もしあの放送局が○○だったら/関東
東京MXテレビ
史実より早く開局していたら
- 1970年代に開局していたら
- 教育番組中心の編成になってたかも。
- 90年代以後も教育番組は健在。石原慎太郎が知事に就任してからは、道徳や歴史の番組に妙に力を入れ始める。
- 石原知事主導の教育番組に労働組合が反発。頻繁に争議が起きていたかもしれない。
- NETと東京12チャンネルの一般局化に伴って、両局で放送していた教育番組の一部が移行してきたかも。
- 両局の関係者が、開局のために様々な面で協力したかもしれない。
- 表向きは「新局開局のための支援」だが、本音は「教育番組を
押し付けて引き受けてもらって自分たちは一般局になりたい」 - 両局の役員は、一般局化を認めてもらうために、史実以上に?積極的に郵政官僚や政治家に働きかけた。
- 表向きは「新局開局のための支援」だが、本音は「教育番組を
- 東京12チャンネルから移行した工業高校向けの番組は、少なくとも1980年頃までは続いた(史実の東京12チャンネルでは73年度末まで)。
- 科学技術学園高校向けに今でも続いていたかもしれない。
- 両局の関係者が、開局のために様々な面で協力したかもしれない。
- 90年代以後も教育番組は健在。石原慎太郎が知事に就任してからは、道徳や歴史の番組に妙に力を入れ始める。
- 社名もココにならって「東京14チャンネル」にしていたかも。
- NHK東京テレビ実験局→放送試験局は別チャンネルになっていた。
- あるいは、試験放送休止後に開局していた。
- 高校野球東京大会の中継には史実より力を入れている。
- 国立高校初出場の時や、荒木大輔の現役時代の盛り上がりは史実以上のものになっていた。
- パリーグ(特に日本ハム戦)の中継にも力を入れていそう。
- 開局時期によってはオイルショックによりいきなり存亡の危機に立たされた。
- ここと同様に上記のようになった場合、放送開始が夕方(下手すると夜)・放送終了が21時とかになっていた。
- 開局がエフエム東京と同時だ。
- テレビ東京の前身が東京都域局として開局していたら、ここは開局構想すら上がらなかった可能性もある。
- 東京都域ではない。
- その場合、テレビ東京の総合チャンネル化が史実より早まった。
- 1980年代に開局していたら
- (当時問題になっていた)「いじめ」をテーマにした番組が放送されていたかも。
- サンテレビ・近畿放送(当時)などとも仲良くなっていた。
- 実質的なネットワークのようなものを組んでいた。
- エフエム東京と同時開局というのが自然か?
- TFMの開局は1970年。
- 「東京でしか見られない放送局」として地方から上京してきた若者の間で特別視された。
- 1990年代前半に開局していたら
- 現実とあまり変わらず?
- (当時できたてほやほやの)Jリーグ中継に力を入れていたかも。
- ただし当初は東京が本拠地のチームが存在しなかったため特定のチームを重視するような姿勢にはならなかった気がする。
- 早い時期から東京移転が噂されていたヴェルディは日本テレビが筆頭株主のためあまり大きく扱えない。
- ただし当初は東京が本拠地のチームが存在しなかったため特定のチームを重視するような姿勢にはならなかった気がする。
史実より遅く開局していたら
- 21世紀初頭に開局していたら
- 21世紀としては初めて開局した民放テレビ局として認められていた。
- 放送研究者などの間で「インターネットなどとは異なる21世紀ならではのテレビ局のあり方を追求してほしい」と期待された。
- 局自身もそのような決意を何回か表明している。
開局当時の編成方針を踏襲していたら
開局時はニュース番組主体の編成でした。仮に、現在もこの編成が続いていたら?
- アニメは、ほとんど放送されない状態だった。
- 「東京情報チャンネル」(ディレクTVで全国放送していたときのチャンネル名)は、現在もスカパー!のチャンネルとして残っていた。
- 毎日放送と親しくなることもなかった。
- 現実で言うここやここ見たいな状態になっていた。
開局当初からアニメに積極的だったら
開局当初はアニメはほとんど放送されていない状態でしたが、2000年代半ば以降は殆どの作品を放送しております。もし開局当初から殆どの作品を放送していたら?
