「もしAKB48があの時代に結成されていたら」の版間の差分

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2021年7月6日 (火) 14:10時点における版

  • 2005年12月に結成されたAKB48。もしもっと昔から存在したら?

1948年 (昭和23年)

  1. AKB48の「48」の由来は1948年の「48」ということになっていた。
    • 乃木坂46も1946年に結成され、両者の立場が逆だったかも。
  2. 戦後復興のシンボルになっていた。
    • 「三丁目の夕日」などの昭和レトロを題材にした作品にも登場している。
  3. 服部良一プロデュース。
    • 服部良一の娘3人をメンバーにしてチーム「A」(作詞家だった長女の服部初音)「K」(二女)「B」(映画『それは或る夜の事だった』『銀座カンカン娘』出演子役だった三女の服部早苗)のキャプテンをそれぞれ務めることになる。
    • 支配人は良一の妻。
    • 共同作業者には良一の妻の従兄の原六朗が関わっていた。
  4. 越路吹雪が宝塚を退団してAKB48の結成に参加し、後に美空ひばりや吉永小百合もAKB48入りしていた。
    • SKD(松竹歌劇団)のライバルとなり、ファン同士も激しく対立。SKDは史実より早く解散したかも。
      • あるいは、戦前からの人気を誇るSKDには勝てず短期間で解散。現在では完全に忘れられている。
    • NMBもこの当時結成されていたら、宝塚やOSKのライバルに。現在の宝塚歌劇は史実より小規模なものに。
      • さすがに当時の関西で宝塚とOSKに勝つのは無理か…AKB以上に忘れられた存在になっているかも。
      • 宝塚は阪急系、OSKが後に近鉄系になったことを考えると、NMBは南海と関係を持った可能性もある。
        • 大阪球場に専用劇場ができていた可能性も。
        • 南海電鉄、南海ホークスのイベントや式典にNMBのメンバーが登場。
        • さやま遊園、みさき公園でスターのサイン会や若手中心のショーを開催。
          • 養成学校は上記のどちらかに作られた。両方に作られて「さやま組」「みさき組」が競い合ったかも。
        • 南海ホークスの選手とNMBのメンバーが結婚なんてことがよくあったかも。
    • 48グループは本名での活動が原則なので、越路は本名の「河野美保子」として、ひばりは本名の「加藤和枝」としてそれぞれ加入していた。
      • アイドルではなく女優だが史実でも宮本真希は宝塚退団後は本名で芸能活動している。
  5. 舞台は青果市場だった。
  6. 親子3代にわたるメンバーも出ている。
  7. 戦後の秋葉原のように少しヤンキーぽっくなる。
  8. ロゴは現実のものとは大幅に異なっていた。
  9. 1964年の東京五輪や1970年の大阪万博にゲストとして呼ばれていた可能性もある。
  10. 「巨人・大鵬・卵焼き・AKB」 のように並べられていた。

1973年 (昭和48年)

  1. AKB48の「48」とは昭和48年の「48」ということになっていた。
    • 時代背景を考えると2年前に欅坂46が誕生して、日本赤軍のメンバーが好んで歌っていたかもしれない。
      • 乃木坂46や欅坂46の「46」が昭和46年の「46」を指していた。
  2. 松田聖子・中森明菜・小泉今日子などの80年代アイドルがメンバーに入っていた可能性がある。
    • おニャン子クラブもAKB48に組み込まれていた。
    • 松田聖子は本名の「蒲池法子」として加入していたかもしれない(48グループは本名での活動が原則なので)。
  3. 1990年代前半のアイドル冬の時代はなかった。
  4. 親子2代に渡るメンバーというのも出現している。
  5. 山口百恵やピンクレディーの人気で1980年までに消滅していた。
    • 逆に山口百恵やピンクレディーがAKB48の人気に押されていた可能性もある。
      • 山口百恵は歌手よりも女優としての活動が中心になっている。ファン層は被らないので人気は史実とさほど変わらず。
      • ピンクレディーはAKBに太刀打ちできず短期間で解散。
        • あるいは、大人向けの歌手に転向。史実ほどのブームにはならないものの、それなりに人気を得ている。
  6. キャンディーズとはライバル関係になっていた。
    • 意外と友好関係にあったかも。ナベプロ所属のメンバーもいるし。
    • キャンディーズはむしろ派生ユニットだった。
  7. おニャン子クラブは「80年代のAKB48」と言われるようになっていた。
  8. プロデュースは都倉俊一。
  9. 宝塚歌劇(史実では、ベルばらブームの寸前で人気が低迷していた時期)は規模縮小を余儀なくされ、今では存続していないかも。
  10. 「スター誕生!」は史実よりもっと早く終了している。
    • その前に、存在しなかったかも。(始まったのは71年)
  11. 1959年生まれの岡田奈々もここのメンバーになっていた。
  12. 1970年代のフォークソングブームやシンガーソングライターの乱立はなかったかもしれない。

