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{{投稿規制|運転マナーに関する過度の批判}}
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==全般==
#教習所でみっちり仕込まれているため、基本的に他地域と比べてかなり運転が丁寧。てか下手だとリアルに事故るほど車が多いから仕方がないんだけどね。
#*しかしその教習所もピンキリ。特に[[茨城]]県南地区の某所の自動車教習所は、18未満でデビューした芸能人が免許を取りにわざわざここに通うという程甘い(というか教官も寝ぼけてる)。
#ちなみに全国各地から単身赴任者や転勤族が集まる[[江坂]]はまさに関東ナンバー車の宝庫。他地方のナンバーもあるが関東が際立って多い。
#やはりと言うか、東京近辺のナンバーはサンデードライバーが多い。


==茨城==
*新規追加は50音順でお願いします。
===水戸ナンバー===
==独立項目==
*1978年4月17日、「茨」から変更(「土浦」の分割に伴う)。
*[[もしおニャン子クラブが解散していなかったら]]
*管轄局・事務所:関東運輸局茨城運輸支局(水戸市)
*[[もしAKB48のユニットが○○だったら]](AKB48系列グループ・派生ユニットはこちらへ)
**管轄地域:水戸市、日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、笠間市、ひたちなか市、鹿嶋市、潮来市、常陸大宮市、那珂市、神栖市、行方市、鉾田市、小美玉市、東茨城郡、那珂郡、久慈郡
**[[もしSDN48が○○だったら#全員卒業がなかったら]]
*登録台数:約80万台
**[[もし渡り廊下走り隊7が○○だったら#解散がなかったら]]
#実は、[[茨城/鹿行|鹿行地域]]も水戸ナンバー
#*東関東道で水戸ナンバーの[[JRバス関東|JRバス]][[関東鉄道]]バスを見かけたら東京~鹿島神宮線(JR:八日市場支店鹿嶋営業所、関鉄:鹿島営業所担当)と考えてください。まあ関鉄は社番に"KS"と付記されていますが・・・
#*大子町(茨城県最北西端)と神栖市(茨城県最南東端)が同じ水戸ナンバーって最早・・
#いろんな意味で土浦ナンバーと比べたらまだマシ。
#八戸や神戸管内では自然に溶け込める
#*もしかして、それは、「○戸」だからというだけ?まさかねぇ~
#首都高では流れに乗れずノロノロ運転。対照的に土浦ナンバーは飛ばしすぎ。
#譲ってもハザード一つもない。ウィンカーおそい。ライトの点灯が遅い、点灯していないことすらわからない。右折の信号でとろとろ曲がって2台位しかいけない。状況判断ができない。いきなり進入してきてとろとろはしる。高速で進路変更時後方確認があますぎ。ウィンカーつけない。
#道を譲るとほとんどの場合、ハザードを点けて礼をしてくれる。
#*運転マナーはかなり悪いが、この礼儀よさとのギャップが大きい。


===土浦ナンバー===
==あか行==
[[土浦ナンバー]]を参照。
===EE JUMP===
#「EE JUMP COLLECTION 1」は予定どおり発売されていた。
#ユウキは{{あきまへん}}に走ることもなかった。
#*そもそも[[もし芸能界であの事件がなかったら/2000年代以降#ユウキ(EE JUMP)一連の非行(2001年〜2002年)|ユウキの非行がなかったらこうなっていた]]
#後藤真希の活動休止もなかった。
#それでもソニンは舞台出演をきっかけにしてそちらに専念する為脱退したかも。


===つくばナンバー===
===Wink===
*2007年2月13日、ご当地ナンバー制度で「土浦」から分割。
1980年代後半から90年代半ばにかけて活躍し、1996年3月に活動を停止した鈴木早智子、相田翔子の二人組ユニットWinkですが、もし活動を停止しなかったらどうなっていたでしょう?
*管轄局・事務所:関東運輸局茨城運輸支局土浦自動車検査登録事務所(土浦市)
**管轄地域:つくば市、古河市、筑西市、結城市、下妻市、坂東市、守谷市、常総市、桜川市、つくばみらい市、結城郡、猿島郡
*登録台数:約52万台
*'''[[茨城/県西#県西地方の噂|茨城・県西地方の噂''']]も参照。
#ご当地ナンバーの一つだが、県の税制関係で他のナンバーと足並みそろえず。
#*で、実際に登録を始めたら、付け替えた車が急増。先発組のご当地ナンバーを抜く勢い。
#まもなく土浦の呪縛から開放される。
#*取手市民や牛久市民の多くは土浦ナンバーから開放されないことにひどく落胆している。
#**ナンバーを変えても中身は変わらないのでマナーの悪いナンバーが1個増えただけ。
#***歩道橋の垂れ幕「つくばナンバーの交通マナーを示そう!」示すマナーなんかあるのか?
#**つくばナンバーのトラックに後ろから煽られた。@福島県
#**つくばナンバーの'''軽'''トラックに後ろから煽られた。@野田市
#***案の定相対的に土浦ナンバーの方が良くなってしまった。つくばとの市境付近を走ってたら、裏路地でろくすっぽすれ違いも出来ない車の後ろに当たってしまった。3台ともつくばナンバーで、しかも3台ともプ○ウスだった……
#TX沿線では県西地区が「つくばナンバー」に入っていることに疑問と不快感も少なくない。
#*県西からも筑波山は見えるからね。それに土浦よりはつくばのほうが県西に近いし
#土が落ちたら今度はつばがついてしまった。
#[[宇都宮線]]に乗ってて車窓を眺めてると、見える車がつくば(or土浦)ナンバーだらけで「えっ」と思う。
#*書いた人は古河が茨城なのは一応知ってたけど、「つくば」とか「土浦」を出されるとサスガに驚いてしまった。イメージとかけ離れすぎてて。
#**宇都宮線の車窓から筑波山見えてるんだよなぁ・・・しかも下り久喜から見えてくるというね。そのことはwikiの宇都宮線ページの沿線概況にも書いてある
#全国でも屈指の人気を誇るご当地ナンバーだろう。
#*それは、単に元がアレだったからでは?
#*施行開始後、1年くらい土浦の陸運局・軽検協がつくばナンバーの申請で大混雑した。土浦ナンバーをつける予定の、特に中古車がこれに巻き込まれて、半日ぐらい納車が遅れたりした。(by巻き込まれた[[土浦ナンバー]]ユーザー)
#*一番人気のご当地ナンバーはどう考えても湘南だろう。もっとも、あれは陸運局の新設によってできたナンバーだからご当地ナンバーではないが・・・
#**古河周辺でも今はつくばナンバーつけてる奴が過半数になってきてる感じがするわ
#***つくばナンバー交付実施になってから10年経つので(2017年10月現在)、つくばナンバー地区の土浦ナンバー車は買い替えや処分時期を迎えてだいぶ減ってきた実感がある。つくナン地区で土浦ナンを付けてる車は車齢10年以上ってことだしな。
#横須賀付近ではよく見かける「Y」ナンバーは茨城ではまったく見かけないが、つくばナンバーにも数台ほどのY登録があるらしい。
#相模原市出身でつくば市在住の人がいたらつくばナンバーを喜んでつけるのか?足立OR練馬出身でも可。


==栃木==
#史実よりも早く、音楽活動からバラエティ、ドラマへと活躍の場を移していた。
===宇都宮ナンバー===
#*同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
*1999年11月15日、「栃木」から変更。
#**ウルルンの司会も翔子、早智子が1週交代で務めていたかも…
*管轄局・事務所:関東運輸局栃木運輸支局(宇都宮市)
#新曲のリリースは年1回程度になるが、コンサートだけは毎年必ずやっていた。
**管轄地域:宇都宮市、鹿沼市、日光市、真岡市、矢板市、さくら市、那須烏山市、下野市、河内郡、芳賀郡、下都賀郡(壬生町)、塩谷郡、那須郡(那珂川町)
#二人が司会のバラエティ番組が、深夜帯で放送された。
*登録台数:約66万台
#80年代、90年代前半のアイドルを振り返る番組には、二人でゲスト出演した。
#現在の栃木県内のナンバーでは唯一、ブーイングや批判の類が出ていない。
#さっちんが脱ぐことはなかった(泣)
#*宇都宮=栃木県の中心都市って考え方が北部を中心に広がっているためだと思われる。
#*AV出演疑惑が出ることもなかった。
#**県南東部住みだけど、全くその通りだと思っている。足利以外みなそう思ってるかと。
#*というか、さっちんの活動が迷走することはなかった。
#関東一安全運転に気を遣わないナンバーなので見たときは要注意。(後述の「とちぎ」、「那須」ナンバーも含む)
#**「ASAYAN」の再起にかけるオーディションに出演することもなく、気の強い女ぶりを晒すことはなかった。
#*信号が赤に変わっても全くの無視で猛スピードで通過してくるので、右折するときは事故らないように注意すること。
#**事務所移籍で迷走することもなかった。
#**宇都宮ナンバーだけどさすがにそれはやらない、人によるんじゃない?
#**クスリに手を出して倒れることもなかった。
#*ウィンカーを出すタイミングがかなり遅い、車線変更時もウィンカーを出さずに変更してくる。
#**不倫騒動もなかった。
#*基本的に歩行者、自転車という文字は一切入ってないので、交差点や横断部分などでこのナンバーを見たら警戒すること。
#相田翔子が「しょこたん」と呼ばれていた?
#**ここ数年はロードバイクがかなり増えて運転する側は相当ヒヤヒヤする(県も流行らそうとしてるし)。
#*あるいははいだしょうこと間違えられていた。
#*大阪でも吹田JCTから名神高速に合流したとたん、急加速。追い越し車線に猛突進。ちなみにレガシーでした。
#*同様にさっちんが[[wikipedia:ja:鈴木サチ|このモデル]]と間違えられていた。
#*もう'''全員走り屋'''と言っても何の違和感がありません(by埼玉の若葉マーク)
#*真岡あたりだともうマナーとかありえない。真岡のコナカとかカンセキとかがあるガソスタ前の大きな交差点でいきなりセルシオがクラックション鳴らしたかと思うと交差点を斜めにガソスタから目の前の宝石・時計店に渡って行った。今ではそのガソスタはセルフとなり、斜めに抜けられる出口が消えたためそれはないと思うけど。
#ウィンカーを出さないDQNが多すぎる!
#*とちぎ、那須ナンバーにも言える。
#**宇都宮ナンバーの方がより悪いだろ。
#尚、今でも同市内のあちこちで先代の栃木ナンバーを見かけることが出来る。
#*埼玉県でも。
#*群馬県でも。


