ページ「東日本旅客鉄道/千葉支社」と「もしあの歌手グループが解散・活動停止していなかったら」の間の差分

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==千葉支社と動労千葉の噂==
{{Pathnav|もしWiki|歴史のif検討委員会}}
;動労千葉の噂は[[動労千葉|こちら]]
#千葉県内のJR線はほとんどが[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]千葉支社の管轄。それなのに[[常磐線]]の千葉県内([[松戸]]地区)だけ何故か東京支社の管轄となっている。千葉支社の管轄にすればいいのに・・・。
<!--#**しかし常磐快速線を止めると千葉県民が茨城県民に中電から締め出される為、総武線系だけに影響が出るよう細心の注意を払っている。-->
#* 恐らく、直流と交流の境になっている「取手」で管轄を分けたかったんだと思う。交流区間は水戸支社にするとして、「上野」までの直流区間の全てを千葉支社にするのもどうかと思うので、東京支社にしたんではないだろうか。
#*千葉支社には他県が先にある場所を任せるわけに行かないからです。勤労千葉があるので止まっても盲腸で影響がその先に及ばない部分のみが千葉支社です。
#*JRになる前の国鉄時代から分かれていて、鉄道管理局がそのまま支社になっただけ。東京支社など一部管理局境と違うけど……
#**未来永劫千葉支社への移管はないと思う。
#**千葉動労ばかり叩かれるが千葉支社にも問題が多々あり、利用者の声を聞かず組合つぶしにやっきであり総武本線・成田線の近代化が後手に回っている。
#***'''利用者の声を無視しているのは動労の方'''という事に全く気が付いていない典型的なサンプル。
#**設備投資などには実に消極的で、車両の老朽化ばかりクローズアップされるが線路・信号を含むその他の設備も負けず劣らず国鉄状態であり千葉支社の営業姿勢が良く現れている。
#***「千葉動労ばかり~」は[[動労千葉]]関係者の編集か?
#***シンパが多いのは事実。理解できないのは知識が少ない人間
#*逆に東京都内でも総武線の小岩~浅草橋、京葉線の葛西臨海公園~潮見は何故か千葉支社の管轄。
#*千葉支社と東京支社の境界を市川、新浦安、成田に 舞浜はTDRがあるので、成田線の我孫子支線は我孫子線に改称、東京で面倒を見てもらう
#*むしろ西千葉と千葉みなとまで東京支社の管轄にしたほうが…
#**我孫子支線・総武線の複々線区間・京葉線はストライキで停まるとやばいので東京支社で
#***これらの区間はストライキの対象外なような・・・
#高校生の乗車マナーの悪さでワイドショーに取り上げられた路線がある。
#*成田線(我孫子~成田)だった気がする。
#**東京支社と千葉支社を一緒にしてはいけないw
#***路線は千葉支社管轄。
#*俺が見た時は内房線だった。
#**外房線の時もあったw
#*何年か前の[[TBS]]「ニュースの森」で全国に晒された。ちなみに成田線の 成田→下総松崎 間。
#**本当に取材したかったのは京成線の宗吾参道。だけど・・・・・・・
#*新型車両だったから4年前かと。
#*所詮は役立たずのマスゴミなので、真に受けすぎないように。騒がしいのはホンの一部の学生。
#**むしろ騒がしいのは運転している連中。
#**全体に見ても酷い状況は変わらず、学生は問題外だが指導も出来ず監督も行き届かない学校が沿線にある為利用者・JRが気の毒。
#房総半島を走る普通列車は旧型の113系のみで、地元民から「電車の墓場」「ボロ電車の天国」と揶揄されている。
#*183系が引退するまでは、墓場・天国を通り越して鉄道ファンからは国鉄型車両の聖地とされていた。
#*ほぼ同型の交直流車である403系・415系が主力の常磐線中電を間接的にバカにしている。
#**しかし、常磐線は間もなく新型の531系ばかりになるため、結局一番ボロなのは房総半島の電車。
#**千葉に113系に変わって211系が投入されるとの事。これまた東海道線等からのおさがり。
#***211系は東海道線からではなく宇都宮・高崎線からの転属。211系はスカ色ではなく房総特急と同じカラーになった。
#***鶴見線カラー(205系)にそっくり。
#*千葉動労が騒ぐ為。
#**「フリーメンテナンス化による雇用人員の削減に反対」しているからだそうだが、そのくせ千葉支社管内の車両の状態はJR東日本で一番悪い。
#**千葉支社管内を走る車両でも、「成田エクスプレス」や房総特急用の新型車は全部鎌倉車両センターの配置になっている。
#**「しおさい」「あやめ」とかの房総特急は幕張所属だよ。
#**成田エクスプレスは重要な特急だから千葉には任せておけないんだと思う。
#**さらにE231系、E217系も三鷹(E231)鎌倉所属。でもよく幕張にE217系をよく見かける
#***かつては千葉支社管内である習志野区にもE231系と209系が配置されていた。
#****早くケト線で要らなくなった209でも導入されっちまえ
#*****あんなボロボロの電車入れるのはやめてくれ~
#房総半島を走る特急は途中で普通になるものがある。
#*普通列車として走る区間では通学の高校生も乗ってくるので、車内販売のお菓子がよく売れるらしい。
#**京葉線特急にも普通に通学の学生が乗ってきた(東京~蘇我)
#千葉動労のせいで、ダイヤ上は遅い[[京成電鉄|京成]]に勝てない(京成は正確に動くから)。だから当然設備投資は後回しになる。
#*全然関係ない。
#快速が年々所要時間がかかるようになって不満を漏らしたくなる人も多いが、その原因の一つは無秩序な宅地開発が進んで「オラが駅にも快速停めろ」などと主張してくる新住民が増えたため。そんなごちゃごちゃ主張するなら、いっそのこと快速は千葉駅過ぎたら皆各駅停車した方がいいんじゃないの?
#最近登場した211系の評判はかなり悪い。
#*211系はクルーからの評判も悪いらしい。
#**宇都宮線のお下がりだからな。何で秘境のお古を押し付けられるんだよ
#***宇都宮線は秘境?
#****どう見ても千葉のほうが秘境(特に房総半島)だろう
#**運転台が違うからじゃないの?(113系は、横形ハンドルに横形ブレーキ。211系は、縦形ハンドルに、横形ブレーキ。E217系は、縦型ハンドル・ブレーキ…。よく見ると、JRの車両って、運転台が統一されていない。)
#*半自動ドア・オールロングシートのため。
#*編成長も短い。
#**5両編成+5両編成で10両で運転すればいいのに・・・
#普通電車とは絶対に言わない。各駅停車と言う。
#てか、浅草橋とか潮見まで千葉支社なのは変だと思う。せめて市川、舞浜くらいだろ。
#実は今普通電車で走っている古い車両は、横須賀線はおろか、東海道線から色を塗り替えて持ってきたのもある。なんで東海道線で引退したのをこっちに持ってくる・・・
#*前、113系のトイレ入ったら「国府津電車区」とか書いてあってビビッた。
#京葉線はVVVFの通勤車が走ったりと、千葉支社というよりは東京地域本社に近いイメージ。
#*VVVFは京葉線自体にはなく、乗り入れてくる武蔵野線の車両。
#**しかも、壊れかけのVVVF…。
#1970年代まで、内房線・外房線などは非電化路線ばかりで、ディーゼルカーの急行がたくさん走っていたらしい。
#千葉勤労のおかげで、列車の本数が多いところがあるらしい…。
#*何それ ドコヨ?


== 電車特定区間の路線 ==
*新規追加は50音順でお願いします。
*[[総武本線]]
==独立項目==
*[[京葉線]]
*[[もしおニャン子クラブが解散していなかったら]]
*[[武蔵野線]]
*[[もしAKB48のユニットが○○だったら]](AKB48系列グループ・派生ユニットはこちらへ)
**[[もしSDN48が○○だったら#全員卒業がなかったら]]
**[[もし渡り廊下走り隊7が○○だったら#解散がなかったら]]


== 外房線 ==
==あか行==
[[画像:E257-500Wakashio.PNG|frame|特急わかしお(蘇我駅にて)]]
===EE JUMP===
#外房線勝浦駅では鳩が電車に乗ってくる。次の駅に着くとちゃんと反対方向の電車に乗って帰ってくる。
#「EE JUMP COLLECTION 1」は予定どおり発売されていた。
#*このため、外房線電車の床は吸殻に加え鳩フンで汚れまくっている。
#ユウキは{{あきまへん}}に走ることもなかった。
#*鳩だって「遠くへ行きたい」てか?
#*そもそも[[もし芸能界であの事件がなかったら/2000年代以降#ユウキ(EE JUMP)一連の非行(2001年〜2002年)|ユウキの非行がなかったらこうなっていた]]。
#**帰ってくるのは鳩の「帰巣本能」というものでしょうか…
#後藤真希の活動休止もなかった。
#**単に鉄ヲタの鳩が乗り潰ししてるだけだろ。
#それでもソニンは舞台出演をきっかけにしてそちらに専念する為脱退したかも。
#行川アイランド駅周辺は悲しい
#*それはどこでもでしょ。
#*遊園地が潰れてから特急が停まらなくなった。
#**ただし勝浦~安房鴨川間普通列車の特急は停車。
#東京近郊区間を外れた勝浦まで京葉線東京からの快速が来る。
#*ただし、上総一ノ宮以南は各駅に停車いたします。
#元々は房総東線。
#時間の75%は、東京近郊区間の中の「上総一ノ宮」行き。
#車両に落書きがされる事件が起きたらしい。
#*「上尾事件」じゃなくて?
#**それは、国鉄の労働組合が自ら落書きしてたでしょ・・・
#外房線沿線で、千葉市以外で人口10万人以上の市は1つも無い。
#*最大の都市は茂原。
#*内房線沿線で人口10万人以上の市は市原と木更津。
#**茂原は9万5千人。惜しい…。
(総武快速線方面←)'''[[千葉駅|千葉]]'''-本千葉-(京葉線方面←)'''蘇我'''-'''鎌取'''-'''誉田'''-'''土気'''-'''大網'''(→東金線方面)-永田-本納-新茂原-'''茂原'''-八積-'''上総一ノ宮'''-'''東浪見'''-'''太東'''-'''長者町'''-'''三門'''-'''大原'''-'''浪花'''-'''御宿'''-'''勝浦'''-鵜原-上総興津-行川アイランド-安房小湊-安房天津-安房鴨川


*'''太字'''は通勤快速・快速停車駅
===Wink===
1980年代後半から90年代半ばにかけて活躍し、1996年3月に活動を停止した鈴木早智子、相田翔子の二人組ユニットWinkですが、もし活動を停止しなかったらどうなっていたでしょう?


