もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら
2015年2月21日 (土) 19:57時点における>無いですによる版 (→愛知環状鉄道)
二地域以上
東北本線
- 1870年代
- 東海道本線と同時に開業。でも、東海道本線と接触はしないかも。
- やはり大宮はハブられる。
- 高崎線開業時にやっぱり分岐駅として開業か?
- 高崎線がない状態での建設なら中山道沿いのルートなど端から通らないはず。つまり日光街道沿いに敷かれる。
- 建設スピードは史実より遅い。
- 当時金のなかった政府が自前で建設することになったと推定されるため。
- 利根川の渡がなくなる時期は変わらない。
- 最初の部分開業は上野~大宮辺りか。
- 大宮ではなく岩槻を通っていたかもしれない。
- と…なると県庁所在地は予定通り岩槻になっていたかもしれない。
- 大宮ではなく岩槻を通っていたかもしれない。
上越線
- 1900年代
- ルートは後閑駅付近から赤谷川沿いに進み三国峠で上越国境を越えるもの。
- この場合水上温泉はあまり栄えなかった。
- 代わりに猿ヶ京温泉が有名になっていた。
- 苗場にプリンスホテルは建設されていない。
- この場合水上温泉はあまり栄えなかった。
- 沼田から先は壮絶な難工事になっていた。
- 一部区間はラック式鉄道が採用され後に輸送のネックになる。
- 碓氷峠と同時期に改良されていたかもしれない。
- 上越新幹線のルートは史実とあまり変わらない。
- 川端康成『雪国』の書き出しが変わっている。
- 明治時代の技術で清水トンネルのような「国境の長いトンネル」はまず無理。
- 「上越線」という名称ではなかった。
東海道本線
- 1840年代
- この時代には各地で鉄道建設ラッシュでした。
- 日本の鉄道歴史が大きく変わっていたかもしれない。
- というより定時法や新しい製鉄技術などの導入により日本史の流れ自体が激変している。
- 京駅(現・京都駅)~草津駅から建設されていた。
- 上方では公家や寺社辺りが猛反対しそうなので江戸から建設されていた気がする。
- 徳川幕府主導なら駿府-江戸-日光間が最優先だろう。その後尾張・水戸・紀伊へと支線を敷く構想を考えていたと思われる。
- 上方では公家や寺社辺りが猛反対しそうなので江戸から建設されていた気がする。
- ついでに、中山道本線も開業。
- 横浜駅ではなく神奈川駅と名乗っていたかもしれない。
- 東海道新幹線のルートもかなり違う。
- 日本の開国相手がオランダではなくイギリスになっているのが前提条件。
- 幕府?で鉄道導入を推進した人物が「超人的な先見の明の持ち主」として後世まで称えられる。
- 当時アジアのどこにも鉄道はなく鉄道に乗ったことのある日本人も誰もいなかった。
- 史実の中国(清)の鉄道草創期と同じように各方面から相当な反発を受ける。
- 線路や停車場への破壊工作が発生していたかもしれない。
- ここで言われている話が本当に存在したかもしれない。
- 東京駅はなく江戸駅が存在した。
- 新橋や丸ノ内ではなく日本橋辺りにできていたかもしれない。
- 荷物列車が運行されていたとすれば飛脚が大打撃を受けていた。
- 「徳川慶喜は日本初の鉄道ファン」という誤解が史実以上に広がっていたかもしれない(実際には被写体の対象にしていただけ)。
- そもそも別の人物が日本初の鉄道ファンと言われていた可能性の方が高そう。
- 1900年代
- =東西幹線が中山道ルートだった場合。
- 静岡県などの有力者が出資した私鉄による建設。
- 私鉄時代は関西鉄道と仲が良かったかもしれない。
- 区間は横浜市-名古屋付近。
- 全通からあまり経たないうちに国営化される。
智頭急行智頭線
- 1960年代
- 佐用駅では姫新線と線路がつながっていた。
- 開業時から急行や特急が多く運転された。
- 何らかの形でキハ82が走ったかもしれない。
- 特急の所要時間は現実より長い。
- そのため現在は高速バスに苦戦している。
- 21世紀に入って因美線智頭以南の廃止が噂される。
- 「宮本武蔵」駅などできるわけがない。
- 恋山形駅は「因幡山形」、大原駅は「美作大原」と名乗っていた。
赤穂線
- 1930年代
