もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら/鉄道/国鉄・JR
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- 未だに国鉄が現役。
- あるいは鉄道省が復活。
- 帝国復古のときには既に国鉄(日本国有鉄道)が発足してるので、国有公社の国鉄と思われる。
- 但し、当然21世紀の現在も未だに民営化はされておらず、国鉄は現存。
- 民営化の法案は民主化の数年後に提出されたが、リーマンショック以降のネオリベ経済の衰退で2015年頃に廃案に。
- 但し、当然21世紀の現在も未だに民営化はされておらず、国鉄は現存。
- 帝国復古のときには既に国鉄(日本国有鉄道)が発足してるので、国有公社の国鉄と思われる。
- あるいは鉄道省が復活。
- 国鉄の労働組合も国労(ただし労使協調路線)だけ。
- 国鉄系の労働組合は鉄労や動労も史実同様あるかもだが、国労も鉄労も動労も労働三権は与えられていない。
- まして史実のような暴走は回避できたため、国鉄が1970年代以降に史実のような腐敗へと向かうこともなかった。
- 国鉄系の労働組合は鉄労や動労も史実同様あるかもだが、国労も鉄労も動労も労働三権は与えられていない。
- 日本軍にも鉄道部隊がある。
- 拠点は北から順に札幌、仙台、津田沼、新潟、名古屋、広島、高松、小倉。
- 相模原、京都、神戸も。
- 拠点は北から順に札幌、仙台、津田沼、新潟、名古屋、広島、高松、小倉。
- 新幹線網も現実より多い。
- 東海道新幹線の開業は史実より約半年ほど早い1964年春になるかと。
- 東海道新幹線と山陽新幹線の境界駅は新神戸
- 新神戸延伸は遅くとも1967年には実現
- 折り返し線を設置するために現実とは逆に海側に建設されいたかも。
- その場合、新神戸駅は建設されず、神戸駅に新幹線が乗り入れていた。
- 東海道新幹線と山陽新幹線の境界駅は新神戸
- 山陽新幹線の開業も史実より1年ほど早まる
- 当初の開業区間は新神戸~広島だろう
- 小倉~博多が1972年3月のダイヤ改正で先行開業したかもしれない
- リニア規格でない鉄道規格の中央新幹線が1975年春までに開業していた。
- 最初の開業区間は新宿~名古屋
- 東京駅延伸も1980年代序盤までには行われる。
- 後述する通り、関西本線が中央本線に編入されるため、名古屋~新神戸も1985年頃までには開業する。
- 中央新幹線から延伸される形で中国新幹線が新神戸~小倉に建設されていた。
- 関西本線を吸収した中央本線が大阪へ延伸され福知山線の三田以南を吸収(後述)し、三田~小月の中国本線が建設されるため(三田~相野は福知山線を吸収)
- 中国新幹線の開業は新神戸~三次が1986年~1990年頃
- 小倉延伸は1988年~1992年頃と思われる
- 最初の開業区間は新宿~名古屋
- 東北新幹線の開業は1978年頃まで早まる
- このときの開業区間は上野~仙台
- 埼玉県戸田市の反対運動の激しかった区間は、強制的に土地が接収されて、新幹線が建設された。
- 在来線で新幹線リレー号は運行されなかった。
- 盛岡延伸開業はむしろ史実より遅れる。
- 1985年頃が有力視される線
- 史実で東北新幹線が一気に盛岡まで開業したのは、史実の開業当時の首相だった鈴木善幸の力があったため
- 鈴木善幸の首相就任は確実に史実より遅れると思われるので、1985年初旬はまだ現職総理は鈴木善幸かと。
- おそらく鈴木善幸首相在職中の1985年3月14日の国鉄ダイヤ改正で東北新幹線は盛岡まで延伸開業となる。
- 新青森延伸開業はむしろ史実よりかなり早まる。
- 早ければ1987年のダイヤ改正、遅くても1992年のダイヤ改正には新青森まで延伸開業するかと。
- 新青森延伸開業はむしろ史実よりかなり早まる。
- おそらく鈴木善幸首相在職中の1985年3月14日の国鉄ダイヤ改正で東北新幹線は盛岡まで延伸開業となる。
- 鈴木善幸の首相就任は確実に史実より遅れると思われるので、1985年初旬はまだ現職総理は鈴木善幸かと。
- このときの開業区間は上野~仙台
- 上越新幹線の開業時期は史実と変わらないだろう
- 但し、始発駅は、当初より計画通り新宿になる。また在来線の路線系統の再編(後述)により名称は「関越新幹線」に。
- 新宿に集中する混雑を分散するため、池袋も新幹線停車駅となる。
- 但し、始発駅は、当初より計画通り新宿になる。また在来線の路線系統の再編(後述)により名称は「関越新幹線」に。
- 九州新幹線も博多~熊本は1985年頃には開業できた。
- 西鹿児島への延伸開業も1992年頃までに行われていた。
- 成田新幹線も計画中止にはならず、開発独裁により、遅くとも1985年までには開業していた。
- 山形新幹線や秋田新幹線などのミニ新幹線は建設されなかった。
- 秋田方面へは新潟から奥越新幹線が建設されていた。
- 北陸新幹線は米原を起点に福井-金沢-富山-新潟を結ぶ路線として建設。1993年に開業。
- 史実の高崎-軽井沢-上越妙高は「信越新幹線」として1988年に開業。
- 東海道新幹線の開業は史実より約半年ほど早い1964年春になるかと。
- 国鉄の在来線の路線系統や運転系統の再編は史実より圧倒的に進んでいた。
- 在来線の路線区間や路線名の変更なども史実より相当行われているということだ。
- 各地の在来線の存廃も史実と異なる
- 高崎線と上越線は統合され関越本線になっていた
- 信越本線の長岡~直江津は北陸本線に編入され、信越本線は上信越本線に改称
- その後長岡ー新津ー新潟間も北陸本線に編入される。
- 横川ー軽井沢間は廃止にならずそのまま残るか新線建設時に候補になった25‰ルートに変更。
- その後長岡ー新津ー新潟間も北陸本線に編入される。
- 常磐線は常磐本線に改称
- 中央本線は関西本線を吸収していた
- 名古屋でスイッチバックなしで運転できるように大曽根~名古屋に新線が建設され開業
- 史実の関西本線にあたる区間の名古屋~湊町も高度経済成長期までに全区間が電化&複線化されていた。
- 田中角栄政権下の開発独裁で、本四連絡鉄道として友ヶ島・鳴門ルートの在来線が開業。阪和線と徳島本線を統合し南海道本線にしていた。
- この南海道本線は阿波池田から伊予三島まで延伸される。
- 予讃線の伊予三島~宇和島も吸収していたかも。
- この南海道本線は阿波池田から伊予三島まで延伸される。
- 山陰本線の終点は山口線の吸収により下関から小郡に変更されていた
- 小郡から新山口への駅名改称はあったのだろうか?
