もし福島県浜通りが宮城と茨城で分割されていたら

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もしあの地域が別の県に属していたら/複数地方

  • 福島/浜通りが宮城と茨城で分割されていたら?
    • 境界は現・双葉郡の中間、標葉郡(史実の大熊町以北)以北が宮城、楢葉郡(史実の富岡町以南)以南が茨城とする。

全般

  1. 常磐自動車道は仙台から南へ順に早くから建設された。
    • 常磐自動車道は、2002年頃に相馬市まで開通し、2000年代後半には熊川まで開通した。
      • 常磐自動車道の仙台⇔中村が早期に開通したため、仙台⇔中村の高速バスも多数運行されている。
        • 仙台水戸の高速バスは、全線が常磐自動車道経由(平以北も中村経由)となっていた。
        • 同じく、仙台⇔東京の高速バスも、全線が常磐自動車道経由(中村と水戸を経由)となる路線が増えており、東北自動車道経由(福島と宇都宮を経由)の路線は史実より減っていた。
      • 寧ろ、1990年代後半に仙台~中村が開通して、2000年代前半には全通している。
        • より明確に、2002年6月の日韓WCに間に合うよう工事が進められ、2002年3月23日に全通した。工事に当たっては、橋本昌(茨城県知事)と浅野史郎(宮城県知事)が、日韓WCの開催も兼ねて同盟を組んだ。
    • 仙台~中村は当初から四車線区間として建設されたが、中村~長塚は当初二車線区間として建設され、開通後に四車線区間に拡張された。
    • 磐前県が存続していた場合も同様だが、広野ICと常磐富岡IC(岩城富岡ICか磐城富岡ICかも)は北の外れではなく、中心市街地の近くに建設されていた。
    • 水戸から北へ順に早くから建設されたのも同様。
      • 常磐自動車道の水戸~平の開通は、史実通り1988年。平~長塚の開通は、1990年代後半。
      • 水戸⇔平の高速バスも多数運行されている。
    • 平IC(史実のいわき中央IC)料金所に表示される「小野」と「郡山」(いずれも平郡自動車道)の2つを除き、常磐自動車道の料金所には、福島県のICが表示されない。
    • 仙台近郊の常磐自動車道と東北自動車道の連絡線は、仙台福室IC(史実の仙台港北IC)~富谷JCTが前で1990年代後半に開通し、仙台南部道路が後で2000年代後半に開通した。
      • 仙台福室IC~富谷JCTは、開通当初は常磐自動車道の所属。しかし、仙台から石巻まで路線(三陸自動車道)が延長された際に、利府JCT~富谷JCTは仙台北部道路に所属路線が変更された。
    • 平⇔福島、平⇔会津、中村⇔福島など、茨城県と宮城県沿岸からは、福島県とを往来する高速バスは運行されていない。例外で、宮城県沿岸と福島県を往来する高速バスは、国道6号国道4号が重なる仙台から発着する路線だけ。
  2. 福島県は海なし県になる。
    • 猪苗代湖をうみと主張する福島県民が現れる。
    • 中通りは浜通りがなくなるのでこの地域区分はなくなり、福島県は県北・会津・県中・県南の4つの地域区分になる。
    • 東日本大震災では新聞やテレビの報道で「福島」は表記されず、福島県は東日本大震災なんてどこ吹く風になっていた。
    • 最北端かつ最東端の海なし県になる(史実では栃木)。
  3. 福島県の面積は約13,800平方kmから約10,800平方kmになり、新潟(約12,600平方km)・秋田(約11,600平方km)に抜かれ4位から6位に転落。
    • 都道府県面積ベスト5以内という売りが無くなる。
  4. 相馬郡や双葉郡や石城郡が成立した郡合併が起こらなかった。
    • 双葉郡は標葉郡と楢葉郡に分かれたまま、相馬郡は宇多郡と行方郡に分かれたまま、石城郡は磐前郡と菊多郡に分かれたまま。
      • 宇多と標葉で「宇葉郡」とか、別の組み合わせも考えられる。
    • 双葉町は存在せず、長塚町のままだった。長塚町も、後に市制を敷いて長塚市になっていた。