===那須ナンバー===
===X JAPAN===
*2006年10月10日、ご当地ナンバー制度で「宇都宮」から分割。
#hideが謎の死を遂げることはなかった。
*管轄局・事務所:関東運輸局栃木運輸支局(宇都宮市)
#TOSHIがトラブルに巻き込まれることもなかった。
**管轄地域:大田原市、那須塩原市、那須郡(那須町)
#*でも、TOSHIがああなったから解散したわけだから…
*登録台数:約12万台
#YOSHIKIがもっと早く体を壊していた。
#'''[[栃木/北部#那須烏山市の噂|那須烏山市]]'''は蚊帳の外
#*それでYOSHIKIがピアノに専念することになったため、ドラムスが打込みになるか、6人目のメンバーが登場…って、なんかヤだなw
#*あんな所に那須ナンバーに入れるのは無理があるかと…
#*合併前に「那須郡」であったことこそ、不自然だった。
#*戦国那須氏の拠点は烏山なので、不自然でも何でもありません。
#*南那須地区が宇都宮ナンバーである事の方が不自然であるかと…
#喜んでいるのは他の地域から来た人だけで、土着民はブーイングらしい。
#*宇都宮やとちぎより遥かにいいと思うが。 by他地域住民
#**「とちぎ」と比較したら、どこだって遥かに良いだろう。
#*那須ナンバーが嫌で誕生前に駆け込みで宇都宮ナンバー車を購入した人も多く存在する。
#**那須地区が宇都宮ナンバーなのも違和感があった。「栃木」ナンバーのままが良かった。
#*「那須」という言葉から連想されるもの
#**地元民→宇都宮より田舎の地元の風景
#**他地方民(特に南関東人)→[[東北自動車道|東北道]]の西側地域(東京の植民地)、皇室、高原リゾート
#**こんな調子なので、地元民は那須という言葉にプラスイメージがあることをまったく自覚していない。
#**観光客の言う那須(東北道以西):観光地、地元民の言う那須(東北道以東):寒村・寂れた駅前・ろくに整備されていない国道4号線・林立するロードサイド店舗。
#栃木一しゃれたナンバー
#*と、観光でしか来ない人が勘違いしている。


===とちぎナンバー===
===男闘呼組===
*1999年11月15日、「宇都宮」から分割。
#TOKIOのデビューが遅れていた。あるいはバンドとしてデビューしなかった。
*管轄局・事務所:関東運輸局栃木運輸支局佐野自動車検査登録事務所(佐野市)
#*城島・山口はジャニーズを出て別のバンドを結成していたかも。
**管轄地域:足利市、栃木市、佐野市、小山市、下都賀郡野木町
#後にバンドごとジャニーズから独立して本格的ロックバンドとして大成していた。
*登録台数:約34万台
#男闘呼組としての音楽活動がメインになるため、個々の俳優活動は現実よりも縮小されている。
#名前でモメにモメた結果、「栃木」ナンバーがあったのに平仮名の「とちぎ」ナンバーが出来てしまった。
#*高橋和也がイ・ビョンホンの吹き替えをすることもなかった。
#*「栃木」(「とちぎ」)ナンバーを出している陸運事務所が佐野にあったので、最初は「佐野」になるはずが、足利市などが反対し、もめた末、ちょうど管内に栃木市があったばかりにそうなったとか。
#それでも岡本健一の息子は史実通りジャニーズ事務所に入っていた。
#*揉めたそれぞれの市の言い分:佐野市「佐野ラーメンという有名な名産品がある我が市がナンバーの地名になるのは当然」。足利市「室町南北朝時代に遡る由緒正しい地名の我が市こそ・・」。小山市「一番人口の多いのは我が市だ!おや~まゆ~うえんち~」
#上杉昇、坂井泉水、小田佳奈子、川島だりあ、秋元康、船橋孝樹などの作詞を歌っていた。
#**鉄ヲタなら、小山を支持しそうだ。でも実際の「No.2」って足利?
#シャ乱Q、T-BOLAN、BAAD、ZYYG、MAGICをライバルだと認識していた。
#***以前は足利が栃木県第2の人口数を誇っていたが、今は小山が第2位に。
#樋口宗孝、上領亘、角田美喜をサポートドラマーにしていた。
#****2014年には栃木市と岩舟町が合併し、足利市はついに県内第4位に・・・。
<!--#関東一ださいナンバー-->


==群馬==
===girl next door===
===群馬ナンバー===
ボーカルの千紗が北島康介との結婚で解散したgirl next door。もし解散しなかったら。
*1988年1月1日、「群」から変更。
#avex 所属の紅白歌合戦出場歌手とレコ大受賞歌手がAAAのみになることはなかった。
*管轄局・事務所:関東運輸局群馬運輸支局(前橋市)
#day after tomorrowの曲をカバーしていた。
**管轄地域:前橋市、高崎市、安中市、吉岡町を除く群馬県全域
#北島康介の現役引退の時に何らかの形でメッセージを出していた。
*登録台数:約61万台
#千紗は結婚引退していなかったらこうなっていただろう。
#都心を走るとなめられる。そのお返しに山道で都会のナンバーを煽る。
#*そりゃ~~都心をトロトロ走られたら堪らんぜ、煽られるのも無理なからぬところ。
#*未だに山岳方面の交通事故は群馬ナンバーの煽りが原因であることが多い。
#「練馬」と間違えやすい。
#*それが意外にも群馬県民が喜んでいるとか。
#*高崎ナンバーに変わって初めて、「群馬に引っ越したのか」と気付いてもらいました。(昔は練馬ナンバー)
#*あるはずないんだけど、なぜか「拝島」に見えてしまった…。(by JR青梅線沿線住民)
#*''ついに群馬と練馬の文字を判別するゲームが出てしまった。''
#*関越道を走ってると、練馬と群馬だらけでマジでわからなくなる。
#多分[[ヤマダ電機]]関係の登録台数がそこそこあると思われる。
#一応、軽自動車の登録台数は関東で一番多い。
#*足立ナンバーだと思ってた
# 漫画「頭文字D」の主人公の車も群馬ナンバー


===高崎ナンバー===
===キャンディーズ===
*2006年10月10日、ご当地ナンバー制度で「群馬」から分割。
*普通の女の子に戻らなかったら?
*管轄局・事務所:関東運輸局群馬運輸支局(前橋市)
#モー娘。並みの大人数になる。
**管轄地域:高崎市、安中市
#*途端に人気急降下。
*登録台数:約23万台
#単に普通のオバサンになってたにすぎない。
#こんなもん作ったら前橋の立場がまた危なくなるよ。
#伊藤蘭は水谷豊と結婚しなかった。
#*でも、大宮ナンバーをつけなくちゃならない旧浦和に比べればマシなんじゃないかと思ったり。
#[[アミューズ]]設立に関わっていた。
#*立場が無いので前橋も申請し、2014年から前橋ナンバー決定。
#「プロポーズ大作戦」(ABC)最終回に出演して「ラッキーチャンスを逃がさないで」を生で披露していた。
#安中市民から疑問の声が出ている。(それとも、いずれ合併でもしてくれるのですか…?)
#今のように名前が残らない可能性があった。
#群馬ナンバーよりは都会らしい感じを受ける。
#*麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
#藤岡も含めていいと思うんだけどなあ。
#**その場合、南海キャンディーズも別のコンビ名を付けていたかもしれない。
#*他に玉村町、甘楽町、富岡市、下仁田町、南牧村、上野村、神流町も高崎に含めるべき。
#ザ・ハンダース「ハンダースの想い出の渚」の物真似のネタにキャンディーズが登場しなかった。
#宮崎県内では見つけにくい。「宮崎」ナンバーに紛れ込める。
#山口百恵も結婚後芸能界を引退しなかったかもしれない。
#*こないだ、高崎市内を岡崎ナンバーが走ってた。
#いつまでも全キャン連が存続していた。
#微笑がえしはベストテンに何ヶ月もランクインし続けたりはしなかった。
#田中好子死去とともに解散したかも。
#日本レコード大賞の何らかの部門賞を受賞していたかもしれない(史実ではどの部門賞も受賞していない)。


===前橋ナンバー===
==さ行==
*2014年11月17日、ご当地ナンバー制度で「群馬」から分割。
===THE GOOD-BYE===
*管轄局・事務所:関東運輸局群馬運輸支局(前橋市)
1990年に活動休止に入った後、2003年に活動再開しましたが、もし休止期間がなかったら?
**管轄地域:前橋市、北群馬郡(吉岡町に限る)
*登録台数:約30万台
#高崎ナンバーへの対抗心で誕生した。
#誕生9日間で3337台(対象の1%)、12月末で約8000台(対象の2.5%)が交換。
#*誕生1年で4万6738台。2014年に誕生したご当地ナンバー中2位の普及率(1位は盛岡)。
#吉岡入るならいらない
#陸運局が前橋にあるのになぜわざわざご当地ナンバーを作ったのか理解できない(byもと前橋市民)


==埼玉==
#男闘呼組やTOKIOに何らかの影響を与えていた。
===大宮ナンバー===
#いずれにしろ、どこかのタイミングでジャニーズ事務所を退所していたと思う。
*1975年3月20日、「埼」から変更。
#ヨッちゃんが浜崎あゆみのバックでギターを弾くこともなかったか?
*管轄局・事務所:関東運輸局埼玉運輸支局(さいたま市西区)
**管轄地域:さいたま市、上尾市、蕨市、戸田市、桶川市、北本市、蓮田市、白岡市、北足立郡
*登録台数:120万477台(2015年12月現在)
#さいたまナンバーにならないように・・・
#*浦和・与野・大宮合併時に名前で揉めた際、旧大宮市側の言い分は「新幹線の駅がある」と「大宮ナンバーがある」だった。
#**いかにも旧大宮市民らしい言い分だ。旧大宮市民は最高だね。
#**大宮ナンバーは旧大宮市民の誇り。なんてったって交通の街だからね。「新幹線の駅がある」といっても駅の開業は周りの主要駅よりあとに出来て、さいしょは車両基地しかなかったのがその後に新幹線が止まるようになったのだからすごいです!。やっぱり大宮ナンバー最高。
#***基地だけ、って、大宮は暫定開業時の始発駅だったから、最初は全部の新幹線がここから出ていたんだけど……ちなみに、大宮以南の沿線民の反対運動で工事が遅れて、予定通りの上野開業ができなかったというのが理由。しかもそもそもは上野すら暫定で、最初から計画は東京駅起点だった。
#****在来線の話では???
#*****在来線の車両基地より先に駅が開業しているのだが?
#***当初駅が無かったといっても高崎線開通1年半後に開業しているし、その時点で東北本線の分岐駅というアドバンテージがあった。
#**上尾市など近隣の市町も旧大宮を応援します。
#**田舎くさいので浦和ナンバーの方が都会的。
#*旧浦和系の政治家らは、大宮ナンバーを(だ)さいたまナンバーに変えようともくろんでいるようだ。
#*ひらがな4文字のナンバーは、スペースとしては難しいと思うので、今後も大宮ナンバーのままだろう。
#**つ[尾張小牧]
#*'''じゃあ、「埼玉」ナンバーにすればいいじゃん。'''
#**昔あったのよ。軽四輪用に「埼玉」ナンバーが…
#**埼玉県内では、「埼玉(旧埼玉郡)」と「さいたま」の指し示す地域がほとんどかぶらない。
#*いっそのこと「新都心」ナンバーにするのはどうだろう。
#関西に来ると[[近畿のナンバープレート#大阪ナンバー|大阪ナンバー]]と紛れる。
#*何故か関東方面のナンバーにしては見掛ける率が高い。
#**トラックだと倉庫街がある[[戸田市]]があるので見かける率は高いかも・・・。
#日本で唯一700番台のナンバープレートを発行。(50X系希望ナンバー)
#*最近やっと神戸にも700番台でたじょ~。
#*1月7日現在では1122は713、2525では710までいっている。<!--[http://www.k5.dion.ne.jp/~nplate/list/index.html]-->
#*9月18日で2525が722までいってる。
#*平成28年3月で2525が734 軽も1122で700番台いってる。<!--http://www.k5.dion.ne.jp/~nplate/list/index.html-->
#旧浦和市民であっても一部のさいたまプロ市民を除きさいたまナンバーになるくらいならば大宮ナンバーのままであって欲しいと願っているであろう。
#大宮ナンバーなのに浦和レッズのステッカーを貼ると、アルディージャのサポーターから馬鹿にされる。
#*大宮アルディージャJ2降格・・・
#**浦和ナンバー登場を待てず川口ナンバーをGETしにいく緑区民多し。
#川口市がご当地ナンバー申請。
#*2014年11月、ついに実現。良かったな、川口市民。
#「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」ではなぜかやたらと大宮ナンバーの車が出てくるんだが...
#高級住宅地である旧浦和市民は「浦和ナンバー」創設を願う。大宮ナンバーの田舎臭さと貧乏さを払拭するために浦和ブランドを活用したい。
#*客観的から見たら「ブランド力(りょく)」なら新幹線が停まる大宮のほうが浦和より高いと思うが。「浦和ブランド」って一体何ぞや?
#**都内からみると浦和はお金持ち、大宮は新幹線が止まるけど駅前は昭和の香りという印象。とくに観光地も無いので行く用事がない
#**文教都市のほかにも県庁市役所伊勢丹パルコアトレでブランド力を強化、再開発で浦和駅の県玄関口化に金を使いまくってる。
#*都会か田舎かはどうでもいいけど、もしご当地ナンバー制度が導入されると合併協議時に分かっていたら、旧浦和市は合併したのだろうか。
#昭和30年代までは、現在大宮にある陸運支局(当時事務所は県内に一つしかなかった)は他県の県庁所在地と同じく旧浦和市内にあったらしい。もし移転していなかったら・・・?
#ていうか東京も東京ナンバーないしな。同じ武蔵國だった誇りとでも言えよう。