- 益田~下関は長門線に改称
- 鹿児島本線は九州本線に、日豊本線は東九州本線に、長崎本線は西九州本線に改称
- 新潟~青森の羽越本線と奥羽本線は奥越本線に一本化
- 奥羽本線の福島~秋田は羽岩本線に
- 函館本線は北海道本線に改称
- 石北本線の旭川~遠軽は大雪本線に改称されたかも
- この場合名寄本線の遠軽~湧別を編入
- 名寄本線も当然存続している
- オホーツク縦貫線も無事開業していた
- 天北線も廃止にはならなかった
- 留萌本線は札幌まで延伸され、史実の部分廃止はなかったほか、羽幌線も存続している。
- 札幌~留萌~稚内の長距離列車が運行されている。
- 天塩線も現在も存続。天塩線経由の札幌~留萌~稚内の長距離列車も存在する。
- 石勝線と根室本線の新得~根室も統合され、滝川~新得は別路線へと分離されたかと。
- 伊勢線の三セク化はなく現在も国鉄の所有。それどころか電化されるなど高規格化されている。
- 筑肥線の博多~姪浜は存続している
- 名古屋環状線の計画は実行へと移され、大阪環状線と同時期に開業していた。
- 大阪外環状線も昭和の間に開業。「おおさか東線」という路線名にはならず。
- 明石海峡大橋は道路と鉄道の併用橋になり神戸~徳島の在来線が開業した。
- 路線名は「神徳線」である。
- 磐越東線と磐越西線は統合・高規格化され「磐越本線」に改称
- 陸羽東線と陸羽西線は統合し、「陸羽本線」に改称。
- 鹿児島交通枕崎線が指宿枕崎線に吸収され「薩摩線」となる。
- 大隅線と日南線が統合し「大隅本線」となる
- 大隅本線は2020年現在も存続。
- 史実の北越急行線も国鉄線として開業した
- その際北越北線(犀潟~頸上松代)と北越南線(頸上松代~越後湯沢)が統合され「北越本線」と改称
- 北越北線の残った部分(頸上松代~六日町)は「頸六線」に改称される
- その際北越北線(犀潟~頸上松代)と北越南線(頸上松代~越後湯沢)が統合され「北越本線」と改称
- 三木線は神戸方面へ延伸され存続した。
- 三セク化もなかった
- 甘木線が三セク化されることはなかった。
- 大畑線は現在も存続している。
- 関西本線を吸収した中央本線は湊町から地下線で北進延伸され大阪駅に達して、福知山線の相野以南を吸収。
- そして開発独裁により、相野~小月の中国本線を開通させた。
- 姫新線の一部分と芸備線を吸収
- 姫新線の残った区間は佐用線になっていた
- 中央本線と中国本線の境界駅は三田から改称した北神三田(若しくは神戸北三田)になる。
- 姫新線の一部分と芸備線を吸収
- そして開発独裁により、相野~小月の中国本線を開通させた。
- 岡多線の三セク化はなく愛知環状鉄道は誕生せず
- そもそも岡多線開業時に愛知県は名古屋特別市に移行しており「愛知」を冠すること自体あり得ないかと
- 若江線も昭和後期に開業していた
- 現在では同線を経由して運転される大阪~小浜の列車が存在
- 北条線は神戸電気鉄道に譲渡された
- 現在も神戸電鉄の路線として新開地から直通電車が走る
- 神鉄への譲渡で従来と一転し、私鉄との結びつきが強くなった。
- 中川暢三は阪急東宝グループの重役を経て自由民主党から政界入りした。
- 中川暢三は自由民主党の改革派の国会議員に名を連ねる。
- 信楽線は早期に西武に買収され、西武鉄道の路線として大阪の大手前まで延伸されていた。
- 鈴木善幸のコネで宮古線、盛線、久慈線が開業するのは史実と同じ。
- いずれも三セク化されず現在も国鉄のまま。
- 国電の整備も史実より圧倒的に進んだ
- 首都圏と近畿圏だけでなく中京圏や北部九州にも国電のネットワークが整備された。また国電のネットワークの拡大も史実以上に進んだ。
- 先述した通り、名古屋の名古屋環状線の計画は実行へと移され、大阪の大阪環状線と同時期に開業していた。
- 京阪神快速線の運転区間が史実とやや異なっていた
- 新快速の運転区間は主に大垣~和気と彦根~姫路の2パターン
- 草津発着、京都発着、大阪発着、神戸発着、西明石発着の新快速も一部存在
- 快速の運転区間は主に米原~網干と野洲~加古川の2パターン
- 一部電車の運転区間は安土~上郡
- 快速の停車駅は今でも2パターン
- 京都~高槻の速達運転&須磨、垂水、舞子通過と京都~高槻各駅停車&須磨、垂水、舞子停車の2パターンに固定化
- 新快速と同じ大垣~和気と彦根~姫路が運転区間の電車も存在
- 草津発着、京都発着、高槻発着、大阪発着、芦屋発着、神戸発着、西明石発着の快速も一部存在
- 一部電車の運転区間は安土~上郡
- 西宮への快速停車は1970年代までには行われる
- 現在は私鉄に対抗して新快速も停車
- 芦屋への全ての新快速の停車も史実より早い
- 尼崎への快速停車も1970年代後半までに実施
- 新快速は今でも一部は通過している可能性もある
- 高槻への快速停車は史実と同時期
- 新快速停車も史実と同時期か史実より数年だけ早まる
- 茨木が大阪万博開催と同時に快速停車駅に格上げされるのは史実と同じ
- 湖西線直通の新快速は当初大阪発着だった
- 神戸淡路ルートでの徳島方面への新ルート開業で、湖西線直通の新快速は徳島発着となった。
- この区間の新快速の現在の運転区間は敦賀~徳島
- 同じ区間の快速の運転区間はやはり近江今津~福良か?
- 長浜発着、赤穂線直通の新快速と快速は現在も大阪発着
- 備前片上発着の快速は現在も存在。というか京阪神の新快速と快速は基本的にすべて備前片上発着。
- 赤穂線直通の新快速と快速ね
- 備前片上発着の快速は現在も存在。というか京阪神の新快速と快速は基本的にすべて備前片上発着。
- 神戸淡路ルートでの徳島方面への新ルート開業で、湖西線直通の新快速は徳島発着となった。
- 京阪神快速線に80系と111系、更に年代が進めば113系が配備されるのは史実と同じ
- 昭和中期~昭和後期・末期は113系が京阪神快速線の主力に
- 新快速にも当初は113系が使われるがしばらくして153系に代わる
- 理由は史実と同じく153系が余剰になったため。但し史実と違い急行鷲羽が一定数存続し、163系が予定通り増備され、鷲羽は163系に統一されるのが153系が余剰になる理由。この153系を新快速に使うのは史実と同じ。
- 117系は1975年までに登場。
- 153系の新快速も平成初期までは健在
- 新快速にも当初は113系が使われるがしばらくして153系に代わる
- 昭和中期~昭和後期・末期は113系が京阪神快速線の主力に
- 京阪神快速線には1986年頃に211系が、1988年頃に213系が配備された。
- 211系は主に快速、213系は主に新快速に使用
- 京阪神快速線では113系の後継が211系に、117系の後継が213系になる
- 民営化がないため史実の221系は登場しなかった
- 当然ながら史実の223系や225系も登場せず
- 民営化がないため史実の221系は登場しなかった
- 京阪神快速線では113系の後継が211系に、117系の後継が213系になる
- 211系は主に快速、213系は主に新快速に使用
- 新快速の運転区間は主に大垣~和気と彦根~姫路の2パターン
- 京阪神緩行線の運転区間は史実より早く京都~西明石に
- 野洲~加古川への拡大も史実より早くに実施い
- 高槻発着、須磨発着も史実と同様に存在
- 吹田発着、甲子園口発着、神戸発着は今もそれほど減少していない
- 尼崎発着も史実より多い
- 京阪神緩行線では長きにわたり103系が主力として活躍した
- 101系も配備されたかもしれないが早期撤退は不可避
- 103系を改良した107系や湖西線開業後は115系の通勤型仕様の105系も投入された
- 103系の投入期間は史実より長引くだろう
