もしあの空港が違う場所に建設されていたら
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新東京国際空港が成田以外
→もし成田空港の建設が撤回されていたら#首都圏に別の空港が建設された場合
札幌飛行場が北24条
- かつて存在した初代札幌飛行場が整備・拡張された場合。
- 札幌市中心部に高層ビルが立たない。
- 厚別あたりに史実より大規模な新都心地区を作っただろうか。
- 現実的に考えると高度成長期に騒音問題で丘珠か千歳に移転。
- 移転しなければ双方とも自衛隊の飛行場程度にとどまっていた。
- 存続していたら機材の大型化にうまく対応できなかった。
- プロペラ・小型ジェット機用の空港として存続していたかも。
- 札幌市電や地下鉄南北線が空港アクセスを担う。
- オリンピックに合わせ空港から中心部や真駒内への高速道路も出来ていた。
- 鉄北線から空港方面に市電が伸び、一部非電化開業を行うこともなかった。
新千歳空港が東千歳駐屯地付近
- 東千歳駐屯地として用いられている旧海軍第2・第3千歳飛行場部分で整備・拡張された場合。
- 苫小牧との補償問題は史実よりも強くなかったが、追分・早来への補償が生じていた。
- 苫小牧市内への新旅客ターミナル建設否決で民間滑走路延伸計画が反故になる事もなかった。
- 石勝線は千歳駅から分岐する基地専用貨物線を転用し建設されていた。
- 空港駅には道東方面の特急も停車し史実より大規模な駅となっていた。
- 札幌方面からの大規模輸送のため千歳-空港間のみ複線電化されていただろう。
- 千歳市街東部からの集客のため旭ヶ丘付近に新駅も置かれていた。
- 道南方面への乗り継ぎのため千歳駅には早期から多くの特急が停車していた。
- 南千歳駅はおそらく誕生しなかった。
- 戦時中に存在した千歳飛行場との誘導路は再設置されない。
- 民間機専用で名実ともに軍民分離を実現していた。
- 共産圏からの乗り入れ規制を敷く事もなかった。
- 東千歳の陸上自衛隊機能の移転が前提。
- 空自千歳基地の脇に置くか・・?
- 道央自動車道の新千歳空港インターが無い代わりに、道東道から空港までの地域高規格道路が早期に整備されていた。
- または道東道の千歳市内ルートを史実より南寄りに勇舞付近を経由する形にし千歳東インターの代わりに空港インターを作っていたか。
青森空港
青森市油川地区
- かつて存在した油川飛行場(実史では閉鎖・廃止)が整備・拡張された場合。
- 青森駅からの連絡バスは青森駅西口から発着。
- 利用者からの苦情で、青森駅東口発西口経由に変更されたりして。
- (実史でかつ、かつての)油川飛行場や三沢飛行場みたいに、東京⇔札幌線定期航空便が寄港する形になっていたかも。
- でも、航空機の騒音問題で、実史通りの時期(1964年)に、市内大谷地区(実在地)へ移転。
- 青森空港有料道路は、史実のルートではなく、東北自動車道青森インターチェンジから北に伸びるルートで開通。
- ↑の通りになれば、東北道でETCが使える様になったと同時に、空港有料道路でもETCが使える様になる。(実史の青森空港有料道路は、ETCは使えない。)
- むしろ、青森空港インターチェンジとして、東北道が北に延びたかもしれない。
- 青森ジャンクションで、東北道青森料金所方面⇔青森自動車道青森東IC方面の往来が可能になっていた(実史は青森道から青森料金所への一般車の通行は不可)。
- 青函連絡船やフェリーから見えるランドマークとして親しまれていた。
- 油川駅が「青森空港駅」という名前になっていた。
弘前市と鶴田町の境界付近
- (旧)青森空港がジェット化する際、新空港を弘前市と鶴田町の境界付近に建設する案も有りましたが、実際は(旧)青森空港を整備する形で決着した。
- 空港近くにある「つがる富士見荘」はエアポートホテルの役割を担っていた。
- 県道153号線と県道200号線は空港連絡道路として、早くから整備されていた。
- 青森駅や弘前バスターミナルからの連絡バスは、実史以上に所用時間がかかる。
- 一方、五所川原駅からの連絡バスは、実史とは異なり、廃止されず、今も運行されている。
- また、こちらも実史上で一部区間が廃止された「五所川原~廻堰~鶴田」線も、空港アクセスバスの役割を担っていた。(実史の羽田京急バスみたいに)
- さらに、実史上では、2018年10月1日に廃止された『五所川原~廻堰~鶴田』線は運行され続けている。
- 毎年8月の旧盆に行われる「津軽富士見湖花火大会」は、開催できなかった。(航空機離発着に影響する可能性がある為。)
- 実史上の青森空港で2002年7月から運航開始したナイトステイ便が運航されたかどうか怪しい。
- 空港名が「青森弘前空港」あたりになっていた。
- 以外に「青森あっぷる空港」かも…。
花巻空港が盛岡市
- 東北新幹線開業後も羽田~盛岡の航空便が存続していた。
- 割引サービスやマイレージで対抗していた。
- 機材の小型化や減便はあったが羽田-山形便のように何とか生き残っている。
- 東北新幹線の新花巻駅は開業しなかったかもしれない。
- 地元の駅誘致に空港の存在が関係していた痕跡がないのでそれはない。
- 花巻といえば宮沢賢治のイメージだけだった。
- 鉄道ファンならかつての馬面電車、野球ファンなら花巻東高校が浮かぶのでは。
- 県南地域では仙台空港を使うのがデフォルト。
- 20世紀末に水沢-一関間のどこかに「奥州空港」を建設するという噂が広がる。
- その地域を地元とする政界の壊し屋も一枚噛んでいるはず。
- 花巻空港駅は二枚橋のまま。
- 花巻温泉も歓楽温泉化しなかった。
- 花巻温泉の歩みに空港が影響したという話など聞いたこともないが…。
仙台空港が仙台市内
- かつての仙台飛行場(現在の霞目飛行場)が拡張され、陸上自衛隊との共用空港となっていた場合。
- 仙台駅からわずか5kmという便利な立地となる。
- 地下鉄東西線は薬師堂から荒井ではなく仙台空港に向かい、仙台駅から空港までわずか10分で結ばれる。
- 仙台駅周辺はビルに高さ規制が掛かり、アエルやSS30等の高層ビルが建てられなくなる。
- かわりに泉や愛子が副都心として発展する。
- 大念寺山のテレビ塔も高さ制限を受けた?