==内房線==
#史実よりも早く、音楽活動からバラエティ、ドラマへと活躍の場を移していた。
[[画像:E257 Sazanami.jpg|frame|内房線・E257系特急さざなみ<br>木更津駅にて]][[画像:JRE111Series.jpg|frame|まだまだがんばる内房線の113系<br>木更津駅にて]]
#*同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
#千葉~君津駅を運行する内房線快速電車(総武快速線乗入)の通過駅は3駅(本千葉、浜野、岩根)しかないので、「快速」としてのメリットは殆ど無い。
#**ウルルンの司会も翔子、早智子が1週交代で務めていたかも…
#*さらに2008年12月か2009年3月のダイヤ改正からは上記"浜野"にも快速の停車が決定。
#新曲のリリースは年1回程度になるが、コンサートだけは毎年必ずやっていた。
#*もう、千葉・蘇我・八幡宿・五井・姉ヶ崎・木更津でいいよ・・・
#二人が司会のバラエティ番組が、深夜帯で放送された。
#*快速は蘇我で長時間とまることが多いので千葉-蘇我以遠区間なら各駅のほうが速いこともしばしば。
#80年代、90年代前半のアイドルを振り返る番組には、二人でゲスト出演した。
#*ちなみに蘇我以遠から本千葉にいきたい場合は快速に乗車し、蘇我で外房線からの列車に乗り換えると速いことが多いが、案内されることは皆無である。同じことは君津→磐根でも出来る時間帯がある。
#さっちんが脱ぐことはなかった(泣)
#*袖ヶ浦快速止めなくていいと思う。
#*AV出演疑惑が出ることもなかった。
#**いや袖ケ浦市民が困るのでとめた方がいい。
#*というか、さっちんの活動が迷走することはなかった。
#***快速停めなくていい。(駅前から寂れている)
#**「ASAYAN」の再起にかけるオーディションに出演することもなく、気の強い女ぶりを晒すことはなかった。
#***袖ケ浦駅を通過したら袖ケ浦市民が直通で行けなくなっちゃうじゃん。自己中心的だな それよりも舞浜駅に特急を止めてほしい
#**事務所移籍で迷走することもなかった。
#**長浦も快速停めなくていいよ。浜野なんて論外。
#**クスリに手を出して倒れることもなかった。
#**長浦駅も通過したら高校生が困っちゃうじゃん。せっかく浜野駅も利用客が多すぎなのに。巌根駅は止まらなくていい
#**不倫騒動もなかった。
#**一日3000人しか乗らない袖ヶ浦は快速いらん!長浦は6000人以上だからOK!
#相田翔子が「しょこたん」と呼ばれていた?
#**長浦駅は駅前にホテルオー〇ラという名のラブホがあるからとめる必要がある
#*あるいははいだしょうこと間違えられていた。
#君津~館山で特急「さざなみ」が全く停まらないのは竹岡と那古船形だけ(一部区間が各駅停車になるもの除く)。
#*同様にさっちんが[[wikipedia:ja:鈴木サチ|このモデル]]と間違えられていた。
#*特急停車駅がまばらなので、なにがどこに止まるかはっきりしていない。
#*要するに、飛び抜けて大きな街が無いんですな。平等に扱おうとすると、複雑な千鳥停車にするか、いっそ君津から館山までノンストップにするしかない。
#*君津-館山ノンストップ特急があっても良さそうだが、この区間には追い越し設備のある駅がひとつもないので、先行の鈍行に追いつくような特急は走らせられないのでした。
#地名は「姉崎(あねさき)」なのに、駅名は「姉ヶ崎(あねがさき)」。なぜわざわざ「ヶ」がくっついたのかは謎。
#*関東には他にも「四谷」にある「四ッ谷」駅とか、溝口にある「武蔵溝ノ口」駅などがある。
#**いや、「四谷」を「よや」、「溝口」を「みぞくち」と読むわけではないわけで……
#*「姉が先」だからね。地名の由来は。
#千葉駅から発着しているものの、千葉~蘇我駅間は路線としては外房線になる。
#夜の上り電車内(君津~千葉)では、帰宅途中の工場勤務者による社内宴会が多数。
#*211系じゃ無理だろ。
#**同じ211系の東海道線でビール片手にバカ騒ぎしてた連中がいたから・・・
#***それは211でもセミクロスの車両だろ?
#****いやロングシートの2000番台。夜の熱海からの上り電車で空いていたってのもあるかもしれないが。
#君津から館山まで、待避線のある駅がひとつもない。従って、この区間では特急は先行の各停を決して抜くことができない。
#*特急が遅いことと、本数が少ないことの主原因。
#**一応その区間までは全ての駅で退避可能。そして実際に退避がある。
#***さざなみ15号ね(2008年3月現在)
#[[海ほたる]]と[[wikipedia:ja:房総なのはな号|なのはな]]に破壊されかけている。
#ダイヤの組み方が酷くて、(君津止まりの電車に乗った場合)君津以南に行くのに君津駅で45分以上待たされる事がある。
#*よく考えてみると、どこの路線でも接続が悪いと書かれている。つまり、JR東日本は、'''ダイヤの組み方が下手'''ということである。
#**東日本管内じゃ接続の悪さは常識。
#*浜金谷で50分以上待たされた。しかもPASMOに500円で所持金が50円、自販機で水も買えないから君津までなんとか我慢した。
#**外房線の安房鴨川駅で50分待たされた人もいる。
#元々は房総西線。
#君津行きが木更津で運転士交代するのには納得がいかない。
#*君津で運転士交代せずに折り返し、千葉で折り返し、木更津で交代。そういうことだと。
#木更津・君津までならかもかく、安房鴨川まで行く211系の列車があるため、全線通して乗ると2時間半ロングシート車に乗るはめになる。
#上総湊駅にも総武線快速(4両)
#*京葉線(通勤)快速の10両では…? 総快は君津まで
#各駅停車のトイレはヤンキーの喫煙所である
;駅
(総武快速線方面←)'''[[千葉駅|千葉]]'''-本千葉-(京葉線方面←)'''蘇我'''-浜野-'''八幡宿'''-'''五井'''-'''姉ヶ崎'''-'''長浦'''-'''袖ヶ浦'''-巖根-'''[[木更津]]'''-'''君津'''-'''青堀'''-'''大貫'''-'''佐貫町'''-'''上総湊'''-竹岡-浜金谷-保田-安房勝山-岩井-富浦-那古船形-館山-九重-千倉-千歳-南三原-和田浦-江見-太海-安房鴨川


*'''太字'''は通勤快速・快速停車駅
===X JAPAN===
#hideが謎の死を遂げることはなかった。
#TOSHIがトラブルに巻き込まれることもなかった。
#*でも、TOSHIがああなったから解散したわけだから…
#YOSHIKIがもっと早く体を壊していた。
#*それでYOSHIKIがピアノに専念することになったため、ドラムスが打込みになるか、6人目のメンバーが登場…って、なんかヤだなw


== 東金線 ==
===男闘呼組===
#大網駅での外房線上りとの接続が悪すぎ。
#TOKIOのデビューが遅れていた。あるいはバンドとしてデビューしなかった。
#*以前は上り到着1分前に発車する電車があった。しかもそれを逃すと1時間以上待たされた。1分ぐらい待ってくれよ・・・
#*城島・山口はジャニーズを出て別のバンドを結成していたかも。
#**1分前発車は千葉支社ダイヤの基本だからしょうがない。
#後にバンドごとジャニーズから独立して本格的ロックバンドとして大成していた。
#***千葉に限らず東日本管内全体でも。
#男闘呼組としての音楽活動がメインになるため、個々の俳優活動は現実よりも縮小されている。
#全線単線。
#*高橋和也がイ・ビョンホンの吹き替えをすることもなかった。
#大網駅、東金駅、成東駅以外は無人。
#それでも岡本健一の息子は史実通りジャニーズ事務所に入っていた。
#*無人駅なのは福俵だけ(求名は有人)
#上杉昇、坂井泉水、小田佳奈子、川島だりあ、秋元康、船橋孝樹などの作詞を歌っていた。
#つい最近まで一日1本だけ東京に直通する列車が走っていた。京葉線を経由するので遠回りだが。
#シャ乱Q、T-BOLAN、BAAD、ZYYG、MAGICをライバルだと認識していた。
#*今でも走ってるべ?
#樋口宗孝、上領亘、角田美喜をサポートドラマーにしていた。
#福俵駅は[[TBS]]の昼の情報番組「ジャスト」でアンジャッシュに馬鹿にされた。
#*「駅前の物件が激安なのは何故!?」という進行で、駅を見るや、「これが駅!?えー!!!」と渡部が絶叫。その後、福俵駅の紹介が悲しいBGMとともに送られた。
#**お笑い芸人に馬鹿にされたら最後だな。馬鹿にされるのが仕事のお笑い芸人に・・・(苦笑)
#*また、新幹線+乗り換え駅まで買えるのだが、その乗り換え駅検索の「ふ」では福俵は表示されない。そこで駅員のツッコミが入る。<br>        '''''<font color="#ff0000">「本当にJRの駅ですか?」</font>'''''
#*また、東金線の存在を知っているJR職員は[[錦糸町]]あたりまでが最西であろう。
#*ここを見て、どんな秘境かと思って行ってみたら・・・確かに単線一面のホームだけだけど、簡易Suica改札もあるし、男女別のきれいな水洗トイレもあるし、駅前にはスーパーもあるし、駅周辺は完全に住宅地だし、すぐそばの国道は車が渋滞してるし・・・全然辺鄙な所じゃなかった。まあ、住もうとは思わないけど。
#*↑綺麗になったのは最近のこと2007年頃まで水洗トイレじゃなくて汚いボットン便所だった。
#6両編成までしか入れない。
#*E331系特殊電車に限り7両編成まで入れる。
#**14両で10両分だから8両まででは?それ以前に14両一編成なのに二つに分けて走れるのか?新しく小さいのを作るなら別だけど。
#***基本的にE331は7両+7両
#**E233系は故障ばっかりしてメーカーに送り返されたから・・・増備するのかなあ・・・
#***E233系じゃなくてE331系。
#てかほどんど千葉まで行くような気がする
#*半分ぐらいが外房線直通だったかな、確か。
#*それでも使いやすい時間には直通してくれず、ご丁寧に大網で乗換を強要される。
'''駅'''
*(外房線千葉方面←)大網-福俵-東金-求名-成東


