大阪市の神社
2020年3月30日 (月) 22:59時点における>☁による版 (→五條宮)
西区の神社
土佐稲荷神社
- 西区
- 三菱グループの神社。
- そのため賽銭箱には三菱のスリーダイヤのマークがあり、境内と外を仕切る玉垣にも三菱関係の会社が目立つ。
- 元々は土佐藩のお稲荷さんだった。
- 桜の時期には混雑する。夜店も出るし。
サムハラ神社
- 西区
- まず、字が書けん読めん。
- 機動警ら隊の隣にある。
- 先の大戦の折、ここで千人針を祈願して、それを持たせた兵隊は、みんな帰ってきたとか言う伝説がある。
- 字で書くとサとハがてへんに上に合で下に辛いと書いて、ムがてへんに台、ラがてへんに上に包むと書いて下に口を書く。
- 神字なのでパソコンでは変換不可。
- お守り指環「御神環」が異様に人気ある。
- あまりに人気なので月に1~2回しか授与されず、詳細な授与日も一切知らされない。
- しかも入荷しても、自分に合うサイズでなければ授与して貰えないので、本当に運次第。
- 御神環をオークションサイトに高値で出品する転売屋にとうとうぶちギレて、「御魂抜きの神事」を行った。
- つまり過去の個体含めて、出品される御守りは御利益を一切無効化されたということ。
- あまりに人気なので月に1~2回しか授与されず、詳細な授与日も一切知らされない。
- 創建は1950年と、割りと新しい。
北区の神社
大阪天満宮
- 受験のシーズンは特に賑わう。あと7月の天神祭も有名。
- 節分の日の昼間も、ある理由で賑わう。
- 日本三大天神の一つ。
- 防府他多数と、北野、太宰府の確定した後の一枠を争っている。
- 神社のお祭りは日本三大祭の一つ。
- ギャルみこしで有名。
- 天神祭は7月25日だが、ギャルみこしは2日早い23日。
- 今の天神祭のルートは、昔と逆。昔なら、神様のお帰りの時のルートだった。
- 船渡御もかつては道頓堀川方面へ下っていっていたらしいが、今は逆に桜ノ宮方面へ上っていくコースになっている。ただこれは橋の高さと船の高さの兼ね合いによるものらしい。
- ギャルみこしで有名。
- 混雑することが想定される日は、参拝順路が南から北への一通になる。因みに南側は正門。
- 駅から近いのは北側なので、間違えたふりしてこっそり入っていく人間が居ないわけではない。
- 上方落語を始め古典芸能が見られる天満天神繁昌亭があるのはここ。
- 初詣の際には臨時の授与所もできる。
- 御朱印はこちらのほうが断然早い。
- 本来の授与所では列が長いうえ割り込みも多数発生する。
- 天満宮ではあるがえびす祭にも力を入れている。
- 六代目の文枝師匠(旧三枝)も復活に貢献したとか。
- 現在の本殿は大塩の乱後に建て直されたもので太平洋戦争でも無事だった。
- 境内にある大将軍社は天満宮自体よりさらに300年古い。
- 学業成就のお守りだけ異常に高い。
- 境内には「すべらんうどん」の店がある。
- 視覚障害者の人が開発したらしい。
歯神社
- 北区
- 全国で唯一、歯痛にご利益のある神社。
- かつてここに大きな石があり、それが淀川の氾濫によって襲来した大水を食い止めたことから歯止め→歯痛止め、ということになったらしい。
- 本殿の前にある石を撫でて歯の痛い場所をさすると痛みが和らぐらしい。
- 梅田の繁華街のど真ん中にある。
- 位置的にはHEP FIVEの環状線の線路を挟んだ裏あたり。
- 神社とは言っても、小さい祠があるだけ。
- 実際には北区内にある綱敷天神社の末社という扱い。
- 大阪駅から見えるダイキン工業のぴちょんくんの広告塔のほぼ真下にある。
- すぐ横に大阪環状線の高架も通っているが、大多数の人は気づかないだろう。
- 所在地は北区角田町。つまり阪急百貨店うめだ本店と同じ。
堀川戎神社
- 北区西天満
- えびす祭の時期だけで、1年間の賽銭の9割を稼ぐ神社。西宮や今宮でもここまでではない。
- 普段は大阪天満宮にはとてもじゃないけど敵わないくらいに、参拝客数が少ないが、1月9日~11日だけは、エゲツない混み方をする。
