もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら/政治
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- 権威主義が継続してる間は実質上の自由民主党の一党独裁状態
- 左派政党は史実以上に不遇を受けることになるのは避けられない
- 日本共産党に至っては非合法化されているかも知れない
- JCIAが予定通り発足していた(後述)場合は非合法化されていただろう
- 共産党は現在も非合法であるのは間違いないだろう。そして憲法にもそれを正当化するような条文が盛り込まれているに違いない。
- 史実で共産党に入っていた政治家の一部は中国やモンゴルに亡命し、そこで亡命政府を立ち上げていたかも。
- 吉田内閣が史実より若干長続きするため、自民党の結党自体も史実より若干遅れるかも知れない。
- 逆に鳩山一郎との再合流が史実より早まることで、自民党の結党も史実より少し早まる可能性もある。
- この場合、自由民主党の初代総裁は吉田茂。
- 逆に鳩山一郎との再合流が史実より早まることで、自民党の結党も史実より少し早まる可能性もある。
- 社会党は一貫して右派が主流。左派は弾圧される。
- 日本共産党に至っては非合法化されているかも知れない
- 史実のスペインのフランコ政権に近い政治体制になっていた。一般的にはフランコ独裁時代のスペインはファシズムと思われているが、実態はスペイン内戦後の戦後処理を行う開発独裁体制という一面もあった。
- 左派政党は史実以上に不遇を受けることになるのは避けられない
- 吉田茂・鳩山一郎両首相のどちらかの時代に日本版の中央情報局(JCIA)の発足が実現していた
- JCIAは主に対外部門として活動しており、国内向けは特別高等警察が活動している。
- 安保闘争は国家権力を行使して警察や軍により強制的に鎮圧されていた。
- これにより日米安全保障条約の改正はすんなりと実現していた。
- 直後のアメリカのアイゼンハワー大統領の来日が実現し、岸首相との日米首脳会談も普通に行われていた。
- 岸信介政権が史実よりかなり長続きし、高度経済成長期を象徴する安定政権として現在まで有名になっていた。
- そしてこの岸政権の下で大規模な開発独裁が全国各地にて行われることになり、結果としてインフラ整備は史実よりかなり進んでいた。
- この開発独裁の恩恵を最も受けたのは国鉄や道路公団だが、私鉄も積極的に路線や事業を拡大することになった。
- 結果として国鉄や道路公団の独占となる線区が史実より大幅に減り、国鉄が殿様商売に走ることはなかった。
- 池田勇人と佐藤栄作は首相にはならないが、国家の成長を担当する内閣府特命大臣として日本の高度経済成長に貢献していただろう。
- 池田勇人は高度経済成長の立役者として国民から幅広く支持を集めるだろうが、佐藤栄作は史実ほど国民からの支持を得られなかった。
- 1972年頃に岸信介は政権を下野し、田中角栄がその後継者になっていた。
- そしてこの岸政権の下で大規模な開発独裁が全国各地にて行われることになり、結果としてインフラ整備は史実よりかなり進んでいた。
- 史実と同様、田中角栄は列島改造論を打ち出し、インフラの整備を更に推進させる。
- ロッキード事件は回避でき、田中角栄は逮捕されずに済んだ可能性は断じて低くない。
- ならば日本列島改造を続けることができたかも知れない
- ロッキード事件を回避できたとしても、田中角栄は天皇陛下(昭和天皇)に罷免されて政権から下野する羽目になった可能性も低くない。
- 最悪の場合、韓国の朴正煕大統領のようにJCIAの銃弾に倒れて天寿を全うできなかったかも知れぬ…
- 田中角栄はおそらくロッキード事件は回避も、イラン革命や米中国交正常化などの影響で昭和天皇の勅令で罷免され首相を辞職…な気がしてきた。
- 最悪の場合、韓国の朴正煕大統領のようにJCIAの銃弾に倒れて天寿を全うできなかったかも知れぬ…
- ロッキード事件は回避でき、田中角栄は逮捕されずに済んだ可能性は断じて低くない。
- 日韓国交正常化は史実より早まった可能性は高い
- 韓国へのODA拠出も史実と同じく行われる
- 逆に日中国交正常化は史実より遅れ、田中角栄の首相在任中と中国の国家主席の毛沢東の存命中には間に合わなかった。
- 福田赳夫が日中国交正常化を実現させた首相となっていた。
- 中国残留孤児の初の帰国も史実より遅れた
- 台湾との国交断絶は史実より遅れた
- 場合によっては台湾と中国をそれぞれ国家として承認していたかもしれない。
- むしろ現在も台湾政府を承認していた。
- 「2つの中国」を認める日本の外交姿勢がきっかけで、台湾政府も「1つの中国」にこだわるのをやめていただろう。
- 結果として韓国と台湾の国交断絶もなく、あわやそうなりかけても日本の執り成しで事なきを得ていた。
- 場合によっては台湾と中国をそれぞれ国家として承認していたかもしれない。
- 沖縄の本土復帰が史実より早まった
- 逆に数年遅れたか…?
