もしあのイベントが○○だったら
2020年8月20日 (木) 22:38時点における>中竹たけしによる版 (→きたまえ↑札幌マンガ・アニメフェスティバル: 札幌市芸術文化財団2017年事業報告書より)
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独立済み
成功していたら
淡路島ガールズ・ポップ・フェスティバル
- FORCE MUSICがイベント運営業務からの撤退することはなかった。
- 寺嶋由芙が淡路島の女王と呼ばれることはなかった。
- 「有吉反省会」で紹介されなかった。
UDO MUSIC FESTIVAL
ガラガラだったのにスポーツ新聞やテレビでは大勢のお客さんが来ていたことになっていました。もし、本当に大勢のお客さんが来ていたら?
- KISSのポール・スタンレーが「今夜ここに4万人ものオーディエンスが集い……後ろを振り向くんじゃねえ!」と言うことはなかった。
- マナーの悪さ(前列の方でイス、ゴザ、テーブルを置いている客がたくさんいた。)が原因であちこちで乱闘が起きてしまった。
- 史実より大変なことが起きていたはず。
開国博Y150
- マスコットキャラクター「たねまる」は、そのまま横浜市のキャラクターに就任。
- 「横浜博」の二の舞…などと罵られることはなかっただろう。
- 神戸開港150周年を記念して2017~18年に神戸でも似たようなイベントが行われていた。
COOL JAPAN YAMANASHI 2013
- 全国のありとあらゆる"ハコモノ"施設でクールジャパンイベントが行われるようになっていた。
- 交通の便が悪くても有料シャトルバスで対応。
- 結果、徳島の『マチ☆アソビ』のように、地方での強みを生かして成功したイベントも共倒れに終わる。
世界・食の祭典
- ショックの祭典と言われることはなかった。
- 自殺者まで出ることもなかっただろう。
- 夏季オリンピックの年に開催される、恒例イベントとなっていた。
- 2回目以降は会場を全道に拡大。
- 2008年の第6回では『夕張を救え!』というキャッチフレーズがつけられていた。
- 2012年の第7回は、東日本大震災復興支援イベントとして行われていた。
- 道内のテレビ・ラジオ各局でも特番が組まれていた。
- 『水曜どうでしょう』でも、世界・食の祭典の会場を舞台にした企画が放送されていただろう。
- 札幌をはじめとする北海道の有名ラーメン店も多数出展していた。
- ウィキペディアでの記述も変わっていただろう。
- キャスビレッジももう少し長く営業が続いていた。
- 北海道での万博開催が検討されるようになっていたかもしれない。
- 北海道新幹線が現実よりも早く開通していたかも。
- 青函連絡船復活運航は、青函博だけでなくこちらの宣伝も兼ねていることがもっと知られていた。
- タカアンドトシ(メンバーの2人が北海道出身)の凱旋お笑いライブが、最低1回は行われていた。
- 横路北海道知事(当時)は、もう少し知事を続けた後、現実通り国政に進出していた。
- 横路知事ならびに北海道の黒歴史になることもなかった。
- もちろん、黒字で終わっていたし、目標の400万人を軽々超えていた。
- 当時北海道は、最終的に約90億円にも及ぶ赤字に終わる。無論、観客動員数は目標を大きく下回る170万人、うち有料での入場者は90万人程度。
- 世界都市博覧会は予定通り開催されていた。
- 青島幸男が都知事になれたか不透明。
- 出馬していたかどうかすら怪しい。
- TAMAらいふ21の失敗があったから中止の可能性はあった。
- 青島幸男が都知事になれたか不透明。
- これが後のオータムフェストに発展していた。
- レストラン電車は交通局が管理し、普段から貸切電車車両として人気を集めていた。
- 旭川市の開基100周年の博覧会も開催にこぎつけていた。
- 色々試行錯誤の上、さっぽろオータムフェストやさっぽろ大通ビアガーデンみたいな感じに落ち着く。
横浜博覧会
- 全国の地方博覧会のいい見本となっていた。
- やくみつるの漫画で「横浜の恥」と書かれることはなかった。
- 当時「パロ野球ニュース」と言うマンガでこっぴどくこき下ろしていた。
- もちろん「崎陽軒のシウマイ弁当を購入すると、無料招待券が1枚もらえた」なんてことはあり得ない!