==成田線==
===girl next door===
===佐倉~佐原~銚子、成田~成田空港===
ボーカルの千紗が北島康介との結婚で解散したgirl next door。もし解散しなかったら。
[[画像:JRE211Series_Alouette.jpg|frame|成田線・菜の花色の211系<br>銚子駅にて]]
#avex 所属の紅白歌合戦出場歌手とレコ大受賞歌手がAAAのみになることはなかった。
#少なくともネット(ここ含む)の中では成田線=成田-我孫子という認識をしている人が多いためか、あまり注目されない。ここの書き込みが今まで無かったのがその証拠。
#day after tomorrowの曲をカバーしていた。
#*しかし本来の成田線は 佐倉~松岸(成田~我孫子は支線)
#北島康介の現役引退の時に何らかの形でメッセージを出していた。
#特急以外は皆各駅停車(快速も実質各駅に停まっているので)
#千紗は結婚引退していなかったらこうなっていただろう。
#酒々井快速通過でいいだろよ!
#*これも住民運動で停めさせたようなもの。
#*物井にも快速を止めるな!
#**千葉支社と動労千葉の噂の06番も参照
#*成田空港に乗り入れる普通電車は1本しかない。
#*贅沢言うな。酒々井だって酒々井の人たちも困るだろ。
#朝夕運転される8両電車は佐原を過ぎると一部ドア締め切りになる。
#昔から東京へ出るときは皆各駅停車に乗っていく。理由はたとえ自由席であっても特急料金を払いたくないから。
#快速4本(1時間
#酒々井・・・真ん中の「々」の意味は?
#*「さかさかい」と読みそうになる。
#*「しゅしゅい」がなまって「しすい」になったのかも。関東土着民は拗音が苦手です。
#成田に行くつもりが総武本線と誤乗車してしまい、酒々井の先の南酒々井で気づいて途方にくれる。[[総武本線]]の項目も参照。
#成田線は211系ばかり。
#*そうでもない。113系も走っている。しかし車内は微妙に便所臭い。


*佐倉-酒々井-成田-空港第2ビル-[[成田国際空港|成田空港]]
===キャンディーズ===
*成田-久住-滑河-下総神崎-大戸-[[香取市#佐原の噂|佐原]]-香取-水郷-小見川-笹川-下総橘-下総豊里-椎柴-松岸-銚子
*普通の女の子に戻らなかったら?
#モー娘。並みの大人数になる。
#*途端に人気急降下。
#単に普通のオバサンになってたにすぎない。
#伊藤蘭は水谷豊と結婚しなかった。
#[[アミューズ]]設立に関わっていた。
#「プロポーズ大作戦」(ABC)最終回に出演して「ラッキーチャンスを逃がさないで」を生で披露していた。
#今のように名前が残らない可能性があった。
#*麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
#**その場合、南海キャンディーズも別のコンビ名を付けていたかもしれない。
#ザ・ハンダース「ハンダースの想い出の渚」の物真似のネタにキャンディーズが登場しなかった。
#山口百恵も結婚後芸能界を引退しなかったかもしれない。
#いつまでも全キャン連が存続していた。
#微笑がえしはベストテンに何ヶ月もランクインし続けたりはしなかった。
#田中好子死去とともに解散したかも。
#日本レコード大賞の何らかの部門賞を受賞していたかもしれない(史実ではどの部門賞も受賞していない)。


===我孫子~成田===
==さ行==
#我孫子系統と佐原系統で全く別の路線だから、いろいろと面倒くさい。
===THE GOOD-BYE===
#*我孫子系統は単純に[[常磐線]]の支線。
1990年に活動休止に入った後、2003年に活動再開しましたが、もし休止期間がなかったら?
#*こんな状態だから、路線名を'''我孫子線'''に変えて東京支社に面倒見てもらったほうがいいと思う。
#*車両と運転士が東京支社(松戸)、駅管理が千葉支社。半分は東京で面倒みてる。
#**昔は113系も走っていたが…
#***もっと昔はSLがw
#****そんなこと言ったら常磐線だって昭和30年代ぐらいまでSLが走っていた。
#東我孫子・・・
#*天王台に快速が止まらなければ状況は違ってたかも…
#**東我孫子の乗車人員は天王台のわずか3%(天王台23,206人、東我孫子708人)。状況は変わらないと思うが。
#*実は、鶴見線を除くと、東京駅から一番近い無人駅だったりする。
#**東武の大師前は?
#**後、川崎新町。鶴見線と似たようなもんだが…
#*起点から1駅で無人駅のため、キセル多発駅。駅前にキセル乗車を行った切符が落ちているのは当たり前。JRはこの状況を知っているのだろうか…
#**まさか、そこに自動改札機は『設置していない』ってことはないよね・・・
#***簡易Suica読み取り気ならw
#****でも別の無人駅には自動改札があったりする
#**一応検札があるが、平日に不定期にやってる程度。
#**最近は、よく入り口に駅員がいるよ。我孫子からの出張だろうか。
#1992年ごろまでは、103系と113系が同じレールの上を走るという、関東では珍しい光景が見られた。
#*関西では[[琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線|東海道本線、山陽本線]]、[[阪和線・関西空港線|阪和線]]、[[関西本線|大和路線(関西本線)]]、[[福知山線|宝塚線(福知山線)]]といった広範囲の線区でごく当たり前の光景だった。
#*中京地区の[[中央本線]]もそうだった。
#*とゆーか、ツラが同じという意味なら関東でも[[常磐線]]で'''うんざりするほど'''見られた(103系と401・403・415系)。
#*こう考えると、103系と115系とかの近郊型が一緒に走っている路線のほうが多い。一体国鉄は任のために、近郊型と通勤型に分けていたのか分からない。
#**だから最近じゃ形式は同じで路線によってちょこっと使用を変えただけなのかな。
#我孫子4番線から成田線が発車する時は、駅員が成田なりたと連呼しまくる。
#*それでも最近けっこう静かになったような気がするのは?
#成田線と言えば、まずここが頭に浮かぶというか有名。
#難読駅名の宝庫。
#*成田出ていきなり下総松崎、安食、一駅飛ばして木下だもんなぁw
#**我孫子も、この辺では知名度が高いと言うだけでなかなかの難読。
#***千代田線利用者は我孫子の読みを知ってる人も多そうだが、最初に聞いたときびっくりした。
#****[[小田急電鉄|小田急]]沿線でも読める人はいる。
#*****直通でもなかったら小田急沿線の人はわからんだろうな。
#***地方から来た友達は「われ、そんし」と読んだよ
#30分に一本しかない
#*そのせいで湖北駅周辺住民はみな毎時6本運行のバスで天王台や我孫子への移動を強いられる。
#*武蔵野線→常磐緩行線から我孫子で成田線に乗り継ごうとしたら'''30分間隔なのに29分待たされた。'''1分前発車って何よ。
#**↑JR東日本に「利用しやすいダイヤ」など期待してはいけません。
#***内房線が外房線からの接続のために3分遅れで発車したことがあったが
#約半数は上野発着。まるで京成を意識しているみたい。
#*ほどんどを上野始発にして欲しい
#**そうすると天王台が不便になる。常磐緩行線を終日取手まで運転してくれるならいいけど。
#**TXの影響で取手の需要が下がったから、取手行きから成田行きにシフトさせたそうな。
#***で、天王台と取手は本数が減ってしまった・・・なんだかなあ・・・
#**それに10両運転の本数が増えてしまう。我孫子で分割併合なんて芸当はやらないだろうし。
#ホーム上に一見、ベンチのような物(腰を下ろすには高すぎる)が置いてある駅が多い。行商の方の為の荷物置きとのこと。


;駅
#男闘呼組やTOKIOに何らかの影響を与えていた。
[[我孫子市|我孫子]]-東我孫子-湖北-新木-布佐-[[関東・甲信越の駅/千葉#木下駅の噂|木下]]-小林-安食-下総松崎-[[成田]]
#いずれにしろ、どこかのタイミングでジャニーズ事務所を退所していたと思う。
*初見で全部読めたらすごい。
#ヨッちゃんが浜崎あゆみのバックでギターを弾くこともなかったか?


