もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄/電車
製造・改造に至らなかった車両がもし、実用化していたら?
- 乱立防止の為、記載は実際に元ネタがあるものに限ります。
- 項目内にそれに関する文章を書いていただければ幸いです。
- 新規追加は「形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
- 便宜上、実際に導入された形式の改造車についてもこちらで扱います。
- 関連項目
- 勝手に鉄道車両開発/JR - 根も葉もない鉄道車両を作りたければこちらへ。
- もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR - 民営化後に導入が検討されていた物はこちらへ。
- もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/国鉄 - 実際に導入された車両はこちらへ。
新幹線
個室ひかり
夜行新幹線用として企画されたが、実現しなかった。
- 961形をベースに登場。
- もしかしたらこっちが「100系」を名乗っていたか。
- いずれにしても国鉄分割民営化後、のぞみ登場と同時に消滅。
- 東北・上越新幹線にも同等の設備を有する車両が投入された。
- 「スーパーやまびこ」中心の運用に使われる。
- 最後はこだま用として山陽新幹線で生涯を終えていた。
- もしくは「ウエストひかり」を中心に運行していたかもしれない。
在来線特急用
183系1000番台やくも用
「やくも」電車化の際に183系1000番台の転用が検討されたが、上越新幹線の開業が遅れて間に合わなかったため381系を新造投入したという
- 史実で転用された房総方面・中央線の特急化が遅れた。
- 振り子装置がなかったので民営化して10年後ぐらいに新車に置き換えられたかも。
- 183系なので北近畿に転用されたか。
- JR西日本も純正の183系を保有していたことになる。(700・800番台は485系・489系から改造したものなので)
- 実はノッチ刻みの関係でキハ181系より遅い。
187系電車
碓氷峠(横川-軽井沢間)を補機なしで自走できる特急形電車が計画されていましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
- 量産車は新車として導入された。
- 試作車だけ他車と異なるので阪神8000系第1編成のように珍車扱いされ、注目されていた。
- 187系をベースにした一般形電車も製作された。
- 107系に似た車両になっていた。
- 165系ベースでしょう。
- 107系に似た車両になっていた。
- EF63形は史実より早く余剰廃車になっていた。
- 横川-軽井沢間が廃止されることはなかった。
- サロ183形がサロ110形300番代に改造されることはなかった。
- サロ110形0番代が分割民営化後も多く生き残っていた。
- 153系の生き残りとして注目されていた。
- サロ110形0番代が分割民営化後も多く生き残っていた。
- 北陸新幹線開業後は「あずさ」に転用されていた。
- E257系は製作されなかった。
- 房総特急で活躍しているかも。
- 史実通り製造された場合、新型NEXと似た感じの車両になり、E257と259の形式があべこべになる。
- 妙高、ムーンライト信州は187系で運行。
- 日光、きぬがわは187系が種車だった可能性も。
- 183系のように波動用で活躍。
- むしろキハ183系500番台に似た車両になっていた。
- 妙高、ムーンライト信州は187系で運行。
- 勢い余って487系もできる。
- ただし、国鉄がそこまで赤字でなかった場合。
- 「白山」に投入されていた。
- 「白山」廃止後は「能登」に転用。
- 「能登」は上越線経由にならなかった。
- 「白山」廃止後は「能登」に転用。
- 189系は電化されたばかりの北近畿地区に転用されていた。
- 183系485系改造車はなかった。
- 七尾線電化後も普通列車は気動車のままだった。
- 七尾線には521系が新製投入されていた。
- 七尾線電化後も普通列車は気動車のままだった。
- 183系485系改造車はなかった。
- 平坦区間でも電気を無駄食いするため、「扱いにくい」車両になっていた。
- このため他に転用する際一部車両が電装解除されていた。
- 結局EF200の二の舞になり、早期淘汰の対象に。
- EF63の余剰廃車が早かっただけでは?
