロム・ストールの口上が大きな流行になっており、「人、それを『○○』と言う」は流行語にも選ばれていたかも。
#食生活の内容が不健康すぎていた。40歳を過ぎたあたりから糖尿病の合併症由来と思われる体調不良の記録が多く見受けられる。
#この作品のスパロボへの参戦回数も増えていた。
#*40前後でそうなるということは30代前半あたりで既に基礎疾患として持っているということ。それゆえ、仮に本能寺の変が無かったor切り抜けられたとしても早々に表舞台から退場となったかもしれない。
#*続編の『バトルハッカーズ』、同シリーズの『マシンロボレスキュー』もスパロボに参戦していた。
#実際には「普段はどっしり構えていられるけどいったんキレてしまったら誰にも止められない」と言ったところだが、どういうわけかのべつ幕無しでキレまくっているような誤解を持つ人も多い。
#本作とバトルハッカーズの商品は一通り「ゴーボッツ」の商品に流用されていた。


====出撃!マシンロボレスキュー====
;荒木村重
#以後もマシンロボシリーズのアニメ作品は継続していた。
#織田信長に仕えた戦国武将で、茶器マニア。
#*2作目以降は成人ロボマスターでもマシンロボの能力を最大限に引き出せる技術が開発され、MRR一期生たちが前線に復帰して二期生以降と共闘する展開になっていた。
#羽柴秀吉が播磨攻めをやっている最中に、突然信長に反旗を翻す。
#*時系列が「ムゲンバイン★ダッシュ」以降のものとなっている作品ではボンの子供や孫世代の犬たち(こちらも人語を話せるが、周囲には気付かれていない)が登場。
#*秀吉の死者としてやってきた黒田官兵衛を捕縛して、1年間土牢の中に監禁する。
#ムゲンバインのアニメが別の時間に放送された。
#信長に反旗を翻したまでは良いが、結局負けてしまう。
#*お正月スペシャルに登場したエアレオンに声と台詞が用意されていた。
#*負けるのはやむなしとしても、平蜘蛛をかかえて爆死した松永久秀と違うのは、自分の家族や家臣を見捨てて一人、茶器コレクションをかかえて逃亡したという事である。
#*ムゲンバインシリーズのアニメは基本的に史実のコミック版とほぼ同様の内容(ただし、ムゲンロイド1体につきロボマスター・ロイダーが1人設定され、ムゲンロイドの開発経緯はお正月スペシャルに準ずる)。
#*謀反を引き起こした当事者は単身逃亡中の最中、残された妻子をはじめとした一族郎党は皆処刑される。
#**「マシンロボNEXT」に登場するマシンブレイカーは史実通りデスジャイロやデスグラビティの黒幕であるのみならず、カイザーGの暴走を引き起こしたり、暗黒空間を出現させてビルド合体シリーズ以前のムゲンロイドを暴走させたり、デスペラドー・ディアブローダー・エネトロン軍団・ムゲン超魔獣・闇のバインパワーの魔獣を陰で操るなど、ほとんどの敵勢力の誕生の元凶または黒幕となっていた。
#**妻の「だし」は当時でも楊貴妃に例えられるくらい美人との評判だったが、その美人の妻よりも自分の命と茶壷の方を優先した。
#**加えて、純&亮が次世代機マシンロボor一部ムゲンロイドのロボマスターとなっていた。
#こうして、あまりの無念さに自分の名前を'''「道糞」'''に変えてしまった。
#マシンロボ及びムゲンバインは途中から食玩のみの展開になることはなく、通常の玩具も発売され続けていた。
#*結局、信長が死んで何十年も経った後秀吉に「もう流石にええやろ」と許されて「道薫」の号となる。
#公式サイト内のweb小説版はしっかり完結していた。
#日下ちひろ・竹若拓磨・杉野博臣(現:杉野田ぬき)・小田久史は大ブレイクしており、人気声優の仲間入りを果たしていた。
#海が主役を張る回が作られていた。
#BLマシンロボの扱いが史実より良くなっており、BLドリルの出撃回数が多くなっていた。
#*さらに、バトル合体後のBLマシンロボ全機がフィンガーフラッシュを使用していた。
#史実ではいまだにソフト化されていないお正月スペシャル前後編はすでにソフトに収録されている。
#アメリカを初め、イタリア以外の欧米圏にも輸出されていた。
#*アメリカをはじめ英語圏諸国では「ゴーボッツ」の一作品となっており、タイトルも「ゴーボッツ・マシンレスキューレンジャー」となっていた。
#小学館のヒーロー超ひゃっかおよび主婦と生活社のスーパーアニメブックの書籍は史実よりも多く発売されていた。


===Master of Epic The Animation Age===
;[[豊臣秀吉]]
#テレビ北海道でも遅れネットで放送されていた。
#日本史上最も出世した男であるがゆえに、良くも悪くも庶民的。
#クローバーが同年で音沙汰なしになることなく大々的に活動を続けていた。
#*当時男色は当たり前だったが、農民(下級武士説もあり)出身だったため一切そんなことは考えず、女を死ぬほど侍らせていた。
#*井ノ上奈々がナナカナを結成することはなかったかもしれない。
#**イケメンの部下を見つけると「ねぇ~ん、姉か妹居ない~?」としつこく問い詰めた。
#ハドソンの崩壊と消滅は無かっただろう。
#***あまりに美女に目が無さ過ぎるため、後述の細川忠興なんかは奥さんに「天下人に言い寄られそうになったら'''自害しろ'''」と本気で帯剣を勧めていた。
#**しかも己の出自の低さ故に、高貴な身分の女性を特に好んでいたという。
#**そこまでスケベだったにもかかわらず子供が出来るのが非常に遅く、2代で御家断絶となってしまった。こればっかりはしょうがないが。
#天下統一後はハッキリ言ってボケ老人である。
#*二度の朝鮮出兵、利休抹殺、秀次を一族郎党抹殺したうえに「殺生関白」の汚名を被せると、もうやりたい放題。そりゃ次の代で滅ぶわ。
#*何もかも金ピカで飾るという足利義満の'''猿'''マネに走り、千利休からも失望される。
#**もっとも彼の親友である前田利家も同じようなことをやっていたのでヤンキー友を呼ぶとでも言うべきなのか…。
#*ストッパーである弟・秀長が先に逝ってしまったのがターニングポイントだったのだろうか…。


===魔装学園H×H===
;[[徳川家康]]
*名実とともに大ヒットだったら?(ただしBPO案件は避けられないと見て間違い無さそう)
#「恐れさせた男」があまりに多すぎる。
#長妻樹里はテレビアニメ出演本数を回復させていて以降シリーズ作品を除いても主役級の常連になっていた。
#*何でもかんでもビビりまくるほど小心者だったからこそ、あれほど盤石な政権を建てたのも頷ける。
#*木野日菜は主役級常連となっていた。
#我慢強いくせに気が小さく、三方ヶ原の戦いでは「よっしゃ! 信玄の野郎ワシらに背向けよったがね! 今のうちに追撃だぎゃ!(方言間違ってたらごめんなさい)」と突撃してまんまと返り討ちに会い、ウンコを漏らすほど完敗する。
#*「MASTERS」のメンバーを担当した声優は以降もテレビアニメで活躍していた。
#我慢強いイメージどおり非常にケチであり、「フンドシは黄色いものを使え、汚れても目立たないから何百回も洗濯できる」と言いつけていたほど。
#*美名、衣川里佳も以降テレビアニメで活躍していた。
#また秀吉に並ぶほど助平であり、青年期によそで愛人を囲いまくったために正室・築山殿から何度も叱責されている。
#野水いおりは以降もシングルを発売していた。
#*まあ子供がやたら多かったがために男は親藩・譜代に、女は外様大名に嫁がせ盤石な政権を作れたのは秀吉と真逆と言えるが。
#藤田咲と浅川悠が出ていたこともあり初音ミクや巡音ルカとのコラボが実現していたかもしれない。
#TVQ九州放送への非難は激烈となっていた。
#*却って福岡県で青少年条例が厳しくなり深夜アニメの放送はどの局も不可能になっていた。
#**あるあるCityなどアニメ関連のショップも潰されていた。
#**角川書店の福岡での深夜アニメ放送撤退は史実より早まっていた。
#*沖縄県での放送を求める声が上がっていたかもしれない。
#「はじめてのギャル」も大ヒットしていた。
#以降も関東のUHFアニメはTOKYO MX、tvk、チバテレビ、テレ玉の4局ネット体制で積極的に放送されていた。
#T先生からクレームが来て大騒ぎになったかも。


===魔弾の王と戦姫===
;山内一豊
#佐藤竜雄が「アトム ザ・ビギニング」まで監督業が遠ざかることはなかった。
#'''嫁さんのオマケ。'''
#「魔法戦争」など他作品も史実以上にヒットしていればだが「MF5」は流行語となっていた。
#*というか、地元以外では嫁さんの逸話しか知られてない。『功名が辻』はよくやったよ。
#1クールでダイジェストな流れだったことへの批判が激しくなり1年間放送のアニメとして作り直されたかもしれない。
#その地元では長宗我部派一層の為に「親睦を深めるために相撲大会を開きます」と言って一か所に集め、'''全員撃ち殺して黙らせた'''というひどい話が残っている。
#片桐雛太はアダルトゲームを卒業したかもしれない。
#*嫁さんの話は信憑性がないが、こっちは史実と確定している。最近は慰霊祭も行われた。
#その後も長宗我部一派は差別されまくり、一豊の死後は上士下士の制度が幕末まで残り悲惨なことに…。


==まは~まほ==
;毛利輝元
===マブラヴ オルタネイティヴ トータル・イクリプス===
#凡人すぎる…。
#「TE MEMORIAL NIGHT」イベントが動員不足で品川ステラボールに延期縮小開催されることもなく、無事武道館で開催されていた。
#*優秀な祖父や叔父たち、人望高かった父と異なり、突出した才が無く極めて地味。「毛利輝元のやった最大の偉業は、関ヶ原の戦いで何もしなかったこと」とか言われるくらい。
#*「1巻2巻武道館」のキャッチフレーズがネット流行語となっていた。
#*足利義昭という負債を抱え、秀吉には散々にやられて朝鮮出兵で全体の4割もの将兵をねん出され、関ヶ原の戦いでは「何もしなかった」が故に処刑は免れるがド田舎に転封、せっかく建てた広島城は分捕られ、後継ぎ騒動は勃発し…。
#マブラヴ、マブラヴオルタネテイティヴ本伝のアニメ化も決定したかも。
#*それだったらヒットに関係なく最初から無印→オルタ→TEの順でアニメ化していた方が自然だった。
#倖田來未の2012年紅白でのOP曲歌唱がネット上でより盛り上がっていた。
#minami(栗林みな実)は「シュヴァルツェスマーケン」の主題歌も歌っていた。
#*栗林みな実がminamiに改名することはなかったかもしれない。
#野川さくらは以降も継続的にテレビアニメに出ていた。
#後番組は引き続きアニメだった(ただし、テレビ東京の場合)。


===まぶらほ===
;織田信雄
#地上波でも放送されていた。
#信長の次男で、スケート選手・織田信成のご先祖様なのだが…。
#*WOWOWでの後番組も引き続きアニメだった。
#非常に素行に問題があり、「うつけ」な所しか受け継がなかったなどと言われる。
#ICHIKOはこの時点でアニソン歌手として大ブレイクしていてゼロの使い魔シリーズ以外のアニメ主題歌も史実より多く歌っていた。
#*「攻めるな」と言われたのに、領地欲しさに伊賀を強襲。石を投げれば忍者に当たるような戦闘国家・伊賀に無策で突っ込み、大敗。
#駒都えーじもこの時点で一般向けでも大ブレイクしていた。
#**あまりにぼろ負けしたので'''「親子の縁切ってやる」と書状に残すほど'''キレた父ちゃん信長が総攻撃し、伊賀が一時期壊滅状態に陥る。その後家康の庇護下に入るが。
#*「イリヤの空、UFOの夏」も「蒼い海のトリスティア」もOVAではなくテレビアニメ化されていた。
#*本能寺の変で父と兄が死ぬと、'''勝手に安土城に火をつけて焼いてしまう'''。
#*「planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜」のアニメ化も史実より遥かに早かった。
#*そのせいで信長の後継者を決める清須会議でも'''誰も推薦せず'''、尾張一国を渡され大人しくしているように言われる。
#細川聖可は大ブレイクしていて人気声優の仲間入りを果たしていた。
#*賤ケ岳の戦いでは秀吉に乗せられ、まんまと異母弟・神戸信孝を敗死させてしまう。
#龍皇杯優勝作品は以降必ずアニメ化されていた。
#*が、その秀吉から冷遇されたことに怒り(立て直した安土城から追い出された)、家康と結託して小牧・長久手の戦いを起こすが…。
#**途中で面倒になって'''家康に無断で秀吉と講和'''。これには家康もポカーンであった。
#*こうして秀吉の手下に成り下がり、三河への転居を命じられるも、「俺の故郷だから」と言い張ったため'''改易'''を喰らう。天下人の息子がこの扱い…。
#*その後、家康のおかげでなんとか大名に戻る。この恩義を感じてか、大阪の陣では西軍方でありながら最後は東軍に寝返り、5万石を得た。
#あまりに「うつけ」だったため、周囲からは'''「三介殿のなさる事」'''と呼ばれ呆れられていた。


===魔法少女育成計画===
;森長可
#スノーホワイトがムノーホワイトなどと皮肉られる事は無かった。
#'''キング・オブ・殺人狂'''。
#ドラマCD版のキャストがそこまで惜しまれる事も無かった。
#*初陣で27個の首を挙げたのを皮切りに、数々の戦で武勲を立てまくった。
#邪道展開が時代遅れ扱いされる事も無かった。
#**森家の当主なのに自ら槍を振り回して'''単騎で'''突撃し、'''慌てて部下たちが追いかけていく'''という、戦国時代なのに'''三国志みたいな合戦'''を行っていた。
#TOKYO MX以外の地上波局でも放送されていた。
#*が、民間人の虐殺も率先して行っており、非常に評判が悪い。
#間宮くるみは悪質キャラに活路を見出した。
#**「人質を無事に国境で解放する」と言っておいて、解放した直後に全員殺す、なんて序の口。
#翌年以降内山夕実が事務所を移籍してもテレビアニメ年間出演本数が減ることはなかった。
#**武芸一辺倒ではなく卑怯な手も平気で使う策謀家であり、清州会議後は神戸信孝(信長の3男)を利用するだけ利用した挙句、旗色が悪くなるや否や寝返っている。
#*西明日香も以降「ブラッククローバー」に留まらず多数出ていた。
#*カッとなったら味方でも平気で殺してしまうため、小牧・長久手の戦いで戦死したら'''味方からも'''泣いて喜ばれた。
#**ちなみにこの鬼を倒したのは井伊直政と水野勝成という、長可に勝るとも劣らないざんねんなコンビである。
#何より恐ろしいのは'''あの超短気な信長に、1度も怒られたことが無い'''と言う事である。弟のコネとはいえ…。
#*ある日、橋を渡っていた長可は、織田の門番から「ここは通行禁止です」と言われ、その場で殺してしまった。当然家臣団は激怒したが、信長は「橋で勝ったんだから、お前武蔵坊弁慶みたいだな! '''よしお前は武蔵守を名乗れ'''」と一笑に付したという。
#塩の専売を「腐らないから内地でやれ」と命じるなど意外と合理的な思考を持つのだが、晩年にはすっかり政治がめんどくさくなってしまい、遺言書に「万が一にもワシが死んだら、'''城に火をつけて死ぬように'''」という恐るべき内容を書き記している。