==鹿島線==
===Cyber Nation Network===
#アレが無ければ水戸まで繋がるはずだった。
平間あきひこ(Professor H)とSister MAYOのユニット
#*アレって何?
#現在でもアニソン中心で活動。水樹奈々やLiSAに多々影響を与えていたかも。
#**国鉄民営化による[[Wikipedia:ja:特定地方交通線|赤字ローカル線廃止]]。最悪、未成線になっていたかもしれない。
#MAYOのProject.R入りはなかった。
#終点の駅が通常貨物駅なので鹿島神宮駅で折り返し。
#*水戸へ行くには[[鹿島臨海鉄道|大洗鹿島線]]への乗換えを強いられる。
#*佐原行きの電車…水戸行きのワンマン列車と比べると「需要と供給がつり合っているのか」と感じてしまう車内。
#*昔は千葉から直通している列車も多かったような気がするのは気のせい?
#*特急あやめが、普通列車として朝と夜、鹿島神宮駅を発着する。
#**90年代初等ぐらいは5往復ぐらいあって日中も走っていて全区間特急だった。
#気動車より運行本数が少ない。
#*それでも一日一本久里浜発→成田→鹿島神宮、の横須賀線直通がくる。(成田~鹿島神宮間4両・グリーンなし)
#*一方、東京行きの高速バスは日中でも20分毎に来る。
#潮来市内の駅前にどでかいネオン看板。
#昔(10年位前?)水戸から大洗鹿島線、鹿島線、成田線と乗り入れて成田空港を目指す「水戸成田エクスプレス」計画が持ち上がったが実現せず
#香取で成田線から分岐するとほぼ全線に渡り何もない田んぼの中を高架で抜ける。高所恐怖症の人はまず利用できない。
#*特に北浦橋梁なんか…
#茨城県内でも直流電化だっけ?
#*直流です。大洗鹿島線も電化してたら鹿島スタから交流ってこともあったでしょう。
#利根川橋梁、北浦橋梁と、短い線区なのにおそろしく長大な橋が2本も。どう考えてもローカル線には過ぎた建造物。
*佐原-香取-十二橋-[[茨城/鹿行#潮来市の噂|潮来]]-延方-[[鹿嶋市|鹿島神宮]]-※鹿島サッカースタジアム(臨時)


== 久留里線 ==
===C.C.ガールズ===
[[画像:Kiha30.gif|thumb|240px|キハ30形気動車]]
#3代目C.C.ガールズとして活動していた。
#頼めば運転させてくれるとの事。
#以降もメンバーチェンジを繰り返していた。
#*それは小湊鉄道の話じゃね?
#**いや、そういう問題じゃないと思う。
#***小湊鉄道で体験運転のイベントがある。200mの区間往復らしい
#****ただし来年度(平成19年度)の予定は決まってない模様
#***タモリ倶楽部の企画でも小湊鉄道で気動車を運転したことがあるらしい。
#*つまりは頼まなければ動かないってこと?
#地元の高校生の間での呼び方は『パー線』。クルクルパーが元になっているというのが定説である。
#*通になると、5時の久留里線で帰ることを「5時パーで帰る」と言う。1時間に一本しかないので5時パーを乗り過ごすと次は「6時パー」である。
#*ヤンキーがよくキセルしている
#最高時速が40km/h程度しかでないので、並走する原チャリより遅かったりする。(正確には原付が30km/h制限のところをスピード違反だが)
#*平均した速度に換えれば30km/hでも追いつくだろ。
#動労千葉の毎年春のストライキで運休の影響が大きいので[http://www.doro-chiba.org/ 国鉄千葉動力者労働組合(動労)]の巣とも呼ばれている
#大雨や強風の時、内房線は動いているが久留里線は運休になることはしばしばあり、久留里線を利用して登校する高校生には『パー線休暇』なるものが存在する。
#冷房の付いてない車両が3両(キハ30-62・98・100)も存在して、夏に当たったら非常に暑い思いをする。
#*動労のおかげ
#もし動労がなかったら、20世紀のうちにキハ110に全面的に置き換えられていたはずである。
#*それはない。逆に、JRから経営分離されていたかも。
#**久留里線より分離されそうでもキハ110は入ってる。すべては変化を拒否する動労のおかげ。
#*第三セクターくるり鉄道ってか?車両がキハ40だったりして。
#**その方がストはなくなるわ車両はきれいになるわでよかったかもしれない。
#**新潟支社のキハ52だったりして……
#***盛岡支社の国鉄色だったらヲタでごった返すはず。
#木更津駅構内には転車台が存在する。
#木更津を出ると、木更津市、袖ヶ浦市と走りまた木更津市に入り、君津市に入って久留里、最後の上総亀山も君津市。市しか走っていない。
#*君津市の駅=君津駅だけではない。
#**君津市役所などに用事がある場合は、鉄道の場合どうしても他の市を通らないと行くことが出来ない。
#suicaが未だに使えない。
#*今後使える予定もない。
#未だに国鉄時代からの車両が走るが、カラーはオリジナルの明るいカラーになっている。
#*ツラは211そっくり。[[画像:風っこ縮小.JPG|frame|例のイヴェント列車]]
#*ライトボックスが同じだからな…
#イヴェント列車は「風っこくるり号」である。
#*ただし窓ガラスはめ込み状態なので、あまり面白くない。
#**後ろにくっついてんのは何よ・・・
#***'''キハ30'''。
#***無断で乗ろうとしたら怒られたby君津○葉高校のOB


''''''
===シブがき隊===
*木更津-祇園-上総清川-東清川-横田-東横田-馬来田-下郡-小櫃-俵田-久留里-平山-上総松丘-上総亀山
#=[[もしあの芸能人がブレイクしていなかったら#光GENJI|光GENJIのブレイクがなかったら]]、である。
#3人とも事務所を移籍することなく、ジャニーズに残留し続けていた。
#少年隊の良きライバルとなっていた。
#仮に解散がなくても少年隊の様にソロ中心になっていたかもしれない。
 
===シャインズ(SHINE'S)===
伊藤ようすけ(東京プリン)と杉村太郎のユニット
#=「杉村太郎の実業家転身がなかったら」である。
#東京プリンの結成はなかった。
 
===Sugar Babe===
#大瀧詠一がメンバー入りしていたかもしれない。
#イギリスの女性グループ「Sugarbabes」とグループ名が混同される。
 
===JUDY AND MARY===
#YUKIは今でもソニーと契約更新してた。また、バンドとソロの両方で東京ドーム公演をした最初の女性アーティストにもならなかった。
#それでも恩田快人は脱退していたかも知れない。
 
===杉山清貴&オメガトライブ===
#カルロス・トシキはソロを続けていた。
#「1986」「カルロス・トシキ&」名義の楽曲もいくつかは「杉山清貴&」名義でリリースされていた。
 
===SPEED===
2008年に再結成したSPEED、もし解散することなく現在まで活動を続けていたら?
#プロデューサーが伊秩から変わった可能性あり。
#*どっちみちそのタイミングでトイズからエイベックス移籍は免れられなさそう。
#今井絵理子ができ婚で脱退。AKINAあたりが新メンバーになっていた。
#*この後にメインヴォーカルが上原多香子+島袋寛子とする曲がいっぱい作られる。プロデューサーはTommy February 6。
#*仮に今井絵理子が脱退しなかった場合参議院議員になることはなかった。
#**不倫騒動もなかった。
#それでも第四のメンバーの地位は第四位のまま。{{極小|ネタキャラとしての地位はダントツだったろうけど}}<!-- オチ -->
#逆にMAXが解散していた。
#全員のソロシングルを同日発売、なんてことをしていたかもしれない。
#2000年以降、CDの売上は低落傾向になるが、それでも芸能界における一定の地位を維持。
#*所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
#**平氏の逮捕劇が起きなかった。
#*モーニング娘。がハロープロジェクトを立ち上げたのに対抗して、EARTH、Folder5などとともにライジング系女性アイドルの集団を作って売り出す。
#**満島ひかりはFolder5の活動がメインとなり、現実ほど女優に力を入れていなかった。
#ハロープロジェクトは現実と違いSPEEDに押されていた。
#2ちゃんねるに「SPEED板」が出来ていた。
#つんくが曲を提供することもなかったはず。
#オフィシャルサイト「SPEED ARENA」が未だに公開されていたはず
#AKBには負けていた・・かな?
 
===ZONE===
#プリンセス・プリンセスと並んだ後ヒットが終わる。
#北海道出身ということで[[北海道日本ハムファイターズ|このチーム]]の応援歌を歌っていたかも。
#*[[北海道コンサドーレ札幌|このチーム]]も。
#あの花のEDに「secret base 〜君がくれたもの〜」が使用されなかったかも。
#MIZUHOが石橋貴明に「{{あきまへん}}の先」呼ばわりされなかったらMIZUHOは見切りをつけて脱退することなく、解散に追い込まれることはなかっただろう。
#*そもそもMIZUHOは芸能活動に意欲をなくすことはなかった。
#MARIAもなかった。
#史実では3人で再結成→TOMOKA引退→MIYU契約解除→活動終了となったが、メンバーチェンジを繰り返していた。
 
==たな行==
===ザ・タイガース===
#岸部兄弟の2人は史実ほど俳優業に力を入れなかった。
#*『西遊記』(堺正章版)の沙悟浄役は別の俳優になっていた。
#*岸部シローは『ルックルックこんにちは』の司会に抜擢されることもなかった。
#**事業に手を出したり自己破産に追い込まれたりすることもなかっただろう。
#*岸部大輔(一徳の息子)が加入したかもしれない。
#瞳みのるは芸能界を引退せず、高校教師になったり中国語の教本を出したりすることはなかった。
#*実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
#**そもそもそのコンサート自体なかったかも。
#沢田研二の曲のいくつかはザ・タイガースのものになっていた。
#森本太郎の「タローとアルファベッツ」や「森本タローとスーパースター」はなかった。
#グループサウンズブームはもっと続いていた。
 
===チェキッ娘===
#モーニング娘。をライバル視していた。
#『DAIBAクシン!!』は打ち切られることはなかった。
#熊切あさ美は崖っぷちアイドルとして売り出すことはなかった。
#『電波少年的15少女漂流記』にはメンバー全員参加していた。
#アイドリング!!!は結成されなかった。
#藤岡麻美がディーン・フジオカの妹ということもあってか、彼は「アイドルグループのメンバーの兄」で売り出すことができていた。
 
===チューリップ===
*1989年にいったん解散したチューリップ。もし活動を続けていたら・・・・。
#「ひとつ屋根の下」で使われた「サボテンの花」は財津和夫がリテイクしたものではなく、オリジナルのチューリップのものが使われていた。
 