福知山・山陰本線用381系
福知山・山陰本線の特急「北近畿(現・こうのとり)」には381系新造車を投入する計画がありましたが結局は他から485系が転用されました。
- 381系は国鉄分割民営化直前の1980年代中盤まで製造されていた。
- 振り子式車両なので「北近畿」の所要時間は短縮されていた。
- それでも山陰本線京都口電化開業時の「はしだて」「きのさき」「たんば」用には北陸本線から485系が転用されていた。
- 287系が初めて投入されたのは紀勢本線の「くろしお」だった。
- 現実と異なり振り子式になっていたかも。
- それでも、183系電車の置き換えのために投入していた。
- 福知山線用の増備車の座席は簡易リクライニングシートではなく、100系新幹線などと同様の背面テーブル付き新型リクライニングシートとなっていた。
- やくもが現在も381系だと考えると2020年代まで現役かもしれない。
- いや、早くても、2015年に引退していたか、遅くても、2018年に引退していた。
- もしくは、後藤総合車両所に転属し、特急「やくも」として、運用されていたかもしれない。その場合、「やくも」は原則、6両編成で運行されていた。
- 1996年に山陰本線京都口電化が開業した際は、京都に乗り入れていた可能性もある。
- 485系電車を改造した183系電車も福知山線に乗り入れていた。
- 当時の国鉄の事情では新製車だけではまかないきれないので「やくも」の短編成化で捻出した車両がこちらに回された可能性が高い。
- 485系「くろしお」はもう少し長く運用され、283系導入とともに置き換えられていた。
交直流対応振子式特急車両
591系として開発が進んでましたが、投入予定路線である東北本線に平行して東北新幹線を建設することが決まったため各地を転々とし、結局は381系として製造されました。
- 東北新幹線が開業する前までは「ひばり」に先行投入されていた。
- その後北陸や九州に転用。
- 485系の量産数が減っていた。
- 日豊本線、長崎本線にもにちりん、かもめとして導入される。
新特急電車
国鉄の130km/h対応特急。現実の高崎線新特急とは全くの別物。
- 高崎線新特急は通勤特急という呼び名だった。
- 急行「伊豆」は特急「あまぎ」に統一、東北・高崎線系統の急行はすべて特急化(いずれも183系使用)されたと思う。
- おそらく781系・485系・183系の新区分番台だった。
- 北海道の電化がもう少し進んだか。
急行用
153系寝台電車
夜行寝台急行列車の電車化が計画され、本系列を寝台車電車に改造・投入するものであった。
- 急行銀河の廃止が数年伸びていた。
- 急行きたぐに(大阪ー青森)の車両にも使われていたかもしれない。
- 153系は直流専用だから無理があるのでは?
- 451~475系ベースの交直両用版が開発される。
- 153系は直流専用だから無理があるのでは?
- 581系は誕生しなかった。
- 国鉄末期に通勤格下げ車両が出現していたりして。
- 「ちくま」が客車に戻されることはなかった。
163系電車(グリーン車を除く)
付随車のみ存在したが、当初は153系の出力アップ型として165系と同時期に暖地向けに導入が検討されていたようだ。(ただし抑速ブレーキはなし。)もしこれが実用化されていたら…、
- 結局、新幹線の延伸や特急運転区間の拡大で余剰となり、113系増備のための種車となってしまう。
- 113系1500番台や2000番台はこの車両のハコ替えだった。
- あるいは大阪地区の新快速は153系が撤退した後、この車両を部分改造して充当される。
- その場合117系は登場しなかったか国鉄末期のデビューとなっていたか。
- いずれは車種統一のため抑速ブレーキ取り付け改造を行い165系に編入された。
- 1975年の山陽新幹線博多開業時に改造され、165系200番台となる。また、捻出したCS12系制御器はその頃増備された113系新製冷房車に転用。
- 抑速付けられるのなら瀬野八も越えられるな!→「安芸」他に導入。
- 平坦地向けなので、東京~下田・修繕寺および房総急行に使用されていた.
