戦国時代 (日本)

2006年3月15日 (水) 21:08時点における220.145.138.132 (トーク)による版
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  1. とにかくそこら辺いくさだらけ。
    • ただしせいぜい山賊同士の小競り合いっぽいのが基本。下克上や謀略による国盗りやら、鉄砲とか大量虐殺みたいな派手な戦争は、16世紀半ば以降(だいたい信長の登場を待つ)。
  2. 実力さえあればトップをとれる。下剋上バブル到来。
    • もちろん一番の出世頭は豊臣秀吉。実家はただの農家で、ホントに頭と実力だけで天下を取っちゃった。
  3. 日本全国で築城ラッシュが起き、土建屋が大いに隆盛した。
  4. ゲイが基本。ゲイの恋人がいないと、おかしな人と思われた。
    • 戦場に女性はおらず、鍛え上げられた男だらけ→オトコの魅力に目覚める という武士・武将がかなり居たらしい。信長さえも…
    • 戦国大名は「小姓」を抱えていた。小姓は領地の美少年から選ばれ、大名の夜の相手を務めた。
      • 恋した男子に「~~丸」と便所の名前をつけて鬼から遠ざけようとした
      • 例:森蘭丸
    • ということはハードゲイだらけな戦国時代なわけで、「フォー!」が公用語に。
    • ヴァイの方が基本。でも大名のセックスは正常位しか出来ないので、色んな技があるゲイの方に人気が集まっていた。
  5. やぁやぁ我こそはと戦う前に自己紹介を始めないとルール違反。
    • それは南北朝までだ。
    • 戦隊モノのヒーローはこの時代からやってきた。
  6. 室町時代が終わったわけではない。
    • 足利義昭を信長が京都から追い出した時点で、室町幕府による室町時代はおしまいね。その後は江戸幕府ができるまで安土桃山時代。
  7. 合戦で勝利を得ようと、未来の世界から軍隊を呼び寄せた大名がいた。
    • でも現れたのが昭和時代の自衛隊だったので、平和ボケした自衛隊の力量は推して知るべし。
    • 未来の世界から小説家を呼び寄せ軍師にした大名もいた。
    • そういや長島巨人軍も戦国時代にきたね。
  8. ザビエル来日によりポルトガル大ブームが起こる。髪形を真似て月代を剃るのが普及したのはこの頃より。
    • ルイス・フロイスがやってきたときはソープランドが大流行した。風呂椅子もこの頃に生まれた。
  9. 室町幕府は義昭が京都から追放された後も中国地方にあり続けた。
    • 足利家自体は幕末まで生き延びた。
  10. 投石は結構有効な攻撃手段。インディファーダにも通ずる戦術。
    • 印字打ちね。武田や上杉など田舎大名では鉄砲よりもこれが主力兵器。
  11. キリスト教が伝わった。ザビエルブーム到来。ザビエルヘアーが現在の山口県や大分県、長崎県で大人気。
    • 10~20代の女性の間でガラシャ・スタイルが流行
    • ブライダルプランでは神前式の他に教会式が誕生。ウエディングドレスとブーケトスが若い女性の憧れとなってブームに。
  12. 自治都市を標榜する堺の船場には商船と称した戦艦が多数停泊するなど、下手な大名が手出しすると軽く返り討ちにあうほどの軍備が整えられていたらしい。
    • しかし信長に屈服した後は寂れまくり、さらに大坂合戦では豊臣方に焼き討ちされ、見る影もなく落ちぶれた。
    • しかしそんな目に合わされて黙ってるような上方商人ではなく、その後の江戸時代には江戸の町と違って武士がほとんどいない、大商業都市として大いに栄えることとなる。
    • そんなしぶとくたくましい血は、現代の大阪人へと引き継がれていくのであった。
  13. 一夫多妻で児童ポルノ禁止法もない。さらには避妊具もないのでロリで孕ませスキーな人には桃源郷な時代。
    • 実際に12歳で妊娠とかもあった。(例、お江与)
    • 子供が少ないと簡単に家が滅んじゃうので、強力な大名ほど子だくさん。子供が10人や20人いるのは珍しくない。
    • 息子なら跡継ぎor家臣、娘なら他家の嫁にして姻戚を増やせるので、ガンガン嫁をとって、ぽこぽこ子供を産んでもらいました。どう見てもユートピアです。本当にありがとうございました。
    • しかしモテず、地位もないおいらの前世は独身で一生を終えたのだった。
    • ヴァイが基本なのに切腹だの討ち取ったりだのあったってことは何だ、Y太趣味まで公認されていたのか。よくよく考えてみるとすごい時代だな。
      • 武田信玄の父親・武田信虎は、妊婦の腹を割いて胎児をひきずり出し、それを肴に酒を飲んだとか。まさにY太趣味だな。
      • 織田信長は義理の弟(浅井長政)をブチ殺した(自害させた)後、その頭蓋骨に金箔を塗ってドクロの杯をつくって宴会をした。
  14. 実は上杉謙信タンはおにゃのこでした♪、っつー妄想が一部に人々にある。
    • 一国の当主が嫁を一人ももらわなかった、月に一度は戦の途中でも引き上げて城に籠もった、死因が婦人病らしい、ってのがその根拠なんだそうだが、トンデモ学説として学会には相手にされてない。
    • 似たような説に、明智光秀は山崎合戦で死なず南光坊天海として生き延びたというのもある。こちらはなかなかに面白いので巷間にかなり流布されている。
  15. 第三次旅行ブーム。目的地:京都。上杉謙信・武田信玄・今川義元・織田信長などの戦国大名が行く。
    • まろは途中で死んだでおじゃる。
    • 信玄も途中で死んだ。
    • 謙信は観光はしたものの住むことは叶わなかった。
      • 墓は高野山につくられた。命がけで戦った連中が、死後に都で仲良く枕を並べてるのは、なかなか深いものがある。合掌。