===魔法少女サイト===
;石田三成
#1話で視聴者に逃げられたと言われることはなかった。
#非常に戦が弱い。
#キズナアイは声優として高く評価されていて同時期放送だったBS日テレの冠番組も大ヒットに転じていた。
#*官僚タイプだったので実際の「戦術」は下手で、ほぼ負け通しであった。
#*人気VTuberの声優進出が加速するきっかけと評価されていた。
#真面目一徹タイプ故に人望が無さすぎる。(当時珍しく側室がいなかったことでも知られる。子供は6人いたが)
#山崎はるかのED曲はi☆RisのOP曲並に売れていてデビューからブレイクしていた。
#*「家康を討つぞ」と大谷吉継に漏らしたら、「お前が総大将じゃ誰もついてこねえよ」と即突っぱねられて、仕方なしに毛利輝元に総大将を依頼したくらい、その人望の無さは周知の事実であった。
#*「同居人はひざ、時々、頭のうえ。」のEDは南條愛乃ではなく本人だったかもしれない。
#なお全くの余談であるが、後述の水戸光圀公は「石田三成は主の為に心を尽くした憎めない奴だ、武士はかくあるべきだ」と褒め称えている。
#*以降テレビアニメ出演本数を回復させていた。
#*その光圀の従兄である三大将軍家光は…(以下[[#江戸時代|家光の項目]]に続く)
#作者のSASUKE出場は史実以上に話題になっていた。
#『魔入りました!入間くん』は本作と同じ時間帯だった。


===魔法少女隊アルス===
;福島正則
#「魔法少女隊アルス THE ADVENTURE」も教育テレビ(現Eテレ)で放送されていた。
#大酒飲みだが非常に酒癖が悪かった。
#KOTOKOは一般・子供向けアニメ主題歌でも需要が高かった。
#*'''酔った勢いで部下に切腹を命じ'''、翌日「おい、アイツはどうした」と聞いたら「死にました」と言われ、生首に縋りついて泣いた。
#パチスロ化する必要はなかった。
#*母里太兵衛に「酒に酔ったら黒田武士は何もできん」と挑発して盃を勧め、怒った太兵衛と飲み比べをした。しかも敗北し、日本三名槍の一つ「日本号」を奪われる。かの有名な黒田節の由来である。
#実写化も実現していた。
#戦場では怖いもの知らずだったが、カミさんが物凄く怖く、浮気がばれて'''薙刀を振り回した'''ため背中を見せて逃げ出した。
#来宮良子は史実より多くテレビアニメに出ていた。
#台風が直撃してボロボロになった城の修理を幕府に届け出るのを忘れたため、これ幸いと旧豊臣派の一掃を図る二代将軍・秀忠にあっさり改易を命じられてしまった。
#STUDIO 4℃はもっと多くのテレビアニメを元請けとして制作していた。
#雨宮慶太は以後もアニメを積極的に企画、制作していた。
#*『牙狼』シリーズも『牙狼-炎の刻印-』以前にもアニメ版があっただろう。


===魔法少女大戦===
;細川忠興
#30分番組になっていた。
#当時の歴史書で「戦国で一番気が短い殿」と断言されてしまうくらい、とてつもなく短気。彼に比べれば信長など「相撲大好きおじさん」でしかないくらい。
#TOKYO MX以外でのテレビ局でも放送されていた。
#*あまりに気が短すぎて、自分の剣の兼定に「オレ、この剣で36人斬ったから歌仙兼定って名前にするわ」と言い出す始末。しかもこの36人は全部'''部下'''。
#全都道府県ちゃんとアニメ化されていた。
#**上記は創作らしいが30人近く殺したのは史実なんだと。
#やのあんなは今度こそブレイクしていた。
#***そんな性格なのに八十三歳まで生きた。ストレスを発散しまくったから?
#2.5次元てれびは盛り返しており配信番組が再開されていた。
#降伏した相手も完全無抵抗でも皆殺しにする。あんまり殺し過ぎるので光秀(後述)から「降伏する者をやたらめったら殺しちゃダメなんだよ」とやんわり断り書きの手紙が来るくらい殺す。
#*2015年にサービスを終了せず生きながらえていた。
#*こんな性格のせいで、自分の妹婿を躊躇なく討ち取らせたため、妹がマジギレして顔に短剣で切りかかり、死ぬまで顔に傷が残った。武士なんだから避けろよ。
#妻は明智光秀の娘・玉。とても美人であったが、忠興は独占欲も強かったため、色目を使った(と勘違いして)庭師を妻の眼前で首チョンパしている。
#*玉はそれでも動じず「鬼のような殿には、蛇のような心の私がお似合いでしょう」と冷淡に言ったという。
#**その後、光秀は本能寺の変を起こし玉は謹慎となり、細川家に戻った時には忠興は妾を抱えていた。そんなんだから玉はキリスト教に帰依して「細川ガラシャ」に名を変えちゃうんだよ。
#こんな性格だから豊臣の学級委員長こと石田三成と反りが合うわけもなく、三成の書いた記録に「なんで俺、忠興公にここまで嫌われなあかんねん」と記されている始末。そんでもって、関ヶ原前哨戦で三成は細川屋敷を真っ先に狙い、その結果ガラシャは主の元に召される。
#要はヤンデレ。


===魔法少女特殊戦あすか===
;[[伊達政宗]]
#深見真は脚本家としての地位を不動のものにしていた。
#古くから「もっと早く生まれていれば天下取りにも絡めていただろう」という見解が多い。
#韓国人のテロリストの扱いが史実以上に問題視されていた。
#*実際には外交の天才ながら戦にはあまり強くなかったのでかえって埋もれた可能性もあり。
#魔法少女育成計画や魔法少女サイトの二の轍を踏む事も無かった。
#敵軍を味方ごと後ろから鉄砲隊で蜂の巣にして白を切る、馬を煽り運転して「前田利家様のお使いです」と言われ血相を変えて謝罪する、貴重な文化財を欲しいと言われ真っ二つにして片割れを渡すなど、ざんねんな逸話には事欠かない。
#*ちなみに上記細川忠興も文化財に関しては政宗と一緒に悪乗りしていた。政宗はともかく忠興、お前は当時日本最高峰のインテリだっただろうが。
#直江兼続にシカトされキレたところ、猛烈な嫌味で切り返された。
#*「後ろ姿しか存じあげなかったもので……」→負けて逃げ回ってばっかりのところしか見たことが無い


===魔法少女?なりあ☆がーるず===
;淀殿
#古賀葵は本作品で名実ともにブレイクし人気声優の仲間入りを果たしていた。
#浅井三姉妹の長女で太閤秀吉の側室。
#石ダテコー太郎は以降も声優をやっていた。
#*当時としては男よりも高い165㎝もの長身を持つ絶世の美女として知られている。
#サンテレビは「ひもてはうす」も放送していた。
#しかし「織田一族の短気な所だけを受け継いだ」と言われるくらい気性が荒く空気が読めない。
#「ひもてはうす」も引き続き生放送アニメだった。
#*もう少し大局的な見地を有していれば、豊臣家は滅亡せずに済んだかもしれない。
#出演ゲスト声優繋がりで「まめねこ」も史実以上にヒットしたかもしれない。
#ちなみに息子・秀頼には大野治長や石田三成の隠し子という説もある。その位秀吉に似てなかったらしい。


===魔法少女なんてもういいですから。===
;島津忠恒
*セカンドシーズンも製作されたが史実以上のヒットだったら。
#薩摩藩初代藩主。島津義弘の息子で本名は家久(徳川家康の「家」の字を拝領した)だが、紛らわしいことに義弘の弟にも家久という人物がいるのでこちらで表記する。
#「てーきゅう」「ヤマノススメ」以外のコミックアース・スター連載作品は2017年以降も積極的にアニメ化されていた。
#通称「DQN四天王・南の忠恒」。親父同様に気が強く、朝鮮出兵では10倍もの兵力をひっくり返した「薩摩隼人」だったのだが、あまりに気が強すぎた。
#アース・スタードリームは史実以上に大ブレイクしていて2017年限りで活動を停止することはなかったかもしれない。
#性格が極めて苛烈かつ陰湿であり、気に入らない部下はすぐ殺してしまう。
#*アース・スターは声優・タレント事業から撤退することもなかったかもしれない。
#*前掲の朝鮮戦争の時も、部下が'''朝鮮側に'''寝返ったほど人望が無かった。
#TOKOTOKO(西沢さんP)はボカロに留まらないアーティストとしてブレイクしていた。
#正室・亀寿(いとこ同士であり、父は義弘の兄・義久)をことあるごとに'''ブス'''と罵り続けており、子が出来なかった腹いせに、叔父にして義父の義久が死んだ途端に'''速攻で城から追い出し'''、当てつけのように側室を8人囲い、{{あきまへん}}しまくって子供を作っては政略結婚のダシにした。
#出演声優は皆テレビアニメにおいてメイン担当本数の割に出演本数が少ない状態を解消できていた。
#*この時亀寿のシンパを一族郎党虐殺した。
#朝鮮のみならず琉球でも侵略を重ねたため、後々まで島津の繁栄を築いたと同時に数百年にもわたる憎悪を買うことになる。
#ただ、こんなんでも(法律で殉死が禁止されてたのに)9人も殉死者が出たので、必要最低限の人望はあったのだろう。文化的には優れていた人のようで、「錦江湾」の名も忠恒の歌に因むという。


===魔法少女リリカルなのはシリーズ===
;小早川秀秋
====魔法少女リリカルなのはViVid====
#'''言うまでもない'''。
#BDが1年遅れでボックス売りで発売されることはなく、形式はどうであれより早期に発売されていた。
#しかし関ヶ原以前から非常に問題がある人物として知られていた。
#本作以後のなのは作品はアニプレックスとA-1 Picturesのタッグに鞍替えされていただろう。
#*秀吉の正室・ねね(北政所)の甥というだけでバカボンボンまっしぐらな少年期をおくり、'''元服前'''からねねに金をせびって酒色に溺れていた。
#*田村ゆかりが史実通りキング離脱を表明していたら、ソニーミュージックが拾っていたかも。
#**それでも足りなかったのか、友人からも金を借りまくっていた。
#コミックマーケット88企業ブースではDOG DAYSとの合同ではなくなのはシリーズ単独でブースを出展していた。
#**また片倉重長の美男ぶりに惚れ熱烈に付きまとっていたなど、醜聞が絶えない。
#*朝鮮出兵ではっちゃけすぎたため、石田三成から疎まれて石高が1/2の越前に左遷。
#**その後、筑前に転封となり石高が4倍にまで膨れ上がるが…。
#知っての通り関ヶ原での裏切りの後、たった2年後に亡くなっている。享年わずか21歳。
#*その死因も「急性アルコール中毒」「大谷刑部の祟り」「裏切った罪悪感によるノイローゼ」'''「農民と喧嘩したら金玉を蹴られてショック死」'''など、どれもこれもろくな説が挙がっていない。


====魔法少女リリカルなのはReflection / Detonation====
;宮本武蔵
#公開前にリバイバル上映された1st・2nd A'sと同様に後から4DX上映も行われていた。
#1000人に一人の異相と言われるほど、顔が怖かったとされる。しかもムサシは6尺(180㎝以上)もあり、恐れられていた。
#*3大都市圏のみにとどまった応援上映も全国規模で行われていただろう。
#*おまけに大の風呂ギライで、メチャクチャ臭かったらしい。
#新兵器の流用元作品である魔法戦記リリカルなのはForceも再注目されていた。
#*無敵、無敗と名高いが、実の所本当に強い人とは戦いを避け……いやなんでもありません。
#作品イベントは「リリカルパーティ」の名称を維持してアリーナ規模で実施されていた。
#**イメージ通り卑劣、よく言えば策士だったことは事実なようで、一説によれば巌流島の戦いでは合図と同時に'''弟子と一緒に襲い掛かって'''小次郎を倒したという話もあるとか。
#*会場として武蔵野の森総合スポーツプラザアリーナあたりが使われていたか・・?
#最後の戦いとして天草四郎の島原の乱に出撃したが、投石が膝に当たって敗走。なんと、生涯初の敗北が生涯最後の敗北となった。
#*Detonation後のイベントが「ラブライブ!フェス」に存在感を奪われることもなかった。
#ちなみに武蔵の著作「五輪書」にも偽書説が出ている。
#**リリカルライブの物販が人員不足で混乱をきたすこともなかった。
#[[NHK大河ドラマ/2000年代#武蔵 MUSASHI(2003)|彼をメインにした大河ドラマ]]は非常にざんねんな出来だった。序盤のあるシーンが「七人の侍」に似てると言われ黒澤プロ側から提訴され、そのときは棄却されたものの・・・
#フィギュア発売も映画公開中に複数発表されていた。
#*「芸術的な完成度が全然違うから」という理由だった。さらに「『武蔵』には『七人の侍』のような高邁な人間的テーマや高い芸術的要素はうかがえない」とまで言われてしまった。
#*同作は21世紀の大河ドラマで唯一ソフト化も再放送もされておらず、2016年に開催された大河人気投票では'''0票'''で最下位に…。


===魔法陣グルグル===
;薄田兼相<!--生没年不詳なので一番下に持ってくる。武蔵より若いということは無いと思うけど-->
====ドキドキ♡伝説 魔法陣グルグル====
#「誰コイツ?」と言っている読者も、「狒々退治の岩見重太郎」と言えば1割くらいは伝わるかもしれない。
#当然、途中で打ち切りはない。
#*小早川隆景の剣術指南役だった父が部下に裏切られて殺され、流浪の果てに剣の腕を極め、仇討ちを成し遂げたということで有名な豪傑で、今でも彼の名をした柔術が残っているのほど猛者なのだが、ざんねんながら'''脳の出来が力に追い付いていなかった'''。
#3期は史実以上に期待されていた。
#大坂冬の陣では5000石の食い扶持を持つ大名として大坂方についたが、戦の最中に'''遊郭で飲み過ぎて'''その間に砦を落とされる。今川義元ですらそこまで慢心してはいなかったぞ!
#*あまりのふがいなさに、「見掛け倒しで中身は食えない(役に立たない)」ということで「橙武者」という仇名で呼ばれてしまう。
#夏の陣においては霧でウロウロしている内に豪傑・後藤又兵衛を討ち取られてしまい、「あの後藤又兵衛を討ち取ったぞー!」とテンションが限界突破していた伊達・水野連合軍の総攻撃を受けて絶命した。
#*もっとも、この際に何人もの東軍兵をあの世の道連れにしており、(個人の武勇が)「強い」という最大の長所だけは発揮したまま華々しい最期を遂げられただけマシか。