- 関西では西宮えびす神社、今宮戎神社に次ぐえべっさんとして知られるが、どこにあるかを知らない人が多い。
- 尼崎戎神社などよりも参拝客数は多いし、知名度も高い。
- 最寄駅は大阪メトロ南森町駅。
- 14世紀中頃にこの地に遷座したとか。
- それまでは、何故か何鹿郡山家村にあったらしい。結構遠距離の遷座である。
露天神社
- 北区曽根崎
- 通称の「お初天神」のほうがずっと有名。
- かの『曽根崎心中』(近松門左衛門)の舞台になった神社。
- だが公式サイトのアドレスは「tuyutenjin.com」。
- 商店街(むしろ歓楽街かも)の曽根崎センター街は「お初天神通り」とも呼ばれている。
- 梅田・曽根崎地区の総鎮守らしい。
- もともとは広大な境内を誇っていたが現在は建物に埋もれかけている。
- 御所さながらに左近の桜と右近の橘がある。
- この神社最大の恩人とでも言うべきお初と徳兵衛の現代化されたキャラを募集していた。
- 「ろてんじんじゃ」ではなく「つゆのてんじんしゃ」と読む。
中央区の神社
少彦名神社
- 道修町の神農さんと言えば、薬品業界では本当に有名。
- 国内大手は勿論外資系でも正月に奉納をやるところがあるくらい。
- 絵馬の中にはドイツ語で書かれた物が奉納されていることもある。神農さんてドイ語分かるんか?
- 学問の神様ではないのに○○大医学部合格とか薬学部合格を祈願しているものもある。さすがにそこまで行ったら専門外ちゃうの?
- 製薬会社のビルが立ち並ぶ北浜の中にあるだけあって、入口も境内もめちゃくちゃ狭い。行きこそ、ビルとビルの合間を抜けていくが、絵馬掛ける所と帰り道はビルの下を抜けんとアカン。
- そんな神社でも一部上場の大薬品会社から崇拝されとる。神社はデカさだけではない。
- 張り子の虎がシンボルなので、阪神ファンも必勝祈願に来る。
- って言うけど掛かってる絵馬見てる限り、阪神がどうのとか言うのは全然見ぇへんで。信貴山と勘違いしてへん?
- 御朱印コレクターの間では、限定御朱印が多い神社としても知られてる。
難波神社
- 本町(正確には博労町)にある。
- どの角度から社殿を撮ってもビルが映り込む。
- 反正天皇によって創建された。創建当初は松原にあったらしい。
- 秀吉の大阪の都市改造の時に、平野から移ってきたらしい。
- 上難波と下難波に移転し、上難波の方が難波神社となる。
- 一方の下難波に鎮座した神社は、今の難波八阪神社となったが、元々はひとつの神社だった。
- 秀吉公のお気に入りだったらしく、移転時に二千石もの領地が与え、おまけに大阪内の神社で唯一、楼門付き拝殿の建設を許していた。
- 徳川幕府に替わってからは冷遇され、大坂夏の陣で社殿が燃えても再建費を出して貰えず、逆に社領の9割を没収される憂き目に遭った。
- 上難波と下難波に移転し、上難波の方が難波神社となる。
- 今の社領は綺麗な長方形状で、四方に鳥居がある。
- ただし、北門は普段閉鎖されている。
- 1階分程度の高さにかさ上げされた拝殿は、なかなかの威厳がある。
- 階段オンリーでスロープは設置されていないので、拝殿へ登れない人のために、階段下にも賽銭箱が置かれている。
- 昔は境内社の稲荷神社の方が有名で、「博労稲荷」だとか「稲荷社」と呼ばれていた。
- 江戸時代は、大阪城の城代を交替する時に、大阪城鎮守に指定していた玉造稲荷神社へ提灯を奉納する決まりがあったが、ある代の時に使者が間違えて博労稲荷の方へ提灯を持ってきてしまった。
- 一方の神主は誤りと知りつつ、提灯を黙って受け取って拝殿に吊るしてしまったので、幕府側も今更間違えたとは言い出せず、以来博労稲荷へも提灯を奉納することになったんだとか。
- 江戸時代は、大阪城の城代を交替する時に、大阪城鎮守に指定していた玉造稲荷神社へ提灯を奉納する決まりがあったが、ある代の時に使者が間違えて博労稲荷の方へ提灯を持ってきてしまった。
- 神木の楠は、大阪市指定の保存樹第1号。
- 樹齢は400年以上で、大阪大空襲にも耐えた。
- 2018年頃から、なぜか、難波八阪神社と間違えてやってくる参拝客が多くなったらしい。