- 1978年~1980年辺りに遅れた可能性が高い
- 返還後の沖縄にも米軍基地が多数あるのは史実とあまり変わらない。
- ニクソンショックが無かったら逆に史実より早く本土復帰していただろう。
- 逆に数年遅れたか…?
- パラオの日本復帰が実現していたかも知れない
- その可能性は流石に低いと思う。ただ、天皇を国家元首とする人的同君連合を組んでいた可能性は大いにある。
- ミクロネシア連邦ももしかしたら上述のパラオのようになっていたかも。
- マーシャル諸島も。
- 北方領土奪還に向けた動きは史実よりは早くからあった
- だが、返還はまだ実現していない
- むしろ返還に向けた対ソ→対ロの交渉は史実ほど平和的ではない
- ソ連崩壊後から2018年現在に至るまでに、1回程度は北方領土を巡る軍事衝突が起きていた。
- ソ連崩壊前にもやっぱり軍事衝突が起きているだろう。場合によっては史実のキューバ危機レベルの事案になっていた可能性もある。
- むしろ返還に向けた対ソ→対ロの交渉は史実ほど平和的ではない
- だが、返還はまだ実現していない
- 大都市の地方選挙で革新政党の候補が勝利することは皆無だった
- 美濃部亮吉は東京都知事選に当選できず革新都政は誕生しなかった。
- 場合によっては美濃部亮吉は逮捕され、有罪判決を受け刑務所で服役することを強いられてた。
- 美濃部ではなく秦野が知事だった。
- 刑期を終えた後国政選挙に出馬していたかも
- 或いは政界には入らず経済学者として一生を終えた。もし政界に入っていたら史実以上に二世政治家とみなされていた(美濃部の母方の祖父が数学者でありながら政治家としても活躍した菊池大麓なので)。
- 史実で美濃部が初当選した1967年に東京都知事選に自民党推薦候補として立候補したのは秦野章ではなく松下正寿なので松下が知事に当選していた。秦野は東京都知事選挙に出馬せず史実のように参議院議員選挙に出馬・当選し直接国政入りした。
- 刑期を終えた後国政選挙に出馬していたかも
- 横浜市の飛鳥田一雄による革新市政も最初からなかった
- 横浜市営地下鉄のルートが史実と違っていた
- 横浜スタジアムの場所や竣工時期も史実とは異なるかも知れない
- 仮に飛鳥田一雄が史実と同様に横浜市長になってた場合、社会党から自民党の左派勢力へ鞍替えしていただろう。
- この場合だと、飛鳥田は自民党内では鳩山威一郎や中川一郎などとならぶ党内の親ソ派の重鎮に名を連ねている。
- 飛鳥田自身を領袖とする独自の派閥を作っていたかも。
- 黒田了一の大阪の地方行政掌握もなかった。
- 左藤義詮による大阪の地方行政が史実より長続きした。
- 蜷川虎三による京都の地方行政掌握もなく、高山義三が後述の京都特別市行政長官になっていた。
- 美濃部亮吉は東京都知事選に当選できず革新都政は誕生しなかった。
- 地方自治体の再編は史実より進んでいた
- 大阪都構想も1950年代後半までに実現したほか、横浜や名古屋、京都や神戸も東京や大阪と同じく特別区へと移行していた。
- 更にこれら六大都市は都制よりも更に先進的な全域が特別区の広域直轄市へと移行
- イギリスのGLA(グレーター・ロンドン・オーソリティ)のようになっていたであろう。
- 岸信介政権の行革政策により、東京特別市、横浜特別市、名古屋特別市、京都特別市、大阪特別市、神戸特別市に
- 名古屋・愛知と大阪は完全な県市合併と府市合併
- 名古屋・愛知の県市合併はその後三河地方が別の県として独立していたかも。
- 横浜・神奈川、京都、神戸・兵庫は都農分離で郊外や地方部が独立した県として分離
- 小田原県、舞鶴県、出石県、加古川県が発足
- これに際して川崎直轄市が発足するが、1970年代終盤までに横浜特別市に統合される。
- 名古屋・愛知と大阪は完全な県市合併と府市合併
- 北九州市は西京市となり更に周辺自治体、下関市やその近隣自治体を巻き込んで西京直轄市に。
- 福岡市も周辺自治体と合併。中央直轄の広域市の福岡直轄市に再編。
- 福岡直轄市は壱岐と対馬を長崎県から編入
- 西京直轄市と福岡直轄市の発足で福岡県は廃止
- その後西京と福岡も特別市に昇格。西京特別市と福岡特別市の誕生
