もし足利義輝が永禄の変を脱出していたら

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足利幕府の権威を再興しようとしていた足利義輝は永禄の変により、三好三人衆と松永久秀に襲撃され死亡します。実史では足利幕府にトドメを刺したとも言える永禄の変ですが、仮に足利義輝が弟の義昭を一緒に永禄の変を脱出していたらどうなっていたでしょうか?

全般

  1. 義輝は弟の義昭と共に信長を頼って岐阜へ亡命してくる
    • 六角領に逃げて、これまで通り、京に入るのに苦労する公方ぶりを続けていたと思う。
    • 義輝は長尾景虎(上杉謙信)との親交が厚かったので越後に逃れ景虎が室町幕府再興の軍を挙げる。
  2. 信長包囲網も義輝が指揮する
    • 嘗て永禄の変まで義輝の家臣であった明智光秀が信長包囲網に参加していた場合は以下に
      • この場合、織田・六角・赤松・長宗我部らと三好包囲網を敷くほうが先では?
  3. 信長に敗れた場合、義昭と違って切腹するか、自分も戦って討ち死にしてしまう。
  4. 前提部分に口を出してすまないが、義輝が生きている場合、義昭の存在は義輝にとってやや微妙なものになる。義昭の方も出家したままで、将軍家には戻ってこないのでは。
    • 義輝に子がいれば、義輝の家系が足利家の将軍になり、義栄と分裂状態に。
  5. 平島公方も断絶してしまい足利家初代源義康の父系は通説では完全に絶えていたかもしれない。

明智光秀、信長包囲網に参加編

  1. 実史で畿内制圧の原動力となった光秀が裏切るので信長の畿内統一が大幅に遅れる
  2. 信長の畿内制圧がおくれるため東部へ兵力を動かすことが出来ずに岡崎は武田が併合
    • 家康は尾張に亡命して徹底抗戦を唱える

三好包囲網編

三好三人衆に京を追われ、信長の元に逃げ込んだ義輝が指揮。

  1. 参加大名・足利義輝、織田信長、六角義賢、浅井長政、徳川家康、朝倉義景が固い。
    • 松永久秀は三好が弱体化すれば裏切るだろう。
    • 久秀は変の半年後には三好三人衆と戦争を始めるので包囲網に最初から義昭を奉じて確実に参加。(そもそも積極的に永禄の変に参加していない。)
    • 六角は永禄の変時点ですでに三好に通じているので可能性は低い。史実通り三好方につくことになる。
      • それでも史実通りに事が進むのは間違いない。
  2. 何れにせよ義輝と敵対することは確実。
    • 義輝、武田領に亡命。室町幕府13代で滅亡(義栄はカウントされない)
      • 義栄はこの場合だとそもそも将軍になれない。義輝が死んで好機とみた、父の義冬が上洛しようとしたが、病気で倒れて身代わりでだから。
        • つまり、義冬の系統は、阿波で逼塞するか、史実でも一度向かったようだが、周防に向かうことになりそう。