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*市町村合併・分裂によって誕生した自治体が、現在までそれ以前の姿を保っていたら? | |||
**合併したが名称が変わっていない自治体や、一部自治体が合併しなかった場合は[[もしあの市町村があの地域を編入しなかったら]]へ。 | |||
**合併を行っていない自治体は、市町村制施行時にその市町村が誕生しなかったらと考えてください。 | |||
{{日本目次}} | {{日本目次}} | ||
==独立項目== | ==独立項目== | ||
*[[ | *[[もしいわき市が誕生していなかったら]] | ||
*[[ | *[[もしさいたま市が○○だったら]] | ||
*[[もし北九州市が誕生していなかったら]] | |||
== | ==宮城== | ||
=== | ===大崎市=== | ||
* | #宮城県に形がおかしい自治体は誕生しなかった。 | ||
# | #*市名は当然古川市のまま。 | ||
# | #遠田郡の田尻町や涌谷町、小牛田町、南郷町は古川市に編入されていた。 | ||
# | #*美里町も誕生しなかった。 | ||
#志田郡の鹿島台町、三本木町、松山町は合併して「大崎町」になっていた。 | |||
#*読み方は「おおさきまち」となっていた。 | |||
#玉造郡の鳴子町と岩出山町は単独町制を継続していた。 | |||
=== | ===柴田町=== | ||
#合併が廃案になったのであれば平成の大合併になるまで船岡と槻木はしばらく合併していない。 | |||
# | #大河原町や村田町と共に合併して「柴田市」が実現していた。 | ||
# | #*新潟県新発田市と紛らわしくなる。 | ||
# | #*あぶくま市(未遂)や亘理市(未遂)が誕生していたかもしれない。 | ||
=== | ==秋田== | ||
===大潟村=== | |||
#新しく村を新設しなかった場合は全体が若美町(現・男鹿市)になっていた。 | |||
# | |||
=== | ==福島== | ||
* | ===伊達市=== | ||
# | #当然誕生しなかったら北海道の伊達市と重複することはなかった。 | ||
#* | #5町全て福島市に編入された。 | ||
# | #*飯野町も一緒に加わったかも。 | ||
#**合併していない桑折町や国見町はどうかな・・・? | |||
#***郡役所移転問題や伊達橋架橋問題のいざこざが尾を引いて阿武隈川東岸地域とは一緒にならないと思われる。 | |||
#*福島市はもっと早く中核市になれたはず。 | |||
#*阿武隈急行線は福島県内全線福島市になっていた。 | |||
#*福島市からすると梁川とか月舘とかは正直いらない…。 | |||
#**福島市に編入されなかった場合は「保原市」と「梁川市」が出来ていたかも。 | |||
#*5町すべて編入されていたとしたら、いわき・郡山を抜いて県内人口1位になっていた。 | |||
=== | ==茨城== | ||
*[[ | ===つくば市=== | ||
# | #当然、[[つくばみらい市]]などできない。 | ||
# | #桜村は豊見城・滝沢よりも早く飛び級市制していた。 | ||
#*桜市と[[佐倉市]]と[[栃木/北部#さくら市の噂|さくら市]]が紛らわしいと言われた。 | |||
#**土浦市・新治村と合併していたかも。 | |||
#**「『桜』研究学園都市?『桜』って陳腐な市名だよな。」って陰口を叩かれているかも。 | |||
#**桜市(=研究学園地区)は、市制施行で「千葉県佐倉市」や「桜を市樹にしてる市町村」から抗議が入った時には、「竹園市」に改名した。{※実際に、研究学園地区の最古の高校は竹園高校(1973年設立)だし。} | |||
#**2013年11月の研究学園都市閣議決定の50年祭には、桜市だけが参加し、谷田部市と筑波市は参加しない。 | |||
#***桜センタービルの近くに、池田勇人(閣議決定当時の首相)や佐藤栄作(閣議決定を本格的に実行した首相)の記念銅像が建てられた。 | |||
#**当然、桜市内の施設は全て「桜」(或いはひらがなの「さくら」)を称している。例:つくばセンタービル→桜センタービル。筑波学園郵便局→桜郵便局。 | |||
#*谷田部町も単独で市制していた。 | |||
#**藩主細川家の縁で、谷田部市は[[熊本市]]と姉妹都市になっている。 | |||
#***2016年の熊本地震では、谷田部市も熊本市に救援物資や義援金を送った。 | |||
#**谷田部高校も、工業学校に変わる際には「谷田部工科高校」に改名された。 | |||
#***発明家で「カラクリ伊賀七」こと飯塚伊賀七が谷田部城下の出身かつ本拠地という歴史に因み、谷田部工科高校では、「出でよ!第二のカラクリ伊賀七!」というキャッチフレーズが使用されている。 | |||
#*筑波町も単独で市制を敷いていた。 | |||
#**北畠親房や神皇正統記の縁で、筑波市は[[奈良/吉野#吉野町の噂|吉野町]]と姉妹都市になっている。 | |||
#**「筑波」(或いはひらがなの「つくば」)を称する施設は、筑波市(山麓地区)だけに存在し、桜市(研究学園地区)や谷田部市(城下町地区)には存在しない。例:セブンイレブンつくば天久保四丁目店→セブンイレブン桜天久保四丁目店、ケーヨーデイツーつくば店→ケーヨーデイツー谷田部店。 | |||
#***「筑波(つくば)=山岳」「桜(さくら)=研究学園都市」「谷田部(やたべ)=城下町」という正確で截然不同のイメージが定着している。 | |||
#*桜市の市制施行は、1987年11月30日<!--史実のつくば市成立の日-->。又、桜市が、「村がそのまま市となる」飛び級市制の元祖。 | |||
#*谷田部市と筑波市の市制施行は、1989年元日から1992年元日までの間。 | |||
#桜vs谷田部の対立が激化する。 | |||
#*初期は桜のほうが強かったが、TX開通後は谷田部が伸びてきた。 | |||
#**平成の大合併で桜・谷田部・土浦・守谷の大合併が提唱されるが、破談する。 | |||
#**平成の大合併では桜は新治村を、谷田部は茎崎町・谷和原村・伊奈町を編入していた。 | |||