- 旧福岡県の残部(筑後地方)は佐賀県・長崎県と合併して西九州道になっていた。
- 特別市と直轄市では特別市の方が権限が大きい
- 特別市と直轄市への昇格には内閣の承認が必要なのは間違いない
- 更にこれら六大都市は都制よりも更に先進的な全域が特別区の広域直轄市へと移行
- 広域自治体の再編も史実より進んでおり、各地で道県の合併や分割が行われてた事例がある。
- 基礎自治体の昭和の大合併も史実より早くに進んでいた。
- 平成の大合併は逆に史実ほど進まなかったかも知れない
- 場合によってはバブル景気がなかったり、東京一極集中が史実ほど進まない可能性があるので
- バブル景気は当然起こらないし、東京一極集中も田中角栄政権以降は大幅に緩和されるから、平成の大合併は史実のようには進まない。
- 結果こんなページが作られることはなかった。
- 大阪都構想も1950年代後半までに実現したほか、横浜や名古屋、京都や神戸も東京や大阪と同じく特別区へと移行していた。
- タレント、元スポーツ選手、文学者の政界進出は史実ほど進んでいない
- 史実においてタレント候補として選挙に出馬した芸能人の多くは選挙に出馬することなく芸能活動を継続した
- 横山ノックは漫才トリオを解散して参議院議員選挙に立候補しなかったか、したとしても史実より遅れた
- 石原慎太郎や野坂昭如の政界進出も遅れた可能性が高い。
- 石原慎太郎に関しては仮に政界に進出したとしても、一旦国政を離れて東京都知事になることはなかっただろう
- 青島幸男の東京都知事選挙への出馬はなく、当選と都知事就任も当然なかった
- 1996年の世界都市博覧会は予定通り開催されていた
- そもそも府県知事は内務省相当の官庁による官選になっていた。北海道と東京都は内閣による任命だった。
- 返還後の沖縄県も内閣による任命だったであろう。
- 大阪都構想は国策で既に実現しているため、橋下徹が大阪府知事や大阪市長になることはなかったし、大阪維新の会が成立することもなかった
- 従って国政政党としての日本維新の会は当然今も存在しない
- もし橋下徹が史実通り政界に進出するのであれば、おそらく自民党の中曽根康弘の流れを汲む経済自由主義派閥に所属している。
- 史実においてタレント候補として選挙に出馬した芸能人の多くは選挙に出馬することなく芸能活動を継続した
- 国内での民主化運動の高まりや、海外での相次ぐ民主化の事例の増加を受けて、中曽根康弘政権の下で結局再び日本は民主化され、権威主義体制には終止符が打たれることとなった。
- 中曽根康弘政権の最大の実績が三公社の民営化ではなく国の民主化になる。
- 加えて中曽根政権が史実より長続きするため、竹下登と宇野宗佑は首相にならない。
- 中曽根政権では民主化は不十分なままだった。
- 中曽根政権における民主化は経済面での規制緩和などにとどまっていた。
- 1987年頃に、民主化勢力による史実の天安門事件レベルの暴動が東京都心部のどこかで起こり、これがきっかけで中曽根康弘は首相を辞職していた。
- 中曽根康弘政権の最大の実績が三公社の民営化ではなく国の民主化になる。
- 小沢一郎が自民党を分裂させることはなく、自民党政権の首班として首相になっていた。
- しかし小沢一郎は政権運営の失敗で結局退陣を強いられることになる。
- 自民党が初めて政権から下野することになるとしたらこのときかも知れない。但しそれにより発足した左派政権も短命に終わり、結局遅かれ早かれ自民党は政権を奪還する。この時に首相になるのが小渕恵三。
- 小渕恵三は自自連立の件でストレスを史実ほどストレスを受けず、突発的な発病と急死は回避できた。
- 小渕政権の誕生は史実より遅れるが、首相の急病のないまま任期満了を迎え退陣。森喜朗は首相にならず、小泉純一郎政権の発足も史実より後年に。
- 小泉純一郎は首相にならない気がする…それどころか自民党を離党する可能性も高い
- 小泉純一郎が自民党を離党していた場合、現在は小池百合子や渡辺喜美と共に自身が旗揚げしたネオリベ政党を率いている。
- 小渕政権の誕生は史実より遅れるが、首相の急病のないまま任期満了を迎え退陣。森喜朗は首相にならず、小泉純一郎政権の発足も史実より後年に。
