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==国内==
※編集される方は「[[Chakuwiki:お願い/ざんねんなモノ事典]]」をご覧ください。
===共通===
*「選手」とありますが監督としてざんねんだった方も含みます。
;多扉車
*登録名(基本的にはファミリーネーム)の五十音順で。
#ラッシュ時の切り札だったが、今やホームドア化の障害になっている。
==あか行==
#*京王6000系に至っては4ドア化までしたが、結局(ry
;ホアン・アイケルバーガー
#1989年の春季キャンプでテストを受け、ヤクルトスワローズに入団。
#しかし開幕2戦目の巨人戦(東京ドーム)でノーアウト満塁から内角高めへのボールを暴投しサヨナラ負け、敗戦投手に。
#*しかもその暴投を「捕れないキャッチャー(秦真司)が悪い」と逆ギレ。
#その後も成績は振るわず5月20日に球団史上最短で解雇。
#当時の関根潤三監督は後にラジオで「名前がおもしろくて獲ったんだよね、なんて言ったっけ?開幕で暴投してすぐいなくなっちゃった…」と発言していた。


;テッド・ウィリアムズ
===国鉄・JR===
#2019年シーズン終了時点でMLB最後の4割打者だが引退試合では普通通りにプレイしただけでファンの不興を買った。
;スライドバンボディシステム
#全盛期に第2次大戦と朝鮮戦争で出征していたため5年ほど選手生活を棒に振っている。
#コンテナを荷役機械なしでトラックから貨車に積み替えるシステム。トラックが来ないと荷下ろしできないという欠点があった。
#*さらにレッドソックスが「バンビーノの呪い」に苦しんでいた時期のためワールドチャンピオンになれなかった。
#死去後には遺体を冷凍保存してほしいという遺言を残していたが息子(賛成派)と娘(反対派)が裁判で争った末中途半端な結果に。
#*首から上だけ冷凍保存され残りは火葬という一体何のためだか分からないことになってしまった。


;ブライアン・ウォーレン
;キロハ18
#台湾リーグでの活躍が評価され、1999年6月にロッテに入団。河本育之の故障のため抑え投手として活躍し、1999年には最優秀救援投手のタイトルを獲得。
#一般型気動車で唯一新製した優等車。需要が限られすぎて早々と荷物車に改造されてしまった。
#しかし不正投球疑惑が少なくとも3回あり、西武から不正投球疑惑を受けた翌日の試合終了直後に西武ベンチに向かって'''中指'''を突き立てるポーズを行い、後日パシフィック・リーグから「今度同じ行為をしたら追放処分もあり得る」と厳重注意処分を受けた。
#*この日は不正投球疑惑の影響で審判がボール交換チェックを4度に亘って行っており、それに苛立った末の行為だった。


;タイ・カッブ
;キハ40系
#ピート・ローズ以前のメジャーリーグ通算最多安打記録保持者で首位打者を12回獲得するなどの記録を保持しているが、ヤジに腹を立て観客に暴力を奮い出場停止になったり人種差別でベーブ・ルースと同室を拒否するなどのエピソードで悪評も有名。
#大柄で頑丈な車体とは裏腹にエンジンが非力すぎた。
#*JR化後に高出力エンジンに取り替えた車両もある。
#*その頑丈な車体故に現場では厚遇されており、登場から40年経っても今尚主力形式である。


;バルビーノ・ガルベス
;50系客車
#1996年に来日し巨人に入団。初年度から16勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得。また、打者としても10本のホームラン(うち2本は満塁ホームラン)を放つなど90年代後半の巨人を支えた外人投手。
#当時近代化が進んでいたにもかかわらず、労組の圧力により機関車けん引の客車列車を存続させるためだけに1977年から大量投入された。
#しかし非常に気性が激しく、また相手チームから機動力で揺さぶられると途端に焦って自滅するという欠点があった。
#*奇しくも上記のキハ40系列と同い年である。
#*特に気性の荒さが裏目に出たのは1998年7月の阪神戦。この時は自身の不調と判定への不服からいらだちが高まっており、ピッチャー交代を宣言されて下がる途中に審判のいたところでボールを投げつけるという行為に及んでしまう。
#国鉄時代は使用されていたが、分割民営化されるととたんに行き場を失った。
#**その結果乱闘に発展してしまい、ガルベスは1998年の残りシーズンすべての出場停止という処分になってしまった。
#*客車の耐用年数は20年だが、あまりにも使い勝手が悪かったので10年程度で留置→廃車が定番のパターンだった。
#巨人時代に、牛乳のCMに出演していたことがある。
#国鉄分割民営化後に一番輝いていた運用は、津軽海峡線快速海峡。
#*しかし、上記のことから「カルシウムが足りていないのは、ガルベス本人」ということが露見する羽目に。
#**そもそもCM出演自体96年に中日戦で乱闘事件を起こしたのがきっかけとも。


;マーク・キャリオン
;EF58
#珍しい左投右打の選手として1997年にロッテに入団。
#61号機はロイヤルエンジンと評されるほどの名車であるが、口の悪いファンからはゴキブリ呼ばわりされていた。
#*1年目はまずまず活躍(.279 14 77)したが…。
#体調不良で練習を早退したにも関わらずチームバスの中で本を読んだり、試合を無断欠場して自宅で卓球に興じるなど、下のホール程ではないが素行が良くなかった。
#1998年のスポーツ報知の選手名鑑では「チーム一のやる気のなさ」とまで書かれてしまった。
#*その1998年はフリオ・フランコの入団に刺激されたか、序盤から結果を残すも腰痛のため結局60試合の出場に終わり、同年オフに任意引退。


;マイク・グリーンウェル
;クモハ84形
#当時不振にあえぐ阪神タイガースが状況打破のために電鉄本社の金庫から取り出したと言われている3億円で契約したレッドソックスの超大物メジャーリーガー。
#国鉄分割民営化後にJR西日本で生まれた、JR史上最初で最後の旧型国電形式。
#*当初はこの年西武からFA宣言した清原選手を取るための資金だったとか。
#契約後は破格の待遇で迎えた。例えば1部屋150万円の高級マンションの壁を取り払って2部屋分に拡張したり(300万円+工事費)、甲子園の電光掲示板をグリーンウェルと表示できるよう改良した。
#1997年2月から始まったキャンプには同行したもののわずか10日で牧場と遊園地の経営のために離脱してしまう。さらにキャンプ中に痛めた腰の治療に入りオープン戦どころかシーズン開始まで戻ってこなかった。
#ようやく4月30日に戻り、その後5月の広島3連戦では5安打5打点の活躍を見せ、多くの阪神ファンが「バースの再来だ!」と大いに期待した。しかし・・・。
#その後の2試合では精彩を欠き、日本での6試合目になった巨人戦の第4打席にて自打球を足に直撃させてしまう。その後どうにか1試合出場するも自打球を受けたことで骨折が発覚。
#結局日本では7試合しか出場できず引退。その際の「野球を辞めろという神のお告げ」という迷言は有名である。
#*その後年俸の4割を返上し、また、契約金の全額返還を申し出たが当時のオーナーに「正直ないい人だ」と言われ返還はなくなったと後に語っている。
#なお外野手を担当していたが肩が弱く当時在籍していた久慈選手からは「外野からの送球がチェンジアップだ」と言われていた。
#一度中日と契約寸前までいっていたが、大リーグの事情に詳しい人から「あいつは日本に来てゴルフがしたいだけだからやめとけ」と言われ見送ったというエピソードがある。


;ロベルト・クレメンテ
;103系1000番代
#パイレーツで長く活躍し3000本安打を記録した名選手だが1972年の大晦日に航空事故で命を落とした。
#千代田線乗り入れ用として登場したが、その発熱量の多さに営団地下鉄からのクレームで撤退に追い込まれた。
#*故郷ニカラグアで大地震が発生したため救援物資を届けようとし自らも救援機で向かう途中の悲劇だった。
#*「鉄板焼き電車」と揶揄されたほど。
#**安いレシプロ機(DC-7)に目一杯物資を詰め込んだのも災いしたのだろうか…。
#1500番台も故障の多さに福岡市営地下鉄からのクレームで撤退に追い込まれている。
#**もちろん救援物資がニカラグアの被災者に届くこともなかった。
#*こいつだけワンマン運転できなかった。


;スティーブ・コックス
;JR西日本に転属した113系
#2002年のオフ、この年貧打に悩まされて最下位に終わった横浜ベイスターズの山下大輔新監督は、左の強打者の獲得を希望。
#先頭車化改造で国鉄時代に見せなかった一面を見せてくれる。
#*当初はヤクルトを退団したペタジーニの獲得に動いていたが失敗したため、代わりにこのコックスを獲得した。
#**年俸は約3億円の3年契約(但し3年目は横浜側が選択権を持つオプション契約)だったが…。
#キャンプの中盤で故障離脱。5月中旬に漸く一軍に昇格したがすぐに故障が再発。
#その間に年俸5000万円で入団したタイロン・ウッズの活躍もあり、「中途半端な状態で置くと現場が起用法に困る」と判断され、シーズン終了後に解雇。
#横浜は全く戦力にならなかったコックスに対し、2年目の年俸・オプション破棄の違約金も合わせて、総額で7億円以上を支払う羽目になってしまった。
#*当時横浜の球団社長だった峰岸進はコックスの退団時に「授業料にしては高すぎた」とコメントしている。