- 原因は、恐らくインスタグラムの普及で、獅子殿がインスタ映えスポットとして認知され始めたことによるものだと思う。
- さすがに毎度毎度「獅子殿はどこですか?」と聞かれまくって、神社側も業を煮やしたのか、徒歩で行くルートを日英二ヶ国語表記で案内する神を社務所に貼り出すようになった。
坐摩神社
- 全国の渡辺さん発祥の神社。
- 住所表示も久太郎町4丁目渡辺
- 1989年に東区が南区と合併し中央区になるまでは渡辺町だった。
- だいたい、みんな「いかすりじんじゃ」などとよばず、「ざまじんじゃ」と読んでいる。
- 境内に陶器神社がある。
- 元々は中央大通沿いにあったが、阪神高速道路建設に伴い境内に移転してきた。
- 付近はかつて陶器屋が多かったらしい。現在でも7月には境内で陶器まつりが開催されている。
- 灯籠や由緒書きが陶器で造られている。
- しかし賽銭箱は、石タイルを貼った植え込みのような感じで、陶器製じゃない。
- 上方落語寄席の発祥地でもある。
- なお、上方落語自体の発祥は生玉さん。
- 桂三枝(現・6代目桂文枝)と肥田晧三による石碑が建立されている。
- 鶴丸ならぬ鷺丸が社紋。
- それに因んでサギソウ(サギラン)を栽培している。
- 境内には大阪府神社庁のビルが建っていて、ここが社務所を兼ねている。
- 変わった特徴が多い神社。
- 全国的に珍しい三ツ鳥居が建つ。
- 手水舎には柄杓と水槽がなく、公園にある手洗い場のようなシンプルなデザイン。
- センサー感知によって水が自動で出てきて、そこで直接手を洗うというスタイルをしている。
- 狛犬がすんごい背筋を伸ばして座っていて、前足が異様に長い。
- そして何故かライオンの石像もある。
- 携帯可能な小型の守札(巾着袋に入ったお守りではない)を扱っている。
御霊神社
- 御堂筋から西へ一本入ったところにある神社。
- 元々この辺にあった入江跡地の泥濘に、八十島祭を行うための祭壇が設けられたのがその始まり。
- 八十島祭というのは「古代、天皇が即位した年の翌年、御代の安泰と国土の生成発展とを祈った祭り。」のことらしい。ブリタニカ百科事典にそんなことが書いてあった。因みに大嘗祭のつぎにやるのがこの祭りで御霊神社でのみ執り行われるものだったんだとか。
- 文徳実録によると9世紀頃の創建らしい。結構古い。
- 御神木のくすのきはビル街の中にあって都会のオアシス的な雰囲気を漂わす。
- このくすのきをさすって拝むと美肌のご利益があるらしい。なんでそうなのかは知らん。
- 中井エンジニアリング本社の前に忽然と鳥居がある。
- 因みに中井エンジニアリングというのは大阪ガスの下請け企業。
- ガスビルもすぐ近く。
- この本社ビル付近には、当社の神宮寺だった宝城寺があったのだが、明治時代に廃寺になって鳥居だけが残った。
- 奈良や京都などの「御霊神社」とは祭神が全く異なる。
- 多くの神を合祀している東宮は、社殿内に15もの祠が並んでいて、なかなか圧巻。
玉造稲荷神社
- お伊勢参りの大阪側の起点の神社として有名。
- 上方落語の「東の旅」で喜六と清八が旅出のお詣りをするのがここ。でもそんなすごい神社には見えないくらいこじんまりとしている。
- 境内には豊臣秀頼の銅像が建てられている。
- なんでも豊臣大阪城の三の丸があったのが玉造稲荷神社のある地点だそうで、三の丸に秀頼の胎盤を埋めたからとか何とか。案内板にそう書いてあったけど、湯治は出産時にへその緒だけでなく胎盤も後生大事にとっていたのかと。
- 下半分が地面に埋もれたようになっている石鳥居は豊臣家による寄進の品。因みに埋もれたのでも埋めたのでもなく、単純に震災で壊れた下半分を取り除いて上のところだけ下ろして存置したにすぎないらしい。
高津宮
- 中央区高津
- 「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」など上方落語の数多くの作品で舞台として登場した神社というか宮殿跡というか。
- それゆえに参集殿の別名が高津の富亭という。その名に恥じぬように数多くの寄席が主に五代目桂文枝の門弟たちによって行われている。
