大阪万博
1970年日本万国博覧会の噂
全般
- 日本が1945年に敗戦してからわずか四半世紀で「世界第2位の経済大国」になったのを世界に広めた。
- 高度成長の到達点のようなもの。
- 大阪府吹田市で開催。
- テーマは「人類の進歩と調和」。
- 英語で「人類」部分を"mankind"と訳しているあたりに時代を感じる。
- 当初は「人類の調和と進歩」にして進歩一辺倒の風潮を疑う問題意識が高いものにするはずだった。
- こちらも長い待ち時間と行列のせいで「人類の辛抱と長蛇」と揶揄されてしまった。
- 当初は日本の国際博覧会ということで「JEXPO」と略す予定だったが一部言語で発音しにくいため「EXPO」にされた。
- シンボルマークも変更されている。
- 最初の案が「日本が全世界の上にあぐらをかいているようだ」と非難され変更された。
- 下半分が鉄アレイのように見える。
- 没になった方をデザインしたのは後に福岡市営地下鉄各駅のマークをデザインした西島伊三雄だった。
- 最初の案が「日本が全世界の上にあぐらをかいているようだ」と非難され変更された。
- シンボルマークも変更されている。
- 参加国は当時としては最多の77か国。
- これでもポーランド、イスラエル、オーストリア、ボリビア、現在のコンゴ民主共和国などが出展をキャンセルしている。
- 特にハイチ・ガイアナはかなり差し迫ってからのキャンセルだったため公式ガイドブックにもパビリオンの記載が残ったまま。
- 国内の企業・団体では国鉄がパビリオン出展を取りやめ新幹線を「動くパビリオン」に見立てていた。
- 実際万博へ行く際に初めて新幹線を利用したという人も多い。
- 中華人民共和国の参加を呼び掛けるという話もあったが国交がなかったため断念。
- 後に跡地で「中華人民共和国博覧会」を行うという荒業が出る。
- 一方台湾は「中華民国館」で出展した最後の博覧会である。
- 東ドイツやモンゴルも国交がなかったため呼べなかった。
- ドイツもベトナムも資本主義陣営側の国だけ参加。
- ベトナム館のテーマは「自由世界の諸国との調和を保つベトナム共和国の過去と現在と未来の発展」と東側との対立を押し出したものだった。
- ドイツもベトナムも資本主義陣営側の国だけ参加。
- 中華人民共和国との国交回復は2年後の1972年だった。
- 後に跡地で「中華人民共和国博覧会」を行うという荒業が出る。
- これでもポーランド、イスラエル、オーストリア、ボリビア、現在のコンゴ民主共和国などが出展をキャンセルしている。
- 開催国としてはオーストラリアがライバル視されたが向こうが譲歩したため無事開催決定。
- 一部からは「日米安保改定から目をそらさせるための陰謀」とも呼ばれた。
- この博覧会を機にフライドチキン、動く歩道、電気自動車などが日本に定着したとされる。
- 人間洗濯機は定着しなかった模様。
- 今は介護用として実用化されているとか。
- 人間洗濯機は定着しなかった模様。
- 入場券のセンスが半世紀経ってから見てもおしゃれ。
- ただし半券のちぎり方は全体的に荒かった模様。
- 自動改札も検討されたがシステムの信頼性が乏しく手作業に・・
- 自動改札は万博の3年前の1967年に会場からほど近い阪急北千里駅で初めて実用化された。
- 多くの日本人にとって世界を体感できる貴重な機会だった。
- コンパニオンどころか単なる観光客であっても外国人はサインをねだる対象になった。
- テーマ曲「世界の国からこんにちは」は今でも広く歌い継がれている。
- 「桜の国で」と地味にマークのことも歌われている。
- 三波春夫が歌ったものがもっとも有名だが他にも坂本九や山本リンダなどが歌っていた。
- この博覧会で外国語表示と言えば英語とフランス語だった。
- 実は開幕当日は雪だった。
- ソ連館のロシア人ホステスまで寒がっていたという証言があるのでかなりの寒さだったと思われる。
- 当時の新聞によると閉会式で万博旗が1976年のフィラデルフィア万博へ引き継がれたというがそのような博覧会は行われていない。
- そもそも万博自体の熱気が下がり次に大阪と同格の一般博が行われたのは22年後のセビリア。
- 76年のアメリカでの万博構想は全米各地での建国200年祭に転換された。