- 201系と205系の導入時期は史実とほぼ変わらず
- 201系の導入は1982年まで早まるかも
- 205系の導入は史実と同じく1986年かと
- 但し京阪神緩行線の場合だと、201系の配備は史実より少し少なく、逆に205系の配備は史実よりかなり多かった。
- 207系は900番台の量産型が配備される。
- 史実の0番台は民営化がなく国鉄が存続するため登場しない。207系0番台が導入されるのに変わりはないが、この0番台は900番台の量産型
- 205系が史実より大量に配備されるので、207系は史実のJR西日本オリジナル版ほどは配備されない
- 史実の321系の登場なんてあり得ない
- 史実の323系も当然登場しないのよ
- 史実の0番台は民営化がなく国鉄が存続するため登場しない。207系0番台が導入されるのに変わりはないが、この0番台は900番台の量産型
- 東海道本線の岡崎~岐阜は複々線化され、緩行線を走る国電が整備された。
- 名称はやはり中京緩行線
- 運転区間は岡崎~岐阜
- 早朝と深夜は蒲郡~大垣に拡大
- 一部電車は大府発着、安城発着、名古屋発着、稲沢発着、尾張一宮発着のいずれか
- 中京緩行線は初期より長らく103系の天下が続いた
- 黎明期に101系も配備されるが程なくして撤退する
- 1982年頃に中京緩行線にも201系が導入される。また1986年頃より205系も導入される。
- 103系が撤退するのは中京緩行線から2004年頃だろう。
- 207系(900番台の量産型)も配備された。
- 名称はやはり中京緩行線
- 名古屋地区の列車線を走る普通列車は快速に変更されていた
- 名称は中京快速線
- 史実の普通列車の停車駅の一部は通過している
- 新快速の運転区間は主に浜松~彦根と豊橋~大垣の2パターン
- 新快速の運転開始は遅くとも1970年代後半まで早まる
- 快速の運転区間は主に浜松~彦根と豊橋~大垣の2パターン
- 要するに新快速と同じ。但し一部の電車で蒲郡発着、岡崎発着、名古屋発着、岐阜発着がある。
- 快速の停車駅も2パターンある。
- 浜松~岡崎速達運転&尾張一宮~彦根速達運転&浜松~豊橋速達運転&岐阜~彦根速達運転の2パターン
- 区間快速は浜松~大府が各駅に停車。一部時間帯のみの運転
- 武豊線は昭和後期までに電化され中京快速線との直通開始も史実よりかなり早い。
- 中京快速線に最初に配備されるのは113系と163系
- 黎明期だけ111系も配備された
- 153系も配備されただろう
- 新快速の運転開始で117系が配備される
- 中京快速線にも1985年になれば211系が配備され、1987年頃には新快速に充当すべく213系が配備された
- 置き換わる形で111系、113系、153系、165系は撤退
- まずは111系と153系から撤退していっただろう
- 置き換わる形で111系、113系、153系、165系は撤退
- 名称は中京快速線
- 城東線と西成線の統合と新線建設による大阪環状線の開業は史実と同じ
- 大阪環状線の開業時期は史実より若干早まるかも
- 当初は72系が配備された
- 史実より長期間使用されただろう
- 101系の配備も史実と変わらず
- 103系もいずれ史実と変わらず配備される
- 東京一極集中が田中角栄政権以降緩和され、東京ジャイアニズムが史実ほどでなくなるため、平成期以降は京阪神緩行線と同じ時系列と規模で車両の置換が進む。
- 201系の新車が配備される。
- 置き換わる形で101系は撤退
- 205系の新車が配備される
- 置き換わる形で103系は撤退
- 国鉄の分割と民営化がない以上は、史実の323系も登場・配備されない。
- 201系の新車が配備される。
- 当初は72系が配備された
- 大阪環状線の開業時期は史実より若干早まるかも
- 先述した、関西本線の中央本線への統合は国電にも影響を与えた
- 名古屋地区の中央線と関西線は統合、国電も直通するようになる。
- 大曽根~名古屋に新線が建設された
- 快速は名古屋中央快速線に、史実の普通列車に相当
- 史実で停車する駅の一部は通過している
- 各駅停車は名古屋中央緩行線に
- 史実の普通列車より駅数は多い
- 関西地区の関西線も「中央線」の名称に
- 電化も1960年代前半に早まるだろう
- 更に湊町から新線で大阪駅へ延伸し福知山線の相野以南を吸収、相野~小月に開業した中国本線(先述)に直通することで近畿快速線と近畿緩行線になった。
- 近畿快速線にも新快速が運行されることに。
- 更に湊町から新線で大阪駅へ延伸し福知山線の相野以南を吸収、相野~小月に開業した中国本線(先述)に直通することで近畿快速線と近畿緩行線になった。
- 電化も1960年代前半に早まるだろう
- 名古屋地区の中央線と関西線は統合、国電も直通するようになる。
- 名古屋中央快速線の運転区間は木曽福島~柘植
- 新快速の運転区間は木曽福島~柘植、南木曽~亀山が主流
- 快速の運転区間は南木曽~亀山、瑞浪~河原田、中津川~四日市が主流
- 名古屋中央緩行線の運転区間は中津川~四日市
- 名古屋中央緩行線は瑞浪~河原田、中津川~四日市、多治見~桑名、高蔵寺~弥富、勝川~蟹江が主流
- 恵那、神領、大曽根、名古屋、富田が発着の電車も存在
- 名古屋中央緩行線は瑞浪~河原田、中津川~四日市、多治見~桑名、高蔵寺~弥富、勝川~蟹江が主流
- 近畿快速線の運転区間は柘植~美作江見
- 新快速の運転区間は主に亀山~美作江見、柘植~佐用、加茂~福崎
- 当初は113系が使用されたが、のちに153系が使用されるようになる。
- 近畿快速線の153系新快速は緑色の帯をまとったグリーンライナーに。
- 153系の後は117系が使用されるのも京阪神快速線と変わらず。
- 117系の後継は213系に
- 当初は113系が使用されたが、のちに153系が使用されるようになる。
- 快速の運転区間は主に柘植~佐用、伊賀上野~福崎、加茂~社町
- 当初の使用車両は113系。その後211系に置換。
- 大阪環状線への直通快速が運転されるのもおそらく変わらず。但し史実より本数は少ない
- 大和路快速への改称は史実より遅れる
- 新快速の運転区間は主に亀山~美作江見、柘植~佐用、加茂~福崎
- 近畿緩行線の運転区間は加茂~社町が最長
- 主流の運転区間は加茂~社町、奈良~東条、王寺~北神三田、柏原~宝塚、久宝寺~尼崎
- 平城山、天王寺、湊町、大阪、塚口、伊丹、相野発着の電車も存在
- 平城山は新奈良を名乗りリニア規格ではなく鉄道規格の中央新幹線の停車駅に
- 平城山、天王寺、湊町、大阪、塚口、伊丹、相野発着の電車も存在
- 主流の運転区間は加茂~社町、奈良~東条、王寺~北神三田、柏原~宝塚、久宝寺~尼崎
- 阪和線と紀勢本線は昭和中期までこの路線体系が維持されたが、昭和後期に友ヶ島・鳴門ルートの鉄道路線が開業し再編された。
- 阪和線は友ヶ島・鳴門ルートの開業で徳島本線と統合され南海道本線となった。和泉砂川で紀勢本線と分岐
- 紀勢本線は和泉砂川まで延長。阪和線は解消。
- 列車の多くが天王寺始発なのは史実と変わらず。
- 史実と同じく普通は現在も大半が天王寺発着。
- 快速系種別も原則として天王寺発着。
- 但し一部に湊町発着や近畿快速線の大阪発着、大阪環状線直通の列車がある。
- 大阪環状線発着の列車は史実と同じく紀州路快速に。
- 関西国際空港に連絡する快速が関空快速なのは変わらず。
- 関空特快は現在も存在。また徳島方面へ向かう特別快速や大阪環状線~和歌山の紀州路特快も存在。
- 当初は西九条を通過していたが、USJ開業以降は西九条にも停車。
- さすがになにわ筋線に当たる路線を開通させて大阪駅か新大阪駅発着じゃないか?