      • 合併直前は「長塚村」だったようですが。だとすれば「標葉町」のまま。
        • 「長塚」自治体名がそのまま存続して、長塚村→長塚町→長塚市の順に変遷したと思うよ。常磐線の駅名も「長塚駅」のままだろうから。
  5. 国道399号は、勿来と丸森を結ぶルートか、助川と丸森を結ぶルートのどれかになっていた。
    • 勿来が南側ターミナルの場合は、勿来ICから少し山側~平IC(史実のいわき中央IC)から少し山側~川内~都路~飯館~玉野~丸森のルート。
    • 助川が南側ターミナルの場合は、上記のルートに、史実の茨城県道日立いわき線が国道399号に加わっていた。
  6. 2011年の東日本大震災は、「東北地方太平洋沖地震」という別名で呼ばれず、「2011年宮城県沖地震」という別名で呼ばれていた。
    • 新聞やテレビにおける表記も、「岩手・宮城・茨城・千葉の各県」という表記になっていた。
      • 同じく、日本政府主催の追悼式典には、岩手県・宮城県・茨城県・千葉県の計4県の関係者が出席していた。
    • 復興支援キャンペーンで、「東北」という語は使用されていない。「宮城」「茨城」というように各県ごとに呼ばれているか、「東日本」や「(日本)東海岸」といった名称で呼ばれている。
      • よって、秋田県出身の藤あや子が「あや子のお国自慢」を東北全般にアレンジして歌うということはない。
    • 別名ではなく地震名では。
  7. 東北地方への進入を意味する語として、太平洋沿岸ルートは「勿来越え」ではなく「夜の森越え」という語が使用されている。

相馬・標葉郡が宮城県

  1. 仙南」というエリア名は存在せず、名取から夜ノ森にかけての沿岸部は「相亘(そうこう)」か「相達(そうだち)」というエリア名になっていた。「相亘」は相馬と亘理。「相達」は相馬と伊達。
    • 現実の相双五城信用組合は、「相達信用組合」を称していた。
    • 亘理はらこめしと松川浦ほっき貝定食が、観光でタッグを組んでいる。
    • 浜通り夜ノ森以北は、福島交通ではなく宮城交通のエリアになっていた。
    • 現実の双葉駅は「長塚駅」のまま。
    • 高度成長期に、仙台近辺と中村近辺で工業高専の誘致合戦が勃発。「仙台には既に電波高専が在るだろ」という理由で、中村に工業高専が誘致された。勿論、名称は「宮城工業高専」ではなく「中村工業高専」。
      • 仙台や中村に工業高専は立地せず、寧ろ浪江辺りが漁夫の利をさらって工業高専を立地させた可能性も有る。
      • 高度成長期の工業化は沿岸が中心だから、新地以南だけじゃなくて、松島以北も工業高専の誘致合戦に加わっていただろう。
      • 工業高専が常磐沿岸に立地してる場合、県立宮城大学が白石(内陸阿武隈川流域の城下町)に立地してるかもしれない。
    • 河北新報の中村支局(史実での相馬支局)は総局に格上げされ、常磐線沿線(亘理~熊川)が中村総局のエリア内に入っている。
      • 熊川か浪江にも、河北新報の支局が設置されていたかもしれない。
        • 常磐沿岸では、中村総局以外に、岩沼支局と長塚支局が設置されていただろう。
      • 平は茨城県に属するため、平に河北新報の支局(史実でのいわき支局)は存在しない。
    • 国政選挙の小選挙区エリアは、名取から夜ノ森までの常磐沿岸(相達地域)、白石・丸森・柴田など阿武隈川流域の内陸部(北阿武隈地域?)で、それぞれ一つのエリアになっている。
      • 天野光晴は、この相達地域から宮城県議選や国政選挙に出馬した。
      • 中村と平が別の県になる為、田中直紀(父の地盤が中村)は菅波茂(地盤が平)の地盤を継承せず、地盤は中村のまま。
      • 国政選挙の中選挙区制(1993年以前)における宮城県のエリアは、相達(中村など)・北阿武隈(白石など)・仙台松島など黒川郡以南の一帯が中選挙区制宮城1区となり、加美郡(古川など)・志田郡・遠田郡は中選挙区制宮城2区に入れられていた。
  2. 七十七銀行は、大熊や長塚や浪江にも支店を出していた。逆に、東邦銀行の支店は存在しない。
