「もしあの県が存続していたら」の版間の差分
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#「戊辰戦争で賊軍だったため…」などという始まり方をする都市伝説が通用しなくなっていた。 | #「戊辰戦争で賊軍だったため…」などという始まり方をする都市伝説が通用しなくなっていた。 | ||
#テレビ局は4局揃っていないと思われる。 | #テレビ局は4局揃っていないと思われる。 | ||
#*最悪2局止まり。 | |||
#野岩鉄道と会津鉄道が国鉄野岩線として昭和30年代に開業していた。 | #野岩鉄道と会津鉄道が国鉄野岩線として昭和30年代に開業していた。 | ||
#*東武鉄道として開業し、スペーシアが会津若松まで来ていたかも。 | #*東武鉄道として開業し、スペーシアが会津若松まで来ていたかも。 | ||
#*日中線は米沢まで伸びていた。 | |||
#会津若松の人口は20~30万くらい。 | #会津若松の人口は20~30万くらい。 | ||
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#**この場合、アルビレックス新潟vsモンテディオ鶴岡の対戦カードが「羽越線ダービー」と呼ばれている。 | #**この場合、アルビレックス新潟vsモンテディオ鶴岡の対戦カードが「羽越線ダービー」と呼ばれている。 | ||
#県庁所在地の鶴岡が、酒田を超える活気を呈していた。 | #県庁所在地の鶴岡が、酒田を超える活気を呈していた。 | ||
#*酒田と鶴岡の関係が高崎と前橋のような関係になっていた。 | |||
==旧新潟県== | ==旧新潟県== | ||
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#*熊谷県は群馬的な要素も含まれてくるので、旧埼玉県は南関東、熊谷県は北関東とみなされたかもしれない。 | #*熊谷県は群馬的な要素も含まれてくるので、旧埼玉県は南関東、熊谷県は北関東とみなされたかもしれない。 | ||
#ザスパ草津の天皇杯初出場が遅れていた可能性がある。 | #ザスパ草津の天皇杯初出場が遅れていた可能性がある。 | ||
==韮山県== | |||
*領土は東京都多摩地域・山梨県東部・神奈川県西部・静岡県東部 | |||
#東京都の範囲は狭くなっていた。 | |||
#*東京都区部+横浜市+川崎市+三浦半島ぐらいになる。 | |||
#県庁所在地が伊豆に置かれるため、御殿場と大月を結ぶ鉄道が建設されていた。 | |||
==足柄県== | ==足柄県== |
2014年1月13日 (月) 13:29時点における版
- 項目の追加は北から順でお願いします。
独立項目
- もし弘前県が存続していたら
- もし一関県(水沢県・磐井県)が存続していたら
- もし大石川県が存続していたら(石川+富山+越前)
- もし浜松県が存続していたら
- もし豊岡県が存続していたら
- もし大島根県が存続していたら(島根+鳥取)
- もし三潴県(久留米県)が存続していたら
八戸県
- 現在の青森県東部。県庁所在地は八戸。
- 下北半島は核銀座にならなかった。
- 八戸が、仙台と同じく太平洋沿岸ルートと内陸ルートの合流点として発展していた。
- 東北新幹線の八戸延伸が、史実(2010年)より早くなっていたかも。
- 青森と八戸が別の県になるため、東北新幹線の八戸延伸と東北本線盛岡以北の分離別会社化が史実通りだった場合、盛岡~青森は「南部縦断鉄道」という鉄道会社名になっていた。
- 当然、野辺地駅も在来線と新幹線の乗換え駅になっている。
- 八戸大学は私立大学ではなく、第二次大戦後の国立駅弁大学。
若松県
- 現在の福島県会津地方+新潟県東蒲原郡
- 山口県とはあからさまに対立していた。
- 「戊辰戦争で賊軍だったため…」などという始まり方をする都市伝説が通用しなくなっていた。
- テレビ局は4局揃っていないと思われる。
- 最悪2局止まり。
- 野岩鉄道と会津鉄道が国鉄野岩線として昭和30年代に開業していた。
- 東武鉄道として開業し、スペーシアが会津若松まで来ていたかも。
- 日中線は米沢まで伸びていた。
- 会津若松の人口は20~30万くらい。
磐前県
- 現在の福島県浜通り。県庁所在地は平(現在のいわき駅南口付近)。
- 浜通りと中通りが別の県になるため、福島原発は存在せず、福島原発事故も発生しなかった。
- 現実の大熊町と双葉町は同じ市域の「熊川市」で、常磐自動車道熊川ICの近くに工業団地が建設された。
