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==主な路線==
{{Pathnav|もしWiki|歴史のif検討委員会}}
*[[東海道新幹線]]
*[[東海道本線/JR東海区間]]
*[[中央本線]]
*[[関西本線]]
*[[紀勢本線]]
*[[リニア中央新幹線]]


==武豊線==
*新規追加は50音順でお願いします。
#くれぐれも言っておくが「たけゆたか」線ではない。
==独立項目==
#*IME変換実験。「たけゆたか」→「嶽豊」、「たけとよ」→「嶽とよ」orz
*[[もしおニャン子クラブが解散していなかったら]]
#*実は、終点の武豊駅には武豊のサイン色紙がある。
*[[もしAKB48のユニットが○○だったら]](AKB48系列グループ・派生ユニットはこちらへ)
#東海道線を建設するため、武豊港からの資材運搬用として開通
**[[もしSDN48が○○だったら#全員卒業がなかったら]]
#*しかし東海道線開通以降はすっかりローカル線に
**[[もし渡り廊下走り隊7が○○だったら#解散がなかったら]]
#*愛知県で唯一の非電化単線区間。「秘境」飯田線でも電化はされているのに
#**飯田線は元が私鉄だからね。国鉄として建設されていたら非電化だったと思う
#そのまま博物館クラスの建物が現役
#*亀崎駅舎はJR最古・明治19年製
#*その他駅舎も大抵が大正とか戦前
#名鉄との競合区間なので、全車キハ75を配備。贅沢な非電化路線。
#*キハ75の配備は、名鉄と…というより東海道線の電車の足を引っ張らないための措置。
#*本当に対抗したいなら電化・複線化が当然。
#名古屋に近いのに未だに非電化単線。名古屋に直通する列車も当然気動車(キハ75系)。
#*やはり東海道新幹線を優先すべきと言う理念である為、ただ単にJR東海が赤字在来線の電化工事にお金をかけたくないだけだと思われる。
#**赤字だったらわざわざ新車入れて直通運転なんかしてないと思う。
#**新車入れたのは東海道区間でスピード出すためと大府での乗り換え混雑を防止するため。
#武豊に向かうのが「上り」。
#*これは武豊線が東海道線の資材輸送用に先に作られたから。列車番号までも逆になっている。
#*そのため時刻表なども普通の路線と逆の順番。見るときは注意。


'''駅'''
==あか行==
*(東海道本線名古屋方面←)大府-尾張森岡-緒川-石浜-東浦-亀崎-乙川-半田-東成岩-武豊
===EE JUMP===
#「EE JUMP COLLECTION 1」は予定どおり発売されていた。
#ユウキは{{あきまへん}}に走ることもなかった。
#*そもそも[[もし芸能界であの事件がなかったら/2000年代以降#ユウキ(EE JUMP)一連の非行(2001年〜2002年)|ユウキの非行がなかったらこうなっていた]]。
#後藤真希の活動休止もなかった。
#それでもソニンは舞台出演をきっかけにしてそちらに専念する為脱退したかも。


==御殿場線==
===Wink===
#かつては東海道本線の一区間だった。
1980年代後半から90年代半ばにかけて活躍し、1996年3月に活動を停止した鈴木早智子、相田翔子の二人組ユニットWinkですが、もし活動を停止しなかったらどうなっていたでしょう?
#特急[[あさぎり(特急)|あさぎり]]が出来たのは「JR東日本の区間を通らずに東京への路線を増やす」ためである。
#*国鉄時代から走っているのだが…
#**御殿場発着の小田急の連絡急行から沼津発着の相互乗入れ特急に格上げされたのは↑の理由。
#単線で、なおかつ神奈川県内にすれ違い設備が少ないので、思うように増発できない。というか、昔は複線だったんだから複線に戻すのが筋だのだが。
#*利用客の多い沼津・御殿場間だけでも複線にしてほしい・・・・・・・・
#**国府津側って、そんなに輸送量あんの?沼津側はそうでもないけど・・・
#***国府津発は山北ぐらいまでそこそこ乗ってる。
#*せめて交換駅を全駅に置くだけでも大分違う筈なのに。
#沼津発21時40分の次が23時07分じゃあどう考えたって車のほうに流れるわなあー利用客を馬鹿にしすぎ
#新宿~沼津間の小田急バスの高速バスに押されてあさぎりの利用客が激減。
#*小田急バスは新宿~御殿場・箱根だったような・・・沼津まではJR高速バスなのでは?
#さらに京王バスの新宿・渋谷~裾野・沼津便にも押されてる。
#学生のマナー悪すぎ。「発車します。お降りの方は車内通行をやめてお降りください」とアナウンスされても平気で車内を走り回って列車遅らせてる。
#*国府津側の話か?だとしたら・・・
#**↑それだよ。
#***やっぱり・・・まさか、あの高校の生徒では・・・
#****予想がつくなぁ(あえて言わないが・・・)
#たまに東海道線の新型が入ってくる。
#*その車両は座席が硬くて有名なE231系である。
#長泉なめりというペロッとやられそうな駅がある。
#ICカード「TOICA」が使えない。JR東海のサービスの悪さ露呈。
#*導入されたとしても、東海道線みたいに下曽我までしか使えなかったりしたりするかも。
#御殿場線はJR東日本が管轄すればいいと思っている人が大半。理由は「Suicaが使えるから。」
#*しかし東日本ともなれば今より最悪になるのでは・・・
#童謡「汽車ポッポ」の舞台は御殿場線らしい。ただ御殿場線が歌に歌われているようなスピードが出ているかどうか・・・


'''駅'''
#史実よりも早く、音楽活動からバラエティ、ドラマへと活躍の場を移していた。
*国府津-下曽我-上大井-相模金子-(小田急小田原線←)松田-東山北-山北-谷峨-駿河小山-足柄-御殿場-南御殿場-富士岡-岩波-裾野-長泉なめり-下土狩-大岡-沼津
#*同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
#**ウルルンの司会も翔子、早智子が1週交代で務めていたかも…
#新曲のリリースは年1回程度になるが、コンサートだけは毎年必ずやっていた。
#二人が司会のバラエティ番組が、深夜帯で放送された。
#80年代、90年代前半のアイドルを振り返る番組には、二人でゲスト出演した。
#さっちんが脱ぐことはなかった()
#*AV出演疑惑が出ることもなかった。
#*というか、さっちんの活動が迷走することはなかった。
#**「ASAYAN」の再起にかけるオーディションに出演することもなく、気の強い女ぶりを晒すことはなかった。
#**事務所移籍で迷走することもなかった。
#**クスリに手を出して倒れることもなかった。
#**不倫騒動もなかった。
#相田翔子が「しょこたん」と呼ばれていた?
#*あるいははいだしょうこと間違えられていた。
#*同様にさっちんが[[wikipedia:ja:鈴木サチ|このモデル]]と間違えられていた。


==身延線==
===X JAPAN===
#富士宮まで複線なのは、[[創価学会|某学会]]のお陰'''だった'''。富士宮駅の団体列車用ホームはまだ健在?
#hideが謎の死を遂げることはなかった。
#*まだ健在ですよ。時々掃除しています。
#TOSHIがトラブルに巻き込まれることもなかった。
#**富士宮駅北側の留置線は廃止されました。
#*でも、TOSHIがああなったから解散したわけだから…
#*複線なのは西富士宮まででは?
#YOSHIKIがもっと早く体を壊していた。
#**複線区間は富士宮迄です。列車本数は西富士宮を境に激減しますが。
#*それでYOSHIKIがピアノに専念することになったため、ドラムスが打込みになるか、6人目のメンバーが登場…って、なんかヤだなw
#**青梅線と似たような関係です(東青梅~青梅は単線)
#*富士駅付近で路線を付け替えたのは、複線化用地を確保できなかったため。
#特急停車駅なのに、無人の駅がある。車掌が走る走る。
#*その駅に特急を止めるメリットとは?
#**見た限りでは、客が3人降りた。とりあえず、特急代310×3円の収入。因みに盆休みでの話し。
#昔、小田急あさぎりが臨時で乗り入れたことがある。
#甲府から東海道線を通って御殿場まで直通する普通電車がある。
#*僅か半年で消滅した。
#特急ふじかわになってから急行時代よりも客が増えて増発された。
#ふじかわは途中で普通列車をまったく追い抜かない。
#この路線専用の赤紫色の列車が、いつの間にかなくなっていた。
#*1999年に一編成だけ復活。二日間だけ工場のミスで茶色になってた。でも今は旧型が引退したため再現不可能。