- 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」 by仁徳天皇
- この句にある「高き屋」というのは当時の高津宮にあったとされる建物らしく、そこから浪速の街を見て詠まれたんだとか。因みに、難波高津宮という仁徳天皇が御造営になられた宮殿が高津宮の起こり。
- この逸話は大阪市歌にも登場している。
- また豊太閤こと秀吉より前の大坂を示すためか鉄道唱歌の大阪パートでも歌われた。
- 元々は今の高津高校さんのある辺にあったらしい。今そこにあるのは高校と現在の政治を握る宗教だが。
- こっちは、かつて政治に深く関わっていた宗教という意味ではある意味共通点があるといえるのか。
豊國神社
- 中央区大阪城
- 京都にあるものとは異なり「ほうこく」神社と読む。
- 社号の表記も京都は新字体の「国」、こっちは旧字体の「國」と区別されている。
- 秀吉だけではなく弟の秀長や息子の秀頼も祀られている。
- 京都では秀吉しか祀られていない。
- もともとは中之島にあった。
- 現在地はもともと軍用地だったため戦後になってようやく移転できた。
- ウルトラシリーズの3D格闘ゲームで大阪城のステージがあると高確率でこの神社も再現されている。
- 大阪城の桜門を出て左斜め前にある。
- 豊公愛の強い大阪にある豊公を祀る神社であるにもかかわらず、参拝客数はそれほど多くはない。
- 由緒ある神社が多すぎるため、仕方あるまい。
- 最寄り駅から微妙に遠いことも、足を運びにくい要因かもしれない。
- JR大阪環状線で行く場合、実は大阪城公園駅よりも森ノ宮駅の方が近かったりする。
- それは鉄オタのこじつけであって、全く関係ないと思う。最寄り駅から微妙に遠いから参拝客が少ないというのであれば、大阪城だって来城客数はもっと少なくなるはず。また、その理論が正しければ、今頃、森ノ宮駅前の鵲森宮なんて、参拝客数で、朝の御堂筋線のラッシュ並みの人混みになっていただろう。
- 秀吉公の命日に行われる太閤祭になると参拝客が増える。
- 遍座前に使われていた社殿は、服部住吉神社へ移設されている。
鵲森宮
- 「森之宮神社」とも言われる。森ノ宮の由来になった神社。
- 元は四天王寺の鎮守社で、聖徳太子の父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を国内で唯一祀る。
- 後年は聖徳太子自身も合祀された。
- 元は四天王寺の鎮守社で、聖徳太子の父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を国内で唯一祀る。
- 聖徳太子が自ら建てた唯一の神社を自称している。
- あれ、龍田神社は…?
- 雑居ビルに囲まれているので、境内が狭いうえに入り組んでいる。
- かつては、今の大阪城公園辺りまで社領があったらしいが、戦国時代の戦乱や近代の道路整備で、縮小されてしまったらしい。
- 玉造筋側(東側)には玉垣が並んでるのでまだ場所が判りやすいものの、森之宮公園(西側)から観ると雑居ビルの隙間にあって気付きにくい。
- 第二次大戦時の大阪空襲で被災しなかった、数少ない神社のひとつ。
- 近くに大阪砲兵工廠があったから、そっちへ爆撃が集中して被害を免れたのかも。
天王寺区の神社
大江神社
- 狛犬ならぬ狛虎で有名。
- というわけで、結局ここも虎党の聖地。
- 実際に狛虎の回りに朽ち果てた黄色いメガホンが置いてあったりすることもある。多分備えた当初は新品だったんだろうと思うが、もはや不法投棄のような汚さ。
- 「愛染さん」こと勝鬘院のすぐ隣にある。
- 因みに神社の横の坂は天王寺七坂の1つ、愛染坂。
- 大江千里ファンが反応する神社。
- 堀越神社などと並んで四天王寺七宮の1つ。
- 同じ四天王寺七宮の1つだった熊野古道の上野王子にあった上之宮神社を合祀している。同様に小儀神社も合祀。
- 聖徳太子が四天王寺建立の記念に創建した神社。
- 明治初期に神仏分離令にが出るまでは大きな神宮寺を抱えたりするなど、仏教とは、他の神社以上にズブズブの関係だった。