- この時代の小沢一郎は史実の今と違いネオリベ寄りだったから、史実の小泉純一郎がやっていたような政策をやっていたかも。
- でも国民からの支持は得られない。そして社会党政権でこれらのネオリベ政策は白紙に戻される。
- 小沢自身はその後自民党を離党し、小泉・小池・渡辺率いるネオリベ系政党に合流していたが、結局すぐに離党し史実のような経歴をたどりそう。
- しかし小沢一郎は政権運営の失敗で結局退陣を強いられることになる。
- 民主化は冷戦時代には間に合わず、冷戦終結後の20世紀終盤になってようやく実現した可能性もある。
- むしろこっちの方がよっぽど可能性が高い気がする。
- この場合、民主主義復古を成し遂げた内閣総理大臣はおそらく首相就任が史実より遅れた海部俊樹
- もしくは史実では首相になれなかった安倍晋太郎か。
- 安倍晋太郎首相が民主化を達成していた場合、確実にノーベル平和賞を受賞していた。
- 海部俊樹の首相就任はむしろ史実より早まっていた。史実では首相に就任できなかった安倍晋太郎が首相として民主化を達成していた。
- この場合、民主主義復古を成し遂げた内閣総理大臣はおそらく首相就任が史実より遅れた海部俊樹
- むしろこっちの方がよっぽど可能性が高い気がする。
- 民主化の数年後に小沢一郎が自民党政権の首相となるが、小沢首相の政権運営の失敗とITバブル崩壊が原因ではじめて自民党政権が崩壊した可能性が高い。
- この政権交代で首相となるのは社民党の永井孝信が最有力。
- しかし左派政権もアメリカ同時多発テロ事件以降のアメリカのブッシュ政権との摩擦や民主化に起因する不景気や社会不安などで短命に終わる。
- 民主化以降の左派政権が崩壊した後は自民党と左派政党と保守系野党の大連立政権がしばらく続いた。
- この大連立政権で自民党から担ぎ出された首相は福田康夫と鳩山邦夫が最有力
- 史上初の戦後生まれの首相は安倍晋三ではなく鳩山邦夫に
- このとき連立与党になったのはおそらく民主進歩党(史実の民主党に相当)と国民進歩党(史実の国民新党に相当する保守左派政党)。
- 2008年のリーマンショックに起因する世界金融危機が原因で大連立政権を構成する各党間に摩擦が一気に生じる。これが21世紀序盤から数年続いた大連立政権の解消へと繋がった。
- 世界金融危機と大連立政権解体後に自民党単独政権に戻ることとなった。
- このときに首相に就任した麻生太郎首相による政権が長期安定政権として現在まで続いているかと思われる。
- 他党との連立を組む可能性もなくはないが史実の公明党の連立参加はあり得ない
- 民主党政権誕生もなければ安倍晋三も首相にはなっていない。
- 史実の民主党→民進党の重鎮の一部は自民党や旧社会党系の政党に残っているか他党に鞍替えしている。
- 安倍晋三は麻生内閣で外務大臣を務めている。
- 中川昭一の落選と急逝もなかった
- 中川昭一はおそらく北海道自治大臣を務めているだろう。
- 麻生太郎の首相後継者として最も有力視されている人物なこと間違いない。
- 中川昭一はおそらく北海道自治大臣を務めているだろう。
- 副首相は菅義偉が務めている。
- こちらも麻生首相の後継者として有力視されているのは確実。
- 副首相になる前は内務大臣を務めていた
- 副首相は正式に内閣を構成する国務大臣のポストの一つになっていた。
- その場合、長期政権にはならず、2022年7月に射殺されることもなかったかもしれない。
- その場合、2020年代前半の出来事と言えば、新型コロナ、ウクライナ侵攻。
- 当然ながら旧統一教会問題もなかった。
- その場合、被害に遭った信者が立ち上がることもなかった。
- 当然ながらその被害に遭った信者も社会問題になることもなかった。
- その場合、被害に遭った信者が立ち上がることもなかった。
- その場合、東京五輪汚職事件もなかったかもしれない。
- それでも岸田文雄の新型コロナ、ウクライナ侵攻の対応は史実通り。
- その場合、政治資金パーティー収入の裏金問題は隠蔽されていたかもしれないもしくは史実より判明も遅れていた。
- 麻生太郎は2017年あたりに老齢を理由に一線を退いていたかも。ここで前述の中川昭一や菅義偉が首相に就任していた。