====2017年版====
==江戸時代==
#ORESAMAはブレイクしていた。
;後水尾天皇
#リメイクアニメ量産に冷ややかな声はなかった。
#花山天皇とタメ張れるくらいのスケベ。
#全日帯再放送で子供ファン獲得を狙った可能性も。
#*お忍びで遊郭へ遊びに行ったり、宮中に遊女を招き入れて{{あきまへん}}を繰り広げた。
#*色んな女に30余人の子を産ませる。
#**56歳で出家後もお盛んで、58歳の時に識仁親王(後の霊元天皇)を産ませた。
#***この霊元天皇も父親譲りのスケベ。
#*徳川秀忠の末娘・和子が中宮として入内することが確定してたが、大坂の陣やらで入内が延期になってしまい、その間に典侍・四辻与津子に手を出して子供を2人孕ませてしまった。
#**幕府側が与津子ら関係者を内裏から追放処分したので、それに激怒して退位してやろうとしたら藤堂高虎に恫喝されて辞められなかった。これが「およつ御寮人事件」。
#*幕府が禁中並公家諸法度を制定したのは、このように風紀乱れ切った朝廷を見かねてのことだった。
#大の父親嫌いだった。
#*父・後陽成天皇は、徳川家康の意向で後水尾天皇へ譲位したことを納得しておらず、自分に対して冷たい態度で接してきたのをずっと恨んでいた。
#**父が崩御した時は、陽成天皇から採って「後陽成」と追号し、自分は陽成天皇の父である清和天皇の別名「水尾」から採った「後水尾」を遺諡にする。
#***つまり、わざと父子逆の追号をするという、歴史に残る嫌がらせをやってのけたのである。


===魔法先生ネギま!===
;松倉勝家
====ネギま!?====
#'''史上最低の大名'''と名高い。最大にして最後の農民反乱・島原の乱の諸悪の根源である。
#新房監督が責められる事はなかった。
#ハッキリ言って「ざんねん」というか「ざん'''に'''ん」な歴史上の人物であった。
#深夜に放送していればと言われる事はなかった。
#*'''前年度比250%'''という誰がどう考えても無茶な徴税を行い、年貢だけでは足りないため「死亡税」「窓税」などありとあらゆることに税金を課した。
#ボンボンでのコミカライズも相まって子供ファンを獲得していた。
#*勿論そんなにたくさん税を払えるわけもなく、勝家は農民に苛烈な拷問・処刑を繰り返した。
#オリキャラのモツ、シチミも売り出されていた。
#**更にキリシタンに対しては蓑踊り(蓑を被せ火を点ける)などの処刑で弾圧した。
#ドラマ版も深夜ではなく夕方の放送だった。
#その結果、天草四郎をはじめとする農民や国衆の怒りを買い、島原の乱が勃発。
#*「UQ HOLDER!」もテレ東系での放送だった。
#幕府も九州のみならず日本中の兵力を集めて鎮圧する大騒ぎになったため、「どうしてこうなった」と追及した結果、勝家が苛烈な年貢の取り立てを行っていたのが主因と判明。探ってみたら出るわ出るわ、'''屋敷からまで刑死者の遺骸が出た'''。
#本作品のように深夜枠から昇格したアニメが続出していた。
#これを知った家光(後述)は綱紀粛正のため、松倉家を改易。そして切腹すら認めぬ'''斬首刑'''に処した。江戸時代260年以上の歴史の中で、唯一斬首された大名となってしまったのである。


====UQ HOLDER! 〜魔法先生ネギま!2〜====
;徳川家光
#タイトル変更が功を奏したと評価されていた。
#当時の男色は珍しくもなかったが、家光はあまりにも男好きすぎて、世継ぎが出来そうにないからという理由で大奥が作られる。
#*主題歌を「ハッピーマテリアル」にしたり、ネギや3-A生徒の出番を追加した点がプラスになった。
#*後述の柳生十兵衛も家光の衆道相手だったとする説がある。
#高倉有加は大ブレイクしていて人気声優の仲間入りを果たしていた。
#*大奥から家光の枕元に女性を送る際に、'''わざわざ男装させ、男性名の通称を設定していた'''時期がある。
#広瀬ゆうきは声優として高く評価されていた。
#**ちなみに、最初の妻は石田三成の曾孫。なんとも奇縁である。
#松岡由貴の再ブレイクに繋がっていた。
#*そこまで筋金入りの同性愛者になったのは後天的な理由との説もある。母親(お江の方)との関係が悪すぎて極端な女性恐怖症になった、というもの。
#過去作を放送していたテレ東系列局でも放送されていた。
#歴史上の知名度はあるが、だいたいの偉業は親父の秀忠と、優秀な部下(知恵伊豆、土井利勝、柳生親子他)がやってくれたおかげであり、このオッサン自体は大したことをやってない。


===魔法戦争===
;柳生十兵衛
#トルネ番付が首位=ヒットという図式が誕生していた。
#とにかくひどすぎる酒癖。親父の親友である沢庵和尚から「君は酒だけは注意してくれ」と言われる始末。
#*遅い放送時間有利という風潮はなかった。
#*謹慎の原因も酔って暴れたから、家光を殴ったからという説があるくらい。
#**次クールの『ラブライブ!』2期と『ごちうさ』が早い放送時間且つトルネ下位でヒットした事から。
#最終回がアレだったので第2期は1年経たずに放送されていた。
#TBS本社が聖地巡礼として人気の観光スポットになっていて赤坂サカスも発展していた。
#「ラブライブ!」はあれど松永真穂が声優を引退することはなかったかもしれない。


===魔法のアイドルパステルユーミ===
;徳川光圀
#1年間放送されていた。
#若い頃の職業は『人間のクズ』でだいたいあっている。
#ぴえろ魔法少女シリーズは更に続けて製作されていた。
#*昼間から酒を飲んで女を侍らせ、夜は'''辻斬り'''まで行っている。信長が可愛く見えるレベル。
#*「魔法のデザイナーファッションララ」は当初の予定通り、ぴえろ魔法少女シリーズ第5作として製作されていた。
#その後、司馬遷の『史記』を読んで感動して猛勉強を始め(実に日本人の好きなパターンである)、藩主の座を継いでからは改革に乗り出した。
#主人公の声と主題歌を担当した[[もしあの人が健在だったら/女性タレント#志賀真理子|志賀真理子]]が死去した際史実以上に大騒ぎになり、惜しむ声が絶えなかった。
#*のはいいのだが、その結果として民にはメチャクチャ重税を敷いていた。
#渕崎ゆり子はこの時点でブレイクしていた。
#**水戸藩挙げての大事業である『大日本史』編纂作業に予算をつぎ込んだため。光圀以降、明治になってようやく完成するまで、代々の藩主のライフワークとなっていった。
#将軍・綱吉の生類憐みの令に対し犬の毛皮を送り付けるという実に元ヤンらしい仕返しを行っている。
#ドラマでは悪者を懲らしめているが、史実では地元でめちゃくちゃ高い税を取っていた。
#かなりの食道楽で、(当時の価値観的には)ゲテモノ食いでもあった。「初めて〇〇を食べた日本人」に彼が名を残しているものが複数ある。


===魔法のマコちゃん===
;小林一茶
※初放送時の「魔法使いサリー」を見ていた女の子たちの成長に合わせ、恋愛や社会問題を取り入れたものの人気はいまひとつ。
#農家の長男として生まれたが、継母(相当性格が悪かったらしい)や腹違いの弟とあまりに仲が悪すぎて、父の死後、家を巡って13年にもわたってバトルを繰り広げた。
#「マコちゃん」のヒットを契機に、10代前半の少女向けのアニメが盛んに作られた。
#52歳(当時からすれば老人である)で結婚するまで童貞であったが、非常に性豪であったため、毎日{{あきまへん}}の回数を日記につけている。しかも'''年間1000回を超える'''レベルで。
#昭和40年代後半辺りの少女マンガが原作のドラマのいくつかは、アニメで製作された。
#*妻の夭折の原因も{{あきまへん}}による過労と言われている。
#「テレビマンガ」は幼い子向けのもの、というイメージが変わるのは現実より早かった。
#*童貞をこじらせるとヤバイことになるという事実を後世に残した人。
#*「エースをねらえ!」は初放送時から大ヒットした。


==まま~まん==
;水野忠邦
===ママは小学4年生===
#虎の尾でダンスダンスレボリューションした男。
#日テレの金曜17時枠はサンライズ制作枠が安定していた。
#*過去に松平定信がやって失敗した緊縮財政を、何を勘違いしたんだかもっと強烈にするという愚行に走る。
#*『機動戦士Vガンダム』以降のいわゆる90年代テレ朝ガンダムシリーズは日テレアニメと時間がかぶることから、別の時間帯での放送となっていた。
#前に改革を行った3人と違って水野忠邦は'''本当に誰からも好かれなかった'''というのだから、いかに天保の改革が悲惨であったかがよくわかる。
#後に「アイカツ!」が世に出ることとなる2010年代を待たずにして、サンライズは以後も頻繁に女児向けのテレビアニメ作品を制作していた。
#*あまりに嫌われすぎて、失脚後に家が焼き討ちに遭っている。
#*「ラブライブ!」のアニメ化が史実(2013年春クール)よりも早くなっていた可能性もあった。
#そもそも己の幕政参画の野心のために領地替え関連で贈賄しまくった末に家老が抗議の切腹をしたり、以後の禍根を残しまくっている。
#**2013年冬クール<!--2013年1~3月-->じゃないの?
#***おっと失礼。そうだった。
#CS放送では実史の『アニマックス』<!--だと思ったが-->ではなく、『日テレプラス』で放送か…?
#日テレで『母親が未成年』という設定の番組といえば、ドラマ「14才の母」。
#*↑ではなく本作。
#本作の主人公の「水木なつみ」と、2013年にデビューした演歌歌手の「水城なつみ」の混同が少なからずあったかも…?
#サンライズ初の萌えアニメと評されていた。
#女性が主人公のサンライズアニメは史実以上に増えていた。


===ママはぽよぽよザウルスがお好き===
;鳥居耀蔵
#二年目以降も放送されていた。
#上記水野忠邦の腰巾着。通称「妖怪」「蝮の耀蔵」。
#*以後のMBS土6枠は[[もしあの放送枠が○○だったら#土曜午後6時枠|このようになっていたかも]]
#*よくロボットアニメとかに出てくる「[[ベタなダメ上司・上官キャラの法則|腐敗した組織の無能なくせにしぶとい上官]]」をイメージしていただくと''だいたいこのオッサン''である。
#白鳥由里は少年役も多くこなすようになっていた。
#極度の石頭であり、幕府軍の西洋式訓練に徹底反発。蛮社の獄を引き起こしている。
#郵便局のイメージキャラクターに起用されたかも。(かつて、郵便局「学資保険」のコマーシャルに起用された事がある。)
#*邪魔する奴は権力にものを言わせて左遷の嵐。かの「遠山の金さん」こと遠山金四郎も、天保の改革の行き過ぎた言論統制に文句を言ったせいで、鳥居にトばされてしまった。
#小野正利は売れ続けていてニトロプラス作品の主題歌を歌うことはなかったかも。
#*しかも風呂や便所に筆硯を持ち込むほどの勤勉さであった。何でこういう奴に限ってサボり癖が無いのだろうか。
#*むしろ「大ヒットしたテレビアニメの主題歌を歌っていた」ということで後の主題歌を歌ったテレビアニメへの期待が高まっていたかも。
#ところが忠邦が上知令を出すと、幕臣の腹積もりを伺い、手のひらを反して忠邦を糾弾する。
#「板橋マダムス」はTBS系列でドラマ化されていた。
#*政敵のドンである老中・土井利位に密かに国家機密を横流しし、'''忠邦を失脚に追い込み'''、自分は元の権力の座を固持。
#しかし、江戸城の失火の責を取らされて利位は辞任。「他にいないので、<del>心底ざんねんだが</del>再び水野忠邦を大老とする」と12代将軍・家慶が命じたことにより、忠邦から恨まれて職を解かれる。
#<del>私怨</del>義憤に燃える忠邦に訴追された結果、'''全財産没収'''の末に丸亀藩に軟禁状態にされる。
#*その際には丸亀藩士たちから恨まれまくり、'''1年間一言も口をきいてもらえなかったり'''、私物をパクられたりした。どんだけ嫌われてたんだ…。
#*勿論市民の味方である遠山の金さんを冷遇したため、江戸の人々達からも嫌われていた。というか、好かれたという資料がほとんど残ってない。
#なお明治維新の際には「ワシに任せなかったから、日本はこうなったのだ」と言っていたという。なって良かったとしか言いようがない。
#こんな奴だが後のテレビドラマでは名優・岸田森が演じた(しかもかなりのハマリ役)。また時代劇TRPG『天下繚乱』では史実と全く異なるキャラクターになっている。どうなってんだか。


===まめねこ===
==幕末~明治時代==
#上田瞳は本作品でブレイクしていて主役級常連となっていた。
;西郷隆盛
#*三苫紘平は以降もテレビアニメ出演があった。
#知っての通り巨漢であるが、あまりに太り過ぎて「あんた、このままだと'''死ぬよ'''」と医者に本気で言われるほど太っていた。
#劇中アニメが単独アニメ化される可能性があった。
#*仕方がないからダイエットを始めた。この時に犬を連れて野山を走っていたので、上野西郷像は犬を連れ浴衣を着ている。
#*本作品とプリキュアのコラボだって可能性が生じていた。
#**しかし、食事制限に失敗し激しい下痢にさいなまれ、一時期は一日50回もトイレダッシュしていた。
#成瀬瑛美は声優として深夜アニメでも活躍していた。
#フィラリアに罹ったため{{あきまへん}}がとても巨大化していた。
#早い時間での放送を望む声が史実以上にあった。
#*西南戦争で首実検を行った際<BR>兵卒「太って身なりの良いホトケがありました!」<BR>将軍「西郷どんとは限らんでゴワス」<BR>兵卒「で…ですがものすごく{{あきまへん}}がデカいんです!」<BR>将軍「逝ったでゴワスか西郷どん…」<BR>という会話があったというウソかホントかわからん伝説もある。
#*{{あきまへん}}を丸出しにしながら周辺の毛を火であぶり、「薩摩の焼き芋」と台詞を決める一発芸をやったことがある。
#鷹揚な性格のイメージを持たれやすいが、実は人に対する好き嫌いの差が激しかったらしい。
#写真を撮られることが大嫌いで、それがために'''明治天皇に抗命'''したことがある。


===まもって守護月天!===
;勝海舟
#OVA版『伝心 まもって守護月天!』はTV版の続編という位置づけになっていた。
#幼い頃に犬に金玉を咬まれて生死の境を彷徨い、死ぬまで犬がトラウマだった。
#テレ朝土曜18時のアニメ枠が現在でも続けられていた。
#イケメンだったのでモテたようで妾がたくさんおり、しかも子供を全部家で育てていた。その結果、正室・民子は死に瀕した時「た…頼みます! 海舟の…夫の墓に…'''入れないでぇ~~!!!'''」と言い残して死んだという。
#*『鋼の錬金術師』などの以後のガンガン連載作品も本枠で東映製作になっていた。
#彼を主人公とした[[NHK大河ドラマ/1980年代以前#勝海舟(1974)|大河ドラマ]]はトラブルが頻発した。
#川澄綾子は史実より早くブレイクしていた。
#エニックスお家騒動は起こらなかったというより起こせなかったかもしれない。
#SURFACEの「さぁ」はオリコン10位以内に入るほど史実以上に大ヒットしていてこの時点で大流行していた。
#*コロコロチキチキペッパーズがネタで使用することはなかったかもしれない。
#エンディングテーマを歌ってたグループは大ブレイクしていて活動を史実以上に継続していた。


