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{{Pathnav|ざんねんなモノ事典|ざんねんなスポーツ事典|ざんねんな格闘技事典|name=相撲}}
==神作戦の噂==
※編集される方は「[[Chakuwiki:お願い/ざんねんなモノ事典]]」をご覧ください。
#ミッドウェイ海戦で敗北するも、機動部隊再編の期間西部ニューギニアまで戦線を整理。
==相撲部屋==
#*陸軍に敗北をオーバーに伝えて中国での戦線整理を強要。
;貴乃花部屋
#*国民にも敗北を伝えて危機感をあおり、生産力の確保に成功。
#貴ノ岩が日馬富士に暴行を受けてからはゴタゴタ続きで、貴乃花親方が角界を去ったことで閉鎖された。
#*ノコノコ出てきた米艦隊を海軍基地航空隊と陸軍航空隊で痛撃。その間に姑息に空母を整備。
#*被害者のハズの貴ノ岩が付き人への暴力が発覚するなど元弟子らの不祥事が相次ぐ。同じ元弟子で優勝を経験した大関の貴景勝が不憫でならない。
#*零戦の性能を上げる。実用高度を高度6000メートルから13000メートルすることでB29を楽に撃墜できるようにする。
#部屋開設直後に元安芸乃島の千田川(現高田川)親方と確執を起こすなど、初っ端からゴタゴタしていた。
#**零戦は艦上戦闘機だから高々度の能力より中低高度での格闘戦を重視して良いのではないかな。高々度戦闘機は『鍾馗』を迎撃機として配備し、『疾風』に発展していく感じで。
#*貴乃花親方が千田川親方の移籍承諾書の捺印をごね続け、協会の仲介により先代親方の捺印で移籍が認められた。
#*ガダルカナル島の海軍設営隊の護衛に特別陸戦隊と陸軍2個師団が同行する。
#**無所属の高田川部屋に移籍、先代親方の停年により後継者となり、自身が元々属していた二所ノ関一門入りとなった。
#*ミッドウェイで負けるにしても、主力空母四つ撃沈されたらさすがに立ち直れない。蒼龍加賀大破(後自沈処分)、赤城中破で飛龍は小破。しかし負けじとヨークタウンを沈没させさらにエンタープライスも大破させる。
#*一説によると現役時代から不仲で、安芸乃島が新弟子時代の貴花田を兄弟共々いじめていたとも。
#'''史上最大の作戦'''とは、'''アメリカ西海岸上陸作戦'''のことである。
#*そして高台に日本軍兵士が日章旗を挿す所を日本の某雑誌記者が撮影して、後にその写真が西海岸上陸作戦を物語る有名な写真として後世に語り継がれる。
#**因みにこれを元に日本の北野武監督が2007年に'''「西海岸の日章旗」'''と'''「西海岸からの手紙」'''を製作し、高評価を受ける。
#*元々はハワイを落とした時点で講和する予定だったが、アメリカ側が「もうちょい長期戦やれば日本の物資も底を尽きるだろ」と考え交渉決裂。日本側は資源を西海岸に求めて上陸作戦決行を決定。米軍は西海岸の防備を固めるが日本の海軍航空隊によって(ry
#山本五十六も死ぬことは、無かった。
#*トーマス・ランファイアは「一式陸上攻撃機二二型」に返り討ちにされた。
#暗号が漏れてるっぽいので、逆手にとって米軍をあっちこっちに動かして遊ぶ。
#*とっくに放棄したニューギニア以東のどこそこを攻撃するという空の電文を送ってみる。
#**そして機動部隊いない間に第二次真珠湾攻撃。基地機能完全喪失。


;二所ノ関部屋(旧)
==超兵器の愉悦の噂==
#大鵬や力道山を輩出した名門だった。
#本庄技師の意見が認められ一式陸攻が4発の「空飛ぶ要塞」になる。
#しかし、2度の分家独立騒動が起こってしまった。
#*発動機:三菱「火星」一一型1530hp×4 最大速度406km/h 実用上昇限度10,000m 航続距離3000km(正規)・6000km(過荷最大) 搭載力:胴体内魚雷×2または爆弾八〇番×2または二五番×6、主翼下魚雷×2または爆弾八〇番×2または二五番×4または落下式増槽 機銃20mm×3、7.7mm×5(データはG4M1、一一型)
#*分家独立した部屋のうち、押尾川部屋では本家同様の分家独立騒動が勃発した。
#*最後はフルカン3速過給器付の機体でアメリカの主要工業都市を爆撃する。
#元金剛が引き継いでからは関取がなかなか生まれず衰退、そして親方が脳梗塞で倒れ部屋を畳んだ。
#*火星25型乙にしたほうが良いと思う
#**一二試で開発してるから一一型では火星一一型、開戦あたりから火星二三型、後半は史実の二五型乙に3速過給器。
#**ハ50搭載とか。大型誘導爆弾を搭載して「戦艦殺し」と呼ばれる。
#「富嶽」をお忘れなく。
<!--#**「富嶽」は日本の生産力の手に余るんじゃないかと……//コメントアウトは本人-->
#*「富嶽」と言うか「Z飛行機」ですな。
#*中島G10N。エンジンは中島・三菱合作で4800hp×6。機銃20mm×7、7.7mm×6。搭載力は主脚強度が足りなくて5トン削って15トン。モリブデン不足でターボあきらめて機械式3速過給器。二重反転ペラうまくいかなくて大径4翅ペラ。ってとこでどぉ?
#**主脚は「強度足りないなら数増やしてしまえ」とばかり、4本の主脚になったり。
#**欠点は致命的にトロくて装甲も薄いこと。制空権があっても撃墜が相次ぐ。
#***なので結局輸送機として小数が使われるだけに。他に連山とかキ-91とかいろいろ試してみるもののいまいちモノにならず、最後までB-17級の一式陸攻(4発)が第一線で活躍。
#***とは書いたものの、本格的な高高度超大型爆撃機はやっぱり必要な気も……本来のG10N1ならともかく「Z飛行機」であれば一〇〇式重爆からさらに強化された防弾を持っていても不思議じゃないし……
#長距離攻撃機として三菱の4発を採用することになったので、「'''常識的な性能の双発機'''」として中島に一三試中形陸上攻撃機を発注。
#*発動機:中島「勇」一二型1300hp×2(陸軍ハ-四一の海軍向け) 最大速度440km/h 実用上昇限度9,000m 航続距離2500km(正規) 搭載力:魚雷×1または爆弾八〇番×1または爆弾二五番×4 機銃20mm×2、7.7mm×5(データはG4N1、六六型)
#*制式名称は「'''一式陸上攻撃機六六型'''~」だが、現場では「一式二号」と呼ばれる。ちなみに三菱機は「四発中攻」「一式一号」「一式四発」。
#**三菱機は「四発中攻」ではなく、「九七式大艇」のように「一式大攻」になるのでは?
#*双発機としては重武装の機体でそれなりに活躍。
#アメリカ東部本土防空戦では、ドイツTa152H、イタリアMC205、日本四式戦「疾風」、それを迎え撃つアメリカP-51、P-63、F8Fという、究極のレシプロ戦闘機達の戦いが繰り広げられる。
#*後に震電や烈風も実戦参加した。
#*そのうちF80が登場。Me262、橘花改と史上初の日(+独)米のジェット戦闘機同士の戦いに。
#**ジェット戦闘機同士の戦いはその前にMe262 vs ミーティア(RAF)が発生していると思う。
#**陸軍の「火龍」もお忘れなく。
#よくよく考え直して、ドイツからはユンカースJumo211のライセンスを買うことにする。
#*先に愛知がDBを取得していたので、川崎が取得しようとしたところ、ドイツのシュペーア軍需相が大反対。「リスク低減の為には、同等の性能の相当品を買うべき」。
#*ドイツの計らいで陸海軍一緒に打ち合わせに出席。「どうして同じ国で別々にライセンスを買うのか?」と指摘されて一括購入することに。上層部は怒ったが、現場の人間は「そりゃそうだよね」と苦笑した。
#**しかもユンカースは三菱と付き合いがあった。三菱なら陸海軍両方に顔が効く。ただし、実際には孫ライセンスで愛知と川崎が製造(後に中島も動員)。理由は、三菱は空冷に専念する為。
#とりあえず二一号電探、二二号電探の配備を急いだ。
#*「日本軍がレーダー? たいした性能じゃないだろ」→ハルゼーあたりがフルスイングで突っ込んできて、米軍の攻撃機が日本軍戦闘機(+三式弾)の餌食になる。
#イギリスが早期に連合国から脱落したため、手が空いていたカムフーバーをレーダー設備ごと招聘。国土の縦深がないため運用に苦労する。
#*艦隊防空の立案にも尽力。
#**長門型以前の戦艦はケースメイト副砲を取っ払い、ラインメタル37mm機銃(3.7cm Flack18の連結クリップ型)を増設して防空能力を上げる。
#航空機銃は20mmは海軍九九式FFシリーズ、12.7mmは陸軍ホ-103系で統一。
#*ただしホ-5は機首用に限って生産(エリコンFFにはもともと同調装置がないのです)。
#Ju290、Ju390がライセンス生産される。
#*BMW801の代わりにハ104を搭載して完成し、重宝される。