1980年代

  1. 中森明菜や松本伊代などが歌っていた映像のあたりにAKB48が登場していた。
    • むしろ彼女たちがAKBメンバーだったかも。
      • 中山美穂なんかもメンバーに入っていた可能性もある。
  2. このあたりから秋元康がプロデュースしていた。
  3. 昭和天皇崩御の時には活動を少し自粛していた。
  4. おニャン子クラブは存在しなかった。
    • あるいは現実の乃木坂46みたいな形で結成されていた。
      • おニャン子クラブは乃木坂46と路線が違うのでむしろ別の形で結成されていた。
  5. 学研の雑誌「MOMOCO」は創刊されなかったか、史実とは大きく違った内容になっていた。
    • 少なくとも一般人の女の子を紹介する「モモコクラブ」のコーナーはなかった。
    • 史実で「モモコクラブ」からデビューした森口博子(本名・花村博美)・西村知美・島田奈央子・酒井法子らはAKB48もしくはその派生グループのメンバーになっていたかもしれない。
      • 穴井夕子・木内美穂・hitomiも。

1990年 (平成2年)

  1. 1980年代末~1990年代初頭のアイドル冬の時代は現実より早く終息していた。
    • 広末涼子や鈴木亜美がAKB48入りしていた可能性もある。
  2. バンドブームはそれほどでもなかったかもしれない。
    • バンドブームだけでなく、1990年代後半の小室系音楽も史実ほどではなかった。
      • ビーイングも。
    • むしろAKBの歌番組やコンサートでのバックバンド巡って争奪戦になってたかも。
  3. 秋葉原に巨大な空き地ができることはなかった。
    • 駅前の空き地にコンサート会場が入居しているビル作るから?
    • もちろんバブル期なので、劇場の規模は史実より確実にデカくて豪華。
    • ちなみにミナミ電気館(現在のドンキ秋葉原)も日本通運本社ビルも当時まだ存在してたので「AKB」でさえなかったはず。
  4. 世紀末オカルト学院の作中でAKBネタが出てくる(こっちの方になるかもしれないが)。
  5. AKB48の「48」は昭和48年生まれの「48」を意味しているといわれている。第二次ベビーブーム世代でもあり、昭和48年(1973年)生まれのメンバーは多かった。
    • 田中陽子もAKB入りするが素行不良で解雇される。
      • 田中陽子は実は解雇じゃなく、意に反する仕事を強要されて引退したそうな(小明のインタビュー「声優 on FINDER」で明かす)
    • 宮沢りえや松嶋菜々子、篠原涼子もAKB入りしていた。
      • 松嶋菜々子は本名の「松嶋奈奈子」として加入していた。
    • 昭和49年(1974年)生まれでも早生まれだと昭和48年(1973年)生まれと同学年になる。そのため高橋由美子や椎名へきるもAKB48入りしていた。
      • 椎名へきるも本名の「椎名牧子」として加入していた。
    • 中澤裕子が現実通り演歌から転向したとしたら、モーニング娘。ではなくAKB48に入っていたかも。