===TMN===
#TMN→TM NETWORKへの再改名というのもあったかもしれない。
#*あるいはTM INTERNET-WORKに改名していた。
#小室プロデュースの歌手が大量に世の中に出る事はなかった。
#*そもそも小室哲哉がプロデュース業に力を入れてなかったらこうなっていただろう。
#globe自体存在しなかった。
#果たして[[エイベックス|avex]]はあそこまで大きくなっただろうか。
#2008年11月4日にあの惨事が起こることもなかった。
#何かと不評なベストアルバムの乱発もなかった。
#B'z、FENCE OF DEFENSE、access等の所謂「TMファミリー」が一堂に会したスペシャルライブが前世紀中には行なわれていた。
#*上記のバンドのメンバーがTMのライブでサポート乃至はゲストで出演という事は実際にあるが。
#上記の再改名という場合でも、TMN名義によるオリジナルアルバムは後数枚リリースされていた。
#おそらく、trf「WORLD GROOVE」に入ってる曲のいくつかはTMNのものになっていたはずである。
#TMN終了後にリリースされた宇都宮隆と木根尚登のソロの楽曲のいくつかはTMの楽曲となっていた。
#*宇都宮隆バージョンの「RUNNING TO HORIZON」はTMバージョンとしてカバーされていたかもしれない。最も現実にはこの曲のカバーはTMの活動再開後にリリースされているが。
#T.M.Revolutionと混同する人が現実以上に多くなっていたかもしれない。
#*あるいは世代に関係なく、「TM」といえばネットワークを思い出す人が多くなっていたか?
 
===day after tomorrow===
#GIRL NEXT DOORは結成されなかった。
#misonoのバラエティ進出はなかった。
#*「クイズ!ヘキサゴン2」のレギュラーになる事もなく、里田まいwith合田姉妹も企画されなかった。
#*おバカタレントの1人として名を馳せることもなく、ブログでの失言で炎上を度々起こすこともなかった。
#*安倍麻美の存在が薄れることもなかった。
#倖田來未の存在が薄れていた。
#*倖田來未がBACK-ONのKENJI03と結婚し、彼がmisonoの義兄になった際には、'''義理の兄と妹が歌手グループのボーカル'''になっていた。
#*というか、エイベックスは倖田來未に力を入れることはなかったのでは?
#ELTの仕事を奪っていた。
 
===dos===
#KABA.ちゃんはオカマタレントとして再ブレイクすることはなかった。
#*但しダンサー・振付師として一定の知名度は保っていただろう。
#*去勢することもなかった。
#西野妙子は女優に復帰することはなかった。
#Kiss Destinationはなかっただろう。
#*吉田麻美は小室哲哉と結婚したり離婚したりすることもなかった。
#小室ファミリーの黒歴史が減っていた。
 
===D'ERLANGER===
2007年に再結成したが、ここでは「もしブランクがなく活動を続けていたら」という前提で。
#史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
#BODYは結成されなかった。
 
==は行==
===B.B.クイーンズ===
#数多くのアニソンをリリースしていた。
#*ただしお子様ソング路線を維持しているため、現在のアニソンがJ-POPばかりになることもなかった。
#Mi-keが活動休止することもなかった。
#名前の縁でトヨタbBのCMに出演していたかCMソングを歌っていた。
 
===光GENJI===
#SMAPの良き兄貴分となっていた。
#*むしろSMAPが史実ほど人気が出ていなかった可能性がある。
#「勇気100%」はミリオンヒットになっていた。
#少年隊の影が薄くなっていた。
#*少年隊のほうが先に解散していた。
#諸星和己は史実の木村拓哉的存在になっていた。
#*もちろん暴露本なんて発表しない。
#*40近くになっても合言葉は「こんばんはー!」。
#赤坂晃がクスリで逮捕されることもなかった。
#V6・嵐などが結成されることもなかった。
#*グループが粗製濫造されることはもちろんなかった。
#*V6はともかく嵐は結成されていたのでは?世代も違うし。
#*V6は期間限定で終わっていたのでは?
#Kis-my-ft2もデビューに至らなかったか路線が変わっていた。
#ジャニーズはSMAPに力を入れることはなかった。
 
===美少女クラブ31===
2007年以降、事実上活動を休止した美少女クラブ31ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
#X21は結成されなかった。
#剛力彩芽や武井咲がメンバー入りしていた。
#名前の縁でサーティーワンアイスクリームのイメージキャラクターを務めていた。
#AKB48に対抗して研究生制度を導入していた。
#*欠員が出たらその都度昇格する体制を取っていた。
#テレビ朝日はももクロ推しをしていなかった。
#*アップフロントとの関係も修復されることもなかった。
#オスカープロモーションの黒歴史が減っていた。
#ハロプロの仕事のいくつかを奪っていた。
#*ライジングプロダクション(当時はヴィジョンファクトリー)も追い詰めていた。安室離脱と共に事務所解散なんて可能性も。
#*モー娘。に至ってはかなりの影響があった。
#*DreamもE-girlsに合流する前に解散していた。
#グラビアにも本格的に進出し、グラビアアイドルの仕事も奪っていた。
#*史実の乃木坂46よろしくモデルにも進出。
#*篠○愛が「美少女クラブウザイ」発言をして物議を醸していた。
#**この一件でグラビアへの進出にとどめを刺したかも。
#それでもAKBには負けていただろう。
#*むしろ存在が薄れていたかも。
 
===Folder5===
#メンバーチェンジくらいはあったかな?
#*あったとしたら、DA PUMPみたいに沖縄アクターズ以外からの加入だった。
#HIKARIが女優に転向することはなかった。
#AKINAもShiny Lipsを結成せず、ビビる大木との結婚もなかった。
#三浦大知復帰の際に「三浦大知 with Folder5」としてコラボしていたかも。
 
===The Flipper's Guitar===
#小沢健二のソロ曲がフリッパーズ・ギター名義で発表されており、小山田のボーカルで歌われる。
#*小沢健二の代わりにフリッパーズ・ギターがNHK紅白歌合戦に出場していた。
#「今夜はブギーバック」がスチャダラパー×フリッパーズ・ギターで発表される。
#そもそも「渋谷系」が有ったかどうかも分からない。
#2004年のエイプリルフールに「エイプリルズ、バンド名をフリッパーズギターに改名」と発表されることもなかった。
 
===THE BLUE HEARTS===
#ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズの結成はなかった。
#*これらの楽曲もブルーハーツ名義で出ていたのかな?
#*たぶん出ていた。
#*1995年以降、史実のハイロウズのようにシュールな歌詞の曲が多くなりファンの間では賛否両論分かれた。
#河口が新興宗教に没頭していないので、「幸福の生産者」という曲は存在しない。
#*ていうか「PAN」自体出てない。
#2004年頃、自衛隊のイラク派遣を受けて「すてごま」をセルフカバーしていた。
#史実ではハイロウズが務めた、セックス・ピストルズの日本公演の前座を務めていたかもしれない。
#アメリカ同時多発テロを痛烈に皮肉った曲をリリースしていた。
#今ごろ紅白に出場していたかもしれない。
#チルドレンによる青春パンクブームは起こらない。
 
===BLUE BOY===
#川崎フロンターレの応援歌を歌っていたかもしれない。
#ドラムの青木慶則が「自分一人で活動したい。」という心の声が大きくなったことが原因で脱退していた。(史実ではこれが原因で解散した。)
 
===BaBe===
#Winkと二分される存在になっていた。
#*Winkとキャラが被ることで解散に追い込まれたとみなされることはなかった<!--実際は二階堂ゆかりが結婚引退したため-->。
#*Winkをライバル視していた。
#その後は脱ユーロビート路線に転じていた。
#*その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
#**更にその縁でピンクレディーの曲もカバーしていた。
#**平成のピンクレディーと呼ばれていた。
#所属事務所であるエスワンカンパニーが破綻することはなかった。
#1990年頃に予定されていたコンサートツアーが中止になることはなかった。
#「名前の縁」で映画『ベイブ』の主題歌を歌っていた。
#*そして海外進出を果たしていた。
 
===BOØWY===
#1990年代以降もヒット曲を連発。ビーイング系アーティストなどの強力なライバルとして君臨。
#*しかし、松本孝弘、増崎孝司、増田隆宣、生沢佑一をレコーディングに参加していた。
#個々のソロ活動はバンド活動が一段落した合間に行われる。
#*De-LAXは登場しなかったかもしれない。
#*しかしCOMPLEXは元々から期間限定ユニットだったので登場しているかも。
#CMやドラマ主題歌のタイアップは多いが、BOØWYとしての音楽番組への出演は頑なに拒否し続ける。
#*布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
#**しかし映画やCMには積極的に出演する。これは史実通り。
#*ヒムロックも史実通り『HEY! HEY! HEY!』のみに出演番組を絞っている。
#M田氏への事件発覚後、ヒムロックが謝罪会見を行い、2007年後半はグループ活動を自粛。
#布袋様のソロ曲のうち何作かがBOØWY名義で発表されており、ヒムロックのボーカルで歌われている。
#*氷室ボーカルの「スリル」って…、{{極小|<s>ちょっと怖いもの見たさ</s>}}すげえ、聞いてみてえw
#松井さんは変わらずに不動の8(エイト)を刻み続けている。
#高崎市が聖地化。
#いつの頃からか、まこっちゃんのステージパフォーマンスが一番派手になってる。
#布袋様が女性関連のスキャンダルの度に、ヒムロックが謝罪する。
#山下久美子もしくは今井美樹のツアー・レコーディングに全メンバー参加。
#98年までは大晦日の[[東京ドーム]]公演を[[X JAPANファン|X JAPAN]]と奪い合いそう。
 
