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2021年1月25日 (月) 18:40時点における版
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開港していたら
石狩空港
- 1966年に当時の福田北海道開発長官が札幌周辺への新国際空港建設を発言し、札幌の財界が石狩町生振への空港建設の要望を行うも千歳市の千歳空港拡張の要望が勝り史実では実現せず。
- 丘珠・千歳空港は自衛隊機能のみとなる。
- 1972年札幌五輪時に千歳空港を臨時国際化したのは史実通り。
- 苫小牧市ではなく石狩市がダブルポートの街を大きくアピールしていた。
- 石狩町の市制施行は史実より早くなっていたかも。
- 札沼線から分岐し石狩中心部を経由し空港へ向かう鉄道路線が建設されバス頼りの街とならなかった。
- 1950年代から棚上げとなっていた石狩鉄道が空港アクセスを主目的に建設されていたかもしれない。
- 石狩市中心部や札幌北区に騒音対策が必要となる。
- 60年代後半からの計画開始となればおそらく1980年代前半に第一次計画が完成となっていた。
- 1984年札幌五輪が決定していたら、五輪開催に間に合わせるように建設が行われていた。
横田基地軍民共用化
- 東京の多摩地区にある横田基地には、以前から軍民共用化構想があります。もし実現したら…?
- 空港としての名称は「多摩空港」あたり。
- 羽田・成田と合わせて「東京3空港」と呼ばれる。
- 茨城空港を入れると「東京4空港」。
- 現在の横田基地への引き込み線が空港アクセス鉄道として整備される。
- 中央線がパンクしかねないのをどうするか… 立川までの複々線構想実現なるか。
- もしかしたら西武新宿・拝島線かも(こちらはターミナルの問題があるが)
- 中央線がパンクしかねないのをどうするか… 立川までの複々線構想実現なるか。
- 横田上空の空域が返還される。
- 横田空域問題解消で羽田便が少し安くなる(燃料費の問題)
- 三沢、岩国のように旅客機エプロンと誘導路の間に何故か電動ゲートが設置される
- まだ周囲の住宅が少ないバブル以前に実現していた場合は、滑走路が北に伸びて青梅市にかかり、結果として、熊本阿蘇国際空港のように青梅国際空港という臭そうなあだ名で呼ばれてしまう。
小笠原空港
- 昔から開港が熱望されているが、諸般の事情で未だに構想止まりとなっている。現在は父島の洲崎地区に建設する案が有力らしい。
- 島内の物流・救急事情が超大幅に改善されていた。
- それでも輸送量の都合から竹芝-父島間の航路は存続する。
- 少なくとも新聞・雑誌・郵便に関しては毎日or隔日で届くようになっていた。
- 緊急輸送・ビジネス輸送→飛行機、観光輸送→フェリーと棲み分けられていた。
- 用地の都合上、史実案と同様にプロペラ機での運航がメインとなる。
- 但し兄島案が採用されていれば、長崎空港並みの魔改造によってジェット機対応の空港を作っていたかもしれない。
- もしジェット空港として開港していた場合は沖縄並みに観光開発が進んでいた。首都圏だけでなく中京・関西でも小笠原諸島の知名度は高くなっていた。
- 但し兄島案が採用されていれば、長崎空港並みの魔改造によってジェット機対応の空港を作っていたかもしれない。
- 「北大東・南大東島のように母島にも空港を作れないのか」と言う運動が興っていた。
- 早くから建設されていた場合、世界遺産登録に関してかなりの悪影響があったと思われる。
- 水上機もしくは飛行艇専用の空港として開港し、新明和US-1の民間機仕様が就航。
- ミルMi-26のような大型輸送ヘリコプターが旅客輸送に広く使われていたらヘリポートとして開港していた。
- ヒンデンブルク号の事故が起きず、硬式飛行船の運用が続いていたら戦前に実現していたかも。
- 多分運航航空会社はJACになる
- 羽田空港の小型機発着規制の問題で調布発着になる
金沢空港
- 北陸地方で最大かつ唯一の第二種空港に。
- 小松空港はとっくに閉鎖。
- 小松市やその周辺の経済が悪化する。
- ただし航空自衛隊の基地は小松に残される。
- 本数は小松空港のときよりもアップ。
- 騒音問題で悩まされている。
- まず、建設段階で地元住民や反対派が猛反発。
- 結局建設計画は白紙に。
- 福井県民が小松より空港が遠ざかることに対して異を唱える。
- 福井空港がジェット化される。