    • 七十七銀行は、平や小名浜に支店を出していない。
      • 逆に、七十七銀行が平や小名浜に支店を出す場合、水戸にも支店を出している。
    • 東邦銀行は、仙台を除く常磐沿岸に支店を出さず、白石に支店を出している。
  3. 形態を問わず、東京電力の発電所は存在しない。
    • その代わり、東北電力の発電所が多数立地している。
      • 木村守江は茨城県(四倉)の出身となるので、浪江小高原発(東北電力)の誘致構想自体が発生しない。
    • 現実の大熊町と双葉町は一緒に「熊川市」になっている。
      • 郡名の「標葉市」だと「○ねば市」と言われそうだな。
        • 史実の「福島県立双葉高校」に相当する宮城県立高校の名称は、郡名を取って「標葉高校」になっている可能性も有る(丸森にある宮城県立高校が、「丸森高校」じゃなくて「伊具高校」という名称なので)。尚、「標葉」の読みは「しは」にしてるだろう。
          • 学校名が「標葉高校」だと、校歌の1番は「標葉の里は古(いにしえ)の」で始まっていた。
          • 甲子園の宮城県予選が、標葉高校vs仙台育英高校の対戦カードになる年も多かっただろう。
          • いずれにせよ、史実の福島県立双葉高校は、宮城県立で「長塚高校」か「標葉高校」のどれかの名称になっていた。
      • 市制施行は1950年代中期の町村合併の時だが、市名は常磐線の駅名にもある「長塚市」にしているだろう。{市名を「熊川市」にすると、熊川の由来になった国造時代(7世紀前半)の「苦麻の村」とか、県境たる夜の森のすぐ脇、即ち「宮城県の南の外れ」というイメージが濃くなると思われるので。}
    • 梁川(福島県)と長塚(宮城県)が別の県になる為、木川田一隆(梁川出身)と天野光晴(長塚出身)の出会いは不可能で、それ故に東京電力の発電所の誘致も不可能だった。
  4. 観光では、伊達家と相馬家に因んだ話題がキャッチフレーズになる。
    • 「伊達な旅」だと片手落ちになるため、「伊達な△△、相馬な◇◇」というキャッチフレーズが使用されている。
    • 相馬義胤をモチーフにしたゆるキャラも登場している。
    • 当然、むすび丸は相馬野馬追にも宣伝キャラとして登場している。
  5. 国鉄鉄道管理局(後のJR東日本支社)の水戸支社と仙台支社は、熊川駅(史実の大野駅)が境になっていた。なお、熊川駅は仙台支社の所属。
    • 長塚駅が水戸支社と仙台支社の境になっていた。
    • 常磐沿岸平野の交通網の充実が急がれる為、仙台の交通や行政が山形ベッタリにならず、中村・平・水戸などの常磐沿岸平野や、石巻・気仙沼宮古などの三陸沿岸平野が尊重されていた。
  6. 磐城無線電信局のラジオタワーは、原町ではなく広野に建設された。
  7. 常磐線の機関庫は、原ノ町駅ではなく中村駅(現実の相馬駅)に設置されていた。
    • 中村~丸森~白石or福島の鉄道路線が開通していたかもしれない。(史実の「阿武隈急行構想」の一つ)
      • 阿武隈急行の鉄道路線は、福島~丸森~槻木の「本線」と、丸森~中村の「中村線」の計2本。
      • 夏には、相馬野馬追と角田ロケット公園をリンクさせた乗客誘致戦略が実践されているかも。
    • 現実の相馬市は「中村市」を称しており、現実(1954年3月)よりも早く市制を敷いていた。
      • 石巻よりも、中村の方が人口・活気が多くなっていた。
      • 馬追い祭りは、「相馬野馬追」ではなく、「中村野馬追」と呼ばれている。
        • 相馬野馬追の「相馬」は「相馬市」という意味ではない(一連の行事は原町・小高でも行われている)。
        • 馬追い祭りの会場が、原ノ町駅の近くではなく、中村城跡から少し山側に開設されていた。
        • 実際にある高知県『中村市』は、『土佐中村市』となっていた。
      • 史実の相馬高校は「中村高校」という名称になっていた。
        • 一方、私立高校として、中学校併設の「相馬報徳高校」が中村に立地する。
          • 「相馬報徳高校」は、仙台育英高校みたいな高校単独になっているだろう。
