もし阪急電鉄が○○だったら

2016年9月24日 (土) 00:29時点における>借音バカによる版 (もしあの鉄道路線が開業していなかったら/近畿に移動)
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あの路線が○○だったら

京都本線

阪神急行電鉄によって建設されていたら

阪急京都線は京阪系列の新京阪電鉄によって建設され、京阪電気鉄道へ(以下京阪)の合併を経て戦時中に阪神急行電鉄と合併、京阪神急行電鉄(以下阪急)となりましたが戦後京阪が分離した際旧新京阪線は阪急側に残されたという歴史があります。もし阪急京都線が新京阪電鉄ではなく阪神急行電鉄によって建設され、最初から阪急の路線として開業していたら・・・

  1. 京都線開業前に十三-千里山間を営業していた北大阪電気鉄道は阪急に合併されていたことになる。
  2. 淡路-天神橋(現天神橋筋六丁目)間は建設されず、大阪側の起点は当初十三駅となっていた。
    • 淡路-天神橋筋六丁目間は戦後大阪市交通局によって建設され、堺筋線の一部となっていた。
      • 淡路駅の高架化は堺筋線が開業した時点で完成していた。
      • 堺筋線列車は淡路を出るといきなり地下に潜る。
        • 柴島~天神橋筋六丁目間に淀川があるので、淀川南岸までは高架では?
    • 梅田-十三間の三複線は史実より早く完成していた。
      • 京都線にも中津駅ができていた。
  3. 京都線の車両限界は神戸線・宝塚線と同じとなっていたため、同線車両の車体幅は狭くなっていた。
    • 使用する電機品のメーカーも神宝線と同じ東芝製となっていた。
    • 京都線と神戸線の車両の区別はなかった。
      • 路線長を考えるとクロスシート車ぐらいは入ったかもしれない。
  4. 「茨木市」「高槻市」駅はそれぞれ「茨木」「高槻」駅となっていた。
    • 後年、駅名標は「阪 急 いばらき」などの表記となる。
  5. 輸送実態に合わせて、梅田方面行きが上り列車になる。
  6. 京阪電車はなかったかも・・・・。
    • そもそも現在の阪急京都線が京阪系列で敷設できたのは京阪電車の自社防衛と鉄道省の競合路線潰し。
      • その後自社防衛の名目で京都ー枚方ー梅田間の鉄道が阪急系列で建設されていたかもしれない。
  7. 架線電圧は開業当初は600Vで、1500V昇圧は堺筋線乗り入れと同時に行われた。

嵐山線

8連対応だったら
  1. 阪急京都線から嵐山線への臨時列車は当然8両編成となる。
    • 神戸線・宝塚線・今津線からの直通臨時列車も8両編成。
  2. 紅葉のシーズンにおける混雑が緩和されていた。
  3. 2009年4月に投入された6300系4両編成は行楽シーズンには2編成併結の8両編成となる。
  4. 阪急7300系と8300系は全て8両固定編成で製造されていた。
  5. 阪急9300系が嵐山線に入線していた。
    • 神戸・宝塚からの直通列車は9000系や8000系転換クロスシート搭載車で運転されていた。

宝塚歌劇団を作っていなかったら

宝塚歌劇団は1914年に設立され、100年たった今でも人気を博していますが、もし小林一三が宝塚歌劇団を作っていなかったらどうなっていたでしょう?

  1. 今でも松竹歌劇団は健在だった。
  2. 宝塚からデビューした芸能人の人生は大分変わっていた。
    • 何人かは芸能界にデビューすることなく一般人としての人生を歩んでいたかもしれない。
    • もしくは宝塚がない分、松竹やOSK、劇団四季あたりに史実で宝塚に行っていた人が流れていたか?
  3. 少なくとも東日本では鉄道オタク以外の阪急電鉄の知名度は低かった。
    • 阪急百貨店は東京に開店するも、早期に閉店を余儀なくされていた。
  4. 「ベルサイユのばら」の知名度は低く、池田理代子のその後の人生に影響していたかもしれない。
    • アニメ化もされなかったかも。
  5. 宝塚といえば「手塚治虫の記念館があるところ」か「温泉」のイメージしかなかった。
  6. 東宝が設立されない可能性が高いので、日本映画史にもかなり大きな影響が出ていた。