#***豊里町・大穂町・筑波町はどこと合併していたのだろうか。 | |||
#****大穂町は筑波市に仲間入りして、豊里町は桜市に仲間入りしている。 | |||
#***寧ろ新治村は筑波市(山麓地区)に編入されている。同じ国道125号沿線だし。 | |||
#***2000年代中期の平成大合併ではなく、1990年代に谷和原村と伊奈町は谷田部市に編入されたかも。 | |||
#**TXは谷田部陣屋跡を外さず、谷田部陣屋跡の近くを通っている。 | |||
#**当然、[[もしつくばエクスプレスが○○だったら#旧筑波町まで延伸されていたら|TXは筑波市(=山麓地区)まで延長されている。]] | |||
#**桜市と谷田部市の関係が、幕張新都心([[千葉市/美浜区|千葉市西半分]])と千葉市街地([[千葉市/中央区|千葉市東半分]])のような関係になっていた。(桜市=幕張新都心。谷田部市=千葉市街地) | |||
#*谷田部市vs桜市の対立どころか、谷田部市vs桜市vs筑波市の鼎立になる。 | |||
#**城下町地区(谷田部市)と山麓地区(筑波市)が、研究学園地区(桜市)とは別個の市になるので、地理歴史に根差した地域作りが推進されていた。 | |||
#***谷田部市の観光パンフレットには、谷田部城下探索図も描かれている。 | |||
#***筑波市では、小田城跡が早期に史跡公園になっており、神皇正統記や南北朝時代に関連する歴史シンポジウムも開催された。 | |||
#****1999年には、神皇正統記660周年を記念して、「南北朝時代から冷戦後の現代を見る」と題したシンポジウムが開催された。講演会場は筑波市民会館のパープルホールで、会合では小田城跡の見学も含まれていた。 | |||
#****筑波山・小田城跡・平沢官衙(律令時代の筑波郡衙)遺跡が、筑波市の三大観光地と見なされている。 | |||
#****郡衙所在地連合も結成され、平沢官衙遺跡を持つ筑波市もメンバーになっている。 | |||
#****公園化された小田城跡では、様々な野外イベントが開かれている。 | |||
#***谷田部市では、藩政時代の谷田部をテーマにしたイベント「谷田部時代祭」が年に一回開かれている。(※熊本市の「熊本城下祭」や、水戸市での「水戸黄門祭」に相当する年次イベント) | |||
#****谷田部時代祭は、谷田部に過ぎたる者三つ(不動並木、広瀬周度、飯塚伊賀七)に因んだ内容や、歴代谷田部藩主(初代は細川興元)に因んだ内容になっている。 | |||
#****谷田部時代祭のメイン会場は、谷田部陣屋跡・五角堂・細川稲荷神社の周辺。 | |||
#****谷田部市では、飯塚伊賀七をモデルにしたゆるキャラも制作・使用されている。 | |||
#****2016年には、谷田部開府400周年の記念行事が開かれた。 | |||
#**人口規模は、谷田部市(谷田部町+谷和原村+伊奈町)が11万人、桜市(桜村+豊里町)が14万人、筑波市(筑波町+大穂町+新治村)が2万4千人。 | |||
#***位置的に、大穂町は桜市に加わるだろう。よって、大きな極を持つ谷田部市(谷田部町+谷和原村+伊奈町)、桜市(桜村+大穂町+豊里町)、筑波市(筑波町+新治村)の三つに集約される。 | |||
#**茨城新聞などのメディアが紹介する話題も、研究学園地区だけに偏らず、城下町谷田部や山麓地区の話題も度々紹介されている。 | |||
#**平日18時台に放送されるNHK水戸放送局のローカルニュースの天気予報では、勿論「筑波」「桜」「谷田部」の三つが表示される。 | |||
#**独歩的で歴史の長い城下町と山麓都市が、親方日の丸で地理も歴史も知らない研究学園都市とは別個で「自治権」を持つ好影響は大きい。城下町地区(谷田部市)も山麓地区(筑波市)も、史実とは真逆で存在感と発信力も強く、個性的な町になっていた。「一つの寄り合い所帯」にならず、「三つの一枚岩」が競い合った方が繁盛していた典型例だろう。 | |||
#茎崎町は牛久市と合併していた。 | |||
#山麓地区(筑波町→筑波市)と研究学園地区(桜村→桜市)が別の自治体になるため、研究学園地区による山麓地区への嫌がらせは発生しなかった。 | |||
#*前述の通り、TXは研究学園地区で尻切れトンボにならず、山麓地区まで延長されている。これにより、筑波山(筑波市)・センタービル(桜市)・谷田部陣屋<!--谷田部細川家の居城は、天守閣じゃなくて陣屋-->跡(谷田部市)の三極がTXで結ばれる事になる。 | |||
#*2012年の筑波山竜巻で、被災した山麓地区が切り捨てられるなんてありえない。 | |||
#**筑波山竜巻直後の筑波市長選挙では、各候補者は「竜巻からの復興」をキャッチフレーズに掲げていた。 | |||
#*山麓地区の小学校と中学校が全部潰されるなんて事もない。 | |||
#*山麓地区への企業誘致が、積極的に実施されている。 | |||
#*山麓の小都市に相応しい市営施設として、郷土博物館を併設した図書館と、講演会が可能な市民会館も開設されていた。 | |||
#ひらがなの「つくば」ナンバーは設置されない。その代わり、漢字の「筑波」ナンバー、「桜」ナンバー、「竹園」ナンバー(「桜市」から「竹園市」に改名した場合)のどれかが設置される。 | |||
#[[常磐自動車道]]の谷田部市の看板には、谷田部陣屋が描かれている。 | |||
#*寧ろ、五角堂かカラクリ時計(飯塚伊賀七が設計製造した物。五角堂に展示されている)のどれかが描かれているだろう。 | |||
#[[圏央道]]の名称は、つくばJCTは「谷田部JCT」に、つくば中央ICは「桜IC」になっている。 | |||
#警察署のエリアは、筑波市は筑波警察署、桜市は桜警察署(当初は筑波学園署)、谷田部市は桜警察署か水海道警察署のどれか。 | |||
#城下町地区(谷田部町→谷田部市)と研究学園地区(桜村→桜市)も別の自治体になるため、谷田部陣屋跡付近は、市役所があるのに恩恵が来ないなんてありえない。 | |||
#*城下町に相応しく、谷田部市立郷土資料館に加えて、谷田部市立図書館も設置されている。 | |||
#**当然、谷田部市立図書館には、谷田部藩に関する郷土史コーナーも設置されている。 | |||
#*TXの谷田部市の中央駅も「谷田部駅」で、谷田部駅は中心部である谷田部陣屋跡の近くに開設された。 | |||
