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#トンネルの数が全国一多い。 | #トンネルの数が全国一多い。 | ||
===大分の県道の噂=== | |||
#路線数が多くないのにも関わらず600番台の県道が多い。 | |||
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#大分市と臼杵市を最短距離で結ぶが、九六位山の付近に狭路区間がある。 | |||
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#パークプレイスや昭和電工ドームから新日鉄の製鉄所までを結ぶ。 | |||
#上記の県道21号以北は4車線だが、それ以南はパークプレイスや昭和電工ドームの近くを除き2車線で渋滞がよく起こる。 | |||
==航空== | ==航空== |
2021年7月2日 (金) 19:00時点における版
道路
大分の一般道の噂
- 臼杵市と竹田市を結ぶ国道502号線は国鉄が走る予定でした。
- 大分県道715号(木田-神崎)は、日本中の酷道マニア達に知られている。
- 旧国道212号のおかげで「青の洞門」はほとんど無くなってしまった。
- トンネルの数が全国一多い。
大分の県道の噂
- 路線数が多くないのにも関わらず600番台の県道が多い。
主要地方道
21号大分臼杵線
- 大分市と臼杵市を最短距離で結ぶが、九六位山の付近に狭路区間がある。
一般県道
610号松岡日岡線
- パークプレイスや昭和電工ドームから新日鉄の製鉄所までを結ぶ。
- 上記の県道21号以北は4車線だが、それ以南はパークプレイスや昭和電工ドームの近くを除き2車線で渋滞がよく起こる。
航空
大分空港
→大分空港の項参照。
鉄道
JR九州
大分の鉄道の噂
- 日本で唯一、「普通鉄道の私鉄が無い県」です。宮崎県が仲間になりかけましたが、高千穂鉄道一部復活で孤高を貫いてます。
- 正式廃止によって結局は仲間になってしまいました。
- 今、地上を走っている大分県内の鉄道は、ラクテンチケーブル線くらいです。空中ではロープウェイ線がいくつかあります。
- それは鉄道とは言わない。ベットラクテンチの入場券が必要だし、アトラクションみたいなもんだから。あくまでも時刻表で水色の線で表記されなきゃ。
- 坂ノ市地区に大分空港ができたら、大分交通が坂ノ市まで鉄道路線を敷設する予定でした。
- 前大分県知事の平松守彦が「東九州新幹線はリニア線にすべきだ!」と発言したおかげで、しばらくの間完全に新幹線計画から無視されました。
- 私鉄が無いせいなのか、はたまたこちらが原因で私鉄が無いのか…自家用車所有率が異常に高く、おばはんやおじーさんも乗り回すため、交通マナーが全国的に見ても悪い。
- とはいえ、JRの利用者数は決して少なくない(大分駅の利用者数はJR九州内で4番目、私鉄含む九州全体で12番目)。そのためか普通列車用でも大分向けに新車が投入されることもしばしば。
- 仲間が遠く離れている車両や遠方から転属する車両が結構多い。キハ183、185とかEF81とか。かつてのED74とか。キハ65も元四国。
私鉄(廃止済み)の噂
大分交通(鉄道)
- 別大線
- 1900年開業の九州で最初の電気鉄道だった。
- 開業当初から大分と別府を結ぶインターアーバンの役割を果たしていた。
- この路線を昭和初期に運営していた別府大分電鉄は法人としての大分交通の母体。
- 戦時統合で西鉄に加わるという案もあったらしい。
- 大分駅前からかんたんまでの区間は市内線で特に本数が多かった。
- 「かんたん」は漢字で書くと「菡萏」という全く簡単ではない字のため行先表示でも平仮名表記だった。
- 由来は別府湾の古い呼び名。
- 「かんたん」は漢字で書くと「菡萏」という全く簡単ではない字のため行先表示でも平仮名表記だった。
- 土砂崩れにより日本の路面電車史上最悪の事故を起こしたことがある。