===川口ナンバー===
===Cyber Nation Network===
*2014年11月17日、ご当地ナンバー制度で「大宮」から分割。
平間あきひこ(Professor H)とSister MAYOのユニット
*管轄局・事務所:関東運輸局埼玉運輸支局(さいたま市西区)
#現在でもアニソン中心で活動。水樹奈々やLiSAに多々影響を与えていたかも。
**管轄地域:川口市
#MAYOのProject.R入りはなかった。
*登録台数:約24万台
#蕨市は管轄じゃないの?
#*蕨市は大宮ナンバーのまま
#結構川口に掛けて1110ナンバー見るよ。
#開始から1年で4万台超え、世田谷ナンバーより普及率が高い。


===熊谷ナンバー===
===C.C.ガールズ===
*1975年3月20日、「大宮」から分割。
#3代目C.C.ガールズとして活動していた。
*管轄局・事務所:関東運輸局埼玉運輸支局熊谷自動車検査登録事務所(熊谷市)
#以降もメンバーチェンジを繰り返していた。
*管轄地域:熊谷市、行田市、秩父市、加須市、本庄市、東松山市、羽生市、鴻巣市、深谷市、比企郡、秩父郡、児玉郡、大里郡
*登録台数:97万4429台(2015年12月現在)
#恐らく関東一地味なナンバー。
#*ウチの会社の社用車が、本社所在地の関係で熊谷ナンバーだった。'''関西だと目立つ目立つ。'''
#*調べてみたら、登録台数はそんなに少ないワケでもなかった。
#**登録台数は少ないわけではないが、東京ではめったに見かけない。
#**空いてる道に慣れてるので、都内の渋滞ではストレス溜まりまくり。
#**メルセデスアルト的な車両が多い。
#走り屋率が高く「品川ナンバーの車を見ると煽る」習性がある。
#*でも、首都高には慣れてないのでとたんに低速&右往左往挙動不審になる。
#他県のトンでもない峠道、気づくと前を走ってるのが熊谷ナンバーのトラック。
#*関越道の東松山・花園・本庄児玉各インターのお膝元なので結構長距離運送会社が多いデスヨ。
#栃木ナンバーを見ると過剰に気にする。
#車が生活必需品の地域なので、オバチャンまでも運転は上手い。ただし、荒い。
#軽自動車の希望ナンバー比率が関東の中でも高い気がする。
#秩父市がご当地ナンバー申請をしたらしいが、秩父市・秩父郡(東秩父村以外)だけで10万台あるのか?
#*無いので断念した。
#*少なくとも越谷より知名度が高いと思っていただけに残念・・・。
#管轄エリアは県の面積(県の北西部全て)の半分を占める。当エリアののどかさといい[[札幌市]]の[[札幌市/南区|南区]]とちょっとダブって見えるかも。
#*[[神戸市/北区|神戸市北区]]も。
#知り合いの加須市民は熊谷よりも春日部ナンバーにしてくれって言ってるな。熊谷よりも春日部の方が近いから


===所沢ナンバー===
===シブがき隊===
*1982年2月1日、「大宮」から分割。
#=[[もしあの芸能人がブレイクしていなかったら#光GENJI|光GENJIのブレイクがなかったら]]、である。
*管轄局・事務所:関東運輸局埼玉運輸支局所沢自動車検査登録事務所(所沢市)
#3人とも事務所を移籍することなく、ジャニーズに残留し続けていた。
*管轄地域:所沢市、飯能市、狭山市、入間市、朝霞市、志木市、和光市、新座市、富士見市、日高市、ふじみ野市、入間郡(三芳町)
#少年隊の良きライバルとなっていた。
*登録台数:84万189台(2015年12月現在)
#仮に解散がなくても少年隊の様にソロ中心になっていたかもしれない。
#いつもここから(お笑い芸人)曰く下手な香具師が多いらしいが、むしろ運転荒い割に上手である
#*同じ運転荒い八王子ナンバーと一緒にしてはいけない。こいつらはR16とかでよく事故る。
#*チャリに追突してきたり(ソースは実体験から)、ダイエーから車ごと落ちたり、所沢ナンバーのAT限定で女性ドライバーは下手だから気をつけろ
#*上手い下手はともかくサンデー(ホリデー?)ドライバーは多そうだな。
#**ドライバーの質は個体差酷いだろうな、普段から乗って上手い人(通勤買い物とかで使う人)も多いし、サンデーも多い
#地元の所ジョージが所沢ナンバーの車と写ってた事があったな。
#*地元出身のはずが今じゃ気取って世田谷在住だ…婿養子の所さん
#通称「トコ」ナン
#西武ライオンズの選手がどんな高級車に乗っても、このナンバーでだいぶ損をしたという逸話も。
#*ライオンズの選手は主力になると所沢の寮から離れて東京都内に住む選手が多いから所沢ナンバーの車を持つ選手はそんなに多くないかもね。
#普通の住宅地で遠方の道府県ナンバーをやたら見かける地域。いろんな要因はあるにせよ、「沖縄」とか「札幌」とか見た日にはさすがにどうかと思った。逆に、所沢ナンバーの車を関東以外で見かけるのはまれ。おまいらそんなに埼玉が嫌なんですかとorz
#*逆。あまり埼玉の方が他地方に行きたがらないだけでは?余談だけど兵庫県に所沢ナンバーを頻繁に見かける地域がある。
#*所沢地区に北海道とか九州・沖縄のナンバーがあるのは自衛隊基地があるからと思う
#**ホントは住所変更したらナンバー変えなくちゃいけないんだけどね・・・
#右車線をチンタラ走って左車線が空いてて追い越し車線化することがよくあり、可変追い越し車線がローカルルール化してる節が有る。多分原因はR463やR16沿いに店が多いことや左折で裏道抜けるとかである。
#本田技研関連にお勤めの方の車は、転勤先でも所沢ナンバーのままが多い。平日朝の宇都宮市内で結構多い。


===川越ナンバー===
===シャインズ(SHINE'S)===
*2006年10月10日、ご当地ナンバー制度で「所沢」から分割。
伊藤ようすけ(東京プリン)と杉村太郎のユニット
*管轄局・事務所:関東運輸局埼玉運輸支局所沢自動車検査登録事務所(所沢市)
#=「杉村太郎の実業家転身がなかったら」である。
**管轄地域:川越市、坂戸市、鶴ヶ島市、入間郡(毛呂山町・越生町)
#東京プリンの結成はなかった。
*登録台数:24万8200台(2015年12月現在)
#[[埼玉/比企|比企郡]]も川越ナンバーを望んだが、熊谷ナンバーエリアの為、却下された。
#*川島町なんてどう考えても川越の方が生活圏なんだけどね・・
#**むしろ入間郡は所沢ナンバーで東松山とか川島の方が文化圏的にも生活圏的にも川越ナンバーだよね。熊谷ってそんなに影響力ないし、鴻巣とかも熊谷ナンバーってのはさすがに無理があると思う。
#*富士山ナンバーなんて山梨・静岡に跨ってるんだから、熊谷ナンバーエリアでも川越ナンバーにするのは屁でもないはずなんだが・・・。東松山とか川越藩領だったし歴史と文化的な繋がりをちゃんと考えて川越ナンバーにして欲しい。
#**管轄を跨いでいるのは富士山ナンバー「だけ」しかないが・・・
#*もし川越ナンバーになったら自動車検査場行くのに関越使うようになる。
#**ご当地ナンバーだと検査場はそのまま。
#ぱっと見、「川崎」に見える。
#*鶴ヶ島でずいぶんシブい裏道抜ける「川崎」だな、と思ったら川越ナンバーだった。
#*川越が出来た時、川越と川崎がごっちゃに見えると友人に言ったら、その友人もそう見えるようになってしまった。
#川越と所沢はライバル関係にある。県西部管轄の国や県の出先機関で川越になく所沢にあるのは自動車検査登録事務所くらい。川越市民は永らく所沢ナンバーを使う屈辱を味わってきた。
#*川越市長がかつて自動車検査場を拒否したからね。
#**反対する理由が良く分からないのだが?
#旅先では所沢ナンバーの方が知名度が高くて良かったよ。今じゃ「川越?どちら?」って事が多い。
#*否、川越の方が知名度もイメージも高いよ。
#**川越も最近は観光で割と成功しているけどそれはさすがに無理がある。
#***歴史や文化教育が単なるベッドタウンの所沢とは違うし、人口や商業地の最高路線価も川越が上。
#****歴史を見れば川越が上なのは間違いないけど、人口だけは川越と所沢差はごく僅かでどちらが上・下と語るレベルに無い。
#*****所沢の知名度が川越より高いのは西武ライオンズがかつて強かったおかげ。北海道や九州でも通じる。
#******プロ野球ファンでもなければ「北海道や九州でも通じる」というのは語弊があると思うのが。まだ[[阪神タイガース]]の本拠地・[[西宮市]]のほうが全国的には有名。
#*******西宮よりはまだ所沢の方が通じそうな気がする。野球に詳しくない人だと某虎球団のサポーター=大阪人のイメージが強すぎて、そもそも甲子園球場自体が大阪(あるいは神戸)にあると思われてる事が多いし。
#*ふじみ野など川越の方が近くても東京寄りのところは全く参加しなかった。