- 富山空港は未だに国際便がないどころかジェット化すらされていなかった。
- ジェット化された場合は黒部市など県東部に移転していた。一方、高岡など呉西地域の住民は金沢空港を利用していた。
- 能登空港は作られなかったであろう。
- 能登地方の外国人観光客数が現実より少なくなっていた。
- 北陸新幹線が金沢まで来なかった、もしくは金沢への延伸が遅れた可能性がある。
- もし新幹線が開通したら、利用者減少が深刻になるだろう。最悪東京便廃止もありうる。
- または、東京羽田線で、機体小型化の上、大幅減便。(史実上の東北新幹線八戸開業時における「東京羽田~三沢」線みたいに。)
- 建設地は内灘町の河北潟干拓地か。
- この場合北鉄浅野川線が空港まで延伸されていた。
びわこ空港
- 滋賀県に空港を作る計画があったようです
- たぶん羽田便はない。
- せいぜいチャーター便が限度。
- 湖西地方に建設されていたら京都旅行が便利になっていた。
- 京都旅行に新幹線を使う割合が減っていたかも。
- 東海道・山陽新幹線からのシフトはほとんどないと思われる。
- 京都旅行に新幹線を使う割合が減っていたかも。
- 湖東に建設ならLCCもこなさそうだ。
- 現実の計画では近江鉄道が乗り入れることも検討されていたので湖東だったような記憶がある。
- 空港が事実上ない福井県民の受け皿になっていたと思う。特に小松空港が遠い嶺南の住民には重宝される。
- 何らかの形で西武グループが絡んでいた。
- 国際空港として計画されていたらしい。
- 空港の無い、福井県・三重県・奈良県・京都府からの(への)利用もあった。
- 琵琶湖京阪奈線や近江伊賀線が開通していた可能性もある。
- 首都機能の畿央移転に一歩近づいていた。
- 「びわこ空港」だとなんか琵琶湖を埋め立てて空港作るみたい…
京都飛行場
- 久御山町から宇治市にかけて十字型に1600m滑走路が終戦直後まで残っており飛行学校などが併設されていました。では、空港として現存していたら?
- 観光都市京都の玄関口として重要な存在となっていた。
- 但し伊丹空港や関西空港との関係で国際線の発着はなかっただろう。
- 現実の神戸空港と同じような感じとなっていた。
- 伊丹空港は廃止になっていたかもしれない。
- 但し伊丹空港や関西空港との関係で国際線の発着はなかっただろう。
- 名称は「京都空港」となっていた。
- 空港アクセスとしては京都市営地下鉄烏丸線が空港ターミナルまで延伸されていた。
- 新油小路は史実より沿道の発展が早く、近鉄(か前身の奈良電)の大久保駅前もバスとタクシーで溢れかえっていた。
- R1とR24バイパスと第二京阪は付近で地下や別ルートになっている。
ジェット機対応だったら
丘珠空港
- 2016年夏からFDAがジェット機で静岡線を季節運航することが決定。
- 「ジェット機は千歳、プロペラ機は札幌」の棲み分けは存在しない。
- とは言え札幌市街地に近すぎる+用地を確保できないなどの理由から、千歳空港自体は史実通り建設されている。
- 史実とは逆に「札幌直行便が丘珠行、北海道の他の都市への乗り継ぎ便が千歳行」と言う棲み分けになっていたかもしれない。
- とは言え札幌市街地に近すぎる+用地を確保できないなどの理由から、千歳空港自体は史実通り建設されている。
- 地下鉄東豊線が丘珠空港まで延伸されていた。
- 2010年代以降は北海道におけるLCCのターミナルとしても繁栄していた。札幌市街地に近いこともあって、丘珠空港発着のLCCは常に利用率が高く、なかでも成田-丘珠線はLCC各社にとって一番の稼ぎ頭となっていた。
- 距離的には札幌に近いけど千歳には快速エアポートがあるので時間的にはあんまり変わらなかったり。
- 北海道主要空港民営化の対象にも含まれていた。
佐渡空港
- 新潟便は船で十分なので設けない。代わりに東京・大阪アクセスを向上させるために、羽田・伊丹に2便ずつ運航。
- 要するに能登空港のようなイメージ。
- 輸送量はたかが知れているので、MRJによる運航。
- 能登空港同様ANAになればいいが、新潟県で設立する航空会社になりそう。
- 「佐渡エアラインズ」とか「ときエアコミュータ」とかになりそう。
- 能登空港同様ANAになればいいが、新潟県で設立する航空会社になりそう。
調布飛行場
- 横田基地の軍民共用化問題は最初から存在しない。
- 現在は「羽田より発着料が高くなく、成田より都心から遠くない」と言う理由で、事実上LCC専用空港と化している。