    • アイドル冬の時代がなかった可能性があるので、70年代半ば〜後半生まれの女性アイドルがもっと多かった。
    • 牧瀬里穂や観月ありさ(宮沢りえ含めて史実の当時「3M」と言われた全員)、西田ひかるもAKB入りしていた。
    • 史実の乙女塾系アイドル(永作博美、三浦理恵子、瀬能あづさ、中嶋美智代、花島優子、堀川早苗など)がAKB入りしてた。
  6. この世界のAKB48≒現実世界の東京パフォーマンスドール。
    • この世界のNMB48≒現実世界の大阪パフォーマンスドール。
  7. 人気に翳りが出てきた頃にバブル崩壊。資金難で解散していた。
  8. この辺りから、プロデューサーは秋元康というのがありうる。
    • 裏で特別講師に秋元氏の奥様が登場する可能性も。
    • 秋元がプロデューサーだった場合、ねずみっ子クラブもAKB48グループに組み込まれていた。
  9. 1995年の阪神・淡路大震災の時にはメンバーが被災地を慰問していた。
    • この活動の元祖はソウル・フラワー・ユニオン(当時実際にやってた)
    • 史実の「風は吹いている」のような復興応援ソングを95年にリリース。
      • 平松愛理がメインボーカルの「美し都 〜がんばろやWe love KOBE〜」が既にある。
    • SMAPが「がんばりましょう」を歌ったように発生直後の放送の音楽番組で既存の応援ソングも歌う。
    • 後にNMB48に加入するメンバーには、大震災の被災地慰問でメンバーに元気付けてもらっていた子もいるだろう。
  10. (史実と同じような人気推移を辿ると前提すると)音楽バブル期なので相当な売り上げを記録していた。
    • 選抜総選挙では「東京都心の土地を売った金で1万票入れた!」なんて人が登場して話題になる。
    • 「CDに握手券・投票券を封入」などという発想は出てこない(そのようなことをしなくてもCDが売れるため)。
      • 握手会・選抜総選挙は別の方法で行われていた。
    • 史実以上にミリオンヒットを連発し、音楽バブル期をもっと盛り上げていた。
  11. 1994年に関西国際空港が開業した際にはセレモニーにNMB48も出演した可能性がある。
  12. 1993年のJリーグ発足〜ブームに乗って、地元のプロ野球チームではなくJリーグのクラブとのコラボ企画があったかも。
    • その場合AKB48がヴェルディ川崎、SKE48が名古屋グランパス、NMB48がガンバ大阪、HKT48がアビスパ福岡、NGT48がアルビレックス新潟を応援している。
      • FC東京ができてからは、AKB48はそちらを応援するようになる。またSTU48はサンフレッチェ広島を応援。
  13. 学研の雑誌「MOMOCO」は史実より2年ほど早く1992年に姉妹誌「BOMB!」に統合されて廃刊になっていた。同時に「BOMB!」のサイズの大判化も行われ、その後はAKB48グループ中心の紙面構成となっていた。
    • 矢部美穂はAKB48メンバーになっていたかも。

2000年 (平成12年)