===春日部ナンバー===
===Sugar Babe===
*1990年11月26日、「大宮」から分割。
#大瀧詠一がメンバー入りしていたかもしれない。
*管轄局・事務所:関東運輸局埼玉運輸支局春日部自動車検査登録事務所(春日部市)
#イギリスの女性グループ「Sugarbabes」とグループ名が混同される。
**管轄地域:春日部市、草加市、久喜市、八潮市、三郷市、幸手市、吉川市、南埼玉郡、北葛飾郡
*登録台数:73万8855台(2015年12月現在)
#大宮ナンバーからの分割時、越谷との間で争奪戦があった。
#*熊谷と見間違えを考慮したため春日部になった。
#**越谷市がご当地ナンバー申請したらしい。
#何故か愛知県と間違われた事があった(春日井?)
#*その春日井市もご当地ナンバー申請した。
#**こっちはご当地じゃないのに。。。
#アニメ「クレヨンしんちゃん」の野原ひろしの愛車は春日部ナンバー。
#*初期の話で大宮ナンバーに乗っているけど、アニメ放送開始時点ですでに春日部ナンバーは誕生している。
#別名「カベッカス」ナンバー。
#別名「はるひぶ」ナンバー。(圏外の人は素直に「かすかべ」と読めない。)
#*「かす'''が'''べ」だと思ってた。
#通称「カス」ナン。
#ほぼ岩槻との境にあるのに岩槻は大宮ナンバーである。
#*今岩槻に住んでいるけど春日部の陸自の方がかなり近い。大宮ナンバーの陸自まで遠い。
#*岩槻もさいたま市ですから。
#**このナンバーが出来た当時、岩槻がさいたま市側に行くことを想定していた人はほとんどいないと思う。
#ここ最近、大阪でもよく見かけるナンバー
#*京葉地区とか湾岸道路でも何故かよく見かける(トラックやバン、特に「社名の入っていない」ハイエースw)。他の埼玉ナンバーはほとんど見ないのに、何故か?
#*圏央道沿線(久喜市)が新たな物流基地となっているからじゃないか?
#スバルレガシィ率がとても高い地域
#*それは熊谷ナンバーだろう。
#**群馬太田と接してる熊谷ナンバー管内のほうが多いだろうね
#2010年3月の合併により久喜市となった旧菖蒲町が大宮→春日部へ変更
#*栗橋駅前ですら大宮ナンバーにちらほらと車庫飛ばししてる人がいるから旧菖蒲町民は春日部に変更されるの結構嫌かもしれんね。ていうか菖蒲町民は久喜と合併することでナンバーのことは考えてなかったのだろうか
#若干図々しい奴が多いこと以外は取り立てて挙げることが見当たらない。<!--埼玉らしいな-->
#*旧埼玉郡の多くが、このナンバーだからかも。南埼玉郡・八潮市・越谷市・草加市・春日部市・久喜市とね。埼玉ナンバーの平均なんだろう。<!--そんなに粗探しに必死にならなくても…w 埼玉にコンプレックスでも持っているんだろうか…-->
#**埼玉の平均って、さすがに伊勢崎線沿線から県西部や北部までを一緒くたにするのは無理があるぞ。
#***他県からの埼玉のイメージって東埼玉だからね
#****他県からの埼玉のイメージは土地がまったいらな東埼玉だろうね。クレしんの影響もあるだろう。北部もまったいらな方だが東部に比べたら高低差あるな
#***良く言えば庶民的、ストレートに言えば県内でもガラの悪い県東部地域を埼玉の平均と言われるのは・・・。「東京の平均は足立区・葛飾区・江戸川区」とか、「大阪は全部西成みたいな所」って言ってるようなモンだぞ。
#サンキューハザードって概念がないんか・・・・春日部ナンバーってのは・・・・
#*旧栗橋町民だけど親父はサンキューハザードじゃなくて'''サンキュークラクション'''をしてるわ。軽くクラクションをならす。
#軽の2525ナンバー700番台登場<!--http://www.k5.dion.ne.jp/~nplate/list/index.html-->
#*そのリンク消えてるんだが・・・。軽人気は全国的な流れだな


===越谷ナンバー===
===JUDY AND MARY===
*2014年11月17日、ご当地ナンバー制度で「春日部」から分割。
#YUKIは今でもソニーと契約更新してた。また、バンドとソロの両方で東京ドーム公演をした最初の女性アーティストにもならなかった。
*管轄局・事務所:関東運輸局埼玉運輸支局春日部自動車検査登録事務所(春日部市)
#それでも恩田快人は脱退していたかも知れない。
**管轄地域:越谷市
*登録台数:約15万台
#まさか越谷市単独で独立するとは思わなかった
#*松伏町あたりは含まれると思った。
#**もし松伏も越谷ナンバーになった場合、春日部ナンバーエリアが分断されてしまうが・・・。
#***[[北海道・東北のナンバープレート#宮城ナンバー|宮城ナンバー]]や[[甲信越・北陸のナンバープレート#石川ナンバー|石川ナンバー]]など、実際に分断されてる例もあるので問題なし?
#今度登録されるナンバー含めてもエリア面積が日本一狭い(その前は一宮ナンバー)
#*今度登録されるナンバーでエリア面積が一番狭いのは杉並ナンバー
#*関東で最少、日本全国でも特例で認められた奄美に次いで2番目に登録台数が少なくなりそうな弱小ナンバー
#**2016年現在約3万台突破、杉並ナンバーより多い。
#***われら埼玉県民は意外と地元愛強そうだよな。川口もすごいね
#*「大宮」から「春日部」が分割した時に越谷と競って、熊谷と間違えられそうだからと春日部になったのに……というかどんだけ変わるんだこの地域は(「埼」→「大宮」→「春日部」→「越谷 New!」)。出来れば原付・ミニカーのオリジナルデザインナンバー程度に留めてしてほしかった。


==千葉==
===杉山清貴&オメガトライブ===
*[[千葉のナンバープレート]]を参照。
#カルロス・トシキはソロを続けていた。
#「1986」「カルロス・トシキ&」名義の楽曲もいくつかは「杉山清貴&」名義でリリースされていた。


==東京==
===SPEED===
*[[東京のナンバープレート]]を参照。
2008年に再結成したSPEED、もし解散することなく現在まで活動を続けていたら?
#プロデューサーが伊秩から変わった可能性あり。
#*どっちみちそのタイミングでトイズからエイベックス移籍は免れられなさそう。
#今井絵理子ができ婚で脱退。AKINAあたりが新メンバーになっていた。
#*この後にメインヴォーカルが上原多香子+島袋寛子とする曲がいっぱい作られる。プロデューサーはTommy February 6。
#*仮に今井絵理子が脱退しなかった場合参議院議員になることはなかった。
#**不倫騒動もなかった。
#それでも第四のメンバーの地位は第四位のまま。{{極小|ネタキャラとしての地位はダントツだったろうけど}}<!-- オチ -->
#逆にMAXが解散していた。
#全員のソロシングルを同日発売、なんてことをしていたかもしれない。
#2000年以降、CDの売上は低落傾向になるが、それでも芸能界における一定の地位を維持。
#*所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
#**平氏の逮捕劇が起きなかった。
#*モーニング娘。がハロープロジェクトを立ち上げたのに対抗して、EARTH、Folder5などとともにライジング系女性アイドルの集団を作って売り出す。
#**満島ひかりはFolder5の活動がメインとなり、現実ほど女優に力を入れていなかった。
#ハロープロジェクトは現実と違いSPEEDに押されていた。
#2ちゃんねるに「SPEED板」が出来ていた。
#つんくが曲を提供することもなかったはず。
#オフィシャルサイト「SPEED ARENA」が未だに公開されていたはず
#AKBには負けていた・・かな?


==神奈川==
===ZONE===
===横浜ナンバー===
#プリンセス・プリンセスと並んだ後ヒットが終わる。
*1964年11月1日、「神」から変更。
#北海道出身ということで[[北海道日本ハムファイターズ|このチーム]]の応援歌を歌っていたかも。
*管轄局・事務所:関東運輸局神奈川運輸支局(横浜市都筑区)
#*[[北海道コンサドーレ札幌|このチーム]]も。
**管轄地域:横浜市、横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、三浦郡(葉山町)
#あの花のEDに「secret base 〜君がくれたもの〜」が使用されなかったかも。
*登録台数:約143万台
#MIZUHOが石橋貴明に「{{あきまへん}}の先」呼ばわりされなかったらMIZUHOは見切りをつけて脱退することなく、解散に追い込まれることはなかっただろう。
#明らかに「横浜じゃない」場所も登録地域に含まれている。
#*そもそもMIZUHOは芸能活動に意欲をなくすことはなかった。
#*車庫飛ばしが東京の品川ナンバーと共に多い。
#MARIAもなかった。
#*横須賀ナンバーあったらいいのに♪
#史実では3人で再結成→TOMOKA引退→MIYU契約解除→活動終了となったが、メンバーチェンジを繰り返していた。
#**たしかに俺も思うが、いざ作ろうとしたら鎌倉・逗子、葉山あたりが横須賀と張り合いそうな気がする。
#***三浦半島だから、三浦ナンバーにすれば良いんじゃない?by川崎市民
#***横浜ナンバーで何も不自由してません。埼玉千葉のようにご当地ナンバー乱造されるくらいなら現状維持でOK。
#BMW、ベンツ、アウディ等のドイツ車率が他地域に比べて高い様な・・(関西だとさしずめ神戸ナンバー)
#米軍基地を抱える管内ならいたって普通だが、他地域ではあまり見かけない平仮名部分が「Y」(米国軍人所有車両)のナンバーがある。
#*これらの車両と事故を起こすと、日本国の警察のほかにMP(米軍警察)がやってくる。
#*厚木基地に程近い瀬谷も横浜だからな。(と言うか、川一本挟んで「相模」地域と相対)
#**瀬谷にも、土地面積は小さいが米軍の大規模な通信基地がある。
#***2015年に日本に返還された。跡地はどうなることやら。
#**根岸米軍住宅もお忘れなく。
#*Yよりも珍しいAナンバー(軽自動車)をなぜか名古屋のシネコンで止まってるのを見たことある。旅行ついでに映画鑑賞?
#バスのナンバーの進行度合いが全日本1進んでいる。
#*東日本最大のバス会社[[神奈川中央交通]]のおかげですな。
#*横浜ナンバー地域で3つの営業所しかないのにそれはない
#*少なからずとも[[東急バス]]も影響している
#**東山田・新羽・青葉台か。
#*[[横浜市交通局]]のバスは全部このナンバーであるはず。
#*横浜市交通局が希望ナンバーを取っていたので神戸に抜かれた。
#*川崎鶴見臨港バスの鶴見営業所のみ横浜ナンバー。意外と京急グループの割合も大きいのかも。
#**たしかに京急直営なのは新子安だけだけどさ。
#それでも県内ではイメージ良い方のナンバー
#関東のあらゆる観光地で遭遇する。
#*関西でも結構見かけるぞ。
#*関西どころか、札幌でも見る機会が割とある。トラックだと小樽航路の影響か西日本が多いけど。
#*関西より西でも関東圏ナンバーにしては一番見かける。そんなに旅行好きが多いのか?
#略称は「ハマナン」。「ヨコナン」とは誰も言わない。
#ばんてふ