- 空港利用客の為に京王電鉄も飛田給駅に優等列車を停めていた(史実ではサッカーの試合が開催される時のみ臨時停車)。
- 行先表記は「東京(調布)」になっていた。
- 「東の調布、西の伊丹」として騒音問題が槍玉に挙げられていた。
- FC東京の選手がイメージキャラクターに採用される。
福井空港
- 滑走路を延長してジェット化する構想があったが、福井県議会で小松空港を重視する政策が採られた為白紙に。
- 少なくとも富山空港と同規模にはなっていたと思われる。
- 建物も現在の物ではなくなっていた。
- それでも羽田行き以外は小松空港を使う県民が多い。
- 小松と福井で何かしらの棲み分けが行われていた。
- 福井のバスターミナルからは双方へのアクセスバスが運行されている。
- 但し上にある金沢空港が開業していたら話は別。
- 小松と福井で何かしらの棲み分けが行われていた。
- 管制が中部国際空港からのリモート操作になる事もなかった。
- ジェット化と同時に南越地域に移転していた(丸岡では小松に近すぎるのと、嶺南地域からの利便も考慮するという理由で)。
- でも、北陸新幹線敦賀開業時には何らかの影響はあるかも。(事実、東北新幹線全線開業時には、青森・三沢の両空港で、羽田線の機材の小型化や減便が実施されている。)
- 「福井くずりゅう空港」や「福井フェニックス空港」といった愛称名が付けられていた。
広島西飛行場
- 広島空港なんてできなかった。
- 広島市街地から至近なこともあり、対羽田では航空シェアが新幹線より勝っていた。
- 沖合拡張の上でこちらが「広島空港」を名乗っていた?
- 現実の最盛期以上に拡張すると進入コースが宮島に引っかかってしまうためもう拡張不能とされていたはず。
- そもそも現空港完成まではこちらが「広島空港」でエアバスA300やボーイング767も発着していた。
- 岩国錦帯橋空港もできなかった。
- トンネル方式の採用を余儀無くされるため広島南道路の江波より西の区間の完成が遅れていた。
羽田空港
沖合展開拡張工事に失敗していたら
ヘドロ状の地盤を改良するための土木技術の進歩が追いつかず、沖合展開工事の目処がたたないと仮定。
- ターミナルビルも古い建物をリフォームしてだましだまし使用。
- 発着便数は少ないままで、発着枠の奪い合いは熾烈を極める。
- 羽田発着のフライトの運賃は高めに設定される。
- 成田空港は第三滑走路まできっちり建設され、国内線の地方路線や国内線のLCCは成田に発着。
- 成田スカイアクセスは1990年代のうちに全線複線で開通していた。JRも別にトンネルを建設して成田空港線が複線化されている。
- 一方京急空港線は「空港線」と名乗りながら空港アクセスとは無縁で、羽田空港駅も空港アクセスには全く使えない下町の小駅のまま。旧1000形の最後の砦として知られるなど、常に京急最古参の車両が活躍していた。
- 「蒲田飛ばし」が問題になるどころか通常の快特すら京急蒲田を通過する。
- 一方京急空港線は「空港線」と名乗りながら空港アクセスとは無縁で、羽田空港駅も空港アクセスには全く使えない下町の小駅のまま。旧1000形の最後の砦として知られるなど、常に京急最古参の車両が活躍していた。
- 東京モノレールがJR東日本の傘下になる事はない。もちろんJR羽田空港線なぞ妄想も甚だしい。
- 成田スカイアクセスは1990年代のうちに全線複線で開通していた。JRも別にトンネルを建設して成田空港線が複線化されている。
- 静岡空港の建設が促進され、新幹線新駅もきっちり建設される。
- 神奈川西部の利用者は静岡空港を選択するようになる。
- 静岡空港駅には一部の「ひかり・のぞみ」が停車していた。
- 茨城空港もある程度のシェアを得ていたかもしれない。
- 羽田・成田共に発着枠が逼迫している中で国際線の発着枠を確保するため、新幹線で行ける(比較的近い)都市への便数を削減するよう政府が決定。
- 東海道新幹線の輸送力を増すため二階建て車両が登場する。
- 新東名はもちろん片側3車線で建設される。
- 中央新幹線や北陸新幹線の全通が早まった。中央新幹線は普通の新幹線規格になっていたかもしれない。
- 東北新幹線も輸送力列車として2階建てE4系が大量に使用されていただろう。
- 山形新幹線や秋田新幹線も東北新幹線の輸送力確保のため、フル規格車両乗入れ対応となっていたかもしれない。(東北新幹線に小型車両はまかりならぬと)
- 首都圏第三空港の計画も具体化している。場所は東京湾の千葉県沖か?
