もし沖縄が日本に復帰していなかったら
- トリスウイスキーの懸賞が「沖縄旅行積立預金証書」になっていた。
- 5月15日は特別な日ではなかった。これに関してはもし沖縄戦がなかったらともし琉球王国が存続していたらでも同じ。
- 5月15日と言えば五・一五事件が起きた日のままだ。
- さすがに軍政は終わり、グアムのようなアメリカの自治属領(準州)となっている。
- あるいは琉球連邦としてアメリカの傀儡国家になっている。
- 今も傀儡国家だが…
- 対中拠点としてオキナワ州になっていたら、アメリカ国旗がマイナーチェンジ(星が1つ増える)。
- むろん民主党が強い青色州。
- ただし発言権はあるが議決権のない代表者という扱い。
- ナンバープレートには“Uchina State”か“Mensore State”と書かれていた。
- 史実のアメリカ統治時代のナンバープレートは“Keystone of the Pacific”だった。
- むろん民主党が強い青色州。
- 『アメリカ横断ウルトラクイズ』のペーパークイズ、ブーブーゲート、どろんこクイズはグァムやサイパンでなく沖縄(への機内)が定番。
- オリンピックにも独自の選手団を派遣していた。
- 史実の東京五輪(1964)でその提案が却下されたのでそれは微妙。
- 国連の非自治地域リストに載っていた可能性も高い。
- あるいは琉球連邦としてアメリカの傀儡国家になっている。
- 沖縄の小学校では英語と琉球語が教育されるようになり、本土人と沖縄人の間で言葉が通じなくなっている。
- 琉球語版Wikipediaは今以上に発展していた。
- 更に、ハワイ州でしか使われないハワイ語も教育される為、沖縄の住民は完全に外人扱いになる。
- 現実では琉球政府の教育基本法に「日本国民としての教育」を行うと明記してあったのでそれはなさそう。
- アイルランドみたいに琉球語が国語でも実際はウチナーヤマトグチのほうが良く通用することになりそう。
- 上にあるようにわざわざ(沖縄方言でもなく)琉球語を教えるというのは、それ自体が日本との決別を示すようなものであって、仮に将来復帰するとしても日本と琉球の連邦国家化くらいは要求してきそう。
- 時代と共にアメリカのように4月入学から9月入学になる。
- 比較的裕福な家庭が多い地域ではアメリカのように私服やリュックの学校が増えそう。
- しかし、米軍基地がある地域では治安の問題で小学校から高校まで制服の学校があった。
- ランドセルは確実に廃れるな。
- アメリカ統治下の影響が長いため、高校までの義務教育が制定される。
- しかし、米軍基地がある地域では治安の問題で小学校から高校まで制服の学校があった。
- 比較的裕福な家庭が多い地域ではアメリカのように私服やリュックの学校が増えそう。
- 琉球語版Wikipediaは今以上に発展していた。
- 尖閣諸島はアメリカ領で確定。中国も台湾も文句が言えない。
- 下手するとアメリカが台湾に呼びかけ台湾と沖縄を連邦制にしちゃうかも
- そうなると中国激怒だな。
- 尖閣諸島問題が存在しないため、日中関係は史実より良好だった。
- 下手するとアメリカが台湾に呼びかけ台湾と沖縄を連邦制にしちゃうかも
- 在日米軍の規模がぐっと小さくなる。
- 琉球切手投機騒ぎは起きなかった。
- 首里城は未だに再建されていない。
- 世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(もちろんアメリカの物件)に含まれることはなかった。
- 某ゲームのラインナップも大幅に変わっていた。
- 世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(もちろんアメリカの物件)に含まれることはなかった。
- ナショナルチームも沖縄代表。よって我那覇は沖縄代表。
- オリンピックも沖縄代表。