'''駅'''
===男闘呼組===
*'''富士'''-柚木-竪堀-入山瀬-富士根-源道寺-'''富士宮'''-西富士宮-沼久保-芝川-稲子-十島-井出-寄畑-'''内船'''-甲斐大島-'''身延'''-塩之沢-波高島-'''下部温泉'''-甲斐常葉-市ノ瀬-久那土-'''甲斐岩間'''-落居-'''鰍沢口'''-'''市川大門'''-市川本町-芦川-甲斐上野-'''東花輪'''-小井川-常永-国母-甲斐住吉-'''南甲府'''-善光寺-金手-'''甲府'''
#TOKIOのデビューが遅れていた。あるいはバンドとしてデビューしなかった。
#*城島・山口はジャニーズを出て別のバンドを結成していたかも。
#後にバンドごとジャニーズから独立して本格的ロックバンドとして大成していた。
#男闘呼組としての音楽活動がメインになるため、個々の俳優活動は現実よりも縮小されている。
#*高橋和也がイ・ビョンホンの吹き替えをすることもなかった。
#それでも岡本健一の息子は史実通りジャニーズ事務所に入っていた。
#上杉昇、坂井泉水、小田佳奈子、川島だりあ、秋元康、船橋孝樹などの作詞を歌っていた。
#シャ乱Q、T-BOLAN、BAAD、ZYYG、MAGICをライバルだと認識していた。
#樋口宗孝、上領亘、角田美喜をサポートドラマーにしていた。


*'''太字'''は特急ふじかわ停車駅
===girl next door===
ボーカルの千紗が北島康介との結婚で解散したgirl next door。もし解散しなかったら。
#avex 所属の紅白歌合戦出場歌手とレコ大受賞歌手がAAAのみになることはなかった。
#day after tomorrowの曲をカバーしていた。
#北島康介の現役引退の時に何らかの形でメッセージを出していた。
#千紗は結婚引退していなかったらこうなっていただろう。


==高山本線(岐阜~猪谷)==
===キャンディーズ===
#猪谷-飛騨古川間の復旧はないとあきらめている
*普通の女の子に戻らなかったら?
#*現在復旧作業中。飛騨古川~角川は復旧しています。
#モー娘。並みの大人数になる。
#*2007年9月に完全復旧予定。それにしても、どうしてこんなにまで復旧に時間がかかったのだろうか。
#*途端に人気急降下。
#**測量からやり直したから。
#単に普通のオバサンになってたにすぎない。
#下呂以北は「ワイドビュー飛騨専用路線」として存在している(普通列車の設定が少ない)。
#伊藤蘭は水谷豊と結婚しなかった。
#*「ワイドビューひだ」…ね
#[[アミューズ]]設立に関わっていた。
#** 出発・到着地がしらさぎと同じ。ひだが勝っているのは料金だけ。本数も時間もしらさぎが勝っている。
#「プロポーズ大作戦」(ABC)最終回に出演して「ラッキーチャンスを逃がさないで」を生で披露していた。
#***あながちそうとは言えなかったり。確か3分差で「ひだ」の勝ちでしたけど。
#今のように名前が残らない可能性があった。
#** 前述の水害で富山発着が設定できないので、しらさぎを1往復だけ延長して対応中。
#*麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
#2006年秋に、名古屋地区にICカードが導入されることになったが、高山本線はモノの見事にその範囲から除外された。
#**その場合、南海キャンディーズも別のコンビ名を付けていたかもしれない。
#*おそらく、TOICAでは名古屋経由の運賃しか適用されない。でも、岐阜~多治見は美濃太田経由の方が安い。名古屋近郊区間を設けるとのアナウンスもないので、正々堂々とボるつもりらしい・・・と思ったら、サスガに判ってたようで特例を設けた。
#ザ・ハンダース「ハンダースの想い出の渚」の物真似のネタにキャンディーズが登場しなかった。
#かつて大阪~高山に急行「たかやま」が運行されていたが、下呂駅で特急に抜かされるという偉業を成し遂げた。
#山口百恵も結婚後芸能界を引退しなかったかもしれない。
#*↑国鉄時代は普通にあった事。その為の「種別」でもある。そもそも高山線はワイドビューが走る前は名古屋~飛騨古川の「のりくら」って急行もあった。
#いつまでも全キャン連が存続していた。
#*↑↑しかも東海道の複々線区間では走行中後発の新快速に追い抜かれるという偉業も達成した。
#微笑がえしはベストテンに何ヶ月もランクインし続けたりはしなかった。
#2006年「第57回全国植樹祭」を機に、下呂駅と萩原駅が改修され美しくなった。
#田中好子死去とともに解散したかも。
#岐阜~鵜沼は名鉄との競合路線だが、ボロ負け。
#日本レコード大賞の何らかの部門賞を受賞していたかもしれない(史実ではどの部門賞も受賞していない)。
#*沿線住民がどこに用事があって利用するかを考えれば、当然。
#*本数と駅数に差が有りすぎる。名鉄は本数も駅も多い。
#美濃加茂市民が名古屋へ行くときは、鵜沼~新鵜沼で名鉄に乗り換えるのが普通。
#*そもそも最寄駅まで車で送ってもらって…なんて本数少なくてやっていられないので、新鵜沼とか新可児まで車で行って名鉄に乗る。


'''駅'''
==さ行==
*岐阜-長森-那加-蘇原-各務ヶ原-鵜沼-坂祝-美濃太田-古井-中川辺-下麻生-上麻生-白川口-下油井-飛騨金山-焼石-下呂-禅昌寺-飛騨萩原-上呂-飛騨宮田-飛騨小坂-渚-久々野-飛騨一ノ宮-高山-上枝-飛騨国府-飛騨古川-杉崎-飛騨細江-角川-坂上-杉原-打保-猪谷(→富山方面)
===THE GOOD-BYE===
1990年に活動休止に入った後、2003年に活動再開しましたが、もし休止期間がなかったら?


==太多線==
#男闘呼組やTOKIOに何らかの影響を与えていた。
#とにかく地味。でも、利用者は意外に多い。そのうち電化されそうな予感
#いずれにしろ、どこかのタイミングでジャニーズ事務所を退所していたと思う。
#路線名をよく間違えられる。太田線とか書かれたり、おおたせんって読まれたり
#ヨッちゃんが浜崎あゆみのバックでギターを弾くこともなかったか?
#ワイドビューひだが走ることがある
#*特急なんて走りません。同じ車両のライナーなら走るけど。
#**東海道線・名古屋~岐阜と高山線・岐阜~美濃太田がマヒした時に特急が中央線・太多線経由になる場合があるんですよ。ライナーでの実績があるからできること。中途半端の知識で来るのはやめてくんない?
#***↑知識が中途半端じゃない方のお出ましダゾー
#***無理やり迂回ってことだよねー。時刻表に出るスジでもなく。そんなの「ひだが走る」じゃないだろ。走るんなら事前周知して可児駅で乗せてクレ。
#****名古屋-美濃太田間の営業キロは多治見経由54km、岐阜経由57.6kmで多治見経由の方が短い。
#*****ただしスイッチバック2回。
#****名鉄名古屋から犬山線経由なら40kmちょい。
#*****しかもスイッチバック不要だった。
<!--#***↑↑↑↑↑↑↑「知識が中途半端じゃない方」は来てはいけません。「chakuwikiについて」をよ~く読んで、「KY」を直して出直そうね。-->
#可児駅前にて腕木信号機保存中。
#TOICAが使えない。
#「姫」という可愛らしい名前の駅がある。
#*東京には「王子」という駅がある。


'''駅'''
===Cyber Nation Network===
*多治見-小泉-根本-姫-下切-可児-美濃川合-美濃太田
平間あきひこ(Professor H)とSister MAYOのユニット
#現在でもアニソン中心で活動。水樹奈々やLiSAに多々影響を与えていたかも。
#MAYOのProject.R入りはなかった。