===BODY===
#史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
#CRAZEの結成、D'ERLANGERの再結成はなかった。
#*よって「I LOVE YOU」は2014年現在に至るまで「BODYの楽曲」として認知されていた。
#*CRAZEの存在がなかった=[[男性グループ歌手ファン/さ~な行#D-SHADE.E3.83.95.E3.82.A1.E3.83.B3|D-SHADE]]も存在しなかった。
#藤崎賢一はソロ、飯田成一は別バンドで活動してた。
#ラルクはブレイクしなかった、あるいはブレイクが遅れていた可能性もある。
 
==ま〜わ行==
===MAGIC===
#小坂、菅井脱退以後、RODEOとの合流を待って、LOUDNESSのような再生時代に入っていた。
 
===ミニモニ。===
*ミカのハロー!プロジェクト卒業により活動を休止したミニモニ。だが、その後も活動を続けていたら?
#ミカの卒業後、紆余曲折ありメンバーを入れ替えながら活動継続
#*この紆余曲折のせいで、今頃初代メンバーとして各番組で紹介できるのは辻のみになっていた。
#楽曲が幼稚園、保育園のお遊戯で使用されていた
#*子供たちの支持を受け他のハロプロユニットの人気も上昇していた。
#『おはスタ』に引き続き出演し続けていた。
#「新ミニモニ。」はなかった。
#*史実の新ミニモニ。メンバーはメンバーチェンジの際に順次本家ミニモニ。に加入していた。
#イロモノアイドルグループとしてももクロと人気を二分していた。
#*だがももクロには負けていた。
#*渡り廊下走り隊とも人気で張り合っていたかも。
#ギャルルは結成当初からあべべ(安倍麻美)がメンバーだった。
#「いぬモニ。」は登場しなかっただろう。
 
===ラッツ&スター===
#田代まさしと桑野信義は芸人に転向することはなかった。
#*志村けんと関係を持つこともなかった。
#*田代まさしは「ダジャレの帝王」と呼ばれることもなかった。
#*『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ版)の爺は誰がやっていたのだろうか。
#**ボケもツッコミも両方できるという点で伊東四朗さんか加トちゃん辺りかなあ。
#*そもそもメンバー仲がギクシャクしていなかったらこうなっていただろう。
#**=[[もしあの芸能人が性犯罪を犯していなかったら#シャネルズ|性犯罪がなかったら]]、である。
#田代まさしは{{あきまへん}}に走ることもなかった。
#*「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
#**この場合、(同時期に逮捕された)稲垣メンバー祭りが史実以上に加熱していた。
#鈴木聖美との関係がもっと親密になっていた。
#*鈴木聖美がメンバー入りし、男女混成ユニットになっていた。
#史実で鈴木雅之名義でリリースされた曲はラッツ&スター名義でリリースされていた。
#ゴスペラッツも結成されなかったかもしれない。
 
===REV===
<!--実質ソロユニットですが、形の上で解散しているため、ここに記載-->
#出口雅之として再出発することはなかった。
#LIVやRev. from DVLとの混同が起きていた。
#名前の縁でアイオメガの記憶媒体であるREVのイメージキャラクターを務めていた。
#*REVの普及を促進をしていた。
 
===ザ・ワイルドワンズ===
ザ・ワイルドワンズは1971年に一度解散するも、10年が経過して加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズとして再結成されましたが、もし、解散せず空白期間がなかったら?
 
#「加瀬邦彦と」の冠はもちろん付かないままだった。
#「ザ・ワイルドワンズ'91」もなかったか?
#*「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」もなかっただろう。
#渡辺茂樹がバンドを転々とすることもなかった。
#加瀬邦彦も自殺しなかった?
#サザンオールスターズにも何らかの影響を与えていた。場合によってはコラボも実現したかもしれない。
#*ひょっとしたらワイルドワンズもアミューズ所属になっていたかもしれない(アミューズ創業者が最初にマネジメント担当したのがワイルドワンズだった)。
 
===wuz↑b?(ワサビ)===
2002年に解散したwuz↑b?ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
#メンバーチェンジを行っていたかもしれない。
#植物のワサビを「wuz↑b?」と書く人が増えていた。
 
===WANDS===
#その後もメンバーチェンジを何度も繰り返していた。
#*ボーカルの場合は上杉昇に似た歌声をさせられる。
#*ただし、木村だけはずっと脱退せずに残リ続けた。
#**そして、彼の事実上のソロプロジェクトとなっていた。
#**それでも音楽性の違いで脱退したのでは?
#**第3期の体制を現在に至るまで堅持していたら和久二郎はバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することもなかった。
#***=もしメンバーチェンジに成功していたら、といえる。
<!--#*和久二郎が現在に至るまで残留ならバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することはなかった。-->
#*上杉以外のメンバー復帰もあり得た。<!--上杉は自分のやりたい事を志向している以上、ビーイングとこじれているため-->
#B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
#「[[名探偵コナン]]」の主題歌の常連になっていた。


==関連項目==
==関連項目==
*[[東日本旅客鉄道]]
*[[もしあの歌手グループが解散していたら]]
*[[千葉の鉄道]]
*[[もし動労千葉が存在しなかったら]]
*[[成田エクスプレス]]


{{DEFAULTSORT:ひかしにほんりよかくてつとうちはししや}}
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 芸能史|あのかしゆくるうふかかいさんかつとうていししていなかつたら]]
[[Category:東日本旅客鉄道|*ちは]]
[[Category:千葉の鉄道]]
[[Category:茨城の鉄道]]
[[Category:JR路線]]

2021年10月31日 (日) 12:21時点における版

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独立項目

あか行

EE JUMP

  1. 「EE JUMP COLLECTION 1」は予定どおり発売されていた。
  2. ユウキは×××××に走ることもなかった。
  3. 後藤真希の活動休止もなかった。
  4. それでもソニンは舞台出演をきっかけにしてそちらに専念する為脱退したかも。

Wink

1980年代後半から90年代半ばにかけて活躍し、1996年3月に活動を停止した鈴木早智子、相田翔子の二人組ユニットWinkですが、もし活動を停止しなかったらどうなっていたでしょう?

  1. 史実よりも早く、音楽活動からバラエティ、ドラマへと活躍の場を移していた。
    • 同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
      • ウルルンの司会も翔子、早智子が1週交代で務めていたかも…
  2. 新曲のリリースは年1回程度になるが、コンサートだけは毎年必ずやっていた。
  3. 二人が司会のバラエティ番組が、深夜帯で放送された。
  4. 80年代、90年代前半のアイドルを振り返る番組には、二人でゲスト出演した。
  5. さっちんが脱ぐことはなかった(泣)
    • AV出演疑惑が出ることもなかった。
    • というか、さっちんの活動が迷走することはなかった。
      • 「ASAYAN」の再起にかけるオーディションに出演することもなく、気の強い女ぶりを晒すことはなかった。
      • 事務所移籍で迷走することもなかった。
      • クスリに手を出して倒れることもなかった。
      • 不倫騒動もなかった。
  6. 相田翔子が「しょこたん」と呼ばれていた?
    • あるいははいだしょうこと間違えられていた。
    • 同様にさっちんがこのモデルと間違えられていた。

X JAPAN

  1. hideが謎の死を遂げることはなかった。
  2. TOSHIがトラブルに巻き込まれることもなかった。
    • でも、TOSHIがああなったから解散したわけだから…
  3. YOSHIKIがもっと早く体を壊していた。
    • それでYOSHIKIがピアノに専念することになったため、ドラムスが打込みになるか、6人目のメンバーが登場…って、なんかヤだなw

男闘呼組

  1. TOKIOのデビューが遅れていた。あるいはバンドとしてデビューしなかった。
    • 城島・山口はジャニーズを出て別のバンドを結成していたかも。
  2. 後にバンドごとジャニーズから独立して本格的ロックバンドとして大成していた。
  3. 男闘呼組としての音楽活動がメインになるため、個々の俳優活動は現実よりも縮小されている。
    • 高橋和也がイ・ビョンホンの吹き替えをすることもなかった。
  4. それでも岡本健一の息子は史実通りジャニーズ事務所に入っていた。
  5. 上杉昇、坂井泉水、小田佳奈子、川島だりあ、秋元康、船橋孝樹などの作詞を歌っていた。
  6. シャ乱Q、T-BOLAN、BAAD、ZYYG、MAGICをライバルだと認識していた。
  7. 樋口宗孝、上領亘、角田美喜をサポートドラマーにしていた。

girl next door

ボーカルの千紗が北島康介との結婚で解散したgirl next door。もし解散しなかったら。

  1. avex 所属の紅白歌合戦出場歌手とレコ大受賞歌手がAAAのみになることはなかった。
  2. day after tomorrowの曲をカバーしていた。
  3. 北島康介の現役引退の時に何らかの形でメッセージを出していた。
  4. 千紗は結婚引退していなかったらこうなっていただろう。

キャンディーズ

  • 普通の女の子に戻らなかったら?
  1. モー娘。並みの大人数になる。
    • 途端に人気急降下。
  2. 単に普通のオバサンになってたにすぎない。
  3. 伊藤蘭は水谷豊と結婚しなかった。
  4. アミューズ設立に関わっていた。
  5. 「プロポーズ大作戦」(ABC)最終回に出演して「ラッキーチャンスを逃がさないで」を生で披露していた。
  6. 今のように名前が残らない可能性があった。
    • 麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
      • その場合、南海キャンディーズも別のコンビ名を付けていたかもしれない。
  7. ザ・ハンダース「ハンダースの想い出の渚」の物真似のネタにキャンディーズが登場しなかった。
  8. 山口百恵も結婚後芸能界を引退しなかったかもしれない。
  9. いつまでも全キャン連が存続していた。
  10. 微笑がえしはベストテンに何ヶ月もランクインし続けたりはしなかった。
  11. 田中好子死去とともに解散したかも。
  12. 日本レコード大賞の何らかの部門賞を受賞していたかもしれない(史実ではどの部門賞も受賞していない)。

さ行

THE GOOD-BYE

1990年に活動休止に入った後、2003年に活動再開しましたが、もし休止期間がなかったら?

  1. 男闘呼組やTOKIOに何らかの影響を与えていた。
  2. いずれにしろ、どこかのタイミングでジャニーズ事務所を退所していたと思う。
  3. ヨッちゃんが浜崎あゆみのバックでギターを弾くこともなかったか?