- それだけ歴史がある神社だったのに、旧社格は郷社。
生國魂神社
- 天王寺区天王寺区生玉町
- とにかく鳥居が大きい。
- サントリー提供らしい。サントリー創業者鳥井さんの鳥居。
- 日本総鎮守の神社
- 神武天皇東征の折、天皇自ら起請なさったとかで、天皇家公認。とにかくエライのである。
- かなりの歴史と由緒があるはずなのに、一宮にならなかったのが不思議。
- 上方落語の聖地でもある。
- 神武天皇東征の折、天皇自ら起請なさったとかで、天皇家公認。とにかくエライのである。
- とにかく、よく焼失する、
- 大坂夏の陣、ミナミの大火の巻き添え、大阪大空襲・・・。
- そう言えば、ジェーン台風で本殿が倒壊したこともあったような。
- 2018年の台風21号では手水舎が倒壊してしまい、今は仮の屋根が付けられている。
- 東側には回廊付きの表門が建ってたものの、大阪大空襲で焼失したまま再建されていない。
- 神社側としては再建を諦めたわけではないらしい。
- 境内に合祀されている鴫野神社は淀君が篤く崇敬した縁結びと悪縁切りに霊験あらたかな御宮。
- その裏手に生玉さんの御神木がある。その裏手はすぐ急崖。上町断層の切れ目。
- 同じく合祀されている源九郎稲荷神社は元々大和吉野の神社の御分祀で歯痛の神様。なのに、なぜか歌舞伎役者や松竹の芸人の崇拝を集めていたりする。
- 道頓堀の中座で、芸能の神として祀られていた八兵衛大明神が、中座閉館によって源九郎さんへ合祀されたから。
- 普通の「稲荷神社」も末社として鎮座しているのだが、何故か祐徳稲荷神社から勧請して建てられた。
- 全国で唯一、家造りの神を祀った家造祖神社がある。
- 大阪城の築城時に御神徳を発揮しまくったんだとか。
- 他にもたくさんの境内末社があり、それぞれの末社に対応した絵馬もあるので、いくつもの御利益を得ようとするなら、あちこちの神社へ行かなくても、生玉さんへお参りするだけで十分事足りる。
- 上方落語の聖地であるというのは上述のとおりだが、その起こりは米沢彦八。
- 米沢彦八は、京都で露の一門が始めた上方落語を大阪に持込み、生玉さんの境内で始めた。これが大阪での上方落語の起こりだったりする。
- でも落語だけではなく芸能全般において生玉さんは神様扱い。なぜなら浄瑠璃神社に浄瑠璃七功神が祀られていたり、井原西鶴が一昼夜4千句も俳句を読み続けるというアホみたいな記録を生んだりしたところだから。
- 神社を出て前の道路を80mほど歩いて谷町筋迄出て左へ10mほど歩くと今□耕司の実家の寺がある。
- 1月に御朱印をお願いすると、その年の干支朱印も押してくれる。
- その数は60種類もあり、全部集めようとしたら、文字通り一生かかる。
- 御朱印ではない、普通の記念スタンプも常設されてあったり。
- 昔は新歌舞伎座付近まで表参道が続いていたが、谷町筋の開通で分断されてしまった。
- 谷町筋の東側の旧参道には、商店が立ち並んでいて、生玉表門商店会と呼ばれる。
- 表参道に立てられている当社の手書き看板を読む限り、谷町筋に対しては色々と思うことがあるらしい。
- 日本橋方面から北門へ登ってくると、石垣が積まれていて、一瞬お城へ来たのかと錯覚してしまう。
- 難波大社(なにわのおおやしろ)を自称している。
- だが、秀吉公に移転させられた時は、難波神社の方がデカかった(生玉さんは3百石で難波神社は2千石)。
- 本殿は、生國魂造りと言われる、独特の建築様式を採用。
- 緑色に塗られた社務所も異彩を放つ。
三光神社
- 御存知、真田の抜け穴のあるところ。因みに真田丸の最東端はこの辺。
- この抜け穴がなければ、豊臣秀頼が薩摩へ逃げたという伝説もなかったに違いない。
- というわけで真田幸村の銅像が立っている。わりと凛々しい。
- 真田の抜け穴は毎年11月の真田祭の日のみ中に入れるらしい。
- 玉造界隈では玉造稲荷神社と並んで崇められている神社。
- 因みにどっちも桜の花が美しいことで界隈では有名という共通点もある。
- 反正天皇の頃の創建だとか。そんなに歴史がありそうな気配は感じられない普通の神社だが、意外と古い歴史を持つ。
