もし手塚治虫が長生きしていたら
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- 同時多発テロ、イラク戦争や北朝鮮の核実験に反対する風刺漫画を書いていた。
- いや、彼らにちょっとだけ同情する漫画を描いて、米国や日本への皮肉を込めていたと思う。
- 戦争や核兵器等に関する表現で、一部の文化人やネットユーザーから叩かれていたかもしれない。
- ネット右翼から一方的に不俱戴天の敵呼ばわりされていたおそれがある。
- 今思えば、ネット全盛期の時代が来る前に人生を終えたのも神の配慮なのかもしれない。
- ブラックジャックの医療関係描写に東大医学部の学生がいちゃもん付けた事例から思うに、訳知り顔で文句を付ける素人にはかなり厳しい態度を取る。下手をすると、公式ブログやtwitterでとんでもないレスバトルを起こしかねなかっただろう。
- 芸能・文化関係の人が政治的主張をすることに対し馬鹿みたいに不寛容と化した日本社会は、相当生きづらい環境になったかもしれない。
- 芸能・文化関係の人が政治的主張をすることに対する徹底的な不寛容さは、昔から変わっていないと思う。
- 火の鳥、鉄腕アトムは勿論完結していた。
- 『火の鳥』は年に単行本一冊くらいのペースでまだ続いていると思います。
- 90年代半ばごろに『現代編』で無事完結していた。
- 『鉄腕アトム』は平成アニメ版開始の時に再開されるが未完で終わると思います。
- 『ネオ・ファウスト』や『ルードウィヒ・B』もしっかり完結していた。
- 『グリンゴ』も同様。
- 『前世紀星』・『ガラスの城の記録』も掲載誌を移して連載再開されていた。
- 『火の鳥』は年に単行本一冊くらいのペースでまだ続いていると思います。
- 森内閣の時に国民栄誉賞をもらっていた、いや無理やりもらわされた。
- 今日まで生きていたら、間違いなく文化勲章も授与されていたはず。
- 紫綬褒章も貰っていたかも。
- 90年頃に紫綬褒章、95年頃に文化功労者、2003年満75歳で文化勲章、そして2019年、ボブディランに続く異例としてノーベル文学賞を…。
- 漫画家として初めて日本芸術院会員に選ばれていた。
- 第1部(美術)として選ばれるのか、第2部(文芸)として選ばれるのか、選定の際少しもめるかもしれない。
- コミケでどきつい18禁同人誌を売り出す
- 『ふたりエッチ』に触発されて頑張りすぎる。
- そして黒歴史として封印される。
- 『ふたりエッチ』に触発されて頑張りすぎる。
- ブラックジャックの18巻は本人による修正をへて発売された。
- 『ジャングル大帝』に差別表現があるとされて問題になった際も、本人による修正版が発売された。
- 手塚治虫全集はリメイクされて全450巻になっていたかもしれない(少なくともブラックジャックは26巻が出る)。いやあの人なら50巻分くらい描きかねない。
- 『ドン・ドラキュラ』のドン・ドラキュラ伯爵のフルネームも初登場時の物か2回目以降に使われたもののどちらかに統一されたか、双方を統合したものになっていた。
- 小室哲哉の最大の理解者として公私共に相談相手となり、彼が逮捕されることもなかったかもしれない。おそらく創作者としての彼の苦悩を最も理解できた人物の一人であったろうから。
- 逆に彼自身が逮捕・・・・とまではいかなくても、その種のトラブルに巻き込まれていた可能性はある。
- 田中圭一は手塚風エロが書けなくなるので、石ノ森風エロが中心に。
- ロボット産業のデザイナーやアドバイザーとして名を連ねている(大阪府出身だけに関西の企業や企画には特に)。
- 24時間テレビのスペシャルアニメもしばらくは製作され続けていた。
- '90年(史実でのアニメ放送最後の年)はアンパンマンではなく手塚作品だった。
- 21世紀以降は「ブラック・ジャック」のスペシャル版になっていたかも。
- 自分の事例を引き合いに出し、この会社に「他国の同業者に真似される事はむしろ誇りだよ」と言っていた。
- 母校での事件をきっかけに、「子どもたちを守れ!」という運動に参加していた。
- ポルノ的描写はすべて廃棄していたか、逆に「写真や絵で満足できない○○コンが実在の子どもを襲う」という主張をしていたか・・・・・・