- 公式ガイドブックを見ていると今はない国や政体が変わった国もあり時代を感じる。
- 公式ではないガイドブックでは万博と合わせて京都や奈良などを観光するコースも紹介されていた。
- 近鉄はこの万博に力を入れていたようで、難波線と鳥羽線の開通や志摩線の1067→1435mm軌間への改軌もこれを気に行われた。
- この博覧会に関する資料は関西の古書店や古本市などで入手しやすい気がする。
- 特に公式ガイドブックは出版数が多かったため運がいいと100円程度で買えることすらある。
- 各パビリオンのパンフレットも取り扱いが多いように見える。
- 関西電力が東日本大震災直前に放送していたCMではこの博覧会に原子力で作った電気を届けたことが取り上げられていた。
- 「調和どんぶり」「万博ずし」「アポロ12号餅」などという得体の知れないメニューを食すことができたらしい。
- 余談だがカップヌードルのデビューは万博翌年の1971年だった。もし数年早く発売されていたら会場にもカップヌードル自販機が設置されていたに違いない。
- 恐らく万博がカップヌードルブレイクのきっかけになっていた。
- マクドナルド日本上陸も。
- 余談だがカップヌードルのデビューは万博翌年の1971年だった。もし数年早く発売されていたら会場にもカップヌードル自販機が設置されていたに違いない。
- 北大阪急行の運賃が安いのは万博輸送で大儲けしたため。
- 当時は「万国博」行きの電車が大活躍していた。
- 凄まじい混雑だったため降りたら万博土産の陶器が粉々になっていたという証言もある。
- 会期終了間際の休日には最終電車に乗れずに会場内に野宿した人が大勢いたとか…。彼らは翌日朝イチで万博を見られるように配慮されたらしい。
- 万博で走ったモノレールは日本跨座式を普及させるうえで大いに役に立った。
- 実は自動運転かつ全駅ホームドアつきだった。
- 当初案ではアメリカからこんなバスを走らせる予定だったと聞く。
- 湘南モノレールが1970年開業なのは懸垂式モノレールをアピールしたかったためとか。
- 言うまでもなく昭和45年の日本にとって最大級の出来事だった。
- 当時の週刊誌(週刊朝日など)でもあらゆるページが万博ネタで埋まっていた。
- 広告では「我が社の○○は万博会場でもお求めになれます」「××グループの一員として××館に協力しています」などがよく目につく。
- お悩み相談でも万博会場でのトラブルが取り上げられていた。
- そのためか同年に生まれた子供には博・博美など名前に「博」の字が付くことが多かった。
- 宮迫博之(1970年3月生まれ、会場に近い茨木市出身)とか。
- 永作博美(1970年10月生まれ)も。
- 当時の週刊誌(週刊朝日など)でもあらゆるページが万博ネタで埋まっていた。
- 東海道新幹線もパビリオンの1つとされたらしい。
- 中国で国民党が共産党に勝っていたら上海での開催になっていたが、大阪での開催は10年遅れていた。
パビリオンの噂
- 各パビリオンの女性スタッフは「ホステス」と呼ばれていた。
- なお愛知万博では「アテンダント」だった。
- 民族衣装や最新モードなど多彩なコスチュームがあった。
- スイス館のホステスがスカート丈を勝手に短く改造し怒られたこともあったらしい。
- 各館の男女スタッフが交流するうちに恋愛関係に発展することもあった。
- 当時のマスコミに「昼はエキスポ、夜はセ×スポ」と書かれたこともある。
- 今でも空港の女性スタッフは「グランドホステス」と呼ばれている。
- 全体的に未来建築っぽいものが大多数だったがラオスやタイのパビリオンは伝統建築がモチーフだった。
- 国内なら東大寺七重塔(現存せず)がモチーフの古河グループ館も。
- 天平様式でタイムカプセルを展示していた松下館も。
- やたらぶっ飛んだデザインの建物が特に国内企業のパビリオンに多かった。
- 怪獣を思わせる外観の東芝IHI館(設計:黒川紀章)や足場を残し工事中の体にしたせんい館(横尾忠則がデザイン)などが代表的。
- 前衛芸術の若手を積極的に登用した結果。
- 映像系展示が博覧会でおなじみになったのはこの博覧会から。
- ただしこの時はヌードや屠殺場の映像など現代では大問題になりかねないものもあったという。