      • 史実の福島地裁相馬支部は、仙台地裁中村支部になっていた。
    • 原町の活気は現実の広野と同様で、東北電力の火力発電所も史実通り立地していた。
      • 原町に信金の本店は存在しない。「あぶくま信金」は、白石、福島県(史実の中通り)、中村、平のどれかに本店を置いていた。
      • 日立は、原町ではなく浪江に工場を出し、「日立浪江電子工業」になっていた。
        • 日立グループ企業の立地は史実通りだろう。即ち、浪江が「浪江日立化成工業」で、原町が「日立原町電子工業」。
      • 常陽銀行は、原町ではなく、中村に支店を出していた。
    • 「はつかり」の常磐線内停車駅が、水戸駅、平駅(史実では後のいわき駅)、中村駅、仙台駅の計4つになっていた。
  8. 新地臨海工業地帯が、史実以上に発展していた。
    • 仙台・石巻方面と連続して社会の教科書で「仙台工業地域」と表記されるほどに…なったかも。
      • 高度成長期には、むしろ「仙台湾岸工業地域」という名称で呼ばれていただろう。
    • 冷戦後は、石巻・志津川などの三陸側より、新地・中村・浪江などの常磐側の方が発展していた。これは、常磐自動車道が開通した影響で、海だけじゃなくてICにも近い地域の工場が便利になる為。
  9. 2000年代後半になると、浪江vs石巻の焼きそばバトルが、宮城県の一大グルメイベントになっていた。
  10. 113号線の白石~中村間は相達と両田伊具地域?を結ぶ重要な路線としてバイパスなどの整備が進んでいる。
    • 一方、県境をまたぎ交通量が少ないため、国道114号、115号、史実の福島県道12号の整備は史実以上に遅れている。東北中央道の整備も、震災後は三陸方面や常磐道が優先され遅れていた。
      • 前述の通り、2000年代前半に常磐自動車道が全通しているだろうから、2000年代後半以降(なかんずく3/11巨大地震以後)は三陸自動車道の方が優先的に建設されているだろう。
        • 山形自動車道は、2000年代に全通しておらず、3/11巨大地震の時点で山形までしか開通していない。
    • 阿武隈川流域盆地と常磐沿岸の連絡国道は、新地or中村~白石~赤湯が国道113号、中村~福島のみで国道114号、二本松~浪江が国道459号になっているだろう。
      • 国道459号は二本松~小高になっていたかも。又、国道288号は史実と同じく郡山~長塚。
    • 寧ろ、110番台の国道が史実より大きくズレている。国道49号…新潟~郡山。国道110号…鶴岡~山形。国道111号…坂町~米沢。国道112号…新地or中村~白石~赤湯~今泉。国道113号…中村~福島。国道114号…平~郡山。国道115号…福島~猪苗代。
  11. 宮城県の天気予報エリアは、仙台地方気象台(沿岸岩沼以北)、中村測候所(沿岸亘理以南)、古川測候所(内陸北上川流域)、白石測候所(内陸阿武隈川流域)の、計4地域に分けられている。
  12. 漫画「ハイキュー!」における宮城県の学校には、当然のこと新地以南の学校も登場している。
    • 宮城県限定の「ハイキュー!」グッズには、相馬野馬追い版や浪江焼きそば版も販売されているだろう。
    • 「ハイキュー!」以外にも、相馬野馬追や浪江焼きそばを題材にした漫画キャラやアニメキャラのグッズが販売されている。
      • 藤本弘アニメだと、相馬野馬追がドラえもんかコロ助(キテレツ大百科)で、浪江焼きそばはチンプイかも。
      • 「妖怪ウォッチ」だと、相馬野馬追がジバニャンかブシニャン、浪江焼きそばがコマさん、角田ロケット公園(台山公園)がウサピョン。
        • 角田ロケット公園だと、ウサピョンとイナホの二人組で販売されているかも。
  13. 東日本大震災後における、常磐線の駒ヶ嶺~浜吉田の線路・駅舎の山側移転は史実通り。しかし、復旧日は史実と同様の2016年12月10日か、1年早く2015年のどれかになっていた。