- 高度経済成長期にジェット化されるも、用地買収に手間取り滑走路の長さは1,800メートル止まり。
- エプロンに並ぶ顔ぶれはB737やリージョナルジェットにプロペラ機ばかりとなる。え、今とあんまり変わらないって?
- セミワイドボディ機以上を用いる国際線チャーター便は福島空港や花巻空港の利用がメインとなる。
- 北東側は市街地であるため、滑走路は南西側に延伸される。
- 仙台東部道路の仙台若林JCT~仙台東IC間は地下トンネルとなる。
- 仙台空港ICは勿論この区間に設置される。史実の仙台空港ICは「館腰IC」となるか、最初から設置されない。
- 仙台東部道路の仙台若林JCT~仙台東IC間は地下トンネルとなる。
- 立地の利便性と小型機による多頻度運航が功を奏し、空港利用者数は史実の仙台空港より多い。
- 函館便や新潟便が未だに(前者については北海道新幹線開業まで)運行されていたかもしれない。
- 航空大学校は別の空港に設置されている。
- もし民間旅客機と自衛隊機に加え航大の訓練機が同居する場合、航空管制は完全にカオスの様相を呈する。
- ぼく管3シリーズ有数の難度と名高い仙台エアマンシップは、もはや攻略不能とまで言われる。
- もし民間旅客機と自衛隊機に加え航大の訓練機が同居する場合、航空管制は完全にカオスの様相を呈する。
- ILSは32側に設置。滑走路14へのサークリングアプローチは「仙台カーブ」と呼ばれ、仙台バイパスを低空で横切る飛行機が仙台空港名物となる。
- 騒音問題と大型機就航のため、史実の仙台空港の位置に新空港を建設する計画が浮上するものの、東北新幹線の開通により羽田便が撤退したことで頓挫する。
- 3.11の時には津波被害を免れ救援に大きく役立った。
- ガメラ2における当地でのガメラとレギオンの戦闘シーンがもっと派手なものになっていた。
- 同じく空港に怪獣が出現した『大怪獣バラン』のオマージュもあったかもしれない。
福島空港が本宮市和田
- 福島空港の建設候補地8か所のうちの一つ、安達中地域が採択された場合。
- 福島市と郡山市との中間地点に位置するので利便性が高かった。
- より仙台空港に近づくため競争は激しくなる。
- 史実では福島郡山間最後の片側1車線区間であった国道4号杉田・本宮拡幅区間は郡山バイパスよりも先に拡幅されていた。
- 日本橋から杉田の旧道交差点の間も二本松バイパス程度に立体交差が整備されていた。
- 大玉村内にJR東北本線福島空港駅ができていた。
- 現在の千恵子大橋をはじめとした安達太良ドリームラインは国道4号玉貫交差点、福島空港駅、福島空港を結ぶアクセス路として県道福島空港西線として整備されていた。
- 福島以南の東北本線に快速が走っていた。
- 県道二本松金屋線も車1台分の幅しかない増水時に水没する主要地方道なんて事態とは早々におさらばしていた。
- 郡山ビッグアイは建設されていなかったかもしれない。
- 1990年代末の首都機能移転構想は二本松・安達地域が選定されていた。
- うつくしま未来博も岩代町、東和町、白沢村あたりで行われていた。
- 空港から一本道となる岳温泉が注目を浴びていた。
- グリーンピア二本松のSLがなくなることはなかった。
- 白沢村は本宮町と合併していなかった。本宮町は大玉村と合併し本宮市となったか地方振興局の垣根を超え郡山市に吸収されていたかは微妙。
- もしかすると岩代町、東和町も二本松市にはなっていなかったかもしれない。
富山空港が富山市倉垣(布目地区)
- 実際に倉垣の富山飛行場跡地に富山空港を建設する構想がありました。
- 海に近いので史実よりは富山きときと空港の名前の違和感が小さかった。
- 地鉄の射水線は存続し、空港へのアクセス線として機能していた。
- 富山新港建設による射水線分断を償うような形になっていた。
- 臨海部の工業団地が史実より肥大化していた。
- 富山県総合運動公園は和合の辺りに出来ていた。
- 石川県北部からの利用者が史実より多かった。
小松空港が金沢市
- 北陸新幹線は遠回りルートが災いし史実より苦戦。
- そのため北陸新幹線のルートが長野~富山直線ルートか越後湯沢経由になっていたかも。
- 前者は建設の難度が高すぎ、後者は98年の冬季五輪の輸送に使えないのでそれはないかと。
- 能登空港は建設されなかったかもしれない。
- 航空自衛隊の移転先として、より早い時期に作られたかもしれない。1960年代に金沢の市街地に自衛隊機が墜落して、小松基地への反対運動が盛り上がったという史実がある。
- 小松と言えば工業都市というイメージが強かった。
- 福井空港が富山空港ぐらいの規模で運営されていたかも。福井県民と石川県加賀市民、小松市民の一部が利用。
- 史実より手狭になっていたらルクセンブルクやアゼルバイジャンからの貨物便が来たかどうか怪しい。
- 位置はおそらく金石の付近。
- 金沢市のLRT計画で空港と金沢駅を結ぶ区間の整備が優先的に検討されている。
富士山静岡空港
静浜基地拡張
- 名前が静岡まぐろ空港になっていた。
- 空弁は魚系ばかり。
- 西焼津駅から空港までアクセス鉄道が敷かれていた。
- 沼津 - 静岡 - 空港 - 浜松で快速も新設。
- ターミナルのどこかに第五福竜丸をモチーフにした絵が飾られていた。
浜松基地軍民共用化
- 防衛省の施設を利用できるため、こんな感じでコストダウンを図れるだろう。
- 県東部の人からは「関係ないのに税金の無駄遣い」と叩かれる
- 場所が偏っているので、FDAは就航していたかどうか……
- 存在していたとしても筆頭株主がホンダあたりになっていた。
- 東名高速の浜松西ICが「浜松空港IC」に改名された。
- ターミナルビルに間違いなくピアノが置かれている。
- 愛称が「天竜浜松空港」とかになってそう。
静岡県東部
- 御殿場か富士宮あたりに出来てたら文字通り「富士山静岡空港」になってた。