- 東京都内のアニヲタは史実以上に増えていた。
- 秋葉原にサテライトスタジオか何かを設けていても不思議ではない。
- 2010年の東京都青少年健全育成条例改正案には局を挙げて猛反発していた。
- 現在のマスコットは「ゆめらいおん」ではなく萌え系のキャラクター。
首都圏ネット4を脱退しなかったら
- 地上デジタル放送の送信所は東京タワーのままだった。
- ここでもハピモ(千葉テレビ制作)、ありがとッ! (テレビ神奈川)、ごごたま (テレビ埼玉)が放送されていた。
- 東京MX側は何を放送するんだろう。
- U・LA・LAか5時に夢中が放送されていたかもしれない。
- 東京MX側は何を放送するんだろう。
- 首都圏ネット4にとちぎテレビや群馬テレビも加盟していた。
- それでもTVKとの仲は悪いまま。
地上デジタル放送の送信所が東京タワーのままだったら
- 一部で東京MXが見られないということはなかった。
- 親会社であるTFMがスカイツリーに送信所を移していないことと関連して理解されることが多い。
- さらにTFMの大株主に東京タワーの運営会社である日本電波塔が名を連ねていることもよく指摘される。
- 東京タワーのフットタウンのどこかにTFMと合同でPRスペースか何かを設けている。
全日帯アニメの放送に積極的になっていたら
深夜アニメの大半は東京MXテレビでの放送になって久しいですが、同様の現象が全日帯アニメにまで波及したら
- TBS・フジテレビでアニメ枠新設はなかった。
- 2018年のヴァンガアニメの新シリーズは19時台で放送。
- 全曜日19時台は新作アニメの放送になる。
- プリキュア(再放送)などは18時半辺りで放送。
- テレ東アニメは大幅に減少する。
- BS11も全日帯アニメ枠が増える。
- 月曜は小学館関係のアニメで固定。
- 火曜はブシロード枠。
- 史実で深夜で放送されたアニメがMX全日帯で放送されたかも。
テレビ神奈川
2003年12月に地デジ放送を開始していたら
太田町への移転が見送られていたら
テレビ神奈川は、2004年5月に横浜市中区太田町の横浜メディア・ビジネスセンター内に本社を移転させましたが、仮に移転が見送られていたら。
- TVKロゴは現在も大文字のまま。
- 地上デジタル放送は、簡易マスターからの送出になっていた。
- 「JOKM-DTV。こちらはTVKテレビです。」…
- そこは「JOKM-DTV。こちらはTVKテレビデジタルテレビジョンです。」...とかになると思う
文化放送
アニラジに力を入れていなかったら
- かつてのRFラジオ日本同様、硬派路線の放送局となっていた。
- ラジオNIKKEI(旧ラジオたんぱ)が代わりに放送。
- 短波対応のラジオがもう少し普及していた。
- 意外と、TBSがアニラジに積極的になる。
- たぶんニッポン放送じゃね。
- そういやLFには放送業界で1,2を争うほどのオタクがいたような・・・。
- 仮にLFが力を入れた場合、平日は一応オールナイトニッポンは残すが史実のRと魂ラジの時間帯はアニラジを放送する。さらに宇宙Gメンのとこもアニラジに転用か?
- 二部が「オールナイトニッポンA&G」として声優による放送になっていた。
- たぶんニッポン放送じゃね。
若葉1丁目で再開発があったら
- 同地を離れることなく新ビルにめでたく入居。
- このビルにはあの名門校も入居。
- 現実で文化放送メディアプラスがある浜松町1丁目駐車場跡地には別の資本のビルが建っていた。
本社が大阪だったら
- テレビ免許を交付され、準キー局としてテレビ朝日かTBS辺りとネットを組んでいた。
- むしろテレビ東京だろ。
- 現実のOBCとなっていた。
- だがラジ関には圧勝している。
- やけに左寄りの内容だった頃から何度も革新が強い京都への移転が噂される。
- 筆頭株主が史実通りカトリック聖パウロ修道会の場合は大阪万博のキリスト教館にこの放送局の臨時スタジオが設置されていた。
テレビ免許を交付されていたら
文化放送は1957年にテレビ放送の免許を郵政省(現:総務省)に申請するも、「周波数不足」を理由に却下されました。もし、郵政省が文化放送のテレビ免許の申請を受理していたらどうなっていただろうか?
