もしあのプロレス団体が○○だったら
2017年12月21日 (木) 21:44時点における>Sattinによる版 (→解散していたら)
分割済み
旗揚げをしていたら
サムソン・クツワダの新団体
- 全日本プロレスは弱体化を招き、崩壊あるいは国際プロレスとの合併を選んでいたかも。
大日本プロレス(梶原一騎)
- 千代の富士のプロレス転向が実現した。
- フジテレビ繋がりで全日本女子プロレスとも提携。
- 史実の大日本プロレスは別の名前になっていた。
ワールド女子プロレス
- おそらく「ニューワールド女子プロレス」の時期が早まっただけだった。
世界格闘技連合
- W★INGプロモーションはあまり特徴の無いデスマッチ団体に成り下がっていた。
- 史実のW★INGより早い時期に共倒れしていた。
日本プロレスリング共同機構(FFF)
- 史実のようなインディ乱立はなかった。
解散・活動停止していなかったら
日本プロレス
- 大木金太郎を代表に立てて、ギリギリ存続させる。
- TBSが国際プロレスから乗り換える形で付き、同時期にストロング小林も移籍した。
- 全日の三冠ヘビー級王座も誕生しなかった。
国際プロレス
- 東京12チャンネルが中継を打ち切らなかったらこうなっていた。
- はぐれ国際軍団やパイオニア戦志はなかった。
- 場合によってはDDTなどもなかった。
FMW
- 荒井社長は自殺しなかった。
- FREEDOMSやアイスリボンなども旗揚げされなかったかもしれない。
SWS
- 馬場の死後に天龍が全日に一時復帰することはなかった。
- 当然、WAR、NOW、PWCなどはなかった。
GAEA JAPAN
- OZアカデミー団体化、センダイガールズ旗揚げはいずれもなかった。
- マーベラスもなかった。
- 長与はいずれどこかのタイミングで引退していただろう。
解散していたら
- 現在は解散したプロレス団体については「史実より早く解散していたら」の妄想とします。
- 乱立防止の為、記載は実際に元ネタがあるものに限ります。
- 項目内にそれに関する文章を書いていただければ幸いです。
全日本プロレス
三沢光晴を筆頭とする所属選手及びスタッフの大量離脱により解散危機に見舞われました。
- 渕、川田ら残された選手はフリーに転じて新日やインディーを転戦していた。
- 武藤らは新日退団後、ZERO-ONEに合流していた。
- 馬場家はプロレス界から身を引いていた。
- 三沢亡き後、ノアをリストラされた選手たちで新団体を旗揚げしていた。
- 後に秋山準が社長就任。
- 整理屋はノアかゼロワンを買収していた。
DDT
2010年に副業の居酒屋で店長の横領が発覚した際、団体そのものの解散も検討されたそうです。
- ユニオンプロレスが残るなら、独立してDDTから一部選手が移籍。
- 飯伏はこの時点で新日に移籍していた。
- 赤井沙希のレスラーデビューもなかった。
アイスリボン
2012年に創立者であるさくらえみが退団した際、それを継承した藤本つかさには会社より団体の解散か継続かを問い、後者を選びましたが、もし前者を選んでいたら?
- 藤本つかさはセミリタイアし、タレント活動の合間にスポットでやる感じになっていた。
- 残された選手はさくらえみに付いて行くか、フリーに転じるか、引退のいずれかを選択していた。
- 世羅りさは地味な舞台女優のままだった。
大日本プロレス
2008年に発生した金村キンタロー強制猥褻事件、当時・統括部長だった登坂栄児社長は引責辞任(後に再任)したが、「処分が甘い!」と糾弾され、解散を選んでいたら?
- デスマッチは業界全体で封印された。
- デスマッチファイターも行き場を失い、引退か、アメリカでの活動かを選択していた。
- 植木嵩行は神奈川県警にいたままだった。
- 橋本大地はIGFを切られた後、路頭に迷い、消息不明に。
その他団体別
日本プロレス
- 分裂しなかったら
- 猪木と馬場による主導権争いが過熱していた。
- 馬場死後もヨメが主導権握ったままだったら猪木と三沢が離脱して新団体を設立した可能性も
- 放映権は引き続き日本テレビ。
- 最近になってようやく実現した「武藤×三沢」や、もしかしたら「鶴田×藤波」なんてのも・・・。
- 国際プロレスも存続。
- それでも大阪プロレスやみちのくプロレスは誕生。
- 大仁田の日本プロレス引退は史実どおりでFMWも誕生。FMW分裂後は大日本プロレスなどの過激な団体も登場
- 日本プロレス所属レスラーはあまり過激な団体とは対戦しないというルールができていた。
- 大仁田の日本プロレス引退は史実どおりでFMWも誕生。FMW分裂後は大日本プロレスなどの過激な団体も登場
- 本当の「協会」になっていた。
- 各団体は協会所属を原則とする。
- とっくにプロレスラーの福利厚生にルールができていた。
- 三沢はもちろん、何名かは2010年現在健在。