===まもって!ロリポップ===
;土方歳三
#全日帯のUHFアニメは史実よりもう少し増えていた。
#写真からもわかる通りイケメンであったが、とにかく自信過剰。
#「もどって!」が第2期として放送されていた。
#*新選組は女にモテた奴が多かったが土方はその中でも1番と言っていいくらいモテた。モテすぎて、現代で言えば中坊の時に奉公先の女に手を出してクビになるくらいモテた。
#*スピンオフ作品がOVA化されていた。
#**「京都では私は若い婦人にモテモテで、国の為に働くことを忘れてしまいそうだ(意訳)」という手紙(ホレられた女の名前を全部書いている)を地元に送っている始末。
#*原作では名称不明だった「もどって!」登場の魔法に一通り名称が設定された。
#*刺繍や俳句もたしなんでいるが……要は中学二年生レベルである。(隊内からも不評だったらしい)
#作者の菊田みちよが『なかよし』から『ぷっちぐみ』に移籍することはなかった。
#局中法度を作って部下の自律を促したが、あまりに厳しくし過ぎて切腹・暗殺だらけに。これが原因で優秀なブレーンだった山南総助や、弟分だった藤堂平助、有能な経理だった河合耆三郎などを失っている。谷三十郎? あいつはまあ別にいいや…。
#*『プリパラ』及び『プリティーリズム』シリーズに関わることもなかった。
#*最終的に新選組は戦死者よりも隊士に殺された奴の方が多いという破綻する組織の典型例のような惨状を招いた。
#作者の次の連載作品である『妖界ナビ・ルナ』のコミカライズは史実以上に期待されていた。
#*コミカライズの連載と並行してアニメ化もされていた。
#庄子裕衣・大谷美貴・中村太亮は主要キャラを演じる機会が史実よりも増えていた。
#*三好りえは大ブレイクしていた。


===迷家-マヨイガ-===
;坂本龍馬
#同じくディオメディア制作でTBSでの放送だった「ガーリッシュナンバー」もMBS(サンテレビではなく)とCBCで放送されていた。
#明治になるまで生き延びていたら経済面でどれほど活躍していたことか…。
#*「風夏」もTBS系列での放送だったかもしれない。
#友人の武市半平太の家でしょっちゅう立ちションをしており、あまりにいつも立ちションをするので武智夫人が半平太に注意するようにせがんだらしい。
#酒井広大は以降もテレビアニメ出演本数が多かった。
#*ガキの頃は10歳になるまでオネショしていた話といい、なんでこうションベンに縁があるんだこの人は。
#*佐倉薫は大ブレイクしていて人気声優の仲間入りを果たしていた。
#歴史上の超有名人だし、ドラマも何作も作られ「日本の夜明けぜよ」と言った人という事で知名度はあるが、実際、何をしたのかよくわかっていない。
#**多田このみもガルパンに留まらない人気声優となっていた。
#*海運商社の海援隊を作って、薩摩と長州をくっつけて、裏貿易をしていたということまでは分かるが、直接戦争にも政治にも参加していたわけではない。
#*清水彩香、天崎滉平も主役級常連になっていた。
#日本史上初の海難審判の当事者になった際、現在の貨幣価値に換算し約137億4400万円を紀州藩から'''詐欺った。'''
#和島あみはデビューから大ブレイクしていて史実以上に多くのアニメソングを担当していた。
#*但しこの金は龍馬に渡る前に本人が死亡しており、どこに資金が消えたのかは大きなミステリーになっている。
#*しかし過労により史実通りかまたはより長期の活動休止を余儀なくされていたかもしれない。
#**現場である[[福山市]]鞆の浦の観光ガイド原稿では「岩崎弥太郎横領説」を示唆している。
#片平里菜のED曲はオリコン10位以内にチャートインしたかもしれない。
#TBS系列局はドラマに留まらずアニメでもWOWOWと積極的に共同制作していた。
#テレビ山梨でも放送されていた。
#*「ゆるキャン△」もTBS系列の放送になったかもしれない。


===マリア様がみてる===
;岡田以蔵
====マリア様がみてる〜春〜====
#幕末四大人斬りの一人。前掲の龍馬の幼馴染で、結社「土佐勤王党」の最古参メンバーの一人。
#「マリア様がみてる 4thシーズン」もテレビ東京系列での放送だった上数年のブランクもなかったかもしれない。
#土佐藩は極めて身分制度が激しく、岡田家は最下層の足軽出身だったため学も無く剣しかすがるものが無かった。
#*日曜朝での放送が成功と見なされ、以降もヒットした深夜アニメの新シリーズが朝の時間帯で放送され続けていた。
#*勿論我流だったので、親分の武市半平太にはかなわなかったという(土佐にいた頃の話)。
#*「マリア様がみてる 3rdシーズン」もOVAではなく1クール以上放送のテレビアニメ3期として放送されていた。
#とにかく自分に自信が無さ過ぎたため、一回はずみで人を斬ったのを誉められたのをいいことに、「武市がウザいって言った奴を斬れば人気者になれる」と勘違いして暗殺に手を貸しまくった。
#りのは以降も活発に声優活動を続けていた。
#*勿論武市もそれを止めるどころか推奨した。そういう時代だったのだ。
#…が、ここで調子に乗って酒と女に溺れたせいで捕まってしまい、拷問にかけられ、物凄くあっさり仲間を売ってしまった。結果的に、一番土佐勤王党で働いたのに、'''その土佐勤王党にトドメを刺した張本人'''に成り下がってしまった。
#*漫画『竜馬がゆく』とか大河ドラマ『龍馬伝』では激しい拷問に耐え…みたいな描写だが、あれは創作である。
#*あまりに簡単に口を割ってしまったので、武市からは「日本一の泣き味噌である」と嘆かれた。
#**しまいには'''毒殺用のまんじゅう'''まで送る計画が出た(未遂)。『龍馬伝』では楽に死ねるように、という解釈だったが、どう考えても怒りか呆れで送り付けてるよなあ…。
#死に際に反省したのか「武市先生によろしゅう」と言ったそうだが、武市からは「お前のせいだろがい!」と最後まで許してもらえなかった。


====マリア様がみてる 4thシーズン====
;高杉晋作
#kukui、引田香織は以降もアニメ主題歌を担当していた。
#金の扱いがルーズすぎる。
#植田佳奈は遠坂凛以外の主役級が遠ざかることはなかったかも。
#*どうも公金とポケットマネーの違いが全く分からなかったらしく、藩の許可を得ずに4万両もの金をはたいて戦艦を購入している。
#*池澤春菜は以降深夜アニメでも活躍していた。
#*藩命で「上海に行ってこい」と命令が下った時には、'''長崎で'''お小遣いを使い果たしたうえ、芸者を見受けまでした。んでもって、金が足りなくなったので、'''その芸者を売った'''(さすがに同意は貰ったうえである)金で上海に向かった。
#もしかしたら映画は実写ではなくアニメだったかも。


===まんがーる!===
;伊藤博文
#原作の連載は史実以上に続いていて単行本も全3巻で終わらず単行本未収録話が出ることはなかった。
#日本国初代内閣総理大臣であるが'''スケベすぎる。'''
#尾高もえみ、駒形友梨は大ブレイクしていて出演作も史実以上に多かった。
#*掃いて捨てるほど女がいたので「箒」という仇名を持つ。
#原作含め作中で出た「東京自転車少女。」「DRACU-RIOT!」などもアニメ化される可能性が出ていた。
#**留学時代にもイギリスで女遊びしすぎて金を速攻で使い果たした。
#**広島銘菓「もみじ饅頭」は茶屋の娘の手を掴んで「このように赤く可愛い手を食べてみたい」と言ったことからできたらしい。
#**40度の高熱に魘されているときでも枕元に芸者を2人も呼んでいた。
#*遂には明治天皇直々に「もう少し女遊びを控えなさい」と言われた始末。こんな人はおそらく世界で彼だけであろう。
#*愛人にした女性の最年少者は'''13歳'''である。
#今の首相官邸は、伊藤が'''女遊びで金をはたき過ぎて家を追い出された'''ためにわざわざ新しく作った住まいが元となっている。
#*伊藤は女以外には割と適当にしか贅沢しなかったので、使用人は奉公先が伊藤家だと決まった途端に「きつく言われずに済む!」と大喜びしていたらしい。
#ちなみにアダルトゲーム『School Days』の主人公・伊藤誠は博文から苗字が取られている。つまりはそういうことである。
#初代総理大臣の座を争った三条実美に最終的に競り勝てた理由は、三条に語学力が欠けていたことだけ。それ以外の要素はどれも不利だった。


===マンガ家さんとアシスタントさんと===
;黒田清隆
#「アホガール」は30分アニメになっていた。
#第2代内閣総理大臣。在任中に大日本帝国憲法が発布されたことで有名。
#*引き続きZEXCSによる製作だった。
#しかし超がつくほどの酒乱。
#TOKYO MX以外の地上波でも放送されていた。
#*おまけに怪力の持ち主で、一度酔ったら周囲を破壊してしまうこともあったらしい。
#能登有沙は以降も活発にテレビアニメに出ていた。
#*北海道開拓長官だったころ、酔った勢いで'''大砲を撃ち、うっかり民間人を爆殺した'''。
#**遺族は'''「俺も金を払うから、黒田を爆殺させろ」'''と泣いて悔しがったらしい。当たり前である。
#*奥さんが病気で突然死した時も、「ああ、黒田さんなら(酔った勢いで)殺りかねんな」とか誤解されたらしい。どんだけだよ。
#酔っていなくてもかなり苛烈な性格だったようで、大隈重信からは「あいつはいつも拳銃を隠し持ってるし、気に入らない奴にはすぐケンカを売る物騒な奴だった」と暴露されている。
#ちなみに榎本武揚は黒田のことを「コイツは福島正則に知恵を足した奴だ」と評している。黒田と黒田節をかけたシャレかもしれないが、要はそういう人であった。


===まんがはじめて面白塾===
;三浦啓之助
#森川由加里はお姉さんとしての評価が上がっていた。
#学者・佐久間象山の隠し子。
#*ぶっきらぼうな態度に「お姉さんらしくない」とクレームが寄せられることもなかった。
#象山が河上彦斎に討たれたため、その仇を討つべく新選組に入ったのだが…。
#*アーティストという認識で終わることもなかった。
#新選組では親の威光を振りかざして威張り散らすばかりで、ドラ息子丸出しだった。
#*その後の番組リニューアルと降板もなかった。
#*剣技が劣ることを同僚からバカにされた際には、土方と沖田が囲碁を打っているのを見物している所を'''闇討ちにしようとした'''始末であり、逆上した沖田から面罵された挙句に畳に顔面をぶつけて鼻に傷を作った。
#貴本亜莉紗はこの番組でブレイクしていた。
#*おまけに仕送りの金をばらまいて郎党を手名付けており、沖田からは恨まれていたらしい。
#そして「隊を脱するを許さず」の禁を破って逃げ出し、故郷の松代で地元のDQNとつるんだ挙句'''「俺は新選組だぞぉ」と言いふらしていた'''。
#その後、'''無銭飲食がばれて'''逮捕され、西郷隆盛のとりなしで出所し慶應義塾に入ることになるが、ここでも素行が悪すぎて退学。
#呆れた勝海舟のコネで裁判官として就職するが、酔った勢いで人力車夫を殴って左遷。
#左遷先で結婚し一児を設けるも、34歳の若さで食中毒で死ぬという、死ぬまでざんねんな一生であった。


===まんが 水戸黄門===
==大正時代~太平洋戦争==
※2004年に『トリビアの泉』で取り上げられた近年のブームではなく、1982年の本放送当時に大ヒットしていたら?
;牟田口廉也
#ナックの知名度は史実よりかなり上がっていた。
#大日本帝国陸軍の軍人で、「史上最低の作戦」の代名詞である「インパール作戦」の立案者。
#下手すれば水戸黄門ファンの間で『水戸黄門は実写かアニメか』の大論争が起こる。
#*当時、イギリス領であったインドを攻めるのに、ビルマ方面から物資輸送もままならないジャングルを超えて、インドの都市インパールを攻めようという作戦。
#長く続いていればご老公の命を狙うセクシーなくノ一が捨丸の生き別れた姉であるエピソードも作られていたはず。
#*約9万人近い兵を動員して、飢餓やマラリア、英国からの攻撃により、7~8割が死傷するという有様だった。
#場合によっては金八先生や西部警察などもアニメで製作され、「ドラマ」というジャンルの撤退も有り得たかも。
#*「もし[[ベタなダメ上司・上官キャラの法則]]が現実に存在したら」を体現したような人物である。
#*「必殺」シリーズや「遠山の金さん」などのアニメ版も製作されていた。
#インパール作戦で前線で戦う兵士が食料も物資も無い最中で、後方にいる作戦立案者の牟田口は料亭で酒と女を連日喰らっていたという。
#**鬼平犯科帳のアニメ化も現実より早く企画化していた。
#物資を運ぶのに「自動車が無ければ牛に牽かせればいいじゃないか。食料にもなるし」とジンギスカン作戦を思いつくが、当の牛は足が遅くてイギリス軍の恰好の的になり、泳げないので河を渡ろうとして流される有様だった。
#***もちろん、1970年代~1980年頃の少年向けアニメのステレオタイプなキャラデザインで。
#物資が無くなって作戦継続が不可能となっても牟田口は撤退させず「武器が無いのなら腕がある、腕が無くなれば足で蹴ればよい、足も無くなれば口で噛みつけ、それが大和魂というものだ」と取り合わず。自身の無策を棚に上げて、精神論で片付けようとした。
#**「暴れん坊将軍」もアニメ化。吉宗を少年に設定し江戸時代版トライダーG7とでもいうべき代物が爆誕していたかもしれない。
#前線指揮官の一人である佐藤陸軍中将は、物資食糧が尽きて補給が無く伝染病が蔓延し全滅不可避となった余りの惨状から、死刑になるのを覚悟して独断で撤退を決定する。
#*月9はドラマではなくアニメで製作されていたかもしれない。
#*司令部に補給要請を何度も送るも、いつまで経っても物資を送ってこない上に、牟田口からは「作戦を継続しろ」の一点張り。
#**ウルトラシリーズのみならず、ライダーシリーズや戦隊シリーズも特撮からアニメに変更されていたかもしれない。
#**決死の撤退戦を行った佐藤中将は、ボロボロになりながらも後方司令部にたどり着くやいなや「牟田口はどこに行った!今すぐ叩っ切ってやる!!」と怒号をあげる。
#最強ロボダイオージャの肩身がとても狭くなっていた。
#***佐藤中将の剣幕をみて、恐れた牟田口は顔を合わせないようにとどこかに隠れていた模様。
#*佐藤中将が勝手に撤退したことに対し、牟田口は「気合と根性が足りないからだ!」「ジャングルなんだから食料になる草くらい生えているだろ!」と佐藤中将を罵倒する。
#**牟田口は、飢餓と病で苦しむ兵を集め、訓戒と称して佐藤中将の悪口を長々としゃべるが、栄養失調で気力を失っている兵は訓戒中に次々に倒れていった。
#インパール作戦の失敗に多少は責任を感じて部下に「自刃して陛下にお詫びしたいのだが」と問いかけるも、部下は「一応、私の役割だから上官が自刃すると聞いて止めないわけにもいかないが、古今東西、人に死ぬと告げて実際に死んだ人間はいません。閣下が少しでも責任を感じ、本当に自刃する意思があるのならば、誰にも告げず自刃してください。」とバッサリ返される。
#*戦後も生きながらえ続けている通り、そういわれても自決なんてしなかった。
#戦後「インパール作戦の失敗は、自分のせいでなく、部下が無能だったためだ」と喧伝し、一切反省はしなかったという。
#余談であるがゲーム『パワプロクンポケット2』の裏サクセスで無能な参謀長「任月高志」が登場するが、そのモデルは牟田口であり、やっていることがほぼ全部牟田口の逸話そのまんまである。