;花籠部屋(旧)
===どうする!? 「零戦」の後継機===
#初代若乃花や輪島ら横綱を輩出した名門中の名門。
#「紫電改・火星搭載・艦上型」
#*但し、設立当初は食糧に困るほどの経営難で、巡業で二所ノ関一門からハブられた時期もあった。
#「陸軍キ61・海軍仕様化・艦上型」
#その輪島が引退し、花籠親方になったとたん、凋落が始まる。
#「金星零戦」
#*年寄株を相撲協会以外の人物に借金の担保にしていたことが発覚。
#*発動機に金星六二型甲(3速過給器)・1500hp、主武装は機首に一式二〇粍航空機銃(陸軍ホ-5)×2、主翼に九九式二〇粍二号航空機銃四型×2。ってとこでどうよ?
#**借金を返せずに年寄株が金貸しの手に渡ったとして、その人が親方になるつもりだったんだろうか?それとも「公表されたくなかったら年寄株を買い戻せ」と言って相撲協会を強請るんだろうか?
#「烈風」
#*花籠親方こと輪島は相撲協会を廃業し、花籠親方は空席に。
#*烈風は何かにつけて中途半端なんだよな……「火星」で設計してればモノになったかも知らんけど。
#その後、結局後継者は決まらず、花籠部屋は消滅した。
#**そうそう。終戦間際で最大速度620キロ程度なんて…。アメチャンは700キロ台なのに。
#ちなみにのちに太寿山によって再興されるが、経営難を理由に峰崎部屋に編入されている。
#***まぁ、重要なのは水平最高速度より急降下時の許容速度だけどね。
#*独立当時は部屋の所在地がなんと山梨県[[上野原市|上野原町]]だった。
#**天山が当初搭載していた「護(まもり)」でもよかったかも。出力では劣っても安定性では「誉」よりはるかにマシだったようですし。
#峰崎親方(元三杉磯)は立場や系譜が違えど、二度の花籠部屋消滅の当事者となった。
#***天山は「護」が安定しなかったから「火星」に変更された。それに中島はインジェクター技術で出遅れていたから、大戦後期の戦闘機はやっぱり三菱エンジンで設計すべきかと。
#*三杉磯は元々花籠部屋所属力士だったが、上記の輪島の不祥事で放駒部屋移籍を余儀なくされた。
#****逆に艦上機(戦闘機以外)や双発程度の爆撃機・対地攻撃機などは中島エンジンでいいかと。
#*鹵獲した米軍のF6Fヘルキャットを研究し、それを元に改良する。
#「震電」
#*着艦フックを追加したら「四本足」と呼ばれました。
#*ただでさえ長い着陸脚を艦上機のために強化したら、油圧系統の強化も必要になってさらに重くなりました。
#*着艦姿勢がこれまでの3点式とは違うため事故が多発しました。教範も改定する必要があるため現場から空技廠まで大騒ぎです。
#*結局、ジェットエンジンが実用化されるまでお蔵入りになりました。ただ、ジェットを積んでも艦上機として使うのは難しいということでした。
#「陸軍キ84・主翼面積拡大・艦上型」
#「鍾馗・海軍仕様化・艦上型」
#「烈風」の翼面荷重を150kg/m<sup>2</sup>かそれ以上で設計。
#*ついでにエンジンも「火星」「ハ43」どちらもつけられるようにしておく。
#「墳式零戦」
#*どうせ、名機なんだから、零戦の欠点(防御力、高度など)を直し、墳式にしたほうが良いと。
#*いや、ジェット化しても機体強度が同じなら頑丈な米軍機に急降下された場合追いつけません。ばらばらです
#「彩雲・戦闘機型」
#*彩雲はスピードが良いので30ミリ機銃または、20ミリ機銃を装備させた艦上戦闘機に。
#「五式戦モデル・海軍型」
#*金星最終型を積んで、13ミリ×6か20ミリ×4。風防を涙滴型にして視界向上、着艦フックをつけて。速度も580㌔は固いのだから、ヘルキャットにも対抗できるのでは。さらにこいつを陸海共同機にする。二式艦戦くらいでだせたのでは…。
#*2.の液冷型とあわせて採用、正規空母は液冷型、軽空母と地上基地は空冷型。でも軽戦志向の海軍では、正規空母でも空冷型の要望が高そう。
#**整備性を考えたら空母ではなおのこと空冷型が採用されるよ。二式艦戦「真電」でどうか。「電」ついちゃってるけど
#***逆、逆。「彗星」で高圧水冷にしたのは大型空母での運用が主と想定していただったから。外地と違って、常に充実した整備の設備も一緒でしょ。軽空母はこの限りじゃないけど。あと名称はわざとだよね?
#**え、彗星の液冷エンジンってそうなの!?でも空冷機の方が実際は…。名前は仰るとおりです。実際は艦戦だからそれこそ烈風とか真風とか春風とかになるだろうと妄想してましたw
#***でも実際早期開発できてF6Fに対抗できそうなのってこの辺じゃないかなあ…。誉は故障するし火星だと大きすぎるみたいでみんなポシャってるし
#****局地戦だが艦上機化計画もあった紫電改は、火星ベースの機体(水上戦闘機『強風』)を誉用にリファインしたもので機体自体はでかい。それと火星の口径(1340mm)はF6F・F4U・F8FのR-2800(1320mm~1342mm)とほぼ同等。
#「雷電・艦上型」
#*スピードや運動性能もヘルキャットと同じ位なので。
#**いや、局地戦なのでヘルキャットよりも運動性能は低いです。スピードは多少上回ってますが。
#**それと、火星エンジン搭載なので下方の視界が悪いし、着陸速度が速いので艦上機には向いていないと思う。
#一七試艦戦を本庄李郎技師主任で開発。
#*際立った高性能は期待できないが、重武装で、手荒に扱っても耐えられて、防弾がそこそこ充実して、しかも生産しやすい機体が出来るはず。
#**ちなみに、零戦三二型をやったのが本庄技師。あの短い主翼は航続距離が短い一方、それまで米軍機のお家芸だった横転降下の特性が格段に良くなったんだとか。
#*エンジンは機首周りの部品を変更するだけで火星とハ四三(この世界だと陸海軍統合がされてないだろうから多分「土星」か?)のどちらでもつくようにしておいてもらう。
#「秋水改」
#*大型化、武装強化。
#**と、調子に乗って書いたけどそれ以前に増槽つけなきゃ・・・
#*艦上型も開発される。
#*結局陸・海軍が揉めて双方の独自開発になっちゃう。


==力士==
===九九艦爆哀歌===
===あ行===
#「1ノットでも速くなればいい!」と海軍が突き上げるので、引込脚にすることにしました。
;安藝ノ海節男
#Ju88を真似て、スノコ形の主翼格納型ダイブブレーキにしてみました。
#双葉山の70連勝を阻止したということだけで横綱になったような力士。
#そうするとダイブブレーキが邪魔になって、脚が横方向に折りたためません。
#*優勝も関脇時代の1度だけ。
#なので双発機みたく後ろに引き込むことにしました。
#*地元の広島でもあまり知られてないような印象がある。
#車輪を水平にしたいところですが、日本の技術では生産隘路になるのが目に見えてます。
#親方時代に経営していたちゃんこ店の地下にキャバレーを出店させたことや離婚問題のせいで協会にいられなくなった。
#なので車輪は半引き込みで我慢することにしました。
#主翼下に車輪引き込み用の砲弾型カバーを付けてみました。
#結局主翼周りほとんど再設計でした。
#でも50km/hしか速くなっていないことに生産段階になって気づきました。
#*そこで主翼の根元に増速用の火薬式ロケットブースターをつけてみました。
#しかも生産工程が増えたために生産効率が著しく低下してしまいました。
#*でも彗星よりはるかにマシでした。


;曙太郎
===連合艦隊は?===
#外国出身力士として初めて横綱になり11回の優勝を重ねたがなぜか全勝優勝は一度もできなかった。
#大和型4番艦も空母に。艦名は「尾張」。
#足が長い体形だったため下半身がもろいという弱点があった。
#*中央にサイドエレベータ付けてみました。
#*平成初期の相撲本でも「曙は重心が高く小錦ほど出世できるかどうか不安」と書かれたこともある。
#*大戦には間に合わなかったけど降伏文書調印を艦上でやった。
#相撲協会退職後は総合格闘技に転向したがさっぱり勝てず「マケボノ」と揶揄された。
#伊勢や日向は航空戦艦に改造されなかった。
#2017年に心不全で死の淵をさまよい記憶のかなりの部分も消えてしまった。
#*むしろ全通型甲板の空母に改装。
#**逆に主砲塔一部撤去による軽量化、空いたスペースに新たにボイラーとタービンを組み込むなどの高速化改造を行って「金剛」級と同様の任務につかせていた可能性も。
#**ぶっちゃけ隼鷹型の護衛なら26ノットも出せれば十分だからね。史実でも第一機動艦隊乙部隊では25ノットの長門が直衛してたし、火力を考えれば隼鷹型に伊勢型を付けて、他の高速巡洋艦は別の護衛に回した方がいい。
#**ミッドウェイ戦後は「全ての戦艦が空母改装の候補になった」とあるから、砲塔爆発事故を起こしていた日向は空母でしょう。あと'''栗田のせいで事故った'''最上もね。
#エセックス級より先に雲龍型空母を送り出すことに成功。
#*17~18年中期竣工型は2エレベータ、18年後期以降は中央サイドエレベータ追設。もちろんエセックス型のパクリ。
#*「天山」「流星」発艦用の油圧式カタパルトを装備。ただし圧力充填はレシプロ蒸気機関が使われ、飛行甲板の下で「ポンポンポン……」
#**このため、「海軍さんの空母は焼玉エンジンで動いている」とか「ポンポン空母」とか、うれしくないあだ名を付けられる。
#*しかし、戦局が有利になってくると、大鳳型空母の量産に着手。12隻作るはずが、大戦に間に合ったのはたった3隻。
#**後に蒸気カタパルトに。
#世界初の「潜水空母」が華々しく登場するも、何に使っても中途半端なのでとっとと退役させることに……。
#*しかし、アメリカ側は「海上輸送線破壊兵器としての潜水艦の究極形態」と評価し、コピーを計画し、ドックに竜骨を据えたところで敗戦。
#第二水雷戦隊が最強の夜戦隊として、それを含む第二艦隊が精強なる水上打撃艦隊として勇名を轟かせる。
#ミッドウェー海戦では零戦30機を空母の護衛にした為、空母4艦は健在。
#*後方の主力部隊から引き抜いた瑞鳳を直衛空母とし、千歳を索敵専用艦として随伴させるというわけですね。
#**そう言うことです。軽空母といえど空母ですから。
#*むしろ主力部隊にアリューシャン部隊の空母(全戦闘機)を付けて空襲吸引用の前衛にし、後方から悠然と軽空母付きの機動部隊を運営できればなどと思ったりもしますが…。
#**そしたら、ミッドウェーの陽動作戦(アリューシャン作戦)はどうなるのですか?
#***どうせ全然陽動が用を成さなかったんですから、全戦力を一点集中させた方がましでは。護衛空母付きの主力戦艦が7隻もいれば簡単にやられない。戦艦→島、空母→敵空母みたいに攻撃対象を分担していれば、あるいは、、、
#扶桑級は3連装化、中央2主砲撤去→ボイラー&タービンを増設させる。
#*それでも、防御力は低かったので沿岸警備艦隊の旗艦に。
#三式弾の性能が飛躍的に向上する。


;朝潮太郎(3代目)
===陸軍も強いぞ===
#奄美諸島出身だったが日本復帰前に密航して入門したためしばらく神戸出身を装う羽目になった。
#戦車の低性能を補う為、九九式襲撃機は三型にいたって、20mm機銃を追加し、本格的な対戦車攻撃機に変身。
#横綱昇進後は調子のムラが激しく「強い朝潮と弱い朝潮がいる」と揶揄された。
#*エンジンは中島ハ-一一五(「栄」の陸軍タイプ。三菱は「火星」と「金星」に集中する為)。元々襲撃機としての性能も持たされていた為、コクピットと燃料タンクは装甲で覆われている。「東洋のカノーネンフォーゲル」と呼ばれ恐れられた。
#還暦土俵入りで使う赤い横綱をもらい楽しみにしていたが前年に急逝してしまった。
#*Ju87Gと並ぶ戦車駆逐機として有名に。口径では劣るが、発射速度が速いので質量で見た投射力はトントン。
#*一説によると体を鍛えるために無理なトレーニングをしていたのが原因だとか。
#従来の槓桿式小銃ではなく、南部麒次郎設計の自動小銃を九九式小銃として正式採用・配備。
#*弟子の小錦や南海龍がトラブルを起こしたことによる心労が原因とも。
#*ドイツ型と南部型、陸軍内部でも相当揉めた結果、日中事変中の関東軍で試用してみることに。結果、ドイツコピーは当時の技術力ではスプリングの応力割れが激しく使い物にならないことがわかり、若干部品点数は増えるが動作の確実な南部型が制式兵器の座を勝ち取る。
#*よって、戦後に欧米で「ナンブ」と言えば、一連の自動拳銃ではなく九九式自動小銃の事になる。
#米本土上陸作戦に備えて四式中戦車(チト車)の開発が進められる。
#*ドイツからティーガーのサンプルを輸入するが、日本の技術力には手に余ることが判明。
#**しかもP・ティーガー。
#***しかしサンプル本体はエンジンを国産ディーゼルに積み替えたら結構動く事が判明。しかし技術士として国鉄から整備員が呼ばれた。
#*しかし砲手席の砲塔側への固定など、四式中戦車の問題点の改修の際にドイツ戦車の設計を盛り込む。四式中戦車II型(チト改)。
#*四式中戦車用の制式空冷エンジンの生産が間に合わないため、九六艦戦や九七戦から外した「寿」エンジンをディーゼル用ヘッドに改造した強制空冷星型エンジンを搭載したII型乙や、鐘淵デイゼル工業の液冷エンジンを搭載したII型丙、さらには鹵獲したアメリカ製エンジンを搭載したII型丁まで登場する始末。
#*砲塔用ベンチレーターを間に合わせで用意するため、鉄道車両用のファンデリアを転用。その代わり、日本車両製造や東急車輛製造でも車体組み立ての権利が与えられる。
#**司馬遼太郎「銘板を見て驚いた。私たちに与えられた戦車は、汽車を作っている工場で作られたものだった」
#九五式軽戦車に75mmを積む無茶をやる。→意外に上手く行く。
#*一式47mm速射砲を搭載した駆逐戦車が、茂みに隠れて横からM4の側面をぶち抜いてくる。
#海軍に対抗して中島ハ216ル空冷星型18気筒を搭載した、四発飛龍を開発。
#*性能は最高時速612km、武装20mm機銃×2(前方、後部)14mm機銃×4(上部、左右胴体)最大爆弾塔裁量7トン
#*飛龍は高速双発爆撃機として有用だから開発されていたと思う。開発するとしたら別口にやるんじゃないかな。
#海軍による米本土爆撃の護衛として、陸軍の四式戦『疾風』が使われる。
#*とある海軍陸攻乗り「陸軍機に護衛されるとはむず痒い」
#*四式戦はエンジンは『誉』には早々に見切りをつけて(中島側としては抵抗するだろうけど)三菱ハ43への換装が指定される。
#**高々度での戦闘機動で、マーリンのノックに悩まされるP-51C、Dを次々撃墜。P-51のパイロット曰く「アレじゃP-38の方がまだマシだ」。