#**TX谷田部駅が開業した時には、「常南電気鉄道谷田部線が復活した!」と言われていた。 | |||
#*城下町特有の狭い道路を見た研究学園地区の住民から、「なんであんな所に市役所が!」「研究学園都市のイメージに合わない!」って思われる事もなかった。 | |||
#*城下町のアイデンティティーが濃厚になるので、谷田部市民は、「俺たちは、歴史がもっと長いんだよ!」「俺たちは、高度成長からの短い歴史しか持たない研究学園都市とは異うんだよ!」って、桜市に対抗心を燃やしている。 | |||
#*市制施行の時に、谷田部市中心部の住所が「城内」に変更された。明確には、「谷田部町大字谷田部N番地」が、「谷田部市城内N番地」に変更された。 | |||
#市外局番は、筑波市のみが0298(土浦と同じ)で、桜市と谷田部市は0297(水海道と同じ)になっていた。 | |||
#1998年に七桁化される前の郵便番号は、桜市のみが305で、筑波市と谷田部市は別の番号になっていた。 | |||
=== | ===ひたちなか市=== | ||
* | #県内のひらがな市町村情勢はもう少しマシだったかも。 | ||
# | #地理的に勝田・那珂湊ともどことも合併できないかもしれない(強いてあげるなら勝田+那珂か)。 | ||
# | #*水戸市と合併していた可能性もある。 | ||
#**寧ろ、「[[日立製作所|日立]]の企業城下町の勝田なんて相容れない!」って拒否されたかも。まぁ、自治体は合併だけが能じゃないから好いけどね。 | |||
#*ひらがなの「ひたちなか市」を避けるなら、「阿字ヶ浦市」になっていたかも。 | |||
#那珂市と那珂湊市が紛らわしいと話題になる。 | |||
#*那珂市からは「那珂湊市は『平磯市』に改名しろ!」という抗議が来る。 | |||
=== | ===かすみがうら市=== | ||
#出島村は土浦市に編入され、千代田町は石岡市に編入された。 | |||
# | |||
=== | ==群馬== | ||
* | ===みどり市=== | ||
# | #大間々町、笠懸町、東村は桐生市に編入されていた。 | ||
# | #*もしかしたら新設合併だったかもしれない。 | ||
#*飛び地はもちろんできない。 | |||
#群馬県のひらがなの自治体はみなかみ町だけになる。 | |||
=== | ==埼玉== | ||
* | ===志紀町=== | ||
# | *戦前の合併がなかったとして。 | ||
#* | #水谷村・宗岡村が北足立郡になることもなかった。 | ||
# | #*宗岡村も富士見村→富士見市になっていた。 | ||
#志木町は単独で存続していたのか? | |||
=== | ==千葉== | ||
*[[ | ===横芝光町=== | ||
#横芝町は成東町、山武町、蓮沼村、松尾町と共に山武市となり、光町は匝瑳市に編入されていた。 | |||
#*下手すりゃ光町は単独町制を継続していたかも。そうなれば匝瑳郡は存続。 | |||
#千葉県の合成地名は天津小湊町(現鴨川市)をイメージにしていた。 | |||
#*[[大網白里市]]をお忘れなく。 | |||
=== | ==東京== | ||
* | ===練馬区=== | ||
# | 1947年、[[東京/板橋区|板橋区]]から一部が[[東京/練馬区|練馬区]]に分区されました。もし練馬区が板橋区より分区されず現在でも存続していたら… | ||
# | #現在では人口100万を超える大自治体に。 | ||
#* | #*[[東京/世田谷区|世田谷]]を越える一大居住区。 | ||
# | #*そして[[政令指定都市]]化して結局分区。 | ||
#**杉並+中野で「杉野市」に、世田谷・大田も独立。 | |||
#「[[関東の遊園地・テーマパーク#としまえん|としまえん]]」は結局「ねりまえん」だったかもしれない。 | |||
#*多分「旧豊島郡」由来の名前だから変わらないかも。 | |||
#**北豊島郡な。 | |||
#*ねりまえんのかわりに「いたばしえん」と言われるようになる。 | |||
#[[光が丘]](以西)辺りが独立して「光が丘市」が誕生してしまうかも。 | |||
#*「大泉市」かな? | |||
#**いや、石神井以西だな。これで板橋は100万人以上を維持し、そこは'''埼玉県石神井市'''に。 | |||
#***[[西東京市#保谷|保谷]]も埼玉県に。 | |||
#****だが東伏見は(ry | |||
#***[[東京/北多摩#東久留米市の噂|東久留米]]も。 | |||
#***[[東京/北多摩#清瀬市の噂|清瀬]]も[[東村山市|東村山]]も。 | |||
#吉祥寺の周辺は、住民らは武蔵野市への移籍を求めるプロ市民が発生する。 | |||
#*関町南は[[東京/杉並区|杉並区]]へ、立野町は[[武蔵野市]]へ編入される。 | |||
#**その後、武蔵野市が現在の[[三鷹市]]や[[西東京市]](の一部)などと合併、武蔵野が23番目の区になる。 | |||
#「練馬ナンバー」は誕生せず、「板橋ナンバー」になっていた。 | |||
#*「杉並ナンバー」か「世田谷ナンバー」じゃない? | |||
#**最近は湘南や富士山の例外もあるけど、基本的には陸運局の所在地が車のナンバーになるので(城北地区の陸運局が練馬の北町にあるので)やっぱり板橋ナンバーだよ。練馬区民の優越感は杉並区民も中野区民も練馬ナンバー。 | |||
#旧・東京府東京市上板橋第三小学校は練馬区立旭丘(移管当初は「旭ヶ丘」)小学校にならなかった。 | |||
#[[東武練馬]]駅の駅名が別のものになっていた。 | |||
#*「徳丸」を名乗っていた。 | |||
#**一応東武練馬駅の由来は南に近接する旧練馬町に由来するものだが、有楽町線開業などのタイミングで改名した可能性もある。 | |||
#ということは東京22区? | |||
#*かわりに世田谷区の一部地域が分区していたかもしれない。(実際練馬独立と同時期に分区運動があった)その場合、23区のまま。 | |||
#*世田谷で分区していたらここも大規模な分区運動が起きていただろう。特に人口が100万人を突破した場合。 | |||
=== | ===小笠原村=== | ||