  1. モーニング娘。の絶頂期とぶち当たる為、たいした実績もなく解散していた。
    • あるいはモーニング娘。と激しい人気バトルを展開していた。
    • チェキッ娘の二の舞になっていたかも。
      • というかこの世界のAKB48≒現実世界のチェキッ娘かもしれない。
  2. AKB48が軌道に乗っていた場合、「ハロプロvsAKB48」といった番組が作られていた。
  3. 後藤真希や辻希美、加護亜依のモーニング娘。卒業が遅れていた。
    • モーニング娘。も20名ぐらいまで膨れ上がり、「さくら組」「おとめ組」がもっと長く続いていた。
  4. 史実でモーニング娘。のオーディションを受けていた人の一部がAKB48に入っていた。
    • 逆のパターンも?
      • 柏木由紀や佐藤すみれ、古川愛李がモーニング娘。入りしていた。
    • 倖田來未や木下優樹菜がAKB48のメンバーだった可能性もある。
    • モー娘。のオーデとは関係ないが、サエコや石原さとみ、堀北真希もAKB48入りしていたかもしれない。
      • 平井理央、加藤綾子、田中みな実らもアナウンサーになる前はAKB48のメンバーだったかもしれない。
        • AKBはキー局アナウンサーを輩出するまでには至っていないのでむしろ微妙。
  5. 篠田麻里子は2001年頃に、大島優子も2002年頃にはAKB48入りしていた。また、1991年生まれ組については史実とほぼ同じだが、史実よりも影は薄くなっていた。
    • 大島麻衣・小嶋陽菜も2002年にAKB48入り。
    • この場合91年組は、現実におけるハロプロ91年組のような感じになっていた。
    • 1990(平成2)年度生まれ以降のメンバーは全員研究生からのスタートとなっていた。
    • 大堀恵は10代のうちにAKB48入りしていた。上手くいけば選抜メンバーにも入っていたかもしれない。
      • 「大堀めしべ」はなかったかもしれない。
  6. 「電車男」にも登場していた。
    • ブレイクしだした時期によっては、アキバブームをもっと盛り上げていた。
  7. SKEやNMB、HKTなどの系列グループももっと早く結成。
    • 北原里英はSKE48に、指原莉乃はHKT48に入っていたかも。
      • 片山陽加に小森美果、柏木由紀や野中美郷に大家志津香も。
    • 増田有華もNMB48の1期生として入っていた。
      • 横山由依や田名部生来もNMB48入りしていた。
      • 場合によってはスフィアの面々もミューレではなく、AKB入りしていたかも。
    • 前田敦子は乃木坂46のスターティングメンバーとして入っていた可能性も。
    • もちろん、北原や横山は兼任、指原は移籍ではなく直接入っていた。その後AKB48兼任になった可能性もある。
  8. 2005年につくばエクスプレスが開業した時にイメージキャラクターに起用されていた。
  9. 2006~07年頃には東京ドーム公演を成功させていた。
    • 負けじとハロプロヲタからも東京ドーム公演を望む声が高まったが、意地でもやらなそう。
  10. 史実と同じくデフスターレコーズに所属した場合、2003年頃にはCCCDが導入されるため、CDの売上は伸び悩んでいた。
  11. 結成当時のメンバーの衣裳は当時のコギャルブームを反映して、茶髪にルーズソックスといういでたちであったが、2003年に脱ギャル路線に方針転換し、ほぼ現実と同じ衣裳になる。
    • モーニング娘。の一部メンバー同様、金髪にしていたメンバーもいた。
      • NMBの木下百花がただ一人カラーリング(茶や金どころかピンクや朱色)を認められている。本人はアイドルじゃないらしい。
        • NMB48自体黒髪で売り出すこともなくデビュー曲も異なっていた。
  12. 2005年に開催された愛知万博にゲストとして呼ばれていた。特にSKE48。
  13. 2002年のワールドカップ日韓大会にゲストとして呼ばれていた。もしかしたら韓国の女性アイドルグループとの競演も見られたかも。
    • 韓国は国民感情に配慮して、従来から日本人アイドルの国内公演を認めていないのであり得ない(国内の大手事務所が招聘しても反対・ボイコット運動が起きる)。
  14. NMB48は2007年の世界陸上大阪大会にゲスト出演していたかも。
  15. AKBグループの海外展開は2000年代後半から進んだかも。
    • SNH48は2010年の上海万博にゲスト出演できたかも。

関連項目

もしWiki/アイドル
女性アイドル ブレイクしていなかったら
ブレイクしていたら:女性アイドルグループ(あ~さ行/た~わ行
AKB48 ブレイクしていなかったら/ジャンル/結成時期/制度/活動拠点/卒業後の進路//所属レーベル
メンバー :移籍/もっと長く在籍していたら/こんな人がいたら
イベント :選抜総選挙 (開催年別)
ユニット :渡り廊下走り隊7
姉妹ユニット :SDN48/あの地域に結成されたら (関東/西日本)
事件 :2013年以前/2014年以降
坂道シリーズ あの地域に結成されたら/結成/メンバー
モーニング娘。 メンバー入りしていたら/解散していたら/もっと長く在籍していたら