- 河口湖駅へのリムジンバスも設定されていた。
- 山岳波の影響により現実よりやや使いづらかった。
- 県西部の人から反発が来る。
- 県西部からは中部国際空港を利用するケースが圧倒的に多くなっていた。
- 御殿場の場合基地もあるためより騒音問題に悩まされる。
- 神奈川県西湘地域(小田原・箱根など)や山梨県も利用エリアになっていた。
- 国内屈強の観光地を抱えているので海外LCC向けの需要はあるかもしれない。
- 場所は東田子の浦駅~岳南江尾駅付近、冨士川飛行場拡張が有力か。
- 「富士山箱根空港」を名乗り、箱根・山梨に近いことをアピールする。
中部国際空港
名古屋市中心部
- 名古屋市中心部に高層ビルはほとんどなかった。
- 代わりに一宮あたりに副都心が建設されていた。
- 大口町あたりで万博が開催され、一宮副都心は高層ビル建設ラッシュがおきる。
- 愛知県営地下鉄が名古屋-一宮間にでき、愛知県交通局は大儲け。
- 名古屋市内は騒音公害に悩まされている。
- 建設時期によっては「航空機の時代を見越して100メートル道路の代わりに建設」という展開の可能性あり。
- 候補地
名古屋市内と海部郡、愛知郡、日進市、豊明市までを範囲として移転案を考えましょう。
- 八事
- 名城大人間学部、薬学部、中京大は南山高・中の南に移転。
- 霊園は何処へ…
- 離着陸の向き次第では興正寺五重塔と旅客機のツーショットを拝めた。
- 蟹江
- 関西本線は蟹江まで複々線化、東山線は蟹江まで延伸。
- 複線化でも十分な気が。
- 近鉄は空港発の伊勢志摩への観光特急を新設する。
- 伊勢湾台風で浸水した地域ということで洪水対策が問題になる。
- 旧陸軍清洲飛行場跡地(あま市+清須市+稲沢市)
- 名二環および国道302号は、空港敷地内では地下に建設されていた。
- それらに直結して大規模な地下駐車場が整備されていた。
- 鉄道でのアクセスは、名鉄の本線側からと津島線側からの両方建設されていた。
- 「中部織田信長国際空港」という愛称名が付けられる。
三重県沖
- 候補地は津市沖か四日市市沖になっていた。
- 史実の没案では濃尾三川の河口付近(桑名市長島町沖?)だった。
- 名鉄ではなく近鉄が空港アクセスを担っていた。
- 中京圏だけではなく近畿圏からも利用しやすくなっていた。
- 特に和歌山県新宮市・那智勝浦町や奈良県宇陀市からは関空を利用するより便利になっていた。
- 関西国際空港発着便の一部がこちらにシフトするため、関空は窮地に追い込まれていた。
- 空港所在地が三重県であることから、空港名が「東海近畿国際空港」になっていたかも。
- 新名神高速道路は2005年の時点で草津JCT-亀山JCTが開通していた。
岐阜県
- 岐阜基地軍民共用化・拡張
- 「各務原」を正しく読める人が増えていた。
- 蘇原駅か三柿野駅を中部国際空港駅に改称。
- もちろんJRの特急「ひだ」も停車。
- 高山本線の美濃太田以西と太多線は電化されていたかも。
- 名鉄各務原線に特急が運転され、現実ほど地味な路線ではなくなっている。
- 東海北陸自動車道は現実よりやや東を通っている。
- 各務原キムチの発祥も空港と結び付けて語られている。
- 岐阜タンメンがターミナルビル内に出店していた。
大阪国際空港
全般
- 大阪モノレールは大阪空港まで延伸されていなかった。
- 蛍池か千里中央が終点になっていた。
大阪湾岸
- 恐らく大阪南港にできていた。
- と言うより、ニュートラムの平林駅から渡船で渡ったあたりのめがね橋のたもとにあった木津川飛行場が移転したのが大阪国際空港だから・・・。
- 大阪市営地下鉄中央線やニュートラムが空港まで延伸されていた。
- 京阪中之島線やJR桜島線も空港まで延伸されている。
- 南港地区にあるATCやWTCの空室率は現実より低かった。
- ものすごい騒音のためにその辺は変化なしかも知れない。
- 21世紀に入ると国際線が復活している。
- それ以前にワザワザ関空造らずに羽田同様埋立拡張で済ましてそう。
- 神戸空港は建設されなかった。
- 史実ほど騒音問題に悩まされることもなかっただろう。
- その代わりに、濃霧や地盤沈下や周囲の工場の排ガスで悩んでいただろう。元々木津川飛行場が移転したのもほとんどその理由でだし。
泉佐野
- 史実の明野陸軍飛行学校佐野分教所を敷地としていた。
- 24時間運用は行われていない。
- 国道26号線のルートが変わっていた。
- 阪和線と南海本線に挟まれているため、JRと南海の線路共用区間はなかった。
- 結局はこれに近い歴史を辿ったと思われる。
- 移転・拡張扱いで史実通りの関西国際空港が開港していた。
堺
- 史実の堺大浜飛行場(日本初の民間飛行場でもある)が拡張されていた。
- 地下鉄四つ橋線はいずれは当初の予定通り堺市内まで延伸されていた。
- 四つ橋線自体の利用客数も現実よりも多かっただろう。
- 関西空港は泉州沖ではなく神戸にできていたかも。
- 南紀白浜空港は新宮にできていたかも。
- 大阪南港のWTCビルは航空法による高さ制限に引っかかるため、現実よりも低くなっていた。
- 場合によってはあべのハルカスも。
- 歴史的背景もあり堺市は国際性を全面的に押し出してPRしていた。
- ↑の地下鉄は大阪万博までに乗り入れるだろう。空港駅は200mホーム整備。万国博中央口(千里中央→箕面萱野)行きは勿論ある。
- 場合によっては四つ橋線内の急行運転が計画されたかも。
- 御堂筋線の10両化は花博までに実施されたかも。
- 大国町駅の島式2面4線ホームがフルに活かされていた。
- 御堂筋線9両化時に同駅以南のホーム有効長は10両対応になった。
- 大阪市10・10A・21・30000系と北急2000・7000・(初代・2代)8000・9000形も営業列車で四つ橋線を走っている。
- 大国町以北の御堂筋線の行先案内で「大阪空港行き」と案内される。
