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==GI・JpnI==
==男性==
===川崎記念===
===青木雄二===
#中央・地方合わせて1年間で最初に行われるGI(JpnI)競走。
#大阪で日本共産党から国会議員に立候補していた。
#1951年に『開設記念』として創設。現在のレース名になったのは1979年から。
#*いや、寧ろ今の共産党には批判的になっているかと。
#*共産主義者ではあったけど共産党支持者だったかどうかはなんとも言えないよね。
#*民主党の分裂後のどれかから立候補ならあるかも。でも長くて1期。
#相変わらず安っぽいゼニ道エッセイで小銭を稼いでいた。
#「たかじんのNOマネー」にコメンテーターとして出演していた。


===かしわ記念===
===赤塚不二夫===
#上半期のダートマイル王決定戦であり、船橋競馬場唯一のJpnIレース(JBCを除く)。
#『天才バカヴォン〜蘇るフランダースの犬〜』や『おそ松さん』は存在していなかった。
#開催時期は5月のゴールデンウイーク中に固定されている。
#*内容が変わっていた。
#レース名のかしわとは、船橋競馬場の前身である柏競馬場を由来とする。
#**多分'''今よりひどくなっていた'''。
#『天才バカボン〜家族の絆』にゲスト出演していた。
#*本作の主題歌を歌っていた(史実ではタモリが担当)。
#東日本大震災が発生した際に、復興支援イベントを行っていたかも。
#終盤の笑っていいともの『テレフォンショッキング』に約16年ぶりに出演していた。
#Y!mobileのCMに芦田愛菜、吉岡里帆、出川哲郎、片岡愛之助と共演していた。


===帝王賞===
===石ノ森章太郎===
#6月の大井競馬場で行われるダート界の上半期の総決算。
#仮面ライダー龍騎は無し、あっても大幅に設定が変わっていた。
#東京大賞典よりも十年以上早く地方・中央との交流重賞になっており、距離も1986年から2000mに固定。
#*555も無かったかもしれない。
#1995年までは4月開催だった。
#*オンドゥル語も誕生していなかった。
#*そのまま行けそうなのはクウガとWぐらいか・・・。
#**というか亡くなった後仮面ライダーをやろうと決めたのだから、亡くなっていないなら[[メタルヒーローシリーズ]]が続いている。
#***いや待て、真仮面ライダー完結編と仮面ライダーEVEがあるぞ!
#**したがって仮にクウガやアギトをやっていたとしても、やっぱり終盤には昭和ライダーが登場していたかも…。
#***案外ノリノリでコミカライズを担当していたかもしれない。
#***昭和ライダーをオマージュしたエピソード(具体的に言えば『仮面ライダー』第4話とか)が多く作られていた。
#**怪人のデザインを寄稿していた。
#*『仮面ライダー THE FIRST』の監督になっていた。
#*リファインされたキョーダインやアクマイザーはライダーの仲間になっていた。
#*鎧武の脚本は虚淵玄ではなかった。
#*エグゼイドがSDガンダムみたいなデザインにならなかった。
#*ゼロワンにキカイダー01がゲスト出演していた。
#荒木飛呂彦と宮城県の漫画家を二分する存在になっている。
#[[仙石線]]の「マンガッタンライナー」のデザインが変わっていた。
#*当然、「マンガッタンライナー」の出発式に出席している。
#「サイボーグ009」を描き続けている。
#*天使編が未だに終わらない。
#*「2009年は009の年」イベントに出ている。
#*2012年のリメイクにも何らかの形で関与していた。
#*ユーゴ紛争かイラク戦争を舞台にテロや民族対立を取り扱った009を描いている。
#*2015年の「009VSデビルマン」完成に当たって永井豪との対談もやっていた。
#**どちらも「悪の力を正義の心で封じ込め、異形の姿になって戦う」という王道ストーリーのため。
#「マンガ日本の歴史」・「マンガ日本経済入門」に続く学習漫画も描き続けている。
#仮面ライダーSPIRITSの第1巻か最終巻で村枝賢一と対談していた。
#楽天イーグルスのマスコットをデザインしていた。
#*宮城県のどこかの民放のマスコットもデザインした可能性もある。
#東日本大震災が発生した際に、復興支援イベントを行っていたかも。
#2000年大晦日~2001年元日の世紀跨ぎイベントに招待されて、「Long long ago, 20th century」(『[[仮面ライダー/昭和ライダー/1980年代#BLACK|仮面ライダーBLACK]]』のED曲)を歌っていた。
#スーパー戦隊の版権はどうなっていたんだろう?
#*未だにバトルフィーバーJがスーパー戦隊第1作目という扱いかもれない。
#恐らく生涯執筆枚数は15万枚を超えていた。
#手塚治虫先生に関する特番などには必ずと言っていいほど呼ばれていたことだろう。
#「仮面ライダーBLACK」20周年のために、石ノ森章太郎は漫画版に忠実な深夜アニメ版を制作した。
#「燃えろ!ロボコン」は、放送されなかったかもしれない。(この作品は、石ノ森章太郎氏を追悼するために制作、放送された作品であるため。)
#*史実における「ロボコン」の前番組だった「テツワン探偵ロボタック」は、もう少し長く(せいぜい2、3話程度)放送されていただろう。(「ロボタック」の放送期間短縮は、「ロボコン」の放送開始日を石ノ森氏の一周忌に合わせる為の短縮だった為。)
#*『ロボコン』の代わりに、カブタック、ロボタックのようなスーパーチェンジ路線第3弾が制作される。
#東映に無断で制作された『仮面ノリダー』は史実以上に厚遇されている(激怒した東映サイドに対し、本人は公認を出していたため)。
#*いずれ東映が版権を取得する流れは変わらないだろうが、2019年の劇場版ジオウ以前から本作とのコラボが行われ、映像ソフト化もされている。
#平成仮面ライダーシリーズは予定通り、三部作で終了。
#*アギトの後番組は龍騎ではなくアギトから数年後の続編だった。
#**そのライダーのデザインはクウガとアギトに近いデザインだった。


===ジャパンダートダービー===
===臼井儀人===
#7月の大井競馬場で行われるダート版日本ダービー。
#クレヨンしんちゃん漫画継続決定
#かつてはダービーグランプリと凌ぎを削っていたが、現在では日本唯一のダート三歳馬最強決定戦となっている。
#ファンも帰還を大喜び
#一ヶ月前の各地方競馬で行われるダービーシリーズの決勝戦の役割を担っている。
#原作の漫画に忠実な深夜アニメを制作するという話が噂される。
#他の雑誌にオファーが、きて新作品を連載を開始する可能性も。
#藤子・F・不二雄展やFライフに寄稿やコメントをしていたかもしれない(藤子ファンだったというので)。
#「新クレヨンしんちゃん」はなかった。
#クレしん劇場版に関してはほとんど影響は出ないが、久々の原作ベースとなった「ラクガキングダム」に関しては多少変化があったかもしれない。
#「ごめんねおらもう」は史実ほど注目されなかった。


===マイルチャンピオンシップ南部杯===
===内山まもる===
#盛岡競馬場で唯一行われるJpnI競走(JBCは除く)。
#現在でも散発的にウルトラマンの新作漫画を執筆していた(コロコロアニキあたりで)。
#岩手県競馬組合の創立25周年を記念し、『北日本マイルチャンピオンシップ南部杯』として1988年に創設。
#グリッドマンみたいに内山ウルトラマンをテレビアニメ化する企画が存在していたかもしれない(史実では2015年の『日本アニメ(ーター)見本市』で「ザ・ウルトラマン」が短編アニメ化)。
#*現在のレース名になったのは1995年から。
#開催日は基本的に体育の日(2019年まで、2020年からはスポーツの日)で固定されている。
#*2020年は10月12日の月曜日に開催された。
#2011年のみ東京競馬場で開催された。
#*ファンファーレは盛岡で使われていた物をそのまま使用した。
#*レースのオープニングCGは金色の岩手から銀色の東京へ虹の橋を馬が渡っていく映像だった。


===JBCレディスクラシック===
===梶原一騎===
#JBC初開催から10年後の2011年の大井で新たに始まった、JBC三本目のレース。
#80年代後半にF1漫画、90年代後半にJリーグ漫画とメジャーリーグを舞台にした野球漫画の原作を書いていた。
#日本ダート競馬で初となる牝馬JpnI競走。
#[[とらのあな|ここ]]に対して店名使用禁止の訴訟を起こしたかも。
#基本的に1800mだが、開催される競馬場の都合で他のJBC競争に比べて距離の変化が激しく、スプリントとほぼ同じ距離になることも。
#現在マガジンで連載している漫画家や講談社の編集を鉄拳制裁していた。
#*例として挙げると第3回の金沢(スプリント1400、Lクラシック1500)、第8回のJRA京都(Lクラシック1800、クラシック1900)、第9回の浦和(Lクラシック・スプリントともに1400)
#*樹林伸に「俺の許可無くマガジンで原作書くな!」
#**浦和は1500mでも最大出走頭数(12頭)でレースできるのだがスプリントと同じ距離になってしまった。
#*日向武史、寺嶋裕二、月山可也に「俺に許可無くスポーツ漫画書くな!」
#*赤松健などのラブコメ漫画家、真島ヒロなどのファンタジーバトル漫画家には、意外と寛容。
#**ペラペラとめくって流し読みした後、「駄目だ、俺には理解できない・・・」
#マガジンで連載している女性漫画家を全員愛人にしていた。
#*「俺の妾になれば、マガジンで連載させてやる」
#「サンデージャポン」に弟が出演することはなかった。
#球界や角界で大規模な問題が発生した際には「有識者」の一人としてよくマスコミでコメントしていた。
#K-1、PRIDEなど格闘技団体の試合で、ゲスト解説者としてたびたび出演していた。
#週刊少年マガジンの新人漫画賞の名前が、「梶原賞」になっていた。
#*特別審査委員長は、勿論梶原一騎。
#*新人漫画賞の授賞式では、受賞者への梶原一騎による闘魂ビンタが恒例行事として行われる。
#**女性の受賞者は、闘魂しっぺで代用。
#当然のことながら、「男の星座」が未完に終わることはなかった。
#*大山倍達とも和解できていただろう。
#**その場合、大山の葬儀で弔辞を読んでいた。
#恐らく、80年代中盤からはヤングジャンプ、モーニングといった青年誌で原作を書いていた。
#現在のちばてつやにとって、数少ない「頭が上がらない人物」。
#森川ジョージや樹林伸が、週刊少年マガジンで現在ほど大きな力を持っていなかった。
#*森川はボクシング漫画を書くこと無く、他のスポーツ漫画を書いていた。
#*樹林は漫画原作者になることなく、講談社の社員のまま。
#1997年に起きた、娘・暁燕の死を自ら見届けていた。
#実写映画版「タイガーマスク」は、変身ヒーロー風にアレンジされることはなく、ほぼ原作に近い内容での作品になっていた。
#*どう考えても、あの変わりすぎたタイガーマスクを梶原一騎が許すはずがないだろう。そうなったら、制作会社に怒鳴り込んでくる。
#*その場合、主演はウエンツ瑛士ではなかった。
#ソフトバンクのCMである「元○○のアニメキャラたちの現在」で、「あしたのジョーのジョーはボクサーを引退し現在小説家」という設定など、梶原一騎が許可するハズがないので、ピース又吉の出演はなかった。