Cyber Nation Network

平間あきひこ(Professor H)とSister MAYOのユニット

  1. 現在でもアニソン中心で活動。水樹奈々やLiSAに多々影響を与えていたかも。
  2. MAYOのProject.R入りはなかった。

C.C.ガールズ

  1. 3代目C.C.ガールズとして活動していた。
  2. 以降もメンバーチェンジを繰り返していた。

シブがき隊

  1. =光GENJIのブレイクがなかったら、である。
  2. 3人とも事務所を移籍することなく、ジャニーズに残留し続けていた。
  3. 少年隊の良きライバルとなっていた。
  4. 仮に解散がなくても少年隊の様にソロ中心になっていたかもしれない。

シャインズ(SHINE'S)

伊藤ようすけ(東京プリン)と杉村太郎のユニット

  1. =「杉村太郎の実業家転身がなかったら」である。
  2. 東京プリンの結成はなかった。

Sugar Babe

  1. 大瀧詠一がメンバー入りしていたかもしれない。
  2. イギリスの女性グループ「Sugarbabes」とグループ名が混同される。

JUDY AND MARY

  1. YUKIは今でもソニーと契約更新してた。また、バンドとソロの両方で東京ドーム公演をした最初の女性アーティストにもならなかった。
  2. それでも恩田快人は脱退していたかも知れない。

杉山清貴&オメガトライブ

  1. カルロス・トシキはソロを続けていた。
  2. 「1986」「カルロス・トシキ&」名義の楽曲もいくつかは「杉山清貴&」名義でリリースされていた。

SPEED

2008年に再結成したSPEED、もし解散することなく現在まで活動を続けていたら?

  1. プロデューサーが伊秩から変わった可能性あり。
    • どっちみちそのタイミングでトイズからエイベックス移籍は免れられなさそう。
  2. 今井絵理子ができ婚で脱退。AKINAあたりが新メンバーになっていた。
    • この後にメインヴォーカルが上原多香子+島袋寛子とする曲がいっぱい作られる。プロデューサーはTommy February 6。
    • 仮に今井絵理子が脱退しなかった場合参議院議員になることはなかった。
      • 不倫騒動もなかった。
  3. それでも第四のメンバーの地位は第四位のまま。ネタキャラとしての地位はダントツだったろうけど
  4. 逆にMAXが解散していた。
  5. 全員のソロシングルを同日発売、なんてことをしていたかもしれない。
  6. 2000年以降、CDの売上は低落傾向になるが、それでも芸能界における一定の地位を維持。
    • 所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
      • 平氏の逮捕劇が起きなかった。
    • モーニング娘。がハロープロジェクトを立ち上げたのに対抗して、EARTH、Folder5などとともにライジング系女性アイドルの集団を作って売り出す。
      • 満島ひかりはFolder5の活動がメインとなり、現実ほど女優に力を入れていなかった。
  7. ハロープロジェクトは現実と違いSPEEDに押されていた。
  8. 2ちゃんねるに「SPEED板」が出来ていた。
  9. つんくが曲を提供することもなかったはず。
  10. オフィシャルサイト「SPEED ARENA」が未だに公開されていたはず
  11. AKBには負けていた・・かな?

ZONE

  1. プリンセス・プリンセスと並んだ後ヒットが終わる。
  2. 北海道出身ということでこのチームの応援歌を歌っていたかも。
  3. あの花のEDに「secret base 〜君がくれたもの〜」が使用されなかったかも。
  4. MIZUHOが石橋貴明に「×××××の先」呼ばわりされなかったらMIZUHOは見切りをつけて脱退することなく、解散に追い込まれることはなかっただろう。
    • そもそもMIZUHOは芸能活動に意欲をなくすことはなかった。
  5. MARIAもなかった。
  6. 史実では3人で再結成→TOMOKA引退→MIYU契約解除→活動終了となったが、メンバーチェンジを繰り返していた。

たな行

ザ・タイガース

  1. 岸部兄弟の2人は史実ほど俳優業に力を入れなかった。
    • 『西遊記』(堺正章版)の沙悟浄役は別の俳優になっていた。
    • 岸部シローは『ルックルックこんにちは』の司会に抜擢されることもなかった。
      • 事業に手を出したり自己破産に追い込まれたりすることもなかっただろう。
    • 岸部大輔(一徳の息子)が加入したかもしれない。
  2. 瞳みのるは芸能界を引退せず、高校教師になったり中国語の教本を出したりすることはなかった。
    • 実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
      • そもそもそのコンサート自体なかったかも。
  3. 沢田研二の曲のいくつかはザ・タイガースのものになっていた。
  4. 森本太郎の「タローとアルファベッツ」や「森本タローとスーパースター」はなかった。
  5. グループサウンズブームはもっと続いていた。

チェキッ娘

  1. モーニング娘。をライバル視していた。
  2. 『DAIBAクシン!!』は打ち切られることはなかった。
  3. 熊切あさ美は崖っぷちアイドルとして売り出すことはなかった。
  4. 『電波少年的15少女漂流記』にはメンバー全員参加していた。
  5. アイドリング!!!は結成されなかった。
  6. 藤岡麻美がディーン・フジオカの妹ということもあってか、彼は「アイドルグループのメンバーの兄」で売り出すことができていた。

チューリップ

  • 1989年にいったん解散したチューリップ。もし活動を続けていたら・・・・。
  1. 「ひとつ屋根の下」で使われた「サボテンの花」は財津和夫がリテイクしたものではなく、オリジナルのチューリップのものが使われていた。

TMN

  1. TMN→TM NETWORKへの再改名というのもあったかもしれない。
    • あるいはTM INTERNET-WORKに改名していた。
  2. 小室プロデュースの歌手が大量に世の中に出る事はなかった。
    • そもそも小室哲哉がプロデュース業に力を入れてなかったらこうなっていただろう。
  3. globe自体存在しなかった。
  4. 果たしてavexはあそこまで大きくなっただろうか。
  5. 2008年11月4日にあの惨事が起こることもなかった。
  6. 何かと不評なベストアルバムの乱発もなかった。
  7. B'z、FENCE OF DEFENSE、access等の所謂「TMファミリー」が一堂に会したスペシャルライブが前世紀中には行なわれていた。
    • 上記のバンドのメンバーがTMのライブでサポート乃至はゲストで出演という事は実際にあるが。
  8. 上記の再改名という場合でも、TMN名義によるオリジナルアルバムは後数枚リリースされていた。
  9. おそらく、trf「WORLD GROOVE」に入ってる曲のいくつかはTMNのものになっていたはずである。
  10. TMN終了後にリリースされた宇都宮隆と木根尚登のソロの楽曲のいくつかはTMの楽曲となっていた。
    • 宇都宮隆バージョンの「RUNNING TO HORIZON」はTMバージョンとしてカバーされていたかもしれない。最も現実にはこの曲のカバーはTMの活動再開後にリリースされているが。
  11. T.M.Revolutionと混同する人が現実以上に多くなっていたかもしれない。
    • あるいは世代に関係なく、「TM」といえばネットワークを思い出す人が多くなっていたか?

day after tomorrow

  1. GIRL NEXT DOORは結成されなかった。
  2. misonoのバラエティ進出はなかった。
    • 「クイズ!ヘキサゴン2」のレギュラーになる事もなく、里田まいwith合田姉妹も企画されなかった。
    • おバカタレントの1人として名を馳せることもなく、ブログでの失言で炎上を度々起こすこともなかった。
    • 安倍麻美の存在が薄れることもなかった。
  3. 倖田來未の存在が薄れていた。
    • 倖田來未がBACK-ONのKENJI03と結婚し、彼がmisonoの義兄になった際には、義理の兄と妹が歌手グループのボーカルになっていた。
    • というか、エイベックスは倖田來未に力を入れることはなかったのでは?
  4. ELTの仕事を奪っていた。

dos

  1. KABA.ちゃんはオカマタレントとして再ブレイクすることはなかった。
    • 但しダンサー・振付師として一定の知名度は保っていただろう。
    • 去勢することもなかった。
  2. 西野妙子は女優に復帰することはなかった。
  3. Kiss Destinationはなかっただろう。
    • 吉田麻美は小室哲哉と結婚したり離婚したりすることもなかった。
  4. 小室ファミリーの黒歴史が減っていた。

D'ERLANGER

2007年に再結成したが、ここでは「もしブランクがなく活動を続けていたら」という前提で。

  1. 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
  2. BODYは結成されなかった。

は行

B.B.クイーンズ

  1. 数多くのアニソンをリリースしていた。
    • ただしお子様ソング路線を維持しているため、現在のアニソンがJ-POPばかりになることもなかった。
  2. Mi-keが活動休止することもなかった。
  3. 名前の縁でトヨタbBのCMに出演していたかCMソングを歌っていた。

光GENJI

  1. SMAPの良き兄貴分となっていた。
    • むしろSMAPが史実ほど人気が出ていなかった可能性がある。
  2. 「勇気100%」はミリオンヒットになっていた。
  3. 少年隊の影が薄くなっていた。
    • 少年隊のほうが先に解散していた。
  4. 諸星和己は史実の木村拓哉的存在になっていた。
    • もちろん暴露本なんて発表しない。
    • 40近くになっても合言葉は「こんばんはー!」。
  5. 赤坂晃がクスリで逮捕されることもなかった。
  6. V6・嵐などが結成されることもなかった。
    • グループが粗製濫造されることはもちろんなかった。
    • V6はともかく嵐は結成されていたのでは?世代も違うし。
    • V6は期間限定で終わっていたのでは?
  7. Kis-my-ft2もデビューに至らなかったか路線が変わっていた。
  8. ジャニーズはSMAPに力を入れることはなかった。

美少女クラブ31

2007年以降、事実上活動を休止した美少女クラブ31ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?