- 捻出した153系は、3ドア化・デッキ撤去のうえ、静岡・名古屋地区の普通電車に転用。
- 名古屋~大阪・神戸間を結ぶ急行「比叡」でも運用されていた。
- ビュフェは165系や交直流車と同じく、そばコーナーになっていた。
- 仮に導入されても少数派で終わっていた。
- 少数派ゆえに国鉄末期には淘汰の対象となり、JRには継承されなかった。
- グリーン車が史実以上に113系に編入されていたかも。
- 修学旅行用電車として、製造されていた可能性もある。
- 167系電車は旅客用電車として、製造されていたかもしれない。
サロ164形
大糸線乗り入れ急行用に計画されたハイデッカータイプの展望電車。サロ85形から改造される予定だった。
- 改造されても所要数の関係から2両だけで終わっていた。
- 80系からの改造なので新製車との乗り心地で格差が起きていた。
- 車齢の高さと両数の少なさもあり、早期廃車の対象になっていた。
185系急行形電車
元々急行形電車として開発されましたが、投入予定だった急行伊豆が特急に格上げ(踊り子)されたため、本来の用途ではない特急形として運用されることになりました。もし、急行形として投入されていたら?
- 国鉄末期の急行列車の統廃合で余剰化。
- 波動用として重宝される。
- ジョイフルトレインとして改造される車両も登場。
近郊用
モハ70系
湘南電車投入計画の一つに「63系を3扉にしたようなロングシートの車両にする」案があったそうです
- なお、ここで述べるモハ70系は史実とは別の車両です。
- 後継の111系などの近郊型電車もオールロングシートになっていたかもしれない。
- それでも地方線区に転用されるときはセミクロスシートに改造されていた可能性も。
- 185系・117系の登場が早まったか。
113系1000番台初期車の総武快速・横須賀地下線乗り入れ
113系1000番台は総武快速・横須賀地下線への乗り入れを視野に入れて製造されましたが、初期車は地下線に乗り入れることはなく、早いうちに他線へ転用されました。
- さすがにATC設置改造くらいはされている。
- その分、0番台が史実より多く製造されていた。
- 更新時期が早まるので211系・213系総武快速・横須賀線用の登場が実現していた。
- クハ111-1310が阪和線に転出することなく、阪和色の113系1000番台は存在しなかった。
- 湘南色の113系1000番台も国鉄時代には存在していなかった。
サロ115形
115系のグリーン車(1等車)として全自動ドア装備で検討された。
- 東北・高崎線用新製車
- 普通車より一足早く冷房化された。
- 15両化も早まっていた。
- サロ165-14がスカ色にならなかった。
- 1973年の暴動がもっと大規模になっていた。
- だが事件後に急行型使用の普通列車グリーン車が自由開放されることはなかった。
- 211系1000・3000番台も最初からサロを組み込んで登場したため、サハ211の製造両数は少なかった。
- 宇野線用改造車
四国連絡快速用にサロ113を改造しての投入が計画された。
- 首都圏で113系グリーン車が不足し、特急・急行型からのサロ110への編入改造が史実より多く行われた。
- 備讃ライナー→マリンライナーにもグリーン車がついている。
117系関東仕様
急行「伊豆」の153系の置き換え用としてデッキのない転換クロスシート車両(=117系)が考えられていたが、居住性に問題があると判断され、さらに「伊豆」の特急格上げが決まったことにより結局は185系となった。
- 特急「あまぎ」と急行「伊豆」の統合は遅れていた可能性が高い。統合は分割民営化後になった可能性も十分考えられる。
- 「谷川」「草津」「あかぎ」「なすの」の特急格上げも遅れた。下手すりゃ「なすの」は廃止まで急行だった。
- 逆に快速に格下げされた可能性も。
- '90年代にこれらの系統にも255系を導入して特急に格上げしていた。
- 「谷川」「草津」「あかぎ」「なすの」の特急格上げも遅れた。下手すりゃ「なすの」は廃止まで急行だった。