===JBCスプリント===
===佐渡川準===
#JBCクラシックと同じ日と同じ競馬場で行われる、JBCのスプリントレース。
#『あまねあたためる』は現在でも継続中。
#日本ダート競馬で唯一最も格上の短距離王者決定戦であり、基本的に1200mで固定。
#*アシスタントだった安部真弘の『侵略!イカ娘』との合作漫画もありえた。
#2006年の川崎では出走頭数の都合上、'''JBCマイル'''として1600mで開催した。
#*しかし6年後に同競馬場で行われたときは1400mのレースとして施行された。レディスクラシックが1600mで施行されていたという事情もあるが・・・。
#2007年の大井では地元馬フジノウェーブが優勝した事で、JBCで最初の地方馬所属の優勝馬となった。
#2010年の船橋では1000mコースで開催が行われ、現在唯一の1000mでのJpnI競走になっている。


===JBCクラシック===
===しんがぎん===
#各競馬場持ち回りで行われる日本ダート競馬の祭典JBC(ジャパンブリーディングファームズカップ)のメインレース。
#ジャンプに見切りをつけ、三大誌以外に行ってたかも。
#基本的にダート2000mで固定だが、開催競馬場のコース等の都合で増減する事がある。
#*『少年探偵Q』の打ち切り後、別作でブレイクしていた場合はその限りではない。
#ほぼ毎年コースが変わるのだが、アドマイヤドンやヴァーミリアンのように連覇する馬が多数いる。
#Leaf関連の二次創作も続いており、没後にリリースされた『ToHeart2』も題材にしている。
#2020年6月現在、JBC3競走の中で未だに地方馬の勝利がない…。
#*がぎん兄さん本人が描いたタマ姉のイラスト、見たかったな…。


===全日本2歳優駿===
===鈴木義司===
#1950年に創設された重賞競走。地方の重賞としては一番歴史の長いレースになっている。
#今でも「土管の住人」と言われ続けている。
#1997年に中央・地方の交流重賞となり、統一GII(JpnII)に、2002年にGI(JpnI)に昇格した。
#『サンワリくん』や『宝くじ・ラッキー物語』は現在でも連載中。
#毎年12月に行われるダートの2歳王者決定戦であり、翌年以降のダート3歳戦線を見据えた強豪が集まるレースになっている。
#*単行本になって出版されるかも。
#実力のある地方馬が中央勢を降して優勝することもあり、トーシンブリザードやフリオーソ、ラブミーチャンなど後に長く中央馬相手に重賞勝ちを収める馬も少なくはない。
#『お笑いマンガ道場』の特番が一回ぐらいは放送されたかも。
#2011年4月6日の読売新聞に掲載された『コボちゃん』の小学校入学記念漫画『コボちゃンち』(植田まさしと『あたしンち』作者のけらえいことの合作)にサンワリ君も加わっていた。
#「お笑いマンガ道場」で共演していた川島なお美の訃報に関してコメントしていた。


===東京大賞典===
===園山俊二===
#年末の大井競馬場で行われるダート界や地方競馬は勿論、日本競馬の一年の総決算。
#『ペエスケ』は今でも連載が続いていた。
#*東京大賞典は毎年12月29日に固定されており、その日の前日までJRAの一年の開催を終えている。
#*平太が小学生になっていた。
#前身は秋の鞍。その名の通り、最初は10月の2600mで行い、その後は距離や開催日変更やG1各付けを経て、2000mの年末のビックレースとして定着。
#**ひょっとしたら、妹or弟ができてお兄ちゃんになってたかも。
#2011年からは国際競走に昇格。これを期に年に一度の国際G1ファンファーレが生演奏されている。
#***連載中にヒロミって妹が生まれていましたよ。
#*ガタピシがどこかの犬と結婚し、子犬が誕生。
#**連載中にペパーミントと結婚し、子犬(ガタペー)も生まれてますが。。。
#*『地球防衛家のヒトビト』は連載されていなかったか、他紙での連載になっていただろう。
#東海林さだおのエッセイにも時々顔を出していた。
#*『アサッテ君』の連載が終了する際に、なんらかのコメントをしていた。


==JpnII==
===玉井たけし===
;エンプレス杯
#2015年現在も『コロコロコミック』や『学習幼稚園』、『小学一年生』などに連載続けている。
#川崎競馬出身で中央に移籍後、優駿牝馬(オークス)を勝ったキヨフジを記念し、1955年に「キヨフジ記念」として創設。
#*『妖怪ウォッチ』や『甲虫王者ムシキング』などをギャグ作品として多く執筆させている。
#*現在のレース名になったのは1991年から。「キヨフジ記念」は副称となった。
#**現在も連載作品数を更新続けている。
#1995年(第42回)には中央GI馬のホクトベガが2着のアクアライデンに18馬身(3.6秒)差を付ける圧勝劇が起きた。
#*『コロコロアニキ』では再び『ウルトラ怪獣かっとび!ランド』が連載されていた。
#2012年(第58回)は2月29日に開催予定だったが降雪の影響で開催中止。振替の開催も行われなかった。


;ダイオライト記念
===ちばあきお===
#日本初の牡馬クラシック三冠を達成したセントライトの父親・ダイオライトを記念して1956年に創設。
#谷口はいずれプロに入っていた・・・・・・らしい。
#基本的には3月開催だが、2011年は震災の影響で5月に延期となった。
#兄のちばてつやとコラボした作品を発表するかも。


;兵庫チャンピオンシップ
===はらたいら===
#4歳(現:3歳)限定のダートグレード競走として2000年に創設。当初はGIIIとして開催されていたが、2004年からGII(2007年からJpnII)に格上げされた。
#『クイズダービー』の特番が組まれるたびに3枠の回答者として出演していた。
#園田競馬に3つあるダートグレード競走の一つ。
#*2008年のテレビ放送開始55周年記念特番が放送されたかも。
#地元兵庫勢の勝利は2001年(第2回)のロードバクシンの一勝のみ。
#笑福亭鶴光から引き続き弟子たちの命名を頼まれていた。
#引き続き更年期障害を取り扱った漫画を執筆していた。
#大橋巨泉との縁で、2007年の参議院議員選挙に[[民主党]]から出馬していた。
#まんが甲子園の主催者に引き続きなっていた。
#大橋巨泉や篠沢秀夫が亡くなった際に追悼のコメントをし、葬儀にも参列した。


;さきたま杯
===前川かずお===
#1997年に創設。当初は秋開催だったが2005年から開催時期が5月下旬~6月上旬に移動となった。
ここでは「ズッコケ3人組」などの前川かずお氏について触れます。
#浦和競馬に2つしかないJpnII競走(もう一つは浦和記念)。
#「ズッコケ3人組」は最終巻まで挿絵を担当。
#*(史実では前川の後任となった)高橋信也は、アニメーターという認識で終わっていた。
#「ブースカ」のリバイバル企画がありそう。


;北海道スプリントカップ
===水木しげる===
#1996年まで開催されていた短距離重賞の「金杯」を発展解消する形で1997年に創設。
#2018年、第6シリーズ『ゲゲゲの鬼太郎』前作同様に原作を大幅にアレンジされることはなく「名無し」、「石動零(いするぎれい)」と言ったオリジナルキャラの追加はなかった。
#2008年までは札幌競馬場と旭川競馬場のどちらかで開催されていたが、2009年からは門別競馬場での開催に。
#*猫娘も8頭身スタイルではなかった。
#歴代の勝ち馬は中央勢が圧倒しているが、地方勢も3勝を挙げている。
#**それはどうかな。水木御大と生前親交があった京極夏彦氏いわく「水木先生はああいうのが大好きな方でしたから、今頃『フハッ!』ってなってると思いますよ」って事だからねえ。
#*このうち、北海道勢の2勝はいずれも高齢馬が挙げたものとなっている。
#**ついでに言えば水木プロも「東映さんを信頼して間違いなかった。正常進化させていただいて嬉しい」ってコメントしている。
#**2000年のオースミダイナーは13歳(現12歳)、2020年のメイショウアイアンは10歳で当レースを勝利した。
#[[日刊スポーツ]]が優勝杯を提供している。


;関東オークス
===モンキー・パンチ(加藤一彦)===
#1965年に創設。中央との交流競走になったのは2000年から。
#彼の故郷である北海道浜中町のイベントに顔を出していた。
#南関東牝馬三冠の最終戦でもあり、地方競馬の牝馬重賞シリーズ・GRANDAME-JAPANの3歳シーズン最終戦でもある。
#大手前大学で教鞭を執っていた。
#2019年4月19日の金曜ロードショーは予定通りに「名探偵コナン 天空の難破船」が放送されていた。
#「ルパン三世 THE FIRST」の完成を見ることができ、恐らく絶賛していたことであろう。
#アニメ版第2シリーズから2010年のテレビスペシャルまで石川五ェ門役を演じた井上真樹夫が亡くなった際に追悼のコメントをしていた。
#「LUPIN THE FINAL PART」は予定通り、「トミカ絆合体 アースグランナー」の後番組として放送されていた。
#*このため、「マジカパーティ」は製作されていないため、「LUPIN THE FINAL PART」はテレビ大阪製作日曜朝9時30分枠のアニメで放送されていたかも知れない。


;日本テレビ盃
=== やなせたかし ===
#JBCクラシックへの重要なステップレース。
#1953年に[[日本テレビ]](NTV)が民放として初めて地方競馬中継を行ったことを記念し、翌1954年から「NTV盃」として創設。
#*現在のレース名になったのは1999年から。


;東京盃
# 保育園や幼稚園や自治体にイラストを無償提供するみたいな活動が主になってきたんじゃないだろうか
#JBCスプリントへの重要なステップレース。
#* やなせたかしさんに申し訳ないと思う人が続出する
#1967年に創設。1972年のみ日本教育テレビ(NET、現在の[[テレビ朝日]])が正賞を寄贈し「NET盃」として開催された。
#2002年と2003年は大井競馬場のスタンドの改修工事に伴いダート1190mで開催された。
#2019年にはコパノキッキングに騎乗した藤田菜七子が重賞初制覇&JRA女性騎手として史上初の交流重賞制覇したことで話題となった。