;ブルックス・コンラッド
;119系
#2012年、退団したブラゼルの後枠として当時の中村GMが推薦し、入団した。
#登場時は旧国を駆逐する存在だったため、身勝手な鉄ヲタに帯を剥がされるなどのイタズラを受けた。
#*その際、中村GMがビデオを2分間だけ見て即決したという噂がある。後に海外スカウトに無断で獲得に走っていたという事実が発覚した。
#オープン戦では二本の本塁打を放つなど活躍し、どこでも守れるユーティリティープレイヤーであることからファンからは「バースの再来」として大いに期待された。
#開幕3連戦(対ヤクルト)では4安打を放つなど好調な滑り出しを見せた。しかし、以降は58打席連続無打点と低迷。守備面でもエラーを多発するなど散々な成績で4月20日に登録抹消。
#その後交流戦のときに一軍に再登録されるも7打数5三振という惨憺たる結果になり、チームの補強も相まって再び登録抹消。その後は一軍に復帰することなく9月24日に帰国、退団した。
#結果本塁打どころか打点も0という阪神助っ人外人史上最大級のハズレであった。あまりのひどさに、次の助っ人は1打点でも上げれば当たりと言われる羽目に。
#*また、併殺打の多さからコンバットのCMフレーズ「一度で二度効くコンバット」に準え「一打で二度死ぬコンラッド」と揶揄された。


==さた行==
;123系
;ルー・ジャクソン
#国鉄最後の新形式である。
#サンケイ(現ヤクルト)で俊足強肩の外野手として活躍しオールスターにも出場したがとにかく偏食だった。
#*しかし郵便車などを改造した魔改造車。
#*米もパンも野菜もほとんど食べなかった代わりに主食が焼き鳥だったといってもよい状態。
#*さらに大酒飲みで女遊びも好んでいたという。
#最終的に不摂生がたたり69年のオープン戦の打席で倒れそのまま死去。


;バール・スノー
;157系
#1974年に貿易会社の社員として日本へ渡ったついでに日本ハムの入団テストを受け、3月26日付けで入団。
#登場時は非冷房だったため、下降窓を採用したが、雨水が侵入して腐食が進行し、保守に手を焼いた。以来、205系が登場するまでは下降窓の採用に消極的になったとか。
#ところが一ヶ月後、初月給支給と翌日の二軍での登板を告げられた日に突如失踪。
#*4月30日に日本ハムの首脳部はパ・リーグに契約の解除を申請。
#結局5月9日付けでパ・リーグ初(国内では1971年の阪神・高山忠克以来2例目)の無期限失格選手に指名されてしまった。


;レイ・チャップマン
;JR西日本183系
#死球を受けたことで本当に命を失ってしまったMLB史上唯一の選手。
#特急「雷鳥」用485系から交流電化区間運転設備を113系に譲り渡した残り。
#*当時娘を身ごもっていた妻も鬱病に苦しみ8年後に自殺。
#北近畿方面で気動車急行を電車特急に大量に置き換えた。
#犠打の名手やムードメーカーとして人気もあった選手だったが今や存在そのものが忘れ去られかけている。
#*所属していたインディアンスでは永久欠番扱い(背番号制度誕生前の選手のため)にもなっていない。
#*記念の銘版も忘れ去られ保管庫の片隅に長く置き去りにされていたという。


;チョ・ソンミン(趙成珉)
;185系
#韓国のアマチュア球界で活躍し、1996年に読売ジャイアンツへ異例の8年契約で入団。
#自称特急型車両。
#1997年後半から徐々に頭角を現し、1998年は先発に転向。
#*正体は大阪鉄道管理局で新快速として運転していた117系に特急ヘッドマークをつけお情け程度にデッキを付けただけの実質快速型車両である。
#*開幕からローテーションの一角に入り、前半戦だけで7勝(うち3完封)を挙げ監督推薦でオールスターゲームに出場。
#**サイコガンダムならぬサイコ新快速。
#**ところがそのオールスターで右肘を負傷し、後半戦は一軍で登板できずシーズンを終えた。
#特急「踊り子」や各種新特急として使用されたが、他の線区になかなか進出できない。
#***この右肘の故障の原因は、オールスターで当時の横浜の監督だった権藤博に「肘が痛いので交代したい」と日本語で申し出たが、権藤が「こいつ何言ってるんだ」としらを切り通したと、2005年のインタビューでチョ本人が語っている。
#*いつまでも東海道線に居座っているので、ここ10年くらいJR東日本東海道線の旅客列車で最古の車両の座についている。
#それ以降は右肘の手術やリハビリなどで大きな活躍が出来なくなり、2002年に契約を1年残して巨人を退団。
#*その後はメジャーへの進出断念・シュークリームのフランチャイズ事業失敗・KBOのドラフトから落選・妻との離婚など苦しみ続けた。
#2005年からは韓国で解説者として再び野球に携わっていたが、5月にハンファ・イーグルスと契約を交わし3年ぶりに現役復帰。
#*3年プレーしたが、2007年にハンファを戦力外に。
#その後は解説者・大学のインストラクター・コーチなどを務めたが…。
#2013年1月6日にソウルのマンションで交際女性の家で首を吊っている状態で発見され、後に警察により自殺と断定された。


;ウィリー・デービス
;207系9000番台
#MLB時代にはゴールドグラブ賞を3回獲得し、オールスターゲームにも2回出場した名選手。
#地下鉄千代田線用直通用に造られた先行車。
#1977年に中日ドラゴンズに入団。
#*しかし大量導入されることなく1編成のみの導入となった。
#*全盛期を過ぎてはいたがメジャーの実力を大いに発揮、5月14日のナゴヤ球場での読売ジャイアンツ戦では西本聖からランニング満塁本塁打を放った。
#207系という称号をほぼJR西日本に取られた。
#しかしチームメイトや首脳陣と頻繁にトラブルを起こすなど素行に問題があり、8月、外野フライを追った際にフェンスに激突して左手首を骨折。
#*戦線離脱した後、低迷していたチームが好調になったこともあり、シーズン終了後、中日はデービスが在籍することによるマイナス面が大きすぎるとして放出を決定、クラウンライターライオンズに金銭トレードで移籍した。
#クラウンに移籍した翌年も活躍したが、中日時代と同様の素行不良に悩まされ1年で退団。
#実は[[創価学会]]の会員で、来日した理由も「創価学会の発祥の地である日本でなら、きっと居心地よく暮らすことができるに違いない」という意見があったほど。
#引退後の1996年に、カリフォルニア州に住む両親に対して日本刀や手裏剣で脅して現金を要求したとして逮捕されてしまった。


;リチャード・デービス
;301系
#1984年のシーズン途中に近鉄に入団。1985年には打率.343・40本塁打・109打点と大活躍するも、1988年に大麻不法所持で逮捕。
#地下鉄東西線直通用に、国鉄で初めてアルミを使った車両。
#*後の調査によると、デービスはメジャーリーグ在籍時から大麻を吸引しており、日本でも来日以来丸4年常用し続けていた事が判明。
#*しかし当時財政難だった国鉄の出費は相当なものだったらしく、いくつか導入した後で鋼鉄製の103系の増備に変更した。
#**主砲を失った近鉄が急遽中日から獲得したのが、ラルフ・ブライアント。
#1986年6月13日の西武戦で東尾修から死球を受けたことに激怒し、東尾を殴打。
#*この試合が当時のパ・リーグの試合としては珍しく全国中継されていたことも影響したのか、デービスは10日間の出場停止処分となってしまった。
#因みに、当時コロコロコミックに連載されていた「かっとばせ!キヨハラくん」では、「ちょっとおっかない外人」と巻末に書かれていた。


;デーブ・ニルソン(ディンゴ)
;キハ120形
#1999年にオーストラリア出身の選手として、初めてMLBのオールスターゲームに出場。
#登場時はトイレがなく、しかも駅にトイレのないローカル線で運用されたため、{{あきまへん}}した利用客がいて新聞に取り上げられるほど問題になり、トイレ設置に追い込まれた。
#2000年にシドニーオリンピック出場を条件として中日に入団したが、日本の投手に対応できず極度の打撃不振(打率.180、ホームラン1本)に陥り、二軍落ち。
#同世代のタイプが置き換えられる中、ここは会社の都合で延命させられている。
#*8月に1軍に再昇格するも、その直後の巨人戦で工藤公康のスローカーブの前にあっさりと見逃し三振を喫した事で、星野監督にも「これではあかん」と突き放されてしまい、数日後に退団。
#JR東日本キハ100系、まだバリバリだけど?
#二軍に落ちても真面目に練習をこなし、期待に応えられなかった事に関して球団の幹部に謝罪をするなど、人格は良かった。
#その直後のシドニーオリンピックでは黒木知宏(ロッテ)から本塁打を放ち、その4年後のアテネオリンピックでも活躍。