{{もしあのアニメが大ヒット}}
==関連項目==
[[Category:もしあのアニメが大ヒットしていたら|]]
*[[幸運なモノ事典]]
*[[バカ人物志/日本]]
[[Category:ざんねんな人物事典|れきしにほん]]
[[Category:日本史|さんねんなしんふつ]]

2020年12月25日 (金) 17:57時点における版

※編集される方は「Chakuwiki:お願い/ざんねんなモノ事典」をご覧ください。

  • 1900年以前に生まれた人物でお願いします。
  • 以下は出来る限り年代順に並べていただくと助かります。

鎌倉時代以前

天智天皇
  1. とにかくビビリ屋。少しでも造反の気配があったら即刻殺してしまう。
    • 元がほぼクーデター(乙巳の変。まあ、これは蘇我親子が調子に乗り過ぎていたからだが)で権力を手にしたようなものなので、奪われるのは怖かったんだろう。乙巳の変の実行犯である蘇我石川麻呂も自害させてるし。
    • 更に白村江の戦も「ヒィィー大陸が攻めてくるぅー!」とビビりすぎて出兵させたようなものであり、負けたら「ウワァー! 攻めてくる! どうしよ! どうしよ!」と防人制度まで作った。
  2. 今際の際に大海人皇子(弟、後の天武天皇)に皇位を譲ろうとしたのも勿論難癖付けて殺す為であり、出家されたことで肩透かしを食らう。そして死後に息子は大海人に討たれる。
聖武天皇
  1. 藤原広嗣の乱の最中に行幸を始めたり、遣都を繰り返したり、仏教にのめりこんで寺をあちこちに建てたりとメチャクチャして、官民の受けがよくなかった。
    • これら一連の事件は長屋王の祟りなどと言われる。聖武天皇がロクに調べもせずに、藤原氏による長屋王叩きを「かまわん、ドンドンやれ」と放置したせいで、ほとんど何も悪い事をしていない彼の自殺を招いた。どこかで聞いたような話である
  2. 元々藤原家は天皇家にすり寄っていたが、聖武天皇が光明子を「皇后」にしてしまったせいで藤原氏の台頭を招く結果となる。
  3. また、天下一の公共事業である東大寺盧舎那仏建立に着手するも、結局大仏が完成する様を見る前に崩御した。
    • なおその大仏は5回も破壊されている
    • 大仏の表面に施す金メッキによる水銀公害で、平城京は甚大な被害を受けてしまったので長岡京へ遣都したのではないか、という仮説が近年浮上している。
  4. 1873年(明治5年)にグレゴリオ暦へ移行した際、換算間違いにより、崩御日が1日早くなっていた。
    • 約140年後の2012年(平成24年)に、ようやく正しい崩御日に訂正された。
孝謙天皇/称徳天皇
  1. この人のせいで、万世一系の天皇家が危うく途絶えるところだった。
    • 男を知らずに育つとどうなるかがよく判る事例。
      • 宗教にハマりすぎるのも怖いね。
    • 言い方は悪いがこの親にしてこの娘在りということかねぇ…。
  2. 趣味は、自分の気に入らない人間に、お下劣な名前を付けること。
桓武天皇
  1. この人もビビリ屋。
    • 父・光仁天皇の皇后だった井上廃后とその息子の他戸廃太子、弟の早良廃太子と、身内に非業の死を遂げた人達を怨霊として恐れ、彼らへ追称を送ったり、慰霊する寺院や神社を建てたりと、それはもうビビりまくった。
      • 早良親王については、聖武天皇と同じようなことをして死に追い込んだ故、後年は自責の念にとらわれていたようで、流刑した淡路国からわざわざ大和国へ改葬し、「崇道天皇」と追称したりしている。
    • 平城京から長岡京に都を遷すも、災害やら身内の不幸が起きまくったことにビビり、そこから更に平安京へ遣都した。
    • 石上神宮から神宝を運び出したら病気になり、自分の歳と同じ人数の僧侶にお経を読ませて、神宝を納め直すも回復せず、崩御してしまった。
花山天皇
  1. 一言で言うなら変態
    • 父の冷泉天皇も、手紙にでっかい×××××の絵を添えて送るほどの変態であったが、花山天皇は性欲の権化の如きお方であらせられた。
  2. 即位式の真っ最中に女官と×××××を行った。当時16歳なのに…。
  3. 即位後も親子丼に明け暮れる始末であった。
  4. 奥さんが死んでしまったため「オレもう出家する!」と言い出し、周囲からは「陛下ならそのうち飽きて還俗するだろ」と陰口を叩かれた。
  5. 結局在位2年で出家するが、そのときまだ19歳である。性欲が収まるわけがなく、女には手を出しまくり。
    • あまりにスケコマしすぎたため、恨みを買って暗殺されかけた。しかもそれをダシに藤原道長はライバルを蹴落とし出世した。
  6. 西国三十三所巡礼を復活させた人物として有名であるが、第20番札所の善峯寺は花山院崩御後の創建なので、明らかに矛盾している。
菅原孝標女
  1. 本名不明なのでこう表記するしかない。『更級日記』の作者。
  2. 通称1000年前のお前ら。やる事なす事とても1000年前の人物とは思えないほどアグレッシブ。
    • 物語を読みたすぎて、13歳の時に薬師如来像(等身大)を彫る。しかもその内容が「この世の全ての物語を読ませてください」。海賊王かお前は。
    • やっと都入りを果たすと、源氏物語の写本を手にした途端部屋に引きこもり数日間微動だにしない。
      • 親も呆れて勉強しろと言ったが、耳に入るわけも無かった。
      • この時の心境が凄い。「ひき出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ」!! 当時の皇后はいわば「全世界のNo.2」であり、それすら今の心地には劣るわ! というわけ。
  3. こんなんでも一応結婚は出来たが、30歳になってからなので当時ではかなりの行き遅れ…。
  4. 更級日記とはいわば「子供たちも独り立ちし、夫にも先立たれた菅(ryの心境を綴った日記」であり、上記のようなイカれた回顧録の末には「こういうことはやるものではない」と結論付けている。
梶原景時
  1. 鎌倉幕府の重鎮であるが、豊臣で言う所の石田三成ポジション。
  2. 逆梶論争が有名なように、とにかく敵を作りやすいやつ。
    • 説明力が高かったらしく、報連相をきちんとするという点では評価できるのだが(笑)。
    • 空気を読まずに勇猛果敢な畠山重忠をボロクソに非難したことで、より源氏の猪武者どもから恨まれるようになった。
  3. ついには頼朝の死後、我慢の限界が来たのか66名もの連判(勿論重忠も含む)で訴追、失脚の後に襲撃を受けて一族郎党滅ぼされる。死人に口なし。
  4. 余談だが、茨城県の一部地域ではゲジゲジのことをカジワラと呼ぶ。深くは探るまい。
平宗盛
  1. 平清盛の息子の中でもできの悪いほう。
    • 兄の重盛や、弟の知盛などは武士らしく武勇に優れているが、宗盛はというと臆病で、とても武士らしくなく「驕る平家は久しからず」を体現している。
  2. 清盛が亡くなり、すでに嫡男であった重盛も亡く、平家の棟梁として指揮をするも戦経験もほとんどなかったので、そのほとんどは弟の知盛まかせになっている。
  3. 壇ノ浦の戦いで、義経軍に敗れた平家武士が次々に入水自殺をする中、どうしたらよいのかわからずオロオロするばかりであった。
    • それを見かねた家臣が「お供いたす」といって入水するも、無駄に泳ぎが得意だったため、死ぬことができず源氏方に捕縛されてしまう。
    • 鎌倉に護送され、頼朝から死罪を賜るがその最中、ずっと頼朝にへりくだり、命乞いをしたという。
北条政子
  1. 鬼嫁
    • 当時としては非常に珍しい恋愛結婚であり、夫・頼朝が浮気した際には浮気相手の家をハンマーでぶっ壊している。
  2. 政治的には非常に優秀だったが、優秀過ぎて自分の息子たちも最終的に死に追いやる結果を招く(意図していたのではないと思うが)。
    • 彼女と弟の義時によって頼朝の重臣たちはほとんど始末されている。前漢の呂一族かよ(呂一族と違って完全に夫の一族を滅ぼしている分たちが悪い)。
  3. 最終的に頼朝との間の子は全て先立たれ、源氏政権は数十年で滅亡している。
源義経
  1. しか得意じゃなかった英雄。兄の頼朝は戦だけがダメだったので性格も真逆(女癖は同レベルだが)。
    • 政治的センスの欠如のせいで、「俺は頼朝兄さんの弟だから鎌倉武士より優遇されているはずだ」と思い込み、後白河法皇から官位を躊躇なく受け取り決定的な亀裂を生んでしまう。
  2. その戦の方法も奇襲とか放火とか、木曽義仲と大差ないレベルのDQNぶり。
    • 彼らだけがそうだったわけじゃなく、基本的に源氏はやり方が汚い。
    • 特に問題視されたことが、非戦闘員(船の漕ぎ手など)への加害行為。当時の価値観では絶対的なタブーだった。
  3. 平家物語では「出っ歯で背が低く、平家の中の選り屑よりもブサイク」などと不必要なまでに容姿をけなされている。
    • 両親が美男美女だったんだから彼だけそこまでブサイクだったとも思えないので、ブサイクだった方は山本義経という別の武将ではないかという説が濃厚。
    • 隣にいつも弁慶がいたから相対的にチビに見えたという説もある(笑)。
  4. 生存し蝦夷地(北海道)からモンゴルに渡りチンギス=ハンになりましたというのはとっくに否定されている。
    • 北行伝説に至ってはアイヌへの同化政策のために義経北行伝説が利用されたこともあった。いわば家系に義経の名を加え箔をつけ見栄を張ったというわけである。
      • しかもアイヌの伝承では義経は悪役になることが多かった。
四条天皇
  1. 歴代皇室で最も4コマ漫画みたいなざんねんな御崩御を遂げた天皇。
    1. ある日のことです。陛下は廊下をご覧になり、「この廊下に滑る石を置いたら転ぶかもな」とお思いになられました。
    2. 陛下は試しに石を置いてみましたが、本当に滑るのか気になって、自分でお試しになられました。
    3. ところが陛下が石を踏んでみると、思った以上に滑りました。そして、別の石がたまたま転んだところにございました。
    4. 頭をお打ちになられた陛下はそのまま12年の短い一生を終えました

室町時代

足利尊氏
  1. 室町幕府初代将軍であるが、生きている内に乱戦を終わらせられなかったどころか、むしろ悪化させている。
  2. 一般的なイメージ(後述)とは異なり、尊氏は「私は早く隠居してゴロゴロしたい」という手紙を残しているくらい、めんどくさがり屋であった。
    • まず建武の新政の折、弟の直義が鎌倉幕府残党に虐められていたので、尊氏は後醍醐天皇の許可を得ずに出兵。尊氏をウザがっていた後醍醐帝は「尊氏が関東の武士を手下にして、鎌倉幕府を復活させる気だな」と難癖をつけて新田義貞に尊氏討伐令を下す。
    • これを知った尊氏は「私はそんなことしましぇぇーーーん!!」と即出家して隠居。勿論その程度で新田軍は攻撃をやめず、直義はボコボコにやられる。ヘタレか!
    • 結局尊氏もボコボコにやられ、北朝を開いて抵抗。後醍醐一味に逆襲したが、鋼鉄メンタルで吉野に逃げた後醍醐帝は南朝を開き、南北朝時代が開始される。
    • ところが今度は尊氏の執事・高師直が直義と政争に明け暮れ、直義は南朝に逃げて猛襲。ではここで尊氏は何をしたか!?
      • はい、諸悪の根源である師直を見捨てて逃げました。人として正しいことにしろ武将としてそれはどうなのか。
    • その後、心労がたたって直義共々病没。これにより更に南北朝の戦いは激化していく。
  3. 要するにヘタレであり、消極的な方に消極的な方に逃げて保身にばかり走ったせいでこんなにわかりづらい歴史を歩ませている。筆者も学生時代は「何がしたいんだこいつは!」と頭を抱えながら歴史の勉強をしていた物である。
  4. 更に、南北朝時代を作った張本人ということで、幕末~戦前にかけては「勇者」楠木正成を崇め奉るためのわかりやすい「魔王」にされ、木像が義詮(息子)・義満(孫)共々首を刎ねられるわ、教科書でも平清盛と並ぶ極悪人呼ばわりされるわ、尊氏ファンだということがばれただけで国会で訴追されるわ、日本史史上No.1の嫌われ者扱いされていた。
足利義教
  1. 室町幕府6代将軍。かの有名な3代将軍義満の子(三男説が有力)。
  2. 元々出家していたが、5代将軍義量(義教の甥っ子)が早死にしたため、くじ引きで選ばれた。
  3. くじ引きで選ばれた負い目故に、部下をうんと厳しく縛り付けたため、万人恐怖とまで呼ばれた。
    • 闘鶏の見物人に道を遮られたのに激怒し、都中から鶏を追放した。
    • 酌の仕方が下手だっただけで侍女の髪を掴んで切り落とし、出家させてしまった。
    • あまりにバンバン部下を手打ちにするため日親という高僧が説教に来たが、カッとなって灼熱の鍋を被せ、舌を切り落とした。
  4. こんなんだから家臣の赤松満祐があまりにビビり過ぎてしまい、「やられる前にやるしかない」と決起して嘉吉の乱を起こして殺された。厳しすぎる締め付けが逆効果となったのである。室町幕府としては初の暗殺された征夷大将軍となる(後に13代・義輝も暗殺される)。
足利義政
  1. 室町幕府8代将軍。今でいう、オタク。
  2. 超口うるさい乳母や重臣たちが何でもかんでも決めてくれた(最も義政の父・義教があまりに強烈なワンマンだった反動かもしれないが)ので、「義政」という名前にもかかわらず全く政治に興味を示さず、もっぱら芸術にばかり関心を示していた。
    • 銀閣を建てたのもこの人であり、日本のわびさびを含んだ文化は義政の後ろ盾あって完成されたと言える。評価できるのはここだけである。
      • 当時、芸術家というのは最低の扱いであり苛烈な差別を受けていた。しかし義政はそーゆーのに全く興味を示さなかったため、身分に関係なく優秀な(芸を持つ)人は丁重に召し抱えた。
  3. そして「もう一刻も早く将軍を辞めたいから、子供もできないし弟・義視に譲ってやる」と言い出した途端に息子が生まれ、鬼嫁・日野富子の後押しもあって応仁の乱が勃発してしまう。
    • この最中も戦争をうっちゃらかして芸術に金を使っていたため、富子は「あのバカ夫め~!」と激怒しながらも政治改革に次ぐ政治改革を行い、市民を滅茶苦茶に搾り取りつつかろうじて幕府の運営を保っていた。
  4. が、応仁の乱は予想以上にグダグダとなり、京都周辺は灰燼と化し、結局何のために戦争をしているのかもわからなくなって義視も降参し9代将軍は義尚となった。
日野富子
  1. 足利義政の正妻で鬼嫁
  2. 同じ鬼嫁でも北条政子の場合、武家政権確立の為にと辣腕を振るった尼将軍だったが、こちらは守銭奴といった方が良いかもしれない。
  3. 足利義尚と足利義視との後継者争いの体で始まった応仁の乱勃発の原因の一人であるが、この混乱に乗じて金儲けをしようとたくらむ。
    • 敵味方関係なく、戦費に困った東軍・西軍の諸大名に高利貸しを行い、自分の懐を蓄えようとする。
足利義尚
  1. というわけで、親はオタクでも子は育つということで選ばれた9代将軍。
    • 「緑髪将軍」と言われるほどの美男子で、女の子にモテモテであった。しかしこれが彼の悲劇を生む。
  2. 応仁の乱が原因で信用が地に落ちた幕府の威光を取り戻す為、六角氏征伐などを敢行。母譲りの才覚と父譲りの芸術観を持ち多くの人に慕われた。
  3. …のだが、あまりに働き過ぎで遂にプッツン来てしまったのか、六角征伐終了後に突如として女狂いとなり、浴びるように酒を飲んでは×××××にふけった。
    • その結果、わずか25歳で早逝。父よりも先に逝く親不孝により、義政は心身を病み後を追うように亡くなった(55歳没なので人生わずか50年の時代としては大往生である)。
武田信長
  1. 武田信玄でおなじみの甲斐武田氏の傍流にあたる、上総武田氏(真里谷氏)の祖。
    • ネーミングだけ見ると、「武田」と「信長」で何かと強そうなイメージだけは湧く。
  2. 上総一国でおよそ10万石を有する有力な大名ではあるが、戦国時代の主戦場である畿内から離れた関東にあるので、何かと歴史の片隅に追いやられている感が強い。
  3. 信長の野望より、前の時代のひとなので、ゲームには登場しない。
一休宗純
  1. 僧侶の中ではかなりのスケベだった。
    • 男色だけではなく女犯も平気で行い、森侍者という愛人がいたり、実の子供の弟子がいたりした。
    • 彼の漢詩集「狂雲集」では女性との×××××のことが多く詠まれている。
細川政元
  1. 一言で言うならオカルトおじさん
  2. 「半将軍」と呼ばれるほどの権力の座にありながら、天狗となって空を飛ぶことを夢見る修験道オタクであった。
    • 度々公務をすっぽかして「旅に出ます」と書き残して失踪したり、後柏原天皇の即位式を「意味がないから」と言って中止させたりと、もうムチャクチャ。
    • そのため名門細川家の当主でありながら生涯独身であり、養子を3人貰っているが、そのせいで派閥闘争が発生。
    • しかし我関せずと修行にふけっていたため、風呂場で行水していた所を暗殺される。
  3. ちなみに、信長より先に本能寺を焼いている。