能勢電鉄が○○だったら

阪急電鉄の路線だったら

にっせいちゅうおう
日生中央
NISSEI-CHUO
やました
YAMASHITA

  1. 路線名は「阪急能勢線」になっていた。
    • 能勢電鉄日生線は「阪急日生線」になっていた。
    • いや「阪急妙見線」かも。そもそも現実の能勢電鉄は能勢町まで達していない。
  2. 川西国鉄前から能勢口の間は早期に消えていた。
  3. 運賃が通算になるため、現実よりもう少し安かった。
    • JRへ逃げる客もそんなに出なかったはず。
    • 沿線の人口ももっと多く、日生線内折り返し以外の普通電車は6両編成で運転されていた。
  4. 直通電車の本数が今より多かった。
    • 梅田方面からの直通列車の運行に不便なスイッチバックを解消するため、起点が川西能勢口ではなく池田に付け替えられる。
    • この工事は'80年代の池田駅周辺の高架化に際して同時に行われていた。
    • 池田駅は2面4線構造となり、宝塚線列車と同一ホームでの乗り換えが可能になっていた。
  5. 車両面は現実とあまり変わらない。
    • 現在に至るまで塗装変更は一切なかった。
  6. ていうか、阪急に編入するべきでしょ?
  7. ワンマン化されていない(日生線折り返し列車はわからないが)。
    • 山下折り返しの区間列車くらいはワンマン化していたと思う。2両編成なので現時点では阪急では最短の編成両数となっている。
    • 今津南線や甲陽線の例からすると3両編成での運転のような気がする。
    • 車両は6000系をワンマン化したもの。ドア開閉警告音はブザー音ではなくチャイム音。
      • 車内放送の声優は今津南線や甲陽線と同じ。
  8. 日生エクスプレスはただ単に「特急」を名乗るか、または「通勤特急」となる。
    • 京阪の交野線直通「おりひめ」「ひこぼし」のようにヘッドマーク付きで運転されていた可能性もある。
  9. 中間駅の無人化はされていない。
  10. 日生中央の駅名標は、開業当時は本当に阪急仕様だった。ただ、あの当時は漢字表記のほうがでかかった。
  11. 架線電圧の600→1500V昇圧は現実よりも早く行なわれていた。
    • 早ければ宝塚線と同時に、遅くとも日生線開通時に行なわれていた。
  12. 「パストラルカード」は存在しなかった。
  13. ICカード全国共通利用にもいち早く対応していた。

西武グループに買収されていたら

絹延橋
きぬのべばし
Kinunobebashi
川西能勢口
Kawanishi-Noseguchi
滝山
Takiyama

現在阪急電鉄の子会社となっている能勢電鉄ですが、1960年代には西武グループによる買収計画もありました。これは結局実現しませんでしたが、もしこれが実現して能勢電鉄が西武グループ入りしていたら…。

  1. 全線が1067mm軌間に改軌され、車両は西武鉄道の中古車で揃えられた。
    • 当然阪急宝塚線との直通は行われず。
    • 701系辺りの最後の活躍の場になっている。
  2. 川西能勢口~川西国鉄前間は存続していた。
  3. 「日生エクスプレス」はJR川西池田からJR福知山線に直通していた。
    • さらにJR東西線・片町線にも直通し、日生中央~同志社前・木津間の直通快速となっていた。
      • これの運行開始に備えて西武6000系ベースの新車が導入されるが、朝晩以外はJR線内に封じ込められ、自社線内に戻ってこない。
  4. 「阪急日生ニュータウン」は「西武日生ニュータウン」になっていた。
  5. 川西能勢口駅前の阪急百貨店は西武百貨店になっていた。
    • それはどうだろうか。能勢口は阪急の駅でもある。それなら西友の敷地を使って、西武にしたかも。
  6. バス事業もやってたかもしれない。
    • しかし、場所が場所なので親会社の中古は来ない。
  7. 思い切って近江鉄道との連結延伸工事、もしくはバスによる接続。

起点が川西能勢口ではなく池田だったら

  1. 梅田方面からスイッチバック無しで能勢電鉄線に直通できるようになっている。
    • 「日生エクスプレス」は平日・土休日とも終日運転されている。
    • 史実よりも早期に梅田~能勢電鉄の直通列車が運行されていた。
  2. 現実では川西能勢口駅前にある阪急百貨店やモザイクが池田駅前にできていた。
    • 現在も池田があの周辺の商業の中心である。
  3. 川西能勢口~JR川西池田の乗り換えがなかったため、阪急は現実よりもJRに客をとられなかった。
  4. 川西能勢口駅が「川西駅」で、代わりに池田駅が「池田能勢口駅」となっていた。
  5. 一時期宝塚本線で運転されていた特急は川西駅を通過していた。

伊丹延伸が実現していたら

  1. 能勢電鉄の列車は日生中央・妙見口両駅から神戸線塚口方面に直通運転されていた。
    • さらに梅田まで直通していたかもしれない。少なくとも日生エクスプレスは塚口経由となっていた。
  2. 阪急伊丹駅は阪神・淡路大震災による被災復旧後も中間駅の構造となっていた。
  3. 川西能勢口駅は立体交差の構造となっていた。
  4. 川西能勢口~川西国鉄前間は現実よりも早く廃止されていた。
  5. 伊丹市北部の交通事情が改善されている。
    • 伊丹市営バスはなかったかもしれない。
  6. 伊丹-川西能勢口は結局阪急の持ち物になっていた。

妙見の森ケーブルと接続していたら

  1. ケーブルカーとの接続駅は「黒川」になっていただろう。
    • あるいはこちらが「妙見口」を名乗っていたかも。
      • 現実の妙見口駅は「吉川」を名乗っていた。
  2. 妙見口~黒川のバスあるいは徒歩連絡がなかったため、能勢妙見山へ行くのが便利になり、参拝客も増えていた。
    • 妙見線が本来の役割を果たしていた。
  3. 能勢電鉄妙見線は兵庫県→大阪府→兵庫県→大阪府→兵庫県と4回も府県境を越えることになっていた。
    • ケーブルとの接続駅は兵庫県内にあるため。

関連項目