==名松線==
===C.C.ガールズ===
#本数を見る限り、存在意義がよく解らない。
#3代目C.C.ガールズとして活動していた。
#*新幹線で儲かってるから廃止せずに済んでる・・・という記述をどっかで見たけど。
#以降もメンバーチェンジを繰り返していた。
#*周辺の道路が未整備なので生き残ってる。岩泉線や三江線と同じ理由。
#**道路が狭くて代行バスが通れないんだって。
#*それは建前だけ。廃止するのが面倒なだけだと思う。
#*終点近くに超大物政治家がいるらしいぞ。
#本当は名張まで繋げるつもりだったらしい。名松線の「名」は、名古屋ではなく名張の名。
#*Wikipediaには「伊勢奥津駅で名張行きバスに接続」とあるが、その本数は列車より少ない。
#伊勢奥津駅は何もないが、風情はある。春に行くと綺麗な桜が見れる。
#最近(2006年10月20日未明)、ディーゼルカーの無人運転に成功した。
#*というか、おむすびころりんのように、気動車が坂をころころ転がっていってしまった・・・。
#*踏切が正常に作動し、事故が起きなかったのが奇跡だった。
#* 名松線には[[wikipedia:ja:自動列車運転装置|ATO]]が導入されているらしい。
#伊勢竹原駅のトイレは“超恐怖級”の汲み取り式である。小さなお子様一人で個室に入らないように・・・。


'''駅'''
===シブがき隊===
*松阪-上ノ庄-権現前-伊勢八太-一志-井関-伊勢大井-伊勢川口-関ノ宮-家城-伊勢竹原-伊勢鎌倉-伊勢八知-比津-伊勢奥津
#=[[もしあの芸能人がブレイクしていなかったら#光GENJI|光GENJIのブレイクがなかったら]]、である。
#3人とも事務所を移籍することなく、ジャニーズに残留し続けていた。
#少年隊の良きライバルとなっていた。
#仮に解散がなくても少年隊の様にソロ中心になっていたかもしれない。


==参宮線==
===シャインズ(SHINE'S)===
#沿線に伊勢神宮を抱えるため戦時中は田舎の末端路線であるにもかかわらず不要不急路線指定を受けなかった。
伊藤ようすけ(東京プリン)と杉村太郎のユニット
#*そのため、戦前は複線であったが、貨物輸送がないため、さすがに戦中は単線にはされた。
#=「杉村太郎の実業家転身がなかったら」である。
#伊勢神宮観光の邪魔だから参宮線を廃止にして、駅や車庫の跡地を駐車場にしろとほざいた馬鹿がいた。
#東京プリンの結成はなかった。
#*そうほざいたのは、沿線にある某和菓子屋の社長(敢えて名前は伏せておく)。[[名古屋駅]]などのキオスクでも、その会社の商品が置かれていたことがある。そこそこ有名な和菓子屋だったはず。
#*この某和菓子屋の不祥事が発覚し、この話は無かった事になりそう。そしてこの和菓子屋には神罰が下ったともっぱらの評判。
#しかし現在は近鉄特急にボロ負け・・・
#*昔よりはよくなったが、2両では・・・


'''駅'''
===Sugar Babe===
*(紀勢線津方面←)'''多気'''-外城田-田丸-宮川-山田上口-'''伊勢市'''-五十鈴ヶ丘-'''二見浦'''-松下-池の浦シーサイド-'''鳥羽'''
#大瀧詠一がメンバー入りしていたかもしれない。
#イギリスの女性グループ「Sugarbabes」とグループ名が混同される。


*'''太字''':快速みえ全列車停車駅(残りは一部停車)
===JUDY AND MARY===
#YUKIは今でもソニーと契約更新してた。また、バンドとソロの両方で東京ドーム公演をした最初の女性アーティストにもならなかった。
#それでも恩田快人は脱退していたかも知れない。


==飯田線==
===杉山清貴&オメガトライブ===
#全長195.7km中に起終点を含めて実に94の駅がある。それらの平均駅間距離は約2.1kmで、大都市の通勤電車路線並みの駅間となっている。
#カルロス・トシキはソロを続けていた。
#*もともと集落間を接続するためにそうなったらしい。今の需要は謎。
#「1986」「カルロス・トシキ&」名義の楽曲もいくつかは「杉山清貴&」名義でリリースされていた。
#*約6時間かけて全線を走破する普通列車がある。
#秘境駅が多い。
#*秘境駅マニアの聖地らしい
#*「秘境駅」の言葉の生みの親[http://hp1.cyberstation.ne.jp/hikyoueki/ 牛山隆信氏のランキング]で上位38位までに5駅登場。
#**2位・小和田、3位・田本、13位金野…など
#本長篠~天竜峡のトンネルの多さは凄い。地下鉄状態。
#*三信地下鉄道
#私鉄が建設したこともあって、建設費圧縮のために線路がグネグネ。
#*「まさかのミステリー」でもそれを使ったミステリーがあった。(詳細求む)
#**[http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.30.36.036&el=137.49.52.036&la=1&fi=1&skey=%b0%cb%c6%e1%be%e5%b6%bf%b1%d8&sc=4 伊那上郷駅-下山村駅間]は電車に乗るより歩いたほうが早い…というもの
#***めざまし調査隊(めざましテレビでかつてあったコーナー)でもこのネタを紹介してたと思う。
#****黄金伝説にもでてた。
#*****ナイトスクープでもやってた。時期的にはコレが元祖かもしれない。
#******最初のネタは究極超人あ~るでは?
#***線形は普通だがLRT化される前の富山港線は岩瀬浜から富山まで昼間は走った方が早く着くことがあった。
#距離の割に駅が多いので全ての駅を時刻表に載せるためにグネグネで表示している
#*こっちは物理的なグネグネとは別の理由
#小和田(こわだ)駅は皇太子妃雅子様の旧姓である小和田(おわだ)と同表記であることから、「恋成就駅」として、徳仁親王と結婚した1993年には下車する人達で賑わった。同様の例として、仙山線の愛子(あやし)駅がある。
#*ちなみに静岡県にある。
#*一方、読み方が同じで漢字が違う大井川鉄道の大和田(おわだ)駅のほうはほとんど相手にされなかった。
#「究極超人あ~る」ファンの聖地。作中に出てくる「山田さん温泉」は、田切駅が最寄。
#*OVA挿入歌「飯田線のバラード」は名曲だと思う。
#静岡県内の駅が、全て「浜松市内の駅」になってしまった。平成の大合併って・・・。
#*あんな秘境まで「浜松」だなんて。
#真ん中のドアから降りると、知らない人間はほぼ確実にホーム下に落ちる危ない駅がある(切石駅)。
#豊橋-平井(信)間は名鉄と共同運用による複線化を実現している。
#そんな飯田線にもついに新車を導入。快速で長野まで行ってます。車両は313系1700番台。
#*ちなみにその車両の所属場所は、中央西線(神領駅そばの基地)所属。
#*↑さらに言うと、中央西線の運用には余程のことがない限り入らない。東線の運用は普段ある。
#中部天竜の佐久間レールパーク。東海があんなもの作るとは・・・・
#*元々は佐久間ダム・発電所建設時の待車場で、レールをそのまま利用して廃棄される電車を置いただけだったりする。しかし片田舎にしては豪勢。
#*ちなみに通称B型鉄橋もダム建設用プラント(現:中部集落)への連絡橋をそのまま利用しているので、路面にレールの型が見える。
#長野-飯田間に特急電車を試験運行すると言う計画がでた(信濃毎日新聞朝刊2004年12月4日紙面より)しかしながら何もなく終わった。
#中部区間は極端に列車本数が少ない。
#*そのため1人の女子高校生の通学のために中井侍駅に3年間、快速列車を毎日臨時停車させていた。卒業式の日、車内アナウンスで「3年間のご利用ありがとうございました、そして卒業おめでとう。これで列車は明日から中井侍駅は通過致しますが、またのご利用心からお待ちしています」と放送したらしい。
#** JR東海にしてはえらく粋なことをしはりますね。
#** いい話だ。「プロジェクトX」のクライマックスみたい(古いか)。
#119系という飯田線専用車両がある。(一時期静岡地区の「するがシャトル」で使ってたけど)


;駅
===SPEED===
うっとうしいんで省略![[wikipedia:ja:飯田線]]参照。
2008年に再結成したSPEED、もし解散することなく現在まで活動を続けていたら?
#プロデューサーが伊秩から変わった可能性あり。
#*どっちみちそのタイミングでトイズからエイベックス移籍は免れられなさそう。
#今井絵理子ができ婚で脱退。AKINAあたりが新メンバーになっていた。
#*この後にメインヴォーカルが上原多香子+島袋寛子とする曲がいっぱい作られる。プロデューサーはTommy February 6。
#*仮に今井絵理子が脱退しなかった場合参議院議員になることはなかった。
#**不倫騒動もなかった。
#それでも第四のメンバーの地位は第四位のまま。{{極小|ネタキャラとしての地位はダントツだったろうけど}}<!-- オチ -->
#逆にMAXが解散していた。
#全員のソロシングルを同日発売、なんてことをしていたかもしれない。
#2000年以降、CDの売上は低落傾向になるが、それでも芸能界における一定の地位を維持。
#*所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
#**平氏の逮捕劇が起きなかった。
#*モーニング娘。がハロープロジェクトを立ち上げたのに対抗して、EARTH、Folder5などとともにライジング系女性アイドルの集団を作って売り出す。
#**満島ひかりはFolder5の活動がメインとなり、現実ほど女優に力を入れていなかった。
#ハロープロジェクトは現実と違いSPEEDに押されていた。
#2ちゃんねるに「SPEED板」が出来ていた。
#つんくが曲を提供することもなかったはず。
#オフィシャルサイト「SPEED ARENA」が未だに公開されていたはず
#AKBには負けていた・・かな?