;レディスプレリュード
===山崎あつし===
#2003年に準重賞の「TCKディスタフ」として創設。翌2004年に重賞へ昇格。
#18禁マンガ界のカリスマ的存在になってたかも。
#JBCレディスクラシックの創設に伴い、2011年にレース名を「レディスプレリュード」に変更。同時に中央・地方の全国指定交流競走に指定された。
#*『[[けいおん!]]』や『[[wikipedia:ja:ラブプラス|ラブプラス]]』を元ネタにした漫画を描いていただろう。
#**今の時代なら『[[ラブライブ!]]』や『[[艦隊これくしょん -艦これ-|艦これ]]』も。
#事故から生還できた場合、それをネタにしたマンガを描いてたかも。
#*交通事故防止を呼びかける広告の挿絵も描いていた。
#スーパーセブンが愛車だったので、輸入車雑誌に漫画を描いていたかも知れない。
#*それをきっかけに、全年齢向けの漫画にシフトしていた可能性もありえる。
#東日本大震災が発生した際に、復興支援イベントを行っていた。


;浦和記念
===横山光輝===
#浦和競馬場で開催されるダートグレード競走の中で最もグレードの高いレース(JBC除く)。
#漫画「康熙帝」、「永楽帝」、「徳川吉宗」も。
#2001年から2008年までは「彩の国浦和記念」というレース名だった。


;名古屋グランプリ
===吉田竜夫===
#JBC2競走の創設に伴い、ダートグレード競走から外れた東海菊花賞の距離(ダート2500m)を引き継いで2001年に創設された。
#タツノコプロが史実ほど衰退することはなかった。
#*2005年(第5回)は降雪の影響で中止となった。
#*「ヤッターマン」はフジテレビ第2の看板アニメになっていた。
#地方馬の勝利は第1回(2001年)のミツアキサイレンスのみ。
#*フジテレビとタツノコプロが縁を切ることもなかった。
#『行列のできる法律相談所』のカンボジアプロジェクトにも全面協力していた。


==JpnIII==
==女性==
;佐賀記念
===杉浦日向子===
#1973年に「開設記念」として創設。現在のレース名になったのは1997年から。
#ますます「漫画家」とみなされることが減っていた。
#1995年から全国指定交流競走となり、JRAの所属馬も出走可能になった。
#*Wikipediaの記事でもエッセイストか江戸研究家が先に紹介されていた。
#佐賀競馬で年に2つしかないダートグレード競走の1つ。
#江戸文化関連で多くのテレビ番組に出演し続けている。
#*「ブラタモリ」に案内人として複数回出ていた。
#*ただし近年の日本文化礼賛番組への出演は消極的だったと思われる。
#原田実と並んで「江戸しぐさ」批判の急先鋒になっていた。
#東京オリンピック・パラリンピック準備や築地市場移転問題などで公的な委員会のメンバーとして発言する機会もあった。
#東日本大震災以後はエッセイに現代文明批判っぽい内容が増えていた。


;黒船賞
===多田かおる===
#1998年に創設された、高知競馬場で開催される唯一のダートグレード競走。
#『イタズラなKiss』の連載は無事完結していた。
#過去2回(2008年・2011年)中止になったことがある。
#*または2007年現在も続いている。
#*2008年は高知競馬の経営難、2011年は直前に発生した東日本大震災の影響でそれぞれ中止となった。
#*テレビアニメ化も実現している。キャストはCDドラマに同じ。
#過去地元馬が勝利したのは第1回(1998年)のリバーセキトバだけ。
#**現実でも2008年にアニメ化は実現。しかし最終回は別の形になっていたかも。
#**ドラマ化が縁で数回、台湾と韓国を訪問していた。
#**アニメ版・台湾版・韓国版で相原琴子の声を務めた水樹奈々と対談していた。


;マリーンカップ
===ねこぢる===
#準重賞の「マリーン・カップ」を重賞昇格という形で1997年に創設。
#「にゃーこ」と「にゃっ太」は[[電気事業連合会#東京電力の噂|東京電力]]のCMキャラクターとして採用され続けた。
#基本的には4月開催だが、2005年と2009年は6月開催だった。
#夫の山野一が「ねこぢるy」として活動することもなかった。
#2011年は4月6日に開催予定だったが東日本大震災の影響で開催中止。振替開催も行われなかった。
#*『インドぢる』はねこぢる本人により執筆されている。
#[[サッポロビール]]が優勝杯を提供している。
#sakuraの逮捕があってもラルクの「the Fourth Avenue Cafe」は存命中に出ていた。


;北海道スプリントカップ
===長谷川町子===
#1997年にそれまで行われていた短距離重賞の「金杯」を発展解消する形で創設。
#東京都世田谷区桜新町にある「長谷川町子美術館」の館長を務めている。
#2000年(第4回)は12歳(当時は13歳)馬のオースミダイナーが勝利し、ダートグレード競走の最高齢勝利記録を大きく塗り替えた。
#*その場合、姉妹社の書庫・流通センターは[[川崎市/川崎区|東扇島]]か[[東京/大田区#平和島の噂|ここ]]に移転かも。
#[[日刊スポーツ]]が優勝杯を提供している。
#2008年9月10日から流れる「Otona Glico」のCM(設定は磯野家の25年後)をプロデュースした。
#*↑のCMのキャスティングも実史と違っていたか…。
#今はやりの「萌え絵」を習得。わかめちゃんがちょっとアレな画風になる。
#*アキバ系のお母さん的存在となる。
#*麻生首相と対談する。
#*萌え絵がこのお方によって幅広い層に受け入れられる。
#アニメーション神戸の審査委員を歴任していた。
#連載新聞の垣根を越えて読売新聞の「時代の証言者」に登場していた。
#姉妹社は現在も存続している。
#『磯野家の謎』や『サザエさんの秘密』といった研究本にはかなり強硬な態度をとっていた。
#*訴訟沙汰に発展していたかもしれない。
#朝日新聞beの「サザエさんをさがして」では毎回のように証言を寄せていた。
#長生きしている限り、国民栄誉賞の受賞もなかったか遅れている。
#今でも生きていた場合高橋和江さん  
村越一郎さん 荒川太郎さん 永井一郎さん


;スパーキングレディーカップ
麻生美代子さん 増岡宏さんの訃報にたいし
#1997年に創設。翌1998年にはダートグレード競走に指定され、距離も2000mから1600mに短縮。
#2011年からは地方競馬の牝馬重賞シリーズ・GRANDAME-JAPANの古馬シーズンの開幕戦に指定された。
#川崎競馬場で4戦4勝(川崎記念2勝・エンプレス杯2勝)と無敵だったホクトベガを記念し、「ホクトベガメモリアル」という副称が設定されている。


;マーキュリーカップ
何らかのコメントをしていたかもしれない
#1997年に創設。当初は水沢競馬場で開催されていたが、第4回(2000年)から盛岡競馬場での開催になった。
#毎年海の日に開催されているが、1997年と2002年は海の日が土曜日だったため平日に開催された。
#*2020年は海の日が木曜日にスライドされた影響で、2日前の火曜日に開催。
#2017年から副称として「メイセイオペラ記念」が設定された。


;ブリーダーズゴールドカップ
===三原順===
#中央競馬と地方競馬の交流重賞として1989年に創設。
#ていうかこの漫画家知ってるか?
#*第1回当時、中央と地方の交流重賞はこのレースと帝王賞(当時は4月開催)しかなかった。
#*「恥を知りなさい!」の女議員だったら…。
#*その第1回は笠松のフェートノーザンが勝ったが、その後は馬インフルエンザの影響で所属馬が出れなかった2007年を除きJRA所属馬が勝ち続けている。
#ビリーの森ジョディの樹という漫画を完結。
#出走頭数の減少・ホッカイドウ競馬所属馬不在もあり、2014年からは牝馬限定重賞に変更。グレードもIIからIIIに格下げとなった。
#それぞれの作品の解説を詳しくやってもらう。
#開催場は1989年から1994年まで札幌、1995年から2008年まで旭川、2009年からは門別開催となっている。
#*でもファン以外誰も気にしない。
 
===山田花子===
;オーバルスプリント
#統合失調症の闘病経験を漫画にし、メンタルヘルスブームに乗りベストセラーとなる。
#1991年に「テレビ埼玉杯」として創設。現在のレース名になったのは2008年から。
#*それで有名になり、吉本興業の山田花子の方が「山田花子(お笑いタレント)」と書かれる。
#2011年から中央・地方の交流重賞に指定され、開催時期も12月から9月に移動された。
#*「吉本興業の山田花子が描いた漫画だと思っていた」というネタが「バカ日本語辞典」に投稿される。
 
#**と言うより、山田花子(タレント)の本名は渡邉京子なので仮に山田のデビュー前に有名になったとすると別の芸名になっていた可能性も
;白山大賞典
#1981年に創設。ダートグレード競走になったのは1997年から。
#金沢競馬場で開催される唯一のダートグレード競走(JBC3競走は除く)。
#2007年は馬インフルエンザの影響で、金沢所属馬限定の重賞として開催された。
 
;エーデルワイス賞
#3歳(現:2歳)牝馬限定のダートグレード競走として1998年に創設。
#*開催場・距離は第1回から札幌1700m→門別1800m→門別1200m→旭川1600m→門別1200mと変遷している。
#地元・ホッカイドウ競馬の所属馬が強く、2020年現在中央10勝に対して北海道勢は12勝(他は岩手・佐賀が1勝ずつ)。
#地方競馬の牝馬重賞シリーズ・GRANDAME-JAPANの2歳シーズン第2戦でもある。
#[[スポーツ報知|報知新聞]]が優勝杯を提供している。
 
==ダートグレード以外==
===ばんえい競馬===
;ばんえい記念(BGI)
#年度末の3月下旬に行われるばんえい競馬の総決算。旧名は農林水産大臣賞典。
#*1988年から帯広に固定。それまでは各競馬場を転々としていた。
#年度最強馬を決めるレースであり、1トンのソリを引いて行われる。
#*よくばんえいの馬は1トンのソリを引いているという話があるが、実際に1トンのソリを引くのはこのレースのみ。
#**その証拠に普段はスタート直後軽々と超える第一障害が、このレースになると第一障害でも立ち止まる馬が多くいるなど一目瞭然である。
#1トンのソリを引いている以上、1着の馬でも完走するまで4分前後かかり、ほぼ全頭完走するまでも10分以上かかるなど、平地の競馬は愚かばんえいでも最も過酷なレースである。
#*なので最後の一頭が完走するまで目を見離さない現地のお客や視聴者も多い。
#帯広単独開催に移行してからはほぼ毎年陸上自衛隊による旧重賞ファンファーレと現重賞ファンファーレのメドレー生演奏が恒例。
 
===ホッカイドウ競馬===
;コスモバルク記念(H2)
#地方所属馬として初めて国際GIを制し、中央競馬でも重賞3勝・GI2着2回と活躍したコスモバルクの功績を称え、2011年に新設された重賞競走。
#*ホッカイドウ競馬では特定の競走馬の名前を冠した重賞競走が1985年のセンジュスガタ記念(アラブ系)を最後に施行されていなかった。
#*クイーンカップ(廃止)を6連覇したシバフィルドーですら記念競走が作られなかった。
#古馬(4歳以上の馬)にとってはこのレースがシーズン最初の重賞となる。
#[[サッポロビール]]が優勝杯を提供している。
 