===相模ナンバー===
==たな行==
*1964年11月1日、「横浜」から分割。
===ザ・タイガース===
*管轄局・事務所:関東運輸局神奈川運輸支局相模自動車検査登録事務所(愛甲郡愛川町)
#岸部兄弟の2人は史実ほど俳優業に力を入れなかった。
**管轄地域:相模原市、厚木市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市、愛甲郡(愛川町、清川村)
#*『西遊記』(堺正章版)の沙悟浄役は別の俳優になっていた。
*登録台数:約61万台
#*岸部シローは『ルックルックこんにちは』の司会に抜擢されることもなかった。
#関東以外の地域ではよく間違えられる「相撲ナンバー」はもはやお約束!
#**事業に手を出したり自己破産に追い込まれたりすることもなかっただろう。
#*遠くから見るとそうなる。
#*岸部大輔(一徳の息子)が加入したかもしれない。
#湘南ナンバーの境にある地域は悔しく思っている。
#瞳みのるは芸能界を引退せず、高校教師になったり中国語の教本を出したりすることはなかった。
#おそらく使用者が嫌がっているナンバーという意味ではワースト1になる資格がある。
#*実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
#*同じ県内の横浜や湘南が人気ナンバーなだけに、なおさら・・・。
#**そもそもそのコンサート自体なかったかも。
#*でも、マナーの良さは神奈川一だと思う。でも元々神奈川は運転マナー良いから・・・マナーの良さは日本一か?
#沢田研二の曲のいくつかはザ・タイガースのものになっていた。
#**たしかに相模ナンバーは横浜・川崎ナンバーよりマナーが良く感じる。by[[近畿のナンバープレート#大阪ナンバー|大阪ナンバー]]区域民
#森本太郎の「タローとアルファベッツ」や「森本タローとスーパースター」はなかった。
#**いや東京から転入した人間から見れば、かなり運転が適当だ。ローカルルールの一例として、ウィンカーは曲がる直前(2~3m手前)に付けるべしと言うものがある。うそだと思ったら、実際見学に来ればいいよ。
#グループサウンズブームはもっと続いていた。
#*大和市民が一番悲惨。湘南ナンバーの藤沢市、横浜ナンバーの瀬谷区と隣り合い、市内には横浜・湘南の両ナンバーが大量に流れ込み、なぜかやたらと車庫飛ばしの品川ナンバーを見る。
#横浜からの分割時(1964年)には「小田原」にする案もあったらしいよ。
#*そろそろ「相模原」にしようとかいう話などは出ないかな?
#**勘弁してくれ・・・
#**厚木、大和の市民は嫌だと思うよ。
#**愛甲郡や座間や海老名のために厚木ナンバーとか作ったら意外と喜ばれるかもね。でもどう考えても厚愛地区の伊勢原市が湘南ナンバーだから無理か。
#*垢抜けないナンバーだが、他に適当な名前がないと思う。「春日部」とか「野田」のように強引に陸運支所の所在地名をつけられるよりまし。
#座間市に米軍座間キャンプ、相模原市南区に米軍住宅(ハウス)、大和市・綾瀬市にまたがって米軍厚木基地があり、他のどの地域よりも駐留米軍関係者私有車両「Yナンバー」を見かける。


===川崎ナンバー===
===チェキッ娘===
*1980年4月21日、「横浜」から分割。
#モーニング娘。をライバル視していた。
*管轄局・事務所:関東運輸局神奈川運輸支局川崎自動車検査登録事務所(川崎市川崎区)
#『DAIBAクシン!!』は打ち切られることはなかった。
**管轄地域:川崎市
#熊切あさ美は崖っぷちアイドルとして売り出すことはなかった。
*登録台数:約37万台
#『電波少年的15少女漂流記』にはメンバー全員参加していた。
#立地が幸いしたか?1市で1ナンバープレートを独占。
#アイドリング!!!は結成されなかった。
#*他は大阪市だけだが、向こうは[[近畿のナンバープレート#なにわナンバー|なにわナンバー]]だったりする。
#藤岡麻美がディーン・フジオカの妹ということもあってか、彼は「アイドルグループのメンバーの兄」で売り出すことができていた。
#*ご当地ナンバーで[[北海道・東北のナンバープレート#仙台ナンバー|仙台]]、[[愛知のナンバープレート#豊田ナンバー|豊田]]、[[愛知のナンバープレート#一宮ナンバー|一宮]]、[[近畿のナンバープレート#堺ナンバー|堺]]、[[中国・四国のナンバープレート#下関ナンバー|下関]]とお仲間が一気に増えた。
#*似非政令市みたいにこれから増えていくことになる。
#*第2弾で川口・越谷・[[東京のナンバープレート#杉並ナンバー|杉並]]・[[東京のナンバープレート#世田谷ナンバー|世田谷]]・[[愛知のナンバープレート#春日井ナンバー|春日井]]も仲間に。
#別に、カワサキのバイクにつけても何のありがたみもない。
#神奈川で最もマナーの悪いナンバー…かも。場所柄か?
#*但し川崎区・幸区限定。


===湘南ナンバー===
===チューリップ===
*[[湘南ナンバー]]を参照。
*1989年にいったん解散したチューリップ。もし活動を続けていたら・・・・。
#「ひとつ屋根の下」で使われた「サボテンの花」は財津和夫がリテイクしたものではなく、オリジナルのチューリップのものが使われていた。


{{ナンバープレート}}
===TMN===
#TMN→TM NETWORKへの再改名というのもあったかもしれない。
#*あるいはTM INTERNET-WORKに改名していた。
#小室プロデュースの歌手が大量に世の中に出る事はなかった。
#*そもそも小室哲哉がプロデュース業に力を入れてなかったらこうなっていただろう。
#globe自体存在しなかった。
#果たして[[エイベックス|avex]]はあそこまで大きくなっただろうか。
#2008年11月4日にあの惨事が起こることもなかった。
#何かと不評なベストアルバムの乱発もなかった。
#B'z、FENCE OF DEFENSE、access等の所謂「TMファミリー」が一堂に会したスペシャルライブが前世紀中には行なわれていた。
#*上記のバンドのメンバーがTMのライブでサポート乃至はゲストで出演という事は実際にあるが。
#上記の再改名という場合でも、TMN名義によるオリジナルアルバムは後数枚リリースされていた。
#おそらく、trf「WORLD GROOVE」に入ってる曲のいくつかはTMNのものになっていたはずである。
#TMN終了後にリリースされた宇都宮隆と木根尚登のソロの楽曲のいくつかはTMの楽曲となっていた。
#*宇都宮隆バージョンの「RUNNING TO HORIZON」はTMバージョンとしてカバーされていたかもしれない。最も現実にはこの曲のカバーはTMの活動再開後にリリースされているが。
#T.M.Revolutionと混同する人が現実以上に多くなっていたかもしれない。
#*あるいは世代に関係なく、「TM」といえばネットワークを思い出す人が多くなっていたか?


[[Category:ナンバープレート|かんとう]]
===day after tomorrow===
[[Category:関東地方|なんはあ]]
#GIRL NEXT DOORは結成されなかった。
#misonoのバラエティ進出はなかった。
#*「クイズ!ヘキサゴン2」のレギュラーになる事もなく、里田まいwith合田姉妹も企画されなかった。
#*おバカタレントの1人として名を馳せることもなく、ブログでの失言で炎上を度々起こすこともなかった。
#*安倍麻美の存在が薄れることもなかった。
#倖田來未の存在が薄れていた。
#*倖田來未がBACK-ONのKENJI03と結婚し、彼がmisonoの義兄になった際には、'''義理の兄と妹が歌手グループのボーカル'''になっていた。
#*というか、エイベックスは倖田來未に力を入れることはなかったのでは?
#ELTの仕事を奪っていた。
 
===dos===
#KABA.ちゃんはオカマタレントとして再ブレイクすることはなかった。
#*但しダンサー・振付師として一定の知名度は保っていただろう。
#*去勢することもなかった。
#西野妙子は女優に復帰することはなかった。
#Kiss Destinationはなかっただろう。
#*吉田麻美は小室哲哉と結婚したり離婚したりすることもなかった。
#小室ファミリーの黒歴史が減っていた。
 
===D'ERLANGER===
2007年に再結成したが、ここでは「もしブランクがなく活動を続けていたら」という前提で。
#史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
#BODYは結成されなかった。
 
==は行==
===B.B.クイーンズ===
#数多くのアニソンをリリースしていた。
#*ただしお子様ソング路線を維持しているため、現在のアニソンがJ-POPばかりになることもなかった。
#Mi-keが活動休止することもなかった。
#名前の縁でトヨタbBのCMに出演していたかCMソングを歌っていた。
 
===光GENJI===
#SMAPの良き兄貴分となっていた。
#*むしろSMAPが史実ほど人気が出ていなかった可能性がある。
#「勇気100%」はミリオンヒットになっていた。
#少年隊の影が薄くなっていた。
#*少年隊のほうが先に解散していた。
#諸星和己は史実の木村拓哉的存在になっていた。
#*もちろん暴露本なんて発表しない。
#*40近くになっても合言葉は「こんばんはー!」。
#赤坂晃がクスリで逮捕されることもなかった。
#V6・嵐などが結成されることもなかった。
#*グループが粗製濫造されることはもちろんなかった。
#*V6はともかく嵐は結成されていたのでは?世代も違うし。
#*V6は期間限定で終わっていたのでは?
#Kis-my-ft2もデビューに至らなかったか路線が変わっていた。
#ジャニーズはSMAPに力を入れることはなかった。
 
===美少女クラブ31===
2007年以降、事実上活動を休止した美少女クラブ31ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
#X21は結成されなかった。
#剛力彩芽や武井咲がメンバー入りしていた。
#名前の縁でサーティーワンアイスクリームのイメージキャラクターを務めていた。
#AKB48に対抗して研究生制度を導入していた。
#*欠員が出たらその都度昇格する体制を取っていた。
#テレビ朝日はももクロ推しをしていなかった。
#*アップフロントとの関係も修復されることもなかった。
#オスカープロモーションの黒歴史が減っていた。
#ハロプロの仕事のいくつかを奪っていた。
#*ライジングプロダクション(当時はヴィジョンファクトリー)も追い詰めていた。安室離脱と共に事務所解散なんて可能性も。
#*モー娘。に至ってはかなりの影響があった。
#*DreamもE-girlsに合流する前に解散していた。
#グラビアにも本格的に進出し、グラビアアイドルの仕事も奪っていた。
#*史実の乃木坂46よろしくモデルにも進出。
#*篠○愛が「美少女クラブウザイ」発言をして物議を醸していた。
#**この一件でグラビアへの進出にとどめを刺したかも。
#それでもAKBには負けていただろう。
#*むしろ存在が薄れていたかも。
 
===Folder5===
#メンバーチェンジくらいはあったかな?
#*あったとしたら、DA PUMPみたいに沖縄アクターズ以外からの加入だった。
#HIKARIが女優に転向することはなかった。
#AKINAもShiny Lipsを結成せず、ビビる大木との結婚もなかった。
#三浦大知復帰の際に「三浦大知 with Folder5」としてコラボしていたかも。
 