- 現実の伊丹のような騒音問題は少なかった。
- 滑走路3000m化は70年の万博までに実施、パンナムの747が「空飛ぶアメリカ館」として来港したかも。
- 堺市の政令指定都市昇格が現実よりも早かった。
- 恐らく仙台市や千葉市と同時期に昇格していただろう。
- この場合、旧美原町は現在も単独で町政をしているか、松原市あたりに合併されていた。
- 空港内の売店では堺特産の包丁などが販売されていた。
- 9.11後は販売中止になっていたかも。
- 堺市は現実以上に大阪市をライバル視している。
- 堺市のLRT構想が現実よりも進んでいた。
- 空港ターミナルビルへの路線延伸計画も存在していた。もし実現していたら全国でも唯一の路面電車でアクセスできる空港となっていた。
- 利用者などから「堺空港」と呼ばれる。
- 和歌山市は「東京から最も遠い県庁所在地」にならなかった。
関西国際空港
全般
- 南海ホークスは身売りされず、球界再編時に身売りされて大阪楽天ホークスとなっていた。
- オリックスか横浜が福岡に移転していた。
- 横浜の場合ここで身売りされて「福岡ソフトバンクベイスターズ」になる。
- ライブドアが新規参入し、ホリエモンが逮捕されたときにソフトバンクか住生活グループが買収していた。
- ただ南海球団は赤字経営だったし、ダイエーも球団を欲しがっていたので身売りは現実通り行われていたと思う。
- 大阪球場は何れ撤去され、跡地は再開発されていた。
- 新球場は中百舌鳥あたりにできていた。
- 大阪球場は何れ撤去され、跡地は再開発されていた。
- オリックスか横浜が福岡に移転していた。
- なにわ筋線は計画すらされなかった。
- 京阪中之島線も。ただ神戸沖に関空ができた場合当初から阪神に乗り入れるような形で計画されていた。
- 南海電鉄のイメージカラーが変更されることはなかった。従って南海と言えば今でも緑の電車。
- 泉佐野市が財政難に陥ることはなかった。
- その代わり実際に空港ができた自治体が(ry。
- 平成の大合併で周辺の自治体と合併して「南泉州市」になっていた。
- ふるさと納税で巨額のお金を集めることもなかったし、それを巡って総務省と揉めることもなかった。
- JR阪和線は、いまだに天王寺から大阪環状線に乗り入れしていなかったかもしれない。
淡路島
- 電気機械産業が発達して阪神工業地帯の一角を占めることになる。
- 中国地方・四国地方もフィーダーエリアに。
- 明石海峡大橋・鳴門大橋が瀬戸大橋のような鉄道併用タイプで建設される。
- 紀淡海峡トンネルも合わせて建設。
- 後に泉州沖に泉州空港を建設しようとしても、在阪マスコミや地元市民から大バッシングを受け、建設計画は白紙に
- 紀淡海峡トンネル(あるいは紀淡海峡大橋)が実現すればそのような運動すら起こらない。
- 四国新幹線が実現する
- 成田新幹線すら幻に終わったくらいなのでそれは厳しい気がする。
- 紀淡海峡トンネルの建設難航や大鳴門橋の設計変更などのせいで費用対効果が薄いとみなされてしまう。
- 成田新幹線すら幻に終わったくらいなのでそれは厳しい気がする。
- ドッチにしろ神戸空港は建設された
- 近すぎるのでそれはないだろう。
- 徳島空港は廃港の危機に・・。
- 状況によっては高松空港も影響を受ける。
- 高速バスによっては岡山・高知竜馬・松山も影響を受ける。
- 形式上は徳島空港が名称変更の上淡路に移転ということになるのだろうか。
- 逆に南紀白浜空港の衰退はなかった。
- 状況によっては高松空港も影響を受ける。
- 1995年1月17日、現実に発生した阪神大震災の影響をモロに受けて、滑走路が使用できない状態になる。(震源地が空港の近くにあった為。)
- 緊急措置として国土交通省(当時:運輸省)は、一旦廃止した大阪伊丹空港の国際線を関空が完全復旧するまでの期間限定で復活させる措置を採る。
- 下手をすると管制塔が折れたり滑走路が割れたりと相当な被害になっていた。
- 現実に開通した神戸淡路鳴門自動車道に「関西空港インターチェンジ」が設置される。
- 間違いなく上沼恵美子に私有地扱いされている。
- 淡路島で様々な事業を行うパソナグループの関係者にとっては大助かり。
- 関連項目
神戸沖
- 後に泉州沖に泉州空港を建設しようとしても、在阪マスコミや地元市民から大バッシングを受け、建設計画は白紙に
- 泉州ではなく和歌山に建設されていたと思う。でもやはり「無駄」と叩かれていた。
- 関東で言う茨城空港みたいな存在になっていた。その場合南紀白浜空港は廃止されていたかも。
- 泉州ではなく和歌山に建設されていたと思う。でもやはり「無駄」と叩かれていた。
- 連絡鉄道は阪神が単独で建設・運行される。
- 3セクか空港会社かが阪急阪神両方の線路に通じる「神戸空港線」を建設して貸し出すんじゃない?
- それで、空港⇔阪急⇔梅田と空港⇔阪神⇔近鉄⇔奈良の「空港快急」が走ってるとか。
- 京阪も中之島線を伝法まで延長、阪神に乗り入れて出町柳~空港間の直通特急を運行。
- 神戸高速がアクセス鉄道運行してそう
- 阪神なんば線もとっくの前に開通している。近鉄特急も関西空港へ乗り入れている。
- 賢島~関西空港と近鉄奈良~関西空港に空港特急が運転される。近鉄の阪奈特急は空港アクセスも兼ねるようになり現実より利用客が増えていた。
- 奈良や伊勢志摩が関空と鉄道で直結されるので、観光客も増えていた。
- 阪神の経営状態が現実よりも良かったので、球団にもお金をかけることができるようになり、その後の優勝回数も増えていたかも。
- 阪神が空港連絡線を作っていた場合、岩屋あるいは春日野道駅で分岐していたと考えられるので、両駅は関空開港を前に改良工事が行われていた。
- 阪神神戸三宮駅の改良も関空開港を契機として行われていた。
- 3セクか空港会社かが阪急阪神両方の線路に通じる「神戸空港線」を建設して貸し出すんじゃない?