;赤レンガ記念(H3)
#1964年に「日本中央競馬会理事長賞」として創設。1988年から現在のレース名に変更された。
#2000年までは道営記念への前哨戦として秋に開催されていたが、2001年から瑞穂賞と開催時期を入れ替え春の開催(4月or5月)となった。
#*2011年から2014年まではコスモバルク記念の新設に伴い7月に開催されていたが、2015年から5月開催に戻った。
 
;ヒダカソウカップ(H3)
#牝馬限定の重賞競走として2015年に新設。
#[[エア・ドゥ|AIR DO]]が優勝杯を提供している。
 
;北海優駿(H1)
#1973年に創設。「ダービー」という副称がある。
#2006年までは秋に開催されていたが、2007年のダービーWeek(現:ダービーシリーズ)新設に伴い開催時期が秋から6月開催に移動。
#2008年の旭川競馬場の廃止に伴い、2009年からは開催場が門別競馬場に固定された。
#[[札幌テレビ放送]]が優勝杯を提供している。
 
;栄冠賞(H2)
#中央・地方含めて最も早く開催される2歳重賞。創設は1976年。
#函館2歳S(JRA)のトライアルレースにも位置付けられているが、当レース→函館2歳S(函館3歳S)と連勝したのは1999年のエンゼルカロのみ。
#[[テレビ北海道]]が優勝杯を提供している。
 
;グランシャリオ門別スプリント(H2)
#2011年に創設された地方競馬スーパースプリントシリーズ(SSS)の北海道・岩手地区のトライアル競走として同年より新設。
#*当初は特別競走として行われていたが、2015年から重賞(H3)に格上げ。
#*2016年からは岩手にもトライアル競走の早池峰スーパースプリントが新設されたため、同年からは北海道所属限定に条件が変更されている。
#2020年からはH2に格上げされ、同時に[[雪印メグミルク]]が優勝杯を提供することになった。
 
;星雲賞(H3)
#古馬重賞競走として2004年に新設。2014年までのレース格付けはH2だった。
#2009年まで[[サンケイスポーツ]]が優勝杯を提供していた。
#*現在は産経新聞が発行している競馬専門雑誌・週刊Gallopが優勝杯を提供している。
 
;ノースクイーンカップ(H2)
#2002年に新設された重賞競走。前身は1974年から1996年まで施行されていた「クイーンカップ」。
#2010年からそれまでのH3からH2に格上げされ、同時にGRANDAME-JAPANの古馬シーズンの対象競走に指定された。
#[[サンケイスポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;王冠賞(H2)
#ホッカイドウ競馬の3歳三冠競走の最終戦。創設は1980年。
#開催場や距離が度々変わっており、門別開催になったのは2009年から。
#[[北海道新聞]]が優勝杯を提供している。
 
;エトワール賞(H2)
#古馬重賞競走として2001年に新設。門別開催になったのは2009年から。
#2013年(第13回)は当初5月16日に開催される予定だったが濃霧のため順延となり、翌週の5月23日に振替開催となった。
#[[北海道放送]]が優勝杯を提供している。
 
;リリーカップ(H3)
#2歳牝馬限定の重賞競走として2004年に新設。
#*距離は第1回からダート1000mだったが、2014年(第11回)からダート1200mに延長された。
#優勝馬には[[#エーデルワイス賞|エーデルワイス賞]]への優先出走権が与えられる。
#[[北海道テレビ放送]]が優勝杯を提供している。
 
;サッポロクラシックカップ(H2)
#2009年に特別競走として創設。2014年から重賞に昇格した。
#レース名の「サッポロクラシック」は、[[サッポロビール]]が北海道限定で発売しているビールの商品名から来ている。
#2020年から距離が1200mから1700mに延長される予定。
 
;フローラルカップ(H3)
#2歳牝馬限定の重賞競走として2001年に新設。
#上位2着までに入った馬には[[#エーデルワイス賞|エーデルワイス賞]]の優先出走権が与えられる。
#[[北海道文化放送]]が優勝杯を提供している。
#2018年(第18回)は当初9月20日に開催される予定だったが北海道胆振東部地震のため順延となり、翌週の9月26日に振替開催となった。
 
;サンライズカップ(H1)
#2歳馬の重賞競走として2001年に新設。
#第1回から第4回までは門別競馬場で、第5回から第8回までは旭川競馬場で開催され、第9回からは再び門別に開催場が戻っている。
#2015年にそれまでのH3からH2に格上げされ、2020年にはH2からH1に更に格上げされた。
#*2020年からはJBC2歳優駿(旧・北海道2歳優駿)の指定競走として行われる。
 
;道営記念(H1)
#門別競馬場の年度末の最終レースに行われる、ホッカイドウ競馬の総決算。
#有馬記念同様、ファン投票が行われる。
#一時期札幌競馬場でやった時は通常のダートコースよりも長い2485mで開催した事がある。
#地元の高校のブラスバンド部がファンファーレを演奏している。
 
;道営スプリント(H1)
#2006年に新設された短距離重賞。
#第1回から第3回(2008年)までは旭川競馬場のダート1000mで行われていたが、旭川競馬場の廃止に伴い第4回(2009年)からは門別競馬場のダート1200mで定着している。
#2020年よりグレードをH2からH1に格上げし、開催日が年度最終日(道営記念と同日開催)に移動となった。
#*それと同時にJBCスプリントの指定競走からも外れた。指定競走は新設重賞のウポポイオータムスプリントが引き継ぐことに。
#[[東京スポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
===岩手県競馬組合===
;トウケイニセイ記念(M2)
#1990年代に岩手競馬で活躍した名馬・トウケイニセイの功績を記念して2000年に創設。
#2010年から[[東京スポーツ]]が優勝杯を提供している。
#2018年は岩手競馬の薬物問題の影響で開催中止となった。
 
;留守杯日高賞(M1)
#アングロアラブ系4歳(現3歳)馬限定の重賞として1969年に創設。
#*1999年の第31回を最後に一旦廃止されたが、2001年からサラブレッド系3歳牝馬限定の重賞にリニューアルして現在に至っている。
#レース名の「日高」は4月下旬に水沢の日高神社で行われる「日高火防祭」に由来している。
 
;シアンモア記念(M1)
#岩手の小岩井牧場に輸入された種牡馬・シアンモアの功績を記念して1975年に創設。
#2020年からは[[岩手のメディア#エフエム岩手|エフエム岩手]]が優勝杯を提供している。
#*それ以前の2001年から2007年までは[[岩手のメディア#岩手朝日テレビ|岩手朝日テレビ]]が優勝杯を提供していた。
 
;ビューチフルドリーマーカップ(M1)
#岩手の小岩井農場に輸入された繫殖牝馬・ビューチフルドリーマーの功績を記念して1975年に創設。
#*2000年に重賞に格上げされ、2005年からは地方競馬の全国交流競走に。
#*2011年は震災の影響で水沢競馬場の開催が中止になったため、盛岡競馬場での振替開催となった。
#1976年から2014年までは「ビューチフル・ドリーマーカップ」と、中黒(・)を使用した表記を岩手競馬も正式名称として認めていた。
#*その後「馬の名前に中黒が入るのはおかしい、本来の名称に戻すべき」という意見を受け入れ、2015年から表記が元通りに。
 
;OROカップ(M1)
#1999年に創設。2003年から地方競馬全国交流競走となった。
#岩手競馬で行われる芝のレースとしては最高峰の競走でもある。
#距離は芝2400m→芝1700m→芝1600m→芝1700mと変遷。2002年は降雪の影響でダート1600mで開催された。
 
;ダービーグランプリ(M1)
#1986年に地方4歳(現3歳)馬のチャンピオン決定戦として創設。当初は水沢競馬場のダート2000mで開催されていた。
#1996年から開催場を盛岡競馬場に移動。同時に中央の所属馬も出走可能になり、ユニコーンS(東京)・スーパーダートダービー(大井)と共に4歳ダート3冠シリーズを形成した。
#2008年と2009年は開催を休止していたが、2010年に地方競馬の全国交流競走として水沢競馬場で復活。
 
;桐花賞(M1)
#岩手競馬の大晦日の大一番。創設は1975年。
#*1992年・1999年・2005年は正月に開催された。
#2018年は岩手競馬の薬物問題の影響で開催中止となってしまった。
 
===南関東競馬===
;ニューイヤーカップ(SIII)
#浦和競馬で新年最初に行われる3歳馬の重賞競走。
#1958年に「ニューイヤーハンデ」として創設。現在のレース名になったのは1962年から。
#1972年は馬流行性感冒(馬インフルエンザ)で、1998年は降雪の影響でそれぞれ開催中止となった。
#因みに同名の競走が金沢と佐賀で開催されていたが、現在は両方とも廃止されている。
 
;船橋記念(SIII)
#船橋競馬で新年最初に行われるスプリント重賞。
#*元々はアラブの重賞として開催されていたが、1997年を最後に南関東でアラブ系の競走が全廃されたこともあり、この年のみサラブレッド系との混合戦の「オールカマー」として施行。
#*翌1998年からはサラブレッド系・ダート1800mの重賞として行われていたが、2005年度から短距離路線の拡充を図り距離を1000mに短縮。開催時期も6月から1月に移動となった。
#[[サンケイスポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;金盃(SII)
#創設は1956年。当初は秋に開催されていたが、1964年の東京オリンピック記念(現:東京記念)の創設に伴い開催時期を春に移動。
#*1979年からは冬の開催になって現在に至っている。
#2015年からは大井記念と距離を交換し2600mの長距離戦に。
#[[中日スポーツ#東京中日スポーツ(トーチュウ)の噂|東京中日スポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;フジノウェーブ記念(SIII)
#2010年にそれまで準重賞として施行されていた「スプリングカップ」を重賞に格上げ。同時にレース名も「東京スプリング盃」に変更された。
#その第1回から第4回まで同レース4連覇を達成したフジノウェーブの功績を称え、2014年からレース名も現在の名称に。
#[[東京MXテレビ|TOKYO MX]]が優勝杯を提供している。
 
;桜花賞(SI)
#1966年に創設。東京プリンセス賞(大井)・関東オークス(川崎)とともに南関東牝馬三冠競走を形成している。
#距離は中央の桜花賞と同じく1600mだが、浦和の1600mのスタート地点は3コーナーの途中にあり、その影響で外枠は圧倒的に不利。
#トライアル競走としてユングフラウ賞(浦和)・桃花賞(大井)・ティアラカップ(浦和)の3つが存在する。
#2011年は震災の影響でレースそのものが行われなかった。
#2014年には圧倒的1番人気に支持されていた馬が締切後に故障を発して競走除外。レース売上の70%が返還されるという事態になってしまった。
 
;クラウンカップ(SIII)
#それまで準重賞として行われていた同名の競走が1998年に重賞に昇格。
#羽田盃のトライアル競走として施行されているが、年度によっては東京ダービーのトライアル競走として行われたこともある。
#2009年から[[中日スポーツ#東京中日スポーツ(トーチュウ)の噂|東京中日スポーツ]]が優勝杯を提供している。
#*それ以前の2004年から2008年までは内外タイムスが優勝杯を提供していた。
 