- テレビ系列は、おそらく実史のANN系となった。
- 「○○朝日放送」は「○○文化放送」となっていた。
- 北海道文化放送が文化系、北海道テレビ放送はCX系になっていた。
- 長崎文化放送はほとんど変わらず。
- 長崎朝日放送で設立したかったが長崎新聞が反対した経緯があるので、今度は長崎文化放送という名称に長崎新聞が反発した可能性もあり得る…と思う。
- 北陸放送の設立時の局名が「北陸文化放送」だったが、これも変わっていた?
- ネットワーク名は、「文化ニュースネットワーク」から「BNN」。
- 文化放送の略称は、現在コールサインから「QR」であるが、おそらく開局時の「NCB」を継続して使用していた。
- ニッポン放送と「フジサンケイグループ」を結成する事も無かった。
- 2009年現在もまだまだ宗教色が強かったかもしれない。
- 土・日朝には「ライフライン」みたいな宗教系の番組を放送。(テレビ朝日では、この様な「宗教系番組」は、今に至るまで放送してない。)
- ナイター中継はやはり西武ライオンズ戦だろうか。
- もし、若葉町1丁目に本社があったら、神宮球場が近いので、同球場を本拠地にするヤクルトスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)戦だろうな。
- 関西テレビは間違いなく系列入りしていた筈。
- テレ東並もしくはそれ以上に深夜アニメが充実している。
- 現在も新宿区若葉1丁目にある。
- テレビ放送開始時点で当時の社屋付近の土地を購入しそこに別館を建てて2005年ごろに史実の社屋を建て替えていた。
- 文化放送単独でテレビ放送を開始したためフジテレビは開局することがなかった。
- もしかしたらニッポン放送もテレビ免許取得を考えてたかもしれない。
- となれば、ニッポン放送のテレビ局が現実のフジテレビそのもの。
- もしかしたらニッポン放送もテレビ免許取得を考えてたかもしれない。
- 「大学受験ラジオ講座(ラ講)」ならぬ「大学受験テレビ講座(テ講)」が、旺文社の協力で放送される。
- 時間帯は、その日の全国ネットの最終ニュース番組の終了直後か。11時30分からの1時間番組。
- それ故、この放送局は、その前後の時間帯に、大学受験生のみならず青少年に刺激の強いような番組やCM(消費者金融、性風俗、パチンコ、キャバレーなど)を絶対に放送しない。「大学受験テレビ講座」を放送する地方局にもそれを要請する。場合によってはそれが他局にも及び、深夜テレビ番組の歴史が、史実と大きく変わるか。
- 一方、放送局にオリンピックやサッカーワールドカップなど、国際的なスポーツ中継の生中継が期待されるようになったらどうなるか。文化放送テレビ(とネット関係にある地方局)だけ、その時間帯は何があっても「大学受験テレビ講座」を放送するか。
- 時間帯は、その日の全国ネットの最終ニュース番組の終了直後か。11時30分からの1時間番組。
放送エリアが全国だったら
放送エリアを全国に広げる計画もあったが、却下されました。もし実現していたら…
- 特に関東圏では聴取率トップに。
- 西武ライオンズファンも全国に広がっていた。
- 全国での放送開始が1978年以前ならライオンズの本拠地はまだ福岡なのでその可能性は極めて薄い。
- 同じく全国に放送エリアを広げるつもりだった日本テレビが黙っていなかったのは間違いない。
- 正力松太郎が郵政省などに圧力をかけていた。
- 日本の放送史は現実と大きく異なっていた。
- 史実では存在できなかった全国区の中波ラジオ局ができていたためテレビ局の資本や民放のビジネスモデルなどに大きな影響が出ていた。
NACK5と合併していたら
- 文化放送の本社は浜松町ではなく川口に移転していた。
- 文化放送のエリアが関東広域であることを考慮すると東京都区部以外への移転はなさそう。
- そもそも総資産額や従業員数などを考慮すると文化放送主導の合併になった公算が大きい。