- コスモワールドの規模も大きくなっていた。
- 同じ港町ということで1981年に神戸で開催されて大成功を収めたポートピア博覧会と何かと比較された。
- 会場内の鉄道は今も走っている。
- 1989年8月の台風上陸がなければこうなっていたかも。
失敗していたら
Animelo Summer Live
- アニメソングのジャンルとしての盛り上がりは史実ほどではなかった。
- アニメ専門以外のメディアでアニメソングについて取り上げられる機会が減少していた。
- 「ANIMAX MUSIX」や「リスアニ!LIVE」、「アニソンキング」も開催されない。
- ドワンゴのアニメソングコンテンツ配信は史実よりも小規模になっていた。
- アニソンコンサート配信「アニメロライブ」もなかった。
キャラフェス
- アダルトゲームで出演声優のルックスや主題歌などの音楽が重視されることはなかった。
- アダルトゲーム主題歌中心のライブイベントはありえない。
- 榊原ゆいによるヲタ芸禁止宣言もない。
- アダルトゲームのテレビアニメ化は史実ほど盛り上がらなかった。
- VOCALOIDが出てくるまでのブームだったと思うが。
- アダルトゲーム主題歌中心のライブイベントはありえない。
- Dreamparty、character1も開催されない。
神戸ルミナリエ
- 「神戸ルミナリエ」は復興のシンボルと言われることはなかった。
- ただ「震災を忘れない」という意味で、規模を小さくして続けられていたかも。
コミックマーケット
- 同人誌は本来の意味でしか使われない。
- 「本来の意味」って恐らく文藝の同人誌のことだと思いますが、漫画の同人誌はコミケが始まる前から存在してましたよ。初期の漫画同人誌からプロデビューした漫画家には藤子不二雄・赤塚不二夫・石ノ森章太郎らがいます。
- 少なくとも現実の形態では使われなかっただろう。
- 「本来の意味」って恐らく文藝の同人誌のことだと思いますが、漫画の同人誌はコミケが始まる前から存在してましたよ。初期の漫画同人誌からプロデビューした漫画家には藤子不二雄・赤塚不二夫・石ノ森章太郎らがいます。
- 幕張メッセや東京ビッグサイトを含むコンベンション施設は史実ほど建設されなかったかもしれない。
- マンガ図書館なんか構想すらされなかった。
- 日本漫画大会の二の舞になっていた。
- りんかい線、ゆりかもめは赤字経営になっていた。
- 確かにコミケの時期の混雑は凄いが普段の乗客も多いからそれはない。
- フジテレビのみで臨海副都心が発展できたか不透明。
- 大阪市問題並の重大な問題として史実以上にクローズアップされていた。
- 少なくともガンダム設置は無かっただろう。
- 他にも様々な施設があるからそれはない。
- 2000年代以降の東京オリンピック招致にやきもきすることはなかった。
さっぽろ雪まつり
- 雪ミクは誕生しなかった。
- クリプトン・フューチャー・メディアが北海道の企業であることが史実ほど知られない。
- 札幌市がユネスコの創造都市ネットワークに参加しなかった。
世界コスプレサミット
- 河村たかし名古屋市長はアムロ・レイのコスプレを披露しなかった。
- ブラザー工業はアニメへの関心を無くしていた。
- TAKERUも黒歴史に。
- らき☆すたとコラボしなかった。
- 大須からオタク系店舗が消え去っていた。
- テレビ愛知も大須から移転していた。
- ID-Oもなかった。
ニコニコ超会議
- 赤字幅にもよるかもしれませんが。
- 在日米軍が一般向けにアピールする機会はほとんど無かった。
- 米軍基地でのイベントなどがあるからそれは無い。
- 各政党も若者向けにアピールする機会はほとんど無かった。
- ニコ生で中継以外のコンセプトを決めないのが原因とされた。
B-1グランプリ
- ゆるキャラグランプリが大コケした場合と同じかな?