- 国道288号の始点である熊川の方が、富岡や浪江よりも発展していたかもしれない。(史実の中通りに置き換えると、「郡山の位置に白河が在る」状態になっている。)
- 当然、磐前県には福島民友と福島民報の支局も存在しない。
- ゼビオの本社は平のまま。
- 平⇔福島や平⇔会津の高速バスは運行されていない。その代わり、平⇔水戸、平⇔中村/仙台、中村⇔東京の高速バスが運行されている。
- 小高以北に、福島交通の路線バスは運行されていない。小高以北の路線バスは、常磐交通か宮城交通かのどれかのエリアになっている。
- 那須白河新首都構想(史実のFIT構想)に、磐前県は加入しなかった。
- 福島県は、山地に囲まれた内陸県になっていた。
- 現実の大熊町と双葉町は同じ市域の「熊川市」で、常磐自動車道熊川ICの近くに工業団地が建設された。
- 平と小名浜は同じ市域に入らなかった。旧城下町で県庁所在地の平市(現実のいわき市湯本傾城以北)と、港町で工業地域の小名浜市(現実のいわき市湯本傾城以南)に分かれている。
- 県庁効果で、平市の人口は20万人近くに達していた。小名浜市の人口も、現実同様に15万人超となっている。
- 小名浜市の観光キャッチフレーズが「サンシャイン小名浜」になっていた。
- 当然、フラガールも小名浜市の名物になっている。
- 常磐自動車道の平市の立て札には、白水阿弥陀堂が描かれている。
- 国道6号の3地点までの距離標識は、石岡や亘理では、「平」が最も遠い地点として表示されている。
- 常磐自動車道は、1990年代後半に仙台まで全通した。
- 一方、磐越自動車道の全通は、早くて2000年代後半。
- 常磐線の機関庫も「旧城下町同士」である平と中村に建設され、中村市(現実の相馬市)が平市と同じく10万人都市に発展していた。なお、浜通りの中村が1950年頃に市制を布いて「中村市」になり、高知県の中村は「土佐中村市」になっている。
- 県域テレビ局として「テレビ磐前」と「常磐テレビ」が立地する。
- 中通りや山口県と同様に、平と中村にテレビ局が分散していたかも。
- 朝の中継ポイントの常連は、四倉港、小名浜港、夜ノ森公園、松川浦のどれか。
- 県域ラジオ局としては「常磐放送」が存在するが、ラ・テ兼営放送局として設立されたかも。
- 史実と同様に、磐城銀行と相馬銀行が存在した。これらは、世界恐慌時代の「一県一銀行」政策によって合併され、「磐陽銀行」になっている。
- 「磐陽銀行」の本店所在地は、言うまでもなく平。
- 第二次大戦後には、中村に本店を置く戦後地銀が設立された。銀行名は、「奥相銀行」か「東奥銀行」か?
- 第二次大戦前のラジオタワーは、史実通り原町(発信塔)と富岡(受信塔)に建設された。
- 第二次大戦後には、原町か富岡に工業高専が立地している。
- 原町か富岡に立地する工業高専には、電気通信に関する学科が設置されていた。
- 第二次大戦後には、原町か富岡に工業高専が立地している。
- 茨城県と磐前県を合わせた語として、「常磐 (ときわ)」以外に「イバサキ」「イワラキ」という俗称が用いられている。(茨城県と千葉県を合わせて「常総」や「チバラキ」と呼ぶのと同様)
- 第二次大戦後の駅弁大学として「磐前大学」が平に立地する。
- 高度経済成長後には、平に国立「平医科大学」が設立された。
- 観光面では、茨城県と磐前県を一括りにして「常磐」(由来は常磐線から)というエリア名の観光ガイドが販売されている。
- 細かいエリア名を入れると、「常磐 ~水戸 岩城 相馬~」や「常磐 ~水戸 平 中村~」と称した観光ガイドも販売されている。
- 磐前県知事は、東北地方知事会と関東地方知事会の両方に加入している。
- この他に、宮城県・磐前県・茨城県・(新治県・)千葉県で「常磐本線沿線知事会議」を設立して、それに加入しているかも。
- 1月9日が「磐前県民の日」になっていた。(由来は、磐前県が成立した1872年1月9日に因む。)
- 県域新聞として「磐前新聞」(本社:平)が創立されている。
- バブル景気の後に、磐前空港が開設されていた。立地は広野か富岡の辺り。
鶴岡県
- 三島通庸が鶴岡県に留まるため、自由民権運動の民権派政治家vs三島通庸のバトルは鶴岡県で発生していた。
- 庄内地方が行政権を保持するため、庄内(鶴岡県)と下越(新潟県)の連携が行政面でも進行し、史実での東北の「内陸優遇、沿岸冷遇」の風潮は幾らか弱まっていた。
- 岩船郡が、新潟県から分離されて鶴岡県に編入されていた。
- 史実の「テレビユー山形」は、「テレビユー庄内」という名称で、鶴岡県が放送エリアになっていた。