[[category:東海旅客鉄道|ろせんへつ]]
===ZONE===
[[category:JR路線|とうかい]]
#プリンセス・プリンセスと並んだ後ヒットが終わる。
#北海道出身ということで[[北海道日本ハムファイターズ|このチーム]]の応援歌を歌っていたかも。
#*[[北海道コンサドーレ札幌|このチーム]]も。
#あの花のEDに「secret base 〜君がくれたもの〜」が使用されなかったかも。
#MIZUHOが石橋貴明に「{{あきまへん}}の先」呼ばわりされなかったらMIZUHOは見切りをつけて脱退することなく、解散に追い込まれることはなかっただろう。
#*そもそもMIZUHOは芸能活動に意欲をなくすことはなかった。
#MARIAもなかった。
#史実では3人で再結成→TOMOKA引退→MIYU契約解除→活動終了となったが、メンバーチェンジを繰り返していた。
 
==たな行==
===ザ・タイガース===
#岸部兄弟の2人は史実ほど俳優業に力を入れなかった。
#*『西遊記』(堺正章版)の沙悟浄役は別の俳優になっていた。
#*岸部シローは『ルックルックこんにちは』の司会に抜擢されることもなかった。
#**事業に手を出したり自己破産に追い込まれたりすることもなかっただろう。
#*岸部大輔(一徳の息子)が加入したかもしれない。
#瞳みのるは芸能界を引退せず、高校教師になったり中国語の教本を出したりすることはなかった。
#*実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
#**そもそもそのコンサート自体なかったかも。
#沢田研二の曲のいくつかはザ・タイガースのものになっていた。
#森本太郎の「タローとアルファベッツ」や「森本タローとスーパースター」はなかった。
#グループサウンズブームはもっと続いていた。
 
===チェキッ娘===
#モーニング娘。をライバル視していた。
#『DAIBAクシン!!』は打ち切られることはなかった。
#熊切あさ美は崖っぷちアイドルとして売り出すことはなかった。
#『電波少年的15少女漂流記』にはメンバー全員参加していた。
#アイドリング!!!は結成されなかった。
#藤岡麻美がディーン・フジオカの妹ということもあってか、彼は「アイドルグループのメンバーの兄」で売り出すことができていた。
 
===チューリップ===
*1989年にいったん解散したチューリップ。もし活動を続けていたら・・・・。
#「ひとつ屋根の下」で使われた「サボテンの花」は財津和夫がリテイクしたものではなく、オリジナルのチューリップのものが使われていた。
 
===TMN===
#TMN→TM NETWORKへの再改名というのもあったかもしれない。
#*あるいはTM INTERNET-WORKに改名していた。
#小室プロデュースの歌手が大量に世の中に出る事はなかった。
#*そもそも小室哲哉がプロデュース業に力を入れてなかったらこうなっていただろう。
#globe自体存在しなかった。
#果たして[[エイベックス|avex]]はあそこまで大きくなっただろうか。
#2008年11月4日にあの惨事が起こることもなかった。
#何かと不評なベストアルバムの乱発もなかった。
#B'z、FENCE OF DEFENSE、access等の所謂「TMファミリー」が一堂に会したスペシャルライブが前世紀中には行なわれていた。
#*上記のバンドのメンバーがTMのライブでサポート乃至はゲストで出演という事は実際にあるが。
#上記の再改名という場合でも、TMN名義によるオリジナルアルバムは後数枚リリースされていた。
#おそらく、trf「WORLD GROOVE」に入ってる曲のいくつかはTMNのものになっていたはずである。
#TMN終了後にリリースされた宇都宮隆と木根尚登のソロの楽曲のいくつかはTMの楽曲となっていた。
#*宇都宮隆バージョンの「RUNNING TO HORIZON」はTMバージョンとしてカバーされていたかもしれない。最も現実にはこの曲のカバーはTMの活動再開後にリリースされているが。
#T.M.Revolutionと混同する人が現実以上に多くなっていたかもしれない。
#*あるいは世代に関係なく、「TM」といえばネットワークを思い出す人が多くなっていたか?
 
===day after tomorrow===
#GIRL NEXT DOORは結成されなかった。
#misonoのバラエティ進出はなかった。
#*「クイズ!ヘキサゴン2」のレギュラーになる事もなく、里田まいwith合田姉妹も企画されなかった。
#*おバカタレントの1人として名を馳せることもなく、ブログでの失言で炎上を度々起こすこともなかった。
#*安倍麻美の存在が薄れることもなかった。
#倖田來未の存在が薄れていた。
#*倖田來未がBACK-ONのKENJI03と結婚し、彼がmisonoの義兄になった際には、'''義理の兄と妹が歌手グループのボーカル'''になっていた。
#*というか、エイベックスは倖田來未に力を入れることはなかったのでは?
#ELTの仕事を奪っていた。
 
===dos===
#KABA.ちゃんはオカマタレントとして再ブレイクすることはなかった。
#*但しダンサー・振付師として一定の知名度は保っていただろう。
#*去勢することもなかった。
#西野妙子は女優に復帰することはなかった。
#Kiss Destinationはなかっただろう。
#*吉田麻美は小室哲哉と結婚したり離婚したりすることもなかった。
#小室ファミリーの黒歴史が減っていた。
 
===D'ERLANGER===
2007年に再結成したが、ここでは「もしブランクがなく活動を続けていたら」という前提で。
#史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
#BODYは結成されなかった。
 
==は行==
===B.B.クイーンズ===
#数多くのアニソンをリリースしていた。
#*ただしお子様ソング路線を維持しているため、現在のアニソンがJ-POPばかりになることもなかった。
#Mi-keが活動休止することもなかった。
#名前の縁でトヨタbBのCMに出演していたかCMソングを歌っていた。
 
===光GENJI===
#SMAPの良き兄貴分となっていた。
#*むしろSMAPが史実ほど人気が出ていなかった可能性がある。
#「勇気100%」はミリオンヒットになっていた。
#少年隊の影が薄くなっていた。
#*少年隊のほうが先に解散していた。
#諸星和己は史実の木村拓哉的存在になっていた。
#*もちろん暴露本なんて発表しない。
#*40近くになっても合言葉は「こんばんはー!」。
#赤坂晃がクスリで逮捕されることもなかった。
#V6・嵐などが結成されることもなかった。
#*グループが粗製濫造されることはもちろんなかった。
#*V6はともかく嵐は結成されていたのでは?世代も違うし。
#*V6は期間限定で終わっていたのでは?
#Kis-my-ft2もデビューに至らなかったか路線が変わっていた。
#ジャニーズはSMAPに力を入れることはなかった。
 
===美少女クラブ31===
2007年以降、事実上活動を休止した美少女クラブ31ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
#X21は結成されなかった。
#剛力彩芽や武井咲がメンバー入りしていた。
#名前の縁でサーティーワンアイスクリームのイメージキャラクターを務めていた。
#AKB48に対抗して研究生制度を導入していた。
#*欠員が出たらその都度昇格する体制を取っていた。
#テレビ朝日はももクロ推しをしていなかった。
#*アップフロントとの関係も修復されることもなかった。
#オスカープロモーションの黒歴史が減っていた。
#ハロプロの仕事のいくつかを奪っていた。
#*ライジングプロダクション(当時はヴィジョンファクトリー)も追い詰めていた。安室離脱と共に事務所解散なんて可能性も。
#*モー娘。に至ってはかなりの影響があった。
#*DreamもE-girlsに合流する前に解散していた。
#グラビアにも本格的に進出し、グラビアアイドルの仕事も奪っていた。
#*史実の乃木坂46よろしくモデルにも進出。
#*篠○愛が「美少女クラブウザイ」発言をして物議を醸していた。
#**この一件でグラビアへの進出にとどめを刺したかも。
#それでもAKBには負けていただろう。
#*むしろ存在が薄れていたかも。
 
