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==主な形式==
*[[東武8000系電車|8000系]]
*[[東武50000系電車|50000系]](50050系・50070系・50090系含む)


==形式別の噂==
*新規追加は50音順でお願いします。
===30000系===
==独立項目==
[[画像:10BU31603F00.png|frame|東急田園都市線田奈駅にて]]
*[[もしおニャン子クラブが解散していなかったら]]
#[[東京メトロ半蔵門線]]に乗り入れている。
*[[もしAKB48のユニットが○○だったら]](AKB48系列グループ・派生ユニットはこちらへ)
#*かなりの高コスト車両と思われる。
**[[もしSDN48が○○だったら#全員卒業がなかったら]]
#しかし中間運転台が災いして、半蔵門線の先の[[東急田園都市線|田園都市線]]から追い出された。
**[[もし渡り廊下走り隊7が○○だったら#解散がなかったら]]
#*ちなみに、関西の、[[阪急電鉄]]と、[[大阪市交通局堺筋線|大阪市営地下鉄堺筋線]]だと、阪急車両の大半が、中間運転台付きとなっている。
#**日本有数の混雑路線である田園都市線での最も降車数の多い渋谷駅での階段近くになる4両目と5両目の間に中間運転台があるのは致命的、唯でさえ東急は新型自社車両の5両目は6枚扉にしたのに。
#*その結果、極めて無駄なことに、50050系を新造し地上に転用された。
#**まあおかげで8000系に当たる機会が少しは減った。少しは。
#*また、6+4編成だからこそ、フラワーエクスプレスを運転できるのである。
#*完全に撤退したわけではなく、今でも50050系と共に田園都市線でも走っている。
#**「08年度の50050増備で、半直運用からは臨時以外完全撤退」という風の噂…
#***最小限の編成を残して撤退するという話も出ているらしい。
#北は太田・新栃木(ちょっと前まで東武宇都宮)から、南は中央林間まで見られる、顔の広い車両。
#*久喜を発車していく普通太田行きの30000系を見かけて「そんなところまで行くんだ」と思った。田園都市線で乗ったことしかなかったから。
#*逆に、こいつが田園都市線を走ってるのかと思うと変な感じがする(by東武利用者)
#最後の茶色帯の車両。
#*同時に、良くも悪くも東武らしさがある最後の車両かと。
#半蔵門線の他社の車両と比べると車内の設備の作りこみがしっかりしている。
#*中間運転台があることを除けば、50050系よりも上かも?
#**こいつの10R車があれば50050系とは比べ物にならないほど上。
#半蔵門線が押上まで開通する前は、浅草発着の準急に使われていた。
#アルナ工機製と[[東急車輛製造|東急車輛]]製では、袖仕切りの形などが異なる。
#屋根上の冷房装置についているスピーカーから発車ブザーを流せるが、バグって車内にブザーが流れたりする。
#よく「旧車」とバカにされる東急8500系より車両故障でダイヤを乱す率高し。この前なんかコンプレッサーが回りっぱなしだった。
#*それも、広範囲に影響が及ぶメトロ・東急直通用編成の故障が目立つ…
#50070系の前面LEDとは逆にこの車両の側面LEDはやたら横幅がでかい。実際の運用ではほぼありえないだろうが「柏」行きとか「県」行きを表示させてみたい。
#*2006年までは「区間準急 半蔵門線直通 中央林間」と一辺に表示する、ある意味壮観な光景が見られた。
#*「区間準急 東武動物公園」を縮小しなくても表示できる。
#先頭車同士の連結部で悪戯があるらしい くわしくはこれ[http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8008/hnzw/TOBU2003-04_overture/TOBU2003-04photos_c0.html]
#「チュイーン」って感じの音が特徴的。
#*特急「りょうもう」用の250系も同じ音がする。ただ、30000系と比べ加速が遅いのでこの独特の音が長く聞ける。
#googleやyoutubeで「東武30000系」で検索すると、[[西武鉄道|こっち]]の30000系に関するページが出てきたりして困る…
#武骨な外観とは裏腹に、内装は結構すっきり(not手抜き)している。
#田園都市線沿線民は時刻表のTの文字を見て乗り心地の悪い東武車の運用を避けているらしい
#*50050の初期編成のことじゃない?
#アルナ工機・東急車輛・[[富士重工業]]3社で製造されたが、31406Fは鉄道部門から撤退した富士重工が最後に手掛けた鉄道車両である。
#顔が'''イケメン'''
#コイツを欲しがっている東上線沿線のファンが多いとか。
#加速度は、地下直通車が3.3km/h/s、地上車が2.5km/h/sとなっている。
#*ただし、地上車も30000のみで10両編成を組んだ場合は加速度が3.3km/h/sとなる。
#なんか、30000系が東上線に転属するという噂が立っている。(本当かどうか分からないが)


===20000系===
==あか行==
[[画像:Tobu 20000.JPG|thumb|240px|新越谷へ向かう20000系]]
===EE JUMP===
#[[東京メトロ日比谷線]]に乗り入れている。
#「EE JUMP COLLECTION 1」は予定どおり発売されていた。
#*ほかの車両とことなり、車体の長さが短くてドアが1つ少なく3つである。
#ユウキは{{あきまへん}}に走ることもなかった。
#**これは日比谷線に20mの車両が入れないため。
#*そもそも[[もし芸能界であの事件がなかったら/2000年代以降#ユウキ(EE JUMP)一連の非行(2001年〜2002年)|ユウキの非行がなかったらこうなっていた]]
#**だから1両を18mとしている。
#後藤真希の活動休止もなかった。
#**[[東急東横線|東急]]の保安装置非搭載の為菊名まで行けない。これは東急の車両でも同じ。
#それでもソニンは舞台出演をきっかけにしてそちらに専念する為脱退したかも。
#制御方式は9000系と同じだが、音が10000系と大差がない。
#*音が界磁チョッパ制御の音に似ている。
#50・70の座席はこげ茶色だが、00だけは緑。
#客室・乗務員室間の扉はガラスが大きく、背の低い子供でもかぶりつきがしやすい?
#先頭車を余分に作りすぎて余っちゃったので一部は[[伊予鉄道]]の新型電車になりました。
#6M2Tと無意味(でもない?)に高加速。京急とかには負けるが。
#*6M2Tには意味がある。地下鉄は結構急勾配あるから。中目黒~恵比寿なんて急勾配+急カーブの難所。まぁ日比谷線は平坦な区間少ないし…。
#全体的にJRの205系っぽい
#各駅停車はだいたいこいつらとメトロ03
#方向幕にいつの間にかローマ字がついた。


===20050系===
===Wink===
[[画像:Tobu 20050.JPG|thumb|240px|旧制服と20050系(越谷駅にて)]]
1980年代後半から90年代半ばにかけて活躍し、1996年3月に活動を停止した鈴木早智子、相田翔子の二人組ユニットWinkですが、もし活動を停止しなかったらどうなっていたでしょう?
#20000系との違いは両端が5扉になっていたり、制御装置がVVVFになっている。
#[[クレヨンしんちゃんファン|クレヨンしんちゃん]]に何度か出演している。
#*なぜか「快速/東武日光」と書いてあった。この車両は快速には使わないはずだが・・・
#中目黒の事故で側面を大破した車両がいる。
#*メトロ03系と・・・
#[[東急の車両#形式別|東急1000系]]と音が同じだが、ブレーキが緩む音が10000系と同じである。
#*東急1000系と同じ東洋GTOだが非同期の音が微妙に違う。京王1000系に近い。
#昔は9050系同様にドアの上にテレビが付いていたらしいが撤去された。
#*ドア上に、その名残と思われるでっぱりがある。
#*最近になって9050系同様に車内LEDが設置されたらしい。
#乗車促進放送や車内自動放送の声が男性なのが特徴(20070もだが)。
#側面のLED行先表示機が、よく変な表示をしている。
#当然だが、同じ東武でも[[東武東上線]]のホームで待っていても、一生来ない。
#*[[#9050系|似た車両]]なら来る。


===20070系===
#史実よりも早く、音楽活動からバラエティ、ドラマへと活躍の場を移していた。
#両端の車両が3扉に戻った。
#*同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
#一部で30000系の要素が取り入れられている。
#**ウルルンの司会も翔子、早智子が1週交代で務めていたかも…
#*ドアの上の駅名の表示とかパンタグラフの形とか・・・。
#新曲のリリースは年1回程度になるが、コンサートだけは毎年必ずやっていた。
#日比谷線を走る東武車のなかでは当たりだと思う。
#二人が司会のバラエティ番組が、深夜帯で放送された。
#VVVFはGTO素子なのになぜかIGBT素子の50000系列や30000系より加速時の衝撃がほとんどない。これは20050系も9050系も同じである。
#80年代、90年代前半のアイドルを振り返る番組には、二人でゲスト出演した。
#さっちんが脱ぐことはなかった(泣)
#*AV出演疑惑が出ることもなかった。
#*というか、さっちんの活動が迷走することはなかった。
#**「ASAYAN」の再起にかけるオーディションに出演することもなく、気の強い女ぶりを晒すことはなかった。
#**事務所移籍で迷走することもなかった。
#**クスリに手を出して倒れることもなかった。
#**不倫騒動もなかった。
#相田翔子が「しょこたん」と呼ばれていた?
#*あるいははいだしょうこと間違えられていた。
#*同様にさっちんが[[wikipedia:ja:鈴木サチ|このモデル]]と間違えられていた。