* | *戦前、小笠原支庁には5つの村(大村、扇村袋沢村、沖村、北村、硫黄島村)が存在していましたが、返還時に同地域は小笠原村一村として返還されました。 | ||
# | **もし、返還時に5村のまま返還されていたら? | ||
# | #人口が増加することもなかったかも。 | ||
#* | #宇津木村で行われていたような町村総会が行われていた。 | ||
#平成の大合併で、「父島村」「母島村」になっていた。 | |||
#北村(母島)が廃村状態になることもなかった。 | |||
#硫黄島村も置かれるが、前代未聞の公務員(自衛隊員)しかいない村になる。 | |||
#*2007年ごろに「いおうじまむら」から「いおうとうむら」に名前が変わっていた。 | |||
#*役場は便宜上防衛省市ヶ谷庁舎に置かれる。 | |||
#沖ノ鳥島と南鳥島はどこの村になったのだろうか。 | |||
#*地理的に硫黄島村の管轄になりそうだが… | |||
==長野== | ==長野== | ||
=== | ===東御市=== | ||
#東部町と北御牧村は小諸市と合併して新・小諸市になっていた。 | |||
#*ひょっとしたら浅科村も合併していたかもしれない。 | |||
#北陸新幹線が小諸市にも通過するようになる。 | |||
# | ===栄村=== | ||
#* | #水内村は飯山市に、堺村は野沢温泉村に編入されていた。 | ||
#2005年、中野市と豊田村の合併により下水内郡は消滅。 | |||
#平成の大合併で飯山市と野沢温泉村の合併が実現できたかも? | |||
===小谷村=== | |||
# | #中土村は北小谷村に編入されていた。 | ||
#北小谷村と南小谷村は北相木村と南相木村に似たような地域となっていた。 | |||
=== | #北小谷小学校と南小谷小学校は閉校していない。 | ||
#*北小谷村南小谷村中学校組合立小谷中学校ができる。 | |||
# | |||
# | |||
=== | |||
# | |||
# | |||
#* | |||
==新潟== | ==新潟== | ||
=== | ===上越市=== | ||
1971年4月29日に直江津市・高田市が合併して誕生した[[上越市]]。もしこのときに合併協議が廃案になり、平成の大合併直前まで直江津市・高田市が存在していたらどうなっていたか。 | |||
#市街地のストロー効果が起きず、直江津・高田両市の市街地は現在ほど廃れていない。 | |||
* | #*逆に春日山周辺は田園地帯のままだった。 | ||
# | #直江津と高田の関係は[[三条vs燕]]の様相を呈していたかも。 | ||
#* | #*合併協議が進捗した場合は、旧「上越市」の枠組みが2003年頃に完成。その後は現在と同じ枠組みになる。 | ||
# | #**但し市の名称が「上越市」になっていたかどうかは微妙。ひょっとしたら「頸城市」、または平仮名で「くびき市」になっているかも。 | ||
#*逆に合併がご破算になった場合、直江津と高田がそれぞれ独自で周辺町村を合併。 | |||
#**新直江津市には海岸沿いの柿崎町、吉川町、大潟町、頸城村、名立町が加わっている。 | |||
#***柿崎・吉川・大潟・頸城で合併し、こちらが「くびき市」になっていた。 | |||
#**新高田市には内陸部の安塚町、浦川原村、大島村、牧村、板倉町、清里村、三和村が加わっている。 | |||
#**旧名立町(直江津市側)にかろうじて隣接している中郷村の扱いでもめること必至。 | |||
#***直江津市になるか、場合によっては[[新潟/上越#妙高市の噂|新井市]]と合併し妙高市になる。 | |||
#**いずれの市も単独で人口が20万人には届かないため、[[特例市]]に移行はできない。 | |||
#**さすがにそんな合併はなかったかもしれないので[[もしあの市町村があの地域を編入しなかったら#上越市に編入された13町村|こういうこと]]になっていた。 | |||
#*稲田周辺に直江津があったら、そうなってたかもね。 | |||
#[[北陸新幹線]]の新駅設置を巡っても両市は対立。 | |||
#*すったもんだの末に[[もし新幹線が○○ではなく○○に通っていたら/北陸/高崎-上越妙高#上越妙高→○○|脇野田駅ではなく春日山駅が選ばれ]]、[[北陸]]方面へ向かうカーブが大変なことになる。 | |||
#**向こうでもネタになっているが、フル規格新幹線初のスイッチバック駅になっているかもしれない。 | |||
#***12両編成用のターンテーブルがあったら笑う。 | |||
#*揉めに揉めた挙句、しれーっと両市をパスして新井にできたら笑う。 | |||
#警察署は現在のように上越警察署だけではなく、合併せず高田警察署と直江津警察署の2署のまま。 | |||
#ほぼ唯一の観光資源、上杉謙信のお膝元の座を巡っても対立。 | |||
#*春日山城と林泉寺が分割統治されてたかも。 | |||
== | ===燕市=== | ||
*吉田町も一緒に合併していたとして | |||
* | #少なくとも「吉田市」が誕生していた。 | ||
# | #西燕駅は「花見駅」となっていた。 | ||
#* | #*上越新幹線の燕三条駅は「吉田三条駅」となっていた。 | ||
#「燕」という漢字は鳥の名前のイメージが高まる。 | |||
#分水町は合併を拒否していた可能性も。 | |||
=== | ==滋賀== | ||
===東近江市=== | |||
# | #五個荘町は能登川町と安土町と合併して「安土市」となり、残りの湖東町と愛東町と永源寺町は「東近江町」になっていた。 | ||
# | #*東近江町が発足した時に「東近江郡」という新しい郡が新設される。 | ||
#*八日市市は蒲生町と合併しても改名していない。 | |||
==大阪== | ==大阪== | ||
=== | ===東大阪市=== | ||
#旧布施市は大阪市に編入されて大阪市布施区となり、河内市・枚岡市はそのまま独立した市として残る。 | |||
# | #*その後平成の大合併で河内市・枚岡市は八尾市・柏原市と合併し「東大阪市」もしくは「中かわち市」が誕生。その場合、市の中心は近鉄八尾駅周辺になっている。 | ||
#* | #**この場合、鴻池付近は分離の上で[[四條畷市|四條畷町]]とともに[[大東市]]入りすることを希望していた可能性もある。最も実現の可能性は相当低いが…… | ||