- コンビニ、スーパー、道の駅等苦しくなっている。
- 運営や観客数が「B級だった」と批判されていた。
- 「B級グルメ」という単語の意味は「B級=あまり美味しくない」料理、という意味になっていた。
マチ★アソビ
- 地方での特定作品に依らないアニメイベントはタブーになっていた。
- お隣の香川県でキャラ★フェスが開催されることもない。
- ufotableは徳島県から撤退していた。
- 阿波おどりのポスターにアニメキャラが使われなくなっていた。
ゆるキャラグランプリ
- 町おこしのためにゆるキャラを作るという自治体は史実より少なかった。
- ゆるキャラブーム自体が全くなかったとは考えにくいが、全国区での人気を獲得するというケースはほとんどなく、地域単位でのブームに留まるケースが多かった。
- それでもふなっしーは何らかの形で全国区に浸透していた。
- おそらくピン芸人としてブレイクしていた。
- YouTuberとして有名になっていた。
YOSAKOIソーラン祭り
- 長谷川岳は国会議員になれなかった。
- 杉村太蔵は2009年の総選挙で北海道第1区から出馬していた。
- 多分落選してあとは史実通り。
- 杉村太蔵は2009年の総選挙で北海道第1区から出馬していた。
- 北海道民は本州の文化を受け入れることに消極的になったかもしれない。
- 「みちのくYOSAKOIまつり」は史実通り行われても小規模だった。
- 「YOSAKOIさせぼ祭り」など、この祭りの影響を受けた祭りは存在しなかった。
今でも開催されていたら
闘劇
- 2013年以降は主催をKADOKAWAに変更して開催されていた。
- =2012年の第10回大会での不手際がなかったら、である。
- EVO Japanは開催されなかったか、別の形で開催されていたか。
- 『UNDER NIGHT IN-BIRTH』や『ストリートファイターV』、『電撃文庫 FIGHTING CLIMAX』あたりは確実に開催種目に選出されていた。
きたまえ↑札幌マンガ・アニメフェスティバル
- AIR-G'前田幸の上京で司会はSTV藤井アナのみになっていただろう。
- あるいはノースウェーブ片岡香澄とのタッグとなっていたか。
- =T×T GARAGEがスポンサードを継続していたら、であるかもしれない。
- 赤い羽根まんが祭りとの共同企画が続いていた。
- nonocは確実にライブ出演していた。
- eスポーツ関連の企画も入れられていた。
- 林原めぐみは大通でのジャズライブ出演ではなく、芸術の森野外ライブにてトリを飾っていた。
- 派生コスプレイベントの来場者が数十人となることもなかった。
イベント別
祇園祭
山鉾巡行の日程が統合されなかったら
祇園祭の山鉾巡行は元々は7月17日の前祭と24日の後祭に分かれていましたが、1966年から2014年までに両方の日程が17日に統合されました。もしこの日程統合がなかったら・・・。
- 祇園祭は現在でも17日の前祭には鉾が、24日の後祭には山が巡行するようになっている。
- 山よりも鉾の方が勇壮なので、祇園祭といえば17日の前祭を指すようになっていた。
- 17日の前祭が終わると直ちに後祭の準備に入る。このため四条通などの交通規制は7月の半分以上にわたって行われるようになっていた。
- さすがに、それをやってしまうと流石の京都人も嫌な顔をするので、せいぜい前後祭当日とその前4日間ずつがいいところの気がする。
- 7月21~23日は後祭の宵宮ということになっていた。
- 祭りの見物客はやはり17日の前祭の方が多いが、少し分散されていた。
- 7月24日の「花傘巡行」はなかった。
- 大船鉾が20世紀の間に復興されていたかもしれない。
- 1864年に焼失するまでは後祭の最後尾を務めていたため。
- 2014年に後祭が復活するのに伴い大船鉾も復興しました。
- KBS京都の山鉾巡行中継は、前後祭各1回ずつの年2回放送になる。
- 数が分散されるので各巡行とも昼頃には終わる。
- その場合、本来は途中までしか中継できていない巡行の様子が、年によって、完全中継ができたりできなかったりという事態が起きる。
- そうなると、梶原アナウンサー辺りは放送時間と祭りの進行状況を気にしながら司会進行に当たるだろう。
- その場合、本来は途中までしか中継できていない巡行の様子が、年によって、完全中継ができたりできなかったりという事態が起きる。
- しかし2014年から再び前祭と後祭に分かれようとしている。
世界都市博覧会
1996年にお台場で開催される予定だった「世界都市博覧会」は、1995年5月に青島幸男都知事(当時)により中止にされましたが、もし別な展開を迎えていたら?