- 太陽の塔が最も有名。
- 岡本太郎の代表作として知られる。
- 本人としては万博の理念に思い切り異議を唱えるつもりで作ったらしい。
- 内部には「生命の樹」と呼ばれるモニュメントがあった。
- 2018年から色々作り直して再公開。
- 丹下健三が設計した大屋根に穴を開けた姿が衝撃的だった。
- 大屋根が消えた今では味わえない感覚。
- なお大屋根の下は「お祭り広場」として様々なイベントに使われた。
- 大屋根の中には都市計画の模型等。
- 地下部分にあった「地底の太陽」は現在行方不明。
- 会期中には目の部分に万博反対派が立てこもるという事件もあった。
- 岡本太郎はその様子を見て「ダンスでも踊ればいいのに」と言ったらしい。
- その男は「赤軍」と書かれたヘルメットをかぶっていたが無関係だった模様。
- 今でも吹田市の代表的な建造物である。
- カントリーサインにも太陽の塔が描かれているらしい。
- マンホールにも採用されている。
- 岡本太郎の代表作として知られる。
- エキスポタワーは本来シンボルタワーになるはずだった。
- 中に入れるカプセルがいくつも取り付けられ未来の住宅の姿を現していた。
- しかし老朽化により90年閉鎖→03年解体。
- 当時のガイドブック表紙などに描かれた会場のイラストで取り上げられなかったのは未来を暗示していたのだろうか…。
- 日本館は上から見ると桜の形状(=シンボルマーク)だった。
- しかし横から見るとなんとなくコンビナートのような味気ない感じ。
- 日本の歴史も扱うということで原爆にも触れられていたがタペストリーで抽象的に扱っただけ。
- こちらも永久保存の予定があったらしいが閉幕後は一度も使われず79年に解体。
- なぜか月の石のかけらも展示されていた。
- 外国館一番のスターは何と言っても月の石を擁するアメリカ館。
- 大リーグやアメリカの自然に関する展示も一応あったがもはやそれどころではない。
- 建物は東京ドームと同じエアドームだった。
- 後にあるスーパーが店舗として使うという話もあったが消防法の絡みで断念。
- 日本の建設会社では技術的に無理だったため米軍の工兵隊が建設した。
- ドーム膜のメーカーが後に東京ドームの膜も担当する。
- ちなみに会期中にあのアポロ13号の事故が発生している。
- ソ連館は会場一番の高さを誇る巨大建築だった。
- 通天閣よりも高かった。
- 大阪市長か誰かがこちらにも月の石の出展を要請していたがもちろん無理だった。
- 宇宙関連以外では同志ウラジミール・レーニンの生誕100年を祝う展示があった。
- 館内のレストランでは当時ソ連に属していた各連邦共和国の名物料理を食すことができたがとても労働者階級に手の出る価格ではなかった。
- アポロ12号の宇宙飛行士が急遽ソ連館を訪問したのがちょっとした話題になった。
- 三菱のパビリオンは当初高さ400mもの超高層のタワーになるはずだった。
- しかし大阪が地盤の住友から抗議されたり運輸省から伊丹空港の支障になると怒られたりして諦めた。
- 出来上がった「三菱未来館」は何とも名状しがたい形状をしている。
- 館内で上映された50年後の日本がテーマの映像では台風を上陸前に破壊するなど神をも恐れぬ技術も提案されていた。
- 史実の50年後に実現できたのは激しい自然災害のみ・・・
- その映像が円谷英二の最後の仕事だった。
- 飛行機操縦のシミュレーターがあった日立グループ館と並んで子どもに人気だった。
- 館内で上映された50年後の日本がテーマの映像では台風を上陸前に破壊するなど神をも恐れぬ技術も提案されていた。
- 日本家屋風の外見が特徴的だったサンヨー館の名物は「人間洗濯機」。
- 水着姿の女性モデルが1日数回実演していた。
- 今の時代なら若い男性のモデルも起用していただろう。
- 頭を洗う装置は実装できなかった。
- 今も門真市のパナソニックミュージアムで実物を見ることができる。
- 水着姿の女性モデルが1日数回実演していた。
- 万博初参加だったブルガリア館はバルカンの山々をイメージした尖った建物。
- 万博後は本国に移築されたらしい。
- 明治乳業(当時)の幹部がここで出会ったヨーグルトに感銘を受け「ブルガリアヨーグルト」を開発したのは有名。