- 同時に羽田廃止論の声も出ていた。
- 横田基地や厚木基地の軍民共用化がもっと現実味を帯びていた。
中部国際空港
1989年に開港していたら
- 中部国際空港が「世界デザイン博覧会」が開催された1989年に開港していたら?
- 1988年の名古屋夏期オリンピック開催を見越して建設された。
- 名古屋の'88年夏期オリンピック誘致の失敗で,空港周辺の開発のペースが('80年頃に計画した場合と比べて)一旦遅くなる。
- バブル景気で,開港の頃,空港周辺の開発が一気に進む。
- 名鉄常滑線が延伸扱いで中部国際空港に乗り入れ。名鉄常滑駅は駅改良に合わせて高架化(空港方面へ通り抜け可能に)。
- 名鉄1000系「パノラマSuper」は当初から空港アクセス・120Km/h運転を考慮。常滑線の高速化が開港までに行われたのは言うまでも無い。
- 開港時期次第で、金山橋駅の移転(金山総合駅の完成)が少し早まる。神宮前までの複々線化は金山橋駅移転の約9ヶ月あとに。
- 特急「北アルプス」は常滑線空港乗り入れ開始と共に運行区間が中部空港~高山間に変更された。
- キハ8500系は現実より多く製造され「北アルプス」は2004年頃まで運行されたと思われる。
- 6500系1986年導入車は車体構造が5300・5700系に準じた構造に変更され6800系は当初から前述とほぼ同一の車体構造だった可能性も。
- 5300・5700系は設計当初から120Km/h運転が考慮され5300系の台車は5000・5200系からの流用品ではなく新製台車だった。
- 「中華航空140便墜落事故」の内容が変わっていた。
- 開港当初欧州・北米から乗り入れる航空会社が多かった。
- 空港ターミナルビル内に松坂屋が出店していた可能性も。
- バブル絶頂期のため史実より開港初年の利用者数が多かった。
2004年に開港していたら
- 翌年の愛知万博に控えての開港であったので、中部国際空港駅の新1番線ホームの設置が史実よりも早まっていた。
- 2000系電車と2200系電車の登場が史実よりも早まり、2000系電車は2005年までに4両編成化されていた。
- 新名古屋駅、新岐阜駅などの7つの駅の改称と種別の再編成も史実よりも早まっていた。
大阪国際空港
廃止されていたら
関西国際空港の計画が立てられた当時、大阪(伊丹)空港は廃止される予定でしたが、結局関空開港後も大阪空港を残すことで決着しました。もしこの時大阪空港が本当に廃止されていたら・・・
- 関西地区の空港は当然、関西国際空港に1本化される。
- 2本目の滑走路も1994年の開港後直ちに着工されていた。
- 3本目の滑走路も2000年代前半には完成していた。
- 勿論、関空が大赤字を抱えてお荷物扱いされる様な事もなかった。
- お荷物どころか、日本のハブ空港として極めて重要なポジションに位置づけられていた。
- 関空が「大阪のワガママで建設された空港」などと勘違いされる事もなかった。
- それでも関空大赤字は避けられなかったかもしれない。
- 神戸空港の建設は現実通り。
- むしろ関空の発着能力が限界に達し、それを補完する国内線専用の空港として重要な存在になっていた。
- 関空との間のアクセスは高速船が受け持つ。
- 車利用者のことを考え、これも開業する。
- ジェットフォイルが使われる。
- ホーバークラフトかも。その場合大分からの引退時、中古機や部品を引き取っていた。
- 東の「湘南新宿ライン」のように、尼崎→東西線→連絡線→なにわ筋線か環状線→阪和線と、環状部西回りかそれに準ずる新ルートが開拓され、神戸~関空の直通列車や、その他山陽本線・JR神戸線から阪和線方面の直通列車が設定されたかもしれない。
- 神戸空港の規模自体も現実より大きくなっていた。
- 京都からは関空のみでなく、神戸空港へのバスも発着していた。
- 「ポートライナー」はリニモと同様の新交通システムとなり、関西空港まで延伸されていた。
- 運行開始から10数年経ってのシステム変更はさすがに無謀かと。
- 京阪中之島線が神戸空港まで延伸されていた。