;朝青龍明徳
==末期アメリカの噂==
#00年代の大相撲を代表する名横綱だったが土俵外での不祥事のイメージが強い。
#カリフォルニアには上陸され全主要都市は空爆され工業生産力は開戦時の日本以下に。
#*引退原因も一般人への暴力行為だった。
#*日本軍が都市爆撃をやるかなという疑問があった(重慶爆撃はジュネーブ条約を無視して国民党軍が市街地に立てこもったため)けど、よく考えたら「'''風船爆弾'''」があったっけ……
#土俵上での振る舞いも物議をかもすことが多かった。
#*あれは直接的には山火事を起こすことを狙ったもの。厳密に言えば都市爆撃ではない。
#*これによって、マスコミから「大ヒール」の烙印を押される羽目に。
#*オーストラリア相手に普通に都市爆撃やってますが。史実でも。
#モンゴル人だったことが日本人の横綱審議委員や好角家の心証を悪くさせたように思えて仕方がない。
#**当時のダーウィンの軍港以外の人口はたぶん2千人ぐらいで、都市爆撃とは言いがたい(おそらく、軍港に付随する居住地域を爆撃した、という認識)。もっとも、重慶爆撃を正当化しようとするのも言い訳で、あれは無差別爆撃だと思う。
#*心証というか単に差別されたというとことだろう。素行の悪い力士はなにも朝青龍に限らないところ、外国人でしかも強かったのが気に食わないという人が内外にいたんだと思う。
#*ルメイが米本土空襲の報復として中国大陸から北九州にナパーム弾爆撃をかける。福岡周辺の工業地帯に損害を与えることに成功する……が、それまで昼間精密爆撃にこだわっていた日本軍はそれを返上し、1都市に大して海軍陸攻・陸軍重爆を集中動員しての絨毯爆撃に切り替える。
#Twitterの日本語があまりうまくない。
#**1945年4月17日(日本時間で18日)に、ワシントンD.C.に300機規模(護衛戦闘機含まず)の大空襲がかけられる。
#**後世に『ワシントン大空襲』と呼ばれる。
#*デトロイトを始めとする五大湖周辺の工業都市は、下記のイギリスの連合国離脱によってカナダからの給電が停められてしまう。
#陸海軍首脳部は徹底抗戦派と講和派に分かれる。
#*マーシャル・ニミッツ・スプルーアンス「適当なところで手打ちに……」
#*キング・ハルゼー・マッカーサー「勝つまでやんぞ!」
#カリフォルニアから内陸部に進軍してきた日本陸軍に原爆を奪われ、諦めて降伏。
#燃えやすいマグネシウム合金をエンジンに多用した大型爆撃機を日本軍に接収され、「何考えてこんなもん作ってたんだ」とか言われる。
#各地の大都市では略奪・虐殺が相次ぐことに……南京の二の舞ですな……
#*米軍による統制とそれにともなう有色人種への暴行、逆に黒人の暴動、などが起こるわけですね。
#**ドサクサ紛れに四式重爆「飛龍」が侵入してきて、発電所を爆撃して行ったりする。
#*それはない。まあどっかの半島出身の兵ならやりかねないが。
#*南京と同じ様に現実より大げさなプロパガンダが打たれ、日本はそれにまともな対応を取らない、ってことでしょう。
#早い内に降伏していた英国で、「日独の陸軍は何月何日、何州で対面するか」のトトカルチョが行われる。
#*チャーチルはさらっとルーズベルトを裏切って日本との単独講和、その日本に斡旋してもらいドイツと停戦。
#**しかし、日本との外交交渉で東南アジアの植民地はほとんど手放すことに。しかし、アフリカの植民地については対独停戦時のまま現状維持としたため、後にダブル・スタンダードと批判される。
#**日本が斡旋したとは言え、英独交渉が実現したのは、ジェット機がキーだった。
#**#ドイツはMe262、He162、Ar234などの実用(一応)ジェット機を送り出し、イギリスを痛めつけるも、投弾量はたかが知れていた。
#**#遅れること僅かに3ヵ月、RAFグロスター「ミーティア」ジェット戦闘機就役。
#**#ジェット機の存在こそが絶対の自信の根拠だっただけに、逆にイギリスがジェット機を就役させたためルフトヴァッフェ首脳部はパニックに。また、ジェット機を持ってしても「モスキート」の低高度侵入は阻止率が低かった。
#**#結局、日本の停戦斡旋にドイツもしぶしぶ従う。
#**#*しぶしぶじゃないと思う。日本と同盟結んでいたからすんなり従うはず。
#四式中戦車v.s.M26パーシング、どう考えてもパーシングの圧勝のはずが……
#*撤甲弾不足で四式に接近を許し、エンジンを撃ち抜かれて火達磨になるパーシングが続出。
#*パーシング対策として五式砲戦車が実用化されて独立砲戦車大隊が編成される。
#**五式砲戦車エースが現れる。
#テキサスの油田を奪われ、中東からの石油に頼らざるを得なくなるが、大西洋航路はUボートがウロチョロ。
#*低オクタンガソリンに蒸留エタノールを混ぜ込んだ粗悪ガソリンが横行し、米本土防空戦のP-47などは日本機と戦う前に過給器から火を吹いて落ちる始末。
#*ターボ過給エンジンの性能が目に見えて落ち、3速過給機付の日本機に高々度飛行されると追いつけない。
#M1ガーランドは生産簡略化のために部品の寸法精度の落とされた粗悪品が出回り、前線では作動不良が頻発。結局、M1は生産を中止してM1903を再び主力小銃とすることに。
#*それでも小銃の数は不足し、クラッグ・ヨルゲンセンやスプリングフィールドM1873を武器庫から引っ張り出して使う始末。
#B29、P51は、日本軍から、雑魚といわれた挙句、零戦に普通に打ち落とされる。
#*B-29は二式大艇にまで落とされる。
#**その為B-29は日本軍から「一発燐寸」とあだ名されている。
#**B-29は日本側が思っていたよりずっと脆くてエンジンにも難のある機体だったから、F-13(B-29の写真偵察機型)が低空飛行中に二式大艇と出くわしたら、20mmで撃ちまくられた挙句圧し掛かられると化してあっさり落ちそうだ。
#日本軍に原爆を奪われ、ワシントン、ニューヨーク、サンフランシスコに原爆が投下される。
#*ワシントンにガジェット、ニューヨークにファットマン、サンフランシスコにリトルボーイが落とされる。しかし、アメリカは降伏しないので日本で作られた原爆を新たにシカゴ、ロサンゼルス、ボストンに投下。アメリカは、諦めて降伏。その上、B29を分捕られる。
#P-63キングコブラは護衛戦闘機を自力で排除できる運動性と同軸37mm機銃の高い威力で、爆撃機(陸攻)迎撃に大活躍し、P-39の汚名を濯ぐ。
#*が、ベルの生産能力が低く、他社で生産しようにもベアリングが調達できず、「悲運の高性能機」として後世に知られることになる。
#狂気の体当たり専用機といえば[[wikipedia:ja:XP-79_(航空機)|'''ノースロップP-79「フライング・ラム」''']]
#*パナマ運河を押さえられた辺りから体当たり攻撃が始まる。
#**史実の日本の特攻と違って作戦上は「突入時に搭乗員は脱出する」だったが、“野蛮なアジア人の”日本軍の捕虜になるくらいなら、と自殺攻撃に走る若年兵多数。
#**日本海軍内ではスーサイドアタックと呼び一定の脅威を感じたが、結局正規空母は1隻も沈まなかった。
#*発進方法は、機体をB29に吊り下げて、目標付近で母機から切り離すという方法。しかし、その多くは零戦改や烈風の餌食となる。
#*脱出装置のある体当たり機が少数運用されるも大半が撃墜され特に戦果を挙げず脱出装置のない特攻機が開発されるも試作機の実験中に終戦を迎える。
#ニューヨークとワシントンD.C.は特に重点的に防空戦を展開していたが、その為にニューヨーク海軍工廠のあるブルックリン区は「武蔵」から艦砲射撃を食らってしまう。
#*その時モンタナ級「メイン」と「ニューハンプシャー」がドックにいたため、「『メイン』と『ニューハンプシャー』はヤマトクラスと戦った」というのがブルックリンっ子の語り草になる。
#アイオワ級4番艦「ウィスコンシン」を空母に改装しようとするが、進水して数日後に日本海軍自慢の九五式魚雷(潜水艦用の酸素魚雷)をくらいあっさり沈没。
#*ミズーリは'''扶桑'''の一斉射撃を喰らいあっけなく沈没。しかし、アメリカは扶桑を大和と発表し、「ミズーリはヤマトと戦った勇敢な船」と賞賛される。
#**後にこの事が'''『Missouri of men』'''として映画化された。
#***'''「Men of Missouri」'''の間違いでは?
#***圧巻なのは、「流星」&「彗星」の編隊がミズーリに対して攻撃を行うシーン。
#旧式戦艦群(メリーランド、テネシーなど)は日本本土への砲撃を試みるも大和&武蔵&長門&陸奥の射撃をくらい、全滅。
#キ-51IIIやら流星やらのロケット弾攻撃や機銃掃射に対抗して、様々な対空車両が作られる。
#*M16スカイクリーナー:真っ先に75mmの餌食。
#*M4シャーマンに12.7mm、20mm、40mmと搭載し、果てはM26ベースの対空戦車も開発。
#*しかし結局活躍したのはM6スタッグハウンド装甲車改造の急造品とスチュアート軽戦車ベースのものだった……
#末期になるにつれ統合参謀本部からの発表がデッタラメになってくる。
#*シフト配置で耐久力の増した雲龍型に1000ポンド爆弾2発ほど命中させて「撃沈した」と言うことになったり、ありもしない大和型戦艦が撃沈されたことになってたり。
#**しかし史実の日本とは違い週刊誌の記者が真実を雑誌に載せることは…ないか。
#**「ショウカククラス」(艦橋が瑞鶴と同じ構造の雲龍型の誤認)を「沈めても」「沈めても」「沈めても」後から「湧いて出てくる」ので「日本人はどういうマジックを使っているんだ?」ということになる。
#ヨーロッパが常時偏西風の流域にあることを利用して、ドイツ・イタリアに向かって「風船爆弾」を流し始める。
#*しかしこれがヒトラーとムッソリーニの逆鱗に触れ、イギリス本土を差し置いて東海岸上陸作戦が展開される事に。
#*とりあえず放流作戦を停止させる為、ドイツ・イタリアから日本への要請で放流基地のある一帯は「長門」「陸奥」によって徹底的な艦砲射撃を受けてしまう。
#米軍の駆逐艦乗員を震え上がらせた日本軍潜水艦「伊十九号」 沈められるたびに彼らは「Whether E-Nineteen again」と嘆いた