;羽田盃(SI)
#南関東三冠競走の一冠目。1956年に創設され、当時の名称は大井盃。1964年に羽田盃という名称になった。これはかつて存在した羽田競馬場の名から取られている。
#開催時期は4月下旬~5月上旬となっており、他の三冠レースと違い開催時期は固定されていない。
#5着までに東京ダービーへの優先出走権が与えられ、さらに1着馬にはジャパンダートダービーへの優先出走権も与えられる。
 
;しらさぎ賞(SIII)
#1962年にダート2000mの重賞・開設記念として創設。現在のレース名になったのは1965年から。
#*2007年からは牝馬限定の重賞にリニューアルされた。
#レース名の由来は浦和市にあった鷺の生息地・野田のサギ山(現:さぎ山記念公園)に由来している。
 
;東京湾カップ(SII)
#1987年に創設。当初は12月に開催されていたが、2004年から開催時期が5月に移動し東京ダービーのトライアル競走に指定された。
#2005年は6月に開催されたが、2006年からは再び5月開催に戻って現在に至っている。
#*2020年にSIIIからSIIに格上げされた。
#2004年から[[日刊スポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;東京ダービー(SI)
#南関東クラシック三冠の第二戦であり、ダービーシリーズの一つ。
#ダートグレード以外の地方競馬のダービーの中で最も賞金が高く、上位二頭がジャパンダートダービーの優先出走権が与えられる。
#何故か的場文男騎手が優勝した経験がないレースとしても有名。
#*2018年までに37回挑戦して2着は10回もあるのだが…。
#*中には「圧倒的人気馬に騎乗したがスタートで大出遅れ」「三冠第一戦の羽田盃を圧勝したが故障で出走できず」といったものもある。
#サッカーファンには[[FC東京|違った]][[東京ヴェルディ|解釈]]をされる。
#*こちらは最後に開催されたのは2011年J2。
 
;習志野きらっとスプリント(SI)
#地方競馬の超短距離(1000m以下)重賞シリーズ・地方競馬スーパースプリントシリーズ(SSS)の決勝戦として2011年に創設。
#*2017年まではSIIIだったが2018年からSIIに昇格。更に2020年からはSIに昇格した。
#門別・盛岡・川崎・金沢・園田・佐賀のトライアル重賞を勝った馬がこのレースに参戦する。
#*因みに第1回は出走14頭のうち8頭が他地区所属馬だった。
 
;マイルグランプリ(SII)
#南関東のマイル最強馬決定戦として1995年に創設。1997年には南関東G1に格付けされた。
#かしわ記念のGI格上げに伴い2005年からは南関東G2に格下げされ、かしわ記念へのトライアルレースという位置付けに。
#2011年は開催時期の移動に伴い3月と11月に2回開催される予定だったが、3月分の開催は震災の影響で中止となった。
#2020年からサンタアニタTと開催時期を交換し、7月下旬の開催に変更となった。
 
;黒潮盃(SII)
#1967年に創設。第1回の勝ち馬・ヒカルタカイはその後南関東の三冠馬に輝き、更に中央に移籍し春の天皇賞と宝塚記念を制した。
#1998年までは南関東三冠競走の前哨戦として4月に開催されていたが、ジャパンダートダービーの新設に伴い1999年から8月に移動となった。
#[[日刊スポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;ゴールドジュニア(SIII)
#南関東競馬の2歳重賞路線整備の一環として、2019年まで行われていた準重賞の「ゴールドジュニアー」から「ー」を取って2020年から重賞に昇格。
#*第1回の勝ち馬・アランバローズはその後ハイセイコー記念・全日本2歳優駿を無敗で制した。
#[[東京モノレール]]が優勝杯を提供している。
 
;戸塚記念(SI)
#川崎競馬場の前身の戸塚競馬場を記念し1971年に創設。1986年を除き重賞競走として施行されている。
#2017年の3歳秋のチャンピオンシップ創設に伴い、当レースはカテゴリーB競走に指定された。
#[[サンケイスポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;アフター5スター賞(SIII)
#1994年に創設。2001年までは距離が1800mだったが、スタンドの改修工事の影響で2002年は1790m・2003年は1190mで施行。2004年からは1200mでの開催となり現在に至っている。
#概ね8月下旬か9月上旬に開催されるが、2007年は馬インフルエンザの影響で11月に延期開催となった。
#[[スポーツニッポン]]が優勝杯を提供している。
 
;東京記念(SI)
#1964年の東京オリンピック開催を記念して創設された重賞競走。
#*1977年までは「東京オリンピック記念」というレース名だった。
#第1回から距離は2400mで固定されている。
#[[スポーツ報知]]が優勝杯を提供している。
 
;鎌倉記念(SII)
#2歳馬限定の重賞競走として2001年に新設。
#*同名の重賞競走が1983年まで行われていたが、こちらはアラブ系4歳(現:3歳)馬限定の重賞競走だった。
#[[スポーツニッポン]]が優勝杯を提供している。
 
;平和賞(SIII)
#1955年に創設された2歳馬限定の重賞競走。
#*因みに戦後の1947年の天皇賞・春が同じ名前で開催されていたことがある。
#全日本2歳優駿へのトライアル競走でもある。
 
;サンタアニタトロフィー(SIII)
#1980年に「関東盃」として創設。1996年に大井競馬場とアメリカのサンタアニタパーク競馬場が交流提携を結んだことを記念し、現在のレース名に改称された。
#2011年のみ国際招待競走として開催され、外国馬のレッドアラートデイ(アメリカ)が参戦した。
#2020年から開催時期が7月から11月に移動予定。
 
;ローレル賞(SII)
#3歳牝馬限定の重賞競走として2001年に創設。2003年度から開催時期が秋に移動し、2歳牝馬限定の重賞競走に。
#2006年のみJBCクラシックの前座競走として開催された。
#[[神奈川のメディア#神奈川新聞|神奈川新聞]]が優勝杯を提供している。
 
;ロジータ記念(SI)
#1989年に牝馬ながら南関東の牡馬三冠競走を制したロジータを記念して1990年に創設。
#2001年までは12月に開催されていたが、2002年から開催時期が10月 - 11月に移動された。
#2006年(第17回)は川崎競馬場で行われたJBC競走のアンダーカードとして行われた。
#[[デイリースポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;ゴールドカップ(SII)
#1957年に創設。2001年まではダート2000mの4歳(3歳)馬限定のハンデ重賞として開催されていた。
#2002年から2007年までは休止されていたが、2008年にダート1500mの古馬別定重賞として開催が再開された。
#*2011年からは開催時期が6月・7月から12月に移動。
#レース格も2017年にSIIIからSIIに昇格。同時に距離も100m短縮され1400mでの開催となった。
#*2021年からはSIに格付けされる予定。
 
;東京2歳優駿牝馬(SI)
#日本初の3歳(2歳)牝馬限定の重賞として1977年に「東京3歳優駿牝馬」の名称で創設。現在のレース名になったのは2001年から。
#地方競馬の牝馬重賞シリーズ・GRANDAME-JAPANの2歳シーズン最終戦でもある。
#2007年から開催日が大晦日に固定されている。
 
===愛知県競馬組合===
;新春ペガサスカップ(SPI)
#4歳(現:3歳)馬限定の重賞競走「ペガサスカップ」として1999年に創設。現在のレース名になったのは2005年から。
#[[スポーツ報知]]が2014年から優勝杯を提供している。
#*それ以前には[[日刊スポーツ]](2005年から2008年まで)・[[三重のメディア#伊勢新聞|伊勢新聞]](2013年のみ)が優勝杯を提供していた年もあった。
#2016年(第18回)は1月20日に開催予定だったが雪の影響で全レースが中止となり、2ヶ月後の3月17日に順延となった。
 
;スプリングカップ(SPI)
#4歳(現:3歳)馬の重賞競走として1973年に創設。
#*何故か1980年・1983年・1986年は開催されなかった。
#2016年から[[スポーツニッポン]]が優勝杯を提供している。
#*それ以前には[[三重のメディア#三重テレビ放送|三重テレビ放送]]・名古屋タイムズ・中京スポーツ・[[スポーツ報知]]が優勝杯を提供していた年もあった。
 
;若草賞(SPI)
#3歳牝馬の重賞競走として2003年に創設。
#*開催場は笠松競馬場(2003年から2008年まで)→福山競馬場(2009年から2013年まで)を経て、現在の名古屋開催になったのは2014年から。
#2011年からGRANDAME-JAPAN3歳シーズンの対象競走に指定されている。
#[[サンケイスポーツ]]が2009年から優勝杯を提供している。
#*それ以前には[[日刊スポーツ]]が優勝杯を提供していた年もあった。
 
;東海桜花賞(SPI)
#1961年に創設。当初は名古屋競馬場のダート2400m(第1回のみ2500m)で開催されていたが、1971年からは基本的に中京競馬場の芝2000mでの開催になった。
#*但し年度によっては中央競馬の厩務員ストライキや中京の馬場改修工事の影響で、名古屋のダート2400m(1993年のみ2500m)で開催されることもあった。
#1995年の開催を最後に中京競馬場での開催が消滅し、翌1996年からは名古屋のダート1900mに条件が変更された。
#*更にその3年後の1999年からはGW開催にダートグレード競走のかきつばた記念が新設されたこともあり、開催時期が1ヶ月繰り上がって4月の開催となり現在に至っている。
 
;駿蹄賞(SPI)
#「中日スポーツ杯・春」として1962年に創設。現在のレース名になったのは1991年から。
#1983年から1995年までは中京競馬場の芝1800mで行われていた(1993年除く)。
#ゴールドウィング賞と同じく[[中日スポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;東海ダービー(SPI)
#1971年に「東海優駿」として創設。当初は条件・距離・開催場が年によってバラバラだったが、1980年からレース名が東海ダービーに変更された。
#1996年からは中央・地方の全国交流競走となり中央所属馬も出走可能になった。レース名も同時に名古屋優駿に変わり、従来の東海ダービーは副称となった。
#翌1997年からはGIIIに格付けされ、更に2004年にはGIIに格上げされたが、JBC開催の費用を捻出するため2005年にダートグレード競走から撤退。レース名も東海ダービーに戻った。
 
;クイーンカップ(SPIII)
#4歳(現:3歳)牝馬の重賞競走「クイーン特別」として1978年に創設。
#*「サラ・クイーン特別」(1992年から2001年まで)→「サラ・クイーンカップ」(2002年から2008年まで)を経て、2009年から現在のレース名に。
#[[日刊スポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;秋の鞍(SPI)
#4歳(現:3歳)馬の重賞競走として1979年に創設。
#*2004年から2014年までの中断期間を挟み、2015年から全国交流競走として再開された。
#[[サンケイスポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;ゴールドウィング賞(SPI)
#「中日スポーツ杯・秋」として1962年に創設。現在のレース名になったのは1991年から。
#一時期は他地区所属馬も出走可能な交流重賞として施行されていたが、2013年以後は東海地区所属馬限定の重賞となっている。
#駿蹄賞と同じく[[中日スポーツ]]が優勝杯を提供している。
#*2006年に中日ドラゴンズがセ・リーグを優勝した時には「祝・中日ドラゴンズセントラル優勝記念」という副称が付いたこともある。
 