===10000系===
===X JAPAN===
[[画像:10BU11802F00.png|frame|鶴瀬駅にて]]
#hideが謎の死を遂げることはなかった。
#8000系の後を継ぐステンレス車。
#TOSHIがトラブルに巻き込まれることもなかった。
#音は東急8500系や西武2000系と同じようだが、多少マイルドな感じがする。
#*でも、TOSHIがああなったから解散したわけだから…
#更新工事に着手したものの、(08年5月現在)いまだに登場していない。
#YOSHIKIがもっと早く体を壊していた。
#*大体の改造は終わった模様。08年夏中に出場するかと。更新内容は9000系とほぼ同じっぽい。
#*それでYOSHIKIがピアノに専念することになったため、ドラムスが打込みになるか、6人目のメンバーが登場…って、なんかヤだなw
#*出場しました。
#*09/04/27現在、更新されてる11603Fの放送が自動じゃない
#顔がダサい。
#*でも、同時期の東急の車両よりは手が込んだデザインだと思う。
#2両固定の編成が2本が東上線に転属した。
#*今のところ2本しかいない50000系と同じ本数なのになかなかお目にかからない。
#**9050よりは遭遇しやすいように感じる。
#この前、北千住でフルカラーLEDのコイツを見たな
#*久喜以北の普通でも運用されてたぞ。
#**北千住と西新井で区準・区急を狙って、こいつに乗りたいと思っても、なかなか当たらないのは、久喜以北でも運用されたからか…
#更新車には車内LEDや自動放送・ドアチャイムが付けられたが、最近何故かそれらが稼働していないことが多い・・・。
#*後期の更新車は、ドア上に開閉予告灯(E233とかのドアの上で赤く点滅するアレ)が取り付けられたが、稼動しているのを1回も見たことが無い。
#ラッシュ時には、30000+10000+10030という、すごい編成が見れたりする。
#[[京王電鉄|京王]]の7000系との共通点が多い。
#2連・4連・6連・8連・10連と編成が多彩。2連・4連・6連は[[東武東上線|東上線]]・[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]、8連と10連は東上線に居る。
#走行音が結構爆音。遠くからも音が聞こえる。
#*10030系と比べれば確かに五月蠅いが、[[東急の車両/形式別#8500系|これ]]と比べればたいしたことはない。


===10030・10050系===
===男闘呼組===
[[画像:10BU11031F00.png|frame|鶴瀬駅にて]]
#TOKIOのデビューが遅れていた。あるいはバンドとしてデビューしなかった。
#10000系と比べて側面の凸凹が少ないためスマートな雰囲気である。
#*城島・山口はジャニーズを出て別のバンドを結成していたかも。
#10030系と10050系の違いはクーラーの形とラジオを再送信する装置の有無である。
#後にバンドごとジャニーズから独立して本格的ロックバンドとして大成していた。
#*念のため言っておくが、車内でラジオが流れているのではなく、乗客の持っているラジオを聞きやすくするための装置である。
#男闘呼組としての音楽活動がメインになるため、個々の俳優活動は現実よりも縮小されている。
#1両だけ作り直された車両がいる。
#*高橋和也がイ・ビョンホンの吹き替えをすることもなかった。
#以前は東上線の小川町~寄居間でも走っていたが、ワンマン化で営業では走らなくなった。
#それでも岡本健一の息子は史実通りジャニーズ事務所に入っていた。
#*ワンマン化後も、[[秩父鉄道]]のSLへ連絡する臨時列車で入ったことがある。
#上杉昇、坂井泉水、小田佳奈子、川島だりあ、秋元康、船橋孝樹などの作詞を歌っていた。
#何かの本に、8000系と同じ青帯になっていた10030系が載っていた・・・昔は青帯だった事があるらしい。
#シャ乱Q、T-BOLAN、BAAD、ZYYG、MAGICをライバルだと認識していた。
#*野田線の南桜井駅近くの模型屋でそれと思われる写真が展示されていた気がする。ちなみに、色がなんとなくりんかい線に似ている。
#樋口宗孝、上領亘、角田美喜をサポートドラマーにしていた。
#**もともと、10000系列も、青にするつもりで試作車を作ったが、結局、似合わず、阪急マルーンにしたんだとか。
#***''阪急に失礼じゃ。''
#***阪急マルーンというよりもむしろ近鉄マルーンでは?
#****まあ確かに、東武・近鉄は「赤っぽい茶色」だしな。
#全体的に10000系よりかなりいいデザインだと思う。
#*車体のデザインは気に入ってるが、車内が寂しいので、10000系みたいにリニューアルしてほしい。
#*どうやら、10030系のリニューアルを行うらしい。


===10080系===
===girl next door===
[[画像:Tobu 10080.JPG |thumb|240px|展示中]]
ボーカルの千紗が北島康介との結婚で解散したgirl next door。もし解散しなかったら。
#東武初のVVVF車。
#avex 所属の紅白歌合戦出場歌手とレコ大受賞歌手がAAAのみになることはなかった。
#*音は[[常磐緩行線|常磐線]]の207系や[[大阪市営地下鉄]]の新20系に似ていた。
#day after tomorrowの曲をカバーしていた。
#**どうやら最近になって制御装置が50000系と同じ部品に交換されたらしい。
#北島康介の現役引退の時に何らかの形でメッセージを出していた。
#**というよりは、スペーシアの音と同じだったらしい。
#千紗は結婚引退していなかったらこうなっていただろう。
#車体は10030系と同じである。
#*そのため、もし見れたとしても気づかない率高し。
#*10030系と併結して走ってる率が結構高いから。両形式の差は発車時の走行音でわかる。
#編成数は1本だけだって?
#*あと、10080に乗りたいなら4+2の編成を狙うんだな
#**追加で浅草&北千住側の4両
#**そもそもVVVF搭載した試作車の意味で造った車両。ここで得た各種データを後発のスペーシアに生かした。なので1編成しかいない。この為ナンバーの末尾が「0」。8000系や5000系統などは「1」から始まってる。
#*昼間は南栗橋や北春日部で寝ていることも多いので、出会うにはそこそこ忍耐が必要。


===9000系===
===キャンディーズ===
[[画像:Tobu 9000.jpg|thumb|240px|鶴瀬駅を発車する更新車]]
*普通の女の子に戻らなかったら?
#[[東武東上線|東上線]]と[[東京メトロ有楽町線]]で走っている。
#モー娘。並みの大人数になる。
#*有楽町線乗り入れ仕様としてだと思うけど、東武で一番早く密着連結器装備したのはこの形式じゃなかったっけ?
#*途端に人気急降下。
#9001Fはドアの位置と開く音やブレーキの音が少し違う。
#単に普通のオバサンになってたにすぎない。
#*その関係で副都心線(と言うか小竹向原)には入れなくなった。
#伊藤蘭は水谷豊と結婚しなかった。
#**と言いながらも副都心線非対応車に貼られている「Y」マークがついている。
#[[アミューズ]]設立に関わっていた。
#***と言いながらも専ら東上線内運用にばかり使われている(この前は森林公園で昼寝してた)。
#「プロポーズ大作戦」(ABC)最終回に出演して「ラッキーチャンスを逃がさないで」を生で披露していた。
#*最近、方向幕がところどころ故障していて紺色の幕を出しているときがある。
#今のように名前が残らない可能性があった。
#*技術比較の為、1編成を[[東急車輛製造|ここ]]・[[アルナ車両|ここ]]・[[富士重工業|ここ]]のメーカー3社が分担製造。
#*麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
#9008Fは車体のつくりが異なる。
#**その場合、南海キャンディーズも別のコンビ名を付けていたかもしれない。
#*9050系とほぼ同じ構体だから。あとはクーラ配置と屋根上のラジオ受信アンテナが無いくらいの差かな?
#ザ・ハンダース「ハンダースの想い出の渚」の物真似のネタにキャンディーズが登場しなかった。
#現在、9001F以外は[[東京メトロ副都心線]]に乗り入れるため車内が変わった。
#山口百恵も結婚後芸能界を引退しなかったかもしれない。
#*前面にスカートもついたので、顔の印象が少し変わった。
#いつまでも全キャン連が存続していた。
#*車内は白色ベースで清潔感があり、好感が持てる。
#微笑がえしはベストテンに何ヶ月もランクインし続けたりはしなかった。
#10000系ほどではないが、顔がダサい。
#田中好子死去とともに解散したかも。
#*個人的にはこっちの方がダサイと思う。人それぞれか。
#日本レコード大賞の何らかの部門賞を受賞していたかもしれない(史実ではどの部門賞も受賞していない)。
#*更新車に限るが、外見の割には車内は白色ベースにリニューアルしており、明るい感じである。ある意味ギャップが大きい。
#更新工事で9050系との見分けが付きにくくなったが、行き先表示器部分に縁があるのが9000系である。
#更新後も走行性能は変わっていないので、30000系と同じこと(東急からクレーム付けられ、結局地上に回る)になる予感…。
#*30000系は中間運転台が問題になったのであって、走行性能が問題になったのではないはず。しかも半直から完全撤退したわけでもない。9000系には中間運転台は無いし、走行性能も特に見劣りはしない。今の時点で「東急からクレーム」を想定する根拠は無いと思う。
#**東横線は、高加減速運転で110km/hで飛ばすんだが、チョッパ制御でついていけるのだろうか…。
#***おいおい、東横線で最近まで走っていた8000系はチョッパ制御だったんだが?
#****8000系がいなくなった後にダイヤ改正したんじゃないの?まあ、私は東横線のことはよく知らないんだけど。
#*****8000系が廃車される前から110km運転。というか8000系はチョッパ制御だけど普通に110km出せるよ。東武9000との違いは車体設計からかもね。
#*****東武9000系は110kmまで出せるが、加速力が高速域ではでにくくなるのでは? 副都心線では、ATOが回路のON/OFFを頻繁にやっていて、さらに東急の高加減速運転にモーター・チョッパ.etcは耐えられるのか?・・・
#******だったらVVVF化でいいよ
#*有楽町線7000系チョッパ車がなくなった今、有楽町線・副都心線を走る唯一のチョッパ制御車になってしまった。
#更新車に限るが、座席は50000系列より座り心地が良い。
#地下鉄直通運用が主だが、地上線に直通することもある。なんか感動した。
#*地下鉄直通のみと思われているが、意外と顔の広い車両。小川町~池袋、和光市~新木場・渋谷で見ることができ、いずれは元町・中華街まで見ることができるかもしれない。
#最近は9050系とともに故障が多いらしい。もしかして、50070系へ置き換えか?