- 境内には野見宿禰社が勧請されている。なんでも明治のはじめに天満の方の相撲場から移ってきたんだとか。
- 境内には軍人墓地がある。
堀越神社
- 天王寺区茶臼山町
- 天王寺と四天王寺の間の谷町筋沿いにある。
- 神社名の由来は昔は神社の南側に堀があり、それを越えて参拝したからだとか。
- 実は聖徳太子の頃からあるらしい。四天王寺と同じくらい歴史が古いとか。
- なんつっても聖徳太子が四天王寺建立の記念に建てた四天王寺七宮の1つですからねえ。
- 大阪夏の陣のときに東軍の誰ぞやったかが、陣を置いた所とされる。
- 歴史はあるのに、旧社格は村社。
- 江戸時代に、神君ゆかりの神社として祀られていたことと、仏教関連の神社(四天王寺七宮)だったことが影響したんじゃないかと邪推してみる。
東高津宮
- 天王寺区東高津町
- 高津宮の東にあるからこの名前。
- なのだが、創建当初は生國魂神社の南にあり、「仁徳天皇社」と言われていた。
- 社殿は高津宮のお古。
- 高津宮より先に御朱印帳の授与を開始した。
安居神社
- 天王寺区逢阪
- 「安居天満宮」とも。真田幸村が戦死した場所として知られる。
- 御朱印にも「真田幸村公戦死の地」とわざわざ書かれる。
- 神職不在らしい。
- そのせいか、夜間は参拝できない。
- 摂津名所図会、浪速名所図会で花見の名所扱いされていた。
- 落語通には「天神山」の舞台。
- 大宰権帥として太宰府赴任を仰せつかった菅原道真公が、風待ちのため休息をとったことから安居神社となったとされる。
- 祭神は菅原道真公と少彦名神。
- あべの橋にもほど近い、天王寺区の一角とは思えないほど、物静か。
五條宮
- 天王寺区真法院町
- 敏達天皇を祀る。
- 即位前に、この地に居所を構えていらっしゃったらしい。その縁で、敏達天皇を祀っているんだとか。
- 源平藤橘の4家の1つ橘氏の祖神を祀っている唯一の神社。
- 源氏も平家も藤原氏も祖神を祀る神社は多くあるが、橘氏の祖神を祀るのはここだけ。
- 聖徳太子が四天王寺建立の記念に、医療病院の鎮護として医道の祖神五条大神・少彦名命を祀ったことに始まる。
- 後に五條エリアの鎮守となり、鬼門・火災除けの神扱いされるようになった。
- 上町筋はこの神社の近くでちょっとずれている。
旭区の神社
日吉神社
- 本店はもちろん大津坂本の日吉大社。
- 元々でっかい寺がありそこの鎮守として創建された社だったが、寺が大阪の陣で燃え神社だけ残ったという。
住吉区の神社
神須牟地神社
- ヤクルト・大引啓次の実家として有名。
- 大引は契約金の全額を神社の修繕などに使ったらしい。
- 修繕はされてもおみくじやお札そしてお守りなどは売っていないみたい。
- オリックス時代の応援歌に「天より授かりし」とか「神の申し子」とか入ってたのはこのため。
- 大引は契約金の全額を神社の修繕などに使ったらしい。
大依羅神社
- 今でこそその辺の神社よりちょっとだけ格上かなという感じの神社だが、元を正せば開化天皇の四男坊を祀る由緒正しき神社だった。
- この四男坊は依羅氏の先祖に当たるとやらで、神功皇后の命でこの神社ができて以来、南北朝期に依羅家が没落するまでずっと神主を務めていたとか。
- 摂津国では、住吉大社の次に偉い神社とされたこともあったと、社伝に記載されているらしい。
止止呂支比売命神社
- 住吉区沢之町
- 名前のインパクトが強い。
- 「とどろきひめのみことじんじゃ」と読みます。
- 別名「若松神社」。
- 後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒すために兵をかき集めている道中で、この神社の松林に「若松御所」を造営し、国家安泰と武運を祈祷させたことが由来とされる。
浪速区の神社
今宮戎神社
- 「えべっさん」といえば、こちらのこと。
- 一年の稼ぎを3日で賄っている。
- しょ~ばいばんじょでささもってこぃ♪
- 縁日で約4日間難波から神社までほぼ終日歩行者天国になるほどなので、その凄さがわかるであろう。その3日以外は、至ってよくある静かな神社の姿になる。