#* | #枚岡市の中心駅は枚岡駅ではなく瓢箪山駅となっていた。 | ||
#*かなりの割合で[[枚方市]]と間違えられる。 | |||
#[[近鉄奈良線|荒本駅]]前の24階建高層ビルの市役所は建設されなかった。 | |||
#[[近鉄奈良線|若江岩田]]駅が河内市の中心駅となるので、乗降客がもっと増えていた。 | |||
* | #近鉄けいはんな線がかつて「東大阪線」を名乗ることはなかった。 | ||
#*[[近鉄南大阪線|南大阪線]]があるし、東大阪電気鉄道も戦前に計画されていたからそこは史実通りだろう。 | |||
# | #*分からんよ。近鉄中央線にしてた可能性も結構あると思う。 | ||
# | #大阪府第三の都市は枚方市。 | ||
#ハウス食品は存在しない。 | |||
#*本社は[[高槻市]]にあったとかも。 | |||
*[[ | #大阪府内には摂津・河内・和泉の3つの旧国名を名乗る都市が存在していることになる。 | ||
# | <!--#残る布施・河内の2市で[[東大阪市]]を形成していたかも。--> | ||
#近隣大都市名に方角をつけた自治体名が現実ほど増えなかった。 | |||
#*[[もし北九州市が誕生していなかったら|北九州の場合]]同様、東大阪が河内地域中部を指す広域地名として広く使われていた可能性が高い。 | |||
#大阪府立東大阪支援学校は「大阪府立枚岡支援学校」という名前になっていた。 | |||
# | |||
# | |||
*[[ | |||
# | |||
# | |||
*[[ | |||
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# | |||
# | |||
# | |||
*[[ | |||
# | |||
==兵庫== | ==兵庫== | ||
=== | ===南あわじ市=== | ||
#淡路島の全ての市町村が淡路市になっていた。 | |||
#*そうなると洲本市役所が淡路市役所になっていた可能性がある。 | |||
# | |||
#* | |||
==高知== | ==高知== | ||
=== | ===東洋町=== | ||
#合併が破談したということなら、今頃野根と甲浦は絶縁状態になり、平成の大合併でも合併の「が」の字すら出なかった。 | |||
#*甲浦町は徳島県への編入を求めたかも。 | |||
#**特に阿佐海岸鉄道ができた現在は徳島県側との関係のほうが密接になっているだろう。 | |||
#同県の黒潮町や、太平洋市(未遂)が史実より叩かれていた。 | |||
#どこかの県に「東洋市」が出来ていた。 | |||
#* | |||
# | |||
* | |||
* | |||
# | |||
# | |||
==沖縄== | ==沖縄== | ||
=== | ===北大東村・南大東村=== | ||
#米軍支配後も企業統治の状態が続いていた? | |||
#*大日本製糖(→大日本明治製糖)か、あるいはそれを引き継ぐ企業が支配していた。 | |||
#便宜上、行政は沖縄のどっかの市町村に所属する形を取っていた。 | |||
#*返還後はその市町村のままか、小笠原村に移るか、それとも文化的繋がりから八丈町に属すかで一悶着あった。 | |||
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2018年4月25日 (水) 09:11時点における版
- 市町村合併・分裂によって誕生した自治体が、現在までそれ以前の姿を保っていたら?
- 合併したが名称が変わっていない自治体や、一部自治体が合併しなかった場合はもしあの市町村があの地域を編入しなかったらへ。
- 合併を行っていない自治体は、市町村制施行時にその市町村が誕生しなかったらと考えてください。
もしあの市町村が誕生していなかったら 目次 | ||||||||||||||||||
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北海道 | 青森 | |||||||||||||||||
秋田 | 岩手 | |||||||||||||||||
山形 | 宮城 | |||||||||||||||||
山 口 |
島根 | 鳥取 | 兵 庫 |
京 都 |
福井 | 石 川 |
富 山 |
新潟 | 福島 | |||||||||
佐賀 | 福岡 | 広島 | 岡山 | 滋 賀 |
長野 | 群馬 | 栃木 | 茨 城 | ||||||||||
長崎 | 熊 本 |
大分 | 大 阪 |
奈 良 |
岐 阜 |
埼玉 | ||||||||||||
宮崎 | 愛媛 | 香川 | 三 重 |
山梨 | 東京 | 千 葉 | ||||||||||||
鹿児島 | 高知 | 徳島 | 和歌山 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | ||||||||||||
沖縄 |
独立項目
宮城
大崎市
- 宮城県に形がおかしい自治体は誕生しなかった。
- 市名は当然古川市のまま。
- 遠田郡の田尻町や涌谷町、小牛田町、南郷町は古川市に編入されていた。
- 美里町も誕生しなかった。
- 志田郡の鹿島台町、三本木町、松山町は合併して「大崎町」になっていた。
- 読み方は「おおさきまち」となっていた。
- 玉造郡の鳴子町と岩出山町は単独町制を継続していた。
柴田町
- 合併が廃案になったのであれば平成の大合併になるまで船岡と槻木はしばらく合併していない。
- 大河原町や村田町と共に合併して「柴田市」が実現していた。
- 新潟県新発田市と紛らわしくなる。
- あぶくま市(未遂)や亘理市(未遂)が誕生していたかもしれない。
秋田
大潟村
- 新しく村を新設しなかった場合は全体が若美町(現・男鹿市)になっていた。
福島
伊達市
- 当然誕生しなかったら北海道の伊達市と重複することはなかった。
- 5町全て福島市に編入された。
- 飯野町も一緒に加わったかも。
- 合併していない桑折町や国見町はどうかな・・・?
- 郡役所移転問題や伊達橋架橋問題のいざこざが尾を引いて阿武隈川東岸地域とは一緒にならないと思われる。
- 合併していない桑折町や国見町はどうかな・・・?