===9050系===
==さ行==
[[画像:10Bu9152F.png|frame|朝霞台駅にて]]
===THE GOOD-BYE===
#9000系と車内の雰囲気が異なる。
1990年に活動休止に入った後、2003年に活動再開しましたが、もし休止期間がなかったら?
#登場時、液晶テレビが付いていたがいつの間にか外された。
#*末期は指で押された跡があった。
#現在、9000系と同様[[東京メトロ副都心線]]に乗り入れるため車内が変わった。
#*ドアの上の液晶テレビが復活するかと思ったら9000系や50070系と同じLED表示器になった。
#**50000シリーズもそうだけど、何か液晶を付けない特別な理由でもあるのかな・・・。
#***その理由とは液晶事件でビビッているため。だから伊勢崎線の方にも一切無いわけ。もしあんなことがなかったら伊勢崎線共は即行につけているだろう。
#****でもさ、東武に乗り入れる東急5000やメトロ10000にはついてるわけだし…。
#*****メトロ系列はフルカラーLED(方向幕ね)にビビり、西武系列は白いヘットライト(30000系も黄色ライト)にビビり、東武はLCDにビビる。東急はそんなの気にしないでバンバンやってくタイプ。
#******E233は忘れたのか?
#******[[東京メトロの車両#15000系|15000系]]も忘れるな
#*ただ、椅子周りが変わったのとLED表示がついた程度で9000系ほどは手を入れてない様子。
#**というよりは、もともと9000よりも若干進んだ設備だったからね。
#**2つ↑で東急はバンバン付けてくタイプといっているが東急はいまだに本物の'''網棚'''。
#***パイプ型で失敗してパイプ型もわざわざ網に変えてます。
#**ドアと化粧版はそのまま流用。
#*同期の20050系が、シートが色褪せまくっていたり側面LEDが変な表示をしているのを見ると、リニューアルして正解だったと思う。
#9000系と同じく顔がダサい。
#*弟みたいなもんですから・・・。
#*外見の割には車内は白色ベースにリニューアルしており、明るい感じである。外見とのギャップが大きい。
#*9000系(9001F~9007F)との外見の違いは側面。コルゲート(補強用のリブ)が細かきゃ9000系。荒きゃ(ビードプレス加工)9050系。
#**9008Fだけは9050系と同じ車体。
#50000系が来るまでは、東上線唯一のVVVF車両だった。
#更新する前から自動放送があったが、本線の20050系などと同じ声だった。
#*現在は他の9000系や[[東京地下鉄|東京メトロ]]車両共々30000・50000系列と同様の女声に代わった。東武の通勤型電車で現在も男声の自動放送が聞けるのは[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]乗り入れ列車のみ。
#座席は50000系列より座り心地が良い。
#地下鉄直通運用が主だが、地上線に直通することもある。なんか感動した。
#*意外と顔の広い車両。小川町~池袋、和光市~新木場・渋谷で見ることができ、いずれは元町・中華街まで見ることができるかもしれない。


===5000系===
#男闘呼組やTOKIOに何らかの影響を与えていた。
#7800系の足回りを活かしつつ車体を8000系と同じものに載せ変えた。
#いずれにしろ、どこかのタイミングでジャニーズ事務所を退所していたと思う。
#*ちなみに改造前の7800系は古い設計のまま大量生産され、さらに1980年代でも多数残存しており、これが東武は体質が古いと云われる所以かもしれない。
#ヨッちゃんが浜崎あゆみのバックでギターを弾くこともなかったか?
#5050系や5070系と少し違うところがある。


===5050系===
===Cyber Nation Network===
#最後まで残ったつりかけ車である。
平間あきひこ(Professor H)とSister MAYOのユニット
#*妻面が白くなった車両がいる。
#現在でもアニソン中心で活動。水樹奈々やLiSAに多々影響を与えていたかも。
#北千住駅の[[鉄道むすめ・バスむすめファン|某駅員さん]]は引退を惜しんでいたらしい。
#MAYOのProject.R入りはなかった。
#*実在の人物じゃないんかい!


===5070系===
===C.C.ガールズ===
#野田線で走っていたが2004年に引退した。
#3代目C.C.ガールズとして活動していた。
#末期は塗装は散々な状態で、車内もボロボロだった。
#以降もメンバーチェンジを繰り返していた。
#最後まで残った編成はホームで見たときぱっと見8000系の8104F(最初期の更新車)と同じだが、床の色とか違っていた。
#引退直前に団体列車として、東武日光・鬼怒川温泉まで台風の中運転された。
#引退直前、ダイヤ改正をPRするヘッドマークが付いていたが、ダイヤ改正後走ることはなかった。


===5700系===
===シブがき隊===
#東武博物館の構内に展示されてあるものはアルナ工機で保存されていたものらしい。
#=[[もしあの芸能人がブレイクしていなかったら#光GENJI|光GENJIのブレイクがなかったら]]、である。
#*でも前の部分しかない。
#3人とも事務所を移籍することなく、ジャニーズに残留し続けていた。
#[[東武動物公園|東武動物公園駅]]構内にカバーを掛けられて留置中らしい。
#少年隊の良きライバルとなっていた。
#モハ5701が、東武博物館に運ばれた。
#仮に解散がなくても少年隊の様にソロ中心になっていたかもしれない。
#*相棒のクハは解体されたらしい。
#東武ファンフェスタ2009の会場で、コレの「鉄道コレクション」販売コーナーにすごい行列が出来ていた。
#*[[秋葉原]]やヤフオク界隈では恐ろしい値段がついている。


===モニ1400形===
===シャインズ(SHINE'S)===
#モニ1473は今はなき西新井の工場で入替え車として使われていた。
伊藤ようすけ(東京プリン)と杉村太郎のユニット
#最後まで残ったクリーム色の電車である。
#=「杉村太郎の実業家転身がなかったら」である。
#なぜかwikipediaの記事がない。
#東京プリンの結成はなかった。
#*それじゃ、先に話題出したchakuwikiの勝利だな(笑)
#**''chakuwikiがまた一歩wikipedia化した。''
#*と思ったらいつの間にWikipediaに記事がある。
#小山に1両居たものの、最近になって解体された。


===3000系===
===Sugar Babe===
#8000系と2000系を足して2で割ったようなデザインである。
#大瀧詠一がメンバー入りしていたかもしれない。
#↓の3050系や3070系と共通して足回りと車体がアンバランスである。
#イギリスの女性グループ「Sugarbabes」とグループ名が混同される。
#上毛電鉄に譲渡されたが、長生きしなかった。


===3050系===
===JUDY AND MARY===
#外観的には3000系と大した差はない。
#YUKIは今でもソニーと契約更新してた。また、バンドとソロの両方で東京ドーム公演をした最初の女性アーティストにもならなかった。
#↑の3000系の置換え用として上毛電鉄に譲渡されたが、やっぱり長生きしなかった。
#それでも恩田快人は脱退していたかも知れない。


===3070系===
===杉山清貴&オメガトライブ===
#解体の様子を納めたビデオが発売された。
#カルロス・トシキはソロを続けていた。
#*なぜかニコニコ動画にUPされたが、いつの間にか削除された。
#「1986」「カルロス・トシキ&」名義の楽曲もいくつかは「杉山清貴&」名義でリリースされていた。


===2000系===
===SPEED===
#日比谷線に乗り入れるために作られた。
2008年に再結成したSPEED、もし解散することなく現在まで活動を続けていたら?
#最後までクリーム色だった。
#プロデューサーが伊秩から変わった可能性あり。
#*厳密に言えばお客を乗せる車両で最後のクリーム色の車両。93年頃まで走っていたっけ。
#*どっちみちそのタイミングでトイズからエイベックス移籍は免れられなさそう。
#[[グリーンマックス]]の大昔の8000系キットのおまけにお面パーツが入っていたらしい。
#今井絵理子ができ婚で脱退。AKINAあたりが新メンバーになっていた。
#日比谷線で火事になった。
#*この後にメインヴォーカルが上原多香子+島袋寛子とする曲がいっぱい作られる。プロデューサーはTommy February 6。
#*中目黒で事故って大破した車両がいたらしい。
#*仮に今井絵理子が脱退しなかった場合参議院議員になることはなかった。
#最後までクーラーが付く事は無かった。
#**不倫騒動もなかった。
#4連固定で登場→6連→8連と中間車増結で編成伸ばした。2080系改造の為一部が離脱した後は番号違いで8連組んでた。
#それでも第四のメンバーの地位は第四位のまま。{{極小|ネタキャラとしての地位はダントツだったろうけど}}<!-- オチ -->
#東急の保安装置積んでないので[[東急東横線|この路線]]には乗り入れられなかった。
#逆にMAXが解散していた。
#側面に貼られた誤乗車防止ステッカーは、当初「地下鉄直通」。その後「日比谷線直通」に変わった。
#全員のソロシングルを同日発売、なんてことをしていたかもしれない。
#2000年以降、CDの売上は低落傾向になるが、それでも芸能界における一定の地位を維持。
#*所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
#**平氏の逮捕劇が起きなかった。
#*モーニング娘。がハロープロジェクトを立ち上げたのに対抗して、EARTH、Folder5などとともにライジング系女性アイドルの集団を作って売り出す。
#**満島ひかりはFolder5の活動がメインとなり、現実ほど女優に力を入れていなかった。
#ハロープロジェクトは現実と違いSPEEDに押されていた。
#2ちゃんねるに「SPEED板」が出来ていた。
#つんくが曲を提供することもなかったはず。
#オフィシャルサイト「SPEED ARENA」が未だに公開されていたはず
#AKBには負けていた・・かな?