- その「えべっさん」の福娘の採用は有名人の娘さんや大企業のエライさんの娘さんとか、縁故採用(?)があるらしい。
- 天満宮のギャルみこしと並んで競争率高し。
- その福娘は、履歴書に書けるらしい。
- 何故か、元・福娘には女子アナが多い。
- 名探偵コナンの昔の映画に登場する「難波布袋神社」のモデルがここ。
難波八阪神社
- 浪速区
- でっかい獅子舞の形の社がある。はじめて見るとギョッとする事請け合い。
- そのおかげで、近年はインスタ映えするスポットとして話題になっている。
- 海外にも知られてるようで、外国人観光客も多数訪れる。
- そのおかげで、近年はインスタ映えするスポットとして話題になっている。
- 戦艦陸奥の記念碑がある。
- 戦艦陸奥の主砲抑気具の記念碑だったかな。
- 難波神社の片割れ。
- 今の本殿は、難波神社とほぼ同時期に完成したうえ、建築意匠も似通っている。
阿倍野区の神社
阿倍王子神社
- 阿倍野区阿倍野元町
- 熊野古道沿いにある。
- おそらく昔は、熊野古道側から入って参拝するしたんだろうが、今は阿倍野筋の方に王子商店街もあったりする関係で、そちら側が表筋。
- 王子というのは、別に親王などという意味ではない。
- 藤白王子や切目王子、発心門王子など、熊野古道の九十九王子の1つだったことに由来する。
- 仁徳天皇の夢の中に出てきた八咫烏。その八咫烏を探していたらこのあたりで見つかったらしく、それ以来この地を神域化したのが、この神社の始まり。
- 鎮座地域に勢力を持っていた豪族・阿倍(安倍)氏の氏神神社だったという説もある。
- 下記の安倍晴明神社を末社としているのは、その由縁もあるからかと。
- 鎮座地域に勢力を持っていた豪族・阿倍(安倍)氏の氏神神社だったという説もある。
- 3階建てくらいの鉄筋コンクリートの建物(社務所)の下を抜けて本殿にお参りするという、味気ないつくり。
- 末社に安倍晴明神社を抱える。
- その関係で、安倍晴明神社の御朱印はこちらで頂ける。1つ500円也。
- 京都の晴明神社と違って、こっちは手書きもきちんとやってくれる。
- 安倍晴明神社の分と平仄を取った関係で、今となっては九十九王子の1つということ以外、さして取り柄のない阿倍王子神社の御朱印も500円という高値。(元はこっちのほうが歴史的価値がある神社ではあったとはいえ、今はねえ……)
安倍晴明神社
- 阿倍野区阿倍野元町
- 言わずと知れた陰陽師安倍晴明の生誕地にある神社。
- 安倍保名が白狐と獣姦したところとも言える。
- そういう言い方やめてーなw
- 京都の晴明神社と同様、全国の晴明ファンやスピリチュアル好きがお参りにやって来る。
- だけど境内は広くないので、ある程度の数の参拝客が来るだけで、いっぱいいっぱいになってしまう。
- 安倍保名が白狐と獣姦したところとも言える。
- 江戸末期までは隆盛を極めたのに、幕末に廃れてしまった悲しき歴史を持つ。
- 当時は大坂城代が就任の都度、ご挨拶に訪れるほどだったとか。
- 大正年間に再興。現在はすぐ隣の阿倍王子神社の末社に成り下がっている。
- 戦時中、境内に焼夷弾が落ちるも、被災せずにすんだ。
- それが故に、厄除けの神様としても崇められるようになった。
- 境内にある水晶玉を撫でると、頭がよくなるとかなんとか。
- オリジナルのお守りや授与品があるが、ここを管理している阿倍王子神社の授与所でも貰える。
東成区の神社
深江稲荷神社
- 太古の昔、大和国から深江に一族郎党で移住してきた人たちの氏神様を祀る。
- この人達は、菅笠づくりが得意だったそうで、明治の頃まで実際に笠を編んでいたらしい。
- 今も帝にお納めするために笠は全てここから出されている。
- 中高野街道と暗越奈良街道の辻のすぐ近くにある。
- お伊勢参りの旅人は、深江稲荷に参拝し、菅笠を買ったとか。
- 深江稲荷神社のある辺りは、笠縫島と呼ばれていた。今は大阪府史跡「摂津笠縫邑」として境内が史跡扱いされている。
- これは、まだ、河内平野が内海だった時代の事のようで、島というのは比喩ではない。