- 阪神なんば線も神戸空港開港と同時に開業していた。近鉄特急も当然三宮まで乗り入れている。
- 南海「ラピート」とJR「はるか」の利用客が現実より多かった。
- 梅田からの空港アクセスが不便なため、関空開港と同時になにわ筋線が開業していた。
- 南海の業績が低迷する様な事もなかった。
- 2000年代後半には、ラピート用の新型車両が導入されていた。
- 「サザン」や「こうや」の車両も、とっくに新型に置換えられていた。
- 勿論、通勤型車両でも新型への置換えが進む。
- 2000年代後半には、ラピート用の新型車両が導入されていた。
- 「ラピート」だけでなく「はるか」も2010年前後に新型車両に置き換えられていた。
- 京都のみならず北陸の金沢や富山からの関空直通特急も設定されていた。
- 281系は北近畿地区特急の置き換え用に使用される。
- 東京~大阪間における東海道新幹線のシェアがさらに高くなっていた。
- 大阪市内(一部)の高層ビルの高さ制限が撤廃。
- 大阪モノレールの千里中央以西は建設されなかった。
- 延伸されていたとすれば阪急伊丹駅まで一気に延伸される。
- 大阪空港の跡地は首都機能をバックアップするために再開発されていた。
- 橋下府知事が大阪側の再開発エリアに府庁を移転する計画を出し大問題になる。
- 某都知事は「首都機能移転の為の下準備だ」として猛反発。
- 東京都から国に圧力がかかり、最悪建設中止に追い込まれる。
- 周辺自治体の財政に痛みを生ずる。
- 騒音に泣かされていた住民は枕を高くして眠れる。
- しかし一部の住民はしぶとく「空港廃止絶対反対!」を訴え続けている。
- 敷地の売却の際に、敷地内でごちゃごちゃになっている市境(飛び地)の問題も一緒に解決させた。
- 泉州地域が現実よりも格段に重要視されていた。
- 和歌山県が現実より発展していた。
- 大阪空港交通が関西空港交通に吸収合併されていた。
- 寝台列車「日本海」「きたぐに」「あかつき」の廃止はなかった。
- 現実より彗星・なは・つるぎの廃止時期が遅い。
- ええ事ばっかりやん。
- やっぱり伊丹を存続させたのは間違いだった、という事なのだろうか?
- うーん、必ずしもいいことばかりでもないような気がする。関空や神戸は遠すぎる。
- 寧ろ、新幹線シフトが進んでリニア新幹線の開通が早まってたかもしれないし・・・・・・、と言う事は影響は少ないんじゃないか?
- 上にも書いたように伊丹空港の廃止程度でリニア新幹線の着工が早まったりするわけない。
- 寧ろ、新幹線シフトが進んでリニア新幹線の開通が早まってたかもしれないし・・・・・・、と言う事は影響は少ないんじゃないか?
- これ系の新規投稿はとりあえず規制にしました。
- ここまで色々と書かれているが妄想も甚だしい気がするのは自分だけだろうか。
- もしこの通りに行くなら、今頃広島西飛行場→広島空港に航空路線がシフトした広島市が衰退して東広島市が中核市くらいにはなってるはずだが、そんなことはないのがその見本。
- 関西国際空港は台風で連絡橋が通行止め(タンカー衝突)、多くの旅客が取り残される
- 伊丹が使えないのでダイバートは神戸とセントレアに集中
- もしかしたら伊丹の跡地に着陸するかも
- 流石にそれはない
- もしかしたら伊丹の跡地に着陸するかも
- 伊丹が使えないのでダイバートは神戸とセントレアに集中
ポートアイランド沖に移転していたら
- 関西の主要空港はここと関西国際空港のみに。
- 伊丹周辺の騒音問題は解決される。
- 3発機以上の航空機も何事も無く乗り入れ可能。
- 地方からの便も従来どおりのジェット機を使用。
- 梅田に超高層ビルが乱立。
- 大阪国際空港(伊丹空港)跡地は再開発される。
- 再開発地域の交通機関として、大阪モノレールが伊丹まで延長される。
- 京阪中之島線は大阪湾岸を通りこの空港まで延長される。
- 他に阪神春日野道駅からポートアイランドを経由して空港までの新線も建設される。
- 空港名はやはり神戸空港に・・・。
- 神戸市が現実よりも発展していた。
- 福岡市や川崎市に人口が抜かれることはなかった。