===2080系===
===ZONE===
#野田線向けに2000系を改造した車両。
#プリンセス・プリンセスと並んだ後ヒットが終わる。
#前面が[[山手線]]っぽい形をしている。
#北海道出身ということで[[北海道日本ハムファイターズ|このチーム]]の応援歌を歌っていたかも。
#*とういうか205系みたいだった。
#*[[北海道コンサドーレ札幌|このチーム]]も。
#*20000系にイメージを似せたのではないかと思われる。
#あの花のEDに「secret base 〜君がくれたもの〜」が使用されなかったかも。
#設計に無理があったらしく極めて短命で終わった車両
#MIZUHOが石橋貴明に「{{あきまへん}}の先」呼ばわりされなかったらMIZUHOは見切りをつけて脱退することなく、解散に追い込まれることはなかっただろう。
#*タネ車の2000系は野田線には性能オーバー。しかもタネ車を冷房化改造しないで、オリジナルのまんまの非冷房だったからねぇ~
#*そもそもMIZUHOは芸能活動に意欲をなくすことはなかった。
#*元々全電動車で設計されたものを、無理矢理電装解除などしたばっかりに、故障が頻発して乗務員からも非難轟々だったそうな。
#MARIAもなかった。
#**やっつけ仕事で造っちゃった電車ってことですな…。
#史実では3人で再結成→TOMOKA引退→MIYU契約解除→活動終了となったが、メンバーチェンジを繰り返していた。
#**改造後5年ぐらいで消えたらしい。種車も70年代初め製造の2000系末期グループだったらしいから、製造後20年強の短命で廃車された事になる。
#ニコニコ動画の「迷列車」シリーズで生贄にされた。


===6050系===
==たな行==
[[画像:Tobu 6050.JPG|thumb|240px|新越谷を颯爽と通過する6050系]]
===ザ・タイガース===
#浅草発着の快速や日光線新栃木以北、鬼怒川線の普通に使用されている。
#岸部兄弟の2人は史実ほど俳優業に力を入れなかった。
#野岩鉄道に2編成、会津鉄道に1編成所属しているが、東武とほとんど同じ仕様なので、見分けがつかない。
#*『西遊記』(堺正章版)の沙悟浄役は別の俳優になっていた。
#*ちなみに、野岩鉄道と会津鉄道所属車は東武から譲渡されたということになっている。
#*岸部シローは『ルックルックこんにちは』の司会に抜擢されることもなかった。
#*メンテナンスは東武に委託してる。
#**事業に手を出したり自己破産に追い込まれたりすることもなかっただろう。
#6000系から走行機器を流用した編成と、オール新製の編成がある。
#*岸部大輔(一徳の息子)が加入したかもしれない。
#*台車で見分けがつく。
#瞳みのるは芸能界を引退せず、高校教師になったり中国語の教本を出したりすることはなかった。
#**東武型ミンデン台車(FS357/057)が流用・阪急型ミンデン台車(FS529/029)が新製。
#*実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
#*減速時の音が10000系や10030系に似ている。
#**そもそもそのコンサート自体なかったかも。
#料金不要の列車ながら座席がやけに豪華な感じがする。
#沢田研二の曲のいくつかはザ・タイガースのものになっていた。
#*ワインレッド一色。座席はほぼ直角だがクッション性は悪くない。転クロだったら完璧なのだが・・・
#森本太郎の「タローとアルファベッツ」や「森本タローとスーパースター」はなかった。
#**結構でっかい折りたたみテーブルがあった(今でもある?)。窓際のテーブルと組合すと広いテーブルになる。
#グループサウンズブームはもっと続いていた。
#今は無き国鉄急行形の香りを残す数少ない車両
#西武4000系となんとなく存在が似ている。
#浅草から会津田島まで超ロングラン。
#*かつての快速仕業で浅草発東武日光行・新藤原行・会津田島行と3つの行先の列車をまとめて連結した6連があったが、なかなか壮観。両端先頭車の行先が、東武日光(新藤原)会津田島と横書き3段。
#そろそろ後継車両を導入する時期だと思うが…。
#*6000系の走行機器流用編成は走行機器だけでも更新しては?
#**8000系潰す方が先。
#8000系ほどじゃないが、結構塗装が凄いことになっている。
#*ジャスミンホワイト(白)を基調にパーブルルビー(マルーン)・サニーコーラル(オレンジ)の帯だが、塗り分けが東武独特。
#*この塗装が[[スペーシア]]や300系・350系に採用された。
#車内に当該車両の行先を表示する装置がある。
#*「装置」と言っても、ただの方向幕です。
#登場当初は有料優等列車(一昔前の「急行」に相当)にも使用されていた。
#*日光線・鬼怒川線の快速急行のことか。<だいや>・<おじか>が定期で、<スノーパル>・<尾瀬夜行23:50>が臨時。ちなみに23:50っていうのは浅草発車の時刻。
#一部のモハ6250は前頭部に霜取用下枠交差パンタ装備。
#*春日部から「空いてるな」と思って6050の区間快速に乗ると北千住までとまらない
#夜中に下り列車とすれ違うと、車内が夜汽車と通勤電車が混ざったような雰囲気に見える。
#2009/6/6のダイヤ改正で夕方の会津田島発浅草行きが無くなった…いかにも特急に乗れってこと?
#*ついでに6050で運転されていた下り初電の唯一の区間急行東武日光行きがなくなった。
#6050系は起動加速度が1.65km/h/sと貧弱な設定だが、高速域の加速は80km/h->100km/hが20秒と、なかなか高い。


===1800系===
===チェキッ娘===
[[画像:Tobu 1800.JPG|thumb|240px|1800系使用の臨時快速]]
#モーニング娘。をライバル視していた。
#もともとは急行「りょうもう」で使われていた。
#『DAIBAクシン!!』は打ち切られることはなかった。
#*08年秋の東武ファンフェスタの日に、「急行りょうもう」のヘッドマークを付けて伊勢崎まで行った。
#熊切あさ美は崖っぷちアイドルとして売り出すことはなかった。
#*前面の「りょうもう」表示は差し替え式。日光・宇都宮線系統急行向け改造受けた300・350系は電動幕式で側面にも電動幕あり。
#『電波少年的15少女漂流記』にはメンバー全員参加していた。
#21世紀に入る少し前あたりに8000系と同じ色になり、通勤型に格下げされた。
#アイドリング!!!は結成されなかった。
#*そんで、館林エリアのワンマン化とともに引退。
#藤岡麻美がディーン・フジオカの妹ということもあってか、彼は「アイドルグループのメンバーの兄」で売り出すことができていた。
#*小泉線、佐野線などで走っていた。トイレなどは撤去されていた。
 
#*実は前面のLED表示、「太田」「伊勢崎」「館林」などだけでなく、「浅草」「北春日部」なども表示できることは意外に知られていない。
===チューリップ===
#東上線へ転属することを思い描いていた人が多いらしい。
*1989年にいったん解散したチューリップ。もし活動を続けていたら・・・・。
#りょうもう色の編成が残っており、臨時列車などに時々使われる。
#「ひとつ屋根の下」で使われた「サボテンの花」は財津和夫がリテイクしたものではなく、オリジナルのチューリップのものが使われていた。
#*1809編成。他の編成より遅れて導入された編成で、ヘッドライトが角型になるなど細部が変更された。
 
#*東武日光発着の臨時快速に使われたりするが、10000系などのロングシート通勤車を充当させる場合もあり、まさに天国と地獄。
===TMN===
#色使いが[[京急の車両]]っぽい。
#TMN→TM NETWORKへの再改名というのもあったかもしれない。
#普段は北春日部の車庫で暇をこいている。
#*あるいはTM INTERNET-WORKに改名していた。
#*仕方ないよ。臨時列車のお呼び無きゃ失業してんだもん…。かといって200系入場のピンチランナーで特急「りょうもう」に入るわけにもいかんし(200系とは性能差があり過ぎ)…。入ったら入ったで[[鉄道ファン|こいつら]]が出撃するだろうし。
#小室プロデュースの歌手が大量に世の中に出る事はなかった。
#ニックネームはペコちゃんだった。
#*そもそも小室哲哉がプロデュース業に力を入れてなかったらこうなっていただろう。
----
#globe自体存在しなかった。
{{東武鉄道}}
#果たして[[エイベックス|avex]]はあそこまで大きくなっただろうか。
[[Category:東武鉄道|しやりようけいしきへつ]]
#2008年11月4日にあの惨事が起こることもなかった。
[[Category:鉄道車両|とうふけいしきへつ]]
#何かと不評なベストアルバムの乱発もなかった。
#B'z、FENCE OF DEFENSE、access等の所謂「TMファミリー」が一堂に会したスペシャルライブが前世紀中には行なわれていた。
#*上記のバンドのメンバーがTMのライブでサポート乃至はゲストで出演という事は実際にあるが。
#上記の再改名という場合でも、TMN名義によるオリジナルアルバムは後数枚リリースされていた。
#おそらく、trf「WORLD GROOVE」に入ってる曲のいくつかはTMNのものになっていたはずである。
#TMN終了後にリリースされた宇都宮隆と木根尚登のソロの楽曲のいくつかはTMの楽曲となっていた。
#*宇都宮隆バージョンの「RUNNING TO HORIZON」はTMバージョンとしてカバーされていたかもしれない。最も現実にはこの曲のカバーはTMの活動再開後にリリースされているが。
#T.M.Revolutionと混同する人が現実以上に多くなっていたかもしれない。
#*あるいは世代に関係なく、「TM」といえばネットワークを思い出す人が多くなっていたか?
 