- 福島市はもっと早く中核市になれたはず。
- 阿武隈急行線は福島県内全線福島市になっていた。
- 福島市からすると梁川とか月舘とかは正直いらない…。
- 福島市に編入されなかった場合は「保原市」と「梁川市」が出来ていたかも。
- 5町すべて編入されていたとしたら、いわき・郡山を抜いて県内人口1位になっていた。
- 飯野町も一緒に加わったかも。
茨城
つくば市
- 当然、つくばみらい市などできない。
- 桜村は豊見城・滝沢よりも早く飛び級市制していた。
- 桜市と佐倉市とさくら市が紛らわしいと言われた。
- 土浦市・新治村と合併していたかも。
- 「『桜』研究学園都市?『桜』って陳腐な市名だよな。」って陰口を叩かれているかも。
- 桜市(=研究学園地区)は、市制施行で「千葉県佐倉市」や「桜を市樹にしてる市町村」から抗議が入った時には、「竹園市」に改名した。{※実際に、研究学園地区の最古の高校は竹園高校(1973年設立)だし。}
- 2013年11月の研究学園都市閣議決定の50年祭には、桜市だけが参加し、谷田部市と筑波市は参加しない。
- 桜センタービルの近くに、池田勇人(閣議決定当時の首相)や佐藤栄作(閣議決定を本格的に実行した首相)の記念銅像が建てられた。
- 当然、桜市内の施設は全て「桜」(或いはひらがなの「さくら」)を称している。例:つくばセンタービル→桜センタービル。筑波学園郵便局→桜郵便局。
- 谷田部町も単独で市制していた。
- 藩主細川家の縁で、谷田部市は熊本市と姉妹都市になっている。
- 2016年の熊本地震では、谷田部市も熊本市に救援物資や義援金を送った。
- 谷田部高校も、工業学校に変わる際には「谷田部工科高校」に改名された。
- 発明家で「カラクリ伊賀七」こと飯塚伊賀七が谷田部城下の出身かつ本拠地という歴史に因み、谷田部工科高校では、「出でよ!第二のカラクリ伊賀七!」というキャッチフレーズが使用されている。
- 藩主細川家の縁で、谷田部市は熊本市と姉妹都市になっている。
- 筑波町も単独で市制を敷いていた。
- 北畠親房や神皇正統記の縁で、筑波市は吉野町と姉妹都市になっている。
- 「筑波」(或いはひらがなの「つくば」)を称する施設は、筑波市(山麓地区)だけに存在し、桜市(研究学園地区)や谷田部市(城下町地区)には存在しない。例:セブンイレブンつくば天久保四丁目店→セブンイレブン桜天久保四丁目店、ケーヨーデイツーつくば店→ケーヨーデイツー谷田部店。
- 「筑波(つくば)=山岳」「桜(さくら)=研究学園都市」「谷田部(やたべ)=城下町」という正確で截然不同のイメージが定着している。
- 桜市の市制施行は、1987年11月30日。又、桜市が、「村がそのまま市となる」飛び級市制の元祖。
- 谷田部市と筑波市の市制施行は、1989年元日から1992年元日までの間。
- 桜市と佐倉市とさくら市が紛らわしいと言われた。
- 桜vs谷田部の対立が激化する。
- 初期は桜のほうが強かったが、TX開通後は谷田部が伸びてきた。
- 平成の大合併で桜・谷田部・土浦・守谷の大合併が提唱されるが、破談する。
- 平成の大合併では桜は新治村を、谷田部は茎崎町・谷和原村・伊奈町を編入していた。
- 豊里町・大穂町・筑波町はどこと合併していたのだろうか。
- 大穂町は筑波市に仲間入りして、豊里町は桜市に仲間入りしている。
- 寧ろ新治村は筑波市(山麓地区)に編入されている。同じ国道125号沿線だし。
- 2000年代中期の平成大合併ではなく、1990年代に谷和原村と伊奈町は谷田部市に編入されたかも。
- 豊里町・大穂町・筑波町はどこと合併していたのだろうか。
- TXは谷田部陣屋跡を外さず、谷田部陣屋跡の近くを通っている。
- 当然、TXは筑波市(=山麓地区)まで延長されている。
- 桜市と谷田部市の関係が、幕張新都心(千葉市西半分)と千葉市街地(千葉市東半分)のような関係になっていた。(桜市=幕張新都心。谷田部市=千葉市街地)
- 谷田部市vs桜市の対立どころか、谷田部市vs桜市vs筑波市の鼎立になる。
- 城下町地区(谷田部市)と山麓地区(筑波市)が、研究学園地区(桜市)とは別個の市になるので、地理歴史に根差した地域作りが推進されていた。
- 谷田部市の観光パンフレットには、谷田部城下探索図も描かれている。
- 筑波市では、小田城跡が早期に史跡公園になっており、神皇正統記や南北朝時代に関連する歴史シンポジウムも開催された。
- 1999年には、神皇正統記660周年を記念して、「南北朝時代から冷戦後の現代を見る」と題したシンポジウムが開催された。講演会場は筑波市民会館のパープルホールで、会合では小田城跡の見学も含まれていた。
- 筑波山・小田城跡・平沢官衙(律令時代の筑波郡衙)遺跡が、筑波市の三大観光地と見なされている。
- 郡衙所在地連合も結成され、平沢官衙遺跡を持つ筑波市もメンバーになっている。
- 公園化された小田城跡では、様々な野外イベントが開かれている。
- 谷田部市では、藩政時代の谷田部をテーマにしたイベント「谷田部時代祭」が年に一回開かれている。(※熊本市の「熊本城下祭」や、水戸市での「水戸黄門祭」に相当する年次イベント)
- 谷田部時代祭は、谷田部に過ぎたる者三つ(不動並木、広瀬周度、飯塚伊賀七)に因んだ内容や、歴代谷田部藩主(初代は細川興元)に因んだ内容になっている。
- 谷田部時代祭のメイン会場は、谷田部陣屋跡・五角堂・細川稲荷神社の周辺。
- 谷田部市では、飯塚伊賀七をモデルにしたゆるキャラも制作・使用されている。
- 2016年には、谷田部開府400周年の記念行事が開かれた。
- 人口規模は、谷田部市(谷田部町+谷和原村+伊奈町)が11万人、桜市(桜村+豊里町)が14万人、筑波市(筑波町+大穂町+新治村)が2万4千人。
- 位置的に、大穂町は桜市に加わるだろう。よって、大きな極を持つ谷田部市(谷田部町+谷和原村+伊奈町)、桜市(桜村+大穂町+豊里町)、筑波市(筑波町+新治村)の三つに集約される。
- 茨城新聞などのメディアが紹介する話題も、研究学園地区だけに偏らず、城下町谷田部や山麓地区の話題も度々紹介されている。
- 平日18時台に放送されるNHK水戸放送局のローカルニュースの天気予報では、勿論「筑波」「桜」「谷田部」の三つが表示される。
- 独歩的で歴史の長い城下町と山麓都市が、親方日の丸で地理も歴史も知らない研究学園都市とは別個で「自治権」を持つ好影響は大きい。城下町地区(谷田部市)も山麓地区(筑波市)も、史実とは真逆で存在感と発信力も強く、個性的な町になっていた。「一つの寄り合い所帯」にならず、「三つの一枚岩」が競い合った方が繁盛していた典型例だろう。
- 城下町地区(谷田部市)と山麓地区(筑波市)が、研究学園地区(桜市)とは別個の市になるので、地理歴史に根差した地域作りが推進されていた。