- 阪和線は友ヶ島・鳴門ルートの開業で徳島本線と統合され南海道本線となった。和泉砂川で紀勢本線と分岐
- おおさか東線は大阪外環状線として開業。史実のひらがな交じりの路線名にはならなかった。
- 南吹田で京阪神緩行線と接続するようになっている。
- 開業は昭和後期になる。
- 当初の車両は103系。その後201系と205系に置換。
- 快速には113系が使われ、その後211系に置換。
- 首都圏の国電のネットワークも史実よりかなり整備が進んだ
- 山手線は概ね史実とそう差異はない
- 但し車両の使用期間は史実より若干は長くなる
- 72系が101系投入で撤退するのは史実と同時期
- 101系が103系投入で早期に撤退するのも変わらず
- 山手線の103系は最低でも1991年までは使用を継続。205系の投入時期は史実と変わらず。
- 205系の山手線からの撤退は2010年頃まで遅れる
- 201系も少数ながら配備されていたが、205系の増備で2001年頃に撤退。
- 但し車両の使用期間は史実より若干は長くなる
- 京浜東北線は一部で史実と差異あり
- 運転区間は小金井~平塚に拡大
- 勿論、大宮~大船が運転区間の電車も存在
- 横浜~大船は根岸線経由から戸塚経由に切り替えられた
- 史実の磯子発着の電車は戸塚発着となる
- 南浦和、赤羽、上野、東京、品川、蒲田、鶴見の各駅発着の電車も存在するのは史実と同じ
- 72系の投入と撤退は史実と同時期
- 103系の投入は史実と同時期だが撤退は史実より遅れる
- 103系は2004年頃まで使用
- 205系は史実より多く投入された
- 205系は2012年頃まで使用
- 201系も配備されていた
- 201系は2008年頃まで使用されていた
- 界磁チョッパ制御の203系(史実の203系とは異なる)も配備された
- 209系ではなく207系(国鉄の900番台の量産型)が大量に投入された
- 207系は2018年頃まで使用
- 運転区間は小金井~平塚に拡大
- 中央快速線が東京発着なのは変わらず
- 特別快速、快速ともに終点は高尾がメイン
- 史実と同じく快速は三鷹以遠が各駅停車、特別快速は高尾以遠が各駅停車
- 杉並三駅が快速停車駅になることはなかった
- 史実と同じく快速は三鷹以遠が各駅停車、特別快速は高尾以遠が各駅停車
- 大月が終点の電車は史実より若干多い
- 史実と変わらず国分寺、豊田の両駅が終点の電車も多数存在
- 立川が終点、八王子が終点の電車もやはりある
- 101系の最初の導入先になるのも変わらず
- 101系の撤退時期も史実とほぼ同じか全く同じ
- 103系の投入も史実と同時期。また撤退は101系より遅く平成以降になる。
- 201系の最初の導入先になるのも同じ。但し201系自体が史実より早くに量産が開始されるので運行開始は早まる。
- 201系の撤退はむしろ史実より遅れる。
- おそらく201系は中央快速線では2016年頃までは現役。
- 201系の撤退はむしろ史実より遅れる。
- 205系と207系も中央快速線においては少数形式ではあるが導入された。
- 205系と207系の導入は京浜東北線と中央・総武緩行線と同時期。
- 中央快速線の205系は201系と同時に撤退。武蔵野線や八高線に移籍した公算が高い。
- 或いは廃車されスクラップになるかインドネシアに譲渡
- 中央快速線の205系は201系と同時に撤退。武蔵野線や八高線に移籍した公算が高い。
- 205系と207系の導入は京浜東北線と中央・総武緩行線と同時期。
- 早朝と深夜には東京発着の各駅停車が存在するのも変わらず
- 特別快速、快速ともに終点は高尾がメイン
- 中央・総武緩行線は1970年頃までに立川~千葉が全通した
- 使用される車両は当初は旧型国電
- 1975年頃までには撤退
- 山手線から排除された101系が大量に移籍してきて活躍するのは同じ
- 時期的には史実と変わらず1963年。
- 撤退は史実より遅く1989年以降に。
- 時期的には史実と変わらず1963年。
- 103系が長期間にわたって大量導入された。おそらく史実を遥かに上回る両数。
- 中央・総武緩行線への103系の導入は1970年頃に行われた。
- 立川への延伸開業による増発で中央・総武緩行線に103系が初めて投入された。
- 撤退は2015年頃まで遅れる。
- 中央・総武緩行線への103系の導入は1970年頃に行われた。
- 201系の導入は史実と変わらず1982年。
- 但し史実の11月より半年ほど早まる可能性は低くない。
- 史実より長期間にわたって導入された。
- 撤退も2018年頃まで遅れる。
- 但し史実の11月より半年ほど早まる可能性は低くない。
- 205系が少数ながら中央・総武緩行線に導入されるのも変わらず。
- 史実と違い量産された207系も確実に中央・総武緩行線に導入された。
- 209系の中央・総武緩行線への導入もおそらく史実と変わらない。但し0番台の導入になるかと思われる。また207系の導入で投入数は史実ほどではないだろう。
- 使用される車両は当初は旧型国電
- 青梅線は1972年頃までに単独で新宿駅まで乗り入れ、1975年頃までに単独で東京駅まで乗り入れた
- 青梅特快や青梅快速もこの新線を経由する形に切り替えられた
- 横須賀線と総武快速線の直通開始も1970年頃に早まる
- 常磐緩行線の上野乗り入れは中止されなかったかされても数年で再開された
- 上野東京ラインと湘南新宿ラインの開業は昭和後期までに早まった
- 湘南新宿ラインに関しては別の名前になってたかも知れない
- 横浜線は当初の予定通りみなとみらい21線と相互直通運転を行っている
- 第二京浜国電が開業し根岸線と関越本線(先述・史実の高崎線と上越線)に直通した。
- 名称は「京浜関越線」
- 使用される車両はやはり103系かと思われる
- 昭和後期・昭和末期~平成初期に201系と205系に置換
- 使用される車両はやはり103系かと思われる
- 名称は「京浜関越線」
- 埼京線の開業も東北新幹線が史実より早く当初より上野を始発にして開業するので、これに併せて史実より早く開業した。
- 史実で赤羽線の折り返し運用に充てられていた103系がそのまま埼京線の初代車両形式になっていた。
- 多摩ニュータウンへアクセスする国電が開業していた。
- 多摩ニュータウンの入居開始も史実より早まるので1970年頃には開業した。
- 羽田空港国電も昭和の間に開業している。
- 都心ルートは1970年までに開業
- 山手ルートも1985年までに開業
- 臨海ルートも1986年~1988年には開業している
- 史実の東京臨海高速鉄道(りんかい線)は国鉄所有の国電の路線になっていた。
- 名称は臨海副都心線
- 京葉線の一部分となって東京テレポートより西は都心か品川駅へと延伸されたかも。
- 京葉線と臨海副都心線は通勤後五面作戦で計画された「中央・総武開発線」が元だからルートは史実の京葉線(蘇我-新木場)・りんかい線(新木場-東京テレポート)、東京テレポートから先は新橋へ向かうルートになっていた。
- 名称は臨海副都心線
- 山手線は概ね史実とそう差異はない
- 首都圏と近畿圏だけでなく中京圏や北部九州にも国電のネットワークが整備された。また国電のネットワークの拡大も史実以上に進んだ。
- 国鉄の急行列車や長距離普通列車は今も多数健在。特急列車の再編も史実ほどは行われず。
- 東京~大垣や大垣~小倉の夜行普通列車は21世紀の現在も普通に存在
- この区間の昼行普通列車も1980年代終盤~1990年代序盤までは存続
- 東京~大垣と大垣~小倉の昼行の普通列車は快速列車に置き換えられる形なら21世紀の現在も存続してる可能性は十二分にある。
- 大垣~小倉ではなく大垣~下関
- 下関~西鹿児島の長距離普通列車は史実より長く存続。長距離快速列車に至っては今も健在かも知れない。
- 東京~大垣と大垣~小倉の昼行の普通列車は快速列車に置き換えられる形なら21世紀の現在も存続してる可能性は十二分にある。
- この区間の昼行普通列車も1980年代終盤~1990年代序盤までは存続
- 比叡や鷲羽も廃止されずに停車駅が若干増えるなどして存続
- 比叡は現在では稲沢、野洲、山科、高槻にも停車
- 朝夕の一部の比叡は木曽川、穂積、神足、茨木にも停車
- 鷲羽は現在では尼崎、西宮、芦屋、大久保、網干、有年にも停車
- 朝夕の一部の鷲羽は甲子園口、六甲道、元町、東加古川にも停車
- 比叡は現在では稲沢、野洲、山科、高槻にも停車
- 東海も特急に格上げされることもなければ廃止されることもない
- 北陸本線の特急の雷鳥と急行のゆのくには2018年現在も健在
- サンダーバード?何それ?おいしいの?