- 加藤紘一の地盤が鶴岡県になるため、第二次大戦後の国政選挙では、加藤紘一派vs反加藤紘一派の代理戦争が鶴岡県で勃発していた。
- 第二次大戦後の駅弁大学として、「鶴岡大学」が設立される。
- 史実の山形大学農学部は、鶴岡大学農学部になっていた。
- 「庄内大学」が、私立大学として鶴岡県内に設立されていた。
- NECの地域子会社は、「山形日本電気」ではなく「鶴岡日本電気」になっていた。
- 史実でのJFL所属NEC山形サッカー部(1984年~1998年)は、「NEC鶴岡サッカー部」になっていた。このため、史実での「モンテディオ山形」は、鶴岡市を本拠地にする「モンテディオ鶴岡」になっていた。
- この場合、アルビレックス新潟vsモンテディオ鶴岡の対戦カードが「羽越線ダービー」と呼ばれている。
- 史実でのJFL所属NEC山形サッカー部(1984年~1998年)は、「NEC鶴岡サッカー部」になっていた。このため、史実での「モンテディオ山形」は、鶴岡市を本拠地にする「モンテディオ鶴岡」になっていた。
- 県庁所在地の鶴岡が、酒田を超える活気を呈していた。
- 酒田と鶴岡の関係が高崎と前橋のような関係になっていた。
旧新潟県
- 1873年6月10日以前の新潟県。現在の下越地方。
柏崎県
- 新潟市の政令指定都市化は数年遅れていた。
- 下手すると現時点で良くて中核市
- アルビレックス新潟のサポーターが半減している(涙
- 上越新幹線の終点は長岡駅。
- 「とき」じゃなくて「いなほ」という名称の列車が登場する。
- 北陸自動車道の始点が長岡になる。長岡以北は日本海東北自動車道の沿線に。
- 鉄道も同じく、長岡駅を境に西が北陸本線、北が出羽本線(現実の羽越本線)に分かれる。
- 行政と交通の中心地が柏崎(行政中心地)と長岡(交通中心地)に離れて分立したら、史実の中通り(行政の福島市vs交通の郡山)と似た様相を呈するかもしれない。
- 柏崎県は「北陸地方○○局」の管内に、新潟県は「東北地方○○局」の管内に編入される。
- 柏崎・長岡・直江津のいずれかに、工業系か農業系の国立専門学校が建っていた。これらは、第二次大戦後の学制改革で「柏崎大学」になっている。
- 2004年(第1次)と2007年(第2次)に柏崎沖で発生した大地震は、「柏崎県沖地震」と呼ばれている。
- 観光宣伝で、河井継之助をモチーフにしたゆるキャラが使用されている。
- この他にも、直江兼続や上杉謙信や上杉景勝をモチーフにしたゆるキャラも登場している。
- 柏崎県を代表する企業として、雪国まいたけの存在感が強い。
- 県紙として「柏崎新聞」か「越後新報」が存在する。
宇都宮県
- 現在の栃木県北部・東部
- 著名な観光地である那須と日光が別の県に…
- 現実以上に東北扱いがひどかった。
- U字工事は宇都宮県の宣伝にひた走る。
- 「宇都宮SC」のサポーターが現実より減っている。
旧栃木県
- 現在の栃木県西部、群馬県東南部
- 小山、栃木、佐野、足利、桐生、太田、館林おまけに日光はこの県。
- みんなで合併し政令指定都市になってしまう。
- 北関東で一番まとまりに欠ける県となる。
- 栃木県に利根川が通る。
旧茨城県
- 現在の茨城県県央・県北・県西のうちの旧真壁郡の地域
- 現実以上に東北扱いがひどかった。
- 戦国時代の東北を題材にしたRPGでは、茨城県は「阿武隈山地の一角」として東北扱いされる。この場合、佐竹家(茨城県)、岩城家(磐前県南部)、相馬家(磐前県北部)、伊達家(宮城県、福島県北部)、田村家(福島県中部)の5家門が絡む内容になる。
- 日立製作所の存在感が強い。
- 茨城空港はギリ茨城県。
- 玉里村は新治県だったので、小美玉市も誕生しなかった。
- 美野里町は新治県石岡市との越境合併を画策する。
- 竹原村(美野里町南部)が堅倉村(同北部)を裏切って石岡市に加わっていた。
- 美野里町は新治県石岡市との越境合併を画策する。
- 高校野球では、水城高校が圧倒的な強さを誇っていた。
- しかし高校野球界では弱小県として有名。
- 微妙に霞ヶ浦に面している。
- 下妻無尽は「つくば銀行」なんて名乗らず、新治県土浦市の関東銀行とも合併しなかった。
- 常磐銀行(ときわぎんこう。本店:茨城県の水戸)と五十銀行(本店:新治県の土浦)は世界恐慌時代に合併されず、常磐銀行が茨城県最大の地銀になっていた。
- 茨城町、大洗町は史実より小さい。
- 県民が一丸となってホーリーホックを応援する。
- もしかしたら、レイソルが日立に本拠地を置いていたかもしれない。
- となると鈴木隆行もレイソルでプロデビューした?
- それなら大津祐樹もじゃないか?
- となると鈴木隆行もレイソルでプロデビューした?