===day after tomorrow===
#GIRL NEXT DOORは結成されなかった。
#misonoのバラエティ進出はなかった。
#*「クイズ!ヘキサゴン2」のレギュラーになる事もなく、里田まいwith合田姉妹も企画されなかった。
#*おバカタレントの1人として名を馳せることもなく、ブログでの失言で炎上を度々起こすこともなかった。
#*安倍麻美の存在が薄れることもなかった。
#倖田來未の存在が薄れていた。
#*倖田來未がBACK-ONのKENJI03と結婚し、彼がmisonoの義兄になった際には、'''義理の兄と妹が歌手グループのボーカル'''になっていた。
#*というか、エイベックスは倖田來未に力を入れることはなかったのでは?
#ELTの仕事を奪っていた。
 
===dos===
#KABA.ちゃんはオカマタレントとして再ブレイクすることはなかった。
#*但しダンサー・振付師として一定の知名度は保っていただろう。
#*去勢することもなかった。
#西野妙子は女優に復帰することはなかった。
#Kiss Destinationはなかっただろう。
#*吉田麻美は小室哲哉と結婚したり離婚したりすることもなかった。
#小室ファミリーの黒歴史が減っていた。
 
===D'ERLANGER===
2007年に再結成したが、ここでは「もしブランクがなく活動を続けていたら」という前提で。
#史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
#BODYは結成されなかった。
 
==は行==
===B.B.クイーンズ===
#数多くのアニソンをリリースしていた。
#*ただしお子様ソング路線を維持しているため、現在のアニソンがJ-POPばかりになることもなかった。
#Mi-keが活動休止することもなかった。
#名前の縁でトヨタbBのCMに出演していたかCMソングを歌っていた。
 
===光GENJI===
#SMAPの良き兄貴分となっていた。
#*むしろSMAPが史実ほど人気が出ていなかった可能性がある。
#「勇気100%」はミリオンヒットになっていた。
#少年隊の影が薄くなっていた。
#*少年隊のほうが先に解散していた。
#諸星和己は史実の木村拓哉的存在になっていた。
#*もちろん暴露本なんて発表しない。
#*40近くになっても合言葉は「こんばんはー!」。
#赤坂晃がクスリで逮捕されることもなかった。
#V6・嵐などが結成されることもなかった。
#*グループが粗製濫造されることはもちろんなかった。
#*V6はともかく嵐は結成されていたのでは?世代も違うし。
#*V6は期間限定で終わっていたのでは?
#Kis-my-ft2もデビューに至らなかったか路線が変わっていた。
#ジャニーズはSMAPに力を入れることはなかった。
 
===美少女クラブ31===
2007年以降、事実上活動を休止した美少女クラブ31ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
#X21は結成されなかった。
#剛力彩芽や武井咲がメンバー入りしていた。
#名前の縁でサーティーワンアイスクリームのイメージキャラクターを務めていた。
#AKB48に対抗して研究生制度を導入していた。
#*欠員が出たらその都度昇格する体制を取っていた。
#テレビ朝日はももクロ推しをしていなかった。
#*アップフロントとの関係も修復されることもなかった。
#オスカープロモーションの黒歴史が減っていた。
#ハロプロの仕事のいくつかを奪っていた。
#*ライジングプロダクション(当時はヴィジョンファクトリー)も追い詰めていた。安室離脱と共に事務所解散なんて可能性も。
#*モー娘。に至ってはかなりの影響があった。
#*DreamもE-girlsに合流する前に解散していた。
#グラビアにも本格的に進出し、グラビアアイドルの仕事も奪っていた。
#*史実の乃木坂46よろしくモデルにも進出。
#*篠○愛が「美少女クラブウザイ」発言をして物議を醸していた。
#**この一件でグラビアへの進出にとどめを刺したかも。
#それでもAKBには負けていただろう。
#*むしろ存在が薄れていたかも。
 
===Folder5===
#メンバーチェンジくらいはあったかな?
#*あったとしたら、DA PUMPみたいに沖縄アクターズ以外からの加入だった。
#HIKARIが女優に転向することはなかった。
#AKINAもShiny Lipsを結成せず、ビビる大木との結婚もなかった。
#三浦大知復帰の際に「三浦大知 with Folder5」としてコラボしていたかも。
 
===The Flipper's Guitar===
#小沢健二のソロ曲がフリッパーズ・ギター名義で発表されており、小山田のボーカルで歌われる。
#*小沢健二の代わりにフリッパーズ・ギターがNHK紅白歌合戦に出場していた。
#「今夜はブギーバック」がスチャダラパー×フリッパーズ・ギターで発表される。
#そもそも「渋谷系」が有ったかどうかも分からない。
#2004年のエイプリルフールに「エイプリルズ、バンド名をフリッパーズギターに改名」と発表されることもなかった。
 
===THE BLUE HEARTS===
#ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズの結成はなかった。
#*これらの楽曲もブルーハーツ名義で出ていたのかな?
#*たぶん出ていた。
#*1995年以降、史実のハイロウズのようにシュールな歌詞の曲が多くなりファンの間では賛否両論分かれた。
#河口が新興宗教に没頭していないので、「幸福の生産者」という曲は存在しない。
#*ていうか「PAN」自体出てない。
#2004年頃、自衛隊のイラク派遣を受けて「すてごま」をセルフカバーしていた。
#史実ではハイロウズが務めた、セックス・ピストルズの日本公演の前座を務めていたかもしれない。
#アメリカ同時多発テロを痛烈に皮肉った曲をリリースしていた。
#今ごろ紅白に出場していたかもしれない。
#チルドレンによる青春パンクブームは起こらない。
 
===BLUE BOY===
#川崎フロンターレの応援歌を歌っていたかもしれない。
#ドラムの青木慶則が「自分一人で活動したい。」という心の声が大きくなったことが原因で脱退していた。(史実ではこれが原因で解散した。)
 
===BaBe===
#Winkと二分される存在になっていた。
#*Winkとキャラが被ることで解散に追い込まれたとみなされることはなかった<!--実際は二階堂ゆかりが結婚引退したため-->。
#*Winkをライバル視していた。
#その後は脱ユーロビート路線に転じていた。
#*その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
#**更にその縁でピンクレディーの曲もカバーしていた。
#**平成のピンクレディーと呼ばれていた。
#所属事務所であるエスワンカンパニーが破綻することはなかった。
#1990年頃に予定されていたコンサートツアーが中止になることはなかった。
#「名前の縁」で映画『ベイブ』の主題歌を歌っていた。
#*そして海外進出を果たしていた。
 
===BOØWY===
#1990年代以降もヒット曲を連発。ビーイング系アーティストなどの強力なライバルとして君臨。
#*しかし、松本孝弘、増崎孝司、増田隆宣、生沢佑一をレコーディングに参加していた。
#個々のソロ活動はバンド活動が一段落した合間に行われる。
#*De-LAXは登場しなかったかもしれない。
#*しかしCOMPLEXは元々から期間限定ユニットだったので登場しているかも。
#CMやドラマ主題歌のタイアップは多いが、BOØWYとしての音楽番組への出演は頑なに拒否し続ける。
#*布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
#**しかし映画やCMには積極的に出演する。これは史実通り。
#*ヒムロックも史実通り『HEY! HEY! HEY!』のみに出演番組を絞っている。
#M田氏への事件発覚後、ヒムロックが謝罪会見を行い、2007年後半はグループ活動を自粛。
#布袋様のソロ曲のうち何作かがBOØWY名義で発表されており、ヒムロックのボーカルで歌われている。
#*氷室ボーカルの「スリル」って…、{{極小|<s>ちょっと怖いもの見たさ</s>}}すげえ、聞いてみてえw
#松井さんは変わらずに不動の8(エイト)を刻み続けている。
#高崎市が聖地化。
#いつの頃からか、まこっちゃんのステージパフォーマンスが一番派手になってる。
#布袋様が女性関連のスキャンダルの度に、ヒムロックが謝罪する。
#山下久美子もしくは今井美樹のツアー・レコーディングに全メンバー参加。
#98年までは大晦日の[[東京ドーム]]公演を[[X JAPANファン|X JAPAN]]と奪い合いそう。
 
===BODY===
#史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
#CRAZEの結成、D'ERLANGERの再結成はなかった。
#*よって「I LOVE YOU」は2014年現在に至るまで「BODYの楽曲」として認知されていた。
#*CRAZEの存在がなかった=[[男性グループ歌手ファン/さ~な行#D-SHADE.E3.83.95.E3.82.A1.E3.83.B3|D-SHADE]]も存在しなかった。
#藤崎賢一はソロ、飯田成一は別バンドで活動してた。
#ラルクはブレイクしなかった、あるいはブレイクが遅れていた可能性もある。
 