- 実質的に山陽本線の別線扱い。
- かつては特急「富士」「櫻」「燕」なども通っていた。
- 山陽新幹線建設時にも赤穂経由が検討される。
- 赤穂鉄道・西大寺鉄道は太平洋戦争開戦前に廃止される。
- 史実の播州赤穂駅は「播磨赤穂」駅として開業していた。
東海道新幹線
関連項目:もし弾丸列車が完成し運行されていたら
- 1940年代
- 空襲で新幹線が破壊されていた。
- それ以前に太平洋戦争が起こっている時点で工事が中止されている。1930年代なら別の話だか。
- 艦砲射撃対策で浜松駅は新浜松として内陸部に位置していた。
- 直流電化だった。
- 物資輸送が優先されるので旅客列車は1時間に1本。
- 天皇陛下専用やマッカーサー専用車両が存在していたかも。
- 1980年代
- 国鉄の財政が悪化していた。
- 新幹線総局は運行管理業務のみ統括して保線管理や駅営業業務は各地方鉄道管理局で実施されていた。
- 予想・・・東京ー熱海間:東京南局、熱海駅 - 豊橋間:静岡局、豊橋駅 - 米原駅間:名古屋局、米原駅 - 新大阪駅:大阪局。
- 分割民営化に備え、1987年3月1日に東京ー熱海間は静岡局、米原駅 - 新大阪駅:名古屋局に移管された。
- 予想・・・東京ー熱海間:東京南局、熱海駅 - 豊橋間:静岡局、豊橋駅 - 米原駅間:名古屋局、米原駅 - 新大阪駅:大阪局。
- 0系は無かった。
- むしろ、100系が0系として開業する。
- この時代になったら長大トンネル建設技術が進歩していたので、米原経由ではなく四日市から鈴鹿山脈をトンネルで貫くルートになっていたかも。
- 線路規格は山陽新幹線と同じになっていた。
- 2014年現在最高300km/h運転を行い、東京~新大阪は最速で2時間を切っている。
東北新幹線
- 1960年代
- 一気に開通は無理なので東京~仙台から開通。
- 東海道新幹線と東北新幹線直通運転は実現している。
- 北海道新幹線は1970年代か1980年代に開業している。
- 停車駅は東京-大宮-小山-宇都宮-黒磯-新白河-郡山-福島-新白石-仙台-古川-一ノ関-新水沢- 北上-新花巻-盛岡-沼宮内-二戸-八戸-十和田-新青森か。
- 上野~大宮は川口経由になっていた。上野地区はトンネルか品川駅扱い。
北陸新幹線
- 1960年代
- 大宮~高崎間は当初から北陸新幹線の路線。
- 新幹線環状線が完成?
- 史実のさいたま市地区は史実よりも早く彩の国YOU And Iプランが実行し、そして早速合併して、昭和のうちに政令指定都市になっていた。
- 金沢も名古屋というほどではないが、史実よりも発展している。
- ビックカメラと丸井が来ていたか?
- EF63と協調運転可能な電車が開発されなかった。
山陽新幹線
- 1964年
こちらも参照。
- トンネルは現実よりも少なくなっていただろう。
- ルートも現実と大きく異なっていた。
- 線形の関係で現在に至るまで最高300km/h運転は実現していない。
- 500系は登場せず、N700系も300km/h運転には対応していなかった。
- 大阪~福岡では現実以上に航空機が優勢になっていた。
北海道
石北本線(上川-遠軽)
- 1980年代
- 石勝線のように高規格路線として建設された。
- 一部区間は特急しか走っていないところも類似していた。
- 遠軽でのスイッチバックは何とかして回避していた。
- 池田-北見-網走は今も「網走本線」を名乗っている。
- 名寄本線は「名寄-紋別-中湧別-佐呂間-網走」の区間。
- 網走本線は北見-網走のおかげで現在も全線がJRに属している。
- 北見-遠軽-湧別は上川-遠軽間の開業まで「湧別線」というローカル線だった。
- 開業まで特急オホーツクは名寄本線経由だった。
石勝線
- 昭和10年代
- 建設理由に対ソ戦対策も含まれていた。
- 建設にあたり朝鮮人などの労働者が酷使された。
- 後に複数の慰霊碑が建てられた。
- 煤煙対策のため史実ほど長いトンネルはない。
- その代わり一部区間に急カーブや急勾配などが生じていた。
- 開業時点で根室本線は「千歳-新得-釧路-根室」に変更された。
- 滝川-富良野-新得には「芦別線」という別の線名が付けられた。
- 開業当初は現実の信号場も全て駅だった。