戦国・安土桃山時代

佐久間信盛
  1. 信長のかなり古い家臣で、「退き佐久間」の異名を持つ重臣だが…。
    • 裏を返せば「攻めには使えない」って言ってるようなものである。
  2. あまりに使えなさ過ぎて「もうお前いらんから、敵の城でも分捕るくらいの手柄立ててくるかサッサと隠居しろ、イヤなら腹切れ」というとんでもない命令を受けてしまった人。
    • その際に19項目にも及ぶダメ出しを受けており、相当に苛立たせていたことが推察される。
  3. 基本的に信長は下っ端は即手打ちにするが重臣は割と大事にするので、ここまで怒らせてしまった人は彼と明智光秀くらいであろう。
大友宗麟
  1. 名代のスケベさで名を遺した。
    • あまりに好色すぎるため腹心の立花道雪からも叱責されている、と歴史書に残されてしまっている。
      • グチグチ行ってくる道雪がムカついたようでペットの猿を嗾けて脅かそうとしたら、逆に鉄扇で一撃粉砕(物理)されてしまい猿のように反省した(創作説があるが、そういう創作が出てくるくらいざんねんな人物であったことは事実である)。
  2. 知名度に反して意外と敗北回数が多い。
  3. おまけに奥さん(重臣の妹なので無下に扱えなかった)が悪魔のように恐ろしかった、と宣教師が語っており、キリシタン大名なのに嫁さんがキリシタンを弾圧していた。
    • 出自は奈多八幡宮の宮司の娘。当然、夫とは信仰で相いれない。
    • 当時のキリスト教関係者は、彼女に対し旧約聖書に登場する悪女にちなむあだ名を付けていた。
上杉謙信
  1. いうまでもなくチート武将であるが、重度のアル中。
    • 馬の上で飲酒するためにわざわざ特注の盃を作らせていた。飲酒運転じゃん。
    • しかも塩(敵に送るくらいだからたくさんあった)や味噌や梅干しといった高血圧まっしぐらメニューをつまみに浴びるように飲んでいたので、冬にトイレで気張り過ぎて脳の血管が切れて死ぬ。(まあ49歳だから早逝ではないんだが)
      • おまけに後継者を決めずに何の前触れもなく突然死したので、甥の景勝と養子の景虎で大戦争が勃発してしまう。
  2. 生涯不犯(未婚)であり、美少年をたくさん侍らせていたという逸話からガチホモ、もしくは女性だと言われている。ホントかよ?
    • そもそも女性説自体学者の勝手なる思い込みから生まれたものであってまぁまずないと思われる。(当時の学者からも酷評された)
      • だが否定されながらもサブカル界隈ではいろんなところで女性版謙信が登場している。
  3. さらに近年では、後述の弱い方のオダの城の人間を食い扶持に困るからという理由で売り飛ばしていたことが判明している。勿論、謙信以外の武将もこのようなことは当たり前のように行っていた。
  4. また「敵に塩を送る」の美談は、現在では「塩を有料で売り捌いた」ということが判明している。世の中そう甘くはないのである、塩だけに。
小田氏治
  1. 通称「弱い方のオダ」
  2. 小田城の城主であったが6回も奪われており、史上最も城を奪われたことが多い大名として知られる。
    • 裏を返せば5回は取り戻している(最後は取り戻せなかった)わけでただ弱いだけではないのだが…。
  3. 最後は豊臣秀吉の小田原征伐の巻き添えを喰らって惣無事令違反で全領地を没収されてしまい、結城秀康の家来にまで零落れてしまった。
織田信長
  1. 裏切られすぎ。
    • 日本の歴史で一番たくさん謀反を起こされたのではないかと言うくらい、裏切られて裏切られて裏切られまくった。
      • 最終的に一番目をかけてた奴に裏切られて死んだ。
    • 最初に裏切った弟の信勝は、一度許してやったのにまた裏切ったせいで殺す羽目になった。これはまあ信勝が兄を舐めすぎたというのもあるが。
    • 従わない奴はキルオブゼームとばかりに殺しまくるほど短気な割に、身内と優秀な奴には評価が甘いので、悉く裏切られ、何度も包囲網を敷かれる羽目になる。
  2. 一方本人はそんなに裏切ったことはない。せいぜい足利義昭を操ろうとしてたくらいか。
  3. 肝心な時に限って雨がやたら降る「雨男」であり、せっかく鉄砲戦術で戦争史に革命を起こしたのに、雨のせいで火縄銃が全く使えず完敗ということもあった…。(まあ、桶狭間に関してはそれが勝因になったんだけどね)
  4. 食生活の内容が不健康すぎていた。40歳を過ぎたあたりから糖尿病の合併症由来と思われる体調不良の記録が多く見受けられる。
    • 40前後でそうなるということは30代前半あたりで既に基礎疾患として持っているということ。それゆえ、仮に本能寺の変が無かったor切り抜けられたとしても早々に表舞台から退場となったかもしれない。
  5. 実際には「普段はどっしり構えていられるけどいったんキレてしまったら誰にも止められない」と言ったところだが、どういうわけかのべつ幕無しでキレまくっているような誤解を持つ人も多い。
荒木村重
  1. 織田信長に仕えた戦国武将で、茶器マニア。
  2. 羽柴秀吉が播磨攻めをやっている最中に、突然信長に反旗を翻す。
    • 秀吉の死者としてやってきた黒田官兵衛を捕縛して、1年間土牢の中に監禁する。
  3. 信長に反旗を翻したまでは良いが、結局負けてしまう。
    • 負けるのはやむなしとしても、平蜘蛛をかかえて爆死した松永久秀と違うのは、自分の家族や家臣を見捨てて一人、茶器コレクションをかかえて逃亡したという事である。
    • 謀反を引き起こした当事者は単身逃亡中の最中、残された妻子をはじめとした一族郎党は皆処刑される。
      • 妻の「だし」は当時でも楊貴妃に例えられるくらい美人との評判だったが、その美人の妻よりも自分の命と茶壷の方を優先した。
  4. こうして、あまりの無念さに自分の名前を「道糞」に変えてしまった。
    • 結局、信長が死んで何十年も経った後秀吉に「もう流石にええやろ」と許されて「道薫」の号となる。
豊臣秀吉
  1. 日本史上最も出世した男であるがゆえに、良くも悪くも庶民的。
    • 当時男色は当たり前だったが、農民(下級武士説もあり)出身だったため一切そんなことは考えず、女を死ぬほど侍らせていた。
      • イケメンの部下を見つけると「ねぇ~ん、姉か妹居ない~?」としつこく問い詰めた。
        • あまりに美女に目が無さ過ぎるため、後述の細川忠興なんかは奥さんに「天下人に言い寄られそうになったら自害しろ」と本気で帯剣を勧めていた。
      • しかも己の出自の低さ故に、高貴な身分の女性を特に好んでいたという。
      • そこまでスケベだったにもかかわらず子供が出来るのが非常に遅く、2代で御家断絶となってしまった。こればっかりはしょうがないが。
  2. 天下統一後はハッキリ言ってボケ老人である。
    • 二度の朝鮮出兵、利休抹殺、秀次を一族郎党抹殺したうえに「殺生関白」の汚名を被せると、もうやりたい放題。そりゃ次の代で滅ぶわ。
    • 何もかも金ピカで飾るという足利義満のマネに走り、千利休からも失望される。
      • もっとも彼の親友である前田利家も同じようなことをやっていたのでヤンキー友を呼ぶとでも言うべきなのか…。
    • ストッパーである弟・秀長が先に逝ってしまったのがターニングポイントだったのだろうか…。
徳川家康
  1. 「恐れさせた男」があまりに多すぎる。
    • 何でもかんでもビビりまくるほど小心者だったからこそ、あれほど盤石な政権を建てたのも頷ける。
  2. 我慢強いくせに気が小さく、三方ヶ原の戦いでは「よっしゃ! 信玄の野郎ワシらに背向けよったがね! 今のうちに追撃だぎゃ!(方言間違ってたらごめんなさい)」と突撃してまんまと返り討ちに会い、ウンコを漏らすほど完敗する。
  3. 我慢強いイメージどおり非常にケチであり、「フンドシは黄色いものを使え、汚れても目立たないから何百回も洗濯できる」と言いつけていたほど。
  4. また秀吉に並ぶほど助平であり、青年期によそで愛人を囲いまくったために正室・築山殿から何度も叱責されている。
    • まあ子供がやたら多かったがために男は親藩・譜代に、女は外様大名に嫁がせ盤石な政権を作れたのは秀吉と真逆と言えるが。
山内一豊
  1. 嫁さんのオマケ。
    • というか、地元以外では嫁さんの逸話しか知られてない。『功名が辻』はよくやったよ。
  2. その地元では長宗我部派一層の為に「親睦を深めるために相撲大会を開きます」と言って一か所に集め、全員撃ち殺して黙らせたというひどい話が残っている。
    • 嫁さんの話は信憑性がないが、こっちは史実と確定している。最近は慰霊祭も行われた。
  3. その後も長宗我部一派は差別されまくり、一豊の死後は上士下士の制度が幕末まで残り悲惨なことに…。
毛利輝元
  1. 凡人すぎる…。
    • 優秀な祖父や叔父たち、人望高かった父と異なり、突出した才が無く極めて地味。「毛利輝元のやった最大の偉業は、関ヶ原の戦いで何もしなかったこと」とか言われるくらい。
    • 足利義昭という負債を抱え、秀吉には散々にやられて朝鮮出兵で全体の4割もの将兵をねん出され、関ヶ原の戦いでは「何もしなかった」が故に処刑は免れるがド田舎に転封、せっかく建てた広島城は分捕られ、後継ぎ騒動は勃発し…。
織田信雄
  1. 信長の次男で、スケート選手・織田信成のご先祖様なのだが…。
  2. 非常に素行に問題があり、「うつけ」な所しか受け継がなかったなどと言われる。
    • 「攻めるな」と言われたのに、領地欲しさに伊賀を強襲。石を投げれば忍者に当たるような戦闘国家・伊賀に無策で突っ込み、大敗。
      • あまりにぼろ負けしたので「親子の縁切ってやる」と書状に残すほどキレた父ちゃん信長が総攻撃し、伊賀が一時期壊滅状態に陥る。その後家康の庇護下に入るが。
    • 本能寺の変で父と兄が死ぬと、勝手に安土城に火をつけて焼いてしまう
    • そのせいで信長の後継者を決める清須会議でも誰も推薦せず、尾張一国を渡され大人しくしているように言われる。
    • 賤ケ岳の戦いでは秀吉に乗せられ、まんまと異母弟・神戸信孝を敗死させてしまう。
    • が、その秀吉から冷遇されたことに怒り(立て直した安土城から追い出された)、家康と結託して小牧・長久手の戦いを起こすが…。
      • 途中で面倒になって家康に無断で秀吉と講和。これには家康もポカーンであった。
    • こうして秀吉の手下に成り下がり、三河への転居を命じられるも、「俺の故郷だから」と言い張ったため改易を喰らう。天下人の息子がこの扱い…。
    • その後、家康のおかげでなんとか大名に戻る。この恩義を感じてか、大阪の陣では西軍方でありながら最後は東軍に寝返り、5万石を得た。
  3. あまりに「うつけ」だったため、周囲からは「三介殿のなさる事」と呼ばれ呆れられていた。
森長可
  1. キング・オブ・殺人狂
    • 初陣で27個の首を挙げたのを皮切りに、数々の戦で武勲を立てまくった。
      • 森家の当主なのに自ら槍を振り回して単騎で突撃し、慌てて部下たちが追いかけていくという、戦国時代なのに三国志みたいな合戦を行っていた。
    • が、民間人の虐殺も率先して行っており、非常に評判が悪い。
      • 「人質を無事に国境で解放する」と言っておいて、解放した直後に全員殺す、なんて序の口。
      • 武芸一辺倒ではなく卑怯な手も平気で使う策謀家であり、清州会議後は神戸信孝(信長の3男)を利用するだけ利用した挙句、旗色が悪くなるや否や寝返っている。
    • カッとなったら味方でも平気で殺してしまうため、小牧・長久手の戦いで戦死したら味方からも泣いて喜ばれた。
      • ちなみにこの鬼を倒したのは井伊直政と水野勝成という、長可に勝るとも劣らないざんねんなコンビである。
  2. 何より恐ろしいのはあの超短気な信長に、1度も怒られたことが無いと言う事である。弟のコネとはいえ…。
    • ある日、橋を渡っていた長可は、織田の門番から「ここは通行禁止です」と言われ、その場で殺してしまった。当然家臣団は激怒したが、信長は「橋で勝ったんだから、お前武蔵坊弁慶みたいだな! よしお前は武蔵守を名乗れ」と一笑に付したという。
  3. 塩の専売を「腐らないから内地でやれ」と命じるなど意外と合理的な思考を持つのだが、晩年にはすっかり政治がめんどくさくなってしまい、遺言書に「万が一にもワシが死んだら、城に火をつけて死ぬように」という恐るべき内容を書き記している。
石田三成
  1. 非常に戦が弱い。
    • 官僚タイプだったので実際の「戦術」は下手で、ほぼ負け通しであった。
  2. 真面目一徹タイプ故に人望が無さすぎる。(当時珍しく側室がいなかったことでも知られる。子供は6人いたが)
    • 「家康を討つぞ」と大谷吉継に漏らしたら、「お前が総大将じゃ誰もついてこねえよ」と即突っぱねられて、仕方なしに毛利輝元に総大将を依頼したくらい、その人望の無さは周知の事実であった。
  3. なお全くの余談であるが、後述の水戸光圀公は「石田三成は主の為に心を尽くした憎めない奴だ、武士はかくあるべきだ」と褒め称えている。
    • その光圀の従兄である三大将軍家光は…(以下家光の項目に続く)
福島正則
  1. 大酒飲みだが非常に酒癖が悪かった。
    • 酔った勢いで部下に切腹を命じ、翌日「おい、アイツはどうした」と聞いたら「死にました」と言われ、生首に縋りついて泣いた。
    • 母里太兵衛に「酒に酔ったら黒田武士は何もできん」と挑発して盃を勧め、怒った太兵衛と飲み比べをした。しかも敗北し、日本三名槍の一つ「日本号」を奪われる。かの有名な黒田節の由来である。
  2. 戦場では怖いもの知らずだったが、カミさんが物凄く怖く、浮気がばれて薙刀を振り回したため背中を見せて逃げ出した。
  3. 台風が直撃してボロボロになった城の修理を幕府に届け出るのを忘れたため、これ幸いと旧豊臣派の一掃を図る二代将軍・秀忠にあっさり改易を命じられてしまった。
細川忠興
  1. 当時の歴史書で「戦国で一番気が短い殿」と断言されてしまうくらい、とてつもなく短気。彼に比べれば信長など「相撲大好きおじさん」でしかないくらい。
    • あまりに気が短すぎて、自分の剣の兼定に「オレ、この剣で36人斬ったから歌仙兼定って名前にするわ」と言い出す始末。しかもこの36人は全部部下
      • 上記は創作らしいが30人近く殺したのは史実なんだと。
        • そんな性格なのに八十三歳まで生きた。ストレスを発散しまくったから?
  2. 降伏した相手も完全無抵抗でも皆殺しにする。あんまり殺し過ぎるので光秀(後述)から「降伏する者をやたらめったら殺しちゃダメなんだよ」とやんわり断り書きの手紙が来るくらい殺す。
    • こんな性格のせいで、自分の妹婿を躊躇なく討ち取らせたため、妹がマジギレして顔に短剣で切りかかり、死ぬまで顔に傷が残った。武士なんだから避けろよ。
  3. 妻は明智光秀の娘・玉。とても美人であったが、忠興は独占欲も強かったため、色目を使った(と勘違いして)庭師を妻の眼前で首チョンパしている。
    • 玉はそれでも動じず「鬼のような殿には、蛇のような心の私がお似合いでしょう」と冷淡に言ったという。
      • その後、光秀は本能寺の変を起こし玉は謹慎となり、細川家に戻った時には忠興は妾を抱えていた。そんなんだから玉はキリスト教に帰依して「細川ガラシャ」に名を変えちゃうんだよ。
  4. こんな性格だから豊臣の学級委員長こと石田三成と反りが合うわけもなく、三成の書いた記録に「なんで俺、忠興公にここまで嫌われなあかんねん」と記されている始末。そんでもって、関ヶ原前哨戦で三成は細川屋敷を真っ先に狙い、その結果ガラシャは主の元に召される。
  5. 要はヤンデレ。
伊達政宗
  1. 古くから「もっと早く生まれていれば天下取りにも絡めていただろう」という見解が多い。
    • 実際には外交の天才ながら戦にはあまり強くなかったのでかえって埋もれた可能性もあり。
  2. 敵軍を味方ごと後ろから鉄砲隊で蜂の巣にして白を切る、馬を煽り運転して「前田利家様のお使いです」と言われ血相を変えて謝罪する、貴重な文化財を欲しいと言われ真っ二つにして片割れを渡すなど、ざんねんな逸話には事欠かない。
    • ちなみに上記細川忠興も文化財に関しては政宗と一緒に悪乗りしていた。政宗はともかく忠興、お前は当時日本最高峰のインテリだっただろうが。
  3. 直江兼続にシカトされキレたところ、猛烈な嫌味で切り返された。
    • 「後ろ姿しか存じあげなかったもので……」→負けて逃げ回ってばっかりのところしか見たことが無い
淀殿
  1. 浅井三姉妹の長女で太閤秀吉の側室。
    • 当時としては男よりも高い165㎝もの長身を持つ絶世の美女として知られている。
  2. しかし「織田一族の短気な所だけを受け継いだ」と言われるくらい気性が荒く空気が読めない。
    • もう少し大局的な見地を有していれば、豊臣家は滅亡せずに済んだかもしれない。
  3. ちなみに息子・秀頼には大野治長や石田三成の隠し子という説もある。その位秀吉に似てなかったらしい。
島津忠恒
  1. 薩摩藩初代藩主。島津義弘の息子で本名は家久(徳川家康の「家」の字を拝領した)だが、紛らわしいことに義弘の弟にも家久という人物がいるのでこちらで表記する。
  2. 通称「DQN四天王・南の忠恒」。親父同様に気が強く、朝鮮出兵では10倍もの兵力をひっくり返した「薩摩隼人」だったのだが、あまりに気が強すぎた。
  3. 性格が極めて苛烈かつ陰湿であり、気に入らない部下はすぐ殺してしまう。
    • 前掲の朝鮮戦争の時も、部下が朝鮮側に寝返ったほど人望が無かった。
  4. 正室・亀寿(いとこ同士であり、父は義弘の兄・義久)をことあるごとにブスと罵り続けており、子が出来なかった腹いせに、叔父にして義父の義久が死んだ途端に速攻で城から追い出し、当てつけのように側室を8人囲い、×××××しまくって子供を作っては政略結婚のダシにした。
    • この時亀寿のシンパを一族郎党虐殺した。
  5. 朝鮮のみならず琉球でも侵略を重ねたため、後々まで島津の繁栄を築いたと同時に数百年にもわたる憎悪を買うことになる。
  6. ただ、こんなんでも(法律で殉死が禁止されてたのに)9人も殉死者が出たので、必要最低限の人望はあったのだろう。文化的には優れていた人のようで、「錦江湾」の名も忠恒の歌に因むという。
小早川秀秋
  1. 言うまでもない
  2. しかし関ヶ原以前から非常に問題がある人物として知られていた。
    • 秀吉の正室・ねね(北政所)の甥というだけでバカボンボンまっしぐらな少年期をおくり、元服前からねねに金をせびって酒色に溺れていた。
      • それでも足りなかったのか、友人からも金を借りまくっていた。
      • また片倉重長の美男ぶりに惚れ熱烈に付きまとっていたなど、醜聞が絶えない。
    • 朝鮮出兵ではっちゃけすぎたため、石田三成から疎まれて石高が1/2の越前に左遷。
      • その後、筑前に転封となり石高が4倍にまで膨れ上がるが…。
  3. 知っての通り関ヶ原での裏切りの後、たった2年後に亡くなっている。享年わずか21歳。
    • その死因も「急性アルコール中毒」「大谷刑部の祟り」「裏切った罪悪感によるノイローゼ」「農民と喧嘩したら金玉を蹴られてショック死」など、どれもこれもろくな説が挙がっていない。
宮本武蔵
  1. 1000人に一人の異相と言われるほど、顔が怖かったとされる。しかもムサシは6尺(180㎝以上)もあり、恐れられていた。
    • おまけに大の風呂ギライで、メチャクチャ臭かったらしい。
    • 無敵、無敗と名高いが、実の所本当に強い人とは戦いを避け……いやなんでもありません。
      • イメージ通り卑劣、よく言えば策士だったことは事実なようで、一説によれば巌流島の戦いでは合図と同時に弟子と一緒に襲い掛かって小次郎を倒したという話もあるとか。
  2. 最後の戦いとして天草四郎の島原の乱に出撃したが、投石が膝に当たって敗走。なんと、生涯初の敗北が生涯最後の敗北となった。
  3. ちなみに武蔵の著作「五輪書」にも偽書説が出ている。
  4. 彼をメインにした大河ドラマは非常にざんねんな出来だった。序盤のあるシーンが「七人の侍」に似てると言われ黒澤プロ側から提訴され、そのときは棄却されたものの・・・
    • 「芸術的な完成度が全然違うから」という理由だった。さらに「『武蔵』には『七人の侍』のような高邁な人間的テーマや高い芸術的要素はうかがえない」とまで言われてしまった。
    • 同作は21世紀の大河ドラマで唯一ソフト化も再放送もされておらず、2016年に開催された大河人気投票では0票で最下位に…。
薄田兼相
  1. 「誰コイツ?」と言っている読者も、「狒々退治の岩見重太郎」と言えば1割くらいは伝わるかもしれない。
    • 小早川隆景の剣術指南役だった父が部下に裏切られて殺され、流浪の果てに剣の腕を極め、仇討ちを成し遂げたということで有名な豪傑で、今でも彼の名をした柔術が残っているのほど猛者なのだが、ざんねんながら脳の出来が力に追い付いていなかった
  2. 大坂冬の陣では5000石の食い扶持を持つ大名として大坂方についたが、戦の最中に遊郭で飲み過ぎてその間に砦を落とされる。今川義元ですらそこまで慢心してはいなかったぞ!
    • あまりのふがいなさに、「見掛け倒しで中身は食えない(役に立たない)」ということで「橙武者」という仇名で呼ばれてしまう。
  3. 夏の陣においては霧でウロウロしている内に豪傑・後藤又兵衛を討ち取られてしまい、「あの後藤又兵衛を討ち取ったぞー!」とテンションが限界突破していた伊達・水野連合軍の総攻撃を受けて絶命した。
    • もっとも、この際に何人もの東軍兵をあの世の道連れにしており、(個人の武勇が)「強い」という最大の長所だけは発揮したまま華々しい最期を遂げられただけマシか。