- 国連、ECなど国家ではない国際団体のパビリオンもあった。
- 串間勉が著書で「フジパン館か」と記載していたパンの展示は国連館の可能性大。
- そのフジパン館は当初パンの未来をモチーフにする予定だったが企業イメージが強すぎるとしてロボットメインに。
- 手塚治虫がプロデュースしていた。
- ミツバチの腹の部分に見えて仕方がない。
- 万博後は愛知万博で会場になる愛知青少年公園に移築されたが愛知万博までもたなかった。
- ただし一部のロボットは展示されたという。
- そのフジパン館は当初パンの未来をモチーフにする予定だったが企業イメージが強すぎるとしてロボットメインに。
- 串間勉が著書で「フジパン館か」と記載していたパンの展示は国連館の可能性大。
- 参加要請一番乗りのカナダは中央政府だけでなくケベックやブリティッシュ・コロンビア州なども出展。
- アメリカもハワイやロサンゼルスなどが別のパビリオンを出していた。
- オーストラリア館は北斎の「富嶽三十六景」から「神奈川沖浪裏」をモチーフにしたものだがどう見てもブラキオザウルスにしか見えない。
- 万博後は四日市市に移され長く親しまれたが2014年に解体された。
- マンホールのデザインではまだ健在。
- 万博後は四日市市に移され長く親しまれたが2014年に解体された。
- フランス館は一見何かの観測施設のような4つの白いドームでできている。
- 中には映像展示やコンコルドの模型だけでなく本格的なフレンチレストランもあった。
- 当初案ではエアドーム式とする予定だったとも。
- イギリス館は上から見るとユニオンジャックが描かれたいかにもという感じだが横から見ると工場を思わせるやや味気ない鉄骨が目立つ。
- 壁の「英国」という漢字表記を書いたのは当時の大阪府知事。
- 鉄鋼館は当初から永久保存前提で作られ今では「EXPO'70パビリオン」として使われている。
- 大阪万博を追体験したい人はぜひ。
- なお館内にあった立体音楽ホールは現在全く使われていない。
- ガラス越しに当時の演出再現を鑑賞する形に。
- スカンジナビア館はこの博覧会としては珍しく科学技術のマイナス面も大きく取り上げていた。
- 万博後は北海道に移築され81年まであったという。
- ガスパビリオンは笑顔がテーマということで豚の蚊やり器にもドラクエのスライムにも見える独特のパビリオンに。
- ここにあったミロの壁画は現在中之島の国立国際美術館にある。
- 天六ガス爆発の翌日はさすがに営業を自粛していた。
- テーマが笑顔なのは笑いは火を使うことと並んで人間特有の行動だからという。
- 電気通信館は携帯電話の原型が展示されたことだけで有名。
- 建物は黄色い芋虫のようなちょっと不気味な感じだった。
- NHKの万博番組の公開放送にも用いられた。
- どこのパビリオンにもスタンプがあった。
- 07年時点では一部のスタンプが復元され「EXPO'70ホール」(現存せず)で押すことができた。
- ワコールとリッカーミシンは社長が仲良しだったというだけで共同出展した。
- 世界からカップルを集めパビリオンで結婚式を行った。
- 中高学校の修学旅行では、「ワコール館だけは入ってはいけません」という制約があった。
- 見るからにセクシーな女性の映像が流れていたため。しかし却って注目を集めてこっそり訪れる男子が続出。
- もちろん18禁というわけではなく、ワコールが下着を展示できなかったら意味がないわけだが、当時の校則は今より遙かに硬直したものだった。
- 自動車館では自動運転システムの先祖とでも言うべき交通ゲームができた。
- 王貞治が万博会場を訪れた際に挑戦したらしい。
フィクションでの大阪万博
- 磯野家の面々が訪問するがタラちゃんが迷子になってしまう。(アニメ版『サザエさん』)
- しかし迷子ワッペンやテレビ電話のおかげで無事発見される。
- 原作の漫画の方では波平が混雑に疲れ果て手前の写真パネル(推定)を背に撮影しただけで帰ろうとする。
- なお宿としてあてにしていた大阪の親戚は万博前に東京転勤になってしまった。
- アニメ版はスポンサーの関係か東芝IHI館が登場する。
- ひろしが月の石を見たがる。(『クレヨンしんちゃん』)