- しかし沿線の過疎化により廃駅が続出。
- 仮乗降場扱いの駅も多い。
- 占冠駅は富内線との合流を想定した構造になっていた。
東北
南部縦貫鉄道
- 大正時代
- 開業当初は「七戸鉄道」と名乗った。
- 後に戦時統合で史実の南部鉄道や十和田観光電鉄とともに「南部交通」に統合され「南部交通七戸線」となる。
- 建設目的は普通に「東北線と七戸町の連絡」。
- 農産物の輸送も行われた。
- 多分電化はされていない。
- 七戸駅は町の中心近くに設置。
三陸鉄道
- 1960年代
- 建設開始は1933年の昭和三陸津波の後。
- 太平洋戦争により一時工事がストップしていた。
- 当然ながら国鉄線として開業している。
- 一部区間は現実よりカーブなどが多い。
- 開通した頃は急行が走っていた。
- 列車名は「さんりく」、運転区間は仙台-気仙沼-宮古-八戸。
- 連続テレビ小説『あまちゃん』のストーリーが史実とやや異なっている。
仙石線
- 1910年代
- 軌道法に準拠して建設された。
- 仙台駅付近が併用軌道だった。
- 後に高架化もしくは地下化される。
- 戦時買収を免れていたかもしれない。
- この場合宮城電鉄が戦時統合の核になっていた。
- 仙台駅付近が併用軌道だった。
- 石巻-女川も自力で建設していた。
- 仙台市電との直通も検討される。
- というより「宮城電鉄市内線」として建設された可能性もある。
- 国に買収されなかった場合塩釜線は現存している。
- 松島にそこそこ大きな遊園地ができていた。
気仙沼線
- 1980年代
- 隣県の三陸鉄道に刺激され第三セクターで開業。
- 旧国名の付いた駅は現実より少ない。
- 震災までは独自のサービスで人気を博していた。
- 「フカヒレ列車」などというものが走っていた。
- 大谷海岸駅は海の家と一体化されていた。
- 震災の被害により一時は廃止も検討された。
- むしろ南リアス線と同じ時期に復旧していたのでは?
関東
東海
伊豆急行
- 昭和10年代
- 建設の動機は伊豆半島の要塞化。
- 伊東線の延長として建設された。
- 線名は「伊豆線」。
- 1950年代から優等列車が乗り入れるようになった。
- 史実の伊豆急下田駅は「伊豆下田駅」と名乗っている。
- 現実ほどトンネルは多くない。
伊勢鉄道
- 1910年代
- 参宮鉄道時代から計画はあった。
- だが着工は国有化後。
- 東京などと伊勢神宮の短絡が主目的。
- 開通したとたん参宮線の一部に。
- 亀山~津は「亀山支線」として扱われる。
- なお現在は紀勢本線の一部。
- 現在の近鉄鈴鹿線はこの路線の鈴鹿駅に乗り入れていた。
- 寝台特急「紀伊」もこのルートを通っていた。
- 所要時間が短かすぎて始発・終着が不便な時間帯になってしまうのでそれはない。
- 普通に紀伊勝浦か新宮で長時間停車していたんじゃないの?別にすぐに下りなきゃいけないとは書いてない訳だし。
- 所要時間が短かすぎて始発・終着が不便な時間帯になってしまうのでそれはない。
近鉄鳥羽線
- 1930年代
- 「志摩電気鉄道山田線」として開業。
- この場合志摩電気鉄道は参宮急行電鉄に買収されていた。
- 標準軌への改軌が史実よりかなり早まっている。
- この場合志摩電気鉄道は参宮急行電鉄に買収されていた。
- 計画時期によっては宇治山田駅は最初から通過可能の構造になっていた。
- 朝熊駅では朝熊山ケーブルカーと接続している。
- ケーブルカーは戦後復活を果たしていた。
- 賢島方面の観光開発は更に進んでいる。
愛知環状鉄道
- 1920年代
- 岡崎市街地や挙母町、瀬戸と東海道本線を結ぶための路線。
- 貨物列車を名古屋市街地に入れないことも意識されている。
- 中岡崎駅が「岡崎駅」を名乗っていた。
- 東海道本線の岡崎駅は「南岡崎」か「岡崎口」に改名された。
- 戦時中に空襲時の迂回路として城北線に相当する区間も建設される。
- 現在もJRの路線だったかもしれない。
- 最初から多治見ではなく高蔵寺を目指していたのであれば路線名は「挙母線」になっていた。
- 名鉄挙母線は存在しなかった。
名鉄羽島線
- 1964年
- 「夢の超特急」との連絡線ということで開業時は大々的にPRされた。