;朝ノ霧満
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 太平洋戦争史|きやくてん]]
#平成12年夏場所7日目、対千代白鵬戦で取組中に廻しが急に緩み、行司の待ったも間に合わずに{{あきまへん}}が露わになってしまった。
#*審判長から物言いがついた後「東方力士(朝ノ霧)の前袋が落ちたので西方力士(千代白鵬)の勝ちとします」と場内に説明され、朝ノ霧は反則負け(不浄負け)となった。
#**大正6年夏場所3日目、十両・男嶌と幕下・友ノ山との対戦で男嶌が喫して以来、実に83年ぶりの珍事だった。
#この取組は翌日の[[日刊スポーツ]]の一面トップに掲載、ロイター通信によって世界に打電されてしまった。
#*その記事で打たれた大見出しいわく→'''「決まり手は モロ出し」'''
#そのショックからか、当該場所は1勝6敗と大敗を喫し、それから1年も経たずに引退。
 
;維新力浩司
#十両屈指の人気力士で西筆頭まで出世したが惜しくも入幕はできなかった。
#*曙や若花田を破ったこともあるだけに平幕の実力はあったと思われる。
#プロレス入りした後も名前のわりに維新軍や長州力とは一切縁がない。
#あまりの小兵ゆえに付け人を連れて飲みに行った際に自らが付け人と間違われた。
 
;板井圭介
#大乃国から3つの金星を奪っているが、何れも綺麗に勝ったとは言えない相撲内容だった。
#*板井の引退後の年寄襲名が認められなかった一因とも言われている。
#**大乃国本人は板井のことを心底嫌っており、引退後のインタビューで「1人顔面を張ってくる力士(板井)がいた。あまりに腹が立つので組み止めたら両肘を極めて、土俵の外に出さずにそのまま腕を折ってやろうかと思ったほどだ」と語っている。
#1991年7月場所で幕内全敗(0勝15敗)を記録してしまった。
#引退後に八百長を告発し物議を醸した。
 
===か行===
;魁皇博之
#最高優勝5回、大関在位65場所という記録を残しているがとうとう横綱には上がれなかった。
#*特に平成16年九州場所(先場所優勝→優勝次点)の後には理事会で賛成多数だったが北の湖理事長の意向により横審への諮問が見送られた。
#地元福岡での九州場所では毎年大声援を送られていたが優勝は一度も果たせなかった。
#怪力すぎて握力計やホテルの手すりなどを破壊してしまったことがある。
#*特に酒が入ると危険だったと伝えられる。
#彼の功績から博多から出身地である直方を結ぶ特急「かいおう」が創設されたが、肝心の一番列車の出発式には体調不良で出席することができなかった。
#*ちなみに引退して浅香山を襲名したが「かいおう」の名前は変更されず今も残っている。
 
;笠置山勝一
#出羽海一門で打倒双葉山の参謀役を務めたが本人は17回戦って一度も勝てなかった。
#*奇策を考えても土俵に上がれば雰囲気に呑まれて出せなかったとか。
#晩年は専門誌に自伝小説を連載していたが本人の死去により完結できなかった。
 
;稀勢の里寛
#14年ぶりに誕生した日本出身横綱だったが、昇進初の本場所(平成29年3月場所)で優勝した後、怪我が多いため8場所連続休場や横綱ワーストの8連敗(不戦敗除く)もあり、横綱としては長くはなかった。
#*日本出身だから昇進できたような気がしてならない。
#2場所連続優勝をしたがその際の怪我を引きずってしまい、無理をして出場→連敗で怪我が悪化し休場という悪循環に陥っていた。
#某バーチャルYoutuberとの同一人物説が噂されていたことが一時期あった。
 
;北の湖敏満
#全盛期はとにかく強すぎてかえって人気がなかった。
#*自分が破った相手に一切手を貸さなかったことも響いている。
#*横綱時代でも1場所に何日か一切懸賞が付かない取り組みがあった。
#*当時ネットがあればどれほど叩かれていたか想像もつかない。
#*70年代後半には嘗ての流行語だった「巨人・大鵬・卵焼き」をもじって、子供が嫌いなものとして「江川<!--卓-->・ピーマン・北の湖」と揶揄されていた。
#現役末期は両国国技館の土俵に上がるためボロボロの体で現役を続けたため休場が多かった。
#*そこまでして迎えた昭和60年初場所でも1勝もできず引退した。
#理事長としても実績を残したが激務がたたり62歳で早世してしまった。
#現役時代(おそらく関取になる前)に部屋の近くで騒いでいる酔っ払いを追い払おうとして逆に凄まれて逃げ帰ったことがある。
#歴代横綱で唯一、取的時代に全敗を経験している。
#強い相手にはとことん強かった(金城/栃光には29戦全勝、豊山<!--2代目-->にも21戦全勝)が、何故か朝汐→朝潮とは相性が悪く7勝13敗と苦手にしていた。
 
;旭鷲山昇
#モンゴル人初の関取となり大相撲とモンゴルの懸け橋となった人物だが同郷の後輩である朝青龍とはトラブルもあった。
#*その件で朝青龍に車のサイドミラーを壊されたこともある。
#引退の原因に暴力団が絡んでいる。
#*モンゴルの金鉱山利権を二つの暴力団に二重に売ってしまったらしい。
#**所属していた大島部屋に車が突っ込むという事件も発生している。
#*もっともその件がなくとも心臓がボロボロでこれ以上の現役続行は不可能だった。
 
;久島海啓太
#高校・大学時代に様々なタイトルを獲得したが、角界入りすると腰高で脇の甘い取り口からか三役への昇進は果たせなかった。
#*平成5年春場所13日目の旭道山戦で、立合いから旭道山の強烈な張り手を一発喰らい土俵の中央で崩れ落ちてしまった。
#**全体的に番付運にも恵まれなかった。
#**この旭道山戦、実はあの'''レオパルドンを凌ぐ最短KO記録'''であったことが判明。(レオパルドンは0.9秒、久島海は0.8秒でKO、水曜日のダウンタウン調べ)
#**久島海はここまで7勝していながらこの時に膝を打ってしまい休場。負け越してしまい三役昇進のチャンスを逃してしまった。
#引退後は田子ノ浦部屋を創設し、碧山を幕内まで育て上げたが2012年2月に急死。
#*部屋を継承する親方もおらず田子ノ浦部屋は閉鎖、所属力士は出羽海部屋と春日野部屋にそれぞれ移籍した。
 
;蔵間龍也
#高校を中退し双葉山の時津風部屋に入門するも、直後に師匠が死去したため双葉山最後の弟子となってしまった。
#腰痛に悩まされ思うように活躍できず、「善戦マン」と揶揄された。
#*北の湖とは17回対戦したものの一度も勝てなかった。
#**関脇までしか昇進できず、天覧相撲で昭和天皇に「蔵間は必ず大関になります」と大見得を切った春日野理事長の顔を潰してしまった。
#白血病が発覚し引退、芸能界に転身し人気タレントになったが、優勝予想がいつも外れてしまうため現役力士から「俺が優勝するって言わないで下さい」と文句を言われることもあった。
#そんなこんなありながらも芸能人として活躍の場が広がりつつあったが、白血病が悪化し42歳の若さで急逝。
#現役時代に四股名を地元・滋賀県の三上山の異名である「近江富士」へ改名する案が持ち上がったが、運悪く三上山で深刻な害虫災害が発生し、縁起が悪いということで立ち消えになってしまった。
#*地元の後援会が「近江富士は低い山でスケールが小さい」と猛反発してお蔵入りになったという説もある。
 
;琴錦功宗
#速攻を持ち味として大関の有力候補とされたが自らの不祥事や怪我のため関脇止まりだった。
#*一部からは八百長で儲けるためにあえて大関昇進を回避していたのではないかとすら疑われたこともある。
#引退後は15年にもわたり借株でしのぎ続けた。
 
;小錦八十吉(6代目)
#とにかく巨体すぎた。
#*昭和61年夏場所の北尾(後の双羽黒)戦でつり出そうとしたら自然と鯖折りになってしまい膝を強打し重傷を負った。
#*飛行機のトイレに入りきらなかったという証言もある。
#*ヨーロッパ巡業の際に訪れたある宮殿でも一人で階段を登れなかったらしい。
#順調に番付を上げていた頃には「黒船襲来」と恐れられたがとうとう横綱になれなかった。
#*特に平成3年から4年にかけては3場所合計38勝(優勝2回)という成績を残したが連覇でなかったため昇進を逃した。
#*しかもその件に絡んで付け人に問題発言を捏造され一時は自殺すら考えたという。
#現役最後の場所となった平成9年九州場所では千秋楽に家族を呼んでいたがその前に負け越して休場させられてしまった。
 
===さた行===
;新海幸藏
#しつこい足癖で鳴らし「タコ足の新海」とも呼ばれた力士だが、気性が荒く酒が入ると手がつけられなかったため、力士仲間からは嫌われていた。
#1937年の九州巡業中に、酒に酔って先輩力士をビール瓶で殴ってしまい強制引退。
#*引退相撲でも祝儀の分配を巡って師匠の出羽海と揉め、師匠を殴ったと言われている。
#廃業後は様々な事業に手を出したが全て失敗し、晩年は川崎のアパートに移り住んで一人暮らしをしていた。
#*最期も自身が吸っていた煙草の不始末からアパートを全焼させる火災を起こし、自分の部屋で焼死してしまった。
 
;大鵬幸喜
#誤審で連勝を止められた。(昭和44年春場所2日目)
#*なおビデオ判定の導入は翌場所からの予定だった。
#*あの戸田戦が正しく判定されていたら50連勝は間違いなかったという相撲ファンは少なくない。
#ライバルだった柏戸とともに拳銃密輸事件で書類送検されたことがある。
#*当時はあまり騒がれなかったが没後に某新聞が蒸し返すような記事を載せたこともある。
#引退後には脳梗塞で倒れ後遺症が残ったため理事長への道を閉ざされた。
#NHKの相撲解説としては差別発言を複数回してしまったことがある。
#現役時代にタニマチからプレゼントされたヨーロッパ旅行に行った際になぜか女性と間違えられたことがある。
#*髷が日本髪に見えてしまったのではないかと思われる。
 
;隆の里俊英
#糖尿病を克服して横綱になり千代の富士のライバルとも目されたが病魔により本来の実力を発揮しきれず引退。
#*最高優勝4回というのは明らかに少なすぎる気がする。
#鳴戸親方としては稀勢の里や高安など多くの名力士を育てたが自らの目で大関や横綱になるのを見届けることはできなかった。
 