- 「新特急」と言う名称は存在しなかった。
- 通勤形である事を生かして休日臨時快速→快速アクティーにも使われていた。
- しかし2ドアのため遅延多発。211系に置き換えられていた。
- 結局有料新快速扱いされるのは変わらない。
- 晩年は長野か新潟の普通列車に転用されていた。
123系クモユ143形改造車
郵便輸送廃止で余剰となったクモユ143形を国鉄所有にして123系への改造も考えられていたが、実現しなかった。
- 旧型国電は国鉄時代に全廃することが出来ていた。
- しかし、車両不足からクモハ84形の登場は史実通りになるだろう。
- 小野田線本山支線や鶴見線大川支線に投入されていた。
- 冷房装置は郵便車時代のものを再利用していた。
211系・213系電車総武快速・横須賀線用
国鉄時代、総武快速・横須賀線にも211系・213系電車を投入する計画がありましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
- 基本11両編成、付属4両編成になっていた。
- 111系は国鉄時代に形式消滅していた。
- 四国には史実より早く113系が配置されていた。
- 動労千葉の勢力は弱くなっていた。
- 弱くなるというか、元々弱いからこうなったわけで。
- E217系は製作されなかった。
- 今頃、E231系かE233系に置き換えられ、房総各線に転用されている。
- 東海道線と同時期にE233に置き換えが一番ありそう。
- E235系1000番台は常磐快速線に導入されていた。
- わざわざスカ色から変える必要性がないので菜の花色は存在しない可能性も。
- 209系は北関東か長野送り。
- 東海道線と同時期にE233に置き換えが一番ありそう。
- 今頃、E231系かE233系に置き換えられ、房総各線に転用されている。
- 213系は2ドア転換クロスシートというより1M方式という認識となっていた。
- JR東海の211系6000番台は213系6000番台として登場していた。
- JR発足後には2階建てグリーン車が組み込まれていた。
- 総武快速・横須賀線に211系を集中投入した場合,東海道線・東北線・高崎線用の211系はJR発足後になって投入。東北線・高崎線の輸送力増強は他地区からサハ115を転入させた上で行った。サハ111からサハ115に改造された車が多い。その代わり先頭車化された車は少ない。クハ111はローカル用に転出,クハ115に改造された車も少なくない。
- 幕張のクハ111は房総ローカル,大船のそれはクハ115化?
- ↑↑213系の製造数が現実より多いこと。
211系関西地区用
京阪神の新快速用や福知山線電化用として投入する計画があったが、前者は117系のマイナーチェンジ車(100番台)が、後者は113系初期車を改造(800番台)して投入された。もし、関西地区にも211系が投入されていたら?
- 221系が開発されなかった。
- 現実の223系が221系を名乗っていた。新快速に3扉転換クロスシート車が投入されるのは阪神・淡路大震災後の輸送力増強が名目だった。
- 新快速用は117系と比べて見劣りがしたので後にこれに置き換えられていた。
- 現実の223系が221系を名乗っていた。新快速に3扉転換クロスシート車が投入されるのは阪神・淡路大震災後の輸送力増強が名目だった。
- 大和路線や阪和線にも投入されていた。
- 今頃は体質改善工事が行われ転換クロスシートに改造されている。
- むしろ製造当初から転換クロスシートになっていたのでは?
- 3ドア初の転換クロスシートといえば近鉄5200系ではなくこの車両のことを指していた。
- あるいは民営化後投入分から、転換クロスシートを装備するようになったかも。
- 213系のような2ドア転換クロスシート車だったかも。
- 211系と213系の違いは車体・設備ではなく機器によるものだった。
- むしろ製造当初から転換クロスシートになっていたのでは?