- ただしNACK5の最大株主である西武鉄道がかなり暗躍した場合は展開が変わっていた可能性あり。
- 日本で初めてAMとFMを兼営する民放が誕生する。
- 総務省(or郵政省)も戸惑うと思われる。
- 他地域でも同様の合併が噂された。
- FM波での補完放送開始時に旧NACK5のノウハウを生かして大胆な番組改編を行っていた。
ニッポン放送
アニラジにもっと力を入れていたら
- おそらくオールナイトニッポンのパーソナリティーのレパートリーは声優中心。
- Rも同様。・・・といいたいが毎日30分4枠か60分1枠+30分2枠か60分2枠なんかに分割。
- またANNの月曜はMBSの某番組をネット受けしていたかも。もう終わったけど。
RFラジオ日本
「社会の木鐸」宣言がなかったら
- 大幅な聴取率低下を招くことはなかった。
- 『林原めぐみのHeartful Station』は現在もRF製作のまま。
- FMヨコハマ開局時に本社制作番組が増えてたかも。
- ホエールズ→ベイスターズ戦のホームゲームが放送されてたかも。
- 『ROCK TODAY』が『POWER ROCK TODAY』に改題されなかった。
- ラジオたんぱが「社会の木鐸」化していた。
毎日新聞からのニュース提供を続けていたら
- 毎日新聞がTBSを手放した。
- 一方で、毎日新聞はNETを傘下に入れた。
- 茨城放送も毎日系にしてグループ局になっていた。
- ジャイアンツびいき放送局は別の民放に変わっていた。
- 読売資本が残ったままならTBS。
- 出力増強とラジオ関東からの社名変更はなかった。
- 毎日新聞社と毎日放送が出資してテレビ放送も開始してた。
開局時より日本テレビの傘下だったら
- もちろん、開局時より「ラジオ日本」を名乗っていた。
- どこかのタイミングで社名に「讀賣」が入っていたと思われる。
- 本社は横浜ではなく東京だった。
- 日本テレビの社屋に入居していた。
- 麹町→汐留への移転の際には、汐留・日テレタワーに仲良く引越し。
- もしくは、麹町の旧日テレ社屋をラジオ用に改装し、現在もそこに入居。
- JRN・NRNとは異なる第3のラジオネットワークを立ち上げていた。
- 岐阜放送・ラジオ関西は確実に加わっていた。
- 開局当初から巨人戦をキラーコンテンツとしていた。
- 箱根駅伝の中継も行っていた。
- 日本テレビホールディングス設立後は同社の完全子会社に。
- 出力も100kwに増力され、関東広域放送が実現していた。
テレビ放送免許が受理されていたら
『民間放送十年史』(日本民間放送連盟発行)には『「ラジオ関東」(RFラジオ日本の前身)がテレビ放送への構想がある。』内容の記載があり、実際に『1960年12月6日に郵政省(現:総務省)にテレビ放送の免許申請をした。』旨が記載されてました。もし、RFラジオ日本のテレビ放送免許が受理されていたら?
- 局名は関東放送に変更。
- テレビ送信所は、(実在の)在京広域局と同じ。
- テレビ東京は開局していない。(前述の『民間放送十年史』に「希望周波数216Mc~222Mc(=VHF12ch)である。」と記載されている。)
- テレビ東京は、1970年代に東京都域独立局として、親局がUHFで開局。よって、東京メトロポリタンテレビジョンは開局してなかった。
- むしろ、「日本科学技術振興財団のテレビ放送事業」(通称「科学テレビ」)がテレビ東京にならず、「放送大学」(or「放送大学」相当の放送局)になっていたかも。
- TBS東京放送に次ぐ、関東2番目のラテ兼営局になった。
- TBSの分社化後は、関東唯一のラテ兼営局に。
- テレビ系列は独立局。(実史のテレビ東京も開局当初は「関東広域独立局」だった。)
- テレビ東京の様にテレビネットワークを結成したら、そのネットワーク名は「RFN」。
- (実史上の)「社会の木鐸」後に日テレの傘下に入る事ができなかった。
- ラジオの野球中継は、巨人戦オンリーにならなかったかも…?