- 末期まで黒字だったのにモータリゼーションのせいで廃止されてしまった。
- 別大国道拡幅のため線路が潰された。
- そのせいで10年程度で廃車に追い込まれた車両もいる。
- 高崎山の猿の頭数を表示した電車が走っていた。
- 他にも全面広告電車が何両か在籍していた。
- 廃止後に停留所で使われていた看板が大分市内のデパートで販売されたらしい。
- ただし当時大ブームだったSLのナンバープレートの方が高値で売られていたという。
- 耶馬渓線
- その名の通り中津から耶馬渓への足として親しまれていた。
- 中津市内での通勤通学輸送への貢献も無視できない。
- 一時期は本州から紅葉見物のための臨時列車が乗り入れていたことすらあった。
- 沿線の観光地である青の洞門さながらに手掘りされたトンネルもあった。
- 1975年にこの路線が全線廃止されたことにより大分県から国鉄(→JR)以外の鉄道が消えた。
- 基本的に山中を走る路線だったにもかかわらず「しおかぜ」「なぎさ」という愛称を持つ気動車が走っていたことがある。
- 先に消えた国東線の残党だった。
- 大分交通の路線になった後も開業当初の「耶馬渓鉄道」にちなんだ「耶鉄」という愛称で親しまれていた。
- 「耶鉄柿坂」という駅も昭和46年に山間部の区間が消えるまでそのままの名称で生き残っていた。
- 昭和30年代まで明治時代に国有化された旧山陽鉄道や旧九州鉄道の木造客車の成れの果てが使われていたらしい。
- 控えめに見積もっても60年物の車両が現役で使われていたことになる。
- そのうち1両は明治時代の姿に復元され門司港の九州鉄道博物館で保存されている。
- 現在では廃線跡のかなりの部分がサイクリングロードになっている。
- 車両もある程度まとまった数が中津市内のレストランで保存されている。
- 紀州鉄道に移籍したものも1両は現地で保存。
- 某駅の駅舎が元駅員の家として使われているらしい。
- 車両もある程度まとまった数が中津市内のレストランで保存されている。
- 古い地図には終点の守実温泉から日田駅まで予定線が記載されているものがあるが詳細不明。
- 国東線
- 日豊線の杵築駅から杵築市街地を通り現在の国東市中心部を結んでいた。
- 旅客だけでなく現地で採れるミカンやイグサの輸送にも役立った。
- 国東市出身の藤波辰爾がテレビでこの路線の思い出を語ったことがある。
- 昭和36年に集中豪雨で橋が流され分断される前までは比較的調子が良かったという。
- 一時期は急行列車すらあった。
- この路線の大海田駅跡の向かい側が大分空港のターミナルビル。
- 現存していたら空港アクセスに大活躍していたかもしれない。
- ただし杵築駅の線形を考慮すると大分方面からの直通にはスイッチバックが必要。
- 大分空港が現在地に移転することが決まったのは皮肉にも路線廃止の翌月のことだった…。
- 現存していたら空港アクセスに大活躍していたかもしれない。
- 宇佐参宮線
- 日豊線のルートから外れた豊後高田から国鉄宇佐駅を通って宇佐八幡までの路線だった。
- 全長10kmにも満たない短い路線で国鉄との接続が途中駅というのがなかなかユニークだと思う。
- やはりと言うべきかこの路線の誕生を鉄道忌避伝説と絡めて説明する人もいる。
- 一時期は豊後高田から竹田津を経て国東線と接続する壮大な構想もあったがもちろん実現するはずもなかった。
- 豊後高田駅の駅舎だった建物はバスターミナルとして現存している。
- どうせなら昭和の町にふさわしく鉄道時代の雰囲気に近づけるのもありだと思う。
- 宇佐神宮の境内にもこの路線で使われていたSLが1両保存されている。
- 豊州線
- 大分交通の鉄道線の中で最も地味な存在だった。
- 名前だけはスケールが大きいが沿線に特に有名な場所があるわけでもない。
- 廃止も昭和28年とひときわ早かった。
- そのせいで写真や資料もあまり残っていない。
- さらに起点も現在では無人化された豊前善光寺駅。
- 当初は玖珠町まで伸ばす予定だったが久大線の開通により必要がなくなり頓挫。