- 日本で「サンダーバード」と言えばいまだにイギリスの人形劇のテレビ番組というイメージ
- 寝台特急の北陸も未だ健在。急行の立山も未だに存続している。
- サンダーバード?何それ?おいしいの?
- あかぎ、草津、伊豆、あまぎも急行のまま
- 停車駅は2018年現在は史実より若干だが多い
- この区間を走る特急は別に設けられ、史実と同じく踊り子となる。
- 史実の特急の天城はどうなることやら?やっぱり浄蓮か葛籠の名称が妥当か?
- この区間を走る特急は別に設けられ、史実と同じく踊り子となる。
- 停車駅は2018年現在は史実より若干だが多い
- 中央本線の特急のしなのはもちろん存在するが、大阪乗り入れは意地でも廃止せず。また、東京~松本のあずさは史実通り設定される。
- 急行のきそも絶対に廃止されていない。
- その代わりセントラルライナーも設定されてない。
- きそは未だに新宿~名古屋を直通運転している。
- 運転区間は東京駅まで延伸されているかも。
- こまがねは急行列車が名乗ったのを経て、東京~名古屋を中央本線経由で走る特急が襲名した。
- 運転区間は東京駅まで延伸されているかも。
- 急行のかいじが廃止されることもなかった。
- はまかいじも急行として設定されていた。
- 心配しなくてもあずさは特急なので「中央本線に特急がない」なんてことはない。
- 横浜が始発の松本方面への特急のはまあずさが設定されている。
- 東京発着で上諏訪や岡谷などの途中駅で東京へ折り返す急行のアルプスも意地でも廃止しないだろう。
- たてしなは定期列車のまま21世紀の現在も普通に存続
- 飯田線の伊那路も急行のまま
- 赤石も廃止されず
- 名称はわからないが、名古屋~飯田の特急が1日に数往復設定されている
- 急行のきそも絶対に廃止されていない。
- 房総半島方面への特急と急行の東京と新宿への直通開始は史実より早く行われるが、両国始発の列車も史実より後年まで残った。また東京~房総半島の長距離輸送は今でも特急ではなく急行が主体。
- 房総方面への長距離輸送で特急を使うなんて今でも金持ちがやること
- 特急のさざなみ、わかしお、しおさいの設定は史実と変わらず。
- 但し名称の頭に「ビュー」が添えられることは絶対にない。
- なぎさとみさきも現在も運行を継続。但しこちらは他の特急や急行の増発による減便はあり得る。
- 全体的に房総方面への特急の設定は史実より早い。但し増発は史実より遅い。
- 一方、急行の犬吠、水郷、外房、内房も21世紀の現在も未だ存在
- むしろ一般庶民や貧困層、学生はこっちで移動するのが主流
- 成田線経由の特急の名称は「すいごう」とは別の名前になっていた。
- 東京~大垣や大垣~小倉の夜行普通列車は21世紀の現在も普通に存在
- 青函トンネルの建設も早まり、札幌冬期オリンピック開催rを前にした1971~72年頃に開業していた。
- いや、津軽海峡の海底の軟弱な地質からしてそんなに早くは開業できない気が…早くても1984年頃になるだろう。
- 本四連絡橋が史実より多く建設される可能性もあるので、その場合はむしろ史実より少し遅れる可能性もある。
- いや、津軽海峡の海底の軟弱な地質からしてそんなに早くは開業できない気が…早くても1984年頃になるだろう。
- 国鉄の車両の新陳代謝は史実以上に鈍い
- 加えて国鉄自体が2018年現在も存続してるので尚更
- 63系が桜木町事件で消滅するのは変わらず
- 桜木町事件は権威主義復古前なので尚更
- 72系の登場は史実と変わらず
- 派生形式の73系の登場も同じ
- 72系列の増備は1967年頃まで継続
- 80系の登場は史実と同時期
- 101系(当初:90系)の登場は1957年と史実と同じ
- 但し時期は夏頃と半年ほど早まる
- 試作車と量産車の初期型・前期型は片開き扉に
- 111系の登場は史実より若干早い
- タッチの差で1959年の形式称号改正前だったのでほんの最初の方だけ92系を名乗った。
- 試作車と量産車の初期型・前期型は片開き扉に
- 151系の登場も史実と同時期
- 当初だけ20系を名乗るのも同じ
- 派生車種の161系の登場は史実と同時期
- 161系が登場から3年という短さで形式消滅することもなかった
- 181系の登場時期は史実とそう変わらず
- 181系は東海道新幹線開業後も電車化して存続した(2018年現在も存続している)つばめに使用された
- 181系の増備は1975年頃まで継続
- 181系は東海道新幹線開業後も電車化して存続した(2018年現在も存続している)つばめに使用された
- 153系の登場も史実と同時期
- 当初だけ91系
- 増備も1972年頃まで継続されただろう
- 京阪神快速線の新快速に使用されるのも変わらず
- 史実より早くに登場した中京圏の新快速にも充当
- 153系は2000年頃まで現役を続行した
- 新快速にも1992年頃まで使われる
- 163系と165系の登場も史実と同時期
- 163系の構想は頓挫せずに実現
- 165系の登場は史実と変わらず
- 101系と111系の増備が早晩頓挫するのは不可避
- 101系は全電動車方式でエネルギー効率が悪いのがその要因
- 史実と同じく大量の変電所増設や架線補強などのハード面での設備の増強が必要になるというのが理由
- 101系は全電動車方式でエネルギー効率が悪いのがその要因
- 103系の登場は史実より約1年早い
- 113系と同じく1962年に
- 103系は当初より両開き扉を採用
- 時期的には113系より数か月早まる
- 113系の登場は史実と同じ1962年
- 東海道色と横須賀色は史実と同じ
- 113系は当初より両開き扉を採用
- 115系の登場は史実と同じ1963年
- こちらも東海道色と横須賀色は史実と同じ
- 115系も当初より両開き扉を採用
- 401系と421系の登場は史実より若干早い
- 常磐線の交流電化完成が史実より早いため
- ローレル賞を受賞することもなかった
- 試作車と量産車の初期型・前期型は片開き扉に
- 403系と423系の登場は1963年頃に
- 403系と423系は当初より両開き扉を採用
- 415系の登場は史実より若干早い
- 415系のステンレス車は登場しなかった
- 415系は従来の普通鋼製車が1994年頃まで増備された
- 415系のステンレス車は登場しなかった
- 415系の登場は史実より若干早い
- 403系と423系は当初より両開き扉を採用
- 115系の通勤型仕様の105系が導入された
- 史実より早くに電化された福知山線などに導入
- 先述の名古屋中央緩行線にも導入されただろう
- 史実で構想のあった105系は107系として登場していた
- 中京快速線、中京緩行線、京阪神快速線、京阪神緩行線などに配備
- 営団5000系や韓国鉄道庁1000系のような車体形状になったかと
- 中京快速線、中京緩行線、京阪神快速線、京阪神緩行線などに配備
- 史実の105系は109系を襲名して登場した
- 史実の107系は登場せず
- 117系は1975年までに登場した
- 117系が中京圏と近畿圏の新快速に使用されるのは変わらず