- 資本構成と主要株主が史実とは違っていた。
エフエム横浜
FM群馬やFM三重やJ-WAVEより先んじて開局していたら
- FM群馬やFM三重にFM横浜がネット番組を供給していた。
- JFN Bラインが発展することはなかった。
- JFN系列は「NORU SORU」まで本格的な深夜放送を手がけなかった。
- FM横浜の全国での存在感が増した。
送信所が大山に移転せず円海山のままだったら
- 磯子中継局は存在しない。
放送大学
一般の番組も放送されていたら
- それでもCMは放送されていない。
- 放送されていた場合、他民放に扱いが近くなっている。
- この局でしか放送されないCM(教育関連商品?)もあったと思われる。
- 放送されていた場合、他民放に扱いが近くなっている。
- 放送時間も実際より長くなっていた。
- かつての東京12チャンネルや日本教育テレビのような編成になっていた。
- 局名が変わっている。「BUTテレビ」(Broadcasting University Television)とか。
- 緊急地震速報などが流れる。(実際は「緊急地震速報」等を流す義務は放送大学には無い。)
- 栃木県や茨城県にも中継局が設置されていた。
- でも、中継局は、宇都宮と水戸のみ。
- 参考までに、実史上ではアナログ放送時代、東京都区内と横浜市内に、SHF波による中継局が開設されていた。
送信所が東京スカイツリーに移転していたら
- 放送大学を視聴できる世帯が増えていた。
- 送信所機能を失った東京タワーは・・・。
- 東京タワーは、NHKと在京キー局の予備送信所として、残されてます。
- 2018年10月に地上波放送が廃止される事は史実と変わらず。
TBS(東京放送)
独立項目
ラジオ東京が日本初の民間放送局だったら
TBSの前身・ラジオ東京(KRT)は1951年12月25日に開局し、毎日放送(MBS)や中部日本放送(CBC)(いずれも1951年9月1日開局)より遅れて開局しています。もし、ラジオ東京が日本初の民間放送局として開局していたらどうなっていたのでしょうか?
- 民放最初の放送局と他局に対し自負していた。
- MBSやCBCとの関係は現実のように悪くはならなかった。
- もしかしたらTBSが「新日本放送」を名乗っていたかも。
- 意外にコールサインの「JOKR」が定着し、「ラジオ東京」が「東京放送」に改称後も、略称が、「KR」もしくは「KRT」のままだったりして。
- 「日本放送」(史実ではニッポン放送の開局前の社名)の可能性も。
- その場合、日本テレビは「読売テレビ」に…あれ?
- 日本テレビより早くテレビに参入していたかもしれない。
- その場合、テレビチャンネルはVHF4chがTBSに使用され関西と同じチャンネルになる。一方日テレはVHF6chを使用する。
- そのため地デジのリモコンキーIDがJNN系列は4ch、NNN系列は6chが標準になっていた。
社屋を緑山に移転していたら
TBSは1970年代に郊外への社屋移転計画を打ち出し、横浜市緑区に土地を取得したが、周囲の反発にあい実行されませんでした。(この土地に建てられたのが後の「緑山スタジオ」)
- 「横浜」にあるのに「東京」放送では矛盾するのでこの時点で「TBS」に社名変更。
- 赤坂の知名度が下がっていた。
- 青葉台駅から出てる関係者用バスが一般にも開放。
- SASUKEの収録はどこで行われていたのだろうか・・・。
- そもそもたけし城もSASUKEも存在しなかったのではなかろうか。
- 実史上で春秋の改変時に放送される『オールスター感謝祭』も緑山から放送?
- 緑山からの放送だったら、「赤坂5丁目ミニマラソン(に相当するコーナー)」は、どのルートになっていたか?
- 東急こどもの国線の通勤路線化が史実よりも早まった。
- 東北放送など、郊外に局舎のあるネット局から「うちと似た所にあるんですね」と言われる。そうした地域(宮城県など)の視聴者・リスナーがTBSの放送センターを見ても、地元の放送局と大差のない立地条件なので、違和感を感じない。
東京放送の略称として「TBC」が使われていたら
史実では仙台の「東北放送」が1955年に「TBC」という略称を使っていたので、1960年にこの放送局が「ラジオ東京」から「東京放送」に社名変更した時、この放送局は略称として「Tokyo Broadcasting System」の略称として「TBS」を名乗ることになりました。もし、東北放送をはじめとする他の放送局がそれまで「TBC」の略称を使わわなかったので、東京放送が「TBC」の略称を使うことができたら、どうなっていたのでしょうか?