- もしかしたら、レイソルが日立に本拠地を置いていたかもしれない。
- 東白川郡と浜通り夜ノ森以南が茨城県に編入されていた。
- キー局の放送エリア外だったかも。
- 浜通り夜ノ森以南が茨城県に編入されていた場合、2局くらいは平に本社を置いていた。
- 「茨城放送」が、テレビ局として設立されていた。
- 県議会議長選出をめぐる「黒い霧事件」は起こらなかった。
新治県
- 現在の茨城県県南・鹿行、千葉県香取・海上・匝瑳地域。
- 県のアイデンティティはアントラーズぐらい。
- 城之内早苗か大岩剛が、新治県の観光大使になっていた。
- 土浦はもっと発展している。つくば市は現実でいうひたちなかみたいな立場になっていた。
- 土浦のベッドタウンとして古くからそこそこ発展してしまっただろうから、学園都市ができたかどうかは微妙である。
- 県庁所在地の土浦は、1920年代に市制を敷いていた。
- 土浦海軍航空隊(通称:予科練)も史実通り立地し、阿見町は土浦市に編入されていた。
- 横芝光町は誕生しない。
- 下総町と大栄町は成田市にならなかった。
- 高校野球では、常総学院高校が圧倒的な強さを誇っていた。
- 土浦―江戸崎―佐原の路線が開通していた。
- JRなら鹿島神宮か銚子、関鉄なら筑波方面に直通する列車が存在する。
- 土浦~谷田部~水海道の常南電気鉄道が開通していた。なお、常南電気鉄道もやがて関東鉄道に編入された。
- 常南電気鉄道谷田部線が開通していたら、第二次大戦後には谷田部城近辺に研究所群が建設され、名実ともに「谷田部研究学園都市」になっていたかもしれない。
- もしも名実ともに「谷田部研究学園都市」になっていた場合、谷田部大学と熊本大学が細川家つながりで姉妹校になっていた。
- この場合、「城下町・谷田部」をテーマにした地域振興団体が活動し、城下町時代と研究学園都市時代の双方に注目した「昔と今が出会う街 谷田部」というキャッチフレーズを掲げている(史実の鹿嶋市がこのキャッチフレーズ)。
- 常総鉄道は関東鉄道に加わらなかった。(常総線は新治県を通っていない(取手~旧千代川村は印旛県、下妻~下館は茨城県)ため。)
- 常南電気鉄道谷田部線が開通していたら、第二次大戦後には谷田部城近辺に研究所群が建設され、名実ともに「谷田部研究学園都市」になっていたかもしれない。
- 行方市の人たちは、霞ヶ浦大橋が開通するまで土浦に行くのに不便な思いをしていた。
- 銚子が県庁所在地の土浦に次ぐ大都市となり、史実ほど衰退してはいなかった。
- 史実では千葉県で千葉に次いで市制施行されたのに今じゃ人口約6万8000人…好きな街なのに(by数回犬吠埼へ初日の出を見に行った人)。
- この地域が東北だとバカにされることはまずない。むしろ南関東扱いされる。
- 新治県は、現実の埼玉県と同様な扱いを受けている。
- 関鉄筑波線は廃止されず、現実の旧筑波町(つくば市北半分)は冷遇されなかった。
- 現実の旧筑波町が「筑波市」か「筑波小田市」になり、現実の旧桜村(つくば市南半分)は「筑波桜市」か「筑波学園市」になっていた。
- 史実通りTXが開通した場合、TXは筑波駅(史実の旧筑波町)まで開通していた。
- 五十銀行が世界恐慌後も存続し、新治県で最大の地銀になっている。
- アントラーズの選手が、五十銀行の宣伝キャラとして登場している。
- 県域UHFテレビ局として「新治テレビ」が土浦に立地する。(千葉テレビやとちぎテレビみたいなテレビ局)
- 第二次大戦後の駅弁大学は「新治大学」という名称で、西には土浦に、東には鹿嶋か香取にキャンパスが立地している。
- 一方、五年制工業高専は銚子に立地し、「銚子高専」という名称になっている。
- 県名を食べ物に置き換えるネタでは、新治県は「レンコン県」や「醤油県」と呼ばれている。
- ながらく自動車のナンバープレートは「新治」しかなかったが、ご当地ナンバーとして「土浦」が登場。
- 本新島村・十余島村・金江津村はどうあがいても新治県のままだった。
- 岩上二郎は茨城県那珂市出身なので、「新治県」知事には就任しなかった。
- 一方、竹内藤男は新治県鉾田市出身なので、「新治県」知事に就任していた。
- 柿岡に地磁気観測所は建設されなかった。
印旛県
- 現在の下総国に相当する地域(新治県除く)
- 佐倉が発展、千葉は…
- 全部下総なので「常総市」は誕生しなかった。
- TDR、成田空港はここ。
- 旧埼玉県が存続していたら、そこといがみ合う。
- 「ジェフユナイテッド市原」の後ろに千葉はつかない。
- 総武本線、常磐線、東北本線がすべて通る。
- 新治と合わせて「インバリ」と言われていた。