- しかしJRも対抗して、神戸港線を神戸空港まで延長させる。
- 東灘操車場跡に新灘駅を作って、そこから分岐。途中駅は神戸港・市民広場のみ。
- 特急は京都-神戸空港間30分毎(新大阪・大阪・尼崎停車)。他にJR神戸線の快速が全部神戸空港始発となる(住吉以西各停)。
- 加茂から大和路線・おおさか東線経由の関空直通快速も走らせている。
- 姫路方面からは新灘駅でスイッチバックして乗り入れている。
- こうのとりが尼崎で解結して乗り入れる。
- 北近畿への高速道路網完成が早く実現していた。
- 鳥取自動車道も完成していた。
- 北近畿各地-関西空港のみならず、鳥取や津山などから関西空港へのリムジンバスが出来ている。
- 鳥取空港、但馬空港、徳島空港は廃港の危機に・・。
- その代わり南紀白浜空港は寂れず、首都圏から紀伊半島への観光客で賑わう。しかし和歌山市は未だに「東京から最も遠い県庁所在地」のまま。
- この場合和歌山市ではなく鳥取市が東京より最も遠い県庁所在地になった可能性もある。
- 何故なら鳥取空港が建設されず、神戸沖の位置に関空が早期に出来て並行して山陰への高速道路や高速鉄道が出来る為。
- 仮に作られたとしても鳥取-松江の中間に位置する赤碕辺りに出来たかもしれない。
- 米子空港があるのでは?
- 但馬空港は廃止されず、但馬-神戸間が就航。JACのドル箱路線に。
- その代わり南紀白浜空港は寂れず、首都圏から紀伊半島への観光客で賑わう。しかし和歌山市は未だに「東京から最も遠い県庁所在地」のまま。
- 安全。
- その上便利な位置にあるので「日本最強の空港」の名をほしいままに…
- 羽田と成田に分かれてどっちも中途半端な関東の空港事情を尻目に、全国からの国内線が集まり日本唯一の内際ハブとして大発展。
- ただ、冷戦終結後は新千歳や長崎が内際ハブ空港として台頭する可能性あり。(欧米への北周り航空路上に位置する為)
- 韓国の仁川空港にも勝っていた。
- 羽田をハブ空港にするかどうかという議論は全く起きなかった。
- 羽田と成田は両方廃港になり、代わりにさいたま辺りに新空港が出来ていた。
- 用地確保が困難な気がする。
- 羽田と成田は両方廃港になり、代わりにさいたま辺りに新空港が出来ていた。
- 羽田と成田に分かれてどっちも中途半端な関東の空港事情を尻目に、全国からの国内線が集まり日本唯一の内際ハブとして大発展。
- その上便利な位置にあるので「日本最強の空港」の名をほしいままに…
- 伊丹とは離着陸ルートがかぶるので神戸空港開業当日の夜9時を持って伊丹空港は営業停止。で、その直後に神戸空港開港。
- 正式名称はもめにもめたあげく「神戸関西国際空港/Kansai-Kobe international airport/KIX」で決着。
- 南海「ラピート」はなかった。
- 南海電鉄のカラーは今もグリーン系。
- 南海沿線から関空への輸送は南海バスのリムジンバスか、深日港から海上アクセス。現実とは異なり、多奈川支線も泉南・和歌山からの関空アクセスルートに活路を見出していた。
- 史実で神戸〜関空を結んだジェットフォイルはここに就航していた。
- あるいは阪神が「ラピート」を作っていた?
- 南海は近鉄あたりと経営統合していた可能性がある。
- 大阪市高速電気軌道堺筋線の動物園前~天下茶屋間の延伸はなかったかも。
- 大阪(伊丹)空港は関空の利便性の前に廃止されていたかも。
- 1995年1月17日の阪神・淡路大震災で被災し一時的に使用不能になり、その間は伊丹空港で代替していた。
- 震災後の神戸経済の地盤沈下は現実よりも進まなかった。
- 神戸市の人口が福岡市に抜かれることはなかった。
- でも、阪神大震災で沈没してたかも・・・・・・・
- 少なくとも橋が壊れて一時的に孤立するのは避けられなかった。
- みさき公園の閉園は現実よりも早まっていた。
- おそらく21世紀初頭、宝塚ファミリーランドやあやめ池遊園地・甲子園阪神パークと同時期に閉園となっていた。
播磨灘
- 恐らく明石市西部~加古川市東部の沖合に建設されていた。
- 空港連絡鉄道はJRが土山駅から、山陽電気鉄道が東二見駅から建設していた。
- 場合によっては別府鉄道土山線は廃止されず、複線電化されて空港輸送に活躍していた。
- JRの特急「はるか」は京都駅から大阪・三ノ宮を経て関西空港まで運行されていた。
- 現実とは異なり大阪駅や三ノ宮駅に停まるので、利用率も高くなっていた。
- 新快速の一部が空港発着となり、土山~山科間では新快速が10分間隔となっていた。
- 新快速はもちろん土山駅に停車していた。
- 姫路方面からの列車は土山駅でスイッチバックして乗り入れる。
- 新快速だけではなく特急「はまかぜ」「スーパーはくと」も土山駅に停車していた。
- 新快速はもちろん土山駅に停車していた。
- 山陽電鉄は阪神梅田駅から空港までの直通特急を運行(特急料金不要)。
- 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も史実より早く運転開始していた。
- 阪神なんば線も空港開港と同時に開業し、奈良・名古屋・賢島~関西空港間に有料特急を運行していた。
- 山陽電鉄は大手私鉄になっていたかも。
- 播磨町の面積が倍近くになっていた。
- 空港関連の税収によって播磨町の財政がさらに潤うことになった。
- 場合によっては人口が5万人を超えて播磨市になっていた。
- 姫路市がもっと発展していた。
- 神戸空港は建設されなかった。
- 一部の「のぞみ」が西明石駅に停車していた。
- 西明石始発が史実より早く登場した。
- 北近畿への高速道路網だけでなく、鳥取自動車道も早期に完成していた。
- 北近畿各地の他、鳥取、津山、岡山、洲本、徳島などからリムジンバスが運行される。
- 鳥取空港、但馬空港、徳島空港は廃港の危機に・・。
- 他にも岡山空港も影響を受ける。
- コミューター用の但馬空港にはさしたる影響はない(改善するわけでもない)気がする。
- 和歌山市は東京から最も遠い県庁所在地のまま。
- でも不便さは今の関空と同じかもね。たぶん・・・
- 但し、あくまで中継拠点として見るなら話は別だが。
- でも大阪駅や三ノ宮駅などからのアクセスは良くなっていた。
和歌山市沖
- 和歌山市は現実ほど衰退しなかった。
- 県全体もそれほど衰退しなかったかも。
- 南海「ラピート」とJR「はるか」は阪和間の都市間輸送も担当していた。
- 「ラピート」については「サザン」と統合されていた。
- 車両が異なることに対する区別をつけているか、もしくは「ラピート」が無く、「エアポートサザン」みたいなのが走ってる。
- 「ラピート」については「サザン」と統合されていた。
- 日根野駅での分割・併合がないので「紀州路快速」がもっとスピードアップしていた。
- 「紀州路快速」が「関空快速」と呼ばれていた。
- 当然天王寺-和歌山間は45分運転(鳳・和泉府中・和泉砂川停車)。
- 史実の関空・紀州路快速と同じ停車駅だろう。ただし、紀州路快速の日根野以南各停化は無かった。