- カラーリングは千葉地区用に似たものになっていた。
- 新快速用は関西急電をイメージしてベージュ+茶色の帯を巻いていた。
- 1000番代をベースに製造され、1500番代に区分されていた。
- JR西日本の211系は「ゆめじ」以外にも存在していたこととなる。
- JR発足後には110km走行対応に改造されていた。
- 211系は最初から110km/h走行に対応している。
- 民営化後に製造された車両は、設計改良により、最高速度が120㎞/hへ向上。
- 台車は、ヨーダンパ設置準備工事が施された改良型で、後年ヨーダンパが取り付けられた。
- 国鉄時代製造分についても、JR東海所属の0番台のように、台車へのヨーダンパ装着やブレーキ改良工事などが行われ、120㎞/h走行が可能になった。
- 台車は、ヨーダンパ設置準備工事が施された改良型で、後年ヨーダンパが取り付けられた。
- 新快速用は、117系と同じく6両編成で登場した。
- 編成内のMT比を1:1にするため、中間車として211系の車体を持つ213系2両(モハ+サハ)が混結されている。
- 民営化後、輸送力増強のため、6両編成2本を8両編成1本と4両編成1本に組み替えられた。
- 6両編成から213系2両を引っこ抜いて、それを別の6両編成に挿入。
- 117系100番台は登場しかなったかもしれない。
- 225系導入で大阪地区から撤退し、岡山か広島に転用されて115系を置き換えていた。
- あるいは奈良線や関西本線に転用されて103系を置き換えていた。
- (車内の座席が転換クロスシートの場合)同時期に神領電車区に配置された211系は上と似た仕様になる。
211系広島地区用
国鉄の財政難で話が消えたらしい
- 111系・115系に廃車が発生していた。
- もしかしたら岡山地区に転属して213系と共通運用になっていた。
- 227系導入で廃車になっていたかも。
- むしろ製造数が減っていた。
- もしくは岡山・山口地区に転用された。
- 温暖な地域とはいえ、1000番台をベースに導入されていたと思われる。
- カラーリングは115系3000番台に倣い、青20号の帯を施していた。
- 415系1500番台と混同されていた。
- 誤乗防止のため、新山口辺りから西への入線は極力避けるような使い方をされている。史実通り227系で置き換えられていた場合、211系は岡山エリアにまとめられていた。
- それと同時に213系に準じた青帯に塗り替えられている。
- 誤乗防止のため、新山口辺りから西への入線は極力避けるような使い方をされている。史実通り227系で置き換えられていた場合、211系は岡山エリアにまとめられていた。
- 415系1500番台と混同されていた。
413系電車475系改造車
413系電車は475系電車からの改造計画もありましたが、実現しませんでした。もし、413系電車が475系電車までも改造されていたら?
- 471系・475系の延命工事はなかった。
- 521系は419系の置き換え分で製造が打ちきられていた。
- 若い車体を活用して機器更新がされていた。
- 413系200番台になっていた。
793系
サイリスタ位相制御+回生ブレーキ搭載の3扉交流電車
- 鹿児島本線博多地区か東北本線仙台地区に投入されていた。
- 417系・713系はなかったかも。
795系
サイリスタ位相制御+回生ブレーキ搭載の2扉交流電車
- 長崎本線博多地区か常磐線仙台地区に投入されていた。
- 419系・715系はなかったかも。
4扉近郊電車
1960年代に101系と同等の車体でオールクロスの車両が計画されていた。
- 首都圏の混雑が緩和されていた。
- しかし上尾事件は史実どおり起こった。
- 近郊形・通勤形車両の区分が曖昧化し、その後の形式は一般形と称するようになっていた。
- 実史の近鉄2610系がそうだったように、クロスシートのシートピッチが狭すぎたため後年オールロングシートに改造されていた。
- 「仮称105系」の代わりに関西地区に大量に導入された。2000年代に山陽地方に転用される。常磐線と中央東線の中電は似た車両を使用していた。
三扉簡易寝台電車
- 平日は横須賀線の通勤用、休日は中央線登山客の仮眠用として使用される予定だったが、実用性に乏しいので却下された。
- 上記内容を見るに塗装はスカ色で間違いないだろう。
- いずれ簡易寝台が邪魔になり、115系に編入改造される。