===The Flipper's Guitar===
#小沢健二のソロ曲がフリッパーズ・ギター名義で発表されており、小山田のボーカルで歌われる。
#*小沢健二の代わりにフリッパーズ・ギターがNHK紅白歌合戦に出場していた。
#「今夜はブギーバック」がスチャダラパー×フリッパーズ・ギターで発表される。
#そもそも「渋谷系」が有ったかどうかも分からない。
#2004年のエイプリルフールに「エイプリルズ、バンド名をフリッパーズギターに改名」と発表されることもなかった。
 
===THE BLUE HEARTS===
#ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズの結成はなかった。
#*これらの楽曲もブルーハーツ名義で出ていたのかな?
#*たぶん出ていた。
#*1995年以降、史実のハイロウズのようにシュールな歌詞の曲が多くなりファンの間では賛否両論分かれた。
#河口が新興宗教に没頭していないので、「幸福の生産者」という曲は存在しない。
#*ていうか「PAN」自体出てない。
#2004年頃、自衛隊のイラク派遣を受けて「すてごま」をセルフカバーしていた。
#史実ではハイロウズが務めた、セックス・ピストルズの日本公演の前座を務めていたかもしれない。
#アメリカ同時多発テロを痛烈に皮肉った曲をリリースしていた。
#今ごろ紅白に出場していたかもしれない。
#チルドレンによる青春パンクブームは起こらない。
 
===BLUE BOY===
#川崎フロンターレの応援歌を歌っていたかもしれない。
#ドラムの青木慶則が「自分一人で活動したい。」という心の声が大きくなったことが原因で脱退していた。(史実ではこれが原因で解散した。)
 
===BaBe===
#Winkと二分される存在になっていた。
#*Winkとキャラが被ることで解散に追い込まれたとみなされることはなかった<!--実際は二階堂ゆかりが結婚引退したため-->。
#*Winkをライバル視していた。
#その後は脱ユーロビート路線に転じていた。
#*その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
#**更にその縁でピンクレディーの曲もカバーしていた。
#**平成のピンクレディーと呼ばれていた。
#所属事務所であるエスワンカンパニーが破綻することはなかった。
#1990年頃に予定されていたコンサートツアーが中止になることはなかった。
#「名前の縁」で映画『ベイブ』の主題歌を歌っていた。
#*そして海外進出を果たしていた。
 
===BOØWY===
#1990年代以降もヒット曲を連発。ビーイング系アーティストなどの強力なライバルとして君臨。
#*しかし、松本孝弘、増崎孝司、増田隆宣、生沢佑一をレコーディングに参加していた。
#個々のソロ活動はバンド活動が一段落した合間に行われる。
#*De-LAXは登場しなかったかもしれない。
#*しかしCOMPLEXは元々から期間限定ユニットだったので登場しているかも。
#CMやドラマ主題歌のタイアップは多いが、BOØWYとしての音楽番組への出演は頑なに拒否し続ける。
#*布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
#**しかし映画やCMには積極的に出演する。これは史実通り。
#*ヒムロックも史実通り『HEY! HEY! HEY!』のみに出演番組を絞っている。
#M田氏への事件発覚後、ヒムロックが謝罪会見を行い、2007年後半はグループ活動を自粛。
#布袋様のソロ曲のうち何作かがBOØWY名義で発表されており、ヒムロックのボーカルで歌われている。
#*氷室ボーカルの「スリル」って…、{{極小|<s>ちょっと怖いもの見たさ</s>}}すげえ、聞いてみてえw
#松井さんは変わらずに不動の8(エイト)を刻み続けている。
#高崎市が聖地化。
#いつの頃からか、まこっちゃんのステージパフォーマンスが一番派手になってる。
#布袋様が女性関連のスキャンダルの度に、ヒムロックが謝罪する。
#山下久美子もしくは今井美樹のツアー・レコーディングに全メンバー参加。
#98年までは大晦日の[[東京ドーム]]公演を[[X JAPANファン|X JAPAN]]と奪い合いそう。
 
===BODY===
#史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
#CRAZEの結成、D'ERLANGERの再結成はなかった。
#*よって「I LOVE YOU」は2014年現在に至るまで「BODYの楽曲」として認知されていた。
#*CRAZEの存在がなかった=[[男性グループ歌手ファン/さ~な行#D-SHADE.E3.83.95.E3.82.A1.E3.83.B3|D-SHADE]]も存在しなかった。
#藤崎賢一はソロ、飯田成一は別バンドで活動してた。
#ラルクはブレイクしなかった、あるいはブレイクが遅れていた可能性もある。
 
==ま〜わ行==
===MAGIC===
#小坂、菅井脱退以後、RODEOとの合流を待って、LOUDNESSのような再生時代に入っていた。
 
===ミニモニ。===
*ミカのハロー!プロジェクト卒業により活動を休止したミニモニ。だが、その後も活動を続けていたら?
#ミカの卒業後、紆余曲折ありメンバーを入れ替えながら活動継続
#*この紆余曲折のせいで、今頃初代メンバーとして各番組で紹介できるのは辻のみになっていた。
#楽曲が幼稚園、保育園のお遊戯で使用されていた
#*子供たちの支持を受け他のハロプロユニットの人気も上昇していた。
#『おはスタ』に引き続き出演し続けていた。
#「新ミニモニ。」はなかった。
#*史実の新ミニモニ。メンバーはメンバーチェンジの際に順次本家ミニモニ。に加入していた。
#イロモノアイドルグループとしてももクロと人気を二分していた。
#*だがももクロには負けていた。
#*渡り廊下走り隊とも人気で張り合っていたかも。
#ギャルルは結成当初からあべべ(安倍麻美)がメンバーだった。
#「いぬモニ。」は登場しなかっただろう。
 
===ラッツ&スター===
#田代まさしと桑野信義は芸人に転向することはなかった。
#*志村けんと関係を持つこともなかった。
#*田代まさしは「ダジャレの帝王」と呼ばれることもなかった。
#*『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ版)の爺は誰がやっていたのだろうか。
#**ボケもツッコミも両方できるという点で伊東四朗さんか加トちゃん辺りかなあ。
#*そもそもメンバー仲がギクシャクしていなかったらこうなっていただろう。
#**=[[もしあの芸能人が性犯罪を犯していなかったら#シャネルズ|性犯罪がなかったら]]、である。
#田代まさしは{{あきまへん}}に走ることもなかった。
#*「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
#**この場合、(同時期に逮捕された)稲垣メンバー祭りが史実以上に加熱していた。
#鈴木聖美との関係がもっと親密になっていた。
#*鈴木聖美がメンバー入りし、男女混成ユニットになっていた。
#史実で鈴木雅之名義でリリースされた曲はラッツ&スター名義でリリースされていた。
#ゴスペラッツも結成されなかったかもしれない。
 
===REV===
<!--実質ソロユニットですが、形の上で解散しているため、ここに記載-->
#出口雅之として再出発することはなかった。
#LIVやRev. from DVLとの混同が起きていた。
#名前の縁でアイオメガの記憶媒体であるREVのイメージキャラクターを務めていた。
#*REVの普及を促進をしていた。
 
===ザ・ワイルドワンズ===
ザ・ワイルドワンズは1971年に一度解散するも、10年が経過して加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズとして再結成されましたが、もし、解散せず空白期間がなかったら?
 
#「加瀬邦彦と」の冠はもちろん付かないままだった。
#「ザ・ワイルドワンズ'91」もなかったか?
#*「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」もなかっただろう。
#渡辺茂樹がバンドを転々とすることもなかった。
#加瀬邦彦も自殺しなかった?
#サザンオールスターズにも何らかの影響を与えていた。場合によってはコラボも実現したかもしれない。
#*ひょっとしたらワイルドワンズもアミューズ所属になっていたかもしれない(アミューズ創業者が最初にマネジメント担当したのがワイルドワンズだった)。
 
===wuz↑b?(ワサビ)===
2002年に解散したwuz↑b?ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
#メンバーチェンジを行っていたかもしれない。
#植物のワサビを「wuz↑b?」と書く人が増えていた。
 
===WANDS===
#その後もメンバーチェンジを何度も繰り返していた。
#*ボーカルの場合は上杉昇に似た歌声をさせられる。
#*ただし、木村だけはずっと脱退せずに残リ続けた。
#**そして、彼の事実上のソロプロジェクトとなっていた。
#**それでも音楽性の違いで脱退したのでは?
#**第3期の体制を現在に至るまで堅持していたら和久二郎はバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することもなかった。
#***=もしメンバーチェンジに成功していたら、といえる。
<!--#*和久二郎が現在に至るまで残留ならバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することはなかった。-->
#*上杉以外のメンバー復帰もあり得た。<!--上杉は自分のやりたい事を志向している以上、ビーイングとこじれているため-->
#B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
#「[[名探偵コナン]]」の主題歌の常連になっていた。
 
==関連項目==
*[[もしあの歌手グループが解散していたら]]
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 芸能史|あのかしゆくるうふかかいさんかつとうていししていなかつたら]]

2021年10月31日 (日) 12:21時点における版

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独立項目

あか行

EE JUMP

  1. 「EE JUMP COLLECTION 1」は予定どおり発売されていた。
  2. ユウキは×××××に走ることもなかった。
  3. 後藤真希の活動休止もなかった。
  4. それでもソニンは舞台出演をきっかけにしてそちらに専念する為脱退したかも。

Wink

1980年代後半から90年代半ばにかけて活躍し、1996年3月に活動を停止した鈴木早智子、相田翔子の二人組ユニットWinkですが、もし活動を停止しなかったらどうなっていたでしょう?