- 藤代高校が未だに甲子園出場を果たせていないかもしれない。
木更津県
- 現在の千葉県上総・安房
- 袖ヶ浦ナンバーなんてできない。
- 千葉県営鉄道の勢力圏にならないため久留里線の開業が遅れる。
- 逆に最初から1067mm軌間で早期に開業したかも。
- そして現実のいすみ鉄道ルートで大原に到達する。
- 逆に最初から1067mm軌間で早期に開業したかも。
旧埼玉県
- 領土は現在の埼玉県東部・荒川左岸、チャクウィキでいう「東埼玉県」
- 旧埼玉県になるまでは大宮県や浦和県であり、赤羽、板橋、練馬なども旧埼玉県の領土であった。
- 旧入間県(チャクウィキでいう「西埼玉県」)よりも東京都との交流が深い。
- 秩父などを版図に含まれていないため現実の埼玉県よりもさらに観光地に乏しくなり、単なる東京のベットタウン化の傾向が強まる。
- しかい各地の開発や経済が順調にうまくいけば、県の財政や経済はかなり豊かになっているであろう。
入間県
- 領土は現在の埼玉県西北部・荒川右岸・秩父地方、チャクウィキでいう「西埼玉県」
- 現実の西武池袋線、西武新宿線や東武東上線のように入間県民は移動し、現在のさいたま市よりも東京との交流が深まる。
- 明治時代では川越や熊谷は浦和や大宮、川口などより発展をしていたため、新幹線のルートは川越あたりに駅ができていた。
- プロ野球球団があるのに、Jリーグのクラブがないという事態になっていた。
熊谷県
- 領土は上記の入間県と群馬県の大部分
- 政治・経済規模で熊谷県は旧埼玉県に勝っていたため、旧埼玉県だけ「ださいたま」とみなされていた。
- 上越新幹線は大宮よりも熊谷に多く停車し、駅前も熊谷駅前は大宮駅前よりも発展していた。
- 高崎線と東北線が分岐する駅も熊谷駅になっているであろう。
- 天気予報で、埼玉県は浦和(さいたま)よりも熊谷の気象を予報することに関して、県南の住民たちもそれほど違和感は感じないと思われる。
- あまりにも、旧埼玉県が熊谷県と比較して弱いがために、旧埼玉県が東京都になっていた。
- 熊谷県は群馬的な要素も含まれてくるので、旧埼玉県は南関東、熊谷県は北関東とみなされたかもしれない。
- ザスパ草津の天皇杯初出場が遅れていた可能性がある。
韮山県
- 領土は東京都多摩地域・山梨県東部・神奈川県西部・静岡県東部
- 東京都の範囲は狭くなっていた。
- 東京都区部+横浜市+川崎市+三浦半島ぐらいになる。
- 県庁所在地が伊豆に置かれるため、御殿場と大月を結ぶ鉄道が建設されていた。
足柄県
- 領土は現在の神奈川県西部と伊豆半島
- 相模原は政令指定都市になれなかった。
- もしくは県庁が相模原に移動していた。
- 小田原が県庁所在地になるため、東海道新幹線は三島駅より小田原駅の方が多く停車している。
- 相模川が県境になるため、「湘南」ブランドは存在しない。
- サザンの地盤は鎌倉や江ノ島で、足柄県は含まれない。
- 史実の湘南ベルマーレが、七夕に由来するチーム名になっていたかもしれない。
額田県
- 現在の愛知県東部(三河国+知多半島)
- 徳川家康が名古屋出身と勘違いされることはない。
- 三河安城駅は存在せず、新幹線は開業時から岡崎駅に停車している。
- 岡崎と豊橋の対立が深まる。
- トヨタ自動車サッカー部のプロ化はなかったか、してもチーム名が違っていた。
- 名古屋空港と中部国際空港が伊丹と関空みたいな関係になる。
堺県
- 現在の大阪府東部・南部+奈良県
- 関空は堺県に建設されている。
- そして、伊丹空港を抱える「大阪府」からの反発を招く。
- 「鹿男あをによし」の撮影も堺県で行われることになる。
- 御堂筋線のあびこ以南が別会社になってたりして。
- 奈良府民という言葉はない。
- そのかわり「堺府民」という言葉ができる。
- 旧河内国は大和川を境に大阪府と堺県に分断される。
- これでは大阪府の面積が狭すぎるため、尼崎市や伊丹市、川西市、川辺郡猪名川町が兵庫県から編入される。
- 「奈良テレビ」は存在せず、代わりに「堺テレビ」という独立U局ができる。
- 送信所は二上山。
- もちろん大阪市内でも視聴できるので、大阪で見ることができるテレビが1局増えることになる。
- 国立奈良女子大学は存在せず。
- 大阪府立大学は別の場所につくられ、現実の大阪府立大学の場所に国立堺大学ができる。
- 橋下大阪府知事が「伊丹空港不要」や「関空-成田線の新設」などを提唱することはなかった。
- 堺市中心部は現実ほどに衰退しなかった。
- 山之口商店街が心斎橋より栄えている。
- 堺市のLRTはすでに開業済み。