江戸時代

後水尾天皇
  1. 花山天皇とタメ張れるくらいのスケベ。
    • お忍びで遊郭へ遊びに行ったり、宮中に遊女を招き入れて×××××を繰り広げた。
    • 色んな女に30余人の子を産ませる。
      • 56歳で出家後もお盛んで、58歳の時に識仁親王(後の霊元天皇)を産ませた。
        • この霊元天皇も父親譲りのスケベ。
    • 徳川秀忠の末娘・和子が中宮として入内することが確定してたが、大坂の陣やらで入内が延期になってしまい、その間に典侍・四辻与津子に手を出して子供を2人孕ませてしまった。
      • 幕府側が与津子ら関係者を内裏から追放処分したので、それに激怒して退位してやろうとしたら藤堂高虎に恫喝されて辞められなかった。これが「およつ御寮人事件」。
    • 幕府が禁中並公家諸法度を制定したのは、このように風紀乱れ切った朝廷を見かねてのことだった。
  2. 大の父親嫌いだった。
    • 父・後陽成天皇は、徳川家康の意向で後水尾天皇へ譲位したことを納得しておらず、自分に対して冷たい態度で接してきたのをずっと恨んでいた。
      • 父が崩御した時は、陽成天皇から採って「後陽成」と追号し、自分は陽成天皇の父である清和天皇の別名「水尾」から採った「後水尾」を遺諡にする。
        • つまり、わざと父子逆の追号をするという、歴史に残る嫌がらせをやってのけたのである。
松倉勝家
  1. 史上最低の大名と名高い。最大にして最後の農民反乱・島原の乱の諸悪の根源である。
  2. ハッキリ言って「ざんねん」というか「ざんん」な歴史上の人物であった。
    • 前年度比250%という誰がどう考えても無茶な徴税を行い、年貢だけでは足りないため「死亡税」「窓税」などありとあらゆることに税金を課した。
    • 勿論そんなにたくさん税を払えるわけもなく、勝家は農民に苛烈な拷問・処刑を繰り返した。
      • 更にキリシタンに対しては蓑踊り(蓑を被せ火を点ける)などの処刑で弾圧した。
  3. その結果、天草四郎をはじめとする農民や国衆の怒りを買い、島原の乱が勃発。
  4. 幕府も九州のみならず日本中の兵力を集めて鎮圧する大騒ぎになったため、「どうしてこうなった」と追及した結果、勝家が苛烈な年貢の取り立てを行っていたのが主因と判明。探ってみたら出るわ出るわ、屋敷からまで刑死者の遺骸が出た
  5. これを知った家光(後述)は綱紀粛正のため、松倉家を改易。そして切腹すら認めぬ斬首刑に処した。江戸時代260年以上の歴史の中で、唯一斬首された大名となってしまったのである。
徳川家光
  1. 当時の男色は珍しくもなかったが、家光はあまりにも男好きすぎて、世継ぎが出来そうにないからという理由で大奥が作られる。
    • 後述の柳生十兵衛も家光の衆道相手だったとする説がある。
    • 大奥から家光の枕元に女性を送る際に、わざわざ男装させ、男性名の通称を設定していた時期がある。
      • ちなみに、最初の妻は石田三成の曾孫。なんとも奇縁である。
    • そこまで筋金入りの同性愛者になったのは後天的な理由との説もある。母親(お江の方)との関係が悪すぎて極端な女性恐怖症になった、というもの。
  2. 歴史上の知名度はあるが、だいたいの偉業は親父の秀忠と、優秀な部下(知恵伊豆、土井利勝、柳生親子他)がやってくれたおかげであり、このオッサン自体は大したことをやってない。
柳生十兵衛
  1. とにかくひどすぎる酒癖。親父の親友である沢庵和尚から「君は酒だけは注意してくれ」と言われる始末。
    • 謹慎の原因も酔って暴れたから、家光を殴ったからという説があるくらい。
徳川光圀
  1. 若い頃の職業は『人間のクズ』でだいたいあっている。
    • 昼間から酒を飲んで女を侍らせ、夜は辻斬りまで行っている。信長が可愛く見えるレベル。
  2. その後、司馬遷の『史記』を読んで感動して猛勉強を始め(実に日本人の好きなパターンである)、藩主の座を継いでからは改革に乗り出した。
    • のはいいのだが、その結果として民にはメチャクチャ重税を敷いていた。
      • 水戸藩挙げての大事業である『大日本史』編纂作業に予算をつぎ込んだため。光圀以降、明治になってようやく完成するまで、代々の藩主のライフワークとなっていった。
  3. 将軍・綱吉の生類憐みの令に対し犬の毛皮を送り付けるという実に元ヤンらしい仕返しを行っている。
  4. ドラマでは悪者を懲らしめているが、史実では地元でめちゃくちゃ高い税を取っていた。
  5. かなりの食道楽で、(当時の価値観的には)ゲテモノ食いでもあった。「初めて〇〇を食べた日本人」に彼が名を残しているものが複数ある。
小林一茶
  1. 農家の長男として生まれたが、継母(相当性格が悪かったらしい)や腹違いの弟とあまりに仲が悪すぎて、父の死後、家を巡って13年にもわたってバトルを繰り広げた。
  2. 52歳(当時からすれば老人である)で結婚するまで童貞であったが、非常に性豪であったため、毎日×××××の回数を日記につけている。しかも年間1000回を超えるレベルで。
    • 妻の夭折の原因も×××××による過労と言われている。
    • 童貞をこじらせるとヤバイことになるという事実を後世に残した人。
水野忠邦
  1. 虎の尾でダンスダンスレボリューションした男。
    • 過去に松平定信がやって失敗した緊縮財政を、何を勘違いしたんだかもっと強烈にするという愚行に走る。
  2. 前に改革を行った3人と違って水野忠邦は本当に誰からも好かれなかったというのだから、いかに天保の改革が悲惨であったかがよくわかる。
    • あまりに嫌われすぎて、失脚後に家が焼き討ちに遭っている。
  3. そもそも己の幕政参画の野心のために領地替え関連で贈賄しまくった末に家老が抗議の切腹をしたり、以後の禍根を残しまくっている。
鳥居耀蔵
  1. 上記水野忠邦の腰巾着。通称「妖怪」「蝮の耀蔵」。
  2. 極度の石頭であり、幕府軍の西洋式訓練に徹底反発。蛮社の獄を引き起こしている。
    • 邪魔する奴は権力にものを言わせて左遷の嵐。かの「遠山の金さん」こと遠山金四郎も、天保の改革の行き過ぎた言論統制に文句を言ったせいで、鳥居にトばされてしまった。
    • しかも風呂や便所に筆硯を持ち込むほどの勤勉さであった。何でこういう奴に限ってサボり癖が無いのだろうか。
  3. ところが忠邦が上知令を出すと、幕臣の腹積もりを伺い、手のひらを反して忠邦を糾弾する。
    • 政敵のドンである老中・土井利位に密かに国家機密を横流しし、忠邦を失脚に追い込み、自分は元の権力の座を固持。
  4. しかし、江戸城の失火の責を取らされて利位は辞任。「他にいないので、心底ざんねんだが再び水野忠邦を大老とする」と12代将軍・家慶が命じたことにより、忠邦から恨まれて職を解かれる。
  5. 私怨義憤に燃える忠邦に訴追された結果、全財産没収の末に丸亀藩に軟禁状態にされる。
    • その際には丸亀藩士たちから恨まれまくり、1年間一言も口をきいてもらえなかったり、私物をパクられたりした。どんだけ嫌われてたんだ…。
    • 勿論市民の味方である遠山の金さんを冷遇したため、江戸の人々達からも嫌われていた。というか、好かれたという資料がほとんど残ってない。
  6. なお明治維新の際には「ワシに任せなかったから、日本はこうなったのだ」と言っていたという。なって良かったとしか言いようがない。
  7. こんな奴だが後のテレビドラマでは名優・岸田森が演じた(しかもかなりのハマリ役)。また時代劇TRPG『天下繚乱』では史実と全く異なるキャラクターになっている。どうなってんだか。