===Folder5===
#メンバーチェンジくらいはあったかな?
#*あったとしたら、DA PUMPみたいに沖縄アクターズ以外からの加入だった。
#HIKARIが女優に転向することはなかった。
#AKINAもShiny Lipsを結成せず、ビビる大木との結婚もなかった。
#三浦大知復帰の際に「三浦大知 with Folder5」としてコラボしていたかも。
 
===The Flipper's Guitar===
#小沢健二のソロ曲がフリッパーズ・ギター名義で発表されており、小山田のボーカルで歌われる。
#*小沢健二の代わりにフリッパーズ・ギターがNHK紅白歌合戦に出場していた。
#「今夜はブギーバック」がスチャダラパー×フリッパーズ・ギターで発表される。
#そもそも「渋谷系」が有ったかどうかも分からない。
#2004年のエイプリルフールに「エイプリルズ、バンド名をフリッパーズギターに改名」と発表されることもなかった。
 
===THE BLUE HEARTS===
#ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズの結成はなかった。
#*これらの楽曲もブルーハーツ名義で出ていたのかな?
#*たぶん出ていた。
#*1995年以降、史実のハイロウズのようにシュールな歌詞の曲が多くなりファンの間では賛否両論分かれた。
#河口が新興宗教に没頭していないので、「幸福の生産者」という曲は存在しない。
#*ていうか「PAN」自体出てない。
#2004年頃、自衛隊のイラク派遣を受けて「すてごま」をセルフカバーしていた。
#史実ではハイロウズが務めた、セックス・ピストルズの日本公演の前座を務めていたかもしれない。
#アメリカ同時多発テロを痛烈に皮肉った曲をリリースしていた。
#今ごろ紅白に出場していたかもしれない。
#チルドレンによる青春パンクブームは起こらない。
 
===BLUE BOY===
#川崎フロンターレの応援歌を歌っていたかもしれない。
#ドラムの青木慶則が「自分一人で活動したい。」という心の声が大きくなったことが原因で脱退していた。(史実ではこれが原因で解散した。)
 
===BaBe===
#Winkと二分される存在になっていた。
#*Winkとキャラが被ることで解散に追い込まれたとみなされることはなかった<!--実際は二階堂ゆかりが結婚引退したため-->。
#*Winkをライバル視していた。
#その後は脱ユーロビート路線に転じていた。
#*その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
#**更にその縁でピンクレディーの曲もカバーしていた。
#**平成のピンクレディーと呼ばれていた。
#所属事務所であるエスワンカンパニーが破綻することはなかった。
#1990年頃に予定されていたコンサートツアーが中止になることはなかった。
#「名前の縁」で映画『ベイブ』の主題歌を歌っていた。
#*そして海外進出を果たしていた。
 
===BOØWY===
#1990年代以降もヒット曲を連発。ビーイング系アーティストなどの強力なライバルとして君臨。
#*しかし、松本孝弘、増崎孝司、増田隆宣、生沢佑一をレコーディングに参加していた。
#個々のソロ活動はバンド活動が一段落した合間に行われる。
#*De-LAXは登場しなかったかもしれない。
#*しかしCOMPLEXは元々から期間限定ユニットだったので登場しているかも。
#CMやドラマ主題歌のタイアップは多いが、BOØWYとしての音楽番組への出演は頑なに拒否し続ける。
#*布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
#**しかし映画やCMには積極的に出演する。これは史実通り。
#*ヒムロックも史実通り『HEY! HEY! HEY!』のみに出演番組を絞っている。
#M田氏への事件発覚後、ヒムロックが謝罪会見を行い、2007年後半はグループ活動を自粛。
#布袋様のソロ曲のうち何作かがBOØWY名義で発表されており、ヒムロックのボーカルで歌われている。
#*氷室ボーカルの「スリル」って…、{{極小|<s>ちょっと怖いもの見たさ</s>}}すげえ、聞いてみてえw
#松井さんは変わらずに不動の8(エイト)を刻み続けている。
#高崎市が聖地化。
#いつの頃からか、まこっちゃんのステージパフォーマンスが一番派手になってる。
#布袋様が女性関連のスキャンダルの度に、ヒムロックが謝罪する。
#山下久美子もしくは今井美樹のツアー・レコーディングに全メンバー参加。
#98年までは大晦日の[[東京ドーム]]公演を[[X JAPANファン|X JAPAN]]と奪い合いそう。
 
===BODY===
#史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
#CRAZEの結成、D'ERLANGERの再結成はなかった。
#*よって「I LOVE YOU」は2014年現在に至るまで「BODYの楽曲」として認知されていた。
#*CRAZEの存在がなかった=[[男性グループ歌手ファン/さ~な行#D-SHADE.E3.83.95.E3.82.A1.E3.83.B3|D-SHADE]]も存在しなかった。
#藤崎賢一はソロ、飯田成一は別バンドで活動してた。
#ラルクはブレイクしなかった、あるいはブレイクが遅れていた可能性もある。
 
==ま〜わ行==
===MAGIC===
#小坂、菅井脱退以後、RODEOとの合流を待って、LOUDNESSのような再生時代に入っていた。
 
===ミニモニ。===
*ミカのハロー!プロジェクト卒業により活動を休止したミニモニ。だが、その後も活動を続けていたら?
#ミカの卒業後、紆余曲折ありメンバーを入れ替えながら活動継続
#*この紆余曲折のせいで、今頃初代メンバーとして各番組で紹介できるのは辻のみになっていた。
#楽曲が幼稚園、保育園のお遊戯で使用されていた
#*子供たちの支持を受け他のハロプロユニットの人気も上昇していた。
#『おはスタ』に引き続き出演し続けていた。
#「新ミニモニ。」はなかった。
#*史実の新ミニモニ。メンバーはメンバーチェンジの際に順次本家ミニモニ。に加入していた。
#イロモノアイドルグループとしてももクロと人気を二分していた。
#*だがももクロには負けていた。
#*渡り廊下走り隊とも人気で張り合っていたかも。
#ギャルルは結成当初からあべべ(安倍麻美)がメンバーだった。
#「いぬモニ。」は登場しなかっただろう。
 
===ラッツ&スター===
#田代まさしと桑野信義は芸人に転向することはなかった。
#*志村けんと関係を持つこともなかった。
#*田代まさしは「ダジャレの帝王」と呼ばれることもなかった。
#*『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ版)の爺は誰がやっていたのだろうか。
#**ボケもツッコミも両方できるという点で伊東四朗さんか加トちゃん辺りかなあ。
#*そもそもメンバー仲がギクシャクしていなかったらこうなっていただろう。
#**=[[もしあの芸能人が性犯罪を犯していなかったら#シャネルズ|性犯罪がなかったら]]、である。
#田代まさしは{{あきまへん}}に走ることもなかった。
#*「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
#**この場合、(同時期に逮捕された)稲垣メンバー祭りが史実以上に加熱していた。
#鈴木聖美との関係がもっと親密になっていた。
#*鈴木聖美がメンバー入りし、男女混成ユニットになっていた。
#史実で鈴木雅之名義でリリースされた曲はラッツ&スター名義でリリースされていた。
#ゴスペラッツも結成されなかったかもしれない。
 
===REV===
<!--実質ソロユニットですが、形の上で解散しているため、ここに記載-->
#出口雅之として再出発することはなかった。
#LIVやRev. from DVLとの混同が起きていた。
#名前の縁でアイオメガの記憶媒体であるREVのイメージキャラクターを務めていた。
#*REVの普及を促進をしていた。
 
===ザ・ワイルドワンズ===
ザ・ワイルドワンズは1971年に一度解散するも、10年が経過して加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズとして再結成されましたが、もし、解散せず空白期間がなかったら?
 