  1. 史実よりも早く、音楽活動からバラエティ、ドラマへと活躍の場を移していた。
    • 同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
      • ウルルンの司会も翔子、早智子が1週交代で務めていたかも…
  2. 新曲のリリースは年1回程度になるが、コンサートだけは毎年必ずやっていた。
  3. 二人が司会のバラエティ番組が、深夜帯で放送された。
  4. 80年代、90年代前半のアイドルを振り返る番組には、二人でゲスト出演した。
  5. さっちんが脱ぐことはなかった(泣)
    • AV出演疑惑が出ることもなかった。
    • というか、さっちんの活動が迷走することはなかった。
      • 「ASAYAN」の再起にかけるオーディションに出演することもなく、気の強い女ぶりを晒すことはなかった。
      • 事務所移籍で迷走することもなかった。
      • クスリに手を出して倒れることもなかった。
      • 不倫騒動もなかった。
  6. 相田翔子が「しょこたん」と呼ばれていた?
    • あるいははいだしょうこと間違えられていた。
    • 同様にさっちんがこのモデルと間違えられていた。

X JAPAN

  1. hideが謎の死を遂げることはなかった。
  2. TOSHIがトラブルに巻き込まれることもなかった。
    • でも、TOSHIがああなったから解散したわけだから…
  3. YOSHIKIがもっと早く体を壊していた。
    • それでYOSHIKIがピアノに専念することになったため、ドラムスが打込みになるか、6人目のメンバーが登場…って、なんかヤだなw

男闘呼組

  1. TOKIOのデビューが遅れていた。あるいはバンドとしてデビューしなかった。
    • 城島・山口はジャニーズを出て別のバンドを結成していたかも。
  2. 後にバンドごとジャニーズから独立して本格的ロックバンドとして大成していた。
  3. 男闘呼組としての音楽活動がメインになるため、個々の俳優活動は現実よりも縮小されている。
    • 高橋和也がイ・ビョンホンの吹き替えをすることもなかった。
  4. それでも岡本健一の息子は史実通りジャニーズ事務所に入っていた。
  5. 上杉昇、坂井泉水、小田佳奈子、川島だりあ、秋元康、船橋孝樹などの作詞を歌っていた。
  6. シャ乱Q、T-BOLAN、BAAD、ZYYG、MAGICをライバルだと認識していた。
  7. 樋口宗孝、上領亘、角田美喜をサポートドラマーにしていた。

girl next door

ボーカルの千紗が北島康介との結婚で解散したgirl next door。もし解散しなかったら。

  1. avex 所属の紅白歌合戦出場歌手とレコ大受賞歌手がAAAのみになることはなかった。
  2. day after tomorrowの曲をカバーしていた。
  3. 北島康介の現役引退の時に何らかの形でメッセージを出していた。
  4. 千紗は結婚引退していなかったらこうなっていただろう。

キャンディーズ

  • 普通の女の子に戻らなかったら?
  1. モー娘。並みの大人数になる。
    • 途端に人気急降下。
  2. 単に普通のオバサンになってたにすぎない。
  3. 伊藤蘭は水谷豊と結婚しなかった。
  4. アミューズ設立に関わっていた。
  5. 「プロポーズ大作戦」(ABC)最終回に出演して「ラッキーチャンスを逃がさないで」を生で披露していた。
  6. 今のように名前が残らない可能性があった。
    • 麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
      • その場合、南海キャンディーズも別のコンビ名を付けていたかもしれない。
  7. ザ・ハンダース「ハンダースの想い出の渚」の物真似のネタにキャンディーズが登場しなかった。
  8. 山口百恵も結婚後芸能界を引退しなかったかもしれない。
  9. いつまでも全キャン連が存続していた。
  10. 微笑がえしはベストテンに何ヶ月もランクインし続けたりはしなかった。
  11. 田中好子死去とともに解散したかも。
  12. 日本レコード大賞の何らかの部門賞を受賞していたかもしれない(史実ではどの部門賞も受賞していない)。

さ行

THE GOOD-BYE

1990年に活動休止に入った後、2003年に活動再開しましたが、もし休止期間がなかったら?

  1. 男闘呼組やTOKIOに何らかの影響を与えていた。
  2. いずれにしろ、どこかのタイミングでジャニーズ事務所を退所していたと思う。
  3. ヨッちゃんが浜崎あゆみのバックでギターを弾くこともなかったか?

Cyber Nation Network

平間あきひこ(Professor H)とSister MAYOのユニット

  1. 現在でもアニソン中心で活動。水樹奈々やLiSAに多々影響を与えていたかも。
  2. MAYOのProject.R入りはなかった。

C.C.ガールズ

  1. 3代目C.C.ガールズとして活動していた。
  2. 以降もメンバーチェンジを繰り返していた。

シブがき隊

  1. =光GENJIのブレイクがなかったら、である。
  2. 3人とも事務所を移籍することなく、ジャニーズに残留し続けていた。
  3. 少年隊の良きライバルとなっていた。
  4. 仮に解散がなくても少年隊の様にソロ中心になっていたかもしれない。

シャインズ(SHINE'S)

伊藤ようすけ(東京プリン)と杉村太郎のユニット

  1. =「杉村太郎の実業家転身がなかったら」である。
  2. 東京プリンの結成はなかった。

Sugar Babe

  1. 大瀧詠一がメンバー入りしていたかもしれない。
  2. イギリスの女性グループ「Sugarbabes」とグループ名が混同される。

JUDY AND MARY

  1. YUKIは今でもソニーと契約更新してた。また、バンドとソロの両方で東京ドーム公演をした最初の女性アーティストにもならなかった。
  2. それでも恩田快人は脱退していたかも知れない。

杉山清貴&オメガトライブ

  1. カルロス・トシキはソロを続けていた。
  2. 「1986」「カルロス・トシキ&」名義の楽曲もいくつかは「杉山清貴&」名義でリリースされていた。

SPEED

2008年に再結成したSPEED、もし解散することなく現在まで活動を続けていたら?

  1. プロデューサーが伊秩から変わった可能性あり。
    • どっちみちそのタイミングでトイズからエイベックス移籍は免れられなさそう。
  2. 今井絵理子ができ婚で脱退。AKINAあたりが新メンバーになっていた。
    • この後にメインヴォーカルが上原多香子+島袋寛子とする曲がいっぱい作られる。プロデューサーはTommy February 6。
    • 仮に今井絵理子が脱退しなかった場合参議院議員になることはなかった。
      • 不倫騒動もなかった。
  3. それでも第四のメンバーの地位は第四位のまま。ネタキャラとしての地位はダントツだったろうけど
  4. 逆にMAXが解散していた。
  5. 全員のソロシングルを同日発売、なんてことをしていたかもしれない。
  6. 2000年以降、CDの売上は低落傾向になるが、それでも芸能界における一定の地位を維持。
    • 所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
      • 平氏の逮捕劇が起きなかった。
    • モーニング娘。がハロープロジェクトを立ち上げたのに対抗して、EARTH、Folder5などとともにライジング系女性アイドルの集団を作って売り出す。
      • 満島ひかりはFolder5の活動がメインとなり、現実ほど女優に力を入れていなかった。
  7. ハロープロジェクトは現実と違いSPEEDに押されていた。
  8. 2ちゃんねるに「SPEED板」が出来ていた。
  9. つんくが曲を提供することもなかったはず。
  10. オフィシャルサイト「SPEED ARENA」が未だに公開されていたはず
  11. AKBには負けていた・・かな?

ZONE

  1. プリンセス・プリンセスと並んだ後ヒットが終わる。
  2. 北海道出身ということでこのチームの応援歌を歌っていたかも。
  3. あの花のEDに「secret base 〜君がくれたもの〜」が使用されなかったかも。
  4. MIZUHOが石橋貴明に「×××××の先」呼ばわりされなかったらMIZUHOは見切りをつけて脱退することなく、解散に追い込まれることはなかっただろう。
    • そもそもMIZUHOは芸能活動に意欲をなくすことはなかった。
  5. MARIAもなかった。
  6. 史実では3人で再結成→TOMOKA引退→MIYU契約解除→活動終了となったが、メンバーチェンジを繰り返していた。

たな行

ザ・タイガース

  1. 岸部兄弟の2人は史実ほど俳優業に力を入れなかった。
    • 『西遊記』(堺正章版)の沙悟浄役は別の俳優になっていた。
    • 岸部シローは『ルックルックこんにちは』の司会に抜擢されることもなかった。
      • 事業に手を出したり自己破産に追い込まれたりすることもなかっただろう。
    • 岸部大輔(一徳の息子)が加入したかもしれない。
  2. 瞳みのるは芸能界を引退せず、高校教師になったり中国語の教本を出したりすることはなかった。
    • 実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
      • そもそもそのコンサート自体なかったかも。
  3. 沢田研二の曲のいくつかはザ・タイガースのものになっていた。
  4. 森本太郎の「タローとアルファベッツ」や「森本タローとスーパースター」はなかった。
  5. グループサウンズブームはもっと続いていた。

チェキッ娘

  1. モーニング娘。をライバル視していた。
  2. 『DAIBAクシン!!』は打ち切られることはなかった。
  3. 熊切あさ美は崖っぷちアイドルとして売り出すことはなかった。
  4. 『電波少年的15少女漂流記』にはメンバー全員参加していた。
  5. アイドリング!!!は結成されなかった。
  6. 藤岡麻美がディーン・フジオカの妹ということもあってか、彼は「アイドルグループのメンバーの兄」で売り出すことができていた。

チューリップ

  • 1989年にいったん解散したチューリップ。もし活動を続けていたら・・・・。
  1. 「ひとつ屋根の下」で使われた「サボテンの花」は財津和夫がリテイクしたものではなく、オリジナルのチューリップのものが使われていた。

TMN

  1. TMN→TM NETWORKへの再改名というのもあったかもしれない。
    • あるいはTM INTERNET-WORKに改名していた。
  2. 小室プロデュースの歌手が大量に世の中に出る事はなかった。
    • そもそも小室哲哉がプロデュース業に力を入れてなかったらこうなっていただろう。
  3. globe自体存在しなかった。
  4. 果たしてavexはあそこまで大きくなっただろうか。
  5. 2008年11月4日にあの惨事が起こることもなかった。
  6. 何かと不評なベストアルバムの乱発もなかった。
  7. B'z、FENCE OF DEFENSE、access等の所謂「TMファミリー」が一堂に会したスペシャルライブが前世紀中には行なわれていた。
    • 上記のバンドのメンバーがTMのライブでサポート乃至はゲストで出演という事は実際にあるが。
  8. 上記の再改名という場合でも、TMN名義によるオリジナルアルバムは後数枚リリースされていた。
  9. おそらく、trf「WORLD GROOVE」に入ってる曲のいくつかはTMNのものになっていたはずである。
  10. TMN終了後にリリースされた宇都宮隆と木根尚登のソロの楽曲のいくつかはTMの楽曲となっていた。
    • 宇都宮隆バージョンの「RUNNING TO HORIZON」はTMバージョンとしてカバーされていたかもしれない。最も現実にはこの曲のカバーはTMの活動再開後にリリースされているが。
  11. T.M.Revolutionと混同する人が現実以上に多くなっていたかもしれない。
    • あるいは世代に関係なく、「TM」といえばネットワークを思い出す人が多くなっていたか?

day after tomorrow

  1. GIRL NEXT DOORは結成されなかった。
  2. misonoのバラエティ進出はなかった。
    • 「クイズ!ヘキサゴン2」のレギュラーになる事もなく、里田まいwith合田姉妹も企画されなかった。
    • おバカタレントの1人として名を馳せることもなく、ブログでの失言で炎上を度々起こすこともなかった。
    • 安倍麻美の存在が薄れることもなかった。
  3. 倖田來未の存在が薄れていた。
    • 倖田來未がBACK-ONのKENJI03と結婚し、彼がmisonoの義兄になった際には、義理の兄と妹が歌手グループのボーカルになっていた。
    • というか、エイベックスは倖田來未に力を入れることはなかったのでは?
  4. ELTの仕事を奪っていた。

dos

  1. KABA.ちゃんはオカマタレントとして再ブレイクすることはなかった。
    • 但しダンサー・振付師として一定の知名度は保っていただろう。
    • 去勢することもなかった。
  2. 西野妙子は女優に復帰することはなかった。
  3. Kiss Destinationはなかっただろう。
    • 吉田麻美は小室哲哉と結婚したり離婚したりすることもなかった。
  4. 小室ファミリーの黒歴史が減っていた。

D'ERLANGER

2007年に再結成したが、ここでは「もしブランクがなく活動を続けていたら」という前提で。

  1. 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
  2. BODYは結成されなかった。

は行

B.B.クイーンズ

  1. 数多くのアニソンをリリースしていた。
    • ただしお子様ソング路線を維持しているため、現在のアニソンがJ-POPばかりになることもなかった。
  2. Mi-keが活動休止することもなかった。
  3. 名前の縁でトヨタbBのCMに出演していたかCMソングを歌っていた。

光GENJI

  1. SMAPの良き兄貴分となっていた。
    • むしろSMAPが史実ほど人気が出ていなかった可能性がある。
  2. 「勇気100%」はミリオンヒットになっていた。
  3. 少年隊の影が薄くなっていた。
    • 少年隊のほうが先に解散していた。
  4. 諸星和己は史実の木村拓哉的存在になっていた。
    • もちろん暴露本なんて発表しない。
    • 40近くになっても合言葉は「こんばんはー!」。
  5. 赤坂晃がクスリで逮捕されることもなかった。
  6. V6・嵐などが結成されることもなかった。
    • グループが粗製濫造されることはもちろんなかった。
    • V6はともかく嵐は結成されていたのでは?世代も違うし。
    • V6は期間限定で終わっていたのでは?
  7. Kis-my-ft2もデビューに至らなかったか路線が変わっていた。
  8. ジャニーズはSMAPに力を入れることはなかった。

美少女クラブ31

2007年以降、事実上活動を休止した美少女クラブ31ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?