;ゲーリー・トマソン
;キハ130形
#MLB4球団を渡り歩き、ヤンキース時代に優勝も経験。1981年に巨人に入団したが…。
#投入先が大誤算だった。日高本線でなければ塩害で寿命を縮めることもなかった。
#*入団1年目は打率.261、本塁打20を残すも、三振は132と当時の球団記録を更新してしまい、「舶来扇風機」などと揶揄された。
#*その軽量車体故に寿命を縮めた。
#*2年目は47試合出場にとどまり、当時の藤田元司監督と対立し解雇。
#*その後、無用の長物を意味する単語として「トマソン」が使われるようになってしまった。
#**もはや[[モーニング娘。ファン#飯田圭織ファン|飯田圭織]]の「ジョンソン(デイビー・ジョンソンが元ネタ)」並みに由来が薄くなっている。


;ブライアン・トラックスラー
;213系5000番代
#1994年に当時のダイエーホークスに所属していた選手。身長170センチで体重120キロというかなり太った体形をしており、ファンからはコロコロちゃんと呼ばれていた。
#転換クロスシートを採用するも登場時はトイレがなく、2ドアだったので扱いづらい存在だった。
#*しかし体形の割に守備の動きは良く、またパワーヒッターでありながらバットコントロールにも長けており、機動力を除けば攻守のバランスの良い名助っ人だった。
#*後に飯田線に拾われるとともにトイレ設置。
#**またファンサービスも怠らず、彼をモチーフにした博多人形が当時のダイエーの選手のなかで売上1位を記録、オールスターにも選ばれるなど人気は高かった。
#しかしシーズン後半になると凡打が増え、成績が降下。結局1年限りでチームを解雇されることに。
#*というもの当時のダイエーの海外事業部が彼の前半戦の活躍に目を付けホームランに出来高払いを付けるという裏契約を持ち掛けられたことでホームランに固執し結果的に巧打が鳴りを潜めたというものだった。
#性格がよくファン人気も高く、前半戦だけなら大活躍していた彼がなぜざんねんだったのか、それは彼の巨体の原因にある。
#*というのも彼は異常なまでのビアジャンキーだったということ。1回の晩酌で1ダース分のビールは当たり前のように飲み干すというレベルだった。
#流石にチーム側もこれは問題視しており、減量とビール節制が命じられ、開幕戦のときには100キロまで減量した。しかし・・・
#*前半戦の好調ぶりから勝手にビールを解禁したがためにあっという間にリバウンドしてしまった。
#その後2004年に、アルコールを過剰摂取したために急性肝硬変になってしまい、37歳の若さで亡くなってしまった。


==なは行==
;2600系
;ランディ・バース
#空気ばね式車体傾斜装置を採用したが、土讃線の線形には対応できなかった。
#1983年~1988年間に阪神に在籍。1985年に三冠王、1986年にNPB記録である打率.389を記録、阪神どころかNPB史上最高の助っ人として今も語り継がれる名外国人選手。
#*いい実験台だ、有意義だ。
#*因みに苗字を正しく発音すると「バス」になるが、当時[[阪神バス]]が球団の親会社である阪神電鉄の直営事業だったこともあり、好調時に「阪神バス大爆発」、怪我をした時に「阪神バス故障」、不振時に「阪神バス急ブレーキ」などとマスコミに揶揄されるのを嫌った球団側の配慮で、敢えて音を延ばした「バース」という登録名になったそうな…。
#しかし、1987年からは徐々に成績が降下、1988年には難病に罹った長男の医療費の支払いをめぐって球団と対立しシーズン途中に解雇されてしまう。
#*退団後の7月19日には当時の球団代表が自殺、さらにシーズン後にバースとともに黄金期を支えた掛布が引退するなど悪いことが一気に重なり、暗黒時代へと突き進むことになる。
#退団の経緯とその後の流れは非常にざんねんである、だが、本当にざんねんだったのは、'''阪神ファンがその後バースのような名助っ人が阪神を救ってくれるという幻想を抱くことになってしまったことだろう。'''
#阪神にはその後も数多くの助っ人外人が入団。そのたびに「バースの再来」であることを願われ、そして結果を出せずに去っていった。(もちろんちゃんと活躍した選手もいるけど・・・)


;バッキー・ハリス
;E233系7000番台
#戦前に名古屋軍(現中日)やイーグルス(のち大和軍→消滅)で活躍した選手だが日米関係の悪化により帰国を強いられた。
#[[埼京線]]に導入された新型車両だが、導入当初に車両LCD破壊、つり革盗難、車番ステッカー盗難が多発。今ではこそは警備を厳しくして、改善されたが…。
#*帰国の日に他の選手に向けて書いた手紙には「カナシクテ、カナシクテ、サヨナラガイヘマセン」と記されていたという。
#*それもあってか相鉄JR直通線用増備車では全車に監視カメラが付いたぞ。
#*日本語を学びその語学力を生かしたささやき戦術を駆使するなどユニークな選手だっただけにもっと日本で活躍してほしかった。
#*晩年に日本を再訪できたのがせめてもの救い。


;フランク・ハワード
;キハ125形
#メジャー通算1774安打、382本塁打という当時の来日外国人として最高成績を持ち、鳴り物入りで太平洋クラブライオンズに入団したが、膝の怪我のため開幕戦1試合出場したのみで帰国。
#車体が小型過ぎて大量投入には至らなかった。
#*その後大型のキハ220形に移行。それ以来、JR九州は小型車を異端視するようになり、中堅車のキハ31形ですら廃車にした。


;マーティ・ブラウン
;200系新幹線
#広島東洋カープ2人目の外国人監督だった (1992年~1994年に広島に在籍) が、その後楽天での監督時代も含めて5年間で12回も退場処分を受けている。
#1992年の山形新幹線開業により400系新幹線と増結するようになったが、連結器カバーが開く姿がエイリアンみたい…
#*あえて退場させられるという芸風(芸じゃ無いけど)だったというのもある、ちゃんと退場処分喰らってから、裏でコーチにこの後どういう方針で行くかというのをきっちり指示してたとか。


;ファン(ホァン)・フランシスコ
;500系新幹線
#2015年、セペダとアンダーソンと亀井の不調に加え阿部が故障し離脱したことから巨人が緊急補強した外国人選手。来日前はブルージェイズの準レギュラーでメジャー通算48本塁打を放っていた。
#山陽新幹線で300km/h運転を行うために開発された車両。新大阪~博多間を300系と比べて15分も縮めた凄い車両。
#二軍戦で結果を出したことで、5月2日に一軍に昇格、最初の試合では藤浪から決勝打となるタイムリーをあげたが、その後は鳴かず飛ばず。
#*本当は320km/h運転したかったらしいが、ブレーキ力が足りずに立ち消えとなった。
#さらに5月4日の広島戦ではインフィールドフライを落球、三塁ランナーにタッチすべきところホームベースを踏んでしまう。それが元で巨人は広島にサヨナラ負けを喫してしまった。
#JR東海から目の敵にされる。
#*三振続きのうえ拙守を連発するなど攻守のお粗末ぶりを見せてしまい、原監督は「フランシスコ?野球選手じゃないでしょ。野球選手になってからじゃないと話にならない」と痛烈にダメ出しした。
#*座席数は確保したが、300系新幹線と座席配置が異なったり運転台の後ろに旅客乗降口がない、シートピッチが1,020mmと20mm狭いのが気に食わなかったらしい。
#さらに彼の獲得を決めた巨人のGMが5月に解任されたということも起こった。元々素行不良でなおかつ故障の影響で衰えてたにも関わらずそれを把握せずにGMが獲得に踏み切ったことを考えると致し方なしか。
#**なおその後JR東海が導入したN700系の先頭車のシートピッチは1,023mmである。3mm広ければ良かったらしい。
#*なお一連の出来事は「フランシスコ事件」と言われている。
#2007年からのN700系の導入の際には、300系新幹線より先に500系新幹線が追い出された。
#その後二軍に降格するも「練習をさぼる」「コーチの指示を無視する」「同僚をいじめる」「球団の女性職員をナンパ」など傍若無人な態度を取っていた。
#*いまではひっそり山陽新幹線の「こだま」として活躍している。
#結果的に一軍に復帰することなく2015シーズン終了とともに解雇された。
#このことが教訓となり、700系以降は新幹線用車両はJR東海とJR西日本が共同開発することとなった。
#*しかしJR西日本は在来線でいろいろな事故を起こしたため、今では実質JR東海が新型車両を開発している。