- 0番台は中京圏と近畿圏の新快速に使われた
- 温暖地・平坦区間仕様だった
- 寒冷地・急勾配区間仕様の1000番台も登場
- 近畿快速線の新快速は1000番台が多数派になったかと思われる
- 0番台は中京圏と近畿圏の新快速に使われた
- 117系が中京圏と近畿圏の新快速に使用されるのは変わらず
- 史実の急行列車の運転縮小がないので185系は急行形の171系として登場
- 首都圏だけでなく、中京圏や東海地域、近畿圏や山陽地域にも配備された
- 房総方面の急行列車にも充当されていた
- 比叡と鷲羽の163系の後継車にもなっていた
- 中京圏と近畿圏では新快速に使われることもあった
- 171系の新快速は1997年頃まで存在
- 首都圏で中距離電車の普通に使われることがあったのも変わらず
- 171系を元に横軽間に対応した179系、交直両用型の571系が造られる。
- 首都圏だけでなく、中京圏や東海地域、近畿圏や山陽地域にも配備された
- 183系の登場は史実より約1年早い
- 417系は117系の交直流仕様が襲名した
- 60Hz版の437系も登場し北陸方面へ直通する新快速に充当された
- 北陸地区の快速にも充当されただろう
- 史実の417系は419系を襲名していた
- 60Hz仕様の439系が存在
- 60Hz版の437系も登場し北陸方面へ直通する新快速に充当された
- 413系はオール新製で史実より約10年早く登場した。また50Hz仕様がこの形式名を襲名した。
- 60Hz仕様は433系を襲名
- 711系の登場は史実と同時期
- 酷寒地仕様でないグループがありこれが0番台を名乗った
- 酷寒地仕様は2000番台辺りを名乗っただろう
- 車端部はロングシートとなった
- 扉の位置も史実と若干異なる
- 酷寒地仕様でないグループがありこれが0番台を名乗った
- 711系の60Hz仕様の731系も登場した
- 九州に配備された
- 交流型の通勤電車の701系と721系も登場した
- いずれも103系ベース
- 701系は50Hz仕様
- 札幌、旭川、函館、盛岡、仙台、郡山に導入された
- 北海道向けの車両は酷寒地仕様として番台区分された
- 札幌、旭川、函館、盛岡、仙台、郡山に導入された
- 721系は60Hz仕様
- 西京、福岡、熊本、鹿児島に導入された
- 701系は50Hz仕様
- 701系と721系の改良版の703系と723系も登場
- 703系は50Hz仕様
- 723系は60Hz仕様
- いずれも103系ベース
- 713系は711系の改良版が襲名していた
- 史実の713系は733系になっていた
- 733系は先述の731系と同じ線区に配備されただろう
- 車体と内装は史実の713系と同一である
- 史実の713系は733系になっていた
- 451系と471系の登場は史実と同時期
- 451系が50Hz仕様で471系が60Hz仕様なのも変わらず
- 453系と473系の登場は史実と同時期か若干遅れた
- 455系と475系の登場は史実と同時期だろう
- どちらも史実よりかなり量産されたと思われる
- 455系が50Hz仕様、475系が60Hz仕様
- 457系の登場は史実より数年遅れた
- 1970年代前半の登場だったと思われる
- 形式名も史実の457系ではなかったかも知れない
- 461系だったかも
- 改良版として463系が登場した?
- 461系だったかも
- 457系は史実にない50Hz仕様の急行形が襲名したかも
- この場合は60Hz仕様の477系も登場していた
- 481系の登場時期は史実と変わらず
- 483系や485系も変わらずに登場する
- 481系・483系・485系の0番台がボンネット型なのも史実と変わらず
- 483系は東北本線の電化が史実より早まるため、登場が史実より数年早まった
- 485系の登場は史実と同時期
- 但し増備期間は史実より長く1985年頃まで増備は継続
- 485系も途中のマイナーチェンジでボンネット型をやめて平面型の前面デザインになったのは史実と変わらず
- 但しボンネット型は史実より若干だけ長期間製造される
- 483系や485系も変わらずに登場する
- 581系・583系の登場は史実より若干早い
- 初期型・前期型はボンネット型車体。マイナーチェンジで平面型の前面デザインに。
- 583系は当初より前面が平面型の車体に。
- 初期型・前期型はボンネット型車体。マイナーチェンジで平面型の前面デザインに。
- 781系の登場は史実より早い。
- 酷寒地仕様だけでなく温暖地仕様や寒冷地仕様も東北や九州向けに製造されていた。
- 751系は急行形の交流型電車が襲名していた。
- 史実のE751系は登場せず
- 301系の登場は史実より約1年遅い
- 増備の中断は1972年頃まで遅れる
- 1981年頃に増備が再開された
- 303系は301系と先述した107系の折衷形式が襲名
- 史実の303系は登場せず
- 国鉄の旧式の気動車の増備は史実より長く続けられた
- キハ10系の登場時期は史実より若干遅れそう
- キハ20系の登場は史実と同時期
- キハ20系シリーズは史実以上に増備された
- キハ35系の登場も史実と同時期
- キハ40系の登場も史実と同時期
- キハ55系の登場は史実より若干遅れそう
- 但しその分量産されていた
- キハ60系の登場は史実と同時期
- 史実よりは量産されていた
- キハ56系とキハ58系の登場は史実より少し早いかと
- キハ58系は史実以上に増備された
- 快速にも史実以上に充当された
- キハ57系の登場は史実より少し遅い
- キハ80系の登場は史実とほぼ同時期
- キハ90系の登場は史実より少し早い
- 史実より量産され長く活躍した
- キハ181系の登場は史実より若干遅れる
- キハ80系の増備が長期化されるため
- 増備は1980年代前半まで継続された
- キハ45系の登場は史実より若干早い
- キハ66系の登場は史実と同時期
- あまりのデラックスさに史実以上に話題を集めた
- 史実より若干多方面に配備された
- キハ40系Ⅱの登場は史実よりやや遅いかも
- 増備期間は平成初期にまで及ぶ
- キハ183系は史実より登場は遅れるが史実より多方面に増備された
- キハ185系も史実より量産され史実より各地に分布した
- キハ70系なる急行形気動車も登場し量産された
- 70系客車と60系客車の登場は史実と変わらず
- 60系客車は史実より量産された
- 10系客車の登場は史実とほぼ同時期に登場
- 客車列車自体が史実ほど衰退しないので史実より量産された
- 20系客車の登場時期も史実とほぼ変わらず
- 12系客車の登場は史実より若干早まる
- 14系客車の登場時期は史実とほぼ同時期
- 50系客車の登場時期は史実より早まる
- 30系客車なる通勤型仕様の客車も登場した
- 201系はおそらく試作車は1975年に、量産車は1978年に登場した
- 試作車が中央快速線に配備されるのは史実と変わらず
- 量産車も史実と同じく中央快速線から配備される