==ま〜わ行==
===MAGIC===
#小坂、菅井脱退以後、RODEOとの合流を待って、LOUDNESSのような再生時代に入っていた。
 
===ミニモニ。===
*ミカのハロー!プロジェクト卒業により活動を休止したミニモニ。だが、その後も活動を続けていたら?
#ミカの卒業後、紆余曲折ありメンバーを入れ替えながら活動継続
#*この紆余曲折のせいで、今頃初代メンバーとして各番組で紹介できるのは辻のみになっていた。
#楽曲が幼稚園、保育園のお遊戯で使用されていた
#*子供たちの支持を受け他のハロプロユニットの人気も上昇していた。
#『おはスタ』に引き続き出演し続けていた。
#「新ミニモニ。」はなかった。
#*史実の新ミニモニ。メンバーはメンバーチェンジの際に順次本家ミニモニ。に加入していた。
#イロモノアイドルグループとしてももクロと人気を二分していた。
#*だがももクロには負けていた。
#*渡り廊下走り隊とも人気で張り合っていたかも。
#ギャルルは結成当初からあべべ(安倍麻美)がメンバーだった。
#「いぬモニ。」は登場しなかっただろう。
 
===ラッツ&スター===
#田代まさしと桑野信義は芸人に転向することはなかった。
#*志村けんと関係を持つこともなかった。
#*田代まさしは「ダジャレの帝王」と呼ばれることもなかった。
#*『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ版)の爺は誰がやっていたのだろうか。
#**ボケもツッコミも両方できるという点で伊東四朗さんか加トちゃん辺りかなあ。
#*そもそもメンバー仲がギクシャクしていなかったらこうなっていただろう。
#**=[[もしあの芸能人が性犯罪を犯していなかったら#シャネルズ|性犯罪がなかったら]]、である。
#田代まさしは{{あきまへん}}に走ることもなかった。
#*「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
#**この場合、(同時期に逮捕された)稲垣メンバー祭りが史実以上に加熱していた。
#鈴木聖美との関係がもっと親密になっていた。
#*鈴木聖美がメンバー入りし、男女混成ユニットになっていた。
#史実で鈴木雅之名義でリリースされた曲はラッツ&スター名義でリリースされていた。
#ゴスペラッツも結成されなかったかもしれない。
 
===REV===
<!--実質ソロユニットですが、形の上で解散しているため、ここに記載-->
#出口雅之として再出発することはなかった。
#LIVやRev. from DVLとの混同が起きていた。
#名前の縁でアイオメガの記憶媒体であるREVのイメージキャラクターを務めていた。
#*REVの普及を促進をしていた。
 
===ザ・ワイルドワンズ===
ザ・ワイルドワンズは1971年に一度解散するも、10年が経過して加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズとして再結成されましたが、もし、解散せず空白期間がなかったら?
 
#「加瀬邦彦と」の冠はもちろん付かないままだった。
#「ザ・ワイルドワンズ'91」もなかったか?
#*「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」もなかっただろう。
#渡辺茂樹がバンドを転々とすることもなかった。
#加瀬邦彦も自殺しなかった?
#サザンオールスターズにも何らかの影響を与えていた。場合によってはコラボも実現したかもしれない。
#*ひょっとしたらワイルドワンズもアミューズ所属になっていたかもしれない(アミューズ創業者が最初にマネジメント担当したのがワイルドワンズだった)。
 
===wuz↑b?(ワサビ)===
2002年に解散したwuz↑b?ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
#メンバーチェンジを行っていたかもしれない。
#植物のワサビを「wuz↑b?」と書く人が増えていた。
 
===WANDS===
#その後もメンバーチェンジを何度も繰り返していた。
#*ボーカルの場合は上杉昇に似た歌声をさせられる。
#*ただし、木村だけはずっと脱退せずに残リ続けた。
#**そして、彼の事実上のソロプロジェクトとなっていた。
#**それでも音楽性の違いで脱退したのでは?
#**第3期の体制を現在に至るまで堅持していたら和久二郎はバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することもなかった。
#***=もしメンバーチェンジに成功していたら、といえる。
<!--#*和久二郎が現在に至るまで残留ならバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することはなかった。-->
#*上杉以外のメンバー復帰もあり得た。<!--上杉は自分のやりたい事を志向している以上、ビーイングとこじれているため-->
#B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
#「[[名探偵コナン]]」の主題歌の常連になっていた。
 
==関連項目==
*[[もしあの歌手グループが解散していたら]]
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 芸能史|あのかしゆくるうふかかいさんかつとうていししていなかつたら]]

2021年10月31日 (日) 12:21時点における版

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独立項目

あか行

EE JUMP

  1. 「EE JUMP COLLECTION 1」は予定どおり発売されていた。
  2. ユウキは×××××に走ることもなかった。
  3. 後藤真希の活動休止もなかった。
  4. それでもソニンは舞台出演をきっかけにしてそちらに専念する為脱退したかも。

Wink

1980年代後半から90年代半ばにかけて活躍し、1996年3月に活動を停止した鈴木早智子、相田翔子の二人組ユニットWinkですが、もし活動を停止しなかったらどうなっていたでしょう?

  1. 史実よりも早く、音楽活動からバラエティ、ドラマへと活躍の場を移していた。
    • 同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
      • ウルルンの司会も翔子、早智子が1週交代で務めていたかも…
  2. 新曲のリリースは年1回程度になるが、コンサートだけは毎年必ずやっていた。
  3. 二人が司会のバラエティ番組が、深夜帯で放送された。
  4. 80年代、90年代前半のアイドルを振り返る番組には、二人でゲスト出演した。
  5. さっちんが脱ぐことはなかった(泣)
    • AV出演疑惑が出ることもなかった。
    • というか、さっちんの活動が迷走することはなかった。
      • 「ASAYAN」の再起にかけるオーディションに出演することもなく、気の強い女ぶりを晒すことはなかった。
      • 事務所移籍で迷走することもなかった。
      • クスリに手を出して倒れることもなかった。
      • 不倫騒動もなかった。
  6. 相田翔子が「しょこたん」と呼ばれていた?
    • あるいははいだしょうこと間違えられていた。
    • 同様にさっちんがこのモデルと間違えられていた。

X JAPAN

  1. hideが謎の死を遂げることはなかった。
  2. TOSHIがトラブルに巻き込まれることもなかった。
    • でも、TOSHIがああなったから解散したわけだから…
  3. YOSHIKIがもっと早く体を壊していた。
    • それでYOSHIKIがピアノに専念することになったため、ドラムスが打込みになるか、6人目のメンバーが登場…って、なんかヤだなw

男闘呼組

  1. TOKIOのデビューが遅れていた。あるいはバンドとしてデビューしなかった。
    • 城島・山口はジャニーズを出て別のバンドを結成していたかも。
  2. 後にバンドごとジャニーズから独立して本格的ロックバンドとして大成していた。
  3. 男闘呼組としての音楽活動がメインになるため、個々の俳優活動は現実よりも縮小されている。
    • 高橋和也がイ・ビョンホンの吹き替えをすることもなかった。
  4. それでも岡本健一の息子は史実通りジャニーズ事務所に入っていた。
  5. 上杉昇、坂井泉水、小田佳奈子、川島だりあ、秋元康、船橋孝樹などの作詞を歌っていた。
  6. シャ乱Q、T-BOLAN、BAAD、ZYYG、MAGICをライバルだと認識していた。
  7. 樋口宗孝、上領亘、角田美喜をサポートドラマーにしていた。

girl next door

ボーカルの千紗が北島康介との結婚で解散したgirl next door。もし解散しなかったら。

  1. avex 所属の紅白歌合戦出場歌手とレコ大受賞歌手がAAAのみになることはなかった。
  2. day after tomorrowの曲をカバーしていた。
  3. 北島康介の現役引退の時に何らかの形でメッセージを出していた。
  4. 千紗は結婚引退していなかったらこうなっていただろう。

キャンディーズ

  • 普通の女の子に戻らなかったら?
  1. モー娘。並みの大人数になる。
    • 途端に人気急降下。
  2. 単に普通のオバサンになってたにすぎない。
  3. 伊藤蘭は水谷豊と結婚しなかった。
  4. アミューズ設立に関わっていた。
  5. 「プロポーズ大作戦」(ABC)最終回に出演して「ラッキーチャンスを逃がさないで」を生で披露していた。
  6. 今のように名前が残らない可能性があった。
    • 麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
      • その場合、南海キャンディーズも別のコンビ名を付けていたかもしれない。
  7. ザ・ハンダース「ハンダースの想い出の渚」の物真似のネタにキャンディーズが登場しなかった。
  8. 山口百恵も結婚後芸能界を引退しなかったかもしれない。
  9. いつまでも全キャン連が存続していた。
  10. 微笑がえしはベストテンに何ヶ月もランクインし続けたりはしなかった。
  11. 田中好子死去とともに解散したかも。
  12. 日本レコード大賞の何らかの部門賞を受賞していたかもしれない(史実ではどの部門賞も受賞していない)。

さ行

THE GOOD-BYE

1990年に活動休止に入った後、2003年に活動再開しましたが、もし休止期間がなかったら?

  1. 男闘呼組やTOKIOに何らかの影響を与えていた。
  2. いずれにしろ、どこかのタイミングでジャニーズ事務所を退所していたと思う。
  3. ヨッちゃんが浜崎あゆみのバックでギターを弾くこともなかったか?