;貴闘力忠茂
#1990年に入幕。1994年には幕尻で初土俵から102場所目(歴代2位。当時は歴代1位の遅さ)での初優勝を遂げた。
#*また、大鵬の三女と結婚しており、大鵬との養子縁組も行った。そのため現役引退後は大鵬部屋付きの親方となり、部屋を継承したこともあった。
#しかし根っからのギャンブル好きであり、年収の9割を費やすほどの依存症であった。
#*幼いころはギャンブル依存症の父親のせいでギャンブルが嫌いだったが、初めてやった競馬で大穴を当てたことが切っ掛けでギャンブルにのめり込んでしまう。
#**その結果実に5億円以上ギャンブルで失ってしまった。また、ギャンブルで作った借金はたびたび大鵬に肩代わりしてもらっていたという。
#そして2010年、野球賭博に手を出したことが明らかになってしまう。結果相撲協会からは解雇されてしまう。
#*その後大鵬の三女とも離婚し、大鵬との養子縁組も解消。そして大鵬死去後の葬儀へも参列できなくなってしまった。
#今現在も彼のギャンブル依存症は続いている。
 
;高見藤英希
#東洋大学時代に学生横綱、大学卒業後の2003年には実業団横綱を獲得し2004年3月場所で初土俵(幕下15枚目格付け出し)。
#幕下上位で伸び悩んでいたが2007年3月場所で漸く新十両昇進を決めた。
#*新十両の3月場所は6勝9敗で負け越し、幕下に転落した翌5月場所は4勝3敗と勝ち越して7月場所での十両復帰を決めたが…。
#ギャンブル癖のあった高見藤は再十両昇進の給金をあてにし数百万円の借金をしていたことが発覚。
#*東関親方との口論の末部屋を飛び出しそのまま引退となってしまった。
 
;玉ノ海梅吉
#師匠玉錦の急逝により二所ノ関親方としての職務も果たす羽目になったため大関になれなかった。
#終戦直後に捕虜徴用の容疑でGHQに捕まったことがある。
#*その時の協会の対応が冷淡だったため親方をやめNHKの相撲解説者に転身した。
 
;玉の海正洋
#北の富士とともに「北玉時代」を築き上げたが盲腸手術後の血栓症により急逝。
#*健在なら一代年寄級の実績を残していてもおかしくなかった。
#*女子プロボウラーとの婚約話も進んでいたらしい。
#父親は在日コリアンだったが存命中にその事実を明かすことができなかった。
#*弟が暴力団員となった後、{{あきまへん}}で逮捕されたため、出自や家族については隠されていった。
 
;鶴ヶ嶺昭男
#井筒親方として自らの息子3人を関取にし霧島を大関にまで育て上げたが晩年は寂しいものだった。
#*内縁の妻が金遣いが荒い人物だったせいで慢性的な金欠状態だったという。
#*息子の逆鉾や寺尾とも不仲だったという。
 
;出羽ヶ嶽文治郎
#身長2mを超え昭和初期の大相撲を代表する人気力士だったが本人はその巨体を恥じるところがあった。
#*当時のラジオ放送で「総身に知恵が回りかね」などと茶化されたのも効いていると思われる。
#*実際のところ巨人症のせいで骨がボロボロだった。
#同時代に取っていた天竜三郎は「出羽海一門の宣伝で誇大評価されていたのではないか」と評している。
#関取から転落した後は部屋で肩身が狭い思いをしていた。
#*今でいうパワハラまがいの行為の標的にもされたという。
#*引退後も巨体のせいで煙たがられていたとか。
 
;栃乃和歌清隆
#明治大学から幕下付出で角界入りし大関も期待されたが攻めの遅さや怪我のせいで関脇止まりだった。
#*武蔵丸に一度も勝てなかったことも響いている。
#春日野親方としては大関も育てているがその一方で弟子への暴力事件や保護責任者遺棄も明るみに出ている。
#*なぜかマスコミにほとんど取り上げられていないのが謎。
 
;栃乃若導大
#報徳学園高校3年生時には高校横綱に輝くなど実績を残し2007年初場所で初土俵を踏んだ。
#*初土俵の時には「最終的には李(栃乃若の本名)が全員追い抜くよ」と予測した親方が数人いた。
#*因みに入門時の四股名は「李」と大相撲史上最も短い四股名で、呼び出し泣かせと話題になった。
#初土俵後はとんとん拍子の出世も幕下で壁にぶつかり、十両昇進は2年もかかった。
#十両昇進後は3場所で新入幕を決めたが八百長問題で2011年の春場所が中止となってしまい、ご当地での新入幕を逃してしまった。
#翌2012年の春場所では最高位となる西前頭筆頭まで番付を上げたが、その後は一進一退の成績を続け2014年12月に電撃引退。
#*引退会見では春日野親方の指導に最後まで馴染めなかったことを告白。春日野親方も「栃乃若の疑問や苦労に気づけなかった私が不甲斐ない」と悔いていた。
#幕内で2回一本背負いで負けたことがある(2011年9月場所5日目・磋牙司戦と、2014年1月場所12日目・里山戦)。
 
;豊嶌雅男
#双葉山を2度倒すなど戦時下の大相撲で活躍した人気力士だったが昭和20年3月10日の東京大空襲で命を落とした。
#*東武伊勢崎線高架下の隅田川で岸辺につかまり猛火から逃れようとした姿のまま遺体となって見つかった。
#*没したときにはまだ25歳だったためあの戦争を生き延びていればどれほどの実績を残していたことやら…。
#同じ出羽海部屋の横綱安芸ノ海は「生きていたら横綱は間違いなかった」と評しているが意外と苦手力士が多かったという。
#*羽黒山には6戦6敗とまったく勝てなかった。
 
;鳥羽の山喜充
#運動経験なしから角界入りし入幕を果たすが新入幕初日(平成14年春場所)の朝稽古で膝を負傷し幕内の土俵には立てなかった。
#*その後も幕内復帰を目指し取り続けたが2015年に無念の引退。
 
===なは行===
;南海龍太郎
#西サモア(現サモア独立国)から入門し「サモアの怪人」と呼ばれ期待されたが酒癖の悪さで力士人生を棒に振った。
#*一度飲み始めるとビール100本は軽く飲み干すという底無しの飲みっぷりだった。
#*酒乱でホテルマンに暴力をふるったり二日酔いで本場所を休場したりと数々の問題行動を起こし廃業に追い込まれた。
#**酒と相撲のどちらかを取るか迫られ酒を選んでしまった。
#引退後にプロレス入りしたがこちらでも酒絡みの問題を起こしリングに立つことなく帰国した。
 
;長谷川勝敏
#私生活では食中毒や航空事故での死の危機を何度も回避しているが番付運には恵まれなかった。
#*関脇を通算21場所も務めたがとうとう大関に上がれなかった。
#**昇進時に出す予定だったレコードも引退記念として出すことになった。
#**引退会見でも大関への未練をはっきり口にしていた。
#年寄としても引退時期の関係で佐渡ヶ嶽襲名のチャンスを逃している。
 
;双羽黒光司
#戦後で唯一の優勝経験なしの横綱。
#*力士生活を通して最高優勝がないというのは横綱としては異例すぎる。
#幕下時代から素行が最悪で実家に逃げ帰ることも普通にあった。
#*最終的におかみさんへの暴力行為により引退に追い込まれる。
#*後世の相撲ファンにとっては不祥事のイメージしかない。
#*当時発売された「つっぱり大相撲」(FC)での変名が「大腹黒」だったのが妙に納得できる。
#引退後はプロレスラーに転身したが相手を八百長野郎呼ばわりし実質的にプロレス界からも追放されてしまった。
#その後は総合格闘技に挑戦したり、古巣立浪部屋のアドバイザーを務めたりしたもののどれも長続きせず、病気を患い50代で死去。
 
===ま行===
;前田山英五郎
#大関時代は張り手を得意として大暴れしていたが横綱になってからはろくな実績が残せなかった。
#本場所を休場中に来日したサンフランシスコ・シールズの試合を見に行ったことがばれ引退に追い込まれた。
#横綱昇進時に「粗暴の振る舞いこれありし、時には自責仕る可く候」という但し書きを横綱免許状に付けられてしまうほどの暴れん坊。
#*現代語訳すると「暴力的な行動がみられるため自覚が必要」といったところ。
#ただ引退後は朝潮(3代目)を横綱に、前の山を大関に昇進させるなど育成能力は高く、一時期は高砂部屋所属の力士が幕内で最多人数を数えたこともあった。
#*またアメリカ巡業の実施や高見山の入門、出羽海一門を破門された九重(千代の山)を受け入れるなどの功績を残している。
 
;枩浦潟達也
#色白の二枚目力士として知られ戦時下に幕内上位で活躍していたが東京大空襲で新婚の妻とともに犠牲になった。
#*しかも豊嶌とは異なり遺体すら確認されていない。
#**目撃証言から本所の自宅付近で消火にあたろうとしたが激しい火災のため断念し深川方面へ避難途中に焼死したものと推測されている。
#*遺品も自宅とともに燃えてしまったせいか今や出身地の唐津でもほぼ知る人はいない。
 
;男女ノ川登三
#一時期、高砂部屋伝統の「朝潮」を名乗っていたが、春秋園事件に連座したことが親方の逆鱗に触れ、四股名を剥奪されてしまった。
#四股名を「男女ノ川」に戻した後は調子を戻し、1936年夏場所後に横綱に昇進。
#*しかし春秋園事件前に痛めた関節炎の影響で強弱の差が激しく、横綱時代は双葉山に全く歯が立たなかった。
#**横綱時代の対双葉山戦では一度も勝てなかった。
#1938年夏場所千秋楽では武藏山と対戦するが、両者とも横綱でありながら6勝6敗同士で勝ち越しと負け越しを掛けた一番という悲壮な対戦となってしまった。
#*男女ノ川はこの一番に敗れて、横綱の皆勤負け越しという不名誉な記録を作ってしまう。
#引退後は一代年寄制度で年寄・男女ノ川を襲名して相撲協会の理事に就任したが、自宅の庭に作った農園の経営に熱中し、相撲協会を去った。
#*その後は様々な職を経験するも長続きせず、不遇な晩年を過ごした。
#最晩年は武蔵村山市の料亭で下足番をしていたが、1971年に脳出血のため都内の病院で死去(67歳)。
 
;武藏山武
#新十両・新入幕・新三役で当時の最年少記録を樹立、近代的な容貌、筋肉質の体型等で人気が高く、武藏山を題材にした応援歌まで作られた。
#ところが昭和6年秋場所9日目の沖ツ海戦で強烈なぶちかましを右肘に受け、それまでの最大の武器だった右腕の怪力が失われてしまった。
#*大関昇進後は後遺症に苦しんで充分に相撲が取れず、休場が相次いで優勝争いに加わることすら出来なかった。
#それでも昭和10年春場所・夏場所と好成績を残し、夏場所後に第33代横綱に昇進。
#*しかし横綱昇進後は前述の肘の故障が更に悪化、胃酸過多症もあって休場がちで、皆勤したのは1938年夏場所のみ。
#**幕内での最高優勝は小結時代の1回のみだった。右肘の故障が無ければ…。
===やらわ行===
;露鵬幸生
#ロシア出身力士では初めて三役まで昇進したが、とにかく気性が荒かった…。
#*2006年7月場所7日目の取組後に九重審判部副部長から厳重注意を受けた後に風呂場のガラスを拳で割り、それを撮ろうとしたカメラマン2人を平手で殴打、1人に打撲を負わせる事件を起こし3日間の出場停止処分を受けてしまった。
#2008年9月場所直前に抜き打ちの尿検査で大麻の陽性反応が検出され、弟の白露山共々相撲協会から解雇されてしまった。
 
;若嶋津六夫
#諸方面から「次の横綱」と期待され続けたが取り口や恵まれない体格などのせいでとうとう昇進できなかった。
#*2度目の綱取りがかかっていた昭和59年秋場所では11勝4敗と健闘するも多賀竜の大活躍もあり昇進を逃した。
#**しかも多賀竜戦には八百長疑惑まで出ている。
#還暦を迎えた直後に路上で転倒し一時は死の淵をさまよった。
#現役時代に焼き肉12人前を平らげるも店を出るなり戻してしまったことがある。
 