- 豊臣秀頼が片桐市正らに命じ、社殿が改築されたのに大阪の陣で消失している。
- その後、1760年(宝暦10年)に本殿と絵馬堂を再興している。なお、拝殿等はその後複数回修理されている。
- 神社本庁モデル神社の指定を受けているらしい。
鶴見区の神社
阿遅速雄神社
- 年に一度、名古屋の熱田神宮から、お礼参りに人が来る。
- その昔、新羅の王族の1人が、熱田神宮に預けられている草薙神剣をパクって持って朝鮮半島へ持って行こうとした。その際、その盗人は草薙神剣の神威にビビって河内国で剣を捨てる。捨てられた剣が拾われて祀られた結果、のがここだからということらしい。
- まあ、天智天皇の頃の話だから、何とも言えんけども、れっきとした事実らしい。日本書紀と熱田神宮の社伝、それから、ウィキペディアとアンサイクロペディアにも出てくる。
- この頃から、某半島の民族は盗みやパクリが手に染み付いていたということなんだろう。日本では古来より不倫は文化だが、朝鮮半島では古来より盗みは文化だったと言えるのかも。
- その昔、新羅の王族の1人が、熱田神宮に預けられている草薙神剣をパクって持って朝鮮半島へ持って行こうとした。その際、その盗人は草薙神剣の神威にビビって河内国で剣を捨てる。捨てられた剣が拾われて祀られた結果、のがここだからということらしい。
- この神社、裏が児童公園につながっているが鳥居をくぐらずに神社って行ってもいいのか?
- この神社は、大阪市内で唯一お陰灯籠が現存する。
- 幕末の頃、お伊勢さんお詣りをした記念で、各地に建てられたのに、大阪市内では残ったのはここだけ。
- でっかい楠が植わっている。
- 樹齢1,000年超と推定されているらしい。デカすぎて、写真には写しきれない。
- 主幹は大正期の落雷で焼失するも、支幹は当時この木の面倒を見ていた樹木医のおかげで、生き残って今に至る。
- 大阪府指定天然記念物に認定されている。堂々とした枝ぶりは見事である。
- 延喜式神名帳にも記されている式内社らしい。因みに当時も当社は阿遅速雄神社という名前だった。
- 江戸期には、何故か、八劔神社と呼ばれ、神社への参道を剣道と呼んでいたとか。剣道は「鶴見」の由来ともされる。
- でも、最終的には、歴史ある阿遅速雄神社の名称に戻されている。
- 江戸期には、何故か、八劔神社と呼ばれ、神社への参道を剣道と呼んでいたとか。剣道は「鶴見」の由来ともされる。
平野区の神社
杭全神社
- 杭全にあるわけではないけど、杭全神社。
- 大阪シティバスの杭全バス停からは遠く離れている。
- 地名としての杭全は隣の東住吉区にある。
- 日本で唯一残された連歌所がある。
- 毎年7月中旬に、夏祭りが開かれる。
- 平野郷にある9地区で地車を出したりと結構大きなお祭り。このために国道25号線は通行規制がかけられる。
- 平野宮前交差点をぶっ飛ばしながら地車が来る。パフォーマンスも含めなかなか見ごたえがある。
- 南港通上で9地区の地車が一斉に会す。これもなかなか。
- 夏祭りを見るためだけに、遠方から来る人も多い。大多数が平野周辺の出身者だけど。
- 平野郷にある9地区で地車を出したりと結構大きなお祭り。このために国道25号線は通行規制がかけられる。
- この辺り一帯を拝領した征夷大将軍坂上田村麻呂の孫当道が、862年(貞観4年)に祇園さんを勧請したのが始まり。
- 因みに田村麻呂の子にして、当道の父である広野麻呂は平野の地名の由来。
城東区の神社
八劔神社
- この神社にお詣りすると、数千人に1人の割合でタイムトラベルができ、人生をやり直すことができるらしい。
- 詳細は 「八劔神社 タイムトリープ」 で検索!
- 創建は応永3年(1396年)。
- 地元の人達が同時に、夢の中で「淀川まで我輩を迎えに来い」という神のお告げを聞いて、探しに行ったら、神の代わりに蛇が出てきて、その蛇の後を追ったら、鴫野の当地に来たとかなんとか。
- 大阪夏の陣のときに、上杉景勝の陣があった所らしい。
- 大日寺と隣接している。
- 江戸期に境内の一部を整備し直したらしい。その時、大阪城の石垣と同じものが使われたらしく、刻印石がいくつか今でも残っている。