- どちらにしても児童ポルノ規制法関連には大きく影響力を与えていただろう。
- ポルノ的描写はすべて廃棄していたか、逆に「写真や絵で満足できない○○コンが実在の子どもを襲う」という主張をしていたか・・・・・・
- 阪神・淡路大震災に関しては何らかのコメントを出していた。
- 関空のマスコットも勿論この人が・・・・・
- 林原めぐみや水樹奈々等の声優がパーソナリティーを務めるアニラジにゲストに呼ばれていた。
- これが現実化する。
- 「ダウンタウンDX」にも出演し、大ボケ発言した際に浜田から「治虫!」とよく突っ込まれる。
- トキワ荘繋がりで、石ノ森章太郎の葬儀に参列し、弔辞を述べていた。
- ネット選挙が解禁された2013年、日本共産党の選挙広報用ウェブページのイメージイラストを執筆する。
- 24時間テレビのチャリティーオークションに自作の絵画か原画を出品。
- 2003・2005年の阪神タイガース優勝を心から喜んでいた。
- お祝いのコメントを寄せたり、自筆のイラストを書いたりしていただろう。
- 万が一にも日本シリーズが阪神vs西武になったりしたらどっちを応援していたんだろう?
- 果たして宝塚市に「手塚治虫記念館」はできていたのだろうか?
- 漫画家デビュー50周年の1996年か、遅くとも生誕100周年となる2028年には出来そうだけどね。
- 史実の手塚治虫は生前には自らの生年を1926年と自称していたから2026年の可能性も。
- もしできていたら当然オープニングのテープカットにも招待されていた。
- できていなかった場合、阪急宝塚駅の発車メロディーが鉄腕アトムのテーマになることはなかった。
- 阪急宝塚線のラッピング車両も存在しなかったかもしれない。
- もし仮に現実通り走るとしたらデビュー時に何かしらコメントを求められていただろうし、出発式に参加したかもしれない。
- 史実で1994年に宝塚歌劇団が上演した「ブラックジャック」と「火の鳥」の公演を観劇していたかもしれない。
- 漫画家デビュー50周年の1996年か、遅くとも生誕100周年となる2028年には出来そうだけどね。
- 1993年、『鉄腕アトム』の作中でアトムが通っていた「お茶の水小学校」と同名の小学校が現実に開校した際に、何らかのコメントを出していた。
- さらにアトムの生年月日である2003年4月7日にもマスコミの前で何かしらコメントを残していたかも。
- 富野監督に対して散々ツッコミを入れてたかもしれない。
- 『トイレのピエタ』の作品化は実現していた。
- RADWIMPSが関わるかどうかは不明だが。
- 『PLUTO』や『ヤングブラックジャック』や『アトム・ザ・ビギニング』にはシナリオを寄稿していた(もう8~90歳くらいだろうし…)。
- 一部のアニメに対してもTwitterやFaceBookでネタにしていた。
- たぶん『侵略!イカ娘』や『けものフレンズ』は絶賛していた(笑)。
- しかしその場合、後者の例の事件の際には落胆していたかも。
- 『テラフォーマーズ』に関しては「ゴキブリが攻めてくるなら僕ならこうするね!」などとノリノリでツッコミを入れていた。
- 手塚先生が萌えアニメを絶賛するかなぁ。むしろこの手のアニメや漫画を批判していたんじゃないか?
- 少なくとも『まんがタイムきらら』系の作品を批判していたかもしれない。批判するなら「日常の風景を延々と描くだけでは漫画にならない」という感じか。
- きらら系の他にも『みなみけ』や『のんのんびより』も批判していたかも。
- 『東方Project』も批判していた?
- アニメ版カービィを気に入りそう。漫画・アニメの枠組みで「よくよく考えるとドぎつい社会風刺を織り込む」のはまさに手塚氏の十八番だったし。
- たぶん『侵略!イカ娘』や『けものフレンズ』は絶賛していた(笑)。
- 2014年のセンター試験の日本史の問題の題材にならなかったかもしれない。
- まだ、子供向けの伝記の題材にされることもないはず。
- ライ〇〇キング盗作疑惑について、自らがリスペクトしているデ〇〇ニーを批判するマスコミや大衆に一喝入れていた。