    • 茨城県区間は2012年9月までに復旧を果たしており、宮城県区間はこの駒ヶ嶺~浜吉田の山側移転の完了を以って復旧した。この宮城県区間の復旧を以って、常磐線は全線復旧した。
      • 常磐線の全線復旧式典は、仙台駅で開催された。
        • 全線復旧式典で出発する一番列車は、仙台発上野行の特急列車。
        • 全線復旧式典に出席する政府と自治体の関係者は、安倍晋三・首相、村井嘉浩・宮城県知事、奥山恵美子・仙台市長。橋本昌・茨城県知事が出席したかどうかは未知数。
  14. 陸運局(自動車検査登録事務所)が、仙台の外にも、石巻か中村のどれかに設置されていた。
    • 石巻に陸運局支部が設置されている場合は、宮城県内は仙台ナンバーと石巻ナンバーの2地域。
      • この場合、仙台ナンバーのエリアは松島丘陵以南(阿武隈川沿い盆地・常磐沿岸が該当)で、石巻ナンバーのエリアは松島丘陵以北(北上川沿い盆地三陸沿岸が該当)。
    • 中村に陸運局支部が設置されている場合は、宮城県内は仙台ナンバーと中村ナンバーの2地域。
      • この場合、仙台ナンバーのエリアは名取以北で、中村ナンバーのエリアは岩沼以南。

楢葉・石城郡が茨城県

いわき市が茨城県に。
  1. 日立市から夜ノ森にかけての沿岸地域は、「県北地域」ではなく「常磐地域」と呼ばれている。
    • 茨城新聞の地域版は、日立と鹿嶋が一緒にされる「県北・鹿行」というメチャクチャなエリアではなく、日立市といわき市が一緒のエリアに入れられている。
      • 「常磐」エリアとなる
      • 木村守江(四倉出身)が茨城県知事に就任しなかったら、いわき市は成立しなかった。
      • 富岡町は楢葉町を編入して市制を敷いたが、この際に「岩城富岡市」か「磐城富岡市」に改名した。
    • 形態を問わず、東京電力の発電所が常磐地域に集中的に立地する。このため、Jヴィレッジは現実と同じく、広野に立地している。
      • 「サッカーの合宿地」を謳った観光宣伝が盛り上がっていた。
        • この場合「東京から中小都市へ」をスローガンにして、茨城県のサッカー関係者がJFAの広野への移転を要請している。この誘致合戦には、駿河地方や熊野三山のサッカー関係者も参加している。
          • 鹿島アントラーズや日立に関わりのある柏レイソルがよく利用することになる
            • それなら、同じ丸の内御三家・古河電工に関わりのあるジェフユナイテッド市原・千葉もよく利用しそう(古河電工の子会社である古河電池が、平に工場とアマサッカーチーム(この世界では「平古河FC」という名称)を保有している為)。
            • 丸の内御三家は、史実ではJヴィレッジを頻繁に使用していないから、Jヴィレッジが茨城県であっても、使用頻度は史実と異ならないだろう。
      • 磯原か高萩にも、東京電力の火力発電所が立地しているだろう。
    • 観光ガイドでは、偕楽園と白水阿弥陀堂が「茨城県の二大庭園」として紹介されている。
    • 常陽銀行は、広野や富岡にも支店を出している。
      • 一方で、東邦銀行の茨城県内支店は水戸と平のみで、常陽銀行の福島県内支店は郡山と白河のみ。
    • 楢葉郡内の茨城県立高校として、富岡高校以外に広野高校も存在している。
      • その後両校は合併して「楢葉高校」になっていた。
        • 広野は工業団地都市(史実の磯原と同規模)として発展する可能性が高いので、広野高校と富岡高校の合併は起こらないだろう。
    • 国政選挙の小選挙区エリアは、常磐地域がそのまま一つのエリアになっている。東海村以南は水戸と一緒のエリアで、助川以北とは別のエリアになっている。
      • 中選挙区制(1993年以前)の茨城2区のエリアは、史実の中選挙区制茨城2区+浜通り夜の森以南となっていた。
      • 助川と平の人口集積が高いから、助川と一緒の小選挙区、平と一緒の小選挙区の2つに分かれていそう。
    • 常磐地域の工業高校所在地は助川、勿来、平の計3箇所で、高萩には初めから工業高校が設立されなかった。