- エステサロン「東京ビューティセンター」は、「TBC」の略称を名乗らなかった。
- 東京放送の歴代ロゴは、史実のデザインか、それとも史実の東北放送のロゴか。
- 「TBS」と言えば「東京ビッグサイト」の略称になっていたかも。
- その後追いで、放送界では、東北放送か別の地方局が「TBS」の略称を使い始めるか。ただし、地方局だから、筆記体ロゴ(史実の東京放送のロゴ)は使っても「ミクロコスモス」は使わないだろう。
テレビ東京
独立項目
現実より系列局が多かったら
- 広島に「もみじテレビ」、仙台に「杜の都放送」、新潟に「テレビ越後」、静岡に「テレビスルガ」が開局していた。
- TVQ以外にも局名が「テレビ○○(地名)」という原則にあてはまらない局が多数存在。
- むしろTVQの旧称「TXN九州」に倣って「TXN○○(地名)」では?
- フジテレビnextで放送されたドラマ「ニュース速報が流れた」で登場した架空のテレビ局「北国テレビ」をどこかで使ってたかもしれない。
- TVQ以外にも局名が「テレビ○○(地名)」という原則にあてはまらない局が多数存在。
- テレビ宮崎がTXNにネットチェンジし、放送エリアを鹿児島・熊本を含めた南九州3県に拡大。
- 大半の地方局は他系列とのクロスネットで加盟していた。
- 現実ほどアニメに力を入れなかった。
- その代わり経済番組に力を入れている。
- それか韓流ドラマに力を入れている。
- その分テレビ朝日も未だにアニメに力を入れている。
- むしろこっちだと思う。
- その代わり経済番組に力を入れている。
- 他の民放と変わり映えしなくなる。
- ワイドショーも開始され、緊急報道特番も当たり前になる。
- BSジャパンの番組もほとんどがオリジナルになる。
- 日経ではなく朝日新聞の傘下になっていたかも。
- この場合、NET(テレビ朝日)と立場が逆転。
- 日テレやフジテレビのように長時間特番を制作。
- 競馬はフジテレビの代わりに日曜を中継。土曜は独立局及び地方局へ。
NHKに買収されていたら
科学テレビ時代に、財政難によりNHKが買収する案が存在したそうです。
- 当然テレビ東京やTXN各局は存在しない。
- これらの局はNHKの放送局として開局していた。
- ここがNHK教育になっていた。
- 史実のアナログ3chはニュース専門チャンネルになっていたかNHKスポーツになっていた。
- 理由として全国的にNHK教育は12chが多かったことから。
- その後現在に至るまでNHKは3局体制。
- 後年、肥大化批判によるNHKの放送体制見直しに伴ってチャンネル再編が行われる。
- ただし空きチャンネルを使っての新局開局は、バブル崩壊後では厳しかったと思われる。
- 後年、肥大化批判によるNHKの放送体制見直しに伴ってチャンネル再編が行われる。
- 今でもNHK教育→Eテレでは科学系番組が比較的多かった。
- 史実でテレ東で放送された番組(特に教育・教養系番組やアニメ)の一部はNHKで放送されていた。
東京都域局だったら
- 今のMXに相当する地位の局に収まっていた。
- 同じVHF波で東京タワーからの出力は1kw程度に抑えられていた。スカイツリー移転後は史実のMX相当の出力に。
- 早い段階からテレビ神奈川など近隣独立局と提携するネットワークが完成していた。
- 茨城も茨城放送がラテ兼営局になり、地元民放テレビ局空白地帯が日本から無くなっていた。
- とちぎテレビの開局も早まっていた。もしかすると栃木放送のラテ兼化かも。
- テレビ大阪やテレビ愛知など今のTXN各局は独立局として開局していた。
- 全国独立放送協議会は史実以上の規模になり、史実以上の各局ネット番組が増えていた。
- やがてそれが史実のTXNに相当する組織となった。
- 日経も「第5のネットワーク」を意識して各局に出資。
- 広島、静岡、宮城にも新局開局。
- 日経も「第5のネットワーク」を意識して各局に出資。
- やがてそれが史実のTXNに相当する組織となった。
- フジテレビが今のテレ東に相当する局になっていた可能性も。他局との徹底した差別路線を取る。
毎日放送に買収されていたら