  1. X21は結成されなかった。
  2. 剛力彩芽や武井咲がメンバー入りしていた。
  3. 名前の縁でサーティーワンアイスクリームのイメージキャラクターを務めていた。
  4. AKB48に対抗して研究生制度を導入していた。
    • 欠員が出たらその都度昇格する体制を取っていた。
  5. テレビ朝日はももクロ推しをしていなかった。
    • アップフロントとの関係も修復されることもなかった。
  6. オスカープロモーションの黒歴史が減っていた。
  7. ハロプロの仕事のいくつかを奪っていた。
    • ライジングプロダクション(当時はヴィジョンファクトリー)も追い詰めていた。安室離脱と共に事務所解散なんて可能性も。
    • モー娘。に至ってはかなりの影響があった。
    • DreamもE-girlsに合流する前に解散していた。
  8. グラビアにも本格的に進出し、グラビアアイドルの仕事も奪っていた。
    • 史実の乃木坂46よろしくモデルにも進出。
    • 篠○愛が「美少女クラブウザイ」発言をして物議を醸していた。
      • この一件でグラビアへの進出にとどめを刺したかも。
  9. それでもAKBには負けていただろう。
    • むしろ存在が薄れていたかも。

Folder5

  1. メンバーチェンジくらいはあったかな?
    • あったとしたら、DA PUMPみたいに沖縄アクターズ以外からの加入だった。
  2. HIKARIが女優に転向することはなかった。
  3. AKINAもShiny Lipsを結成せず、ビビる大木との結婚もなかった。
  4. 三浦大知復帰の際に「三浦大知 with Folder5」としてコラボしていたかも。

The Flipper's Guitar

  1. 小沢健二のソロ曲がフリッパーズ・ギター名義で発表されており、小山田のボーカルで歌われる。
    • 小沢健二の代わりにフリッパーズ・ギターがNHK紅白歌合戦に出場していた。
  2. 「今夜はブギーバック」がスチャダラパー×フリッパーズ・ギターで発表される。
  3. そもそも「渋谷系」が有ったかどうかも分からない。
  4. 2004年のエイプリルフールに「エイプリルズ、バンド名をフリッパーズギターに改名」と発表されることもなかった。

THE BLUE HEARTS

  1. ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズの結成はなかった。
    • これらの楽曲もブルーハーツ名義で出ていたのかな?
    • たぶん出ていた。
    • 1995年以降、史実のハイロウズのようにシュールな歌詞の曲が多くなりファンの間では賛否両論分かれた。
  2. 河口が新興宗教に没頭していないので、「幸福の生産者」という曲は存在しない。
    • ていうか「PAN」自体出てない。
  3. 2004年頃、自衛隊のイラク派遣を受けて「すてごま」をセルフカバーしていた。
  4. 史実ではハイロウズが務めた、セックス・ピストルズの日本公演の前座を務めていたかもしれない。
  5. アメリカ同時多発テロを痛烈に皮肉った曲をリリースしていた。
  6. 今ごろ紅白に出場していたかもしれない。
  7. チルドレンによる青春パンクブームは起こらない。

BLUE BOY

  1. 川崎フロンターレの応援歌を歌っていたかもしれない。
  2. ドラムの青木慶則が「自分一人で活動したい。」という心の声が大きくなったことが原因で脱退していた。(史実ではこれが原因で解散した。)

BaBe

  1. Winkと二分される存在になっていた。
    • Winkとキャラが被ることで解散に追い込まれたとみなされることはなかった。
    • Winkをライバル視していた。
  2. その後は脱ユーロビート路線に転じていた。
    • その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
      • 更にその縁でピンクレディーの曲もカバーしていた。
      • 平成のピンクレディーと呼ばれていた。
  3. 所属事務所であるエスワンカンパニーが破綻することはなかった。
  4. 1990年頃に予定されていたコンサートツアーが中止になることはなかった。
  5. 「名前の縁」で映画『ベイブ』の主題歌を歌っていた。
    • そして海外進出を果たしていた。

BOØWY

  1. 1990年代以降もヒット曲を連発。ビーイング系アーティストなどの強力なライバルとして君臨。
    • しかし、松本孝弘、増崎孝司、増田隆宣、生沢佑一をレコーディングに参加していた。
  2. 個々のソロ活動はバンド活動が一段落した合間に行われる。
    • De-LAXは登場しなかったかもしれない。
    • しかしCOMPLEXは元々から期間限定ユニットだったので登場しているかも。
  3. CMやドラマ主題歌のタイアップは多いが、BOØWYとしての音楽番組への出演は頑なに拒否し続ける。
    • 布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
      • しかし映画やCMには積極的に出演する。これは史実通り。
    • ヒムロックも史実通り『HEY! HEY! HEY!』のみに出演番組を絞っている。
  4. M田氏への事件発覚後、ヒムロックが謝罪会見を行い、2007年後半はグループ活動を自粛。
  5. 布袋様のソロ曲のうち何作かがBOØWY名義で発表されており、ヒムロックのボーカルで歌われている。
    • 氷室ボーカルの「スリル」って…、ちょっと怖いもの見たさすげえ、聞いてみてえw
  6. 松井さんは変わらずに不動の8(エイト)を刻み続けている。
  7. 高崎市が聖地化。
  8. いつの頃からか、まこっちゃんのステージパフォーマンスが一番派手になってる。
  9. 布袋様が女性関連のスキャンダルの度に、ヒムロックが謝罪する。
  10. 山下久美子もしくは今井美樹のツアー・レコーディングに全メンバー参加。
  11. 98年までは大晦日の東京ドーム公演をX JAPANと奪い合いそう。

BODY

  1. 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
  2. CRAZEの結成、D'ERLANGERの再結成はなかった。
    • よって「I LOVE YOU」は2014年現在に至るまで「BODYの楽曲」として認知されていた。
    • CRAZEの存在がなかった=D-SHADEも存在しなかった。
  3. 藤崎賢一はソロ、飯田成一は別バンドで活動してた。
  4. ラルクはブレイクしなかった、あるいはブレイクが遅れていた可能性もある。

ま〜わ行

MAGIC

  1. 小坂、菅井脱退以後、RODEOとの合流を待って、LOUDNESSのような再生時代に入っていた。

ミニモニ。

  • ミカのハロー!プロジェクト卒業により活動を休止したミニモニ。だが、その後も活動を続けていたら?
  1. ミカの卒業後、紆余曲折ありメンバーを入れ替えながら活動継続
    • この紆余曲折のせいで、今頃初代メンバーとして各番組で紹介できるのは辻のみになっていた。
  2. 楽曲が幼稚園、保育園のお遊戯で使用されていた
    • 子供たちの支持を受け他のハロプロユニットの人気も上昇していた。
  3. 『おはスタ』に引き続き出演し続けていた。
  4. 「新ミニモニ。」はなかった。
    • 史実の新ミニモニ。メンバーはメンバーチェンジの際に順次本家ミニモニ。に加入していた。
  5. イロモノアイドルグループとしてももクロと人気を二分していた。
    • だがももクロには負けていた。
    • 渡り廊下走り隊とも人気で張り合っていたかも。
  6. ギャルルは結成当初からあべべ(安倍麻美)がメンバーだった。
  7. 「いぬモニ。」は登場しなかっただろう。

ラッツ&スター

  1. 田代まさしと桑野信義は芸人に転向することはなかった。
    • 志村けんと関係を持つこともなかった。
    • 田代まさしは「ダジャレの帝王」と呼ばれることもなかった。
    • 『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ版)の爺は誰がやっていたのだろうか。
      • ボケもツッコミも両方できるという点で伊東四朗さんか加トちゃん辺りかなあ。
    • そもそもメンバー仲がギクシャクしていなかったらこうなっていただろう。
  2. 田代まさしは×××××に走ることもなかった。
    • 「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
      • この場合、(同時期に逮捕された)稲垣メンバー祭りが史実以上に加熱していた。
  3. 鈴木聖美との関係がもっと親密になっていた。
    • 鈴木聖美がメンバー入りし、男女混成ユニットになっていた。
  4. 史実で鈴木雅之名義でリリースされた曲はラッツ&スター名義でリリースされていた。
  5. ゴスペラッツも結成されなかったかもしれない。

REV

  1. 出口雅之として再出発することはなかった。
  2. LIVやRev. from DVLとの混同が起きていた。
  3. 名前の縁でアイオメガの記憶媒体であるREVのイメージキャラクターを務めていた。
    • REVの普及を促進をしていた。

ザ・ワイルドワンズ

ザ・ワイルドワンズは1971年に一度解散するも、10年が経過して加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズとして再結成されましたが、もし、解散せず空白期間がなかったら?

  1. 「加瀬邦彦と」の冠はもちろん付かないままだった。
  2. 「ザ・ワイルドワンズ'91」もなかったか?
    • 「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」もなかっただろう。
  3. 渡辺茂樹がバンドを転々とすることもなかった。
  4. 加瀬邦彦も自殺しなかった?
  5. サザンオールスターズにも何らかの影響を与えていた。場合によってはコラボも実現したかもしれない。
    • ひょっとしたらワイルドワンズもアミューズ所属になっていたかもしれない(アミューズ創業者が最初にマネジメント担当したのがワイルドワンズだった)。

wuz↑b?(ワサビ)

2002年に解散したwuz↑b?ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?

  1. メンバーチェンジを行っていたかもしれない。
  2. 植物のワサビを「wuz↑b?」と書く人が増えていた。

WANDS

  1. その後もメンバーチェンジを何度も繰り返していた。
    • ボーカルの場合は上杉昇に似た歌声をさせられる。
    • ただし、木村だけはずっと脱退せずに残リ続けた。
      • そして、彼の事実上のソロプロジェクトとなっていた。
      • それでも音楽性の違いで脱退したのでは?
      • 第3期の体制を現在に至るまで堅持していたら和久二郎はバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することもなかった。
        • =もしメンバーチェンジに成功していたら、といえる。
    • 上杉以外のメンバー復帰もあり得た。
  2. B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
  3. 名探偵コナン」の主題歌の常連になっていた。

関連項目