- 初期は桜のほうが強かったが、TX開通後は谷田部が伸びてきた。
- 茎崎町は牛久市と合併していた。
- 山麓地区(筑波町→筑波市)と研究学園地区(桜村→桜市)が別の自治体になるため、研究学園地区による山麓地区への嫌がらせは発生しなかった。
- 前述の通り、TXは研究学園地区で尻切れトンボにならず、山麓地区まで延長されている。これにより、筑波山(筑波市)・センタービル(桜市)・谷田部陣屋跡(谷田部市)の三極がTXで結ばれる事になる。
- 2012年の筑波山竜巻で、被災した山麓地区が切り捨てられるなんてありえない。
- 筑波山竜巻直後の筑波市長選挙では、各候補者は「竜巻からの復興」をキャッチフレーズに掲げていた。
- 山麓地区の小学校と中学校が全部潰されるなんて事もない。
- 山麓地区への企業誘致が、積極的に実施されている。
- 山麓の小都市に相応しい市営施設として、郷土博物館を併設した図書館と、講演会が可能な市民会館も開設されていた。
- ひらがなの「つくば」ナンバーは設置されない。その代わり、漢字の「筑波」ナンバー、「桜」ナンバー、「竹園」ナンバー(「桜市」から「竹園市」に改名した場合)のどれかが設置される。
- 常磐自動車道の谷田部市の看板には、谷田部陣屋が描かれている。
- 寧ろ、五角堂かカラクリ時計(飯塚伊賀七が設計製造した物。五角堂に展示されている)のどれかが描かれているだろう。
- 圏央道の名称は、つくばJCTは「谷田部JCT」に、つくば中央ICは「桜IC」になっている。
- 警察署のエリアは、筑波市は筑波警察署、桜市は桜警察署(当初は筑波学園署)、谷田部市は桜警察署か水海道警察署のどれか。
- 城下町地区(谷田部町→谷田部市)と研究学園地区(桜村→桜市)も別の自治体になるため、谷田部陣屋跡付近は、市役所があるのに恩恵が来ないなんてありえない。
- 城下町に相応しく、谷田部市立郷土資料館に加えて、谷田部市立図書館も設置されている。
- 当然、谷田部市立図書館には、谷田部藩に関する郷土史コーナーも設置されている。
- TXの谷田部市の中央駅も「谷田部駅」で、谷田部駅は中心部である谷田部陣屋跡の近くに開設された。
- TX谷田部駅が開業した時には、「常南電気鉄道谷田部線が復活した!」と言われていた。
- 城下町特有の狭い道路を見た研究学園地区の住民から、「なんであんな所に市役所が!」「研究学園都市のイメージに合わない!」って思われる事もなかった。
- 城下町のアイデンティティーが濃厚になるので、谷田部市民は、「俺たちは、歴史がもっと長いんだよ!」「俺たちは、高度成長からの短い歴史しか持たない研究学園都市とは異うんだよ!」って、桜市に対抗心を燃やしている。
- 市制施行の時に、谷田部市中心部の住所が「城内」に変更された。明確には、「谷田部町大字谷田部N番地」が、「谷田部市城内N番地」に変更された。
- 城下町に相応しく、谷田部市立郷土資料館に加えて、谷田部市立図書館も設置されている。
- 市外局番は、筑波市のみが0298(土浦と同じ)で、桜市と谷田部市は0297(水海道と同じ)になっていた。
- 1998年に七桁化される前の郵便番号は、桜市のみが305で、筑波市と谷田部市は別の番号になっていた。
ひたちなか市
- 県内のひらがな市町村情勢はもう少しマシだったかも。
- 地理的に勝田・那珂湊ともどことも合併できないかもしれない(強いてあげるなら勝田+那珂か)。
- 水戸市と合併していた可能性もある。
- 寧ろ、「日立の企業城下町の勝田なんて相容れない!」って拒否されたかも。まぁ、自治体は合併だけが能じゃないから好いけどね。
- ひらがなの「ひたちなか市」を避けるなら、「阿字ヶ浦市」になっていたかも。
- 水戸市と合併していた可能性もある。
- 那珂市と那珂湊市が紛らわしいと話題になる。
- 那珂市からは「那珂湊市は『平磯市』に改名しろ!」という抗議が来る。
かすみがうら市
- 出島村は土浦市に編入され、千代田町は石岡市に編入された。
群馬
みどり市
- 大間々町、笠懸町、東村は桐生市に編入されていた。
- もしかしたら新設合併だったかもしれない。
- 飛び地はもちろんできない。
- 群馬県のひらがなの自治体はみなかみ町だけになる。
埼玉
志紀町
- 戦前の合併がなかったとして。
- 水谷村・宗岡村が北足立郡になることもなかった。
- 宗岡村も富士見村→富士見市になっていた。
- 志木町は単独で存続していたのか?
千葉
横芝光町
- 横芝町は成東町、山武町、蓮沼村、松尾町と共に山武市となり、光町は匝瑳市に編入されていた。
- 下手すりゃ光町は単独町制を継続していたかも。そうなれば匝瑳郡は存続。
- 千葉県の合成地名は天津小湊町(現鴨川市)をイメージにしていた。
- 大網白里市をお忘れなく。
東京
練馬区
1947年、板橋区から一部が練馬区に分区されました。もし練馬区が板橋区より分区されず現在でも存続していたら…
- 現在では人口100万を超える大自治体に。
- 「としまえん」は結局「ねりまえん」だったかもしれない。
- 多分「旧豊島郡」由来の名前だから変わらないかも。
- 北豊島郡な。
- ねりまえんのかわりに「いたばしえん」と言われるようになる。
- 多分「旧豊島郡」由来の名前だから変わらないかも。
- 光が丘(以西)辺りが独立して「光が丘市」が誕生してしまうかも。
- 吉祥寺の周辺は、住民らは武蔵野市への移籍を求めるプロ市民が発生する。
- 「練馬ナンバー」は誕生せず、「板橋ナンバー」になっていた。
- 「杉並ナンバー」か「世田谷ナンバー」じゃない?
- 最近は湘南や富士山の例外もあるけど、基本的には陸運局の所在地が車のナンバーになるので(城北地区の陸運局が練馬の北町にあるので)やっぱり板橋ナンバーだよ。練馬区民の優越感は杉並区民も中野区民も練馬ナンバー。
- 「杉並ナンバー」か「世田谷ナンバー」じゃない?
- 旧・東京府東京市上板橋第三小学校は練馬区立旭丘(移管当初は「旭ヶ丘」)小学校にならなかった。
- 東武練馬駅の駅名が別のものになっていた。
- 「徳丸」を名乗っていた。
- 一応東武練馬駅の由来は南に近接する旧練馬町に由来するものだが、有楽町線開業などのタイミングで改名した可能性もある。
- 「徳丸」を名乗っていた。
- ということは東京22区?
- かわりに世田谷区の一部地域が分区していたかもしれない。(実際練馬独立と同時期に分区運動があった)その場合、23区のまま。
- 世田谷で分区していたらここも大規模な分区運動が起きていただろう。特に人口が100万人を突破した場合。
小笠原村
- 戦前、小笠原支庁には5つの村(大村、扇村袋沢村、沖村、北村、硫黄島村)が存在していましたが、返還時に同地域は小笠原村一村として返還されました。
- もし、返還時に5村のまま返還されていたら?