「毎日放送が東京12チャンネルプロダクションを買収する」という話がありました。
- 東京にはJNN系列の放送局が2つあることになっていた(1975年以降)。
- TBS以外で放送されている毎日放送が製作にかかわっているアニメはmxではなく12チャンネルで放送。
- アニメ以外でもTBSで放送しない各種番組を積極的にネット。
- 放送法の都合上、親会社は東京放送ホールディングスではなくMBSメディアホールディングスになる。
- 毎日放送東京支社もここに置かれる。(現実ではは東京都港区赤坂)
日本テレビ
JNNより早くネットワークを完成させていたら
日本テレビは1953年8月、日本最初の民放テレビ局として開局しましたが、同局をキーステーションとするニュースネットワーク「NNN」はTBSをキーステーションとする「JNN」に約7年遅れで結成されました。 もし、日本テレビがTBSより早く「NNN」を結成していたら?
- 当時開局していたテレビ局は、大半がNNN系列になっていた。
- NNNのクロスネットが禁止され、JNNのクロスネットは禁止されなかった可能性も。
- 当然、沖縄にもNNN系列局はできていた。
- 琉球放送が日テレ系列になっていた。
- 沖縄テレビがFNNとNNNのクロスネットになっていた。
- いや、南西放送が開局していたというのが自然だろう
- 南西放送開局まで、沖縄テレビがNNNメインのFNNとのクロスネットだったのでは。
- 鹿児島以外にも「○○読売テレビ」「○○読売放送」を名乗る局ができていた。
- JNNではなくNNNに排他協定ができていた。
1社による全国の放送ネットワークが完成していたら
→もし日本テレビ1社による全国の放送ネットワークが完成していたら
視聴率至上主義に走らなかったら
1990年代の中盤から日本テレビは視聴率ノルマのもとに、視聴率優先の番組作りに転換。しかしそこから生まれた幾多の演出等は多くの視聴者の反感を買っていったにも関わらず、テレビ全般にまで広がるほどの影響を与えるにまで発展してしまいました。 仮にもし、現在に至るまで日本テレビが視聴率至上主義に踏み切らなかったにどうなっていたでしょう?
- 五味一男は早いうちに退職した。
- 「進め!電波少年」は1年ぐらいで打ち切りに。
- 時代劇枠や「火曜サスペンス劇場」はまだ続いていた。
- むしろ史実より廃止が早まった。
- 日本テレビは史実より低迷していた。
- 最近まで3冠王はフジテレビが総なめ。
- テレ朝の台頭やフジの後退により、今ではフジvs日テレvsTBSの三つ巴の状態に。
- 最近まで3冠王はフジテレビが総なめ。
- 視聴率買収事件は無かった。
- 2000から2001年にかけてあった「電波少年年越しカウントダウンフライング事件」も起きなかった。
- 日本のTV番組の形式は大幅に変わっていただろう。
- 皇室アルバムを金曜のゴールデンタイムに1時間番組でやる。
- 城朋子や梅原幹が台頭することはなかった。
- 2014年現在「それいけ!アンパンマン」は夕方に放送され、「名探偵コナン」は未だ月曜夜に居座っている。
- 福澤朗がフリーになる時期が史実より遅かった。
- 「金曜ロードショー」が「金曜ロードSHOW!」になることはなかった。
- リーマンショックや東日本大震災を経た後、倒産あるいは他局と合併していた可能性もあった。
- テレビ局は今でもかつての「護送船団方式」を彷彿とさせるような制度に守られているのでそこまで簡単に潰れるような気がしない。
- このご時世、放送事業より副業(不動産・映画等)の方が儲かる状況だからねぇ…
- 汐留本社は大幅に縮小されて空いたスペースは貸事務所になる。(と、氏家社長がかつて言っていました。)
- 読売ジャイアンツ戦の中継に依存する体質が現在まで続いていたかも。
- 「スポーツの日テレ」の地位を築き上げていた。
テレビ朝日
開局時からANNが結成されていたら
テレビ朝日をキーステーションするニュースネットワーク「ANN」は1970年1月1日に結成されたが、もし前身の日本教育テレビ(略称:NET)開局時にニュースネットワークを結成していたらどうなっていただろうか?