;東海菊花賞(SPI)
#1960年に創設。1974年から1976年までは中京競馬場の芝2000mで開催されていた。
#長らく東海地区(愛知・笠松)所属馬限定競走として行われていたが、1996年からは全国指定交流競走となり中央所属馬も出走可能になった。
#2001年に競走体系の見直しと名古屋グランプリの新設により、ダートグレード競走から再び東海地区所属馬限定となった。
#*2016年からは地方競馬の全国交流競走として施行されている。
 
===笠松競馬場===
;オグリキャップ記念(SPI)
#笠松競馬出身で中央移籍後にGIを4勝、第二次競馬ブームの立役者として大活躍したオグリキャップを記念して1992年に創設。
#1995年からは中央・地方の全国交流競走に指定され、1997年からはGIIに格付けされた。
#笠松競馬の経営問題もあり2005年にダートグレード競走からは撤退。
#*それ以降は東海・北陸・近畿地区の交流競走(2005年~2007年)→地方競馬の全国交流競走(2008年~)と変遷して現在に至っている。
#2001年(第10回)は最後の直線コースで実況アナウンサーの呂律が回らなくなり、その結果「'''ファストフレンドはとどかにゃい!'''」という迷実況が生まれてしまった。
 
;サマーカップ(SPII)
#古馬重賞競走として1978年に創設。
#*東海地区の重賞格付け制度施行に伴い1996年からSPIIIに格付け。2019年からはSPIIに格上げされた。
#[[スポーツニッポン]]が優勝杯を提供している。
#2020年は笠松競馬場の走路改修工事に伴い開催休止となった。
 
;笠松グランプリ(SPI)
#2004年に廃止された全日本サラブレッドカップの距離と条件を引き継いで2005年に新設。
#*当初は東海・北陸・近畿の交流競走だったが、翌2006年からは中国地区(福山)も入り4地区の交流競走となった。
#**2012年からは地方競馬の全国交流競走として施行されている。
#笠松競馬に3つある全国交流競走の一つ。
 
;ラブミーチャン記念(SPI)
#1977年に「サラ・プリンセス特別」として創設。2009年から「サラ」の冠が取れ、レース名を「プリンセス特別」に改称。
#笠松所属で交流重賞を5勝したラブミーシャンを記念して、2014年から現在のレース名に改称された。
#笠松競馬に3つある全国交流競走の一つ。
#[[スポーツニッポン]]が優勝杯を提供している。
 
===金沢競馬場===
;MRO金賞
#「MRO銀杯賞」として1957年に創設。翌1958年から現在のレース名に。
#1995年から1998年までは中央競馬との交流競走として開催されていた。
#[[北陸放送]]が優勝杯を提供している(レース名の「MRO」は北陸放送の略称)。
 
;イヌワシ賞
#2005年に「いぬ鷲賞」をリニューアルし創設された重賞競走。
#*2018年から全国交流競走となった。
#[[#白山大賞典|白山大賞典]]のトライアル競走に指定されており、1着馬には優先出走権が与えられる。
#[[石川のメディア#北國新聞|北國新聞]]が優勝杯を提供している。
 
;金沢プリンセスカップ
#2歳牝馬の重賞競走「プリンセスカップ」として2005年に創設。現在のレース名になったのは2012年から。
#[[石川テレビ放送|石川テレビ]]が優勝杯を提供している。
 
;金沢ヤングチャンピオン
#4歳(現:3歳)馬の重賞競走「サラブレッドヤングチャンピオン」として1999年に創設。
#*年2回開催となった2004年の2回目(第7回)から2歳馬の重賞競走にリニューアルし、金沢競馬の2歳チャンピオン決定戦として位置付けられた。
#[[テレビ金沢]]が優勝杯を提供している。
#2002年(第4回)は雪の影響で開催されなかった。
 
===兵庫県競馬組合===
;白鷺賞(重賞I)
#アングロアラブ系の重賞競走として1973年に創設。
#*2004年は開催されず、2005年はサラブレッド系の重賞競走として開催されたが、その後は姫路競馬場の開催休止もあり15年間開催されなかった。
#その後、姫路競馬場の開催再開に伴い2020年に北陸・東海・近畿地区の交流重賞として復活。
#*翌2021年からは西日本地区の交流重賞となり、高知・佐賀所属馬も出走可能に。優勝賞金も1000万円に増額された。
#[[兵庫のメディア#神戸新聞|神戸新聞]]が優勝杯を提供している。
 
;六甲盃(重賞I)
#1962年に創設。1999年までは兵庫アラブ三冠の第3戦として10月に開催されていた。
#サラブレッドの導入に伴い、2000年からサラブレッド系の重賞競走にリニューアル。
#2019年は日程の関係上、年2回(3月・6月)の開催となった。
#[[日刊スポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;兵庫ダービー(重賞I)
#2000年に「園田ダービー」として創設。現在のレース名になったのは2006年から。
#基本的に園田競馬場のダート1870mで開催されるが、2009年と2010年は姫路競馬場で開催された(2009年は1800m、2010年は2000mで施行)。
#*2006年(第7回)も姫路で開催される予定だったが、馬場改修工事の影響で園田での開催に変更となった。
 
;園田プリンセスカップ(重賞II)
#兵庫県競馬のサラブレッド系競走開始に伴い、3歳(現:2歳)牝馬限定の重賞競走として1999年に創設。
#2006年は姫路競馬場で開催されたため、レース名が「姫路プリンセスカップ」に変更された。
#[[スポーツニッポン]]が優勝杯を提供している。
 
;兵庫若駒賞(重賞I)
#特別競走のプリンスリートロフィーを重賞格上げ・レース名改称という形で2008年に創設された。
#1着馬には兵庫ジュニアグランプリへの優先出走権が与えられる。
#大阪スポーツが優勝杯を提供している。
 
;楠賞(重賞I)
#前身はアラブ系の日本ダービーと呼ばれた「楠賞全日本アラブ優駿」。アラブ系の規模縮小に伴い2004年からはサラブレッド系の重賞競走に。
#2008年はJBC当日の前座競走として、3歳馬限定の重賞として行われた。
#2012年の開催を最後に休止されていたが、2018年に復活。距離は1870mから1400mに短縮された。
 
===高知競馬場===
;大高坂<!--おおたかさ-->賞
#元々は福山競馬で開催されていた高知競馬との交流重賞だったが、2013年の福山廃止に伴い高知に移動。
#1着馬には黒船賞の優先出走権が与えられる。
#レース名の「大高坂」は高知城の旧称・大高坂城から名付けられた。
 
 
;福永洋一記念
#1970年から1978年まで中央競馬で9年連続リーディングジョッキーを獲得した福永洋一を記念して2010年に創設。
#第1回の表彰式には福永洋一本人がプレゼンターとして高知競馬場を訪れた。
#*第6回では息子である福永祐一騎手が騎乗。
#**以降は福永祐一騎手がプレゼンターとして来場している。
 
;トレノ賞
#1997年にサラブレッド系の古馬重賞として創設。2001年から2007年までは開催が休止されていた。
#[[高知さんさんテレビ]]が優勝杯を提供している。
 
;黒潮菊花賞
#高知競馬の3歳クラシック三冠の最終戦として1997年に創設。
#2009年から2011年までは近畿・中国・四国地区の交流重賞だった。
#[[サンケイスポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
;高知県知事賞
#1969年に「組合記念」として創設。現在のレース名になったのは1999年から。同時に開催日も大晦日に固定された。
#中央競馬・地方競馬含め、一年で最後に行われる重賞競走。
 
===佐賀県競馬組合===
;たんぽぽ賞
#1971年に小倉競馬場での特別競走として創設。1989年からは九州産馬限定競走となった。
#1997年からは九州の地方競馬3場(中津・荒尾・佐賀)での持ち回り開催に移行したが、2001年の中津競馬場の廃止もあり2002年からは荒尾競馬場での開催に固定。
#*2011年の荒尾競馬廃止に伴い、第16回の開催は2012年2月から2011年12月に繰り上げ。2歳馬の重賞競走として開催された。
#**このため2012年は開催されず、第17回は2013年2月に佐賀競馬場で開催された。
 
;飛燕賞
#3歳馬限定の重賞競走として2005年に創設。レース名はロータスクラウン賞と共に一般公募で命名された。
#[[佐賀のメディア#NBCラジオ佐賀|NBCラジオ佐賀]]が優勝杯を提供している。
 
;ル・プランタン賞
#1987年から行われていたニューイヤーカップの後継競走として2003年に創設。
#*開催年度の関係上、第1回(3月23日)の18日後には早くも第2回(4月13日)が開催された。
#*第1回は牡馬・セン馬の出走が可能だったが、第2回からは牝馬限定の重賞になった。
#2010年からは地方競馬の全国交流競走とGRANDAME-JAPANの3歳シーズンの対象競走に指定された。
#[[サガテレビ]]が優勝杯を提供している。
 
;佐賀ヴィーナスカップ
#2017年に新設。その翌年の2018年からはGRANDAME-JAPANの古馬シーズンの対象競走に指定された。
#[[サガン鳥栖]]が優勝杯を提供している。
 
;ロータスクラウン賞
#1990年に「九州菊花賞」として創設。現在のレース名になったのは2004年から。
#佐賀競馬の3歳三冠競走の最終戦でもあり、3歳秋のチャンピオンシップシリーズのカテゴリーC競走でもある。
#[[スポーツ報知]]が優勝杯を提供している。
 
;霧島賞
#1960年に創設。1996年までは小倉競馬場(中央)で九州産馬限定の特別戦として施行されていた。
#1997年から九州の地方競馬3場(中津・佐賀・荒尾)での持ち回り開催に移行したが、2001年の中津競馬の廃止に伴い荒尾での開催に固定。
#*2011年には荒尾競馬も廃止となり、2012年からは佐賀競馬場での開催となっている。
#2007年は8月28日に開催予定だったが中央競馬での馬インフルエンザの流行に伴い、翌2008年1月に改めて開催された。
 
;九州ジュニアチャンピオン
#サラブレッド系3歳馬(現2歳馬)による重賞競走・ジュニアチャンピオンとして1990年に創設。
#*九州(佐賀・荒尾・中津)地区交流競走となった2000年から現在のレース名に。
#距離は第1回から1750mで開催されていたが、2018年からは距離が1400mに短縮された。
#[[佐賀のメディア#佐賀新聞|佐賀新聞]]が優勝杯を提供している。
 
;中島記念
#1978年に「ファン選抜特別」として創設。現在のレース名になったのは1985年から。
#*レース名の「中島」は、佐賀競馬場の鳥栖市移転に大きく関わるなど佐賀競馬の発展に貢献した中島憲義氏が由来となっている。
#[[日刊スポーツ]]が優勝杯を提供している。
 