;ジョー・ペピトーン
;新幹線E4系電車
#メジャーリーグで218本塁打を放った優秀なスラッガーだったのだが……。
#デビュー当初は輸送力を重視し、E1系に続く全車ダブルデッカーとなったが、現在JR東日本の新幹線は高速運転に注力するようになり、最高速度が低い (時速240キロ) E4系は2020年度までに引退することとなった。
#あまりにも素行が悪すぎた。練習はまともにやらず、いきなり離婚裁判を理由に無断帰国。復帰したと思ったらアキレス腱を痛めて欠場、したと思いきやディスコで踊っていた。
#翌年も今で言う2年契約を結んでいたためかクビにできなかったが、オープン戦が始まっても来ずしかも犬の空輸料金まで請求する有様。
#*さすがにヤクルトもキレたのか任意引退扱いにしてクビにしたが、その後ニューヨークタイムズに日本の事を事実無根かつボロカスに言い腐す。
#**このせいで日本国内に外国人選手排斥ムードが巻き起こり、ガチの日米問題を巻き起こしかねなかった。
#***代わりに入団したマニエルは、ペピトーンで失墜した信頼を回復するための人格者として送り込まれその役目を見事に果たした。
#帰国後もその素行の悪さがばれて野球ができず、その後はバツ3、逮捕歴少なくとも3回。


;ヨギ・ベラ
;E331系
#ヤンキースで付けていた背番号8が永久欠番になったほどの名選手だがそれ以上に数々の珍発言のイメージも強い。
#[[京葉線]]用として製造され、国鉄・JR通して旅客車としては初の連接台車が採用されたが、相次ぐ故障で<del>ニートレイン</del>運用離脱を繰り返し、わずか8年強で廃車になった。
#*「野球は9割がメンタル、残りの半分(the other half)はフィジカルだ」
#**合計すると180%になる。
#*「私は言ってきたことの全部を言ったわけではない」
#**「言ってきた「とされる」こと」のつもりだったのだろうか。
#*「現金を貰うっていうのはお金を貰う位にいいことだ」
#**日本にも進出している大手保険会社のCMでの発言。
#*「今まで遅れた中では一番早かったよ」
#**それでも遅刻したことに何の変わりもない。


;メル・ホール
;キハE200形
#MLB3球団で活躍し、1993年に2年連続最下位に低迷していた千葉ロッテマリーンズに推定年俸2億2000万円という破格の待遇で入団。
#量産先行車3両製造されているが、それ以降は増備には至っていない。
#この年のチーム四冠王(打率・本塁打・打点・盗塁)で、翌1994年も活躍したが、オフに就任したバレンタイン監督の構想から外れて退団、中日ドラゴンズに移籍した。
#*ただ派生形式は登場しているものの肝心の本形式の増備には至っていない。
#*当時の本拠地だったナゴヤ球場での本塁打量産が期待されたが、両膝の故障による不振のため1995年限りで退団。
#これだけなら優秀な助っ人外国人だが…素行に非常に問題があった。
#*自分が指名打者であることをいいことに、相手の攻撃のときはテレビゲームをやってゴロ寝を決め込み、それにキレたマックス・ベナブルに対して逆ギレし、乱闘になるもホール自身は全く反省していなかった。
#**後輩のミューレンを虐めまくり、当時の八木沢荘六監督に2度も叱られたが反省することはなかった。
#***中日移籍後も、3年連続首位打者をマークしたアロンゾ・パウエルに尊大な態度を取ったり、自身の使用するグラブを座布団代わりに尻に敷いていた等、全く素行は変わってなかった。
#****ミューレンもパウエルも人格者として名高いことを考えるとなおさらである。
#**因みにヤンキース時代には、あのバーニー・ウィリアムスをも虐めていたという噂も…。
#以下、関係者のコメント。
#*ミューレン「ホールは嫌な奴だった。二度と思い出したくない」
#*愛甲猛「史上最低の野球選手」
#*小宮山悟「こいつだけは許せないと思った」
#*山崎武司「自身が見てきた中で、一番ダメだった外国人選手」
#引退後の2007年に、バスケットボールのコーチを務めていた1998年~1999年当時の教え子である少女に対する猥褻行為により逮捕。
#*最終的には児童に対する3度の強姦罪と別の児童に対する2度の猥褻罪で有罪とされ、2009年に裁判で禁固45年の刑を命じられてしまった。


;バリー・ボンズ
;E351系
#ホームランのMLB記録を更新したスラッガーだったが、薬物疑惑が付きまとい、司法妨害罪と偽証罪で起訴されるまでに至った。
#JR東日本では初の振り子装置搭載車両だったが、揺れが多く中には酔う人もいたため、「失敗作」 と言われるようになった。
#人間性が残念。今でこそ多少丸くなったが現役時代は性格があんまりだった。
#2018年に引退後は全車両が解体された。


==ま行==
;E257系500番台
;ビル・マドロック
#房総地区の特急で使用されていた183系・189系を置き換えるために19編成製造されたが、特急が大幅に減らされた結果余剰車が出る羽目に。
#MLBで首位打者を4回獲得した名打者。1988年にロッテに入団したが…。
#一部は書類上幕張車両センター所属のまま豊田車両センター常駐となり、中央線の臨時列車に使用されることとなった。
#*入団時に37歳だったこともあり、打率.263・本塁打19・打点61という低調な成績に。
#**[[川崎球場]]の外壁には「マドロック立入禁止」という落書きがされていた。


;ジェフ・マント
;215系
#1996年に読売ジャイアンツへ入団。
#湘南ライナーの混雑緩和を目的としてオール二階建てで登場したが、ドア数のせいで乗降に時間がかかり、遅延の原因になることから湘南ライナー運用から撤退することとなった。
#*右の長距離砲として期待され、武上打撃コーチは「(本塁打を)70発は打つだろう」と評価したが、オープン戦で放った安打は僅か1安打…。
#*アクティーにも使用されていたがこれも撤退。
#ペナントレースが開幕してもヒット3本・打率1割台と成績は低迷。
#*その後はおはようライナーや臨時快速に使用されている。
#*二軍への降格も検討されたが、長嶋茂雄監督が「彼はテンプル大学出身だから、大丈夫でしょう」と擁護し起用を続ける。
#*この失敗が都政に活かされなかったことが悔やまれる。
#しかし成績は向上せず、当時の一軍の外国人選手枠との兼ね合いもあり4月23日に解雇。
#グリーン車以外全席ボックスシートなので乗り心地は最悪。
#帰国の際にナベツネが「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」と発言したのは有名。
#*座席のフレームは無駄にフランスから取り寄せたようだ。
#実は湘南ライナーは215系がいなくても、185系と251系だけで回せる。


;ホセ・マラベ
===私鉄===
#1998年に横浜ベイスターズへ入団。
;ワイドドア車
#*ライトのポジションを中根仁や佐伯貴弘と争い、キャンプ・オープン戦でもそれなりに結果を出し、開幕スタメンを勝ち取った。
#多扉車と同じく、ラッシュ時の切り札だったが、今や東京メトロ東西線でしか役割を果たしていない。
#阪神との開幕戦で5番・ライトで出場すると、いきなり3安打の猛打賞・ホームラン1本。翌日も3安打の猛打賞と首脳陣を驚かせたが…。
#小田急1000形のワイドドア車は、後の改造でドアが開く幅が狭くなった。
#*投手にクセを覚えられたのか、はたまた開幕戦の猛打は偶然だったのか、その後はパッタリと当たりが止まってしまった。
#*「振った所にボールが来ない」という意味不明な発言も残し、この年限りで戦力外通告を受けた。
#横浜退団後の2000年、韓国のヘテ・タイガースに入団したが…。
#*入国の際に「身辺保護」を理由に拳銃を所持していたため、金浦空港で逮捕されてしまった。
#*一応キャンプには参加したが、怪我もあって1試合も出場することなく、レギュラーシーズンの開幕前に解雇された。


;ロジャー・マリス
;定山渓鐡道2300形電車
#ベーブ・ルースの年間最多本塁打記録を破った選手として有名だがその際には全米から猛烈な嫌がらせを受けていた。
#東急7000系に似た外観を持つ車体とは裏腹に防寒の観点から固定窓を採用したため、夏場は気分が悪くなる乗客が続出し、ゲ○電と揶揄される始末だった。
#*フェンスぎりぎりの低いホームランが多くまた打率もルースより明らかに悪かったため。
#*吐気用の袋も用意されていた。
#*ヤンキースで二人合わせて「MM砲」と呼ばれたもう一人の強打者ミッキー・マントルよりも愛想が悪かったことも災いした。
#それゆえにどこも譲渡されなかった。
#大記録を達成しヤンキースで背番号が永久欠番になるほどの選手だったがとうとう野球殿堂入りは果たせなかった。
<!--#*「どこにも譲渡されなかった」の間違いだろ。-->


