牛国
2007年3月10日 (土) 21:38時点における>Kanikaniによる版 (→尾張国)
日本国の内伊勢帝国(後に松坂牛国と改名) | |
Japan-Orthodox-Government( in Ise) | |
国旗 | |
基本情報 | |
略称 | 伊勢帝国(改名時から牛国) |
首都 | 伊勢市 |
最大都市 | 津市 |
民族 | 日本人 |
元首 | 幹部曰く、秋篠宮文仁親王だと申す(伊勢帝国時代) |
公用語 | 日本語 |
通貨 | 日本円 |
国内総生産(GDP) | 不明 |
時間帯 | UTC+9(日本時間と同じ) |
国歌 | 君が代 |
国鳥 | トキ |
国花 | 桜、菊 |
国魚 | 錦鯉 |
国是 | |
建国・独立 | 2008年ごろ |
- 旧国伊勢志摩全域を治めていた国。
- 京都皇国との間の皇室争いに敗れて逃れ、建国した。
- 自身は一時、日本国の正当な代表と位置づけていたようだ。
- 最大版図は当国は日本全域を治めていると表すため不明。ただ,現実的には(当初)主に三重県全域を勢力下にしていたようだ。
歴史
- 2007年 皇室争いに決着し,敗れた秋篠宮派が伊勢に逃れる。分国法成立。「伊勢帝国」はこれに反対したが、可決したため,当国の正式名を「日本国の内伊勢帝国」と称し,京都や東京奪還を謀る。すでにトヨタ王国が独立したため,その勢力縮小を企てる→名古屋国独立。
- 2008年 攘夷軍や三重自衛隊の協力をへて,三重県全域を占領。
- 2009年 奈良帝国を伊勢亀山で撃退。トヨタ王国配下であった常滑独立運動に参画する。
- 2010年 伊賀・北大和などを手にし、奈良帝国を橿原へ追いやる。密かに,東京に上陸。後に在京人とともに首都帝國設立。大常滑帝國独立を応援するためトヨタ王国と戦い,撃退。さらに、常滑周辺地区独立運動にも支援か??
- 2011年7月 奈良帝国と攘夷軍の単独和睦によって伊勢帝国の京都侵攻の中途、宇治槙島で中国共和国を主体とする部隊に敗れ,惨敗。
- 2011年11月 攘夷軍、奈良帝国と奈良帝国に寝返った伊賀忍者国などに敗れ壊滅的打撃。その後,攘夷軍に伊勢帝国を乗っ取られ領土を切り取られる(一部は九州へ,一部は甲賀や常滑へ亡命)。
- (2012年12月に首都伊勢陥落→米英撃滅!大日本帝國へ)
- 2013年 伊勢富田で再建する。三重自衛隊と連携。一時的に攘夷軍を弾圧。
- 2014年 四日市に暫定政府。米英撃滅!大日本帝國を承認(一時的に)。
- 2017年 宇陀王国独立によって勢いを失った攘夷軍を分裂させる。
- 2018年06月1日 愛知連邦の尾張自治州地方の正式返還を受諾(同年6月10日「愛知県」を再生、設立)。
- 2019年 内紛に伴い岐阜共和国によって、また一時滅亡。多くの幹部は三重共和国新政府側に流れる(事実上の分裂)→一部は尾張自治州地方に尾張国を建設。
- 2022年 三重共和国分裂とともに,再建後南部暫定政府国を支援し取り込む(伊勢国と称する)。
- 2024年 エビの国と合併し、京都皇国等と和解。
- 2038年 エビの国解体後,三重松坂付近に再び再建(国名を牛国とする)。理由としてエビの国に服従同然だった三重共和国が1年前の蛯原氏辞任後,当国の乗っ取りを謀ろうとしたため、それに反発して建国した。対抗する三重共和国は鈴鹿や津を奪還。
- 2039年 旧エビの国領でありながら,蛯原氏辞任後三重共和国側についた鳥羽を占拠。
- 2041年 一時和解していた攘夷派の抵抗への弾圧に伴う財政難から、近鉄こてこて帝国に編入される。
三重共和国などとの関係
- 初期の帝国の幹部だった者が三重共和国に多くいるが、多くはけんか別れとなった間柄だ。
- 岐阜共和国を三重に入れたのも,当国の幹部だったらしい。
- そのため,権力闘争のたびに,他国を巻き込んで内紛の火種を膨らませていた。
- 近鉄こてこて帝国に編入された現在も,元幹部が多くいる三重共和国とは不仲なのもそのため。
- 九州連合王国分裂の一つの理由として,皇位継承問題で当国の亡命者が援軍要請してくれといったか言ってないかも原因か?
- 有田氏率いる九州帝国設立のプロセスなども彼らが一部干与?
- 一部は首都帝國の幹部になったものもいるらしい。
コーガ王国
尾張国
- 第二次「伊勢帝国」滅亡時に愛知連邦からの譲渡によっていただいた土地である「愛知県」こと、尾張地区北部につくった国家。
- 尾張北東部でトヨタ王国や、傀儡の万博国もしくは反トヨタ王国的な桃花台(高蔵寺)帝国と激突する。
伊勢帝国側の主張
- 国の自治体の借入金が膨らむ中で,さらに悪法とも思える「分国法」によって,治安が乱れるのを避けたかったと申しているそうだ。借入金の改善が進まぬ中,各勝手国が乱費を行なっているという情報を聞き、これが後に「目には目を歯には歯を」のことわざではないが、首都帝國を建設することとなる。
伊勢帝国とは?
- そもそも、天皇が京都に移り住む際(京都皇国設立時)、京都を護衛するため,各方に外国からの侵略を防ぐための防壁として、強い自治体が必要となった。そこで,東西南北にそれぞれ有力自治国家を設置することとなった。ただ、西(大阪方向)には有力な勢力が見当たらず,苦肉の策として瀬戸内にある中国共和国や四国共和国を推薦し,護衛にあたらせている。北方には越前国と城崎温泉国、ガラシャ王国を(後者の2国はかにかに連邦国)、南部には奈良帝国(後に紀の国)、そして東方には淡海平和王国と当国を護衛国家として承認することとなった。
- ところが,当国はそもそも皇室の京都移転には反対であったため,皇位継承問題から謀反の噂もされた。そこで、当国の名称を「官位」として授け,東方平定を目的とした平定軍が結成された。その代表が中国共和国であり、攘夷軍行使権も彼らに与えられたため,一時期中国共和国軍が正統なる伊勢帝国軍と称して当国を攻めたのが京都皇国内で戦われた宇治の戦いである。
- 後に,米英撃滅!大日本帝國が独立した際,彼らに伊勢帝国の冠が与えられ、エビの国躍進の際も同様な処置がなされた。
- なお,東方管理の称号には他に近江帝国の冠もあり、これは淡海平和王国がずっと所有している。また、北方や西方の管理称号はまだ存在していないと京都皇国関係者は語るのだが,北方は北朝鮮などといった国もあるから,といった意見も根強い。伊勢帝国、近江帝国、奈良帝国の3冠はそもそも、天皇に由来した神社や都を称号にしたものだからだ、ということだろうといわれるのもそのためだ(伊勢神宮、大津近江京、奈良平城京から由来?)。