==廃止された競走==
;北海道2歳優駿(JpnIII/門別競馬場)
#1974年に「北海道3歳優駿」として創設。馬齢表記の変更に伴い2001年からは「北海道2歳優駿」と改称された。
#*ダートグレード競走に指定されたのは1997年から。
#**その1997年から2019年までの優勝馬の内訳は、中央12勝・地方11勝(全てホッカイドウ競馬所属)。
#2018年にはレース後に1着馬と2着馬の着順を取り違えていたことが判明してしまった。
#2020年から本競走を発展した形で「JBC2歳優駿」が新設されるため、このレースは2019年をもって廃止ということになった。
 
;グランドチャンピオン2000(大井競馬場)
#大井競馬のナイターシーズンを締め括る一戦として1990年に新設。
#レース名の「2000」は2000mと2000年を意識して付けられた。
#2001年からほぼ同時期に行われるJBC競走の開催に伴い、大井で行われる第1回のJBCクラシックに統合される形で廃止となった。
 
;ファイナルグランプリ(福山競馬場)
#福山競馬の年度内を締め括る古馬サラブレッドの重賞競走として2008年に創設。
#*但し創設当初はアングロアラブ系の出走も可能で、第1回の勝ち馬・ユノフォーティーンはアングロアラブ系だった。
#福山競馬の廃止に伴い、2013年(勝ち馬:ビーボタンダッシュ)を最後に廃止。
#*福山競馬もこのレースを最後に全ての開催を終了した。
 
;ローゼンホーマ記念(福山競馬場)
#福山競馬で活躍したアラブの名馬・ローゼンホーマを記念して1990年に創設。副称は「福山グランプリ」。
#長らく福山所属馬限定の重賞として行われたが、2007年のみ地方競馬の全国交流競走の「全日本ローゼンホーマ記念」として開催された。
#全国的なアラブ系の減少に伴い2007年をもって開催を終了。レースの役割はサラ系・アラ系混合の「ファイナルグランプリ」に引き継がれた。
 
;九州ジュニアグランプリ(荒尾競馬場<!--KJ2-->)
#1973年に「3歳優駿」として創設。1977年から競走条件がサラブレッド系限定になり、レース名を「サラブレッド系3歳優駿」に改称。
#*馬齢表記の変更に伴い、2001年からレース名を「九州ジュニアグランプリ」に再改称。
#[[スポーツニッポン]]が優勝杯を提供していた。
#荒尾競馬の廃止に伴い、2011年(第32回、勝ち馬:ガルホーム)の開催を最後にこのレースも廃止となった。


==関連項目==
==関連項目==
*[[競馬場/地方競馬]]
*[[もし手塚治虫が長生きしていたら]]
*[[中央競馬の競走]]
*[[もし藤子・F・不二雄が長生きしていたら]]


[[Category:競馬|きようそうちほう]]
[[カテゴリ:もしあの人が健在だったら|まんかか]]

2021年9月7日 (火) 17:19時点における版

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男性

青木雄二

  1. 大阪で日本共産党から国会議員に立候補していた。
    • いや、寧ろ今の共産党には批判的になっているかと。
    • 共産主義者ではあったけど共産党支持者だったかどうかはなんとも言えないよね。
    • 民主党の分裂後のどれかから立候補ならあるかも。でも長くて1期。
  2. 相変わらず安っぽいゼニ道エッセイで小銭を稼いでいた。
  3. 「たかじんのNOマネー」にコメンテーターとして出演していた。

赤塚不二夫

  1. 『天才バカヴォン〜蘇るフランダースの犬〜』や『おそ松さん』は存在していなかった。
    • 内容が変わっていた。
      • 多分今よりひどくなっていた
  2. 『天才バカボン〜家族の絆』にゲスト出演していた。
    • 本作の主題歌を歌っていた(史実ではタモリが担当)。
  3. 東日本大震災が発生した際に、復興支援イベントを行っていたかも。
  4. 終盤の笑っていいともの『テレフォンショッキング』に約16年ぶりに出演していた。
  5. Y!mobileのCMに芦田愛菜、吉岡里帆、出川哲郎、片岡愛之助と共演していた。

石ノ森章太郎

  1. 仮面ライダー龍騎は無し、あっても大幅に設定が変わっていた。
    • 555も無かったかもしれない。
    • オンドゥル語も誕生していなかった。
    • そのまま行けそうなのはクウガとWぐらいか・・・。
      • というか亡くなった後仮面ライダーをやろうと決めたのだから、亡くなっていないならメタルヒーローシリーズが続いている。
        • いや待て、真仮面ライダー完結編と仮面ライダーEVEがあるぞ!
      • したがって仮にクウガやアギトをやっていたとしても、やっぱり終盤には昭和ライダーが登場していたかも…。
        • 案外ノリノリでコミカライズを担当していたかもしれない。
        • 昭和ライダーをオマージュしたエピソード(具体的に言えば『仮面ライダー』第4話とか)が多く作られていた。
      • 怪人のデザインを寄稿していた。
    • 『仮面ライダー THE FIRST』の監督になっていた。
    • リファインされたキョーダインやアクマイザーはライダーの仲間になっていた。
    • 鎧武の脚本は虚淵玄ではなかった。
    • エグゼイドがSDガンダムみたいなデザインにならなかった。
    • ゼロワンにキカイダー01がゲスト出演していた。
  2. 荒木飛呂彦と宮城県の漫画家を二分する存在になっている。
  3. 仙石線の「マンガッタンライナー」のデザインが変わっていた。
    • 当然、「マンガッタンライナー」の出発式に出席している。
  4. 「サイボーグ009」を描き続けている。
    • 天使編が未だに終わらない。
    • 「2009年は009の年」イベントに出ている。
    • 2012年のリメイクにも何らかの形で関与していた。
    • ユーゴ紛争かイラク戦争を舞台にテロや民族対立を取り扱った009を描いている。
    • 2015年の「009VSデビルマン」完成に当たって永井豪との対談もやっていた。
      • どちらも「悪の力を正義の心で封じ込め、異形の姿になって戦う」という王道ストーリーのため。
  5. 「マンガ日本の歴史」・「マンガ日本経済入門」に続く学習漫画も描き続けている。
  6. 仮面ライダーSPIRITSの第1巻か最終巻で村枝賢一と対談していた。
  7. 楽天イーグルスのマスコットをデザインしていた。
    • 宮城県のどこかの民放のマスコットもデザインした可能性もある。
  8. 東日本大震災が発生した際に、復興支援イベントを行っていたかも。
  9. 2000年大晦日~2001年元日の世紀跨ぎイベントに招待されて、「Long long ago, 20th century」(『仮面ライダーBLACK』のED曲)を歌っていた。
  10. スーパー戦隊の版権はどうなっていたんだろう?
    • 未だにバトルフィーバーJがスーパー戦隊第1作目という扱いかもれない。
  11. 恐らく生涯執筆枚数は15万枚を超えていた。
  12. 手塚治虫先生に関する特番などには必ずと言っていいほど呼ばれていたことだろう。
  13. 「仮面ライダーBLACK」20周年のために、石ノ森章太郎は漫画版に忠実な深夜アニメ版を制作した。
  14. 「燃えろ!ロボコン」は、放送されなかったかもしれない。(この作品は、石ノ森章太郎氏を追悼するために制作、放送された作品であるため。)
    • 史実における「ロボコン」の前番組だった「テツワン探偵ロボタック」は、もう少し長く(せいぜい2、3話程度)放送されていただろう。(「ロボタック」の放送期間短縮は、「ロボコン」の放送開始日を石ノ森氏の一周忌に合わせる為の短縮だった為。)
    • 『ロボコン』の代わりに、カブタック、ロボタックのようなスーパーチェンジ路線第3弾が制作される。
  15. 東映に無断で制作された『仮面ノリダー』は史実以上に厚遇されている(激怒した東映サイドに対し、本人は公認を出していたため)。
    • いずれ東映が版権を取得する流れは変わらないだろうが、2019年の劇場版ジオウ以前から本作とのコラボが行われ、映像ソフト化もされている。
  16. 平成仮面ライダーシリーズは予定通り、三部作で終了。
    • アギトの後番組は龍騎ではなくアギトから数年後の続編だった。
      • そのライダーのデザインはクウガとアギトに近いデザインだった。

臼井儀人

  1. クレヨンしんちゃん漫画継続決定
  2. ファンも帰還を大喜び
  3. 原作の漫画に忠実な深夜アニメを制作するという話が噂される。
  4. 他の雑誌にオファーが、きて新作品を連載を開始する可能性も。
  5. 藤子・F・不二雄展やFライフに寄稿やコメントをしていたかもしれない(藤子ファンだったというので)。
  6. 「新クレヨンしんちゃん」はなかった。
  7. クレしん劇場版に関してはほとんど影響は出ないが、久々の原作ベースとなった「ラクガキングダム」に関しては多少変化があったかもしれない。
  8. 「ごめんねおらもう」は史実ほど注目されなかった。

内山まもる

  1. 現在でも散発的にウルトラマンの新作漫画を執筆していた(コロコロアニキあたりで)。
  2. グリッドマンみたいに内山ウルトラマンをテレビアニメ化する企画が存在していたかもしれない(史実では2015年の『日本アニメ(ーター)見本市』で「ザ・ウルトラマン」が短編アニメ化)。

梶原一騎

  1. 80年代後半にF1漫画、90年代後半にJリーグ漫画とメジャーリーグを舞台にした野球漫画の原作を書いていた。
  2. ここに対して店名使用禁止の訴訟を起こしたかも。
  3. 現在マガジンで連載している漫画家や講談社の編集を鉄拳制裁していた。
    • 樹林伸に「俺の許可無くマガジンで原作書くな!」
    • 日向武史、寺嶋裕二、月山可也に「俺に許可無くスポーツ漫画書くな!」
    • 赤松健などのラブコメ漫画家、真島ヒロなどのファンタジーバトル漫画家には、意外と寛容。
      • ペラペラとめくって流し読みした後、「駄目だ、俺には理解できない・・・」
  4. マガジンで連載している女性漫画家を全員愛人にしていた。
    • 「俺の妾になれば、マガジンで連載させてやる」
  5. 「サンデージャポン」に弟が出演することはなかった。
  6. 球界や角界で大規模な問題が発生した際には「有識者」の一人としてよくマスコミでコメントしていた。
  7. K-1、PRIDEなど格闘技団体の試合で、ゲスト解説者としてたびたび出演していた。
  8. 週刊少年マガジンの新人漫画賞の名前が、「梶原賞」になっていた。
    • 特別審査委員長は、勿論梶原一騎。
    • 新人漫画賞の授賞式では、受賞者への梶原一騎による闘魂ビンタが恒例行事として行われる。
      • 女性の受賞者は、闘魂しっぺで代用。
  9. 当然のことながら、「男の星座」が未完に終わることはなかった。
    • 大山倍達とも和解できていただろう。
      • その場合、大山の葬儀で弔辞を読んでいた。
  10. 恐らく、80年代中盤からはヤングジャンプ、モーニングといった青年誌で原作を書いていた。
  11. 現在のちばてつやにとって、数少ない「頭が上がらない人物」。
  12. 森川ジョージや樹林伸が、週刊少年マガジンで現在ほど大きな力を持っていなかった。
    • 森川はボクシング漫画を書くこと無く、他のスポーツ漫画を書いていた。
    • 樹林は漫画原作者になることなく、講談社の社員のまま。
  13. 1997年に起きた、娘・暁燕の死を自ら見届けていた。
  14. 実写映画版「タイガーマスク」は、変身ヒーロー風にアレンジされることはなく、ほぼ原作に近い内容での作品になっていた。
    • どう考えても、あの変わりすぎたタイガーマスクを梶原一騎が許すはずがないだろう。そうなったら、制作会社に怒鳴り込んでくる。
    • その場合、主演はウエンツ瑛士ではなかった。
  15. ソフトバンクのCMである「元○○のアニメキャラたちの現在」で、「あしたのジョーのジョーはボクサーを引退し現在小説家」という設定など、梶原一騎が許可するハズがないので、ピース又吉の出演はなかった。