- 当然天王寺-和歌山間は45分運転(鳳・和泉府中・和泉砂川停車)。
- 「紀州路快速」が「関空快速」と呼ばれていた。
- 空港アクセス線として、南海は和歌山港線水軒支線を複線化しており、2001年に廃止しない。JRは紀勢本線の紀和・紀伊中ノ島間を復活させ、和歌山市・紀伊中ノ島間は複々線化。紀和駅が再び和歌山駅に。もしくは和歌山駅から地下線・和歌山市営地下鉄として和歌山沖までの路線が開業。
- その場合和歌山港線が本線の一部になったかも。
- 空港名は「和歌山国際空港」となっていた。
- 千葉県でも「東京ディズニーリゾート」「新東京国際空港」なので、多分「新大阪国際空港」。もしくはそのまま「関西国際空港」
- 南海フェリーは空港アクセスも兼ねていた。
- 徳島からは間違いなく便利になっていた。
- 徳島空港は廃校の危機には遭うものの、意外と自衛隊基地や自家用機用の空港として残る。
- 洲本と深日港を結ぶ航路も深日港から関空に行き先を変更して、明石海峡大橋開通後も空港アクセスルートとして存続。
- 徳島からは間違いなく便利になっていた。
- 南紀白浜空港は確実に廃港されている。
- パナソニックは和歌山に本社を移転していた。
- 現実には尼崎市に建設されたプラズマ工場は和歌山市に建設されていた。
- 企業の体質からして本社移転はなさそう。
- 和歌浦から廃墟ホテルが消えるのが10年ほど早まっていた。
- 今頃はインバウンド客もそれなりに取り込めているはず。
- 和歌山市のカジノ構想がより有力になっていた。
- 和歌山が大都市だったらあり得た。
琵琶湖
- 滋賀県の影が濃くなっていた。
- 誇りになっている。
- 大阪と空港間の鉄道アクセスははるかが独占していた。
- でも場所によっては京阪が乗り入れてくる。どの道近江鉄道はない。
- それ所か名古屋からも空港特急が運行されてくる。
- なのでセントレアは作られてなかったかも。
- 新快速も一部関空に乗り入れていた。
- 名神高速から連絡道が伸びていた。
- 鳥人間コンテストが開催できなくなっていた可能性がある。
- 京都からのアクセスは現実よりも便利になっていた。
- 「関西の水がめを汚すな」とばかりに激しい反対運動が勃発していた。
- 一部の自治体では騒音のせいで史実ほど人口が伸びなかった恐れがある。
陸軍佐野飛行場
- 現在のJR関西空港線の日根野‐南海電鉄の交点の間にあった。
- 阪和線・南海線は地下化していた。
- 泉佐野市の市域の大半が空港に飲み込まれる。
- 24時間対応ではないので利用客数は現実より少なかった。
- そのため、24時間対応の空港として神戸空港の建設が史実通り行われていた。
- りんくうタウンができない。
京都
- 恐らく巨椋池干拓地に建設されていた。
- 一部から地震による地盤沈下を心配する声が上がっている。
- アクセスとしては京都市営地下鉄烏丸線が空港まで延伸されている。
- 日本を代表する観光地である京都に近い空港として特に外国人観光客に大人気だった。
- 通称も「京都空港」になっている。
- その一方で建設時には一部の文化人が強硬に反対していた。
- 恐らく24時間運用は行われていない。
- そのため、24時間対応の空港として神戸空港の建設が史実通り行われていた。
- 京都競馬場から離発着する航空機が見えるようになっていた。
- 京都市における建物の高さ制限が一部地域でさらに厳しくなっていた。
- インバウンド客目当てに京都市交通局が京都駅や四条河原町などから直通バスを走らせていた。
大阪市内の大阪湾岸
- 現実の夢洲に建設されていた。
- アクセスはJRゆめ咲線・地下鉄中央線が空港まで延伸されている。
- 京阪中之島線もいずれは空港まで延伸されているだろう。
- 大阪市中心部から近かったため、利便性は大きく上がっていた。
- その結果として大阪(伊丹)空港は廃止され、神戸空港も建設されなかったかも。
- 航空法による高さ制限のため、あべのハルカスは現実よりも低かったかもしれない。
- 2025年の万博やIR(統合型リゾート)誘致に影響を与えた可能性があり。
- 場合によっては別の場所が候補地に上がっていた。
三重県伊賀
- 近畿圏と中京圏の中間くらいに作られることから、両方の需要を取り込んでいた。
- 場合によっては中部国際空港は建設されなかった。
- その場合、利用者数は成田空港に匹敵するか多いくらいになっていた。
- 場合によっては中部国際空港は建設されなかった。
- 空港アクセスとして近鉄伊賀線を改良の上関西空港駅が設置されていた。
- 大阪難波・名古屋・京都からアクセス特急が運行されていた(阪神なんば線開業後は神戸三宮からも)。
- JR関西本線も全線電化され、大和路快速が関空まで延長されていた。
- こちらが「関空快速」を名乗っている。
- 伊賀鉄道として分社化されることもなかった。
- 名阪国道にも「関西空港IC」が設置されていた。
- 伊賀上野が現実よりも発展していた。
- 観光客も増えていた。
- 伊賀が現実以上に関西扱いされていた。
- 山間部にあることから、離発着が難しい空港になっていた。
- 現実の広島空港と同じような感じになっていた。
- 不便さも同じようなもの。
- 現実の広島空港と同じような感じになっていた。
- 今になって「忍者」が入った愛称が付けられる。
- 建設時に関西の政財界から相当な反発があったことは想像に難くない。
亀岡市
- 山陰本線(嵯峨野線)の京都~園部間の複線化が現実よりも早まっていた。
- 園部~福知山間と京都丹後鉄道宮福線の電化も同時に行われている。
- 京都縦貫自動車道の全通も関空開港に合わせて行われていた。
- アクセスは山陰本線からの分岐線が建設され、北大阪急行も千里中央から空港まで延伸されていた。
- その場合、豊能町の北大阪ネオポリスは現実よりも発展し、箕面森町や彩都の開発も早まっていた。
- 路線の規模からして別会社でないとおそらく無理。
- 京都市に近いことから、観光には便利になっていた。
- 紅葉シーズンの嵐山が大変な混雑になっていたかも…。
- 保津川下りの知名度も現実以上に高くなっていた。
- 紅葉シーズンの嵐山が大変な混雑になっていたかも…。
- 霧が発生しやすいので離発着が難しくなっていたかも…。
- 盆地ということもさらに難易度を悪化させている。
- 安全な運航が確保できたかどうかも怪しい。
- この場合も通称として「京都空港」という名称が使われていた。
- 北陸新幹線のルート決定にも影響があったかもしれない。
奈良
- 恐らく奈良盆地中部の平野部に作られていた。
- 鉄道アクセスは主に近鉄が担う。
- 京都・大阪難波・名古屋・伊勢志摩から空港アクセス特急を運転。
- 阪神なんば線の開業も早まり、神戸三宮~奈良のほか関西空港直通列車も運転されていた。
- 通称は「奈良空港」。
- 遺跡の発掘調査などで間違いなく建設工事は難航していた。
- 奈良県の人口が滋賀県に抜かれることはなかった。
- 奈良県の宿泊者数が現実よりも多くなっていた。
神戸空港
明石市
- 西明石がのぞみ停車駅になっていたか?