#「加瀬邦彦と」の冠はもちろん付かないままだった。
#「ザ・ワイルドワンズ'91」もなかったか?
#*「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」もなかっただろう。
#渡辺茂樹がバンドを転々とすることもなかった。
#加瀬邦彦も自殺しなかった?
#サザンオールスターズにも何らかの影響を与えていた。場合によってはコラボも実現したかもしれない。
#*ひょっとしたらワイルドワンズもアミューズ所属になっていたかもしれない(アミューズ創業者が最初にマネジメント担当したのがワイルドワンズだった)。
 
===wuz↑b?(ワサビ)===
2002年に解散したwuz↑b?ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
#メンバーチェンジを行っていたかもしれない。
#植物のワサビを「wuz↑b?」と書く人が増えていた。
 
===WANDS===
#その後もメンバーチェンジを何度も繰り返していた。
#*ボーカルの場合は上杉昇に似た歌声をさせられる。
#*ただし、木村だけはずっと脱退せずに残リ続けた。
#**そして、彼の事実上のソロプロジェクトとなっていた。
#**それでも音楽性の違いで脱退したのでは?
#**第3期の体制を現在に至るまで堅持していたら和久二郎はバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することもなかった。
#***=もしメンバーチェンジに成功していたら、といえる。
<!--#*和久二郎が現在に至るまで残留ならバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することはなかった。-->
#*上杉以外のメンバー復帰もあり得た。<!--上杉は自分のやりたい事を志向している以上、ビーイングとこじれているため-->
#B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
#「[[名探偵コナン]]」の主題歌の常連になっていた。
 
==関連項目==
*[[もしあの歌手グループが解散していたら]]
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 芸能史|あのかしゆくるうふかかいさんかつとうていししていなかつたら]]

2021年10月31日 (日) 12:21時点における版

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独立項目

あか行

EE JUMP

  1. 「EE JUMP COLLECTION 1」は予定どおり発売されていた。
  2. ユウキは×××××に走ることもなかった。
  3. 後藤真希の活動休止もなかった。
  4. それでもソニンは舞台出演をきっかけにしてそちらに専念する為脱退したかも。

Wink

1980年代後半から90年代半ばにかけて活躍し、1996年3月に活動を停止した鈴木早智子、相田翔子の二人組ユニットWinkですが、もし活動を停止しなかったらどうなっていたでしょう?

  1. 史実よりも早く、音楽活動からバラエティ、ドラマへと活躍の場を移していた。
    • 同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
      • ウルルンの司会も翔子、早智子が1週交代で務めていたかも…
  2. 新曲のリリースは年1回程度になるが、コンサートだけは毎年必ずやっていた。
  3. 二人が司会のバラエティ番組が、深夜帯で放送された。
  4. 80年代、90年代前半のアイドルを振り返る番組には、二人でゲスト出演した。
  5. さっちんが脱ぐことはなかった(泣)
    • AV出演疑惑が出ることもなかった。
    • というか、さっちんの活動が迷走することはなかった。
      • 「ASAYAN」の再起にかけるオーディションに出演することもなく、気の強い女ぶりを晒すことはなかった。
      • 事務所移籍で迷走することもなかった。
      • クスリに手を出して倒れることもなかった。
      • 不倫騒動もなかった。
  6. 相田翔子が「しょこたん」と呼ばれていた?
    • あるいははいだしょうこと間違えられていた。
    • 同様にさっちんがこのモデルと間違えられていた。

X JAPAN

  1. hideが謎の死を遂げることはなかった。
  2. TOSHIがトラブルに巻き込まれることもなかった。
    • でも、TOSHIがああなったから解散したわけだから…
  3. YOSHIKIがもっと早く体を壊していた。
    • それでYOSHIKIがピアノに専念することになったため、ドラムスが打込みになるか、6人目のメンバーが登場…って、なんかヤだなw

男闘呼組

  1. TOKIOのデビューが遅れていた。あるいはバンドとしてデビューしなかった。
    • 城島・山口はジャニーズを出て別のバンドを結成していたかも。
  2. 後にバンドごとジャニーズから独立して本格的ロックバンドとして大成していた。
  3. 男闘呼組としての音楽活動がメインになるため、個々の俳優活動は現実よりも縮小されている。
    • 高橋和也がイ・ビョンホンの吹き替えをすることもなかった。
  4. それでも岡本健一の息子は史実通りジャニーズ事務所に入っていた。
  5. 上杉昇、坂井泉水、小田佳奈子、川島だりあ、秋元康、船橋孝樹などの作詞を歌っていた。
  6. シャ乱Q、T-BOLAN、BAAD、ZYYG、MAGICをライバルだと認識していた。
  7. 樋口宗孝、上領亘、角田美喜をサポートドラマーにしていた。

girl next door

ボーカルの千紗が北島康介との結婚で解散したgirl next door。もし解散しなかったら。

  1. avex 所属の紅白歌合戦出場歌手とレコ大受賞歌手がAAAのみになることはなかった。
  2. day after tomorrowの曲をカバーしていた。
  3. 北島康介の現役引退の時に何らかの形でメッセージを出していた。
  4. 千紗は結婚引退していなかったらこうなっていただろう。

キャンディーズ

  • 普通の女の子に戻らなかったら?
  1. モー娘。並みの大人数になる。
    • 途端に人気急降下。
  2. 単に普通のオバサンになってたにすぎない。
  3. 伊藤蘭は水谷豊と結婚しなかった。
  4. アミューズ設立に関わっていた。
  5. 「プロポーズ大作戦」(ABC)最終回に出演して「ラッキーチャンスを逃がさないで」を生で披露していた。
  6. 今のように名前が残らない可能性があった。
    • 麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
      • その場合、南海キャンディーズも別のコンビ名を付けていたかもしれない。
  7. ザ・ハンダース「ハンダースの想い出の渚」の物真似のネタにキャンディーズが登場しなかった。
  8. 山口百恵も結婚後芸能界を引退しなかったかもしれない。
  9. いつまでも全キャン連が存続していた。
  10. 微笑がえしはベストテンに何ヶ月もランクインし続けたりはしなかった。
  11. 田中好子死去とともに解散したかも。
  12. 日本レコード大賞の何らかの部門賞を受賞していたかもしれない(史実ではどの部門賞も受賞していない)。

さ行

THE GOOD-BYE

1990年に活動休止に入った後、2003年に活動再開しましたが、もし休止期間がなかったら?

  1. 男闘呼組やTOKIOに何らかの影響を与えていた。
  2. いずれにしろ、どこかのタイミングでジャニーズ事務所を退所していたと思う。
  3. ヨッちゃんが浜崎あゆみのバックでギターを弾くこともなかったか?

Cyber Nation Network

平間あきひこ(Professor H)とSister MAYOのユニット

  1. 現在でもアニソン中心で活動。水樹奈々やLiSAに多々影響を与えていたかも。
  2. MAYOのProject.R入りはなかった。

C.C.ガールズ

  1. 3代目C.C.ガールズとして活動していた。
  2. 以降もメンバーチェンジを繰り返していた。

シブがき隊

  1. =光GENJIのブレイクがなかったら、である。
  2. 3人とも事務所を移籍することなく、ジャニーズに残留し続けていた。
  3. 少年隊の良きライバルとなっていた。
  4. 仮に解散がなくても少年隊の様にソロ中心になっていたかもしれない。

シャインズ(SHINE'S)

伊藤ようすけ(東京プリン)と杉村太郎のユニット

  1. =「杉村太郎の実業家転身がなかったら」である。
  2. 東京プリンの結成はなかった。

Sugar Babe

  1. 大瀧詠一がメンバー入りしていたかもしれない。
  2. イギリスの女性グループ「Sugarbabes」とグループ名が混同される。

JUDY AND MARY

  1. YUKIは今でもソニーと契約更新してた。また、バンドとソロの両方で東京ドーム公演をした最初の女性アーティストにもならなかった。
  2. それでも恩田快人は脱退していたかも知れない。

杉山清貴&オメガトライブ

  1. カルロス・トシキはソロを続けていた。
  2. 「1986」「カルロス・トシキ&」名義の楽曲もいくつかは「杉山清貴&」名義でリリースされていた。

SPEED

2008年に再結成したSPEED、もし解散することなく現在まで活動を続けていたら?

  1. プロデューサーが伊秩から変わった可能性あり。
    • どっちみちそのタイミングでトイズからエイベックス移籍は免れられなさそう。
  2. 今井絵理子ができ婚で脱退。AKINAあたりが新メンバーになっていた。
    • この後にメインヴォーカルが上原多香子+島袋寛子とする曲がいっぱい作られる。プロデューサーはTommy February 6。
    • 仮に今井絵理子が脱退しなかった場合参議院議員になることはなかった。
      • 不倫騒動もなかった。
  3. それでも第四のメンバーの地位は第四位のまま。ネタキャラとしての地位はダントツだったろうけど
  4. 逆にMAXが解散していた。
  5. 全員のソロシングルを同日発売、なんてことをしていたかもしれない。
  6. 2000年以降、CDの売上は低落傾向になるが、それでも芸能界における一定の地位を維持。
    • 所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
      • 平氏の逮捕劇が起きなかった。
    • モーニング娘。がハロープロジェクトを立ち上げたのに対抗して、EARTH、Folder5などとともにライジング系女性アイドルの集団を作って売り出す。
      • 満島ひかりはFolder5の活動がメインとなり、現実ほど女優に力を入れていなかった。
  7. ハロープロジェクトは現実と違いSPEEDに押されていた。
  8. 2ちゃんねるに「SPEED板」が出来ていた。
  9. つんくが曲を提供することもなかったはず。
  10. オフィシャルサイト「SPEED ARENA」が未だに公開されていたはず
  11. AKBには負けていた・・かな?