- 新岐阜からの直通特急が設定されていた。
- この路線の建設に関しても大野伴睦が絡んだ噂がささやかれる。
- 現在は結局現実と大きな差はない。
- ただし新羽島駅の駅舎はもっと古い。
- どのみち竹鼻線の江吉良以南は廃止される。
名鉄豊田線
- 1930年代
- 三河鉄道の経営状態が良ければ着工できた。
- 八事以西が名古屋市電八事線になることはなかった。
- 軌道廃止後に地下線で伏見か栄に乗り入れる。
- あるいは神宮前に延伸され名古屋本線と接続していた。
- 軌道廃止後に地下線で伏見か栄に乗り入れる。
- 踏切がある代わりに加算運賃が存在しない。
- トンネルも現実より少なく、一部のルートが現実と異なっている。
- 地下鉄鶴舞線は存在しないか八事止まり。
甲信越・北陸
北越急行ほくほく線
- 1970年代
- 「南北戦争」と呼ばれる地元でのルート争いがなかったのが前提。
- 現実ほど高規格ではない。
- 美佐島駅があそこまで堅牢な構造になる事は無かった。
- 駅名はそこまで奇抜ではない。
- 増田駅(史実のくびき駅)の駅舎も。
- 時期次第では武蔵野線に「武蔵新座」駅ができていた。
- この路線の開業時から上越新幹線開業まで上野-金沢の「はくたか」が通っていた。
- 新幹線開業後は越後湯沢-金沢だけ存続。
- 「電車でGO!」には登場しなかった。
- 特急「かがやき」は誕生せず。
- 急行「よねやま」が柏崎発着に短縮されたかも。
万葉線
- 1910年代
- 開業当初の社名は「高岡電気軌道」。
- いずれにしろ戦時統合で地鉄→加越能→万葉線。
- 国鉄新湊線は一度も旅客営業を行うことがなかった。
- 場合によっては戦時統合まで射水線と直通していなかった。
- 開業当初の車両が60年代くらいまで走っていた。
- 第三セクター化により開業当初に近い社名へ戻される。
- 伏木線以外にも廃止になった支線があった。
近畿
中国・四国
予土線
- 1980年代
- 第三セクター線での開業。
- 江川崎-若井は国鉄線として運行されたことがない。
- 会社名や路線名に「四万十」という語句が入る。
- 史実通り中村線も経営分離された場合、若井駅が貴重な「異なる会社の三セク線同士の分岐駅」として鉄道ファンに注目される。
- 予土線を受け持っていた3セクが史実の土佐くろしお鉄道に発展すると考えたほうが自然だと思うが。
- 一部の駅に凝った装飾が施される。
- 候補:土佐大正、土佐昭和、半家
- ディーゼルカーの新幹線は走らなかった。
- 牟岐線や鳴門線辺りに走らせている気がしなくもない。
木次線
- 1970年代
- 全線が最初から国鉄線として建設された。
- そこまでカーブだらけではない。
- 大東町には寄れていない。
- 島根・広島の県境は長大トンネルで突破。
- 出雲坂根駅は存在しなかった。
- 三江線と同様に全線開業前に「赤字83線」に指定されていた。
- 急行ちどりはもう少し存続していた。
- 備後落合駅でのスイッチバックが必要でない線形だったかもしれない。
- 特定地方交通線指定→解除の経過はほぼ史実通り。
水島臨海鉄道
- 1910年代
- 主に連島・福田地区と倉敷市街地や駅を結ぶのが目的。
- 倉敷駅を出てから市街地外周を経由するルートだった。
- 戦時体制に入るまではのどかなローカル線だった。
- 戦争中に軍需工場への路線として大幅に輸送力が強化される。
- その後は史実と大差ない雰囲気に落ち着く。
- あまりの変貌ぶりのため社会科の教材などで取り上げられる。
- 当初の社名は「倉敷軽便鉄道」。
- 軌間762mmで開業していたかもしれない。
アストラムライン
- 1980年代前半
- まずは本通-長楽寺が開業。
- 市内中心部は工事が難航した場合「暫定開業」という形をとっている。
- 開業当時の報道ではほとんど「地下鉄」や「モノレール」と表現されている。
- 車両の塗装は白っぽい。
- 祇園新道やシャレオの建設も早まっているはず。
- バブル期には現実以上の延伸計画が持ち上がる。
- しかし実際に開業した区間は少ない。
呉市電
- 1920年代
- 史実でもあった広島瓦斯電軌(現在の広島電鉄)の軌道線計画が実現した形。
- 軌間は広島市内と同じ1435ミリ。
- 広島市-呉市の鉄道線建設が広電の悲願になった。