- 地図上では未だに奄美大島と沖縄の間に国境線がしかれたままで、琉球(米)と表記される。
- bjリーグには琉球の代わりに滋賀が1年早く参入。
- 沖縄への修学旅行は一部の私立高校と、九州の一部公立高校だけが実施。
- その分北海道に行く学校が増加する。
- 通貨は米ドルのまま。ニクソンショック後、経済が悪化する。
- 「国境」に近い鹿児島県奄美諸島に防衛庁(現:防衛省)が国境防衛の為に基地を置く。
- やはり徳之島か。
- 名実共に正式名称が沖縄ではなく琉球に変わる。
- 10階以上のビルが建ったにせよ、グランドキャッスルやハーバービューホテルはない。
- 航空制限だらけ、国場ビルクラスですら10年以上あとに建てられた。
- 独立して、資源開発にも失敗していたらアジア最貧国の仲間に。
- 奄美地方の自然が破壊され、沖縄北部の自然はある程度残る。
- 名瀬には20階以上のタワーマンションが建つ。
- 奄美空港は滑走路が2500mになり、たまにジャンボ機も飛来する。
- 与論島は現在も年間100万以上の観光客が押し寄せ、10階建て以上のリゾートホテルが林立する。
- 日本との間は、経済格差からビザ無しでの渡航が禁止されるため、沖縄への日本人観光客は現在の半分以下の水準に留まる。その代わり、宮崎や鹿児島がリゾート地として現在も君臨。
- JALもANAも1日2便程度。AAやDL(NW)、UAが地方空港にも発着。
- 史実では日琉間の渡航にビザは必要なかったが…。
- 沖縄は独立していたかもしれない。
- 単位はメートル法ではなくヤードポンド法が使われている。
- 奄美諸島も復帰していない場合、種子島に基地が置かれる。
- 米国と中国(共産党政権)の共同統治領になる可能性も。
- あるいは沖縄諸島・大東諸島はアメリカ主導で「琉球共和国」として、先島諸島は中華人民共和国主導で「琉球人民民主共和国」としてそれぞれ独立していた。
- アメリカが仮想敵国にむざむざ自らの勢力圏を分け与えるような行動をとる気がしない。
- あるいは沖縄諸島・大東諸島はアメリカ主導で「琉球共和国」として、先島諸島は中華人民共和国主導で「琉球人民民主共和国」としてそれぞれ独立していた。
- 安室奈美恵やSPEEDはデビューしたか?
- 「琉流ブーム」とかになってたりして。
- アムラーがないので、コギャル文化も無い。
- 外国人アーティストとして来日していたかも。
- 女優の仲間由紀恵や新垣結衣・黒木メイサなどは日本で活躍していなかった可能性もある。
- 新垣結依は星野源と結婚していない。
- 特定アジアに入れられていたかも。
- 1972年の返還が無かった場合でも、冷戦終了後(90年代前半)に返還されていた可能性がある。
- たとえ、返還されたとしても場合によっては鹿児島県に編入されていたかもしれない。
- もしくは奄美と一つの県になっていた。
- たとえ、返還されたとしても場合によっては鹿児島県に編入されていたかもしれない。
- 共産党などが今でも沖縄返還を政策として掲げている。
- その一方でネット右翼はあまり問題視していないと思われる。
- 連続テレビ小説「ちゅらさん」「純と愛」は制作されなかった。
- あるいは朝ドラ50周年か第100作あたりでNHK・OHKの共同制作による沖縄ネタの作品が放送されていた。
- 「ちむどんどん」も存在しなかったか内容が大幅に異なっている。
- 『今日の琉球』『守礼の光』は現在も刊行され続けている。
- 電子版も創設された。
- 国別コードトップレベルドメインとして「琉球」にちなみ「.rk」が割り当てられていた。
- 沖縄に行くのにビザが必要になっていた。
- 駐日アメリカ大使館は日本国民が沖縄へ渡航できるビザを発給せず、グアム辺りで沖縄に行けるビザを取得する形になっていた。
- 当然ながらこの方法だと、沖縄はアメリカの領土と認める(本来は沖縄はビザなしで行けるはず)事になるため、外務省のホームページには日本国民が沖縄への渡航の自粛の要請する文言が書いてある。
