もし山口県庁が下関市に置かれていたら
ナビゲーションに移動
検索に移動
- 山口市の人口は10万人を割っていた。平成の大合併でようやく人口10万人超え。
- 郡をまたいで合併するほどの求心力はなく、徳地町・阿東町は山口市と合併していない。
- 小郡駅が新山口駅に改称されることはなかった。
- 小郡はのぞみ全便通過。同様に徳山ものぞみ全便通過。
- 代わりに新下関にのぞみが一部停車。
- 下関市の人口が40万台に。
- その分山口市は田舎に。
- 山口町のまま。平成の大合併で小郡市に吸収され消滅。
- その分山口市は田舎に。
- そもそも「山口県」だったのかどうか……
- 下関県になっていた公算が大きいかと。
- 「下関市」という名前になったのは1902年なので「馬関県」になっていた。
- この場合「馬関県」の県庁所在地が「下関市」というややこしい事態が発生していた。
- 「ださいたま県」のように「バカな県」という単語が当県を揶揄する時に用いられていた。
- あるいは市制施行当初の名前から「赤間関県」だった。
- 旧周防国の住民が県庁移転を求める運動を起こしていた。
- 県庁所在地にもかかわらず、隣接する他県の大都市の衛星都市になり滋賀-京都の関係と似ていた。
- 山口新聞がなく西日本新聞・中国新聞のシェアが大きい。
- 関門日々新聞が存続している。
- ラジオはKBC山口。
- 「山口」の名前が使われるわけないでしょ。
- そこは「関門」でしょ。
- RKBはKBCより先にラジオ中継局を山口県内に設置していた。
- テレビ局が70年代に入ってから独立UHFで開局。
- つまり、TNCを始めとした福岡県のテレビ局の放送対象地域に現在も含まれている(実史では1970年までに県域化)
- 山陰線の列車もすべて小倉までいく。
- 山口新聞がなく西日本新聞・中国新聞のシェアが大きい。
- 戦前のように東京、大阪に次ぐ三大都市圏として関門地域が君臨していた。
- この場合関門は西部地域(今の中国+九州)の中枢となる。
- 第四港湾建設局は廃止されず西部地方整備局として残る。
- 空港は当初宇部興産の意向で宇部市に設置され、のちに西部国際空港を建設し曽根(北九州)と統合。
- 山陽道に先駆けて下関宇部有料道路が建設される。当然山口宇部有料は存在しない。
- この場合関門は西部地域(今の中国+九州)の中枢となる。
- 大洋ホエールズは下関を本拠地にし続けた。
- 広島と大洋の合併が実現していた。
- 横浜スタジアムにはロッテが移転。
- 昭和の大合併で吉田村・王喜村と一緒に埴生町も編入していた。
- 山陽オートレース場に相当する施設は存在しない(実史では下関市外という理由で設置されたため)
- 同時に福岡の県庁所在地が北九州市の場合は史実の京都市と大津市のような関係になっていた。
- 現実よりも「九州地方」扱いされやすかった。
- というより九州地方の一部だったかも。
もしあの県の県庁が○○に置かれていたら | |
---|---|
|