- その後の中央・総武緩行線と京阪神緩行線への配備も史実と変わらず
- 中京緩行線と近畿緩行線にも配備された
- 近畿緩行線にも配備されるため、ウグイス色の201系が早期に現実化
- 福知山線にも配備されている
- 山手線にも多数派にこそならないが配備された
- 京浜東北線にも配備されている
- 同じ形で先述の京浜関越線にも配備
- 常磐快速線へ配備された編成もあった
- 主回路制御方式に電機子チョッパ制御を採用し、国鉄の省エネ電車の草分け的存在になるのは変わらず
- 201系の増備は1997年まで継続
- 史実の203系は305系を襲名した
- 常磐緩行線に配備されるのは史実と変わらず
- 史実より多くの編成が配備された
- 中央・総武緩行線地下鉄直通電車にも配備された
- 京浜東北線地下鉄直通電車が存在するのでそちらにも配備されている
- 中京圏や近畿圏にも地下鉄直通国電がありそちらにも配備された
- 片町線の尼崎延伸に際しても片町線に配備された
- 増備は1993年頃まで継続
- 常磐緩行線に配備されるのは史実と変わらず
- 203系は史実に存在しない界磁チョッパ制御の直流通勤形電車が襲名した
- 少数形式にとどまるのは不可避
- 101系の一部を置換した
- 103系の一部も置換した
- 京浜東北線と中央・総武緩行線に配備された
- 中央快速線にも配備された
- 中京緩行線にも配備された
- 少数ながらも京阪神緩行線と近畿緩行線にも配備された
- 普通鋼製で201系とよく似た車体
- 少数形式にとどまるのは不可避
- 103系と113系の増備は1992年頃まで継続
- 先頭車と中間車と共々1992年頃まで増備されただろう。
- 105系と115系の増備は1993年頃まで継続
- この105系は103系の寒冷地・急勾配区間仕様
- 107系と117系の増備は1995年頃まで継続
- この107系とは103系と105系の改良型形式
- 117系はマイナーチェンジを繰り返して史実より量産された
- 0番台の増備は1987年頃まで継続
- 寒冷地・急勾配区間仕様の1000番台も登場した
- 1000番台の増備は1986年頃まで継続
- 寒冷地・急勾配区間仕様の1000番台も登場した
- 100番台と200番台の増備は1995年頃まで継続
- 寒冷地・急勾配区間仕様の1100番台と1200番台も登場した
- 1100番台と1200番台の増備は1994年頃まで継続
- 寒冷地・急勾配区間仕様の1100番台と1200番台も登場した
- 0番台の増備は1987年頃まで継続
- 先述の109系と119系の増備は平成前期まで継続
- 151系の増備も史実より長期間に及んだ
- 153系の増備も1972年頃まで継続された
- 155系と159系の増備も史実より若干長く継続
- 157系の増備も1969年頃まで継続
- 161系は独立した形式として1983年頃まで増備が継続された
- 163系と165系の増備も1985年頃まで継続
- 史実以上に相当な数が製造され導入された
- 167系も史実より長期間増備された
- 169系も1982年頃までは増備されたと思う
- 401系と421系の増備終了は史実と同時期
- 403系と423系の増備終了は1986年頃まで継続
- 415系の増備は1994年頃まで継続
- 普通鋼製車が平成前期まで増備された
- 711系の増備は1985年頃まで継続
- 711系の60Hz仕様の731系の増備は1987年頃まで継続
- 713系の増備は1989年頃まで継続
- 史実の713系である733系の増備も1989年頃まで継続
- 史実の419系と715系は登場しなかった
- 国鉄の新幹線車両にも史実と差異があった
- 0系は史実と変わらず
- 開業時から長期間にわたり増備されただろう
- 古くなった0系を新しい0系で置き換えるというやり方に変わりはない
- 設計にあたって軍用機を参考にするのは変わらず
- 0系初期型の寿命は史実より短かった
- 逆に末期型の寿命は史実より長かった
- 0系の増備は1990年頃まで継続
- 開業時から長期間にわたり増備されただろう
- 100系は200系とほぼ同時期に登場
- 主回路制御方式は200系と同じだが車体は0系と同じ
- 増備は1995年頃まで継続
- 主回路制御方式は200系と同じだが車体は0系と同じ
- 200系は東北新幹線の開業が1978年頃に早まるため、登場も1978年頃に早まる
- 主回路制御方式は史実と変わらず
- スノープラウが装備されるのも当然史実と同じ
- 史実の100系は300系を襲名して登場
- 登場時期は史実と同じく1985年
- ダブルデッカーの連結も変わらず
- 史実の200系2000番台が400系を襲名して登場
- 当然スノープラウは装備
- ダブルデッカー連結も変わらず
- 登場は1986年頃
- 史実の400系は登場しなかった
- 史実の300系が500系を襲名
- 登場は史実とほぼ同時期
- 史実の500系は登場せず
- 新世紀エヴァゲリオンと新幹線とのコラボもあるはずがない
- エヴァと鉄道のコラボはどこかの私鉄(おそらく小田急?)が積極的にやっているだろう
- E1系は予定通り600系を襲名していた
- オール2階建てなのは変わらず
- 国鉄型そのもののデザインになっていた
- オール2階建てなのは変わらず
- 史実の700系はN500系を襲名
- 東北新幹線仕様のN600系も存在
- 700系は史実のE2系の温暖地仕様が襲名した
- 史実のE2系は800系を襲名
- 0系は史実と変わらず
- 貨物列車事情は史実とほぼ遜色なかろう
- 但し国鉄の鉄道貨物輸送は史実ほど衰退せず、今でもそれ相応に盛んに実施される
- 貨車の形式は史実とほぼ変わらず
- 但しバリエーションが史実よりも随分と豊富に
- 無蓋車と有蓋車のそれぞれでも史実よりたくさんの種類の貨車があった
- 史実より同じ形式の貨車を長期間増備する傾向にあるのは間違いなさそう
- 但しバリエーションが史実よりも随分と豊富に
- 貨物操車場もヤード方式が多く、高度に自動化されている
- 新幹線の列車種別とその愛称にも当然史実との差異がある
- 東海道・山陽新幹線は速達型のひかりと各停型のこだまの2種類でスタートするのは変わらず
- ひかりの当初の途中停車駅は新横浜、名古屋、京都、新大阪
- 当初より全てのひかりが新横浜と新神戸に停車していた
- 山陽新幹線の始発駅が新神戸で、当初の開業区間が新神戸~広島のため、山陽新幹線の開業からしばらくは一部のひかりは岡山を通過していた。
- いずれにせよ1980年代後半までに全てのひかりが岡山に停車するようになる。
- 山陽新幹線の全通当初から全てのひかりが広島と小倉に停車するのは変わらず。
- ひかりも後述のスーパーひかり→のぞみの運転開始で徐々に停車駅を増やしていった
- 静岡、浜松、岡山には比較的早期より停車するようになる
- さらに年数が経てば小田原、岐阜羽島、米原、姫路、福山、小郡(→新山口)にも停車
- 西明石、徳山にも停車するようになった
- さらに年数が経てば小田原、岐阜羽島、米原、姫路、福山、小郡(→新山口)にも停車