- 人口が増加することもなかったかも。
- 宇津木村で行われていたような町村総会が行われていた。
- 平成の大合併で、「父島村」「母島村」になっていた。
- 北村(母島)が廃村状態になることもなかった。
- 硫黄島村も置かれるが、前代未聞の公務員(自衛隊員)しかいない村になる。
- 2007年ごろに「いおうじまむら」から「いおうとうむら」に名前が変わっていた。
- 役場は便宜上防衛省市ヶ谷庁舎に置かれる。
- 沖ノ鳥島と南鳥島はどこの村になったのだろうか。
- 地理的に硫黄島村の管轄になりそうだが…
長野
東御市
- 東部町と北御牧村は小諸市と合併して新・小諸市になっていた。
- ひょっとしたら浅科村も合併していたかもしれない。
- 北陸新幹線が小諸市にも通過するようになる。
栄村
- 水内村は飯山市に、堺村は野沢温泉村に編入されていた。
- 2005年、中野市と豊田村の合併により下水内郡は消滅。
- 平成の大合併で飯山市と野沢温泉村の合併が実現できたかも?
小谷村
- 中土村は北小谷村に編入されていた。
- 北小谷村と南小谷村は北相木村と南相木村に似たような地域となっていた。
- 北小谷小学校と南小谷小学校は閉校していない。
- 北小谷村南小谷村中学校組合立小谷中学校ができる。
新潟
上越市
1971年4月29日に直江津市・高田市が合併して誕生した上越市。もしこのときに合併協議が廃案になり、平成の大合併直前まで直江津市・高田市が存在していたらどうなっていたか。
- 市街地のストロー効果が起きず、直江津・高田両市の市街地は現在ほど廃れていない。
- 逆に春日山周辺は田園地帯のままだった。
- 直江津と高田の関係は三条vs燕の様相を呈していたかも。
- 合併協議が進捗した場合は、旧「上越市」の枠組みが2003年頃に完成。その後は現在と同じ枠組みになる。
- 但し市の名称が「上越市」になっていたかどうかは微妙。ひょっとしたら「頸城市」、または平仮名で「くびき市」になっているかも。
- 逆に合併がご破算になった場合、直江津と高田がそれぞれ独自で周辺町村を合併。
- 稲田周辺に直江津があったら、そうなってたかもね。
- 合併協議が進捗した場合は、旧「上越市」の枠組みが2003年頃に完成。その後は現在と同じ枠組みになる。
- 北陸新幹線の新駅設置を巡っても両市は対立。
- すったもんだの末に脇野田駅ではなく春日山駅が選ばれ、北陸方面へ向かうカーブが大変なことになる。
- 向こうでもネタになっているが、フル規格新幹線初のスイッチバック駅になっているかもしれない。
- 12両編成用のターンテーブルがあったら笑う。
- 向こうでもネタになっているが、フル規格新幹線初のスイッチバック駅になっているかもしれない。
- 揉めに揉めた挙句、しれーっと両市をパスして新井にできたら笑う。
- すったもんだの末に脇野田駅ではなく春日山駅が選ばれ、北陸方面へ向かうカーブが大変なことになる。
- 警察署は現在のように上越警察署だけではなく、合併せず高田警察署と直江津警察署の2署のまま。
- ほぼ唯一の観光資源、上杉謙信のお膝元の座を巡っても対立。
- 春日山城と林泉寺が分割統治されてたかも。
燕市
- 吉田町も一緒に合併していたとして
- 少なくとも「吉田市」が誕生していた。
- 西燕駅は「花見駅」となっていた。
- 上越新幹線の燕三条駅は「吉田三条駅」となっていた。
- 「燕」という漢字は鳥の名前のイメージが高まる。
- 分水町は合併を拒否していた可能性も。
滋賀
東近江市
- 五個荘町は能登川町と安土町と合併して「安土市」となり、残りの湖東町と愛東町と永源寺町は「東近江町」になっていた。
- 東近江町が発足した時に「東近江郡」という新しい郡が新設される。
- 八日市市は蒲生町と合併しても改名していない。
大阪
東大阪市
- 旧布施市は大阪市に編入されて大阪市布施区となり、河内市・枚岡市はそのまま独立した市として残る。
- 枚岡市の中心駅は枚岡駅ではなく瓢箪山駅となっていた。
- かなりの割合で枚方市と間違えられる。
- 荒本駅前の24階建高層ビルの市役所は建設されなかった。
- 若江岩田駅が河内市の中心駅となるので、乗降客がもっと増えていた。
- 近鉄けいはんな線がかつて「東大阪線」を名乗ることはなかった。
- 南大阪線があるし、東大阪電気鉄道も戦前に計画されていたからそこは史実通りだろう。
- 分からんよ。近鉄中央線にしてた可能性も結構あると思う。
- 大阪府第三の都市は枚方市。
- ハウス食品は存在しない。
- 本社は高槻市にあったとかも。
- 大阪府内には摂津・河内・和泉の3つの旧国名を名乗る都市が存在していることになる。
- 近隣大都市名に方角をつけた自治体名が現実ほど増えなかった。
- 北九州の場合同様、東大阪が河内地域中部を指す広域地名として広く使われていた可能性が高い。
- 大阪府立東大阪支援学校は「大阪府立枚岡支援学校」という名前になっていた。
兵庫
南あわじ市
- 淡路島の全ての市町村が淡路市になっていた。
- そうなると洲本市役所が淡路市役所になっていた可能性がある。
高知
東洋町
- 合併が破談したということなら、今頃野根と甲浦は絶縁状態になり、平成の大合併でも合併の「が」の字すら出なかった。
- 甲浦町は徳島県への編入を求めたかも。
- 特に阿佐海岸鉄道ができた現在は徳島県側との関係のほうが密接になっているだろう。
- 甲浦町は徳島県への編入を求めたかも。
- 同県の黒潮町や、太平洋市(未遂)が史実より叩かれていた。
- どこかの県に「東洋市」が出来ていた。
沖縄
北大東村・南大東村
- 米軍支配後も企業統治の状態が続いていた?
- 大日本製糖(→大日本明治製糖)か、あるいはそれを引き継ぐ企業が支配していた。
- 便宜上、行政は沖縄のどっかの市町村に所属する形を取っていた。
- 返還後はその市町村のままか、小笠原村に移るか、それとも文化的繋がりから八丈町に属すかで一悶着あった。