- 東洋一の水族館だった堺水族館が世界一にリニューアルされている。
- 東京の銀座が堺の銀座のパクリと言われる。
- 堺東駅前に地下街も出来ている。
- 堺市と大阪市は、大津市と京都市の関係と同じになる。
- 県庁所在地同士が隣接。
- 近鉄南大阪線は河内松原から堺東に向かって建設されていた。
- この場合南大阪線は近鉄ではなく南海に編入されていた可能性もある。
- USJが堺浜に誘致されている。
- シャープ工場誘致位では騒がない。
- 南海電鉄が南海ホークスを売っていない。
- 中百舌鳥球場か大浜球場が現実より立派に整備されて大阪球場が建設されない。
- 中百舌鳥競技場で世界陸上が行われ長居競技場が建設されない。
- ヤンマーも堺も本拠地にしてJリーグに参加。
- 南海は球団名を「堺南海ホークス」に変更し、地元密着を打ち出していた。
- 大浜少女歌劇が今も存在して「サカイジェンヌ」と呼ばれている。
- 堺市は1990年代のうちに政令指定都市になっていた。
- 堺市の昼夜間人口比率ももう少し高かった。
- 地下鉄四つ橋線が南海堺駅まで延伸されていた。
- 南港ポートタウンから堺に通勤・通学する人も少なくなかった。
- 阪和線は明治のうちに開業していた。
- 当初から国営で開業していたか、私鉄で開業していたとしても戦前のうちに国有化されていた。
- この場合、現実のJR堺市駅が「堺」駅となり、南海本線の堺駅は「浜堺」駅に、高野線の堺東駅が「堺市」駅となっていた。
- 現実のJR堺市駅前は堺市の玄関口としてもっと発展していた。
- 特急「くろしお」の新大阪駅乗り入れも1978年の紀勢線電化時に実現していた。
- 阪和線の開業が南海より先だったら、南海のレール軌間は1435mmになっていたかもしれない。
- 全国で唯一の漢字一文字の都道府県となっていた。
- 史実では1955年に大阪市に編入された旧中河内郡の地域(巽・長吉・瓜破・加美・矢田)は、大阪市に編入されなかった。
- 現在の大阪市鶴見区の東部にあたる旧茨田町も。
- 鶴見区と平野区はそれぞれ城東区と東住吉区から分区しなかったため存在しなかった可能性が高い。
- 奈良市の観光宣伝はあまり活発にならない。
- 代わりに橿原市あたりが現実よりも発展していたかも。
- 大阪府立中央図書館は現実とは違う場所にできていた。
- リニア中央新幹線のルートはあっさりと京都経由で決まっていた。
飾磨県
- 現在の兵庫県西部(旧播磨国)
- 姫路市は飾磨県の県庁所在地となっていた。
- 関東地方における宇都宮市と同じような存在に。
- 「飾磨」の字が読める人が増えていた。
- 旧播磨国のうち明石市・三木市・小野市・加東市・西脇市は兵庫県に編入されていた。
- 車のナンバーが神戸ナンバーの地域。
- 豊岡県は飾磨県に合併されていた。
- ただ、豊岡県の県庁が豊岡から福知山に移転した可能性が高いので、やはり合併されなかった。
- 丹波・丹後・但馬で一つの県になっているため、但馬は飾磨県に編入されていない。
- ただ、豊岡県の県庁が豊岡から福知山に移転した可能性が高いので、やはり合併されなかった。
- 兵庫県の面積が現実よりかなり小さくなる。
- 飾磨県が近畿地方ではなく中国地方になっていた場合、新快速は西明石折り返しになっていた。
- 東洋大姫路の夏の甲子園出場回数が史実より増えていた。
- 関連項目
久美浜県
- 現在の京都府北部(旧丹波・丹後国)・兵庫県西部(播磨国)・北部(但馬・丹波国)・岡山県北部(美作国)
- 恐らく西日本では最も面積が広い県となっていた。
- その面積の広さゆえ現実の兵庫県以上に県としてのまとまりに欠けていた。
- 山陰本線は久美浜経由となっていた。
- 播但線は久美浜県を南北に結ぶ幹線となっていた。
- 豊岡市よりも久美浜の方が発展していた。
- 県庁が久美浜では不便なので結局姫路市に移転する。
浜田県
- 現在の島根県西部(旧石見国)
旧愛媛県・旧高知県
- 旧愛媛県は現在の愛媛県+香川県、旧高知県は高知県+徳島県
- 松山市は今治市を併合せずとも政令指定都市に昇格していた
- 国の四国の機関が全部松山市にある。
- よって高松が寂れてた
- この時代は高知が政治上優位な地位にいたことから、国の四国の機関は全部高知に設けられたはず。それに戦国時代には土佐の長曾我部氏が四国を支配してたし…。
- その場合、高知の人口は現実ほど悲惨にならなかった。
- 戦国時代はさておき、薩長土肥と言われていたしなあ。どうなっていたことやら。
- 国の四国の機関が全部松山市にある。
- 徳島ヴォルデスでは無く高知ヴォルティスになってる