- 中央東線・篠ノ井線の夜行普通列車はこの車両で電車化された。
通勤用
72系970番台武蔵野線用
武蔵野線用に投入が計画されていました。
- いずれ103系3000番台への編入改造が行われていた。
- 101系1000番台は存在しなかった。
- 武蔵野線への205系の投入数はもう少し多かったかもしれない。
- ナンバーがインフレ化し、6桁台に突入していた。
101系横須賀線用
かつて横須賀線の逗子~久里浜間の輸送力の適正化と高頻度運転化の為、101系の投入が検討されていました。
- 「シーサイドライナーヨコスカ」として実車こそ登場したものの、転用中止により営業入りには至らず。
- 横須賀線は逗子で分断されていた。
- 国鉄末期からJR初期の間に103系への置き換えが行われていた。
- その後E217系の付属編成で置き換え。
- 場合によっては205系か209系が転用されていたかもしれない。
- 国鉄末期の投入予定だったことを考えると、南武支線と同時期に205系1000番台で置き換えもありえそう。
- 場合によっては205系か209系が転用されていたかもしれない。
- その後E217系の付属編成で置き換え。
- 大船工場の入れ替え車として使われることはなかった。
- 塗装がハイスクール・フリートの制服に似ていると言われる。
101系常磐快速線用
中間加速度が劣る103系にかわり、赤羽線と京浜東北線から101系を転属させる話があったようだ
- 常磐緩行線の103系は常磐快速線に転用されなかった。
- 105系に改造される車両が増えていたかもしれない。
- 片町線・京阪神緩行線・福知山線に転用(片福連絡線計画に対応)されたかも。
- 常磐線快速電車の15両化が遅れていた。
- 上記の緩行線103系を快速線に転用できなかったので。
- E501系の製造量数が増えていたかも。
- もしくは国鉄末期に、205系の常磐快速線投入が実現した。
103系5扉車
103系の開発にあたって1両辺りのドアの数を5つとすることが検討されていたが、車両に冷房などない時代に窓面積が減少するのは厳しいとして没となった。
- その後の通勤車両は5扉がデフォになっていた。
- サハ204は7扉になっていた。
- 各路線へのホームドアの設置が遅れていたかもしれない。
- むしろ5ドア対応のホームドアが早期に開発されていた。
- 冷房化が早まっていたかもしれない。
- 京阪5000系の影が薄くなっていた。
- 但し同系で初採用された座席昇降装置は現実よりも普及していたかも。
103系1000番台筑肥線転用
1980年代当時の鉄道雑誌に噂として書かれていたようです。
- また筑前前原~唐津間の増発用に「東京の国電を改造して4両編成で運転する」事が新聞で報道されていたらしい。
- 転用にあたって塗装はブルー系に変更されていた。
- さすがに冷房改造は行われていただろう。
- もし行われなかった場合、福岡市営の車両との格差はさらに大きくなっていた。
- これの置き換え用として303系の投入両数が増えていた。
- 305系は登場しなかった。
- 103系1500番台は登場しなかった代わり、奈良・和歌山線電化時には新造の105系0番台が投入されていた。
- ↑の105系0番代は「ローカル電車」ではなく「大阪圏の冷房促進」扱いで当初から冷房付きであった。
- 上記の筑前前原~唐津間の増発用だったら1500番台に3両編成は登場しなかったら。
仮称105系電車
京阪神緩行線への投入が考えられていた駅間距離の長い線区向けの4扉通勤形電車。史実の105系とは異なる。もしこの車両が登場していたら…。
- 103系は現実ほど製造両数が多くならなかった。
- 101系のMT54搭載版という位置づけになっていた。
- 歯車比は1:5.60で、419系や715系と同じ走行音を立てていた。
- 付随車の形式は101系と共用するが、前面形状が103系と同時に変更される。
- 史実の105系は「107系」になっていた。
- こちらもMT54を搭載していた。
- 119系も。
- 史実の107系は「109系」
- こちらもMT54を搭載していた。
- 常磐快速線にもこの車両が投入される。
- 中央快速線にも特別快速用としてこの車両が投入されていた。中央快速線向けは高尾以西への直通を考慮してパンタグラフ部分が低屋根(若しくはPS24形パンタ搭載)とされ、モハ104形800番台が製造されていた(?).