;ダン・ミセリ
;京王6000系電車
#1995年にピッツバーグ・パイレーツで21セーブを記録、1998年にはサンディエゴ・パドレスでは67試合に登板・10勝5敗とパドレスのワールドシリーズ進出に貢献。
#これまで京王の車両は引退後、他社に譲渡されることが多かったが、6000系は車体の長さが20メートルもあるのか、他社に譲渡されず大半が解体された。
#*2004年もリリーフ陣の一角として74試合に登板し、その年のオフに読売ジャイアンツに入団したが…。
#↓以下、全4試合の投球内容。
#4月1日の広島との開幕戦、1点リードの9回表に登板。
#*先頭のラロッカに同点ホームランを、続く前田智徳には内野安打を打たれ、前田の代走・福地寿樹には初球から盗塁をされ、緒方孝市に勝ち越しホームランを打たれ降板・敗戦投手に。
#続く4月5日の横浜戦、同点の12回裏に登板。
#*先頭の金城龍彦に二塁打を打たれ、佐伯貴弘敬遠後の代打・ウィットはなんとか三振に仕留めるが、続く多村仁にフェンス直撃のサヨナラタイムリーを打たれ、敗戦投手に。
#*因みにこの時のウィットとの対戦は、とてもプロ同士の対戦とは思えない低レベルな内容だった。
#4月7日の横浜戦、5点ビハインドの6回裏に登板。
#*先頭の種田仁にフォアボールを許し、更に決して足の速くない種田に盗塁され、次の金城はファーストゴロに打ち取ったが、佐伯にはタイムリーヒット、続く多村には2ランホームランを打たれ降板。
#4月10日の中日戦、10点ビハインドの9回表に敗戦処理で登板。
#*ここでは2安打を打たれるが、なんとか無失点で切り抜ける。
#この敗戦処理での登板にミセリは不満を顕わにし、更に右肩痛を訴え始める。
#*7日後の4月17日にミセリ本人・山本ヘッドコーチ・阿波野投手コーチとの3人で40分話し合ったが結局決裂。2日後の4月19日に球団史上最速で解雇された。
#*最終成績は4試合に登板して0勝2敗0セーブ、防御率は23.63という散々な成績に…。
#解雇当日、ミセリは東京ドームに姿を見せ、荷物を纏めた後に井原国際部長と別れの握手を交わし、妻子と共に浅草観光に出かけた。
#*浅草での報道陣のインタビューに対しては「俺はミセリじゃないから質問は受け付けない」と返り討ちにしたが、雷門をバックにした家族との3ショット写真を要求されると笑顔で応じた。
#**そのことはチームメイトから苦言を呈され、特に「他人の悪口を言うことを聞いたことが無い」ほどの人格者だったブライアン・シコースキーからも「クビになって観光なんてとんでもない。外国人の恥だ。」と断じられた。


;ケビン・ミッチェル
;小田急10000形
#トラックスラーに代わってダイエーに加入したメジャー選手。メジャー在籍時は220本塁打を記録しており、低迷を続けていたダイエーの救世主になるかと期待されていた。
#ハイデッカー構造がバリアフリー化の障害となり、7000形よりも先立たれてしまった。
#*実際開幕戦では満塁ホームランを放ち鮮烈なデビューを果たすなど、能力の高さはあった。しかし・・・。
#とにかくトラブルを起こす困ったちゃんだった。開幕戦後に彼は無断帰国。「サンディエゴで経営しているアパートと美容院が心配になった」という理由だった。
#*帰国後も「チームがこんな状態になっていたなんて知らなかった」と発言する始末。
#*ごく普通のマンションに住んでいたにも関わらずベランダでバーベキューをして住人が消防へ通報。注意されたものの「日本では週末にバーベキューも出来ないのか」と逆ギレしてしまう。
#**それらを含めて素行の悪さで球団と揉め事ばかり起こした結果8月に解雇されることに。しかし解雇後も年俸の全額支払いを求めて裁判を起こすなど最後の最後まで困ったちゃんぶりをみせた。
#月間ホークスに掲載されていた「FDH助っ人列伝」というコーナーにはダイエーの助っ人を鳴り物入り度・貢献度・その選手独自の評価があり、最後は必ず5点満点になっていた。
#*ミッチェルは鳴り物入り度が5、貢献度は3、そして最後の独自評価は'''「困ったちゃん度」'''であり、その点数は5点満点の枠を大きくはみ出す7点になっていた。
#実はメジャー時代から素行の悪さをみせており、'''「カップケーキで口を負傷」「まぶたが攣った」「くしゃみで肋骨にひびが入った」'''などの意味不明な理由で試合をサボったり、たびたび監督と乱闘になるなど問題行動の多い人物だった。
#*元阪神のランディー・バース氏は実力があるのに、どこも取らなかったのは、本人に無視できない問題があるから。彼がトラブルメーカーだったのはわかりきっていたはずだ」とのちに語っている。
#現役引退後にも1999年と2010年に二度暴行事件を起こして逮捕されるなど引退後も問題行為を起こしていた。


;ダレル・メイ
;小田急20000形電車 (RSE)
#1998年に阪神に入団した選手。
#ハイデッカー構造や、編成中ほどのダブルデッカー車がバリアフリーの障壁となり、上記の10000形と同じく2012年に引退した。
#*先発ローテーションに定着し安定したピッチングを見せたが、打線の援護が乏しく、2年間で僅か10勝に終わる。
#2014年に富士急行に譲渡された際は、短縮後の3両編成にダブルデッカー車が組み込まれなかった。これはダブルデッカー車の貫通扉が、片側は2階部分にしかないことも要因のひとつである (反対側は通常の高さに貫通扉がある) 。
#気性も荒く、1999年5月29日の巨人戦(東京ドーム)で松井秀喜にデッドボールを与え、普段死球を受けても感情を露わにしない松井を激怒させた。
#*これらはJR側の車両である371系にも同様のことが言える。まぁこっちは後年車椅子対応席が用意されたけど。
#*後に松井とは巨人でチームメイトとなり和解、さらにヤンキースでもチームメイトとなった。
#1999年7月18日の巨人戦(甲子園)では、判定に抗議して塁審の胸を突き、暴力行為で退場となってしまった。
#*この暴力行為で2週間の謹慎処分が下されたが、その謹慎期間中に恋人と歯の治療を兼ねたグアム旅行に行っていたことが発覚。当時の阪神監督・野村克也と対立してしまった。
#帰国後、メイは報道陣に対して「野村監督は勝てば自分の手柄、負ければ選手の責任にする」と野村を痛烈に批判したコメントを配布。
#*結局球団から罰金1200万円と無期限謹慎処分を言い渡され、失意のまま帰国。
#ところが、この年3年連続で優勝を逃し、左ピッチャーの補強を進めていた巨人からオファーを受け、12月17日に巨人へ移籍。
#*メイは入団に際して、「野村監督との事はもう終わった事。あとはマウンドで答えを出すだけ」とコメントしたが…。
#翌2000年6月7日の阪神戦(東京ドーム)で、元チームメイトの和田豊が3回続けて打席を外した際、和田に危険球を投げて問題になった。
#*退場処分にはならなかったが、10日間の出場停止と罰金が科せられた。
#**その日のインタビューでメイは、インタビュアーの「あの危険球は元同僚の和田を狙ったものか」という質問に対し「To Him(彼を狙った)」と答えた。


;ケビン・メンチ
;小田急30000形電車 (EXE)
#2009年に阪神に入団した選手。俊足・強肩・強打の揃った外野手であり、レンジャーズ時代は7試合連続で本塁打を放つなど実績を見せ、また奉仕活動に参加するなど人格者であった。
#観光輸送のみならずビジネス利用も考慮された仕様だったが、1996年のグッドデザイン賞は受賞したのに対して小田急ロマンスカーで初めてブルーリボン賞を逃してしまった (ローレル賞も受賞せず) 。
#キャンプに合流してからも評判は上々、サンケイスポーツは毎週のように活躍を取り上げたことで、ファンからは「バースの再来」と期待させた。
#しかしオープン戦に入った途端に化けの皮がはがれた。元々故障があって劣化していたのもあり、140キロの球に手が出ず、変化球にも全く対応できず。
#*シーズンに入ってもその弱点は解消されず打率.148・0本塁打・2打点という散々な成績だった。
#**お陰でファンからは「レオナルド・ダ・メンチ」やミドルネームにフォードが付いていたことから「廃車」と呼ばれる始末。
#結局二軍に落ちてしまい、結局途中加入したブラゼルが活躍したことも手伝い1年でチームを去ることに。
#*しかし人格者だったのは確かであり、二軍でも腐らずに練習し試合でも活躍していた。人間性では阪神の歴代助っ人のなかではトップクラスと言われている。
#なお、キャンプ時の活躍ぶりは「メンチコピペ」として今も某板を中心に改変ネタが使われている。


==やらわ行==
;小田急電鉄 喜多見検車区の保存車両たち
;クライド・ライト
*喜多見検車区には1形 (開業当初の車両) ・2200形・2600形・9000形 (初の地下鉄直通車両) ・3100形 (NSE) ・10000形 (HiSE) ・20000形 (RSE) が保存されている。
#1976年に巨人に入団した投手。メジャー時代はエンゼルス唯一の左腕で20勝、メジャー通算100勝の実績持ちであり、在籍時には22勝をあげており普段は好人物であった。
#いずれも、複々線開業に伴う運行本数増加により増えた車両の留置スペースを確保する目的で、一部車両が解体されることとなった。
#*しかし気性が激しく一旦キレると手が付けられないレベルで暴れるというざんねんな欠点があった。
#*なお、車両が解体される大野総合車両所へは、深夜に他の車両の牽引によって回送されたが、こちらには多くの鉄道ファンが集った。踏切通過後は遮断機が上がると踏切の内側で回送車を追いかける人も少なくなかった。
#**例えば「通訳の首を絞める」「カメラマンのカメラを取り上げて叩き潰す」「自分のユニフォームを引きちぎる」などあまりの大暴れから「クレイジー・ライト」という渾名をつけられてしまう。
#最後は1978年のヤクルト戦で乱闘を起こし退場、そのまま職場放棄して帰宅するという行為をしてしまいそれが原因で退団することに・・・。
#実はアルコール依存症であり、その暴れっぶりの原因になっていたようだ。その後は依存症を克服し、実業家としての人生を歩み成功している。