佐渡川準

  1. 『あまねあたためる』は現在でも継続中。
    • アシスタントだった安部真弘の『侵略!イカ娘』との合作漫画もありえた。

しんがぎん

  1. ジャンプに見切りをつけ、三大誌以外に行ってたかも。
    • 『少年探偵Q』の打ち切り後、別作でブレイクしていた場合はその限りではない。
  2. Leaf関連の二次創作も続いており、没後にリリースされた『ToHeart2』も題材にしている。
    • がぎん兄さん本人が描いたタマ姉のイラスト、見たかったな…。

鈴木義司

  1. 今でも「土管の住人」と言われ続けている。
  2. 『サンワリくん』や『宝くじ・ラッキー物語』は現在でも連載中。
    • 単行本になって出版されるかも。
  3. 『お笑いマンガ道場』の特番が一回ぐらいは放送されたかも。
  4. 2011年4月6日の読売新聞に掲載された『コボちゃん』の小学校入学記念漫画『コボちゃンち』(植田まさしと『あたしンち』作者のけらえいことの合作)にサンワリ君も加わっていた。
  5. 「お笑いマンガ道場」で共演していた川島なお美の訃報に関してコメントしていた。

園山俊二

  1. 『ペエスケ』は今でも連載が続いていた。
    • 平太が小学生になっていた。
      • ひょっとしたら、妹or弟ができてお兄ちゃんになってたかも。
        • 連載中にヒロミって妹が生まれていましたよ。
    • ガタピシがどこかの犬と結婚し、子犬が誕生。
      • 連載中にペパーミントと結婚し、子犬(ガタペー)も生まれてますが。。。
    • 『地球防衛家のヒトビト』は連載されていなかったか、他紙での連載になっていただろう。
  2. 東海林さだおのエッセイにも時々顔を出していた。
    • 『アサッテ君』の連載が終了する際に、なんらかのコメントをしていた。

玉井たけし

  1. 2015年現在も『コロコロコミック』や『学習幼稚園』、『小学一年生』などに連載続けている。
    • 『妖怪ウォッチ』や『甲虫王者ムシキング』などをギャグ作品として多く執筆させている。
      • 現在も連載作品数を更新続けている。
    • 『コロコロアニキ』では再び『ウルトラ怪獣かっとび!ランド』が連載されていた。

ちばあきお

  1. 谷口はいずれプロに入っていた・・・・・・らしい。
  2. 兄のちばてつやとコラボした作品を発表するかも。

はらたいら

  1. 『クイズダービー』の特番が組まれるたびに3枠の回答者として出演していた。
    • 2008年のテレビ放送開始55周年記念特番が放送されたかも。
  2. 笑福亭鶴光から引き続き弟子たちの命名を頼まれていた。
  3. 引き続き更年期障害を取り扱った漫画を執筆していた。
  4. 大橋巨泉との縁で、2007年の参議院議員選挙に民主党から出馬していた。
  5. まんが甲子園の主催者に引き続きなっていた。
  6. 大橋巨泉や篠沢秀夫が亡くなった際に追悼のコメントをし、葬儀にも参列した。

前川かずお

ここでは「ズッコケ3人組」などの前川かずお氏について触れます。

  1. 「ズッコケ3人組」は最終巻まで挿絵を担当。
    • (史実では前川の後任となった)高橋信也は、アニメーターという認識で終わっていた。
  2. 「ブースカ」のリバイバル企画がありそう。

水木しげる

  1. 2018年、第6シリーズ『ゲゲゲの鬼太郎』前作同様に原作を大幅にアレンジされることはなく「名無し」、「石動零(いするぎれい)」と言ったオリジナルキャラの追加はなかった。
    • 猫娘も8頭身スタイルではなかった。
      • それはどうかな。水木御大と生前親交があった京極夏彦氏いわく「水木先生はああいうのが大好きな方でしたから、今頃『フハッ!』ってなってると思いますよ」って事だからねえ。
      • ついでに言えば水木プロも「東映さんを信頼して間違いなかった。正常進化させていただいて嬉しい」ってコメントしている。

モンキー・パンチ(加藤一彦)

  1. 彼の故郷である北海道浜中町のイベントに顔を出していた。
  2. 大手前大学で教鞭を執っていた。
  3. 2019年4月19日の金曜ロードショーは予定通りに「名探偵コナン 天空の難破船」が放送されていた。
  4. 「ルパン三世 THE FIRST」の完成を見ることができ、恐らく絶賛していたことであろう。
  5. アニメ版第2シリーズから2010年のテレビスペシャルまで石川五ェ門役を演じた井上真樹夫が亡くなった際に追悼のコメントをしていた。
  6. 「LUPIN THE FINAL PART」は予定通り、「トミカ絆合体 アースグランナー」の後番組として放送されていた。
    • このため、「マジカパーティ」は製作されていないため、「LUPIN THE FINAL PART」はテレビ大阪製作日曜朝9時30分枠のアニメで放送されていたかも知れない。

やなせたかし

  1. 保育園や幼稚園や自治体にイラストを無償提供するみたいな活動が主になってきたんじゃないだろうか
    • やなせたかしさんに申し訳ないと思う人が続出する

山崎あつし

  1. 18禁マンガ界のカリスマ的存在になってたかも。
  2. 事故から生還できた場合、それをネタにしたマンガを描いてたかも。
    • 交通事故防止を呼びかける広告の挿絵も描いていた。
  3. スーパーセブンが愛車だったので、輸入車雑誌に漫画を描いていたかも知れない。
    • それをきっかけに、全年齢向けの漫画にシフトしていた可能性もありえる。
  4. 東日本大震災が発生した際に、復興支援イベントを行っていた。

横山光輝

  1. 漫画「康熙帝」、「永楽帝」、「徳川吉宗」も。

吉田竜夫

  1. タツノコプロが史実ほど衰退することはなかった。
    • 「ヤッターマン」はフジテレビ第2の看板アニメになっていた。
    • フジテレビとタツノコプロが縁を切ることもなかった。
  2. 『行列のできる法律相談所』のカンボジアプロジェクトにも全面協力していた。

女性

杉浦日向子

  1. ますます「漫画家」とみなされることが減っていた。
    • Wikipediaの記事でもエッセイストか江戸研究家が先に紹介されていた。
  2. 江戸文化関連で多くのテレビ番組に出演し続けている。
    • 「ブラタモリ」に案内人として複数回出ていた。
    • ただし近年の日本文化礼賛番組への出演は消極的だったと思われる。
  3. 原田実と並んで「江戸しぐさ」批判の急先鋒になっていた。
  4. 東京オリンピック・パラリンピック準備や築地市場移転問題などで公的な委員会のメンバーとして発言する機会もあった。
  5. 東日本大震災以後はエッセイに現代文明批判っぽい内容が増えていた。

多田かおる

  1. 『イタズラなKiss』の連載は無事完結していた。
    • または2007年現在も続いている。
    • テレビアニメ化も実現している。キャストはCDドラマに同じ。
      • 現実でも2008年にアニメ化は実現。しかし最終回は別の形になっていたかも。
      • ドラマ化が縁で数回、台湾と韓国を訪問していた。
      • アニメ版・台湾版・韓国版で相原琴子の声を務めた水樹奈々と対談していた。

ねこぢる

  1. 「にゃーこ」と「にゃっ太」は東京電力のCMキャラクターとして採用され続けた。
  2. 夫の山野一が「ねこぢるy」として活動することもなかった。
    • 『インドぢる』はねこぢる本人により執筆されている。
  3. sakuraの逮捕があってもラルクの「the Fourth Avenue Cafe」は存命中に出ていた。

長谷川町子

  1. 東京都世田谷区桜新町にある「長谷川町子美術館」の館長を務めている。
    • その場合、姉妹社の書庫・流通センターは東扇島ここに移転かも。
  2. 2008年9月10日から流れる「Otona Glico」のCM(設定は磯野家の25年後)をプロデュースした。
    • ↑のCMのキャスティングも実史と違っていたか…。
  3. 今はやりの「萌え絵」を習得。わかめちゃんがちょっとアレな画風になる。
    • アキバ系のお母さん的存在となる。
    • 麻生首相と対談する。
    • 萌え絵がこのお方によって幅広い層に受け入れられる。
  4. アニメーション神戸の審査委員を歴任していた。
  5. 連載新聞の垣根を越えて読売新聞の「時代の証言者」に登場していた。
  6. 姉妹社は現在も存続している。
  7. 『磯野家の謎』や『サザエさんの秘密』といった研究本にはかなり強硬な態度をとっていた。
    • 訴訟沙汰に発展していたかもしれない。
  8. 朝日新聞beの「サザエさんをさがして」では毎回のように証言を寄せていた。
  9. 長生きしている限り、国民栄誉賞の受賞もなかったか遅れている。
  10. 今でも生きていた場合高橋和江さん  

村越一郎さん 荒川太郎さん 永井一郎さん

麻生美代子さん 増岡宏さんの訃報にたいし

何らかのコメントをしていたかもしれない

三原順

  1. ていうかこの漫画家知ってるか?
    • 「恥を知りなさい!」の女議員だったら…。
  2. ビリーの森ジョディの樹という漫画を完結。
  3. それぞれの作品の解説を詳しくやってもらう。
    • でもファン以外誰も気にしない。

山田花子

  1. 統合失調症の闘病経験を漫画にし、メンタルヘルスブームに乗りベストセラーとなる。
    • それで有名になり、吉本興業の山田花子の方が「山田花子(お笑いタレント)」と書かれる。
    • 「吉本興業の山田花子が描いた漫画だと思っていた」というネタが「バカ日本語辞典」に投稿される。
      • と言うより、山田花子(タレント)の本名は渡邉京子なので仮に山田のデビュー前に有名になったとすると別の芸名になっていた可能性も

関連項目