- このときに首相に就任した麻生太郎首相による政権が長期安定政権として現在まで続いているかと思われる。
- たちあがれ日本、生活の党、新党改革が結党されることはなかった。
- 先述の通り、橋下徹の政界進出がないので日本維新の会も存在しない。
- 史実で日本維新の会に所属していた政治家は、自民党に所属していたか、小泉・小池・渡辺が率いるネオリベ政党に分かれていた。
- 先述の通り、橋下徹の政界進出がないので日本維新の会も存在しない。
- 小池百合子が東京特別市(史実の東京都)の首長になることもないので、都民ファーストの会も結党されず
- 公明党の結党は民主化後になっていたか、そもそも結党すらされなかった。
- その代わり自民党または別の保守系政党に何名か創価学会員の政治家がいたかもしれない。
- そもそも創価学会自体が史実ほど大きくなっていたかどうか。
- 少なくとも外務省が創価学会に牛耳られることはなかっただろう。
- そもそも創価学会自体が史実ほど大きくなっていたかどうか。
- 右派社会主義系の政党にも創価学会員の政治家がいそうだ。
- リベラル左派政党にも少数ながら創価系議員がいるかもね。
- 創価学会員の政治家が超党派の議員連盟を作っていたかもしれない。
- その代わり自民党または別の保守系政党に何名か創価学会員の政治家がいたかもしれない。
- 維新政党・新風や日本第一党のような極右政党も非合法化され、それらの政治団体で活動していた活動家は逮捕され投獄されていた。
- ナチズムを掲げる極右団体も同様に非合法化されていた。当然組織の重鎮は逮捕され実刑を受けるのは不可避。
- ヘイトスピーチ禁止法が制定され、史実のネット右翼や自称「反差別・反ヘイト」界隈は相当不自由な境遇を強いられていた。
- どちらも首相の指示で最低でも逮捕・拘留されていた。
- 自由民主党が保守政党による国際組織である国際民主同盟から離脱することはなかった。
- 自民党と米国共和党、英国保守党、中華民国の国民党や韓国の政権与党との関係は今も史実以上に緊密。
- 小和田恒が外務省で力を持つことはおそらくなかった。従って、小和田雅子は皇太子妃にならず、適応障害に苦しむこともなかった。
- 皇太子徳仁親王妃には、徳仁親王殿下がファンであることで有名であり、実際に本人と親交もあった柏原芳恵が選ばれていた。
- 柏原芳恵が徳仁親王のもとに入内した場合、芳子と改名していた。
- もしくはアメリカ人女優のブルック・シールズが皇太子妃になっていたかも。
- この場合、世界中が大騒ぎになるのは間違いないだろう。それでも日米両国民の感情は概ね良好だろうが。
- 場合によってはその年のノーベル平和賞候補として名前が挙がっていたかもしれない。まあ、受賞する可能性は低いが。
- 皇太子徳仁親王妃には、徳仁親王殿下がファンであることで有名であり、実際に本人と親交もあった柏原芳恵が選ばれていた。
- 北海道自治省と沖縄自治省が年代が進むと設置され、戦前の海外領土のような本土とは一線と画した行政運営が北海道と沖縄では行われるようになっていた。
- 反共独裁政権期末期にパラオが返還されてからは、パラオでも同じこれと行政運営が行われている。
- これらの地域では民主化後も通常の自治体と比べて民主主義や住民自治が著しく制限されている代わりに、住民税が実質無税でその他の税も内地に比べるとやや安くなっている。
- 企業の法人税なども割安になっていそうだ。
- 中央政府の行政機関とその再編の経緯が史実とことなる。また所掌事務に関しても所々で史実と差異がある。
- 内務省は吉田茂、鳩山一郎、岸信介のいずれかの代で権威主義復古する際に再設置された。
- 総務省は誕生せず
- 史実の総務省がやっていることの多くはここがやっている。
- 防衛庁は当初より防衛省。その後国防省への改組を経て、国防総省と傘下の専門各省へと分割された。
- 陸軍省と海軍省が復活。また空軍省も設置された。
- 特高軍が創設された場合は特高軍省も設置された。
- 国防総省の外庁に退役軍人庁が設置。その後に退役軍人省になって現在に至る。
- 靖国神社と遊就館、護国神社の運営管理も退役軍人省の所掌事務