- 直接的な廃止原因はルース台風の被害だったがその直前の時点でバスによる代行輸送に転換され廃止寸前だったという。
- そんな路線ではあるが一部の駅跡には駅名標を模した木製の看板が立てられ往時をしのぶことができる。
日本鉱業佐賀関鉄道
- 戦後生まれの軽便鉄道。
- 工事が始まったのは戦時中だが工事が終戦に間に合わなかった。
- 佐賀関の精錬所に鉱石を陸路で運ぶ(絶たれにくい)ルートを確保し銅板などを安定的に供給できるようにする意図があった。
- 工事が始まったのは戦時中だが工事が終戦に間に合わなかった。
- 全駅の名称に「日鉱」が付けられていた。
- このうち他地域に同名の駅があったのは大平駅と金山駅だけなので何を意図していたかは謎。
- 当初は貨物オンリーだったが鉄道敷設法での予定線と重なることもあり旅客輸送も始まった。
- 該当区間には戦前から省営バス→国鉄バスが走っていた。
- 日鉱社員の通勤に役立っていたのは言うまでもない。
- この路線の女性車掌の制服は鉄道員としては異例の茶色。
- 廃止直前でもかなりの盛況だったという。
- 軌間が1067mmならおそらくもう少し長生きしていたはず。
大分のバスの噂
大分バス
- 大分市から南側の県内を担当。
- かつては近鉄グループだった。
- 現在は西鉄が出資している他、大分県や地場企業も出資。
- トキハまで出資している。
- 数社の子会社を擁している。
- もうすぐ潰れると噂されていたが、経営者の交代以降持ち直したようである。
- 通称「青バス」
- 車庫の事を端末と呼んでいる。
臼津交通
- 「うすつ」ではない。さあ何と読む?
- 名前の通り、臼杵市、津久見市を主なエリアとして路線を運行している。
大野竹田バス
- 同じ大分バスの分離子会社だった、大野交通と竹田交通が合併してできた会社。
- 存続会社は大野交通で、本社も大野側なのだが、路線は竹田市側の方が断然多い。
大分交通
- 県北にてその勢力を誇っていたが、分社化が進み典型的ローカル赤字路線化絶賛進行中。
- もはや中学生と病院通いの老人のために存続しているフシがある。
- APU(立命館アジア太平洋大学)への路線バスを運行中。
- APUへは別ルートで亀の井バスも運行。
- 貸切や空港リムジンからの転用が多い。
- 大分空港へのリムジンバスを運行する。
- 大分の他、由布院からも運行。
- そしてホーバーを同士討ちした
- 大分の他、由布院からも運行。
- 徳山(周南)・広島への高速バスは途中スオーナダフェリーを利用する。
- ただ、フェリーの定期点検時(ドック入り)および欠航時は運休する。
- 元々は鉄道会社で1898年創業。別大電車、耶馬溪鉄道、国東鉄道、宇佐参宮鉄道、豊州鉄道を運行していた。
- 鉄道は全て廃止されたものの、車両自体は現在も紀州鉄道で活躍している。
- しかし、その車両も2009年10月で運行終了(11月に1日だけ復活したが)。
- 鉄道は全て廃止されたものの、車両自体は現在も紀州鉄道で活躍している。
- 大分市から北側の県内がエリア。
- 西鉄が行っている運転士の「発車します」などの言葉を言うことは一切ない。ただ、運転するだけ。
- 今ドンキがあるところはその昔路面電車の車庫があった。電車の廃止後「ソーラー」という窓の上から水が垂れてくるレストランがあり、夏になると子供にタダでカブトムシやクワガタをプレゼントしていた。
- 通称「赤バス」
- この会社にも西鉄が出資している。
大交北部バス
- 中津観光バス+高田観光バス
- 合併前は他の子会社と同じく親会社のカラーリングのそれぞれ色違いだったが、いまや厚ぼったい復刻塗装ばかりになってしまった。
- 中津~日田間で特急バスを運行していて、日田バスのエリアに乗り入れている。
国東観光バス
玖珠観光バス
- 玖珠町を主なエリアとする。
- 大交北部バスのエリアである耶馬渓方面に入る路線もある。
- 路線バスのカラーは親会社のものを引き継いでいる。
亀の井バス
→亀の井バスを参照。
日田バス
→日田バスを参照。