;ベーブ・ルース
;京急600形(3代目)
#もはや説明不要の伝説的な名選手だったがとにかく素行がひどかった。
#1人掛けと2人掛けに切り替わるツイングルシートなる物を採用したが、結局使われないという理由で4次車でこの装備自体廃止となった。
#*審判や観客とトラブルを起こしヤンキースのキャプテンを辞めさせられたことがある。
#*その後オールロング化改装も受けることに。まあこれは2ドア→3ドア+オールロングというもっとすごい改装となった2000形の前例があるので一概に残念なわけじゃないけど。
#*車を運転し死亡事故寸前の事態を起こしたこともある。
<!--#*ツインクルじゃなくてツイングル(ツインとシングルを掛け合わせた言葉)だぞ。-->
#*一時期は猛烈な不摂生で上半身だけやけに肥大化していた。
#*そもそも野球と出会う前はとんでもない悪ガキだった。
#現役引退後には監督になることを熱望していたが「自分を監督できない男にチームの監督が務まるか」と言われとうとう機会が巡ってこなかった。


;シクスト・レスカーノ
;東武2000系
#メジャーリーグで1122安打・148本塁打を放った選手。
#20m車の導入をしない東急と営団地下鉄日比谷線に屈して導入した18m車。
#1987年に横浜大洋ホエールズに入団。
#日比谷線乗り入れ終了後にMT比を変えて野田線に転属したところ、故障が多発して転属は一部をもって立ち消えとなった。
#*前年にそこそこ活躍していたダグ・ローマンを追い出してまで入団させたが…。
#しかし前年に夫人の病気の看病の為プレーしていなかった分のブランクの影響か、シーズン中に22打席連続無安打の不振に陥り、5月末に「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」と言って現役引退を表明し、退団。
#退団に際し、他球団に所属する外国人選手から、「彼が日本でプレーできないことは最初から分かっていた」「ワールドシリーズを頭痛で欠場する奴が日本でやれるわけがない」とボコボコに言われてしまった。


;ピート・ローズ
;東武20000系
#メジャーリーグの様々な記録を作った名選手だったが、監督在任中に野球賭博に手を染めたため永久追放された。
#地下鉄日比谷線直通車両をリフレッシュするために導入した18m車。
#その後、脱税で服役もした。
#しかし日比谷線の20m車化が決定し、お役御免になる。日比谷線のためだけに導入したのに!!!


;ウィリン・ロサリオ
;営団06系
#2018年に年俸3億4000万円+出来高払いと、鳴り物入りで阪神タイガースに入団したのにもかかわらず、75試合で8本塁打・40打点・打率.242と成績が低迷し、シーズン終了後にウエイバー公示された。
#21世紀の地下鉄車両の基本モデルとして位置づけられたが、1編成しか製造されず、6000系よりも先立たれてしまった。


;ジャッキー・ロビンソン
;営団07系
#近代メジャーリーグ初のアフリカ系選手として知られるがパイオニアだけあって人種差別に苦しめられた。
#有楽町線にホームドアが設置されると特殊なドア配置が災いして早期引退となった。
#*ドジャースでメジャーに昇格したときには白人の選手がロビンソンと同じグラウンドに立つことを嫌って何人か他球団に逃げている。
#*だが東西線に転属しただけ廃車になった06系よりはマシ。
#引退後は糖尿病に苦しめられたり息子を交通事故で失ったりと不運が続き53歳で世を去った。
#背番号42が全メジャー球団で永久欠番になるほどの名選手だったのに資金難のせいで記念館がなかなか建たない。


==関連項目==
;相鉄11000系
*[[ざんねんな野球選手事典/日本人]]
#JRへの乗り入れを想定していたが結局直通は後輩の12000系に任せて線内封じ込めとなった。
*[[幸運なスポーツ事典]]
#*まぁリニューアルされたら直通する可能性はあるが。
[[Category:ざんねんなスポーツ事典|やきゆうせんしゆかいこくしん]]
 
[[Category:プロ野球|さんねんなせんしゆかいこくしん]]
;富士急行2000系 2002編成
#2014年2月に引退する予定だったのが、引退記念イベントが記録的豪雪により中止となった。
 
;名鉄7000系
#鉄道ファンや利用者の人気は高かったものの現場での扱いが悪かった。
#*運転台が高すぎて他社に譲渡すらされなかった。
#**運転台に入るのに側面にあるステップを2階まで登る必要があった。
#*消費電力も大きかったそうだ。
 
;名鉄1600系
#空港アクセス特急を見越したものの、空港線開業時に登場した2000系がその役割を担ったため、当初の目的を果たすことは少なかった。
#「パノラマsuper」とか言いながら、全然パノラマじゃない。
#しまいには特急政策の見直しにより要らない子となってしまい一部特別車化。その際ク1600は改造されず9年の短命に終わった。
#とにかく不具合が多い。1700系化されても。
#*登場早々前面貫通幌をぶっ壊したのが代表。
 
;名鉄8800系
#観光輸送に特化した特急車だが、それがアダとなり観光客減に伴い改造することになったのだが…
#*窓割りとあわない座席が出現した。
#*個室は残したものの、通勤には不評だったらしい。
#足回りはパノラマカーの使い回し。そのため110km/hまでしか出せなかった。
#*晩年にはかなりガタが来ていたようにも思う。
#これらが重なって登場から21年の短さで形式消滅。
 
;名鉄6000系
#通勤車両ながらクロスシートを装備したことが評価されブルーリボン賞を受賞したが、そのクロスシートが「1.5人掛け」と揶揄されるほど狭く、同じ座席を採用した6600系共々ロングシート化された。
 
;近鉄2610系
#長距離急行用として4扉ながらオールボックスシートを採用したが、さすがに無理があったのかボックスシートはあまりにも狭く通路側の肘掛けすらなかった。そのため1990年代の車体更新時にL/Cカーに改造された名古屋線所属車両を除きロングシート(トイレ前を除く)に改造された。
 
;近鉄10000系
#日本初の2階建て車両である初代ビスタカーだが、試作的要素が強かったために座席予約のコンピュータ化に対応できず1971年に登場からわずか13年で引退。
 
;南海2000系
#高野線ズームカーの第2世代として登場したものの、橋本までの複線化が完成した後は大運転(平坦区間と山岳区間の直通運転)の減少や2300系投入により車両が余剰となり、一部が南海本線に転属した。高野線に残った車両も橋本以北の運用に入ることも多い。
 
;京阪3000系(初代)
#後継車である8000系の登場で一気に陳腐化した。
#*利用客は8000系に乗りたいがために待つほどの人気であったため、淘汰が前倒しされた。
#*しかも先代の方が何故か生き残った。
#大井川鐵道に譲渡された車両も車齢が最も若いながらも1編成しかないため、見捨てられた。
 
;阪急5200系
#阪急最初の冷房車として登場したが、試作的要素が強かったなどの理由で先輩の3000系や5000系よりも早くに引退した。
 
;阪神3801・3901形
#西大阪線(現[[阪神なんば線]])難波延伸を見込んで設計されたが、難波延伸そのものが途中で計画中断された上、4連×3編成のうち1編成が脱線事故で廃車となり、残る2編成を6連と2連に組み換え前者は8701・8801・8901形(以下8801系とする)、後者は7890系に改造された。8801系は本線の特急や急行に運用されたものの直通特急の運用からは外され、難波延伸を見ることなく2009年2月に廃車された。
#*しかも8801系が廃車された1ヶ月後に当系列の目的だった難波延伸が実現したのは何とも皮肉だった。
#*もう一方の7890系は2019年現在も現役。
 
;阪神8000系第1編成
#1984年に8000系のプロトタイプとして1編成登場したものの、車体は従来の車両とほとんど変わらなかった上、1995年の阪神大震災で3両が廃車となり、残る3両が量産車と組まれて6両編成になった。このため大阪側と神戸側で外観が異なる結果となった。因みにこの編成(8523F)は直通特急の運用には入らない。
 
==海外==
;KTX-I(KORAIL100000系)
#韓国初の高速鉄道用電車だが一般車の座席の半分が進行方向の反対を向いているのであまり評判が良くない。
#*向きを変えられるようにする話もあったが流れてしまった。
#*導入当初の200系新幹線みたいだな。
#映画上映サービスもあったがいまいち受けがよくなく廃止。
 
;中華之星(中国国鉄DJJ2形)
#中国が自力で開発した高速鉄道用車両だったがブレーキや電気系統のトラブルが頻発し実用化を断念した。
#*その後はフランスや日本などの技術を導入したどこかで見たような車両ばかり導入している。
 