開催されていたら
- 21世紀になった今でも、お台場では空き地が目立つ。
- 現実も結構空き地多いと思うが。
- 最近はだいぶ減ってきた。おかげで某イベントの時、駐車場に苦労する。
- 当初の予定通りオフィス街になればレインボーブリッジの向こうには第二の新橋が広がってる。
- フジテレビは今も河田町に。
- もしくは、2005年あたりに移転。
- それはないな。移転はすでに決まっていたから。
- そればかりか、開幕直前の移転になっていたに違いない。建物は1996年春落成だから。
- でもビッグサイトはある。
- テレコムセンターもある。
- 都市博終了後、大阪の万博公園みたいに跡地が、記念公園となる(かな…)。
- 東京MXテレビで「都市博だより」が、期間中連日放送される。
- 深夜等のフィラーで、都市博会場の模様を流し続ける。(事実、現実には、テレコムセンターにある本社(当時)の天カメからの映像を流していた。)
- 史実のパレットタウンやヴィーナスフォートなどは記念公園内に建設され、史実通りアーバンリゾートとして名を馳せている。
- 現実も結構空き地多いと思うが。
- オリンピック誘致ではお台場周辺がメイン会場となる。
- 「ゴジラVSデストロイア」で派手に破壊されていた。
- ゆりかもめは開業直後、博覧会の入場者で大盛況だった。
- お台場へ向かうバス路線が現実より増えていた。
- イメージソングだったスティーヴィー・ワンダーの「For Your Love」が有名になっていた。
- 日本においては「To Feel The Fire」などと並ぶ1990年代スティーヴィーの代表曲の一つになっていた。
- 大コケしていた場合、その後の愛・地球博も史実より規模や入場者数が少なかったかもしれない。
- オウム真理教が博覧会粉砕・撹乱を掲げ大規模テロを計画していた。
企画されなかったら
- 青島都知事は誕生しなかった。
- 臨海副都心やお台場が有名になるのも遅れていた。
- 有名になるとすれば早くてもフジテレビ移転後か。
バブル期に開催されていたら
- 大阪で開かれていた「国際花と緑の博覧会」は開催されていなかった。
東京国際アニメフェア
2011年の開催が実現していたら
- それでもボイコット自体は史実通り。
- アニメコンテンツエキスポもこの年から開催していた。
昔から存在していたら
- もちろん子供向けアニメばかりが揃っていた。
- しかし21世紀に入ると萌えアニメばかりにシフトされる。
- ドラゴンボールシリーズはもちろん常連だった。
- 声優アワードもこの頃から存在していたかも。
内国勧業博覧会
現在も行われていたら
1877年から1903年にかけて5回開かれた内国勧業博覧会は日本で産業革命を促進する役割を担いました。また、日本で開かれた近代的な博覧会の先駆けともなりました。もしこの博覧会が現在も定期的に開催されていたら?