- 北方領土とは事情が違いすぎるのでそれはない。
- 沖縄をアメリカの施政権下に置くことは自民党や昭和天皇も認めていたので不法占拠された北方四島とは同一視できない。
- 最初から沖縄を日本に返還する気がなかったら、沖縄に住んでいた県外人は強制的に本土に引き上げさせられていた。
- 関係者によるビザなし渡航も広く行われていた。
- 下手したら1945年8月15日以降もアメリカ軍は種子島辺りまで武力で占領していた。
- 現在でも日米間では、平和条約が締結されていない。
- 幾ら何でも論理が飛躍しすぎ。そんな事になったらサンフランシスコ平和条約そのものが無くなるので、今でもGHQが日本を占領している事になる。
- 琉球切手はもちろん健在。
- 琉球王国関連の記念切手も多く発売され内地の切手ファンから多くの収入を得ていた。
- 少女が米兵に暴行されようが大学にヘリが落ちようが内地のマスコミはほとんど見向きもしない。
- あるいはそれよりももっと凶悪な米軍や軍属関係者による連続殺人事件が起こっていたかもしれない。
- 時代と共に有罪になっていたかもしれないが、それでも反発運動が激化していた。
- あるいはそれよりももっと凶悪な米軍や軍属関係者による連続殺人事件が起こっていたかもしれない。
- 沖縄→ヤマトの移住は自由だったため進学や出稼ぎ目的での移住者が多くなっていた。
- 移住者は少ないと思われるので史実より過疎化が激しくなっている。
- 大阪市大正区などがウチナータウン(沖縄タウン)として、鶴橋のように栄えていたかも。
- 桃鉄シリーズにはかなり後年になるまで登場できなかった。
- おそらく携帯版の「WORLD」で「沖縄駅」が初登場。
- 今も島内に核兵器が普通に配備・貯蔵されていた。
- 上皇・上皇后両陛下による沖縄ご訪問の数は史実よりずっと少ない。
- 先島諸島へのご訪問は実現していない。
- 沖縄出身のプロスポーツ選手は外国人扱いで加入するか、史実で加入したチームに入団できない場合が多い。だが本土の学校に入学して外国人枠を外れるケースもある。
- 台湾や韓国と同様、内地の学校にスポーツ留学し日本人扱いになってからプロ入りするケースが多そう。
- 琉球銀行は未だに米軍系の金融機関で、通貨発行権も有していた。
- ダレスの恫喝にめげずに二島返還で決着がついた。
- 瀬長亀次郎は史実よりも活動的にアメリカ政府と戦っていた。
- 那覇市長に復帰するかも。
- 逆に南アフリカの大統領ネルソン・マンデラのように獄中生活を送っていた可能性がある。
- 沖縄ではマンデラエフェクトならぬカメジローエフェクトという言葉が広まっていたかも。
- 那覇市長に復帰するかも。
- 地震の震度測定についても、沖縄では日本の気象庁震度階級を使用せず、欧米で広く使用されている改正メルカリ震度階級が使用されていた。
- モアナと伝説の海の舞台が沖縄になり、ティ・カーが屋久島の神になる。
- 大統領選挙における選挙人数は、人口が同じくらいのハワイ州と同じ4人。
- 沖縄から曙や武蔵丸のような横綱に上がった力士が出て、ハワイ勢ではなく沖縄勢が活躍していた。
- 岡儀平さん(1883-1991)が亡くなった後の男性長寿日本一は竹下春長(1885-1993)、奥宗太郎(1885-1993)、松古貞助(1886-1994)、佐々木與一郎(1886-1994)、日浦岩吾(1886-1996)となった後、石崎伝蔵になっていた。
- よって四国も男性長寿日本一を出した地方になっていた他、岡山県も男性長寿日本一を出した県になっていた。
- だが石崎伝蔵が戸籍届けが2年遅れた事により、実際には1884年生まれの114歳没とする説が出てくると、これらの人が男性長寿日本一になった事が幻になっていた。
- このせいで結局、四国や岡山県からの男性長寿日本一が幻になっていた。