;若ノ鵬寿則
#身長195cm・体重162kgという恵まれた体格、所要11場所での十両昇進(初土俵からの負け越しなし)を果たすなど将来性は評価されていた。
#しかし立合いの変化が多く、平成19年初場所の5勝中、3勝が立合いの変化で挙げた白星だった。
#また言動も粗暴で、平成20年夏場所8日目に安馬(後の日馬富士)に豪快なうっちゃりで敗れた後、悔しさの余り部屋の風呂場の壁を叩き割り、風呂桶を壊すなど暴れて厳重注意を受けてしまった。
#平成20年名古屋場所後に大麻所持で検挙され、相撲協会から解雇されてしまった。
 
;若羽黒朋明
#しつこい押し相撲で大関まで昇進したが、大の稽古嫌いが響き大関在位13場所で陥落。
#柏戸・大鵬が優勝した場所で土を付け「オレは柏鵬の反逆児」と発言したが…。
#廃業後の1965年にハワイから拳銃を暴力団へ密輸入していたことが発覚し、逮捕されてしまう。
#*柏戸・大鵬・北の富士らが書類送検される拳銃密輸事件のきっかけを作ってしまった。
#刑務所を出所した後、嘗てのファンの誘いで岡山市内の相撲料理店の副店長に就任、心機一転してよく働いたが、1969年に脳塞栓症のため岡山市内の病院で急逝した。34歳の若さだった。
 
==本場所==
;昭和七年一月場所
#春秋園事件の影響によりほとんどの幕内力士がごっそり抜け開催延期に。
#*特に西方は首謀者の天竜と同じ出羽海一門だったため大関武蔵山しか残らなかった。
#十両どころか幕下上位まで平幕に持ち上げて無理やり開催したがほとんど儲からなかった。
 
;昭和二十年十一月場所
#敗戦後初の本場所でGHQの圧力により広めの土俵で行われた。
#*しかし力士たちから不満の声が上がり1場所限りで戻された。
#*この場所後の双葉山引退の原因になったのではないかという声もある。
 
;昭和三十年九月場所
#仕事帰りのサラリーマンを狙って中入り17時半、打ち出し20時というナイター興行だったが不評により今場所限りで取りやめ。
#*いつもの場所とリズムが変わり体調不良の力士が続出。
#*全国紙の遠隔地域版には締め切り時刻の関係で中入り後の結果が載せられなかった。
 
;平成十二年三月場所十日目
#時津海対追風海戦と千代天山対安芸乃島戦の二番が取り直しになった影響でNHKの大相撲中継が4分間延長。
#この日はBS2で『カードキャプターさくら』の最終回が放送されたが、この4分の延長で最終回の最後のシーンを録画できなかった人が続出。
#所謂「'''武蔵丸の悲劇'''」。
 
;大相撲平成二十二年七月場所
#直前に発生した野球賭博問題の影響で、NHKの大相撲中継が中止に。
#賭博問題の影響で大関琴光喜が解雇。18人の力士が謹慎休場となった。
 
;平成二十三年五月技量審査場所
#七月場所への番付編成のために開催された場所。
#*天皇賜杯を含む外部からの表彰・取組に懸けられる懸賞金は辞退。
#*呼出の着物に掲載される広告・力士幟は自粛。
#*NHKの大相撲中継も中止された。
#**但し、今後の記録資料のための実況収録は通常通り行われた。
#*「本場所ではない」との理由で、優勝額も作成されなかった。
 
;大相撲平成二十七年一月場所
#白鵬が史上初の全6場所全勝制覇を成し遂げた場所だったが、十三日目の稀勢の里戦が撮り直しになったことに対して審判批判を展開し物議を醸した。
 
==関連項目==
*[[幸運なスポーツ事典]]
[[Category:ざんねんなスポーツ事典|すもう]]
[[Category:相撲|さんねん]]

2021年3月1日 (月) 12:30時点における版

神作戦の噂

  1. ミッドウェイ海戦で敗北するも、機動部隊再編の期間西部ニューギニアまで戦線を整理。
    • 陸軍に敗北をオーバーに伝えて中国での戦線整理を強要。
    • 国民にも敗北を伝えて危機感をあおり、生産力の確保に成功。
    • ノコノコ出てきた米艦隊を海軍基地航空隊と陸軍航空隊で痛撃。その間に姑息に空母を整備。
    • 零戦の性能を上げる。実用高度を高度6000メートルから13000メートルすることでB29を楽に撃墜できるようにする。
      • 零戦は艦上戦闘機だから高々度の能力より中低高度での格闘戦を重視して良いのではないかな。高々度戦闘機は『鍾馗』を迎撃機として配備し、『疾風』に発展していく感じで。
    • ガダルカナル島の海軍設営隊の護衛に特別陸戦隊と陸軍2個師団が同行する。
    • ミッドウェイで負けるにしても、主力空母四つ撃沈されたらさすがに立ち直れない。蒼龍加賀大破(後自沈処分)、赤城中破で飛龍は小破。しかし負けじとヨークタウンを沈没させさらにエンタープライスも大破させる。
  2. 史上最大の作戦とは、アメリカ西海岸上陸作戦のことである。
    • そして高台に日本軍兵士が日章旗を挿す所を日本の某雑誌記者が撮影して、後にその写真が西海岸上陸作戦を物語る有名な写真として後世に語り継がれる。
      • 因みにこれを元に日本の北野武監督が2007年に「西海岸の日章旗」「西海岸からの手紙」を製作し、高評価を受ける。
    • 元々はハワイを落とした時点で講和する予定だったが、アメリカ側が「もうちょい長期戦やれば日本の物資も底を尽きるだろ」と考え交渉決裂。日本側は資源を西海岸に求めて上陸作戦決行を決定。米軍は西海岸の防備を固めるが日本の海軍航空隊によって(ry
  3. 山本五十六も死ぬことは、無かった。
    • トーマス・ランファイアは「一式陸上攻撃機二二型」に返り討ちにされた。
  4. 暗号が漏れてるっぽいので、逆手にとって米軍をあっちこっちに動かして遊ぶ。
    • とっくに放棄したニューギニア以東のどこそこを攻撃するという空の電文を送ってみる。
      • そして機動部隊いない間に第二次真珠湾攻撃。基地機能完全喪失。

超兵器の愉悦の噂

  1. 本庄技師の意見が認められ一式陸攻が4発の「空飛ぶ要塞」になる。
    • 発動機:三菱「火星」一一型1530hp×4 最大速度406km/h 実用上昇限度10,000m 航続距離3000km(正規)・6000km(過荷最大) 搭載力:胴体内魚雷×2または爆弾八〇番×2または二五番×6、主翼下魚雷×2または爆弾八〇番×2または二五番×4または落下式増槽 機銃20mm×3、7.7mm×5(データはG4M1、一一型)
    • 最後はフルカン3速過給器付の機体でアメリカの主要工業都市を爆撃する。
    • 火星25型乙にしたほうが良いと思う
      • 一二試で開発してるから一一型では火星一一型、開戦あたりから火星二三型、後半は史実の二五型乙に3速過給器。
      • ハ50搭載とか。大型誘導爆弾を搭載して「戦艦殺し」と呼ばれる。
  2. 「富嶽」をお忘れなく。
    • 「富嶽」と言うか「Z飛行機」ですな。
    • 中島G10N。エンジンは中島・三菱合作で4800hp×6。機銃20mm×7、7.7mm×6。搭載力は主脚強度が足りなくて5トン削って15トン。モリブデン不足でターボあきらめて機械式3速過給器。二重反転ペラうまくいかなくて大径4翅ペラ。ってとこでどぉ?
      • 主脚は「強度足りないなら数増やしてしまえ」とばかり、4本の主脚になったり。
      • 欠点は致命的にトロくて装甲も薄いこと。制空権があっても撃墜が相次ぐ。
        • なので結局輸送機として小数が使われるだけに。他に連山とかキ-91とかいろいろ試してみるもののいまいちモノにならず、最後までB-17級の一式陸攻(4発)が第一線で活躍。
        • とは書いたものの、本格的な高高度超大型爆撃機はやっぱり必要な気も……本来のG10N1ならともかく「Z飛行機」であれば一〇〇式重爆からさらに強化された防弾を持っていても不思議じゃないし……
  3. 長距離攻撃機として三菱の4発を採用することになったので、「常識的な性能の双発機」として中島に一三試中形陸上攻撃機を発注。
    • 発動機:中島「勇」一二型1300hp×2(陸軍ハ-四一の海軍向け) 最大速度440km/h 実用上昇限度9,000m 航続距離2500km(正規) 搭載力:魚雷×1または爆弾八〇番×1または爆弾二五番×4 機銃20mm×2、7.7mm×5(データはG4N1、六六型)
    • 制式名称は「一式陸上攻撃機六六型~」だが、現場では「一式二号」と呼ばれる。ちなみに三菱機は「四発中攻」「一式一号」「一式四発」。
      • 三菱機は「四発中攻」ではなく、「九七式大艇」のように「一式大攻」になるのでは?
    • 双発機としては重武装の機体でそれなりに活躍。
  4. アメリカ東部本土防空戦では、ドイツTa152H、イタリアMC205、日本四式戦「疾風」、それを迎え撃つアメリカP-51、P-63、F8Fという、究極のレシプロ戦闘機達の戦いが繰り広げられる。
    • 後に震電や烈風も実戦参加した。
    • そのうちF80が登場。Me262、橘花改と史上初の日(+独)米のジェット戦闘機同士の戦いに。
      • ジェット戦闘機同士の戦いはその前にMe262 vs ミーティア(RAF)が発生していると思う。
      • 陸軍の「火龍」もお忘れなく。
  5. よくよく考え直して、ドイツからはユンカースJumo211のライセンスを買うことにする。
    • 先に愛知がDBを取得していたので、川崎が取得しようとしたところ、ドイツのシュペーア軍需相が大反対。「リスク低減の為には、同等の性能の相当品を買うべき」。
    • ドイツの計らいで陸海軍一緒に打ち合わせに出席。「どうして同じ国で別々にライセンスを買うのか?」と指摘されて一括購入することに。上層部は怒ったが、現場の人間は「そりゃそうだよね」と苦笑した。
      • しかもユンカースは三菱と付き合いがあった。三菱なら陸海軍両方に顔が効く。ただし、実際には孫ライセンスで愛知と川崎が製造(後に中島も動員)。理由は、三菱は空冷に専念する為。
  6. とりあえず二一号電探、二二号電探の配備を急いだ。
    • 「日本軍がレーダー? たいした性能じゃないだろ」→ハルゼーあたりがフルスイングで突っ込んできて、米軍の攻撃機が日本軍戦闘機(+三式弾)の餌食になる。
  7. イギリスが早期に連合国から脱落したため、手が空いていたカムフーバーをレーダー設備ごと招聘。国土の縦深がないため運用に苦労する。
    • 艦隊防空の立案にも尽力。
      • 長門型以前の戦艦はケースメイト副砲を取っ払い、ラインメタル37mm機銃(3.7cm Flack18の連結クリップ型)を増設して防空能力を上げる。
  8. 航空機銃は20mmは海軍九九式FFシリーズ、12.7mmは陸軍ホ-103系で統一。
    • ただしホ-5は機首用に限って生産(エリコンFFにはもともと同調装置がないのです)。
  9. Ju290、Ju390がライセンス生産される。
    • BMW801の代わりにハ104を搭載して完成し、重宝される。