Cyber Nation Network

平間あきひこ(Professor H)とSister MAYOのユニット

  1. 現在でもアニソン中心で活動。水樹奈々やLiSAに多々影響を与えていたかも。
  2. MAYOのProject.R入りはなかった。

C.C.ガールズ

  1. 3代目C.C.ガールズとして活動していた。
  2. 以降もメンバーチェンジを繰り返していた。

シブがき隊

  1. =光GENJIのブレイクがなかったら、である。
  2. 3人とも事務所を移籍することなく、ジャニーズに残留し続けていた。
  3. 少年隊の良きライバルとなっていた。
  4. 仮に解散がなくても少年隊の様にソロ中心になっていたかもしれない。

シャインズ(SHINE'S)

伊藤ようすけ(東京プリン)と杉村太郎のユニット

  1. =「杉村太郎の実業家転身がなかったら」である。
  2. 東京プリンの結成はなかった。

Sugar Babe

  1. 大瀧詠一がメンバー入りしていたかもしれない。
  2. イギリスの女性グループ「Sugarbabes」とグループ名が混同される。

JUDY AND MARY

  1. YUKIは今でもソニーと契約更新してた。また、バンドとソロの両方で東京ドーム公演をした最初の女性アーティストにもならなかった。
  2. それでも恩田快人は脱退していたかも知れない。

杉山清貴&オメガトライブ

  1. カルロス・トシキはソロを続けていた。
  2. 「1986」「カルロス・トシキ&」名義の楽曲もいくつかは「杉山清貴&」名義でリリースされていた。

SPEED

2008年に再結成したSPEED、もし解散することなく現在まで活動を続けていたら?

  1. プロデューサーが伊秩から変わった可能性あり。
    • どっちみちそのタイミングでトイズからエイベックス移籍は免れられなさそう。
  2. 今井絵理子ができ婚で脱退。AKINAあたりが新メンバーになっていた。
    • この後にメインヴォーカルが上原多香子+島袋寛子とする曲がいっぱい作られる。プロデューサーはTommy February 6。
    • 仮に今井絵理子が脱退しなかった場合参議院議員になることはなかった。
      • 不倫騒動もなかった。
  3. それでも第四のメンバーの地位は第四位のまま。ネタキャラとしての地位はダントツだったろうけど
  4. 逆にMAXが解散していた。
  5. 全員のソロシングルを同日発売、なんてことをしていたかもしれない。
  6. 2000年以降、CDの売上は低落傾向になるが、それでも芸能界における一定の地位を維持。
    • 所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
      • 平氏の逮捕劇が起きなかった。
    • モーニング娘。がハロープロジェクトを立ち上げたのに対抗して、EARTH、Folder5などとともにライジング系女性アイドルの集団を作って売り出す。
      • 満島ひかりはFolder5の活動がメインとなり、現実ほど女優に力を入れていなかった。
  7. ハロープロジェクトは現実と違いSPEEDに押されていた。
  8. 2ちゃんねるに「SPEED板」が出来ていた。
  9. つんくが曲を提供することもなかったはず。
  10. オフィシャルサイト「SPEED ARENA」が未だに公開されていたはず
  11. AKBには負けていた・・かな?

ZONE

  1. プリンセス・プリンセスと並んだ後ヒットが終わる。
  2. 北海道出身ということでこのチームの応援歌を歌っていたかも。
  3. あの花のEDに「secret base 〜君がくれたもの〜」が使用されなかったかも。
  4. MIZUHOが石橋貴明に「×××××の先」呼ばわりされなかったらMIZUHOは見切りをつけて脱退することなく、解散に追い込まれることはなかっただろう。
    • そもそもMIZUHOは芸能活動に意欲をなくすことはなかった。
  5. MARIAもなかった。
  6. 史実では3人で再結成→TOMOKA引退→MIYU契約解除→活動終了となったが、メンバーチェンジを繰り返していた。

たな行

ザ・タイガース

  1. 岸部兄弟の2人は史実ほど俳優業に力を入れなかった。
    • 『西遊記』(堺正章版)の沙悟浄役は別の俳優になっていた。
    • 岸部シローは『ルックルックこんにちは』の司会に抜擢されることもなかった。
      • 事業に手を出したり自己破産に追い込まれたりすることもなかっただろう。
    • 岸部大輔(一徳の息子)が加入したかもしれない。
  2. 瞳みのるは芸能界を引退せず、高校教師になったり中国語の教本を出したりすることはなかった。
    • 実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
      • そもそもそのコンサート自体なかったかも。
  3. 沢田研二の曲のいくつかはザ・タイガースのものになっていた。
  4. 森本太郎の「タローとアルファベッツ」や「森本タローとスーパースター」はなかった。
  5. グループサウンズブームはもっと続いていた。

チェキッ娘

  1. モーニング娘。をライバル視していた。
  2. 『DAIBAクシン!!』は打ち切られることはなかった。
  3. 熊切あさ美は崖っぷちアイドルとして売り出すことはなかった。
  4. 『電波少年的15少女漂流記』にはメンバー全員参加していた。
  5. アイドリング!!!は結成されなかった。
  6. 藤岡麻美がディーン・フジオカの妹ということもあってか、彼は「アイドルグループのメンバーの兄」で売り出すことができていた。

チューリップ

  • 1989年にいったん解散したチューリップ。もし活動を続けていたら・・・・。
  1. 「ひとつ屋根の下」で使われた「サボテンの花」は財津和夫がリテイクしたものではなく、オリジナルのチューリップのものが使われていた。

TMN

  1. TMN→TM NETWORKへの再改名というのもあったかもしれない。
    • あるいはTM INTERNET-WORKに改名していた。
  2. 小室プロデュースの歌手が大量に世の中に出る事はなかった。
    • そもそも小室哲哉がプロデュース業に力を入れてなかったらこうなっていただろう。
  3. globe自体存在しなかった。
  4. 果たしてavexはあそこまで大きくなっただろうか。
  5. 2008年11月4日にあの惨事が起こることもなかった。
  6. 何かと不評なベストアルバムの乱発もなかった。
  7. B'z、FENCE OF DEFENSE、access等の所謂「TMファミリー」が一堂に会したスペシャルライブが前世紀中には行なわれていた。
    • 上記のバンドのメンバーがTMのライブでサポート乃至はゲストで出演という事は実際にあるが。
  8. 上記の再改名という場合でも、TMN名義によるオリジナルアルバムは後数枚リリースされていた。
  9. おそらく、trf「WORLD GROOVE」に入ってる曲のいくつかはTMNのものになっていたはずである。
  10. TMN終了後にリリースされた宇都宮隆と木根尚登のソロの楽曲のいくつかはTMの楽曲となっていた。
    • 宇都宮隆バージョンの「RUNNING TO HORIZON」はTMバージョンとしてカバーされていたかもしれない。最も現実にはこの曲のカバーはTMの活動再開後にリリースされているが。
  11. T.M.Revolutionと混同する人が現実以上に多くなっていたかもしれない。
    • あるいは世代に関係なく、「TM」といえばネットワークを思い出す人が多くなっていたか?

day after tomorrow

  1. GIRL NEXT DOORは結成されなかった。
  2. misonoのバラエティ進出はなかった。
    • 「クイズ!ヘキサゴン2」のレギュラーになる事もなく、里田まいwith合田姉妹も企画されなかった。
    • おバカタレントの1人として名を馳せることもなく、ブログでの失言で炎上を度々起こすこともなかった。
    • 安倍麻美の存在が薄れることもなかった。
  3. 倖田來未の存在が薄れていた。
    • 倖田來未がBACK-ONのKENJI03と結婚し、彼がmisonoの義兄になった際には、義理の兄と妹が歌手グループのボーカルになっていた。
    • というか、エイベックスは倖田來未に力を入れることはなかったのでは?
  4. ELTの仕事を奪っていた。

dos

  1. KABA.ちゃんはオカマタレントとして再ブレイクすることはなかった。
    • 但しダンサー・振付師として一定の知名度は保っていただろう。
    • 去勢することもなかった。
  2. 西野妙子は女優に復帰することはなかった。
  3. Kiss Destinationはなかっただろう。
    • 吉田麻美は小室哲哉と結婚したり離婚したりすることもなかった。
  4. 小室ファミリーの黒歴史が減っていた。

D'ERLANGER

2007年に再結成したが、ここでは「もしブランクがなく活動を続けていたら」という前提で。

  1. 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
  2. BODYは結成されなかった。

は行

B.B.クイーンズ

  1. 数多くのアニソンをリリースしていた。
    • ただしお子様ソング路線を維持しているため、現在のアニソンがJ-POPばかりになることもなかった。
  2. Mi-keが活動休止することもなかった。
  3. 名前の縁でトヨタbBのCMに出演していたかCMソングを歌っていた。

光GENJI

  1. SMAPの良き兄貴分となっていた。
    • むしろSMAPが史実ほど人気が出ていなかった可能性がある。
  2. 「勇気100%」はミリオンヒットになっていた。
  3. 少年隊の影が薄くなっていた。
    • 少年隊のほうが先に解散していた。
  4. 諸星和己は史実の木村拓哉的存在になっていた。
    • もちろん暴露本なんて発表しない。
    • 40近くになっても合言葉は「こんばんはー!」。
  5. 赤坂晃がクスリで逮捕されることもなかった。
  6. V6・嵐などが結成されることもなかった。
    • グループが粗製濫造されることはもちろんなかった。
    • V6はともかく嵐は結成されていたのでは?世代も違うし。
    • V6は期間限定で終わっていたのでは?
  7. Kis-my-ft2もデビューに至らなかったか路線が変わっていた。
  8. ジャニーズはSMAPに力を入れることはなかった。

美少女クラブ31

2007年以降、事実上活動を休止した美少女クラブ31ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?