;新時速(中国国鉄X2000系)
#スウェーデンのお情けで中国へ渡った車両。
#*1編成しかもらえなかったので替えが効かなかった。
#整備しないので、みるみるボロボロになった。
 
;ソ連国鉄ER200形電車
#おそらく東側陣営初の高速鉄道用車両だがどう見ても日本の0系新幹線を野暮ったくしたようにしか見えない。
#首都モスクワとレニングラードを結ぶ特急で俊足ぶりを見せていたが運用は何と週に1往復だけだった。
 
;ペンシルバニア鉄道GG1形電気機関車
#アムトラック成立後の塗装が安っぽいおもちゃのように見えてしまう。
#*レイモンド・ローウィによるデビュー当初の流麗な塗装との落差が激しすぎる。
 
[[Category:ざんねんなモノ事典|てつとうしやりよう]]
[[Category:鉄道|さんねんなものしてんしやりよう]]

2019年9月10日 (火) 21:46時点における版

国内

共通

多扉車
  1. ラッシュ時の切り札だったが、今やホームドア化の障害になっている。
    • 京王6000系に至っては4ドア化までしたが、結局(ry

国鉄・JR

スライドバンボディシステム
  1. コンテナを荷役機械なしでトラックから貨車に積み替えるシステム。トラックが来ないと荷下ろしできないという欠点があった。
キロハ18
  1. 一般型気動車で唯一新製した優等車。需要が限られすぎて早々と荷物車に改造されてしまった。
キハ40系
  1. 大柄で頑丈な車体とは裏腹にエンジンが非力すぎた。
    • JR化後に高出力エンジンに取り替えた車両もある。
    • その頑丈な車体故に現場では厚遇されており、登場から40年経っても今尚主力形式である。
50系客車
  1. 当時近代化が進んでいたにもかかわらず、労組の圧力により機関車けん引の客車列車を存続させるためだけに1977年から大量投入された。
    • 奇しくも上記のキハ40系列と同い年である。
  2. 国鉄時代は使用されていたが、分割民営化されるととたんに行き場を失った。
    • 客車の耐用年数は20年だが、あまりにも使い勝手が悪かったので10年程度で留置→廃車が定番のパターンだった。
  3. 国鉄分割民営化後に一番輝いていた運用は、津軽海峡線快速海峡。
EF58
  1. 61号機はロイヤルエンジンと評されるほどの名車であるが、口の悪いファンからはゴキブリ呼ばわりされていた。
クモハ84形
  1. 国鉄分割民営化後にJR西日本で生まれた、JR史上最初で最後の旧型国電形式。
103系1000番代
  1. 千代田線乗り入れ用として登場したが、その発熱量の多さに営団地下鉄からのクレームで撤退に追い込まれた。
    • 「鉄板焼き電車」と揶揄されたほど。
  2. 1500番台も故障の多さに福岡市営地下鉄からのクレームで撤退に追い込まれている。
    • こいつだけワンマン運転できなかった。
JR西日本に転属した113系
  1. 先頭車化改造で国鉄時代に見せなかった一面を見せてくれる。
119系
  1. 登場時は旧国を駆逐する存在だったため、身勝手な鉄ヲタに帯を剥がされるなどのイタズラを受けた。
123系
  1. 国鉄最後の新形式である。
    • しかし郵便車などを改造した魔改造車。
157系
  1. 登場時は非冷房だったため、下降窓を採用したが、雨水が侵入して腐食が進行し、保守に手を焼いた。以来、205系が登場するまでは下降窓の採用に消極的になったとか。
JR西日本183系
  1. 特急「雷鳥」用485系から交流電化区間運転設備を113系に譲り渡した残り。
  2. 北近畿方面で気動車急行を電車特急に大量に置き換えた。
185系
  1. 自称特急型車両。
    • 正体は大阪鉄道管理局で新快速として運転していた117系に特急ヘッドマークをつけお情け程度にデッキを付けただけの実質快速型車両である。
      • サイコガンダムならぬサイコ新快速。
  2. 特急「踊り子」や各種新特急として使用されたが、他の線区になかなか進出できない。
    • いつまでも東海道線に居座っているので、ここ10年くらいJR東日本東海道線の旅客列車で最古の車両の座についている。
207系9000番台
  1. 地下鉄千代田線用直通用に造られた先行車。
    • しかし大量導入されることなく1編成のみの導入となった。
  2. 207系という称号をほぼJR西日本に取られた。
301系
  1. 地下鉄東西線直通用に、国鉄で初めてアルミを使った車両。
    • しかし当時財政難だった国鉄の出費は相当なものだったらしく、いくつか導入した後で鋼鉄製の103系の増備に変更した。
キハ120形
  1. 登場時はトイレがなく、しかも駅にトイレのないローカル線で運用されたため、×××××した利用客がいて新聞に取り上げられるほど問題になり、トイレ設置に追い込まれた。
  2. 同世代のタイプが置き換えられる中、ここは会社の都合で延命させられている。
  3. JR東日本キハ100系、まだバリバリだけど?
キハ130形
  1. 投入先が大誤算だった。日高本線でなければ塩害で寿命を縮めることもなかった。
    • その軽量車体故に寿命を縮めた。
213系5000番代
  1. 転換クロスシートを採用するも登場時はトイレがなく、2ドアだったので扱いづらい存在だった。
    • 後に飯田線に拾われるとともにトイレ設置。
2600系
  1. 空気ばね式車体傾斜装置を採用したが、土讃線の線形には対応できなかった。
    • いい実験台だ、有意義だ。
E233系7000番台
  1. 埼京線に導入された新型車両だが、導入当初に車両LCD破壊、つり革盗難、車番ステッカー盗難が多発。今ではこそは警備を厳しくして、改善されたが…。
    • それもあってか相鉄JR直通線用増備車では全車に監視カメラが付いたぞ。
キハ125形
  1. 車体が小型過ぎて大量投入には至らなかった。
    • その後大型のキハ220形に移行。それ以来、JR九州は小型車を異端視するようになり、中堅車のキハ31形ですら廃車にした。
200系新幹線
  1. 1992年の山形新幹線開業により400系新幹線と増結するようになったが、連結器カバーが開く姿がエイリアンみたい…
500系新幹線
  1. 山陽新幹線で300km/h運転を行うために開発された車両。新大阪~博多間を300系と比べて15分も縮めた凄い車両。
    • 本当は320km/h運転したかったらしいが、ブレーキ力が足りずに立ち消えとなった。
  2. JR東海から目の敵にされる。
    • 座席数は確保したが、300系新幹線と座席配置が異なったり運転台の後ろに旅客乗降口がない、シートピッチが1,020mmと20mm狭いのが気に食わなかったらしい。
      • なおその後JR東海が導入したN700系の先頭車のシートピッチは1,023mmである。3mm広ければ良かったらしい。
  3. 2007年からのN700系の導入の際には、300系新幹線より先に500系新幹線が追い出された。
    • いまではひっそり山陽新幹線の「こだま」として活躍している。
  4. このことが教訓となり、700系以降は新幹線用車両はJR東海とJR西日本が共同開発することとなった。
    • しかしJR西日本は在来線でいろいろな事故を起こしたため、今では実質JR東海が新型車両を開発している。
新幹線E4系電車
  1. デビュー当初は輸送力を重視し、E1系に続く全車ダブルデッカーとなったが、現在JR東日本の新幹線は高速運転に注力するようになり、最高速度が低い (時速240キロ) E4系は2020年度までに引退することとなった。
E331系
  1. 京葉線用として製造され、国鉄・JR通して旅客車としては初の連接台車が採用されたが、相次ぐ故障でニートレイン運用離脱を繰り返し、わずか8年強で廃車になった。
キハE200形
  1. 量産先行車3両製造されているが、それ以降は増備には至っていない。
    • ただ派生形式は登場しているものの肝心の本形式の増備には至っていない。
E351系
  1. JR東日本では初の振り子装置搭載車両だったが、揺れが多く中には酔う人もいたため、「失敗作」 と言われるようになった。
  2. 2018年に引退後は全車両が解体された。
E257系500番台
  1. 房総地区の特急で使用されていた183系・189系を置き換えるために19編成製造されたが、特急が大幅に減らされた結果余剰車が出る羽目に。
  2. 一部は書類上幕張車両センター所属のまま豊田車両センター常駐となり、中央線の臨時列車に使用されることとなった。
215系
  1. 湘南ライナーの混雑緩和を目的としてオール二階建てで登場したが、ドア数のせいで乗降に時間がかかり、遅延の原因になることから湘南ライナー運用から撤退することとなった。
    • アクティーにも使用されていたがこれも撤退。
    • その後はおはようライナーや臨時快速に使用されている。
    • この失敗が都政に活かされなかったことが悔やまれる。
  2. グリーン車以外全席ボックスシートなので乗り心地は最悪。
    • 座席のフレームは無駄にフランスから取り寄せたようだ。
  3. 実は湘南ライナーは215系がいなくても、185系と251系だけで回せる。