- 映画冒頭では「ヒーローSUN」という架空の特撮番組の主人公になりきってひろしが怪獣(名称不明)を倒す。
- 怪獣によりアメリカ館、ソ連館、松下館が破壊される描写もある。
- 全く関係ないが、この4年前の映画では敵組織のメンバーたちが「世界の国からこんにちは」にのせて踊るシーンがある。
- 映画冒頭では「ヒーローSUN」という架空の特撮番組の主人公になりきってひろしが怪獣(名称不明)を倒す。
- 科特隊が万博会場に展示するため怪獣ゴモラを運ぼうとして大失敗。(『ウルトラマン』)
- ウルトラマンに倒された後剥製にされて展示されたらしい。
- 万博会場でガメラとジャイガーの最後の決戦が行われる。(『ガメラ対大魔獣ジャイガー』)
- 大映の営業力不足が原因で正式にタイアップできなかったとか。
- 長崎から北海道へ移住する途中の風見一家が見物し損ねる。(山田洋次監督作品『家族』)
- 移住資金を借りた知人とはち合わせて口論になった。
- 悪魔くんの父親(太平洋電機社長)が「ブータン館」で特別な酒を飲まされ空飛ぶホウキ事業に手を出す。(『悪魔くん千年王国』)
- パビリオンは実は悪魔の偽装だった。
- 会場内で夜明かしを試みた若者が地獄に迷い込みレジスタンス運動に協力する。(ムロタニツネ象『パビリオン地獄』)
- 核戦争で人類滅亡後に取り残されたパビリオン内で動き続けるカプセル内でカップルが成長する。(手塚治虫『ふたりは空気の底に』)
- 番外:未来都市の風景に使いたかったが会期中に間に合わず断念。(『惑星ソラリス』)
- 結局首都高の風景で代用した。
2025年日本国際博覧会の噂
- 平成を飛び越えて令和に帰還してきた大阪万博。
- 正直最有力候補だったパリが引き下がったおかげで決まったようなものだと思う。
- 他にはエカテリンブルク(ロシア)とバクー(アゼルバイジャン)が相手だった。
- バクーは東京で開催された2020年のオリンピックに立候補していたが、2025年の万博開催にも立候補するという偶然ぶり。
- パリが撤退したのは2024年の夏季オリンピック開催が決まったかららしい。
- 他にはエカテリンブルク(ロシア)とバクー(アゼルバイジャン)が相手だった。
- 会場へのアクセスは大阪メトロ中央線が大活躍する予定。
- JRなら桜島からバスで移動だとか。
- ポスターではなんと2020年時点で開業済み扱い。
- すでにコスモスクエア駅から夢洲に向かうトンネルは完成済みだとか。
- とはいえ大阪メトロ中央線は梅田・難波・天王寺・新大阪駅のいずれにも直通していないのが難点。その点前回(1970年)の万博には遠く及ばない。
- 会場となる夢洲は幻に終わった2008年大阪五輪のメイン会場になる予定の場所でもあった。
- 当初は「人類の健康・長寿への挑戦」がテーマの予定だったがもっと総合的な「いのち輝く未来社会のデザイン」に変更された。
- 会場の夢洲の近くにIR(カジノ含む)を誘致する計画があるため「何の皮肉だ」とも一部で言われている。
- この博覧会が失敗すれば万博の歴史そのものが終わってしまうような気がしてならない。
- それどころか日本国そのものが終焉を迎えるような気がしてならないのだが...。2025年以降に「その日」を迎えるとして今後こういう輝くイベントがないのであればこの万博の成功で有終の美を飾れると思う。
- ちなみにこの年は団塊の世代が後期高齢者に突入すると言われる。
- あと80年周期説によればこの年が日本の「その日」だそうな。
- 万博を前に新型コロナウイルス感染症で日本はおろか全世界が大変なことに…。2020年の東京五輪も1年延期というかつてない事態に追い込まれたし。
- おいおい別に2025年万国博覧会は大阪以外誰も手を挙げなかったわけでもないのに悲観過ぎでは。
- それどころか日本国そのものが終焉を迎えるような気がしてならないのだが...。2025年以降に「その日」を迎えるとして今後こういう輝くイベントがないのであればこの万博の成功で有終の美を飾れると思う。
- ロゴマークが決定したが、早速ネタにされている。
- もっとも候補に上がった時点でみんな没案・イロモノ枠だと揶揄されてたが。
- の○まんゲームスも動画のネタにしてたな...。