- 下同様姫路が全列車停車駅になっていたかもしれない。
- 地方空港一つ程度で影響があるようには思えない。
- 広島空港に少しは近い三原や東広島に止まるのぞみは令和になってからもまだ設定されたことがない。
- 明石海峡大橋のせいで離着陸のルートが制限されていた。
- 海上空港の場合地元の漁業者との交渉に難航していたと思われる。
- 愛称に「子午線」という語句が入る。
- 徳島空港にも影響が出ていた。場合によっては廃港の危機に陥っていた。
姫路市
- 山陽新幹線の新神戸駅と姫路駅の立場が入れ替わる。
- 姫路にはのぞみ・みずほが全列車停車、一方新神戸にはのぞみは数本しか停車しない。
- 都市そのものの位置づけが変わらない限りありえない。
- 兵庫県より岡山県からの利用者が多かった可能性も。
- ドル箱になりそうな東京便は岡山からも飛んでいるのでそうはならない気がする。
- 山陽電鉄が乗り入れていた可能性あり。
- 白鷺をモチーフにしたマスコットキャラクターがいる。
- 阪神地域から遠いため就航する便は史実の神戸空港より少ない。
- 世界遺産姫路城のお膝元ということで能登空港と同じように国際チャーター便に活路を見出していた。
南紀白浜空港
紀の川市
海南市
- 上記同様和歌山市外にも関わらず「和歌山空港」になる。
- 関西空港の建設場所も上記同様に。
- マリーナシティは史実と異なる形で開発される。
- 南海和歌山港線が本線の一部になり空港まで延長された。
- 紀州路快速は海南駅まで延長運転されていた。
新宮市
- 名称は「南紀新宮空港」になっていた。
- 和歌山県だけでなく三重県南部からの利用も多くなっていた。
- 伊勢志摩方面へのアクセスも考慮されていた。
- 南北牟婁郡が和歌山県所属だったらあり得たかも。
- 大阪~新宮は鉄道では時間がかかりすぎることから、伊丹~新宮に定期便が就航していた。
- その対抗か五新線が全通していたかも。
- 新宮市が現実より発展している。
- うまく行けば同市の人口が10万人を超えた県内2位、文字通り「南紀の中心都市」になれたかも。
- 上記の五新線が全通していたら尚更。
- うまく行けば同市の人口が10万人を超えた県内2位、文字通り「南紀の中心都市」になれたかも。
広島空港が広島市中心部
- 東京~広島のシェアは現在でも航空機が有利。
- 羽田~広島便は2015年現在で新千歳、福岡、大阪に次ぐ国内4位の搭乗数になっていた。
- 名古屋~広島や広島~鹿児島の航空便もあった。
- 鹿児島便は史実でも西飛行場から定期便が消えるまで飛んでいた。
- 下の理由で東京~広島便はB767とA300の独占に。
- 新幹線500系の製作数が少し多かったかな?
- 福山市は岡山空港が最寄りの空港になっていた。
- あるいは福山市にも空港が建設されていたかも。
- 事情通に陰で「宮澤喜一空港」と呼ばれていた。
- あるいは福山市にも空港が建設されていたかも。
- 史実の吉島飛行場を拡張したような感じと推測。
- 広島南道路のこの付近の区間は問答無用でトンネルに。
- 滑走路の沖出しが行われ、2000m程の長さに。
- これでも史実の旧空港とはあまり変わっていない。
- なら'93年までに3000m位に伸ばしていたか?
- これでも史実の旧空港とはあまり変わっていない。
- 三菱重工の方が他の場所に移転していた。
- その場合重工の跡地が空港拡張用地に。
- パイロットからはかつての香港啓徳空港並みに恐れられている。
- 周囲を島や山で囲まれている上に着陸時には市街地上空の飛行を強いられる。
- 進入時には能美島が邪魔になっていた。
- 岩国基地への民間機の再就航はまだ実現していない。
- これって、現広島空港が無く、旧広島西飛行場がメイン空港のままだったら、ってことでは?