- 退役軍人やその親族及び関係者の福利厚生もこの退役軍人省が担当
- 国家公安委員会も権威主義復古で公安省となり、しばらくしてから、公安総省と傘下の専門各省へ分割された。
- 史実のような所謂「小さな政府」作りを目的とした2001年の省庁再編のような行政機関の再編は行われなかった。
- 各省庁やその所掌事務を再編する省庁再編は何度か行われている。
- 建設省は解体され、運輸省などがその所掌事務を引き継いでいた。
- 米国に範を取って住宅都市開発省が創設された可能性も低くない。
- 史実の建設省は内務省解体により誕生した省庁なので内務省が再設置された時その母体となった。
- 内務省は吉田茂、鳩山一郎、岸信介のいずれかの代で権威主義復古する際に再設置された。
- 小泉純一郎政権が誕生することはなかった。また、史実の民主党が政権与党になることもなかった。
- 新自由主義的政策もほとんど行われなかった。
- 昔の小沢一郎がこういう政策をやっていた可能性はあるが、いずれにしろ上述の大連立政権発足時に白紙に戻されていただろう。
- 鳩山由紀夫と菅直人の首相就任もなかった。
- リーマンショック以降も麻生太郎が長期間首相を務めるため、財政出動と金融緩和が継続され、リーマンショック以降の不況が長きにわたり尾を引くことはなかった。
- 新自由主義的政策もほとんど行われなかった。
- 民主進歩党(史実の旧民主党→民進党)の議員の一部は自由民主党か(史実の日本社会党→)社会民主党に在籍している。また史実の日本維新の会の議員の一部も自由民主党に在籍。
- 松野頼久、野田佳彦、足立康史は自民党に在籍している。
- 茂木敏充は政界入り当初より自民党の国会議員。
- 岡田克也、田中眞紀子、江田憲司は現在も自民党に所属。
- 国民民主党が誕生することはなかった。
- それ以前に、日本新党、新党さきがけ、平成維新の会、スポーツ平和党も結党されなかった。
- 平成初期の新党ブームはなかった。
- 新進党の名称は小泉純一郎や小池百合子の在籍するネオリベ政党が名乗っていた。
- 正式名称は新生進歩党。
- 新生進歩党とは別のネオリベ政党を吉村洋文などが立ち上げていた。
- 名前は新生民主党。略して新民党。
- 新生進歩党と新生民主党は一旦合流して新生党となるが、現在は再分裂し、新生進歩党と新生民主党に戻っている。
- 史実の都民ファーストの会の政治家の一部は新進党か新民党にいる。
- また史実で都民ファーストの会の会にいる議員には自民党に議員もいる。
- 史実で日本維新の会や都民ファーストの会にいる議員の中には民主進歩党(民進党)か国民進歩党(国進党)にいる議員もいる。
- 松野頼久、野田佳彦、足立康史は自民党に在籍している。
- 民社党が結党されるのは史実と同じだが、後に右派と左派で分党していた。
- 民社党を名乗るのは左派。右派は別の党名を名乗っていた。
- どちらも民主化の少し前に解党している。
- 左派の直系の後身が民主進歩党で、右派の直系の後身が国民進歩党。
- 民社党を名乗るのは左派。右派は別の党名を名乗っていた。
- 帝国復古以降、民主化を経て現在に至るまで、非常戒厳令ないし戒厳令も数回は発令されていた。
- 60年安保闘争のときには間違いなく非常戒厳令が発布されていた。
- 戒厳令に弱められたのを経て解除された。
- ニクソンショックの直後にも非常戒厳令が同時期の韓国と重なって発布された。
- これに際して、維新憲法を公布していた。
- 1987年頃の東京都心部での天安門事件級の事案に際しても、非常戒厳令が発布されていた。
- 1995年は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件で非常戒厳令が同じ年に2回発布されるという異例の年になっていた。
- 阪神・淡路大震災での非常戒厳令から弱められた戒厳令の解除の直後に地下鉄サリン事件が発生し再び非常戒厳令が下り、相当騒がしい事態になっていた。
- 60年安保闘争のときには間違いなく非常戒厳令が発布されていた。
- 帝国復古により公布され施行された自主憲法は、その後令和初期の現在に至るまで複数回改正されている。