  1. X21は結成されなかった。
  2. 剛力彩芽や武井咲がメンバー入りしていた。
  3. 名前の縁でサーティーワンアイスクリームのイメージキャラクターを務めていた。
  4. AKB48に対抗して研究生制度を導入していた。
    • 欠員が出たらその都度昇格する体制を取っていた。
  5. テレビ朝日はももクロ推しをしていなかった。
    • アップフロントとの関係も修復されることもなかった。
  6. オスカープロモーションの黒歴史が減っていた。
  7. ハロプロの仕事のいくつかを奪っていた。
    • ライジングプロダクション(当時はヴィジョンファクトリー)も追い詰めていた。安室離脱と共に事務所解散なんて可能性も。
    • モー娘。に至ってはかなりの影響があった。
    • DreamもE-girlsに合流する前に解散していた。
  8. グラビアにも本格的に進出し、グラビアアイドルの仕事も奪っていた。
    • 史実の乃木坂46よろしくモデルにも進出。
    • 篠○愛が「美少女クラブウザイ」発言をして物議を醸していた。
      • この一件でグラビアへの進出にとどめを刺したかも。
  9. それでもAKBには負けていただろう。
    • むしろ存在が薄れていたかも。

Folder5

  1. メンバーチェンジくらいはあったかな?
    • あったとしたら、DA PUMPみたいに沖縄アクターズ以外からの加入だった。
  2. HIKARIが女優に転向することはなかった。
  3. AKINAもShiny Lipsを結成せず、ビビる大木との結婚もなかった。
  4. 三浦大知復帰の際に「三浦大知 with Folder5」としてコラボしていたかも。

The Flipper's Guitar

  1. 小沢健二のソロ曲がフリッパーズ・ギター名義で発表されており、小山田のボーカルで歌われる。
    • 小沢健二の代わりにフリッパーズ・ギターがNHK紅白歌合戦に出場していた。
  2. 「今夜はブギーバック」がスチャダラパー×フリッパーズ・ギターで発表される。
  3. そもそも「渋谷系」が有ったかどうかも分からない。
  4. 2004年のエイプリルフールに「エイプリルズ、バンド名をフリッパーズギターに改名」と発表されることもなかった。

THE BLUE HEARTS

  1. ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズの結成はなかった。
    • これらの楽曲もブルーハーツ名義で出ていたのかな?
    • たぶん出ていた。
    • 1995年以降、史実のハイロウズのようにシュールな歌詞の曲が多くなりファンの間では賛否両論分かれた。
  2. 河口が新興宗教に没頭していないので、「幸福の生産者」という曲は存在しない。
    • ていうか「PAN」自体出てない。
  3. 2004年頃、自衛隊のイラク派遣を受けて「すてごま」をセルフカバーしていた。
  4. 史実ではハイロウズが務めた、セックス・ピストルズの日本公演の前座を務めていたかもしれない。
  5. アメリカ同時多発テロを痛烈に皮肉った曲をリリースしていた。
  6. 今ごろ紅白に出場していたかもしれない。
  7. チルドレンによる青春パンクブームは起こらない。

BLUE BOY

  1. 川崎フロンターレの応援歌を歌っていたかもしれない。
  2. ドラムの青木慶則が「自分一人で活動したい。」という心の声が大きくなったことが原因で脱退していた。(史実ではこれが原因で解散した。)

BaBe

  1. Winkと二分される存在になっていた。
    • Winkとキャラが被ることで解散に追い込まれたとみなされることはなかった。
    • Winkをライバル視していた。
  2. その後は脱ユーロビート路線に転じていた。
    • その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
      • 更にその縁でピンクレディーの曲もカバーしていた。
      • 平成のピンクレディーと呼ばれていた。
  3. 所属事務所であるエスワンカンパニーが破綻することはなかった。
  4. 1990年頃に予定されていたコンサートツアーが中止になることはなかった。
  5. 「名前の縁」で映画『ベイブ』の主題歌を歌っていた。
    • そして海外進出を果たしていた。

BOØWY

  1. 1990年代以降もヒット曲を連発。ビーイング系アーティストなどの強力なライバルとして君臨。
    • しかし、松本孝弘、増崎孝司、増田隆宣、生沢佑一をレコーディングに参加していた。
  2. 個々のソロ活動はバンド活動が一段落した合間に行われる。
    • De-LAXは登場しなかったかもしれない。
    • しかしCOMPLEXは元々から期間限定ユニットだったので登場しているかも。
  3. CMやドラマ主題歌のタイアップは多いが、BOØWYとしての音楽番組への出演は頑なに拒否し続ける。
    • 布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
      • しかし映画やCMには積極的に出演する。これは史実通り。
    • ヒムロックも史実通り『HEY! HEY! HEY!』のみに出演番組を絞っている。
  4. M田氏への事件発覚後、ヒムロックが謝罪会見を行い、2007年後半はグループ活動を自粛。
  5. 布袋様のソロ曲のうち何作かがBOØWY名義で発表されており、ヒムロックのボーカルで歌われている。
    • 氷室ボーカルの「スリル」って…、ちょっと怖いもの見たさすげえ、聞いてみてえw
  6. 松井さんは変わらずに不動の8(エイト)を刻み続けている。
  7. 高崎市が聖地化。
  8. いつの頃からか、まこっちゃんのステージパフォーマンスが一番派手になってる。
  9. 布袋様が女性関連のスキャンダルの度に、ヒムロックが謝罪する。
  10. 山下久美子もしくは今井美樹のツアー・レコーディングに全メンバー参加。
  11. 98年までは大晦日の東京ドーム公演をX JAPANと奪い合いそう。

BODY

  1. 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
  2. CRAZEの結成、D'ERLANGERの再結成はなかった。
    • よって「I LOVE YOU」は2014年現在に至るまで「BODYの楽曲」として認知されていた。
    • CRAZEの存在がなかった=D-SHADEも存在しなかった。
  3. 藤崎賢一はソロ、飯田成一は別バンドで活動してた。
  4. ラルクはブレイクしなかった、あるいはブレイクが遅れていた可能性もある。

ま〜わ行

MAGIC

  1. 小坂、菅井脱退以後、RODEOとの合流を待って、LOUDNESSのような再生時代に入っていた。

ミニモニ。

  • ミカのハロー!プロジェクト卒業により活動を休止したミニモニ。だが、その後も活動を続けていたら?
  1. ミカの卒業後、紆余曲折ありメンバーを入れ替えながら活動継続
    • この紆余曲折のせいで、今頃初代メンバーとして各番組で紹介できるのは辻のみになっていた。
  2. 楽曲が幼稚園、保育園のお遊戯で使用されていた
    • 子供たちの支持を受け他のハロプロユニットの人気も上昇していた。
  3. 『おはスタ』に引き続き出演し続けていた。
  4. 「新ミニモニ。」はなかった。
    • 史実の新ミニモニ。メンバーはメンバーチェンジの際に順次本家ミニモニ。に加入していた。
  5. イロモノアイドルグループとしてももクロと人気を二分していた。
    • だがももクロには負けていた。
    • 渡り廊下走り隊とも人気で張り合っていたかも。
  6. ギャルルは結成当初からあべべ(安倍麻美)がメンバーだった。
  7. 「いぬモニ。」は登場しなかっただろう。

ラッツ&スター

  1. 田代まさしと桑野信義は芸人に転向することはなかった。
    • 志村けんと関係を持つこともなかった。
    • 田代まさしは「ダジャレの帝王」と呼ばれることもなかった。
    • 『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ版)の爺は誰がやっていたのだろうか。
      • ボケもツッコミも両方できるという点で伊東四朗さんか加トちゃん辺りかなあ。
    • そもそもメンバー仲がギクシャクしていなかったらこうなっていただろう。
  2. 田代まさしは×××××に走ることもなかった。
    • 「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
      • この場合、(同時期に逮捕された)稲垣メンバー祭りが史実以上に加熱していた。
  3. 鈴木聖美との関係がもっと親密になっていた。
    • 鈴木聖美がメンバー入りし、男女混成ユニットになっていた。
  4. 史実で鈴木雅之名義でリリースされた曲はラッツ&スター名義でリリースされていた。
  5. ゴスペラッツも結成されなかったかもしれない。

REV

  1. 出口雅之として再出発することはなかった。
  2. LIVやRev. from DVLとの混同が起きていた。
  3. 名前の縁でアイオメガの記憶媒体であるREVのイメージキャラクターを務めていた。
    • REVの普及を促進をしていた。

ザ・ワイルドワンズ

ザ・ワイルドワンズは1971年に一度解散するも、10年が経過して加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズとして再結成されましたが、もし、解散せず空白期間がなかったら?

  1. 「加瀬邦彦と」の冠はもちろん付かないままだった。
  2. 「ザ・ワイルドワンズ'91」もなかったか?
    • 「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」もなかっただろう。
  3. 渡辺茂樹がバンドを転々とすることもなかった。
  4. 加瀬邦彦も自殺しなかった?
  5. サザンオールスターズにも何らかの影響を与えていた。場合によってはコラボも実現したかもしれない。
    • ひょっとしたらワイルドワンズもアミューズ所属になっていたかもしれない(アミューズ創業者が最初にマネジメント担当したのがワイルドワンズだった)。

wuz↑b?(ワサビ)

2002年に解散したwuz↑b?ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?

  1. メンバーチェンジを行っていたかもしれない。
  2. 植物のワサビを「wuz↑b?」と書く人が増えていた。

WANDS

  1. その後もメンバーチェンジを何度も繰り返していた。
    • ボーカルの場合は上杉昇に似た歌声をさせられる。
    • ただし、木村だけはずっと脱退せずに残リ続けた。
      • そして、彼の事実上のソロプロジェクトとなっていた。
      • それでも音楽性の違いで脱退したのでは?
      • 第3期の体制を現在に至るまで堅持していたら和久二郎はバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することもなかった。
        • =もしメンバーチェンジに成功していたら、といえる。
    • 上杉以外のメンバー復帰もあり得た。
  2. B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
  3. 名探偵コナン」の主題歌の常連になっていた。

関連項目