- しかし開業することはなかった。
- 少なからぬ車両は広島のお古。
- 原爆投下直後は逆に呉の車両が広島へ渡っていたかもしれない。
- 人口や並行路線(呉線)の存在を考慮すると現存の可能性は薄い。
瀬戸大橋線
- 1960年代
- 特急「富士」、準急「砂丘」が四国に乗り入れていた。
- 四国新幹線の用地が確保されていたかは微妙。
- 「現行の瀬戸大橋が老朽化した段階で新幹線対応の新瀬戸大橋を造ろう」という運動があったかもしれない。
- 東京と高知、松山を結ぶ寝台特急が運行されていた。
- ムーンライト松山、高知の先祖に当たる夜行普通列車も存在した。
- 121系は瀬戸大橋乗り入れ可能な規格で作られていた。
- 玉野市は岡山市に吸収されたか。
- 瀬戸中央自動車道は国道扱いか。
- 建設資金の調達方法が郵便貯金ではなく世界銀行の融資という形で行われていたかもしれない。
- 下津井電鉄が国鉄に買収された。
- されない。江若鉄道同様廃線→一部の用地が流用される程度だと思う。
- 四国の電化が早まった。
- そろそろ橋の老朽化が問題に挙がってくる頃だと思われる。
- 宇高連絡船の廃止時期が早まっていたのは言うまでもない。
九州
筑豊電気鉄道
- 1930年代
- 地元資本(主に炭鉱関係者)とどこかの鉄道会社の合弁。
- 当初の社紋は史実と全く異なる。
- 黒崎駅へは自力で乗り入れ。
- 戦時統合で西鉄の路線になっていた。
- 路線名は「西鉄筑豊線」。
- 開業当初の車両は「関東や関西の私鉄電車に匹敵する」無駄に高性能なもの。
- 飯塚辺りまでは何とか開業できていた。
- それでも八木山峠は結局越えられず。
- 貨物輸送はさすがにやっていない。
沖縄都市モノレール
- 終戦直後
- 沖縄県の電車復活として開業されるが、アメリカ式の電車として開業していた。
- 沖縄復帰後は国鉄(JR九州?)が一部の路線として生まれ変わるかもしれない。
- むしろ地元資本による開業。
- 当時のアメリカではインターアーバンが衰退期の真っただ中だった。
- 走る車両は一時期のソウルや釜山の市電ばりにアメリカのお古だらけだった。
- 場合によっては一部車両が現在も保存されている。
- 少なくとも糸満やコザまでは線路が延びている。
- コザ暴動で何両か列車が焼き討ちにあっていた。
- そもそもこの場合は730まで列車も右側通行になるんだろうか?
- 現在では右側通行時代の車両が保存されている。
- 併用軌道の区間がない限りわざわざ左側通行に変える必然性はなさそう。
- 自動車が左側通行から右側通行に変更されたスウェーデンや韓国でもそれ以前にできた鉄道(路面電車を除く)は左側通行のまま。
- そもそも730が出来たのは鉄道がなかったからということも言われますし。
- 1970年代(返還直後)
- 沖縄返還として開業する。もちろんモノレールではなく電車式。
- 現実のルートではなさそう。那覇から名護を結ぶ路線になりそう。
- こっちの場合も6年間だけ列車が右側通行になる。
- もしくは予め左側通行への変更準備が行われていた。
九州新幹線(鹿児島ルート)
- 1980年代前半
- 少なくとも史実のように南から開業することはないはず。
- 駅の数が現実より少ない。
- 鹿児島本線で経営分離される区間はなかった。
- 博多南線は開業しなかったかもしれない。
- 国鉄時代の列車愛称は「ひかり」「こだま」だけ。
- 民営化後に独自愛称の列車が登場。
- 100系登場がこの路線の開業と同タイミングになった可能性あり。
- 夜行新幹線導入が検討されるも幻に終わる。
- 開業時に特急「有明」は全廃。
- 筑後船小屋駅は作られなかった。
- もしくは羽犬塚か瀬高のどちらかに併設。
- 西鹿児島駅が改称されたかどうか微妙。
大分交通別大線
- 1930年代
- 別大国道の整備と並行して建設される。
- 両端の駅にはターミナルビルのようなものが建設された。
- 大分市内の区間は戦後復興で専用軌道化される。
- もう少し「鉄道線」然とした車両が使われていた。
- 場合によっては一部区間が現存していたかもしれない。
- それでも別府市内の併用軌道部分は廃止される。
- 時々身の丈に合わない壮大な延伸計画が持ち上がることもあった。