- 201系の初導入先は中央総武緩行線だった。
- 201系のPS24パンタグラフ搭載車は存在しなかった。
- 中央本線新宿口の中距離電車は105系で置き換えられた。
- のちにE231系1000番代が豊田に配置され(グリーン車連結)、105系を置き換えた。
- 中央快速線にも特別快速用としてこの車両が投入されていた。中央快速線向けは高尾以西への直通を考慮してパンタグラフ部分が低屋根(若しくはPS24形パンタ搭載)とされ、モハ104形800番台が製造されていた(?).
- 東武8000系は「私鉄の103系」ではなく「私鉄の105系」と呼ばれていた。因みに性能面では東武8000系は103系よりもむしろ仮称105系に近い。
- いや103系でしょ。規模的に。
- その後321系により駆逐。環状線や広島地区に転属。
- 國鐵廣島では103系の中間車として活用される例も現れる。
105系(汎用電車)
ロングシート・クロスシートの両方に転換可能なタイプの座席で計画されていたという。
- ホリデー快速によく使用されていた。
- 首都圏中電のオールロング化が遅れていた。
- 民営化後、ホームライナーに使用されるが、苦情が来たため数年で中止。
- 近鉄L/Cカーは現実よりも早く登場していた。
- 5200系は登場しなかったかもしれない。その場合JR西日本221系などにも影響を与えていた。
- 首都圏の大手私鉄にも類似の車両が投入されていたかもしれない。
- その場合、首都圏でも平日昼間や休日は運賃だけでクロスシートに乗れるようになっていた。その結果国鉄→JRとの競争が有利になりJRのグリーン料金も安くなっていたかもしれない。
- 京急2000形はこのタイプの座席かつ3扉で登場していた。2100形は登場せず、二代目600形がこのタイプの座席で登場し増備されていた。
- 東武6050系や西武4000系もこのタイプの座席かつ3扉で登場していた。
105系0番台飯田線用
飯田線豊橋口用に105系0番台を投入する計画があったが、実現しなかった。
- 飯田線の普通列車に165系が転用されることはなかった。
- それでも119系の投入は史実通り。
- しかし、トイレなし車両で長距離運用に不向きな車両であるため、結局は飯田線に165系が再配置され、静岡地区に転用される。
- ここでも他の近郊型と性能が合わないため、結局は211系に追われる形で御殿場線に転用される。
- よって、御殿場線に211系6000番代が投入されることはなかった。
- 119系と運用を交換してするがシャトルに転用していたかも?(なお165系再配置の理由は119系のするがシャトル転用)
- ここでも他の近郊型と性能が合わないため、結局は211系に追われる形で御殿場線に転用される。
- それでも2010年代には313系に置き換えられる。
- JR発足後は東海カラーに変更されていた。
105系0番台富山港線用
富山港線に105系0番台を投入する計画があったが、実現しなかった。
- 置き換え対象である72系と同じく青22号となっていた。
- 城川原車庫は廃止されなかった。
- JR移行時に金沢の支所となっていた。
- 富山ライトレール転換時に他線区に転用される。
- 時期的には加古川線電化用…と思ったがちょっとズレるな。
201系山手線用
国鉄時代、山手線に201系を導入する予定でしたが、当時の国鉄は財政難だった為製造費の高かった201系の導入を断念しました。もし、実現していたら?