  1. X21は結成されなかった。
  2. 剛力彩芽や武井咲がメンバー入りしていた。
  3. 名前の縁でサーティーワンアイスクリームのイメージキャラクターを務めていた。
  4. AKB48に対抗して研究生制度を導入していた。
    • 欠員が出たらその都度昇格する体制を取っていた。
  5. テレビ朝日はももクロ推しをしていなかった。
    • アップフロントとの関係も修復されることもなかった。
  6. オスカープロモーションの黒歴史が減っていた。
  7. ハロプロの仕事のいくつかを奪っていた。
    • ライジングプロダクション(当時はヴィジョンファクトリー)も追い詰めていた。安室離脱と共に事務所解散なんて可能性も。
    • モー娘。に至ってはかなりの影響があった。
    • DreamもE-girlsに合流する前に解散していた。
  8. グラビアにも本格的に進出し、グラビアアイドルの仕事も奪っていた。
    • 史実の乃木坂46よろしくモデルにも進出。
    • 篠○愛が「美少女クラブウザイ」発言をして物議を醸していた。
      • この一件でグラビアへの進出にとどめを刺したかも。
  9. それでもAKBには負けていただろう。
    • むしろ存在が薄れていたかも。

Folder5

  1. メンバーチェンジくらいはあったかな?
    • あったとしたら、DA PUMPみたいに沖縄アクターズ以外からの加入だった。
  2. HIKARIが女優に転向することはなかった。
  3. AKINAもShiny Lipsを結成せず、ビビる大木との結婚もなかった。
  4. 三浦大知復帰の際に「三浦大知 with Folder5」としてコラボしていたかも。

The Flipper's Guitar

  1. 小沢健二のソロ曲がフリッパーズ・ギター名義で発表されており、小山田のボーカルで歌われる。
    • 小沢健二の代わりにフリッパーズ・ギターがNHK紅白歌合戦に出場していた。
  2. 「今夜はブギーバック」がスチャダラパー×フリッパーズ・ギターで発表される。
  3. そもそも「渋谷系」が有ったかどうかも分からない。
  4. 2004年のエイプリルフールに「エイプリルズ、バンド名をフリッパーズギターに改名」と発表されることもなかった。

THE BLUE HEARTS

  1. ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズの結成はなかった。
    • これらの楽曲もブルーハーツ名義で出ていたのかな?
    • たぶん出ていた。
    • 1995年以降、史実のハイロウズのようにシュールな歌詞の曲が多くなりファンの間では賛否両論分かれた。
  2. 河口が新興宗教に没頭していないので、「幸福の生産者」という曲は存在しない。
    • ていうか「PAN」自体出てない。
  3. 2004年頃、自衛隊のイラク派遣を受けて「すてごま」をセルフカバーしていた。
  4. 史実ではハイロウズが務めた、セックス・ピストルズの日本公演の前座を務めていたかもしれない。
  5. アメリカ同時多発テロを痛烈に皮肉った曲をリリースしていた。
  6. 今ごろ紅白に出場していたかもしれない。
  7. チルドレンによる青春パンクブームは起こらない。

BLUE BOY

  1. 川崎フロンターレの応援歌を歌っていたかもしれない。
  2. ドラムの青木慶則が「自分一人で活動したい。」という心の声が大きくなったことが原因で脱退していた。(史実ではこれが原因で解散した。)

BaBe

  1. Winkと二分される存在になっていた。
    • Winkとキャラが被ることで解散に追い込まれたとみなされることはなかった。
    • Winkをライバル視していた。
  2. その後は脱ユーロビート路線に転じていた。
    • その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
      • 更にその縁でピンクレディーの曲もカバーしていた。
      • 平成のピンクレディーと呼ばれていた。
  3. 所属事務所であるエスワンカンパニーが破綻することはなかった。
  4. 1990年頃に予定されていたコンサートツアーが中止になることはなかった。
  5. 「名前の縁」で映画『ベイブ』の主題歌を歌っていた。
    • そして海外進出を果たしていた。

BOØWY

  1. 1990年代以降もヒット曲を連発。ビーイング系アーティストなどの強力なライバルとして君臨。
    • しかし、松本孝弘、増崎孝司、増田隆宣、生沢佑一をレコーディングに参加していた。
  2. 個々のソロ活動はバンド活動が一段落した合間に行われる。
    • De-LAXは登場しなかったかもしれない。
    • しかしCOMPLEXは元々から期間限定ユニットだったので登場しているかも。
  3. CMやドラマ主題歌のタイアップは多いが、BOØWYとしての音楽番組への出演は頑なに拒否し続ける。
    • 布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
      • しかし映画やCMには積極的に出演する。これは史実通り。
    • ヒムロックも史実通り『HEY! HEY! HEY!』のみに出演番組を絞っている。
  4. M田氏への事件発覚後、ヒムロックが謝罪会見を行い、2007年後半はグループ活動を自粛。
  5. 布袋様のソロ曲のうち何作かがBOØWY名義で発表されており、ヒムロックのボーカルで歌われている。
    • 氷室ボーカルの「スリル」って…、ちょっと怖いもの見たさすげえ、聞いてみてえw
  6. 松井さんは変わらずに不動の8(エイト)を刻み続けている。
  7. 高崎市が聖地化。
  8. いつの頃からか、まこっちゃんのステージパフォーマンスが一番派手になってる。
  9. 布袋様が女性関連のスキャンダルの度に、ヒムロックが謝罪する。
  10. 山下久美子もしくは今井美樹のツアー・レコーディングに全メンバー参加。
  11. 98年までは大晦日の東京ドーム公演をX JAPANと奪い合いそう。

BODY

  1. 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
  2. CRAZEの結成、D'ERLANGERの再結成はなかった。
    • よって「I LOVE YOU」は2014年現在に至るまで「BODYの楽曲」として認知されていた。
    • CRAZEの存在がなかった=D-SHADEも存在しなかった。
  3. 藤崎賢一はソロ、飯田成一は別バンドで活動してた。
  4. ラルクはブレイクしなかった、あるいはブレイクが遅れていた可能性もある。

ま〜わ行

MAGIC

  1. 小坂、菅井脱退以後、RODEOとの合流を待って、LOUDNESSのような再生時代に入っていた。

ミニモニ。

  • ミカのハロー!プロジェクト卒業により活動を休止したミニモニ。だが、その後も活動を続けていたら?
  1. ミカの卒業後、紆余曲折ありメンバーを入れ替えながら活動継続
    • この紆余曲折のせいで、今頃初代メンバーとして各番組で紹介できるのは辻のみになっていた。
  2. 楽曲が幼稚園、保育園のお遊戯で使用されていた
    • 子供たちの支持を受け他のハロプロユニットの人気も上昇していた。
  3. 『おはスタ』に引き続き出演し続けていた。
  4. 「新ミニモニ。」はなかった。
    • 史実の新ミニモニ。メンバーはメンバーチェンジの際に順次本家ミニモニ。に加入していた。
  5. イロモノアイドルグループとしてももクロと人気を二分していた。
    • だがももクロには負けていた。
    • 渡り廊下走り隊とも人気で張り合っていたかも。
  6. ギャルルは結成当初からあべべ(安倍麻美)がメンバーだった。
  7. 「いぬモニ。」は登場しなかっただろう。

ラッツ&スター

  1. 田代まさしと桑野信義は芸人に転向することはなかった。
    • 志村けんと関係を持つこともなかった。
    • 田代まさしは「ダジャレの帝王」と呼ばれることもなかった。
    • 『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ版)の爺は誰がやっていたのだろうか。
      • ボケもツッコミも両方できるという点で伊東四朗さんか加トちゃん辺りかなあ。
    • そもそもメンバー仲がギクシャクしていなかったらこうなっていただろう。
  2. 田代まさしは×××××に走ることもなかった。
    • 「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
      • この場合、(同時期に逮捕された)稲垣メンバー祭りが史実以上に加熱していた。
  3. 鈴木聖美との関係がもっと親密になっていた。
    • 鈴木聖美がメンバー入りし、男女混成ユニットになっていた。
  4. 史実で鈴木雅之名義でリリースされた曲はラッツ&スター名義でリリースされていた。
  5. ゴスペラッツも結成されなかったかもしれない。

REV

  1. 出口雅之として再出発することはなかった。
  2. LIVやRev. from DVLとの混同が起きていた。
  3. 名前の縁でアイオメガの記憶媒体であるREVのイメージキャラクターを務めていた。
    • REVの普及を促進をしていた。

ザ・ワイルドワンズ

ザ・ワイルドワンズは1971年に一度解散するも、10年が経過して加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズとして再結成されましたが、もし、解散せず空白期間がなかったら?

  1. 「加瀬邦彦と」の冠はもちろん付かないままだった。
  2. 「ザ・ワイルドワンズ'91」もなかったか?
    • 「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」もなかっただろう。
  3. 渡辺茂樹がバンドを転々とすることもなかった。
  4. 加瀬邦彦も自殺しなかった?
  5. サザンオールスターズにも何らかの影響を与えていた。場合によってはコラボも実現したかもしれない。
    • ひょっとしたらワイルドワンズもアミューズ所属になっていたかもしれない(アミューズ創業者が最初にマネジメント担当したのがワイルドワンズだった)。

wuz↑b?(ワサビ)

2002年に解散したwuz↑b?ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?

  1. メンバーチェンジを行っていたかもしれない。
  2. 植物のワサビを「wuz↑b?」と書く人が増えていた。

WANDS

  1. その後もメンバーチェンジを何度も繰り返していた。
    • ボーカルの場合は上杉昇に似た歌声をさせられる。
    • ただし、木村だけはずっと脱退せずに残リ続けた。
      • そして、彼の事実上のソロプロジェクトとなっていた。
      • それでも音楽性の違いで脱退したのでは?
      • 第3期の体制を現在に至るまで堅持していたら和久二郎はバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することもなかった。
        • =もしメンバーチェンジに成功していたら、といえる。
    • 上杉以外のメンバー復帰もあり得た。
  2. B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
  3. 名探偵コナン」の主題歌の常連になっていた。

関連項目