ZONE

  1. プリンセス・プリンセスと並んだ後ヒットが終わる。
  2. 北海道出身ということでこのチームの応援歌を歌っていたかも。
  3. あの花のEDに「secret base 〜君がくれたもの〜」が使用されなかったかも。
  4. MIZUHOが石橋貴明に「×××××の先」呼ばわりされなかったらMIZUHOは見切りをつけて脱退することなく、解散に追い込まれることはなかっただろう。
    • そもそもMIZUHOは芸能活動に意欲をなくすことはなかった。
  5. MARIAもなかった。
  6. 史実では3人で再結成→TOMOKA引退→MIYU契約解除→活動終了となったが、メンバーチェンジを繰り返していた。

たな行

ザ・タイガース

  1. 岸部兄弟の2人は史実ほど俳優業に力を入れなかった。
    • 『西遊記』(堺正章版)の沙悟浄役は別の俳優になっていた。
    • 岸部シローは『ルックルックこんにちは』の司会に抜擢されることもなかった。
      • 事業に手を出したり自己破産に追い込まれたりすることもなかっただろう。
    • 岸部大輔(一徳の息子)が加入したかもしれない。
  2. 瞳みのるは芸能界を引退せず、高校教師になったり中国語の教本を出したりすることはなかった。
    • 実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
      • そもそもそのコンサート自体なかったかも。
  3. 沢田研二の曲のいくつかはザ・タイガースのものになっていた。
  4. 森本太郎の「タローとアルファベッツ」や「森本タローとスーパースター」はなかった。
  5. グループサウンズブームはもっと続いていた。

チェキッ娘

  1. モーニング娘。をライバル視していた。
  2. 『DAIBAクシン!!』は打ち切られることはなかった。
  3. 熊切あさ美は崖っぷちアイドルとして売り出すことはなかった。
  4. 『電波少年的15少女漂流記』にはメンバー全員参加していた。
  5. アイドリング!!!は結成されなかった。
  6. 藤岡麻美がディーン・フジオカの妹ということもあってか、彼は「アイドルグループのメンバーの兄」で売り出すことができていた。

チューリップ

  • 1989年にいったん解散したチューリップ。もし活動を続けていたら・・・・。
  1. 「ひとつ屋根の下」で使われた「サボテンの花」は財津和夫がリテイクしたものではなく、オリジナルのチューリップのものが使われていた。

TMN

  1. TMN→TM NETWORKへの再改名というのもあったかもしれない。
    • あるいはTM INTERNET-WORKに改名していた。
  2. 小室プロデュースの歌手が大量に世の中に出る事はなかった。
    • そもそも小室哲哉がプロデュース業に力を入れてなかったらこうなっていただろう。
  3. globe自体存在しなかった。
  4. 果たしてavexはあそこまで大きくなっただろうか。
  5. 2008年11月4日にあの惨事が起こることもなかった。
  6. 何かと不評なベストアルバムの乱発もなかった。
  7. B'z、FENCE OF DEFENSE、access等の所謂「TMファミリー」が一堂に会したスペシャルライブが前世紀中には行なわれていた。
    • 上記のバンドのメンバーがTMのライブでサポート乃至はゲストで出演という事は実際にあるが。
  8. 上記の再改名という場合でも、TMN名義によるオリジナルアルバムは後数枚リリースされていた。
  9. おそらく、trf「WORLD GROOVE」に入ってる曲のいくつかはTMNのものになっていたはずである。
  10. TMN終了後にリリースされた宇都宮隆と木根尚登のソロの楽曲のいくつかはTMの楽曲となっていた。
    • 宇都宮隆バージョンの「RUNNING TO HORIZON」はTMバージョンとしてカバーされていたかもしれない。最も現実にはこの曲のカバーはTMの活動再開後にリリースされているが。
  11. T.M.Revolutionと混同する人が現実以上に多くなっていたかもしれない。
    • あるいは世代に関係なく、「TM」といえばネットワークを思い出す人が多くなっていたか?

day after tomorrow

  1. GIRL NEXT DOORは結成されなかった。
  2. misonoのバラエティ進出はなかった。
    • 「クイズ!ヘキサゴン2」のレギュラーになる事もなく、里田まいwith合田姉妹も企画されなかった。
    • おバカタレントの1人として名を馳せることもなく、ブログでの失言で炎上を度々起こすこともなかった。
    • 安倍麻美の存在が薄れることもなかった。
  3. 倖田來未の存在が薄れていた。
    • 倖田來未がBACK-ONのKENJI03と結婚し、彼がmisonoの義兄になった際には、義理の兄と妹が歌手グループのボーカルになっていた。
    • というか、エイベックスは倖田來未に力を入れることはなかったのでは?
  4. ELTの仕事を奪っていた。

dos

  1. KABA.ちゃんはオカマタレントとして再ブレイクすることはなかった。
    • 但しダンサー・振付師として一定の知名度は保っていただろう。
    • 去勢することもなかった。
  2. 西野妙子は女優に復帰することはなかった。
  3. Kiss Destinationはなかっただろう。
    • 吉田麻美は小室哲哉と結婚したり離婚したりすることもなかった。
  4. 小室ファミリーの黒歴史が減っていた。

D'ERLANGER

2007年に再結成したが、ここでは「もしブランクがなく活動を続けていたら」という前提で。

  1. 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
  2. BODYは結成されなかった。

は行

B.B.クイーンズ

  1. 数多くのアニソンをリリースしていた。
    • ただしお子様ソング路線を維持しているため、現在のアニソンがJ-POPばかりになることもなかった。
  2. Mi-keが活動休止することもなかった。
  3. 名前の縁でトヨタbBのCMに出演していたかCMソングを歌っていた。

光GENJI

  1. SMAPの良き兄貴分となっていた。
    • むしろSMAPが史実ほど人気が出ていなかった可能性がある。
  2. 「勇気100%」はミリオンヒットになっていた。
  3. 少年隊の影が薄くなっていた。
    • 少年隊のほうが先に解散していた。
  4. 諸星和己は史実の木村拓哉的存在になっていた。
    • もちろん暴露本なんて発表しない。
    • 40近くになっても合言葉は「こんばんはー!」。
  5. 赤坂晃がクスリで逮捕されることもなかった。
  6. V6・嵐などが結成されることもなかった。
    • グループが粗製濫造されることはもちろんなかった。
    • V6はともかく嵐は結成されていたのでは?世代も違うし。
    • V6は期間限定で終わっていたのでは?
  7. Kis-my-ft2もデビューに至らなかったか路線が変わっていた。
  8. ジャニーズはSMAPに力を入れることはなかった。

美少女クラブ31

2007年以降、事実上活動を休止した美少女クラブ31ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?

  1. X21は結成されなかった。
  2. 剛力彩芽や武井咲がメンバー入りしていた。
  3. 名前の縁でサーティーワンアイスクリームのイメージキャラクターを務めていた。
  4. AKB48に対抗して研究生制度を導入していた。
    • 欠員が出たらその都度昇格する体制を取っていた。
  5. テレビ朝日はももクロ推しをしていなかった。
    • アップフロントとの関係も修復されることもなかった。
  6. オスカープロモーションの黒歴史が減っていた。
  7. ハロプロの仕事のいくつかを奪っていた。
    • ライジングプロダクション(当時はヴィジョンファクトリー)も追い詰めていた。安室離脱と共に事務所解散なんて可能性も。
    • モー娘。に至ってはかなりの影響があった。
    • DreamもE-girlsに合流する前に解散していた。
  8. グラビアにも本格的に進出し、グラビアアイドルの仕事も奪っていた。
    • 史実の乃木坂46よろしくモデルにも進出。
    • 篠○愛が「美少女クラブウザイ」発言をして物議を醸していた。
      • この一件でグラビアへの進出にとどめを刺したかも。
  9. それでもAKBには負けていただろう。
    • むしろ存在が薄れていたかも。

Folder5

  1. メンバーチェンジくらいはあったかな?
    • あったとしたら、DA PUMPみたいに沖縄アクターズ以外からの加入だった。
  2. HIKARIが女優に転向することはなかった。
  3. AKINAもShiny Lipsを結成せず、ビビる大木との結婚もなかった。
  4. 三浦大知復帰の際に「三浦大知 with Folder5」としてコラボしていたかも。