- 1995年以前に移転していた場合、阪神大震災で空港施設に被害が出ていた。
関西国際空港
1970年に開港していたら
- 大阪空港は廃止されていた。
- 正確には「大阪国際空港」の移転扱いであろう。
- 1970年の万博期間中は万博の観客などで空港は大変にぎわっていた。
- 史実における成田空港の開港(1978年)より早かったことから、日本における空の玄関口となっていた。
- 東京一極集中も緩和され、関西経済も地盤沈下しなかった。
- 東京は政治の中心、大阪は経済・文化の中心と棲み分けていた。
- 東京一極集中は日中戦争の頃には始まっていたので結局現実と変わらないというオチもありうる。
- 東京は政治の中心、大阪は経済・文化の中心と棲み分けていた。
- 成田空港の開港が遅れていた可能性もある。
- いまの成田と同程度の路線があった。成田は現状の75%程度の路線しかない。
- もしかしたら羽田の沖合拡張だけで済まされた。その場合茨城空港が1985年に開港する。
- 東京一極集中も緩和され、関西経済も地盤沈下しなかった。
- 関西空港の離発着容量がいずれパンクすることから国内線専用の空港として神戸空港が1980年代に開港する。
- PeachなどのLCCは神戸空港に発着していたかもしれない。
- のちの大震災で神戸空港の被害が大きく,関西空港がパンクした。
- PeachなどのLCCは神戸空港に発着していたかもしれない。
- 阪神なんば線も1970年までに開業していた。
- 神戸方面から泉州沖の関西空港へのアクセス改善のため。
- 大阪府の人口が神奈川県に抜かれることはなかった。
- 和歌山県がもっと発展していた。
- 1970年代後半には紀勢本線の和歌山~新宮間が複線電化され、20世紀中に紀伊半島を一周する高速道路も完成していた。
- 逆に南紀白浜空港は建設されなかった。
- 阪和線の新快速は存続しており、一部は関西空港線や紀勢本線にも直通する。
- 県内中小私鉄の経営状態も史実よりマシだった。
- 開港の翌年に開催された和歌山国体を機に,紀伊田辺まで複線電化しただろうか。新快速は既に登場の上紀伊田辺まで乗り入れるだろう。
- 大阪市高速電気軌道堺筋線は阪急のほか南海とも相互直通運転していた。
- 堺筋線開業と同時に南海本線は1435mm軌間に改軌され、架線電圧も1500Vに昇圧していた。逆にその時点で南海は貨物営業と南紀直通列車を全廃していた。
- 南海の車両は7100系以降、3ドア19m車となっていた。
- あるいは阪急京都線の3300系以降が21m車となっている。
- 堺筋線は1969年の時点で天神橋筋六丁目~天下茶屋間の全線が一気に開業し、南海天王寺支線はそれと同時に廃止されていた。
- 万博期間中は関西空港~北千里間に直通の臨時列車が運行されていた。
- さらに,関西空港-河原町間を走る無料特急が運行される。
- 堺筋線開業と同時に南海本線は1435mm軌間に改軌され、架線電圧も1500Vに昇圧していた。逆にその時点で南海は貨物営業と南紀直通列車を全廃していた。
- 関西空港への新幹線乗り入れが計画されるも実現せず。
- 新東京国際空港も海上空港になっていた。
- 関西空港の建設から「海上空港なら騒音・立ち退きなどの問題が発生しにくい」ということを学んだため。
- アクアラインは空港建設と同時に整備されていた。
- 羽田空港の沖合展開を(1970年代の内に)同じ意味で実施したかも。アクアラインは川崎木更津道路として整備。成田に空港が建設されない。京浜急行の乗り入れは1970年代に行われた。
- 瀬戸大橋ではなく紀淡海峡大橋が鉄道併用橋として作られた。
- 大鳴門橋も同様。1990年頃までに紀淡海峡大橋と大鳴門橋が完成。
- 開港と同年の70年に市制を施行した阪南市(空港立地自治体の一つ)の名称が変わっていたかもしれない。
- 泉南市であろう。
- 「ガメラ対大魔獣ジャイガー」や「日本沈没」で破壊シーンが描かれていた。