- 岡儀平さんが亡くなった後の男性長寿日本一が誰か分からない状況になる事もなかった。
- 竹下春長の訃報もちゃんと公表されていた。
- 中願寺雄吉さんが亡くなった後の男性長寿日本一は小沢愍昌になっていた。
- 山中かくが亡くなった後の長寿日本一は白石チヨ、太田ちよのとなった後、長谷川チヨノとなっていた。
- 史実の樺太同様、内地だった沖縄が終戦後外地扱いされるようになっている。
- 沖縄が舞台のフィクション作品や沖縄出身のキャラクターの各大半は存在しなかった。
- 史実でそのキャラが存在する沖縄以外が舞台の作品において設定が一部変更されていた。
- 後者はたとえ登場出来たとしてもアメリカ出身という設定になっていた。また作品によっては初登場時期が史実より遅れていた。
- 我那覇響がいい例。この場合だと一作目のアイマス時点では登場せず、デレマス辺りで初登場すると思われる。
- 「城栄国」(想像地図・城栄)の実効支配地域外となる安沢県(沖縄が元ネタ)は描画対象から外されていた。
交通編集
- 右側通行・左ハンドルが続いている。
- この世界の1978年7月30日はごく普通の日として過ぎ去っていた。
- 更に車社会化が進んでいる。
- 税金などの諸経費が安いため。
- オバマ政権下で、やっと路面電車に着手。
- 間違ってもモノレールには使わない。
- しかし、財産の都合の為なのか、結局完成したのは路面電車でもなく高速道路だった。
- ハイウエイはそれ以前に作り尽していると思われるので無事軌道系交通機関ができていると思う。
- ただしプエルトリコのように地下鉄になっていた可能性も否定できない。
- ハイウエイはそれ以前に作り尽していると思われるので無事軌道系交通機関ができていると思う。
- しかし、財産の都合の為なのか、結局完成したのは路面電車でもなく高速道路だった。
- 自動車の各種税金や保険料はアメリカ基準となる。
- ガスガズラー税や2人乗りスポーツカーに対する高額な保険料が実施されている。
- パスポート必須。
- 英語と日本語で「亜米利加合衆国」と記載された旅券が今でも通用する。
- 地方空港から沖縄便が飛ぶことは無く、沖縄便があるのは茨城・羽田・成田・関空・中部・広島の6空港のみ。
- その代わり那覇空港にはホノルルやロサンゼルス、ニューヨークへの定期便も就航していた。
- 福岡、鹿児島、奄美からも沖縄便ができているような気がする。
- 地方空港から沖縄便が飛ぶことは無く、沖縄便があるのは茨城・羽田・成田・関空・中部・広島の6空港のみ。
- 英語と日本語で「亜米利加合衆国」と記載された旅券が今でも通用する。
- 那覇空港からアメリカ本土便が発着する。アメリカ便が国内線になる。逆に成田、関空、中部とは日米の国際線になる。
- 羽田と那覇を結ぶ便は成田開港以来はD滑走路完成まで運行されなかった。
- デルタ航空、ノースウェストのアジアの拠点が成田で無く那覇になっていた可能性もある。
- TWAの那覇便も90年代まで飛んでいた。
- 船舶旗が史実とかなり異なるデザインになっていたかもしれない。
- 場合によっては琉球王国時代の意匠が使われていた。
- 南西航空が今も沖縄資本の会社のまま。
- 自力で台湾や香港への路線も飛ばしていた。
- 社名が「琉球航空」か「沖縄航空」になっていた可能性も否定できない。
放送編集
- 大相撲中継は今も沖縄では民放が担当している。
- 一時、中継されなくなるが沖縄出身郷土力士が幕内入りで放送復活
- つまり琴椿が幕内入りした1991年初場所から中継が再開される。
- そこはOHK(沖縄放送協会)の出番では。
- ↑米軍占領期の沖縄は琉球と呼ばれていたのでRHK(琉球放送協会)になっていたかも。
- 或いは公用語が英語化したとしたらOBCかRBC?
- 一時、中継されなくなるが沖縄出身郷土力士が幕内入りで放送復活
- FM沖縄が存在しているかが怪しい。