The Flipper's Guitar

  1. 小沢健二のソロ曲がフリッパーズ・ギター名義で発表されており、小山田のボーカルで歌われる。
    • 小沢健二の代わりにフリッパーズ・ギターがNHK紅白歌合戦に出場していた。
  2. 「今夜はブギーバック」がスチャダラパー×フリッパーズ・ギターで発表される。
  3. そもそも「渋谷系」が有ったかどうかも分からない。
  4. 2004年のエイプリルフールに「エイプリルズ、バンド名をフリッパーズギターに改名」と発表されることもなかった。

THE BLUE HEARTS

  1. ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズの結成はなかった。
    • これらの楽曲もブルーハーツ名義で出ていたのかな?
    • たぶん出ていた。
    • 1995年以降、史実のハイロウズのようにシュールな歌詞の曲が多くなりファンの間では賛否両論分かれた。
  2. 河口が新興宗教に没頭していないので、「幸福の生産者」という曲は存在しない。
    • ていうか「PAN」自体出てない。
  3. 2004年頃、自衛隊のイラク派遣を受けて「すてごま」をセルフカバーしていた。
  4. 史実ではハイロウズが務めた、セックス・ピストルズの日本公演の前座を務めていたかもしれない。
  5. アメリカ同時多発テロを痛烈に皮肉った曲をリリースしていた。
  6. 今ごろ紅白に出場していたかもしれない。
  7. チルドレンによる青春パンクブームは起こらない。

BLUE BOY

  1. 川崎フロンターレの応援歌を歌っていたかもしれない。
  2. ドラムの青木慶則が「自分一人で活動したい。」という心の声が大きくなったことが原因で脱退していた。(史実ではこれが原因で解散した。)

BaBe

  1. Winkと二分される存在になっていた。
    • Winkとキャラが被ることで解散に追い込まれたとみなされることはなかった。
    • Winkをライバル視していた。
  2. その後は脱ユーロビート路線に転じていた。
    • その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
      • 更にその縁でピンクレディーの曲もカバーしていた。
      • 平成のピンクレディーと呼ばれていた。
  3. 所属事務所であるエスワンカンパニーが破綻することはなかった。
  4. 1990年頃に予定されていたコンサートツアーが中止になることはなかった。
  5. 「名前の縁」で映画『ベイブ』の主題歌を歌っていた。
    • そして海外進出を果たしていた。

BOØWY

  1. 1990年代以降もヒット曲を連発。ビーイング系アーティストなどの強力なライバルとして君臨。
    • しかし、松本孝弘、増崎孝司、増田隆宣、生沢佑一をレコーディングに参加していた。
  2. 個々のソロ活動はバンド活動が一段落した合間に行われる。
    • De-LAXは登場しなかったかもしれない。
    • しかしCOMPLEXは元々から期間限定ユニットだったので登場しているかも。
  3. CMやドラマ主題歌のタイアップは多いが、BOØWYとしての音楽番組への出演は頑なに拒否し続ける。
    • 布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
      • しかし映画やCMには積極的に出演する。これは史実通り。
    • ヒムロックも史実通り『HEY! HEY! HEY!』のみに出演番組を絞っている。
  4. M田氏への事件発覚後、ヒムロックが謝罪会見を行い、2007年後半はグループ活動を自粛。
  5. 布袋様のソロ曲のうち何作かがBOØWY名義で発表されており、ヒムロックのボーカルで歌われている。
    • 氷室ボーカルの「スリル」って…、ちょっと怖いもの見たさすげえ、聞いてみてえw
  6. 松井さんは変わらずに不動の8(エイト)を刻み続けている。
  7. 高崎市が聖地化。
  8. いつの頃からか、まこっちゃんのステージパフォーマンスが一番派手になってる。
  9. 布袋様が女性関連のスキャンダルの度に、ヒムロックが謝罪する。
  10. 山下久美子もしくは今井美樹のツアー・レコーディングに全メンバー参加。
  11. 98年までは大晦日の東京ドーム公演をX JAPANと奪い合いそう。

BODY

  1. 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
  2. CRAZEの結成、D'ERLANGERの再結成はなかった。
    • よって「I LOVE YOU」は2014年現在に至るまで「BODYの楽曲」として認知されていた。
    • CRAZEの存在がなかった=D-SHADEも存在しなかった。
  3. 藤崎賢一はソロ、飯田成一は別バンドで活動してた。
  4. ラルクはブレイクしなかった、あるいはブレイクが遅れていた可能性もある。

ま〜わ行

MAGIC

  1. 小坂、菅井脱退以後、RODEOとの合流を待って、LOUDNESSのような再生時代に入っていた。

ミニモニ。

  • ミカのハロー!プロジェクト卒業により活動を休止したミニモニ。だが、その後も活動を続けていたら?
  1. ミカの卒業後、紆余曲折ありメンバーを入れ替えながら活動継続
    • この紆余曲折のせいで、今頃初代メンバーとして各番組で紹介できるのは辻のみになっていた。
  2. 楽曲が幼稚園、保育園のお遊戯で使用されていた
    • 子供たちの支持を受け他のハロプロユニットの人気も上昇していた。
  3. 『おはスタ』に引き続き出演し続けていた。
  4. 「新ミニモニ。」はなかった。
    • 史実の新ミニモニ。メンバーはメンバーチェンジの際に順次本家ミニモニ。に加入していた。
  5. イロモノアイドルグループとしてももクロと人気を二分していた。
    • だがももクロには負けていた。
    • 渡り廊下走り隊とも人気で張り合っていたかも。
  6. ギャルルは結成当初からあべべ(安倍麻美)がメンバーだった。
  7. 「いぬモニ。」は登場しなかっただろう。

ラッツ&スター

  1. 田代まさしと桑野信義は芸人に転向することはなかった。
    • 志村けんと関係を持つこともなかった。
    • 田代まさしは「ダジャレの帝王」と呼ばれることもなかった。
    • 『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ版)の爺は誰がやっていたのだろうか。
      • ボケもツッコミも両方できるという点で伊東四朗さんか加トちゃん辺りかなあ。
    • そもそもメンバー仲がギクシャクしていなかったらこうなっていただろう。
  2. 田代まさしは×××××に走ることもなかった。
    • 「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
      • この場合、(同時期に逮捕された)稲垣メンバー祭りが史実以上に加熱していた。
  3. 鈴木聖美との関係がもっと親密になっていた。
    • 鈴木聖美がメンバー入りし、男女混成ユニットになっていた。
  4. 史実で鈴木雅之名義でリリースされた曲はラッツ&スター名義でリリースされていた。
  5. ゴスペラッツも結成されなかったかもしれない。

REV

  1. 出口雅之として再出発することはなかった。
  2. LIVやRev. from DVLとの混同が起きていた。
  3. 名前の縁でアイオメガの記憶媒体であるREVのイメージキャラクターを務めていた。
    • REVの普及を促進をしていた。

ザ・ワイルドワンズ

ザ・ワイルドワンズは1971年に一度解散するも、10年が経過して加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズとして再結成されましたが、もし、解散せず空白期間がなかったら?

  1. 「加瀬邦彦と」の冠はもちろん付かないままだった。
  2. 「ザ・ワイルドワンズ'91」もなかったか?
    • 「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」もなかっただろう。
  3. 渡辺茂樹がバンドを転々とすることもなかった。
  4. 加瀬邦彦も自殺しなかった?
  5. サザンオールスターズにも何らかの影響を与えていた。場合によってはコラボも実現したかもしれない。
    • ひょっとしたらワイルドワンズもアミューズ所属になっていたかもしれない(アミューズ創業者が最初にマネジメント担当したのがワイルドワンズだった)。

wuz↑b?(ワサビ)

2002年に解散したwuz↑b?ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?

  1. メンバーチェンジを行っていたかもしれない。
  2. 植物のワサビを「wuz↑b?」と書く人が増えていた。

WANDS

  1. その後もメンバーチェンジを何度も繰り返していた。
    • ボーカルの場合は上杉昇に似た歌声をさせられる。
    • ただし、木村だけはずっと脱退せずに残リ続けた。
      • そして、彼の事実上のソロプロジェクトとなっていた。
      • それでも音楽性の違いで脱退したのでは?
      • 第3期の体制を現在に至るまで堅持していたら和久二郎はバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することもなかった。
        • =もしメンバーチェンジに成功していたら、といえる。
    • 上杉以外のメンバー復帰もあり得た。
  2. B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
  3. 名探偵コナン」の主題歌の常連になっていた。

関連項目