- 183系がボンネット顔で大阪万博までに登場。梅田貨物線-大阪環状線・大阪環状線-関西本線・関西本線-阪和線の連絡線は万博開幕までに整備。京都-新大阪-天王寺-関西空港を結ぶ特急が開業時から運転。当初183系が使用される。この列車がおそらく「つばさ」を名乗り,上野-奥羽本線の特急は「べにばな」を名乗るか
- 関西空港駅国鉄→JR乗り場のホーム有効長は20M車10両分(天王寺駅1番線と同じ)。機回し線も整備(貴賓客や繁忙期の輸送を考慮)。
- 関空発着の客車列車は上の複数の連絡線経由で京都発着になりそう(既存の阪和線客レ,天王寺発着の紀勢本線直通急行,特急も)。関西空港線は(羽衣線同様)阪和線の支線扱いになりそう。日根野駅からの関空方面の線路の勾配は機関車列車を考慮し緩やかに。
- 「太公望列車」も京都発着になるだろう。関空発着の客車列車は大阪万博の臨時列車の名残で,国鉄末期まで存続。
- JALの747-100デビューが開港と同時期かも。日本から「関空から747で海外旅行」747就航国から「747で大阪(万博)へ」が流行する。
- JALの747-100には,「エキスポジャンボ」「セブン(1970の'7'から)ジャンボ」などの愛称を付けられた。
- 全日空はJALの刺激を受け,75年の沖縄海洋博開幕に合わせ,747SR-100を導入する。
- JAL747-100はデビュー当時関空-ホノルル線ぐらいしかなさそう(エンジン出力を考慮)。全日空の747導入は現実通りの頃か。707と727は開港時からたくさん飛来。
- '70年当時はジャンボ機は貴重。それでも飛行機で海外から関空へいく旅行者は多かった。全日空の747はおそらく現実通りの時期に導入か。国鉄のイメージ悪化もあり,飛行機で大阪(万博)へ行く国内旅行者は多かったと思う。
1990年に開港していたら
- 関西国際空港の開港が「国際花と緑の博覧会」(以下花博と略す)が開催された1990年だったら?
- 花博は関西国際空港の開港記念イベントとなっていた。
- 花博の入場者数が現実より増えていた。
- もちろん愛知万博よりずっと多かった。(史実でも花博のほうが多かったが)
- 関空~花博会場間にシャトルバスを運行されていた。
- 南海「ラピート」やJR「はるか」も史実より早く登場。
- 「関空快速」は当初から全列車京橋発着となっていた。(史実では当初は一部が天王寺発着だった)
- 「関空快速」には221系が投入された。
- 空港アクセス用に転換クロスシートの配置を1列―2列に変更した221系1000番台が投入されていた。
- 関空連絡橋を走行することから、ステンレスかアルミ車体になっていた。
- 空港アクセス用に転換クロスシートの配置を1列―2列に変更した221系1000番台が投入されていた。
- 「関空快速」には221系が投入された。
- 南海電車は1988年頃には新塗装となっていて、同時に羽車マークもなくなっている。南海1000系のデビューも1989年頃で、1990年デビューの2000系も全車両新デザインでデビューしていた。
- 225系の登場が早まっていた。
- 「関空快速」は当初から全列車京橋発着となっていた。(史実では当初は一部が天王寺発着だった)
- 1990年前後に大阪市内の交通インフラ整備が飛躍的に進んだ。
- JR東西線や阪神なんば線も1988~1990年頃に開業。
- 関空で撮影されたパンナム機の写真がレア物扱いされる。
- 90年時点でアジアからは完全に撤退していたため飛来することはなかったのでは。
- 南紀白浜空港はジェット化に際して新宮市付近に移転し「南紀新宮空港」となっていた(後に「くまのはやたま新宮空港」と改称)。白浜では関空に近すぎるのと、三重県東紀州から和歌山県南東部にかけての空港空白域を解消するため。
- 90年代中ごろから路線撤退が相次ぎバブル崩壊の象徴として扱われた。
- 場合によっては、1989年頃に開港していた。
- なんばパークスの開業も史実より早まっていた。
- 南海ホークスは身売りされずに、堺市に移転していたかもしれない。
花博開催が1994年だったら
- 上とは逆に、花博が関西国際空港の開港年に当たる1994年に開催されていたら?