- 静岡、浜松、岡山には比較的早期より停車するようになる
- のぞみは1988年頃に営業運転を開始した。
- 当初の名称はスーパーひかり
- のぞみを名乗るのは1994年頃に遅れるだろう
- スーパーひかり→のぞみの名古屋飛ばしはなかった
- 新横浜と京都への停車は史実と同時期
- 新横浜に全てののぞみが停車するようになるのは史実より早い
- 当初は新大阪が終点
- 博多延長後も当初は岡山を通過していた
- 新神戸も通過
- 広島と小倉には停車
- 年数の経過とともに新神戸と岡山にも停車するようになる
- 全てののぞみが新神戸に停車するようになるのは史実より早い
- 当初の名称はスーパーひかり
- グランドひかりは1985年のダイヤ改正で登場。廃止されることなく2019年現在も存在。
- ウエストひかりとひかりレールスターは登場せず
- ひかりの当初の途中停車駅は新横浜、名古屋、京都、新大阪
- 東北新幹線の列車種別は史実とほぼ同じだが、やはり多かれ少なかれ史実と差異がある。
- やまびこの存在は史実と変わらず
- 1978年(おそらく)の上野~仙台開業時は途中停車駅は大宮だけだった
- 以降のダイヤ改正で宇都宮、郡山、福島にも停車するようになる
- 盛岡延伸後は仙台~盛岡がノンストップ
- 新青森延伸後の現在も盛岡止まり
- 以降のダイヤ改正で宇都宮、郡山、福島にも停車するようになる
- 1978年(おそらく)の上野~仙台開業時は途中停車駅は大宮だけだった
- あおばは廃止されず現在も存在
- なすのの存在は史実と変わらず
- はやては新青森延伸が史実より早まるので史実より早くに登場した
- 盛岡以北は各駅に停車、盛岡以南は速達運転
- 最速達種別の名称ははやぶさではなくはつかりになっていた
- やまびこの存在は史実と変わらず
- 関越新幹線は速達タイプ「あさひ」各駅停車「とき」で始まるのは史実通り
- 信越新幹線の開業後に速達タイプを「とき」、各駅停車を「えちご」に変更
- 信越新幹線は列車愛称が「あさま」なのは変わらず
- 在来線「あさま」は「そよかぜ」に変更
- 北陸新幹線開業後に金沢行きの信越新幹線は「白山」を名乗る
- 東海道・山陽新幹線は速達型のひかりと各停型のこだまの2種類でスタートするのは変わらず
- 国鉄の夜行列車の動向が史実と異なる
- ブルートレインが史実ほど衰退することはなかった
- 博多行きのあさかぜは現在も存在
- 下関行きのあさかぜも当然廃止されず
- 博多発着のあさかぜは増便されていた
- あけぼのも現在も健在
- 秋田新幹線も開業しないので鳥海も存続してるだろう
- 北陸も現在も存続している
- 日本海も存続してる
- 「北斗星」と「トワイライトエクスプレス」はそれぞれ「はくつる」、「日本海」が1往復づつ増便して札幌に延伸する形をとる。
- 九州ブルトレの「富士」、「さくら」、「みずほ」、「はやぶさ」も統合されることなく存続。
- はくつる・ゆうづるも存続
- 博多行きのあさかぜは現在も存在
- 夜行の寝台急行も史実ほど廃止にはならず
- 銀河は2019年現在も存在
- 津軽も廃止されずに現存
- きたぐにも廃止されず現在も運転を継続
- 明星も令和初期の現在も存続している
- 月光も本数こそ減らしつつも存続している
- はまなすも現在まで存続
- 寝台特急・寝台急行の補完として夜行快速列車が今でも定期運用についている。
- ムーンライトも史実以外に小倉~京都(長門線・山陰線経由)のようなルートも設定される。
- ブルートレインが史実ほど衰退することはなかった
- 神田須田町の交通博物館は史実通りに2006年に閉館し翌年に鉄道博物館が開館。
- ただし史実と違い旧汐留駅に建設され名称も「新橋国立鉄道博物館」となる。
- 展示車両は史実の鉄道博物館に加え青梅鉄道公園の車両、更には現存しない車両を新たに製造して展示。
- 元貨物駅ということで東京総合車両センターからの引き込み線を利用した現役車両の展示が行われる。
- 以降は「引き込み線を配置し現役車両の展示が行える鉄道博物館」のスタイルが主流となり、同様の施設が小樽築港機関区跡(北海道)、沼垂貨物駅跡(新潟)、梅小路(京都)、門司港(福岡)にもできる。
- 名古屋の笹島貨物駅の跡地にもできている。
- 以降は「引き込み線を配置し現役車両の展示が行える鉄道博物館」のスタイルが主流となり、同様の施設が小樽築港機関区跡(北海道)、沼垂貨物駅跡(新潟)、梅小路(京都)、門司港(福岡)にもできる。
- 名称は「国立東京鉄道博物館」かも知れない。
- ただし史実と違い旧汐留駅に建設され名称も「新橋国立鉄道博物館」となる。
- 国鉄の分割と民営化は2021年現在も行われておらず、日本国有鉄道は令和初期の現在も存続している。
- 民営化の議論は民主化の少し後からあったが、リーマンショックを契機に下火となり、最終的には民営化の法案が廃案となった。
- それでも、ネオリベ政党は国鉄の民営化を主張し続けているが、支持は日増しに得られなくなっている。
- 一方で、国鉄の多角経営や独立採算制の強化は、国策により民営化をせずに史実より早く行われ、税金への依存度を下げることで、国の債務を減らすのと事業の維持の両立に深く貢献し続けている。
- 駅ナカもどっちみち史実と同じく誕生している。
- ステーションビルの近代化や発展も史実通りである。
- ただ、国鉄の単体の事業としては都市開発までは、史実のJRよりは幾分小規模のままか、若しくはそれ自体が未だにほとんど行われていない。
- 特に電電公社や専売公社の領域には絶対に少しも踏み込めないままである。
- 1990年代以降は「国鉄」に代わる形で「JNR」のブランドを使うことが増え前面的に掲げるも、正直定着しているとはとてもじゃないがお世辞にも言えない状態が続いている。
- 「日本国鉄」が「JNR」に代わってる場面はあるが、それでも「日本国鉄」の通称は廃れていない。
- 訪日外国人へ向け「JNR」とPRするも、中国など漢字を使う国の人々には特に受け入れられていない。
- 民営化の議論は民主化の少し後からあったが、リーマンショックを契機に下火となり、最終的には民営化の法案が廃案となった。
- 国鉄が令和初期の現在も存続しているので、駅構内のコンビニは史実ほど増えなかったうえ、そのようなサービスも史実より旧態依然の傾向が強い。
- キオスクは現在も全国に多数存在。
- 「キオスク」のブランドが廃れることもなかった。
- NewDaysが全国規模になってるが、相対的にみると史実よりやや小規模な展開。
- ただやはり平成後期以降は、史実に準ずるくらいの展開は不可避だと思われる。
- 史実の「ハートイン」などのブランドは誕生しなかった。
- また、駅構内のコンビニの業界大手との合資や提携も行われていない。
- 車内販売は史実ほど縮小せず、令和初期の現在も当たり前のように残っている。
- 駅弁文化の衰退もなく、駅弁業者の倒産もよほどのことがない限り回避できている。
- キオスクは現在も全国に多数存在。
- 鉄道連絡船も今なお現役で運行されている。
- 船舶は旅客専用と車両航送専用に別れる。