もし弾丸列車が○○だったら

2009年6月6日 (土) 11:25時点における>ジャングル大帝による版 (→‎太平洋戦争が起こっていたが、工事が中止されなかったら)
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昭和18年に工事が中断され、戦後東海道新幹線として実現された弾丸列車が、戦争で工事が中断されず何らかの形で実現していた場合を想定。

太平洋戦争が起こらなかったら

  1. 予定通りであれば昭和29年に完成。
  2. 軍が主張していた通りなら、静岡以西は「あじあ」号のパシナ形を上回る高規格蒸気機関車の牽引。アメリカで180km/hの蒸機列車があったそうだから、不可能ではないと思う。
  3. ただ、予定されていた鈴鹿越えは蒸機列車では不可能であり、そうなるとルートは現実の東海道新幹線と同じく米原経由になっていた、あるいは関西本線ルートになっていた可能性もある。
  4. 別のパターンとして、東海道区間は結局当初より電機牽引になった可能性もある。
  5. 山陽区間は現実の山陽新幹線よりもカーブが多く、高速走行には不適。蒸機牽引を前提とした設計であるためだが、航空機に乗客を奪われる度合いは、現実の新幹線より高かったと思われる。
  6. 下関では関釜連絡船と接続。朝鮮総督府鉄道や満鉄と間で客車・貨車の航送が行われた可能性も高い。
  7. 朝鮮海底トンネルは検討されながらも、軍の主張どおりだと到底建設できないため頓挫。
  8. 結局は戦後に「蒸気機関車は時代遅れ」と言う風潮で全線電化される。
    • だから「戦後」という表現はないでしょ……ディーゼル機関車へ移行した可能性も考えられなくはないが。

太平洋戦争が起こっていたが、工事が中止されなかったら

  1. 昭和30年代には他の復興事業と共に完成。戦災を受けた部分も多かったと思われる。
  2. 軍の反対も無くなった為、弾丸列車計画時代から携わった島秀雄の案が採用されれば、現実の新幹線と同じ電車方式の高速列車が運行された可能性もある。
  3. 山陽区間の規格が変更されなければ、上に同じ。変更されたとしても東海道新幹線の規格並みになった可能性はある。
  4. 西宮市街を通過する為に、騒音にハルヒが激怒して史実通りに新幹線ルートに変更
    • その頃谷川先生産まれてないから・・・。
      • でもキョンが「坂道以上に耐えられない」とうんざりしてそう。