- それはない。せいぜい「阿波ヴォルティス」。
- ただ、それだと影が薄くなってしまうので…
- カモンさんが徳島県知事にならないわけだからJリーグのプロチームすらなかったかもしれない。(高知県知事になってたかもしれないけど。)
- それはない。せいぜい「阿波ヴォルティス」。
- 徳島と高知を結ぶ鉄道はとっくに開通している。
- 松山と高知を結ぶ鉄道も開通している。
- とりあえず、瀬戸大橋は作られない。神淡鳴道も微妙。
- 瀬戸大橋は岡山県の要望で作られているかもしれない。
- 鳴門・明石大橋と紀淡トンネルは普通に出来ているはず。
- 加えて豊予海峡には海底トンネルが出来ていた。
- 実史以上に北四国の交流が活発化
- 実際の香川と岡山、愛媛と広島という交流があるからねえ。
- 同じNNN系列局ではなくなるため高知放送VS四国放送は無かった。
- 高知放送がJNN系列になる。その影響でテレビ高知はFNN系列になる。
- 史実ではNNNのみだったマイクロ回線はNNNとJNNの二つになるので南海放送もJNN系列になる。
- TV局は愛媛・高知県側共に3局。
- 愛媛県側は岡山・広島県側のTV局と相互乗り入れ。
- 高知県側は在阪局・宮崎県側のTV局の電波が乗り入れる。
- ちなみに現実の高知県のTV局も3局。
- 在阪局では高知県の情報も流される。
- 無論、民放のみで。
- 3局ではなく、愛媛は平成になる前に4局になり高知も昭和64年の段階で既に3局になり平成新局開局で4局になっていたかも。
- 中国地方と四国は1つにされている。
- 「瀬戸内地方」などという具合に。
- 九州同様「なんで2県しかないのに四国って言うの?」というネタが定番になる。
- 高知・徳島連合が西日本一の野菜王国になっている。
- 徳島市や鳴門市は現実以上に関西志向が強くなっていた。
- 旧阿波国は現実の福井県若狭地方のような存在になっていた。
- このコーナーで高知と福井が何かと比較されていた。
- 旧阿波国は現実の福井県若狭地方のような存在になっていた。
- 阿波踊りはよさこい祭りに取って代わられて消滅。
- 阿波踊りは東京円光寺阿波踊りとして辛うじて存続しているに過ぎない。
名東県
- 現在の徳島県+香川県+淡路島
- 史実では四国の国の機関が集まっている都市は徳島市だった
- もしかしたら徳島市が合併で政令指定都市になっていたかもしれない
- (徳島県と香川県の人口を合わせると180万人ほどになるので)
- 上記の大高知県よりは無理が無かったと思う
- 実際戦国時代での日本も細川氏、三好氏が讃岐国と阿波国と淡路島を一緒に支配していたし
- 神戸淡路鳴門自動車道は瀬戸中央自動車道よりも早くに完成していた。
- 現実世界における徳島県内陸部はあまり発展しなかったかも知れない
- 「庚午事変」が起こって結局、淡路島は現実と同じ兵庫県所属ということも・・・
- 史実通り阪神淡路大震災が発生した場合、淡路島内から不平不満が続出し、淡路島は名東県から兵庫県に入れ替わった。
- 後に元の徳島県に改称していたかも知れない
- もし名東県のままだったら、名東区は「猪高区」と名乗っていた。
- 徳島ヴォルティスとカマターレ讃岐の戦いは四国ダービーでは無く名東ダービーと言われる
- もしかすると徳島ヴォルティスはもっと早くにJ1に昇格出来ていたかもしれない
- (徳島ヴォルティスは2011年現在まででJ2:4位が最高成績)
- 四国タイムズが「四国新聞」を名乗っていたかも。
- 四国放送は名実ともに四国新聞の傘下になっていた。
- もしかしたら1952年にラジオ放送開始し、1958年にテレビ放送開始していたかも。
小倉県
- 現在の福岡県東部から大分県北部
- 「北九州市」は存在せず、門司は「小倉市門司区」となっていた。
- それ以前に政令指定都市になっていない気がする・・
- 福岡県側の戸畑、八幡、若松の3市で「北九州市」を構成していた。
- その場合、市役所は黒崎駅前に置かれる。(ひょっとしたら黒崎市になっていたかも)
- 当然現実の北九州空港は、「小倉空港」になっていた。
- 『小倉県』の観光PR大使に、『ゆうこりん』こと『小倉優子』がなっていた(かな…)。
- その場合、小倉県はこりん星の無償租借地となる。
- 中津市や宇佐市も大分県でなく、小倉県のままであった。
- テレビは山口県と相互乗り入れしていた。
旧長崎県
- 現在の長崎県+佐賀県
- サガン鳥栖は長崎を本拠地にするサガン長崎になっていた。
- 長崎県なんだから、「サガン」はおかしくない?
- 「ヒゼン鳥栖」とかは?
- 長崎県なんだから、「サガン」はおかしくない?