- 実史より早くかつ多くの系列局が開局した。
- ANNが実際は無い高知県やクロスネットの宮崎・福井両県にも系列局が存在していた。
- 青森テレビは、JNNにネットチェンジせずそのままANNに加盟し続けた。
- その場合青森放送は、現実の秋田放送の様な編成となっている。
- 青森朝日放送は開局しなかったか、「テレビユー青森」という名のJNN局として開局。
- 県民は第3局目をFNN・FNSで開局を希望したが元国会議員の圧力でJNN系列局として開局。
- 毎日放送はANNの「A」を朝日と勘違いしている事から、テレビ東京(当時:東京12チャンネル)と完全なネットワークを結んだ。
- 北海道放送は、JNN排他協定がなければ1962年にJNNを離脱しANN入りしていたかもしれない。
- 1962年まではSTVがNETの教育番組を放送していたが、NETネットワーク拡大を目指したことにSTVが激怒している。
- その結果、HBCがNETの番組を多く放送する事態になったため、HBCはJNNを離脱してもおかしくなかった。
- 北海道テレビも史実より早く開局し、JNNに加盟していた。
- 名古屋テレビもニュースネットワークは最初からANN入りしていた。よってNNN加盟はなかった。
TOKYO FM
送信所が富士山頂に置かれていたら
TOKYO FMの前身、FM東海は「富士山頂超短波放送実用化試験局」で免許申請を行いました。
- 受信エリアは現実より広かった。
- 現在は社名が変更になってもエフエム東京にはならないはず。
- エフエム富士…何でもありません。
- JFNが結成されたか怪しい。
BSジャパン
- 登記上の本社は東京都港区にあるためここに記載します
日本音楽事業者協会と揉めていなかったら
- (BSジャパンで放送される)殆どの番組は、地上波と同時刻に放送されていた。
- もちろん、同時ネット。
- ポケットモンスターダイヤモンド&パールや開運!なんでも鑑定団が一年遅れで放送されているという事態にはならなかった。
- オリジナル番組は地上波のローカルセールスに当たる時間帯中心に放送。
- 開運!なんでも鑑定団が字幕放送になってたかも(現実では地上波のみで実施)。
- 字幕放送を実施している番組が現実より多くなっていた。
- 2003年以降の日本シリーズもBSジャパンで放送されるため、NHK-BSでは放送されずテレ東への苦情ももっと多かっただろう。
- 地方局のテレ東番組が減っていた。
- アナログ放送と共に廃局となるTXN系列局も出ていたかもしれない。
- おそらくTVhとTSCが危ない。TVQはギリギリか?TVAとTVOは独立局として生き残りそう。
フジテレビ
今でも硬派路線だったら
もしあの放送局が… | |
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○○だったら | 北海道・東北/関東/キー局/甲信越・北陸 東海/近畿/中国・四国/九州 親会社(関東)/ラジオ局 |
違う系列局だったら | 北海道/東北/甲信越/北陸/東海/中国・四国/九州/沖縄 |
開局していたら | テレビ/ラジオ |
開局していなかったら | テレビ(FNS/ANN/TXN)/ラジオ |
ネットワーク関連 | キー局が在阪局だったら/独立局のままだったら クロスネットを禁じていたら ラジオネットが新設されたら/ラジオネットが新設されたら |
その他 | 社名・愛称・略称が変わっていなかったら/合併していたら 免許取り消しになっていたら/放送対象地域が広域圏だったら テレビ放送を開始していなかったら/同一企業だったら ラテ兼営局だったら/ラテ兼営局が分社化したら 免許が一本化されていたら/免許が一本されていなかったら |