どうする!? 「零戦」の後継機

  1. 「紫電改・火星搭載・艦上型」
  2. 「陸軍キ61・海軍仕様化・艦上型」
  3. 「金星零戦」
    • 発動機に金星六二型甲(3速過給器)・1500hp、主武装は機首に一式二〇粍航空機銃(陸軍ホ-5)×2、主翼に九九式二〇粍二号航空機銃四型×2。ってとこでどうよ?
  4. 「烈風」
    • 烈風は何かにつけて中途半端なんだよな……「火星」で設計してればモノになったかも知らんけど。
      • そうそう。終戦間際で最大速度620キロ程度なんて…。アメチャンは700キロ台なのに。
        • まぁ、重要なのは水平最高速度より急降下時の許容速度だけどね。
      • 天山が当初搭載していた「護(まもり)」でもよかったかも。出力では劣っても安定性では「誉」よりはるかにマシだったようですし。
        • 天山は「護」が安定しなかったから「火星」に変更された。それに中島はインジェクター技術で出遅れていたから、大戦後期の戦闘機はやっぱり三菱エンジンで設計すべきかと。
          • 逆に艦上機(戦闘機以外)や双発程度の爆撃機・対地攻撃機などは中島エンジンでいいかと。
    • 鹵獲した米軍のF6Fヘルキャットを研究し、それを元に改良する。
  5. 「震電」
    • 着艦フックを追加したら「四本足」と呼ばれました。
    • ただでさえ長い着陸脚を艦上機のために強化したら、油圧系統の強化も必要になってさらに重くなりました。
    • 着艦姿勢がこれまでの3点式とは違うため事故が多発しました。教範も改定する必要があるため現場から空技廠まで大騒ぎです。
    • 結局、ジェットエンジンが実用化されるまでお蔵入りになりました。ただ、ジェットを積んでも艦上機として使うのは難しいということでした。
  6. 「陸軍キ84・主翼面積拡大・艦上型」
  7. 「鍾馗・海軍仕様化・艦上型」
  8. 「烈風」の翼面荷重を150kg/m2かそれ以上で設計。
    • ついでにエンジンも「火星」「ハ43」どちらもつけられるようにしておく。
  9. 「墳式零戦」
    • どうせ、名機なんだから、零戦の欠点(防御力、高度など)を直し、墳式にしたほうが良いと。
    • いや、ジェット化しても機体強度が同じなら頑丈な米軍機に急降下された場合追いつけません。ばらばらです
  10. 「彩雲・戦闘機型」
    • 彩雲はスピードが良いので30ミリ機銃または、20ミリ機銃を装備させた艦上戦闘機に。
  11. 「五式戦モデル・海軍型」
    • 金星最終型を積んで、13ミリ×6か20ミリ×4。風防を涙滴型にして視界向上、着艦フックをつけて。速度も580㌔は固いのだから、ヘルキャットにも対抗できるのでは。さらにこいつを陸海共同機にする。二式艦戦くらいでだせたのでは…。
    • 2.の液冷型とあわせて採用、正規空母は液冷型、軽空母と地上基地は空冷型。でも軽戦志向の海軍では、正規空母でも空冷型の要望が高そう。
      • 整備性を考えたら空母ではなおのこと空冷型が採用されるよ。二式艦戦「真電」でどうか。「電」ついちゃってるけど
        • 逆、逆。「彗星」で高圧水冷にしたのは大型空母での運用が主と想定していただったから。外地と違って、常に充実した整備の設備も一緒でしょ。軽空母はこの限りじゃないけど。あと名称はわざとだよね?
      • え、彗星の液冷エンジンってそうなの!?でも空冷機の方が実際は…。名前は仰るとおりです。実際は艦戦だからそれこそ烈風とか真風とか春風とかになるだろうと妄想してましたw
        • でも実際早期開発できてF6Fに対抗できそうなのってこの辺じゃないかなあ…。誉は故障するし火星だと大きすぎるみたいでみんなポシャってるし
          • 局地戦だが艦上機化計画もあった紫電改は、火星ベースの機体(水上戦闘機『強風』)を誉用にリファインしたもので機体自体はでかい。それと火星の口径(1340mm)はF6F・F4U・F8FのR-2800(1320mm~1342mm)とほぼ同等。
  12. 「雷電・艦上型」
    • スピードや運動性能もヘルキャットと同じ位なので。
      • いや、局地戦なのでヘルキャットよりも運動性能は低いです。スピードは多少上回ってますが。
      • それと、火星エンジン搭載なので下方の視界が悪いし、着陸速度が速いので艦上機には向いていないと思う。
  13. 一七試艦戦を本庄李郎技師主任で開発。
    • 際立った高性能は期待できないが、重武装で、手荒に扱っても耐えられて、防弾がそこそこ充実して、しかも生産しやすい機体が出来るはず。
      • ちなみに、零戦三二型をやったのが本庄技師。あの短い主翼は航続距離が短い一方、それまで米軍機のお家芸だった横転降下の特性が格段に良くなったんだとか。
    • エンジンは機首周りの部品を変更するだけで火星とハ四三(この世界だと陸海軍統合がされてないだろうから多分「土星」か?)のどちらでもつくようにしておいてもらう。
  14. 「秋水改」
    • 大型化、武装強化。
      • と、調子に乗って書いたけどそれ以前に増槽つけなきゃ・・・
    • 艦上型も開発される。
    • 結局陸・海軍が揉めて双方の独自開発になっちゃう。

九九艦爆哀歌

  1. 「1ノットでも速くなればいい!」と海軍が突き上げるので、引込脚にすることにしました。
  2. Ju88を真似て、スノコ形の主翼格納型ダイブブレーキにしてみました。
  3. そうするとダイブブレーキが邪魔になって、脚が横方向に折りたためません。
  4. なので双発機みたく後ろに引き込むことにしました。
  5. 車輪を水平にしたいところですが、日本の技術では生産隘路になるのが目に見えてます。
  6. なので車輪は半引き込みで我慢することにしました。
  7. 主翼下に車輪引き込み用の砲弾型カバーを付けてみました。
  8. 結局主翼周りほとんど再設計でした。
  9. でも50km/hしか速くなっていないことに生産段階になって気づきました。
    • そこで主翼の根元に増速用の火薬式ロケットブースターをつけてみました。
  10. しかも生産工程が増えたために生産効率が著しく低下してしまいました。
    • でも彗星よりはるかにマシでした。

連合艦隊は?

  1. 大和型4番艦も空母に。艦名は「尾張」。
    • 中央にサイドエレベータ付けてみました。
    • 大戦には間に合わなかったけど降伏文書調印を艦上でやった。
  2. 伊勢や日向は航空戦艦に改造されなかった。
    • むしろ全通型甲板の空母に改装。
      • 逆に主砲塔一部撤去による軽量化、空いたスペースに新たにボイラーとタービンを組み込むなどの高速化改造を行って「金剛」級と同様の任務につかせていた可能性も。
      • ぶっちゃけ隼鷹型の護衛なら26ノットも出せれば十分だからね。史実でも第一機動艦隊乙部隊では25ノットの長門が直衛してたし、火力を考えれば隼鷹型に伊勢型を付けて、他の高速巡洋艦は別の護衛に回した方がいい。
      • ミッドウェイ戦後は「全ての戦艦が空母改装の候補になった」とあるから、砲塔爆発事故を起こしていた日向は空母でしょう。あと栗田のせいで事故った最上もね。
  3. エセックス級より先に雲龍型空母を送り出すことに成功。
    • 17~18年中期竣工型は2エレベータ、18年後期以降は中央サイドエレベータ追設。もちろんエセックス型のパクリ。
    • 「天山」「流星」発艦用の油圧式カタパルトを装備。ただし圧力充填はレシプロ蒸気機関が使われ、飛行甲板の下で「ポンポンポン……」
      • このため、「海軍さんの空母は焼玉エンジンで動いている」とか「ポンポン空母」とか、うれしくないあだ名を付けられる。
    • しかし、戦局が有利になってくると、大鳳型空母の量産に着手。12隻作るはずが、大戦に間に合ったのはたった3隻。
      • 後に蒸気カタパルトに。
  4. 世界初の「潜水空母」が華々しく登場するも、何に使っても中途半端なのでとっとと退役させることに……。
    • しかし、アメリカ側は「海上輸送線破壊兵器としての潜水艦の究極形態」と評価し、コピーを計画し、ドックに竜骨を据えたところで敗戦。
  5. 第二水雷戦隊が最強の夜戦隊として、それを含む第二艦隊が精強なる水上打撃艦隊として勇名を轟かせる。
  6. ミッドウェー海戦では零戦30機を空母の護衛にした為、空母4艦は健在。
    • 後方の主力部隊から引き抜いた瑞鳳を直衛空母とし、千歳を索敵専用艦として随伴させるというわけですね。
      • そう言うことです。軽空母といえど空母ですから。
    • むしろ主力部隊にアリューシャン部隊の空母(全戦闘機)を付けて空襲吸引用の前衛にし、後方から悠然と軽空母付きの機動部隊を運営できればなどと思ったりもしますが…。
      • そしたら、ミッドウェーの陽動作戦(アリューシャン作戦)はどうなるのですか?
        • どうせ全然陽動が用を成さなかったんですから、全戦力を一点集中させた方がましでは。護衛空母付きの主力戦艦が7隻もいれば簡単にやられない。戦艦→島、空母→敵空母みたいに攻撃対象を分担していれば、あるいは、、、
  7. 扶桑級は3連装化、中央2主砲撤去→ボイラー&タービンを増設させる。
    • それでも、防御力は低かったので沿岸警備艦隊の旗艦に。
  8. 三式弾の性能が飛躍的に向上する。

陸軍も強いぞ

  1. 戦車の低性能を補う為、九九式襲撃機は三型にいたって、20mm機銃を追加し、本格的な対戦車攻撃機に変身。
    • エンジンは中島ハ-一一五(「栄」の陸軍タイプ。三菱は「火星」と「金星」に集中する為)。元々襲撃機としての性能も持たされていた為、コクピットと燃料タンクは装甲で覆われている。「東洋のカノーネンフォーゲル」と呼ばれ恐れられた。
    • Ju87Gと並ぶ戦車駆逐機として有名に。口径では劣るが、発射速度が速いので質量で見た投射力はトントン。
  2. 従来の槓桿式小銃ではなく、南部麒次郎設計の自動小銃を九九式小銃として正式採用・配備。
    • ドイツ型と南部型、陸軍内部でも相当揉めた結果、日中事変中の関東軍で試用してみることに。結果、ドイツコピーは当時の技術力ではスプリングの応力割れが激しく使い物にならないことがわかり、若干部品点数は増えるが動作の確実な南部型が制式兵器の座を勝ち取る。
    • よって、戦後に欧米で「ナンブ」と言えば、一連の自動拳銃ではなく九九式自動小銃の事になる。
  3. 米本土上陸作戦に備えて四式中戦車(チト車)の開発が進められる。
    • ドイツからティーガーのサンプルを輸入するが、日本の技術力には手に余ることが判明。
      • しかもP・ティーガー。
        • しかしサンプル本体はエンジンを国産ディーゼルに積み替えたら結構動く事が判明。しかし技術士として国鉄から整備員が呼ばれた。
    • しかし砲手席の砲塔側への固定など、四式中戦車の問題点の改修の際にドイツ戦車の設計を盛り込む。四式中戦車II型(チト改)。
    • 四式中戦車用の制式空冷エンジンの生産が間に合わないため、九六艦戦や九七戦から外した「寿」エンジンをディーゼル用ヘッドに改造した強制空冷星型エンジンを搭載したII型乙や、鐘淵デイゼル工業の液冷エンジンを搭載したII型丙、さらには鹵獲したアメリカ製エンジンを搭載したII型丁まで登場する始末。
    • 砲塔用ベンチレーターを間に合わせで用意するため、鉄道車両用のファンデリアを転用。その代わり、日本車両製造や東急車輛製造でも車体組み立ての権利が与えられる。
      • 司馬遼太郎「銘板を見て驚いた。私たちに与えられた戦車は、汽車を作っている工場で作られたものだった」
  4. 九五式軽戦車に75mmを積む無茶をやる。→意外に上手く行く。
    • 一式47mm速射砲を搭載した駆逐戦車が、茂みに隠れて横からM4の側面をぶち抜いてくる。
  5. 海軍に対抗して中島ハ216ル空冷星型18気筒を搭載した、四発飛龍を開発。
    • 性能は最高時速612km、武装20mm機銃×2(前方、後部)14mm機銃×4(上部、左右胴体)最大爆弾塔裁量7トン
    • 飛龍は高速双発爆撃機として有用だから開発されていたと思う。開発するとしたら別口にやるんじゃないかな。
  6. 海軍による米本土爆撃の護衛として、陸軍の四式戦『疾風』が使われる。
    • とある海軍陸攻乗り「陸軍機に護衛されるとはむず痒い」
    • 四式戦はエンジンは『誉』には早々に見切りをつけて(中島側としては抵抗するだろうけど)三菱ハ43への換装が指定される。
      • 高々度での戦闘機動で、マーリンのノックに悩まされるP-51C、Dを次々撃墜。P-51のパイロット曰く「アレじゃP-38の方がまだマシだ」。