- 福岡と仲良く合併して「西海道」が誕生していたかもしれない。
- サガテレビはなかった。
- FM佐賀もなかった。
- NBCラジオ佐賀はただの中継局。
- 佐賀では、福岡ではなく長崎の局を見ていた。
- 福岡と熊本と長崎のテレビ局の電波が相互乗りいれしていた。
- 県庁所在地はおそらく長崎市になっていた。
- そもそも肥前国分割自体が「長崎市に県庁を置くことありき」だったわけで。
- はなわの「佐賀県」は「長崎県」になっていた?
- 多分ヒットしていなかった。
- 大鹿児島県も存続し、ついでに福岡・大分・熊本も合併させられ、九州は三県に。
- 佐賀空港は建設されなかった。
- 佐賀市以東は福岡県に編入されていたかもしれない。
都城県
- 現在の宮崎県南部から鹿児島県東部
- 現在の宮崎市周辺や西都・児湯地域、熊本県球磨地方も併合していた。
- 現実の宮崎県北部は熊本か大分の一部となっていた。
- 宮崎市は昭和の大合併でようやく誕生した。
- 現実の市街地は大淀川の北側だから美々津県。南宮崎駅周辺も都城県の端っこで、郡名由来の宮崎よりは「日向中村」「城ヶ崎」辺りを名乗っていそう。
- いばら
ぎき・みやぎと釣られて、「みやこぎ県」と誤認されてしまう。- もちろん、出身者はご立腹である。
- あるいは「としろ県」と言われる。
- あるいは「とじょう県」。
- 東国原氏は都城県の知事になっていた。
- 都城大丸は上手くいけば山形屋・鶴屋・トキハと肩を並べられる程の規模の地方百貨店になっていたかも。
- 現実の宮崎・大隅よりは活気と魅力に溢れていたと思う。
- 九州新幹線は都城まで通っていたはず。
- 吉都線は現在よりも繁栄している上に、志布志線ももちろん存続。
- 大鹿児島県成立後、旧美々津県と旧都城県の分県運動を糾合できず、そのままになっていたかも。
- 史実では西南戦争時に鹿児島側が都城を見下したから、都城も分県に賛成となったらしい。
旧鹿児島県
- 現在の鹿児島県+宮崎県
- 宮崎シーガイアは鹿児島シーガイアとなり施設も鹿児島市にある。
- 九州新幹線が開通したので多少は寿命が延びる。
- 「観光宮崎」という自負がないのでシーガイアが存在しない可能性もあり。そもそも鹿児島市にそんな土地はない。
- 九州新幹線が開通したので多少は寿命が延びる。
- 上手くいけば鹿児島市が政令指定都市に昇格していた。
- その場合九州新幹線は20世紀中に開業していた可能性もある。
- 奄美諸島は沖縄県に編入していた。
- 戦後、奄美諸島のみ復帰の時に一時的に鹿児島県になったが、沖縄復帰の時に再び沖縄県に戻った。
- 平成大合併の時には、都城市は今の曽於市、えびの市は湧水町、串間市は志布志市と合併していた。
- 昭和の大合併の時点で志布志と末吉財部(曽於市)は都城と合併してそう。
- それでも官製談合事件が起きて、そのまんま東氏が鹿児島県知事に。
- テレビ局は5局は開局していたでしょう。
- 少なくとも志布志・末吉の中継局は不要になる。が人口300万で5局作れるかは微妙なレベル。
- 実例はあるが・・・
- 少なくとも志布志・末吉の中継局は不要になる。が人口300万で5局作れるかは微妙なレベル。
- 県庁の移転先候補地に霧島市の名前が・・・・・(って時系列滅茶苦茶だな)
- 「県央の都城へ」という主張もなされる。たぶん空港も都城辺りに出来そう。
- 宮崎市は間違いなく寂れていた。
- 都城市が鹿児島県第2の都市に。
- 意外と高岡・高鍋が「市」になっているかも。
- あと↓の大淀(中村・城ヶ崎)市と、佐土原市・本庄市も十分可能性あり。宮崎平野は元々人口は多いから古くからの拠点を核にして小都市乱立。
- 市の中心は今の南宮崎駅付近のままで、がんばって市制施行できるかどうかのレベル。
- 宮崎地方(旧宮崎郡域)の中心をめぐって佐土原とライバル関係。平成の大合併で市名は「宮崎市」で合意するが、市役所をどっちにするかでもめる。
- 鹿児島市よりはるかに広大な平野を有効活用できないはずが…鹿児島のことだから最悪肝属川下流みたいになる可能性あり。
- 南九州ファミリーマートは鹿児島ファミリーマートに。
- 県下全域にセブンイレブンは無い。
- ただ、鹿児島市が中核市か政令指定都市になった場合は進出している。
- 現実の鹿児島市が中核市なので政令指定都市クラスにならないと厳しい。
- ただ、鹿児島市が中核市か政令指定都市になった場合は進出している。
- タイヨーは延岡まで進出している。