    • 工場や工業団地の立地が小名浜や平に偏らず、高萩、磯原、広野、富岡にも遍く広がっていた。
    • 高度成長期の新産業都市はこの常磐地域が指定され、指定地域名も「常磐」になっていた。
    • 磯原市・小名浜市・広野市の3市共同で、童謡のイベントが開催されていた。
  2. 現実の磐城高校は「平第一高校」という学校名で高校ラグビーの茨城県代表の常連になっている。
    • 同じく、史実の磐城桜ヶ丘高校は「平第二高校」になっている。
    • 小名浜に立地する茨城県立高校に、「小名浜第一高校」(旧制中学校系統)と「小名浜第二高校」(高等女学校系統)の二つが存在する。
      • 史実通り、磐城市があった場合は「磐城第一高校」(旧制中学校系統)と「磐城第二高校」(高等女学校系統)の二つが存在
        • 寧ろ小名浜市になっている。「磐城」だと磐城平藩なかんずく磐城平城下のイメージが強いし。
        • 小名浜第二高校は平成に入る頃から「オ○ニー高校」と揶揄され出したため、水産高校と統合して「小名浜海星高校」に改名しただろう。
          • ということは、茨城県立の水産高校の所在地は、那珂湊ではなくて小名浜か?
    • 平第一高校(県立)は、寧ろ甲子園の茨城県代表の常連というイメージの方が強くなっている。
      • これに水戸商業高校(県立)や常総学院(私立)が加わるのは史実通り。
      • 寧ろ小名浜勢の方が強いのでは?よって、甲子園の茨城県代表は、小名浜海星高校(県立)、水戸商業高校(県立)、常総学院(私立)辺りが常連になるだろう。
    • 花園の茨城県予選は、平第一高校に、茗渓学園(私立)と平工業高校(県立)も加わるだろう。
  3. 「アクアマリンふくしま」という名称の水族館は存在しない。
    • 「アクアマリンいわき」か「アクアマリンおなはま」か。
      • 「アクアマリンいばらき」や「アクアマリンじょうばん」も有力候補に挙がっている
    • もし小名浜に県営水族館が立地している場合、当初の名称は「小名浜水族館」で、暫くして「アクアワールド小名浜」に改名された。
  4. 常磐自動車道は1997年に富岡まで開通し、富岡までが複線区間に。
    • 北関東自動車道は2000年代後半に全通した。一方、磐越自動車道は2012年時点で全通していない。
      • そもそも平~新潟が磐越自動車道という一本の路線にならず、平~郡山が「平郡自動車道」、新潟~郡山が「会津自動車道」の二本に分かれている。
        • 会津自動車道の全通は1997年10月1日だが、平郡自動車道の全通は2015年3月1日。
          • 否、会津自動車道も、全通は1997年10月ではなく、2000年代後半になっている。平が同じ沿岸軸の水戸(同県内)・中村・仙台との交流を強めるなら、新潟も同じ沿岸軸の長岡・村上(同県内)・酒田との交流を強めるだろうから。
        • 郡山JCTは十字型にならず、史実のいわきJCTみたいな丁字型になっていた。なお、郡山JCTは東北自動車道と会津自動車道(新潟方面)の分岐。
        • 東北自動車道と平郡自動車道(平方面)の分岐は南郡山JCT(or郡山永盛JCT)で、史実の安積PAの位置に南郡山JCT(or郡山永盛JCT)が建設された。
        • 平郡自動車道の着工は、北関東自動車道の全通より晩く、2010年頃になっていた。全通後も、平~郡山の全線が対面通行区間のまま。
        • 一般国道も同じく、新潟~郡山のみが国道49号で、平~郡山は国道114号になっている。他の交通網も合わせると、新潟~郡山は国道49号・会津自動車道・会津線、平~郡山は国道114号・平郡自動車道・平郡線となる。
    • 国道288号の海側ターミナルである熊川(現実の大熊町+双葉町)までが複線区間になっている。
      • 長塚以南と仙台~中村が当初から複線で建設されて、長塚~中村が全通後に複線化された。勿論、3/11巨大地震が起こる前に複線化は完了していた。
    • 前述の通り、常磐自動車道の茨城県区間は、水戸~平の開通が史実通り1988年3月24日で、平~長塚の開通が1990年代後半。