末期アメリカの噂

  1. カリフォルニアには上陸され全主要都市は空爆され工業生産力は開戦時の日本以下に。
    • 日本軍が都市爆撃をやるかなという疑問があった(重慶爆撃はジュネーブ条約を無視して国民党軍が市街地に立てこもったため)けど、よく考えたら「風船爆弾」があったっけ……
    • あれは直接的には山火事を起こすことを狙ったもの。厳密に言えば都市爆撃ではない。
    • オーストラリア相手に普通に都市爆撃やってますが。史実でも。
      • 当時のダーウィンの軍港以外の人口はたぶん2千人ぐらいで、都市爆撃とは言いがたい(おそらく、軍港に付随する居住地域を爆撃した、という認識)。もっとも、重慶爆撃を正当化しようとするのも言い訳で、あれは無差別爆撃だと思う。
    • ルメイが米本土空襲の報復として中国大陸から北九州にナパーム弾爆撃をかける。福岡周辺の工業地帯に損害を与えることに成功する……が、それまで昼間精密爆撃にこだわっていた日本軍はそれを返上し、1都市に大して海軍陸攻・陸軍重爆を集中動員しての絨毯爆撃に切り替える。
      • 1945年4月17日(日本時間で18日)に、ワシントンD.C.に300機規模(護衛戦闘機含まず)の大空襲がかけられる。
      • 後世に『ワシントン大空襲』と呼ばれる。
    • デトロイトを始めとする五大湖周辺の工業都市は、下記のイギリスの連合国離脱によってカナダからの給電が停められてしまう。
  2. 陸海軍首脳部は徹底抗戦派と講和派に分かれる。
    • マーシャル・ニミッツ・スプルーアンス「適当なところで手打ちに……」
    • キング・ハルゼー・マッカーサー「勝つまでやんぞ!」
  3. カリフォルニアから内陸部に進軍してきた日本陸軍に原爆を奪われ、諦めて降伏。
  4. 燃えやすいマグネシウム合金をエンジンに多用した大型爆撃機を日本軍に接収され、「何考えてこんなもん作ってたんだ」とか言われる。
  5. 各地の大都市では略奪・虐殺が相次ぐことに……南京の二の舞ですな……
    • 米軍による統制とそれにともなう有色人種への暴行、逆に黒人の暴動、などが起こるわけですね。
      • ドサクサ紛れに四式重爆「飛龍」が侵入してきて、発電所を爆撃して行ったりする。
    • それはない。まあどっかの半島出身の兵ならやりかねないが。
    • 南京と同じ様に現実より大げさなプロパガンダが打たれ、日本はそれにまともな対応を取らない、ってことでしょう。
  6. 早い内に降伏していた英国で、「日独の陸軍は何月何日、何州で対面するか」のトトカルチョが行われる。
    • チャーチルはさらっとルーズベルトを裏切って日本との単独講和、その日本に斡旋してもらいドイツと停戦。
      • しかし、日本との外交交渉で東南アジアの植民地はほとんど手放すことに。しかし、アフリカの植民地については対独停戦時のまま現状維持としたため、後にダブル・スタンダードと批判される。
      • 日本が斡旋したとは言え、英独交渉が実現したのは、ジェット機がキーだった。
        1. ドイツはMe262、He162、Ar234などの実用(一応)ジェット機を送り出し、イギリスを痛めつけるも、投弾量はたかが知れていた。
        2. 遅れること僅かに3ヵ月、RAFグロスター「ミーティア」ジェット戦闘機就役。
        3. ジェット機の存在こそが絶対の自信の根拠だっただけに、逆にイギリスがジェット機を就役させたためルフトヴァッフェ首脳部はパニックに。また、ジェット機を持ってしても「モスキート」の低高度侵入は阻止率が低かった。
        4. 結局、日本の停戦斡旋にドイツもしぶしぶ従う。
          • しぶしぶじゃないと思う。日本と同盟結んでいたからすんなり従うはず。
  7. 四式中戦車v.s.M26パーシング、どう考えてもパーシングの圧勝のはずが……
    • 撤甲弾不足で四式に接近を許し、エンジンを撃ち抜かれて火達磨になるパーシングが続出。
    • パーシング対策として五式砲戦車が実用化されて独立砲戦車大隊が編成される。
      • 五式砲戦車エースが現れる。
  8. テキサスの油田を奪われ、中東からの石油に頼らざるを得なくなるが、大西洋航路はUボートがウロチョロ。
    • 低オクタンガソリンに蒸留エタノールを混ぜ込んだ粗悪ガソリンが横行し、米本土防空戦のP-47などは日本機と戦う前に過給器から火を吹いて落ちる始末。
    • ターボ過給エンジンの性能が目に見えて落ち、3速過給機付の日本機に高々度飛行されると追いつけない。
  9. M1ガーランドは生産簡略化のために部品の寸法精度の落とされた粗悪品が出回り、前線では作動不良が頻発。結局、M1は生産を中止してM1903を再び主力小銃とすることに。
    • それでも小銃の数は不足し、クラッグ・ヨルゲンセンやスプリングフィールドM1873を武器庫から引っ張り出して使う始末。
  10. B29、P51は、日本軍から、雑魚といわれた挙句、零戦に普通に打ち落とされる。
    • B-29は二式大艇にまで落とされる。
      • その為B-29は日本軍から「一発燐寸」とあだ名されている。
      • B-29は日本側が思っていたよりずっと脆くてエンジンにも難のある機体だったから、F-13(B-29の写真偵察機型)が低空飛行中に二式大艇と出くわしたら、20mmで撃ちまくられた挙句圧し掛かられると化してあっさり落ちそうだ。
  11. 日本軍に原爆を奪われ、ワシントン、ニューヨーク、サンフランシスコに原爆が投下される。
    • ワシントンにガジェット、ニューヨークにファットマン、サンフランシスコにリトルボーイが落とされる。しかし、アメリカは降伏しないので日本で作られた原爆を新たにシカゴ、ロサンゼルス、ボストンに投下。アメリカは、諦めて降伏。その上、B29を分捕られる。
  12. P-63キングコブラは護衛戦闘機を自力で排除できる運動性と同軸37mm機銃の高い威力で、爆撃機(陸攻)迎撃に大活躍し、P-39の汚名を濯ぐ。
    • が、ベルの生産能力が低く、他社で生産しようにもベアリングが調達できず、「悲運の高性能機」として後世に知られることになる。
  13. 狂気の体当たり専用機といえばノースロップP-79「フライング・ラム」
    • パナマ運河を押さえられた辺りから体当たり攻撃が始まる。
      • 史実の日本の特攻と違って作戦上は「突入時に搭乗員は脱出する」だったが、“野蛮なアジア人の”日本軍の捕虜になるくらいなら、と自殺攻撃に走る若年兵多数。
      • 日本海軍内ではスーサイドアタックと呼び一定の脅威を感じたが、結局正規空母は1隻も沈まなかった。
    • 発進方法は、機体をB29に吊り下げて、目標付近で母機から切り離すという方法。しかし、その多くは零戦改や烈風の餌食となる。
    • 脱出装置のある体当たり機が少数運用されるも大半が撃墜され特に戦果を挙げず脱出装置のない特攻機が開発されるも試作機の実験中に終戦を迎える。
  14. ニューヨークとワシントンD.C.は特に重点的に防空戦を展開していたが、その為にニューヨーク海軍工廠のあるブルックリン区は「武蔵」から艦砲射撃を食らってしまう。
    • その時モンタナ級「メイン」と「ニューハンプシャー」がドックにいたため、「『メイン』と『ニューハンプシャー』はヤマトクラスと戦った」というのがブルックリンっ子の語り草になる。
  15. アイオワ級4番艦「ウィスコンシン」を空母に改装しようとするが、進水して数日後に日本海軍自慢の九五式魚雷(潜水艦用の酸素魚雷)をくらいあっさり沈没。
    • ミズーリは扶桑の一斉射撃を喰らいあっけなく沈没。しかし、アメリカは扶桑を大和と発表し、「ミズーリはヤマトと戦った勇敢な船」と賞賛される。
      • 後にこの事が『Missouri of men』として映画化された。
        • 「Men of Missouri」の間違いでは?
        • 圧巻なのは、「流星」&「彗星」の編隊がミズーリに対して攻撃を行うシーン。
  16. 旧式戦艦群(メリーランド、テネシーなど)は日本本土への砲撃を試みるも大和&武蔵&長門&陸奥の射撃をくらい、全滅。
  17. キ-51IIIやら流星やらのロケット弾攻撃や機銃掃射に対抗して、様々な対空車両が作られる。
    • M16スカイクリーナー:真っ先に75mmの餌食。
    • M4シャーマンに12.7mm、20mm、40mmと搭載し、果てはM26ベースの対空戦車も開発。
    • しかし結局活躍したのはM6スタッグハウンド装甲車改造の急造品とスチュアート軽戦車ベースのものだった……
  18. 末期になるにつれ統合参謀本部からの発表がデッタラメになってくる。
    • シフト配置で耐久力の増した雲龍型に1000ポンド爆弾2発ほど命中させて「撃沈した」と言うことになったり、ありもしない大和型戦艦が撃沈されたことになってたり。
      • しかし史実の日本とは違い週刊誌の記者が真実を雑誌に載せることは…ないか。
      • 「ショウカククラス」(艦橋が瑞鶴と同じ構造の雲龍型の誤認)を「沈めても」「沈めても」「沈めても」後から「湧いて出てくる」ので「日本人はどういうマジックを使っているんだ?」ということになる。
  19. ヨーロッパが常時偏西風の流域にあることを利用して、ドイツ・イタリアに向かって「風船爆弾」を流し始める。
    • しかしこれがヒトラーとムッソリーニの逆鱗に触れ、イギリス本土を差し置いて東海岸上陸作戦が展開される事に。
    • とりあえず放流作戦を停止させる為、ドイツ・イタリアから日本への要請で放流基地のある一帯は「長門」「陸奥」によって徹底的な艦砲射撃を受けてしまう。
  20. 米軍の駆逐艦乗員を震え上がらせた日本軍潜水艦「伊十九号」 沈められるたびに彼らは「Whether E-Nineteen again」と嘆いた