幕末~明治時代

西郷隆盛
  1. 知っての通り巨漢であるが、あまりに太り過ぎて「あんた、このままだと死ぬよ」と医者に本気で言われるほど太っていた。
    • 仕方がないからダイエットを始めた。この時に犬を連れて野山を走っていたので、上野西郷像は犬を連れ浴衣を着ている。
      • しかし、食事制限に失敗し激しい下痢にさいなまれ、一時期は一日50回もトイレダッシュしていた。
  2. フィラリアに罹ったため×××××がとても巨大化していた。
    • 西南戦争で首実検を行った際
      兵卒「太って身なりの良いホトケがありました!」
      将軍「西郷どんとは限らんでゴワス」
      兵卒「で…ですがものすごく×××××がデカいんです!」
      将軍「逝ったでゴワスか西郷どん…」
      という会話があったというウソかホントかわからん伝説もある。
    • ×××××を丸出しにしながら周辺の毛を火であぶり、「薩摩の焼き芋」と台詞を決める一発芸をやったことがある。
  3. 鷹揚な性格のイメージを持たれやすいが、実は人に対する好き嫌いの差が激しかったらしい。
  4. 写真を撮られることが大嫌いで、それがために明治天皇に抗命したことがある。
勝海舟
  1. 幼い頃に犬に金玉を咬まれて生死の境を彷徨い、死ぬまで犬がトラウマだった。
  2. イケメンだったのでモテたようで妾がたくさんおり、しかも子供を全部家で育てていた。その結果、正室・民子は死に瀕した時「た…頼みます! 海舟の…夫の墓に…入れないでぇ~~!!!」と言い残して死んだという。
  3. 彼を主人公とした大河ドラマはトラブルが頻発した。
土方歳三
  1. 写真からもわかる通りイケメンであったが、とにかく自信過剰。
    • 新選組は女にモテた奴が多かったが土方はその中でも1番と言っていいくらいモテた。モテすぎて、現代で言えば中坊の時に奉公先の女に手を出してクビになるくらいモテた。
      • 「京都では私は若い婦人にモテモテで、国の為に働くことを忘れてしまいそうだ(意訳)」という手紙(ホレられた女の名前を全部書いている)を地元に送っている始末。
    • 刺繍や俳句もたしなんでいるが……要は中学二年生レベルである。(隊内からも不評だったらしい)
  2. 局中法度を作って部下の自律を促したが、あまりに厳しくし過ぎて切腹・暗殺だらけに。これが原因で優秀なブレーンだった山南総助や、弟分だった藤堂平助、有能な経理だった河合耆三郎などを失っている。谷三十郎? あいつはまあ別にいいや…。
    • 最終的に新選組は戦死者よりも隊士に殺された奴の方が多いという破綻する組織の典型例のような惨状を招いた。
坂本龍馬
  1. 明治になるまで生き延びていたら経済面でどれほど活躍していたことか…。
  2. 友人の武市半平太の家でしょっちゅう立ちションをしており、あまりにいつも立ちションをするので武智夫人が半平太に注意するようにせがんだらしい。
    • ガキの頃は10歳になるまでオネショしていた話といい、なんでこうションベンに縁があるんだこの人は。
  3. 歴史上の超有名人だし、ドラマも何作も作られ「日本の夜明けぜよ」と言った人という事で知名度はあるが、実際、何をしたのかよくわかっていない。
    • 海運商社の海援隊を作って、薩摩と長州をくっつけて、裏貿易をしていたということまでは分かるが、直接戦争にも政治にも参加していたわけではない。
  4. 日本史上初の海難審判の当事者になった際、現在の貨幣価値に換算し約137億4400万円を紀州藩から詐欺った。
    • 但しこの金は龍馬に渡る前に本人が死亡しており、どこに資金が消えたのかは大きなミステリーになっている。
      • 現場である福山市鞆の浦の観光ガイド原稿では「岩崎弥太郎横領説」を示唆している。
岡田以蔵
  1. 幕末四大人斬りの一人。前掲の龍馬の幼馴染で、結社「土佐勤王党」の最古参メンバーの一人。
  2. 土佐藩は極めて身分制度が激しく、岡田家は最下層の足軽出身だったため学も無く剣しかすがるものが無かった。
    • 勿論我流だったので、親分の武市半平太にはかなわなかったという(土佐にいた頃の話)。
  3. とにかく自分に自信が無さ過ぎたため、一回はずみで人を斬ったのを誉められたのをいいことに、「武市がウザいって言った奴を斬れば人気者になれる」と勘違いして暗殺に手を貸しまくった。
    • 勿論武市もそれを止めるどころか推奨した。そういう時代だったのだ。
  4. …が、ここで調子に乗って酒と女に溺れたせいで捕まってしまい、拷問にかけられ、物凄くあっさり仲間を売ってしまった。結果的に、一番土佐勤王党で働いたのに、その土佐勤王党にトドメを刺した張本人に成り下がってしまった。
    • 漫画『竜馬がゆく』とか大河ドラマ『龍馬伝』では激しい拷問に耐え…みたいな描写だが、あれは創作である。
    • あまりに簡単に口を割ってしまったので、武市からは「日本一の泣き味噌である」と嘆かれた。
      • しまいには毒殺用のまんじゅうまで送る計画が出た(未遂)。『龍馬伝』では楽に死ねるように、という解釈だったが、どう考えても怒りか呆れで送り付けてるよなあ…。
  5. 死に際に反省したのか「武市先生によろしゅう」と言ったそうだが、武市からは「お前のせいだろがい!」と最後まで許してもらえなかった。
高杉晋作
  1. 金の扱いがルーズすぎる。
    • どうも公金とポケットマネーの違いが全く分からなかったらしく、藩の許可を得ずに4万両もの金をはたいて戦艦を購入している。
    • 藩命で「上海に行ってこい」と命令が下った時には、長崎でお小遣いを使い果たしたうえ、芸者を見受けまでした。んでもって、金が足りなくなったので、その芸者を売った(さすがに同意は貰ったうえである)金で上海に向かった。
伊藤博文
  1. 日本国初代内閣総理大臣であるがスケベすぎる。
    • 掃いて捨てるほど女がいたので「箒」という仇名を持つ。
      • 留学時代にもイギリスで女遊びしすぎて金を速攻で使い果たした。
      • 広島銘菓「もみじ饅頭」は茶屋の娘の手を掴んで「このように赤く可愛い手を食べてみたい」と言ったことからできたらしい。
      • 40度の高熱に魘されているときでも枕元に芸者を2人も呼んでいた。
    • 遂には明治天皇直々に「もう少し女遊びを控えなさい」と言われた始末。こんな人はおそらく世界で彼だけであろう。
    • 愛人にした女性の最年少者は13歳である。
  2. 今の首相官邸は、伊藤が女遊びで金をはたき過ぎて家を追い出されたためにわざわざ新しく作った住まいが元となっている。
    • 伊藤は女以外には割と適当にしか贅沢しなかったので、使用人は奉公先が伊藤家だと決まった途端に「きつく言われずに済む!」と大喜びしていたらしい。
  3. ちなみにアダルトゲーム『School Days』の主人公・伊藤誠は博文から苗字が取られている。つまりはそういうことである。
  4. 初代総理大臣の座を争った三条実美に最終的に競り勝てた理由は、三条に語学力が欠けていたことだけ。それ以外の要素はどれも不利だった。
黒田清隆
  1. 第2代内閣総理大臣。在任中に大日本帝国憲法が発布されたことで有名。
  2. しかし超がつくほどの酒乱。
    • おまけに怪力の持ち主で、一度酔ったら周囲を破壊してしまうこともあったらしい。
    • 北海道開拓長官だったころ、酔った勢いで大砲を撃ち、うっかり民間人を爆殺した
      • 遺族は「俺も金を払うから、黒田を爆殺させろ」と泣いて悔しがったらしい。当たり前である。
    • 奥さんが病気で突然死した時も、「ああ、黒田さんなら(酔った勢いで)殺りかねんな」とか誤解されたらしい。どんだけだよ。
  3. 酔っていなくてもかなり苛烈な性格だったようで、大隈重信からは「あいつはいつも拳銃を隠し持ってるし、気に入らない奴にはすぐケンカを売る物騒な奴だった」と暴露されている。
  4. ちなみに榎本武揚は黒田のことを「コイツは福島正則に知恵を足した奴だ」と評している。黒田と黒田節をかけたシャレかもしれないが、要はそういう人であった。
三浦啓之助
  1. 学者・佐久間象山の隠し子。
  2. 象山が河上彦斎に討たれたため、その仇を討つべく新選組に入ったのだが…。
  3. 新選組では親の威光を振りかざして威張り散らすばかりで、ドラ息子丸出しだった。
    • 剣技が劣ることを同僚からバカにされた際には、土方と沖田が囲碁を打っているのを見物している所を闇討ちにしようとした始末であり、逆上した沖田から面罵された挙句に畳に顔面をぶつけて鼻に傷を作った。
    • おまけに仕送りの金をばらまいて郎党を手名付けており、沖田からは恨まれていたらしい。
  4. そして「隊を脱するを許さず」の禁を破って逃げ出し、故郷の松代で地元のDQNとつるんだ挙句「俺は新選組だぞぉ」と言いふらしていた
  5. その後、無銭飲食がばれて逮捕され、西郷隆盛のとりなしで出所し慶應義塾に入ることになるが、ここでも素行が悪すぎて退学。
  6. 呆れた勝海舟のコネで裁判官として就職するが、酔った勢いで人力車夫を殴って左遷。
  7. 左遷先で結婚し一児を設けるも、34歳の若さで食中毒で死ぬという、死ぬまでざんねんな一生であった。

大正時代~太平洋戦争

牟田口廉也
  1. 大日本帝国陸軍の軍人で、「史上最低の作戦」の代名詞である「インパール作戦」の立案者。
    • 当時、イギリス領であったインドを攻めるのに、ビルマ方面から物資輸送もままならないジャングルを超えて、インドの都市インパールを攻めようという作戦。
    • 約9万人近い兵を動員して、飢餓やマラリア、英国からの攻撃により、7~8割が死傷するという有様だった。
    • 「もしベタなダメ上司・上官キャラの法則が現実に存在したら」を体現したような人物である。
  2. インパール作戦で前線で戦う兵士が食料も物資も無い最中で、後方にいる作戦立案者の牟田口は料亭で酒と女を連日喰らっていたという。
  3. 物資を運ぶのに「自動車が無ければ牛に牽かせればいいじゃないか。食料にもなるし」とジンギスカン作戦を思いつくが、当の牛は足が遅くてイギリス軍の恰好の的になり、泳げないので河を渡ろうとして流される有様だった。
  4. 物資が無くなって作戦継続が不可能となっても牟田口は撤退させず「武器が無いのなら腕がある、腕が無くなれば足で蹴ればよい、足も無くなれば口で噛みつけ、それが大和魂というものだ」と取り合わず。自身の無策を棚に上げて、精神論で片付けようとした。
  5. 前線指揮官の一人である佐藤陸軍中将は、物資食糧が尽きて補給が無く伝染病が蔓延し全滅不可避となった余りの惨状から、死刑になるのを覚悟して独断で撤退を決定する。
    • 司令部に補給要請を何度も送るも、いつまで経っても物資を送ってこない上に、牟田口からは「作戦を継続しろ」の一点張り。
      • 決死の撤退戦を行った佐藤中将は、ボロボロになりながらも後方司令部にたどり着くやいなや「牟田口はどこに行った!今すぐ叩っ切ってやる!!」と怒号をあげる。
        • 佐藤中将の剣幕をみて、恐れた牟田口は顔を合わせないようにとどこかに隠れていた模様。
    • 佐藤中将が勝手に撤退したことに対し、牟田口は「気合と根性が足りないからだ!」「ジャングルなんだから食料になる草くらい生えているだろ!」と佐藤中将を罵倒する。
      • 牟田口は、飢餓と病で苦しむ兵を集め、訓戒と称して佐藤中将の悪口を長々としゃべるが、栄養失調で気力を失っている兵は訓戒中に次々に倒れていった。
  6. インパール作戦の失敗に多少は責任を感じて部下に「自刃して陛下にお詫びしたいのだが」と問いかけるも、部下は「一応、私の役割だから上官が自刃すると聞いて止めないわけにもいかないが、古今東西、人に死ぬと告げて実際に死んだ人間はいません。閣下が少しでも責任を感じ、本当に自刃する意思があるのならば、誰にも告げず自刃してください。」とバッサリ返される。
    • 戦後も生きながらえ続けている通り、そういわれても自決なんてしなかった。
  7. 戦後「インパール作戦の失敗は、自分のせいでなく、部下が無能だったためだ」と喧伝し、一切反省はしなかったという。
  8. 余談であるがゲーム『パワプロクンポケット2』の裏サクセスで無能な参謀長「任月高志」が登場するが、そのモデルは牟田口であり、やっていることがほぼ全部牟田口の逸話そのまんまである。

関連項目