私鉄

ワイドドア車
  1. 多扉車と同じく、ラッシュ時の切り札だったが、今や東京メトロ東西線でしか役割を果たしていない。
  2. 小田急1000形のワイドドア車は、後の改造でドアが開く幅が狭くなった。
定山渓鐡道2300形電車
  1. 東急7000系に似た外観を持つ車体とは裏腹に防寒の観点から固定窓を採用したため、夏場は気分が悪くなる乗客が続出し、ゲ○電と揶揄される始末だった。
    • 吐気用の袋も用意されていた。
  2. それゆえにどこも譲渡されなかった。
京王6000系電車
  1. これまで京王の車両は引退後、他社に譲渡されることが多かったが、6000系は車体の長さが20メートルもあるのか、他社に譲渡されず大半が解体された。
小田急10000形
  1. ハイデッカー構造がバリアフリー化の障害となり、7000形よりも先立たれてしまった。
小田急20000形電車 (RSE)
  1. ハイデッカー構造や、編成中ほどのダブルデッカー車がバリアフリーの障壁となり、上記の10000形と同じく2012年に引退した。
  2. 2014年に富士急行に譲渡された際は、短縮後の3両編成にダブルデッカー車が組み込まれなかった。これはダブルデッカー車の貫通扉が、片側は2階部分にしかないことも要因のひとつである (反対側は通常の高さに貫通扉がある) 。
    • これらはJR側の車両である371系にも同様のことが言える。まぁこっちは後年車椅子対応席が用意されたけど。
小田急30000形電車 (EXE)
  1. 観光輸送のみならずビジネス利用も考慮された仕様だったが、1996年のグッドデザイン賞は受賞したのに対して小田急ロマンスカーで初めてブルーリボン賞を逃してしまった (ローレル賞も受賞せず) 。
小田急電鉄 喜多見検車区の保存車両たち
  • 喜多見検車区には1形 (開業当初の車両) ・2200形・2600形・9000形 (初の地下鉄直通車両) ・3100形 (NSE) ・10000形 (HiSE) ・20000形 (RSE) が保存されている。
  1. いずれも、複々線開業に伴う運行本数増加により増えた車両の留置スペースを確保する目的で、一部車両が解体されることとなった。
    • なお、車両が解体される大野総合車両所へは、深夜に他の車両の牽引によって回送されたが、こちらには多くの鉄道ファンが集った。踏切通過後は遮断機が上がると踏切の内側で回送車を追いかける人も少なくなかった。
京急600形(3代目)
  1. 1人掛けと2人掛けに切り替わるツイングルシートなる物を採用したが、結局使われないという理由で4次車でこの装備自体廃止となった。
    • その後オールロング化改装も受けることに。まあこれは2ドア→3ドア+オールロングというもっとすごい改装となった2000形の前例があるので一概に残念なわけじゃないけど。
東武2000系
  1. 20m車の導入をしない東急と営団地下鉄日比谷線に屈して導入した18m車。
  2. 日比谷線乗り入れ終了後にMT比を変えて野田線に転属したところ、故障が多発して転属は一部をもって立ち消えとなった。
東武20000系
  1. 地下鉄日比谷線直通車両をリフレッシュするために導入した18m車。
  2. しかし日比谷線の20m車化が決定し、お役御免になる。日比谷線のためだけに導入したのに!!!
営団06系
  1. 21世紀の地下鉄車両の基本モデルとして位置づけられたが、1編成しか製造されず、6000系よりも先立たれてしまった。
営団07系
  1. 有楽町線にホームドアが設置されると特殊なドア配置が災いして早期引退となった。
    • だが東西線に転属しただけ廃車になった06系よりはマシ。
相鉄11000系
  1. JRへの乗り入れを想定していたが結局直通は後輩の12000系に任せて線内封じ込めとなった。
    • まぁリニューアルされたら直通する可能性はあるが。
富士急行2000系 2002編成
  1. 2014年2月に引退する予定だったのが、引退記念イベントが記録的豪雪により中止となった。
名鉄7000系
  1. 鉄道ファンや利用者の人気は高かったものの現場での扱いが悪かった。
    • 運転台が高すぎて他社に譲渡すらされなかった。
      • 運転台に入るのに側面にあるステップを2階まで登る必要があった。
    • 消費電力も大きかったそうだ。
名鉄1600系
  1. 空港アクセス特急を見越したものの、空港線開業時に登場した2000系がその役割を担ったため、当初の目的を果たすことは少なかった。
  2. 「パノラマsuper」とか言いながら、全然パノラマじゃない。
  3. しまいには特急政策の見直しにより要らない子となってしまい一部特別車化。その際ク1600は改造されず9年の短命に終わった。
  4. とにかく不具合が多い。1700系化されても。
    • 登場早々前面貫通幌をぶっ壊したのが代表。
名鉄8800系
  1. 観光輸送に特化した特急車だが、それがアダとなり観光客減に伴い改造することになったのだが…
    • 窓割りとあわない座席が出現した。
    • 個室は残したものの、通勤には不評だったらしい。
  2. 足回りはパノラマカーの使い回し。そのため110km/hまでしか出せなかった。
    • 晩年にはかなりガタが来ていたようにも思う。
  3. これらが重なって登場から21年の短さで形式消滅。
名鉄6000系
  1. 通勤車両ながらクロスシートを装備したことが評価されブルーリボン賞を受賞したが、そのクロスシートが「1.5人掛け」と揶揄されるほど狭く、同じ座席を採用した6600系共々ロングシート化された。
近鉄2610系
  1. 長距離急行用として4扉ながらオールボックスシートを採用したが、さすがに無理があったのかボックスシートはあまりにも狭く通路側の肘掛けすらなかった。そのため1990年代の車体更新時にL/Cカーに改造された名古屋線所属車両を除きロングシート(トイレ前を除く)に改造された。
近鉄10000系
  1. 日本初の2階建て車両である初代ビスタカーだが、試作的要素が強かったために座席予約のコンピュータ化に対応できず1971年に登場からわずか13年で引退。
南海2000系
  1. 高野線ズームカーの第2世代として登場したものの、橋本までの複線化が完成した後は大運転(平坦区間と山岳区間の直通運転)の減少や2300系投入により車両が余剰となり、一部が南海本線に転属した。高野線に残った車両も橋本以北の運用に入ることも多い。
京阪3000系(初代)
  1. 後継車である8000系の登場で一気に陳腐化した。
    • 利用客は8000系に乗りたいがために待つほどの人気であったため、淘汰が前倒しされた。
    • しかも先代の方が何故か生き残った。
  2. 大井川鐵道に譲渡された車両も車齢が最も若いながらも1編成しかないため、見捨てられた。
阪急5200系
  1. 阪急最初の冷房車として登場したが、試作的要素が強かったなどの理由で先輩の3000系や5000系よりも早くに引退した。
阪神3801・3901形
  1. 西大阪線(現阪神なんば線)難波延伸を見込んで設計されたが、難波延伸そのものが途中で計画中断された上、4連×3編成のうち1編成が脱線事故で廃車となり、残る2編成を6連と2連に組み換え前者は8701・8801・8901形(以下8801系とする)、後者は7890系に改造された。8801系は本線の特急や急行に運用されたものの直通特急の運用からは外され、難波延伸を見ることなく2009年2月に廃車された。
    • しかも8801系が廃車された1ヶ月後に当系列の目的だった難波延伸が実現したのは何とも皮肉だった。
    • もう一方の7890系は2019年現在も現役。
阪神8000系第1編成
  1. 1984年に8000系のプロトタイプとして1編成登場したものの、車体は従来の車両とほとんど変わらなかった上、1995年の阪神大震災で3両が廃車となり、残る3両が量産車と組まれて6両編成になった。このため大阪側と神戸側で外観が異なる結果となった。因みにこの編成(8523F)は直通特急の運用には入らない。

海外

KTX-I(KORAIL100000系)
  1. 韓国初の高速鉄道用電車だが一般車の座席の半分が進行方向の反対を向いているのであまり評判が良くない。
    • 向きを変えられるようにする話もあったが流れてしまった。
    • 導入当初の200系新幹線みたいだな。
  2. 映画上映サービスもあったがいまいち受けがよくなく廃止。
中華之星(中国国鉄DJJ2形)
  1. 中国が自力で開発した高速鉄道用車両だったがブレーキや電気系統のトラブルが頻発し実用化を断念した。
    • その後はフランスや日本などの技術を導入したどこかで見たような車両ばかり導入している。
新時速(中国国鉄X2000系)
  1. スウェーデンのお情けで中国へ渡った車両。
    • 1編成しかもらえなかったので替えが効かなかった。
  2. 整備しないので、みるみるボロボロになった。
ソ連国鉄ER200形電車
  1. おそらく東側陣営初の高速鉄道用車両だがどう見ても日本の0系新幹線を野暮ったくしたようにしか見えない。
  2. 首都モスクワとレニングラードを結ぶ特急で俊足ぶりを見せていたが運用は何と週に1往復だけだった。
ペンシルバニア鉄道GG1形電気機関車
  1. アムトラック成立後の塗装が安っぽいおもちゃのように見えてしまう。
    • レイモンド・ローウィによるデビュー当初の流麗な塗装との落差が激しすぎる。