- 205系の誕生が遅れていた。
- 初導入の路線は横浜線だった。
- いや、京浜東北線だったかもしれない。
- 下にもある中央・総武緩行線もありそう。
- 205系はJR東日本の車両として登場していた。
- 関西地区に205系が投入されることはなかったかも。
- 初導入の路線は横浜線だった。
- ウグイス色201系は1980年代の時点で見る事ができた。
- ウグイス色の201系という都市伝説は生まれなかった。
- 山手線への6ドア車導入は史実のE231系500番台まで待つことに。
- その場合、11両編成化が行われただろうか。
- そもそも6ドア化無しで増車という可能性もある。
- もしくはサロ124・125の如くサハ200がステンレス車体で製造されていた。(=史実のサハ204とほぼ同様)
- E231系500番台投入以降は全車両が205系に編入改造されていた。
- その場合、11両編成化が行われただろうか。
- 201系の性能をフルに発揮できていた。
- 電機子チョッパ制御は低速で加減速が多いほうが省エネ効果が大きいため。
- 201系に対する評価も大きく上がっていた。
- 場合によっては他線への201系投入を中止して山手線に集中投入していた。
- これらの路線には後に205系を投入する。
- 205系は中央線に投入されていた。
- 総武線各駅停車の205系は忠実より多く投入されていた。
- 山手線の205系が先頭車改造されて導入された線区には投入されず、別の車両が新造されるか、改造されていた。
- 投入されるなら中央線・総武緩行線の205系が改造される。
- 仙石線の103系引退は2010年代以降になっていた。
- 駅間距離が短く加減速の機会が多いので、電機子チョッパ制御の長所をフルに発揮できていた。
- 201系の評価も現実よりも上がっていた。
205系中央・総武緩行線用
国鉄時代、山手線に次いで中央・総武緩行線へ投入することが計画されていたが、実現しなかった。東中野事故の補充として投入された2編成とは別物。
- 東西線直通用の301系・103系1200番台の帯色変更が早まっていた。
- 当時の津田沼電車区に集中投入され、101系・103系を置き換えていた。
- よって209系500番台は存在しなかった。
- 209系950番台は別の路線に投入されていた。
- 場合によっては中央・総武緩行線へE231系は投入されず、同線の201系・205系の置き換えはE233系が行っていたかもしれない。
401系(2代目)
常磐快速線電車の土浦延伸の為に計画された交直流形通勤電車。
- 415系ロングシート車は登場しなかった。
- 史実の401・403系は411・413系(史実とは別の車両)に形式変更された。
- 史実の413系は何系になってたのやら…
- 二代目421系あたりが妥当なところでは。
- 史実の413系は何系になってたのやら…
- それでも史実通りにE531系に置き換えられるが、全車ロングシートで製造された。
- むしろ403(この世界だと413系か)・415系置き換え用は史実通りセミクロスシートとなる。
- どちらかが別番台になっていたか。
- ついでに401系置き換え用のはグリーン車無しに。
- むしろE531系化の時期が史実通りだったら快速線全列車がグリーン車連結になっていた。
- たぶんE231系常磐線快速用にグリーン車は連結されない。
- むしろ403(この世界だと413系か)・415系置き換え用は史実通りセミクロスシートとなる。
- 成田線我孫子口は常磐線との直通がなく、2020年現在も千葉支社の車両で運転されている。
- 15両化はされるだろうしそのままでは。
- うまくいけば当初の計画通り福岡口に60Hz対応版の車両(おそらく二代目403系を名乗る)も導入されている。
- もしかしたら筑肥線博多~姪浜間は交流電化されたかも。
- のちに大分・熊本・鹿児島地区に回された。
- 筑肥・唐津線姪浜~唐津~西唐津間も交流電化されただろう。
その他
燃料電池車
- 国鉄時代から燃料電池車が計画されていたらしい。鉄道総研に205系ベースの試験車の模型が存在する。
- FV-E991系を待たずして、鉄道の燃料電池車が20世紀から実用化されていた。
- 形式名は単純に考えてFV-205系だろうが、当時は形式にアルファベットが入った車両ってあったっけ?
- 量産され、各非電化路線に導入される。
- 烏山線に導入された場合、EV-E301系は別の路線の車両として登場していた。
- ただ、国鉄の財政難を考えると、多くは製造されなかったもしれない。