- 当然ながら時代ごとに目標が変わっていた。
- 昭和10年代に入ると急激に戦時色を帯びてきた。
- 現在は環境・省エネ関連技術の展示が多い。
- 2011年以降は防災関係も。
- 史実で開催地となった東京、京都、大阪以外の場所も開催地になった。
- 名古屋、神戸、横浜では確実に開催されている。
- 福岡、札幌も忘れてはならない。
- 戦前には外地で行われたこともあった。
- 京城、台北あたり?
- おそらく47都道府県の中で現在まで1度も開催地になったことのないところが複数ある。
- 沖縄返還直後、間違いなく那覇で開催されていた。
- 青函トンネルや瀬戸大橋が開通した直後の1990年代前半には北海道か四国で、明石海峡大橋が開通した直後の1990年代後半~2000年代前半には淡路島か徳島で開催されていた。
- 名古屋、神戸、横浜では確実に開催されている。
- 1940年の東京万博が中止になった際の代替として内国勧業博覧会が行われていた。
- 現在までに名称が変更されている。
- 現在は「全日本産業博覧会」(略称:産博)あたりに落ち着いていそう。
- 一回くらいはJAPAN EXPOなどの英字名になる。
- 所轄官庁はどこになったのだろう?
- 万博同様経済産業省では。
- 国際博覧会におけるBIEと同じような常設の事務局が設けられている。
- 開催の周期が一定になっている。
- 5年に1回くらいと思われる。
- 「プロジェクトX」でもよく登場していた。
- 「内国勧業博覧会までに○○を完成させろ」などという形での登場がデフォルト。
- 外国企業の出品も認められるようになった。
- 1981年に神戸市で開催された「ポートピア81」は内国勧業博覧会という扱いになっていた。
- バブル崩壊辺りを境に中止・廃止論が勢いを増していくようになっていた。
- 少なくとも青島都政が一回中止にしているはず。
- 幕張メッセや東京ビッグサイトは内国勧業博覧会を主目的として建設されていた。
- インテックス大阪も。こちらは現実よりも大規模に作られていた。
- ジャパンエキスポ制度はなかった。
浜名湖花博
BIE認定博だったら
大阪花博のようにBIE認定博だったら
- 参加パビリオンも多かった。
- それとともに入場客数も増えていた。
- 会場最寄駅の東海道本線弁天島駅は臨時列車でにぎわっていた。
- 愛知万博が翌年じゃなかったらからかもしれない。
- 史実通り開催なら関連付けられたかも。
御堂筋パレード
現在でも行われていたら
1983年に大阪城築城400年を記念して始まりましたが、当時の橋下大阪府知事が財政再建を理由に2007年を最後に中止されました。もし今でも行われていたら?
- 現在に至るまで大阪の秋の風物詩となっている。
- 今頃はAKB48グループのフロートが参加している。
- 特に地元のNMB48のメンバーが多く参加していた。
- 阪急阪神ホールディングスのフロートなんかも参加している。
- 2018年以降はOsaka Metroのフロートも参加。
- 2017年には大阪府立登美丘高校のダンス部がパレードでバブリーダンスを披露していた。
- 2010年代後半以降は2025年大阪万博誘致をPRするイベントにもなっていた。
- 2020年東京五輪のPRもここで行われ、フラッグもパレードで披露されていた。
- 2008年のパレードは京阪中之島線開業に合わせる形で開催されていた。
- そもそも東京一極集中が現実ほど進まず、大阪経済の地盤沈下も現実ほどではなかったらこうなっていただろう。
- 「御堂筋Kappo」などの後継イベントもなかった。
ゴールデンウィーク開催だったら
- 同時期に中之島で開催されている「中之島まつり」との相乗効果で観客動員が現実以上に多くなっていた。
- 「中之島まつり」が御堂筋パレードの関連イベントにもなっていた。
- 博多どんたく・広島フラワーフェスティバルとともに日本のGWの3大イベントと言われていた。