- 花博が関西国際空港の開港記念イベントとなっていたことと、花博の入場者数が現実より増えていたことは同じ。
- ただし、愛知万博よりずっと多かったかどうかはわからない。
- すでにバブル経済が崩壊していたため。
- 花博自体の規模が縮小して開催された事は間違いない。花博は民活万博と呼ばれ、その運営の大部分を民間企業に託していた為。
- バブル期の恩恵をふんだんに受けて開催されたのが花博だから、その時期がずれると開催自体されなかったのかもしれない。国際博ではなく極小の地方博になっていた可能性も。
- ただし、愛知万博よりずっと多かったかどうかはわからない。
- JR東西線や阪神なんば線は1993~1994年頃に開業。
- 1994年前後に大阪市内の交通インフラ整備が飛躍的に進んだ。
- 開港そのものも半年早まっていたかも?
- 地下鉄長堀鶴見緑地線の開業も1994年頃にずれ込んでいた。
- 日本最初のリニア地下鉄は都営地下鉄大江戸線(当時は都営12号線)となっていた。
- 大阪市営地下鉄70系電車はローレル賞を受賞できなかった。
- 場合によっては長堀鶴見緑地線の京橋-鶴見緑地間ではなく大正-門真南間の全線が一気に開業していた可能性がある。
- この場合路線名は「長堀線」となっていた。
- 1994年まで関西経済は好調だった。(もっともバブルは崩壊していたが)
- しかし翌年発生した阪神・淡路大震災による打撃が現実以上に大きかった。(大震災よりも、やはりバブル崩壊のほうが関西にとってはダメージ大だったと思う。だから94年まで好調なんて事はない筈。)
- でも1994年頃まではまだバブルの余韻が残っていたように思う。阪神・淡路大震災の起こった1995年ごろが日本経済の1つの転機だったと思われる。
- 94年頃なんてバブルの余韻残ってなかったよ(笑)。当時の雰囲気だけで話進めちゃ駄目じゃない。関西にバブルの余韻が残ってたのは92年頃までかな。
- 確かに93年頃から景気が悪くなっていったが、より深刻になっていったのは1995年頃から。その前後から学生の就職状況が一気に悪くなった。(もっとも関西に限った話ではないが)
- でも1994年頃まではまだバブルの余韻が残っていたように思う。阪神・淡路大震災の起こった1995年ごろが日本経済の1つの転機だったと思われる。
- しかし翌年発生した阪神・淡路大震災による打撃が現実以上に大きかった。(大震災よりも、やはりバブル崩壊のほうが関西にとってはダメージ大だったと思う。だから94年まで好調なんて事はない筈。)
- 世界都市博は企画自体なかった。
- 京阪8000系のデビューは1994年にずれ込み、当初から2階建て車を組み込んで登場していた。
- 京阪8000系の登場は鴨東線開通に伴う運用本数増がきっかけだから史実通りだと思う。
- その場合2階建て車の登場は1994年に前倒しされ、全ての編成に組み込まれていた。
- 京阪8000系の登場は鴨東線開通に伴う運用本数増がきっかけだから史実通りだと思う。
八尾空港
旅客機が発着していたら
- おそらく神戸空港は建設されていなかった。
- 地下鉄谷町線は八尾南から空港ターミナルビルまで延長されていた。
- 梅田から乗り換えなしで来ることができる便利な空港。
- ただジェット機は発着できず、四国などを中心とした短距離の小型機のみが発着可能。
- 東京でいう調布空港や札幌でいう丘珠空港のような感じ。
- 大阪-高知・松山線は全便こっちに移行。
- ただ市街地に隣接するため伊丹空港と同じく近隣で騒音問題が起きる。
- 関西三空港は関西四空港になっていた
佐賀空港
国際空港として開港していたら
- 名称は「九州国際空港」となっていた。
- 規模も数倍大きくなっていた。
- 他空港での表示は「福岡(九州)」になっていた。
- 福岡空港は現実の名古屋空港と同じような立場になっていた。
- 鉄道はJRが佐賀駅から南下する形で「九州空港線」を開業させていた。
- 現実の東京・名古屋・大阪の3大都市圏が福岡も含めた4大都市圏となっていた。
- 都市圏の位置づけは空港一つで変わるようなものではない。
- 政府がいわゆる「三大都市圏」と同じような専用の整備法を定め長期的にそれ相応の整備を行わなければそのような変化は起きない。
- 就航路線はおそらくアジア線が中心になる。
- 現実ではまだ日本に就航していなかったり撤退してしまったりした会社が多く就航している。
- 関空や中部の事例から考えると「九州国際空港株式会社」が運営主体になっていた。
- 開港時期によってははなわの歌の歌詞にも影響があった。
- 福岡市地下鉄の路線網は現実とは異なるものだった。