  5. 現実の「北茨城市」は「磯原市」になっていた。
    • 昭和の大合併の「いわき市」誕生が史実通りあった場合、現実の北茨城市の大部分が含まれていた。
  6. 第二次大戦後の工業高専は、勝田ではなく平に立地している。
    • 学校名は、当初の名称である「平高専」のまま。
      • 読み方をもじって「平行線」と言われてそう。
  7. 中通りへの連絡線は、平~棚倉~白河のルートになっていた(常磐地域~久慈川流域~中通り南部のルート)。このため、「磐越」を称する路線は存在しない。
    • 住民から白平線と呼ばれていた
    • 史実の水郡線は、「久慈線」という路線名になっていた。
      • 岩手県の路線とかぶるので「大子線」じゃないのか。
      • もしこちらが「久慈線」だった場合、久慈~普代間は八戸線に組み込まれる。したがって三陸鉄道北リアス線は普代~宮古間の路線になっていた。
    • 一方、中通り~会津下越の連絡鉄道と連絡高速道路は、中通りからは史実と同じく郡山が発着点。
    • 東白川郡が茨城県に編入されなかったら、中通りへの連絡線は、史実通りの平~小野~郡山のルートになっていただろう。
      • 平郡線とよばれた
      • 史実の磐越東線は「平郡線」を称して、磐越西線は「新郡線」か「岩越線」(岩代+越後)を称していた。
        • 磐越西線が「会津線」を称して、会津鉄道会津線が「田島線」を称していたかも。
  8. 常磐線の機関庫は、史実通り平駅(現実のいわき駅)に設置されていた。
  9. 観光宣伝で「東北」という語は使用されていない。従って、小名浜は「東北の湘南」を称せず、広野は「東北に春を告げる街」というキャッチフレーズを使用していない。
    • 「東北の湘南」は相馬地方または宮城県内に誕生した
      • 松川浦から亘理にかけての地域が、「東北の湘南」を名乗っているだろう。
    • スパリゾートハワイアンズの土産物店には、茨城県のコーナーが特設されており、福島県のコーナーや東北のコーナーは特設されていない。
  10. 県内の天気予報は、茨城県南部として土浦、茨城県中部として水戸、茨城県北部として平の予報が報じられている。
  11. 物産では、常陸太田の常陸秋そばと川内の川内高原そばが、「温暖な地域のそば」として注目されている。
    • 常陸秋そばと川内高原そばのそば対決も、茨城県を代表するグルメイベントになっているだろう。
  12. いわき平競輪場が茨城県になるので、所属ブロックが取手と同じ関東になっていた。
    • ブロック分けは確実に今のものとは異なっていた。弥彦と富山が函館・青森と一緒の北日本になっていたりしたかもしれない。
  13. 常磐津島が宮城県となるため、DASH村は茨城県の北外れとなる川内や都路に建設されていたかもしれない。
  14. 茨城県庁が主催する東日本大震災の津波犠牲者慰霊祭は、大洗、磯原、常磐富岡のどれかで開催されていた。
    • 大洗鹿島線が、東日本大震災から僅4ヶ月後(2011年7月12日)に全線復旧を果たした事を踏まえると;津波に呑まれた常磐線の富岡駅も、1年半後の2012年9月には復旧していた。なお、富岡付近の線路と駅舎の山側移転は実施されず、現在地で復旧した。
    • 茨城県で開催される東日本大震災の復興支援イベントに、フラガールたちが出席していた。
  15. 史実での浜通り夜の森以南選出の福島県議会議員は、茨城県議会議員になっていた。
    • 渡辺敬夫は茨城県議会議長を経てから、清水敏男は茨城県議会議員を経てから、それぞれ小名浜市長選挙に出馬した。
    • 勿来以北選出の茨城県議会議員の中に、茨城県知事選挙に出馬する者も現れただろう。
  16. 陸運局(自動車検査登録事務所)の所在地は水戸、土浦、平の計3箇所。
    • 茨城県の自動車ナンバープレートは、水戸ナンバー、土浦ナンバー、筑波ナンバー(ご当地ナンバー)、平ナンバーの計4種類。
    • 助川以北の沿岸部(常磐地域)は、平ナンバーのエリアになっていた。

関連項目