- 広島市民の感覚では南観音よりもさらに南なのであまり中心部のような気がしない。
- 市内電車の空港乗り入れが検討される。
- 現実でも本郷町に空港ができる前には検討されていたような記憶がある。
- 要するにこの内容か。
広島空港が岩国基地と共用(錦帯橋空港の拡大版)
- 岩国駅と空港を結ぶ単線アクセス線ができる。
- 広島~五日市~宮島口~大竹~岩国~空港 で快速運転。
- 広島岩国道路はとっくに無料化されて空港アクセス道路になっていた。
- この場合山陽道(廿日市~大竹)は別のルートで作り直される。
- あの位置に2路線作るのは不経済では。
- 国道2号の広島~岩国間の渋滞はエグいぞ。岩国に空港があったら拡幅なり道路新設しないとパンクする。
- あの位置に2路線作るのは不経済では。
- この場合山陽道(廿日市~大竹)は別のルートで作り直される。
- 名称は広島岩国空港。
- 岩国が広島県に属していたら案外あり得たかもしれない。
- 史実でも岩国には1952年から64年にかけて民間機が就航していたので「広島空港」扱いされていたら存続できていたと思われる。
- イギリスやオーストラリアからの国際線すら寄港していたことがある。
- 史実でも岩国には1952年から64年にかけて民間機が就航していたので「広島空港」扱いされていたら存続できていたと思われる。
山口宇部空港
候補地
- 防府北基地
- 山口防府空港になっていた。
- 山口県庁は山口空港への改称を試みるが防府市が反対。
- 自衛隊基地と共用している。
- 山口県内各地との便を図るため大きなバスターミナルが建設される。
- 山陽新幹線と競合することは間違いない。
- でもやっぱり北九州空港に客が流れる。
- 当然新北九州空港の建設も早まっていた。
- そもそも「北九州空港と競合」が山口県庁の捏造。実際の宇部空港は北九州空港開業前から利用者は減り新山口駅や徳山駅の新幹線「のぞみ」に流れている。
- 実際に候補地だった。
- 宇部空港の着工直前までここと阿知須干拓地の2つが候補地だったが宇部興産が宇部に造らせた経緯がある。
- 山口宇部道路は建設されず山口防府道路ができていた。
- 並行路線が無いので山陽自動車道ははじめから宇部経由に。
- 小月航空基地
- 山口下関空港になっていた。
- 山口県庁は山口空港への改称を試みるが下関市が反対。
- 北九州空港とどういう勝負をするだろうか。
- 新北九州空港の門司ルートアクセス道路ができて移転統合。
- 勝負という発想がおかしい。普通に統合されるだけだろ。
- 山口宇部道路は建設されず山口下関道路ができていた。
- 後に山陽自動車道に組み込まれる。
- 旧北九州空港と同じく山に囲まれ就航率が極めて悪いため移転の議論がはじまる。
- 周防灘国際空港が現実に。
- 事情をよく分かっていない人に「安倍晋三空港」と呼ばれる。
- 現実通りの民間での使用開始なら66年開港のため安倍晋三が関わる余地はない。
- 阿知須干拓地
- 県営阿知須空港として開業するが滑走路延伸ジェット化時に山口空港に改称(阿知須町には県庁に抵抗できるほど力が無いため)。
- いやこの場合最初から山口空港か、もしくは宇部が介入して山口宇部空港のどちらか。阿知須が口出しできる余地はない。
- 実際に候補地だった。
- 宇部空港の着工直前までここと防府北基地の2つが候補地だったが宇部興産が宇部に造らせた経緯がある。
- 01年の山口きらら博はどこで開催されたのだろうか。
北九州空港が若松沖
- 場所は響町1丁目・2丁目の人工島。
- 一応海上の為24時間運航は可能。
- 若戸トンネル~空港間の高速道路と戸畑~若松~空港間のJR線が新設される。
- 小倉・折尾から20分程度で直通でき、下関からも渡船でいけるため市民からの評価は上々。
- 現実の北九州空港の例を見ると鉄道は建設されない気がする。
- なんもない苅田の人工島と違って若松という人口が多い地帯を通るし、距離も短いから市にやる気があればワンチャンありえるかもよ。
- 下関市街と小倉市街が10km以内にあるため多少の高さ制限を受けていた。
- 空港と市街地が近接していたので、福岡に九州の支店経済機能を奪われることはなかったのかもしれない。
- 都市の地力や福岡空港と市街地の距離を考慮するとそれはない。
- 北九州エコタウンは曽根地区と苅田沖に建設されていた。
北九州空港が築城基地と共用
- 浜松基地が軍民共用化された場合と同様のコストダウンが図れるだろう。
福岡空港が福岡市中心部以外
- 福岡市中心部に高層ビルが沢山建設されていた。
- 九州新幹線全通後の博多駅の駅ビルはJRセントラルタワーズ(名古屋駅)やJRタワー(札幌駅)のような超高層ビルになっていた。
- そしてテナントがなかなか入らず苦戦。
- むしろ逆で、ホテル業界や企業の誘致はしやすい、立地条件からして見過ごすことはない筈だ。
- 空港から5分で行けるから博多に企業やホテルが多数進出しているわけで、空港が遠いのにビルだけつくっても需要がなくガラガラになる。
- その空港から来る人は東京から来るので「空港から近い」は「東京から近い」と同義だが、福岡より東京に近い都市など山ほどあるという矛盾。
- 空港から5分で行けるから博多に企業やホテルが多数進出しているわけで、空港が遠いのにビルだけつくっても需要がなくガラガラになる。
- むしろ逆で、ホテル業界や企業の誘致はしやすい、立地条件からして見過ごすことはない筈だ。
- そしてテナントがなかなか入らず苦戦。
- 九州新幹線全通後の博多駅の駅ビルはJRセントラルタワーズ(名古屋駅)やJRタワー(札幌駅)のような超高層ビルになっていた。
- 地下鉄が未だに延びずアクセスにアクセクしていた。
- むしろ板付より先に伸びていた。
- 廃止になった国鉄勝田線の代替ルートとして志免方面へ伸びていた。
- 「東比恵」など知られていなかった。
- むしろ板付より先に伸びていた。
- JR西日本が大儲け、というほどではないがそこそこ利益を上げる。
- 福岡はJR九州の管轄ですが…
- 山陽新幹線の利用客が増加して運営主体であるJR西日本の増収に繋がる、という意味では。
- 福岡はJR九州の管轄ですが…
- 公立の学校にエアコンはつかなかった。
- 実際に福岡市中心部から離れた場所に建設されていた場合、どの辺りに建設されていただろうか・・。
- 海の中道とかかな。昔、飛行場があったし、最近も新空港の候補地として挙げられてる。
- 宗像(旧津屋崎町)沖も移転候補地です。
- 建設地が鳥栖などの佐賀県内の場合は別名称だったかもしれない・・。
- その際は「九州国際空港」で決まり。
候補地
- 県内と佐賀までを範囲として移転案を考えましょう。
- 海の中道案
- 福岡市民待望の高層タワーが出来ないかもしれない。
- 市営地下鉄号線はアイランドシティー経由で海の中道まで延伸。
- もしくは香椎線が複線電化される。
- 香椎線は全線電化されるか、西戸崎~香椎間のみが電化される。
- 空港アクセス用に813系が、普通列車に817系が投入される。
- 香椎で分断。西戸崎側は基本的に博多に乗り入れ。
- そのまま貝塚付近で地下鉄に直通してくれたら便利やね。
- もしくは香椎線が複線電化される。
- 都市高速も香椎から延伸。東区三苫経由で雁ノ巣まで。
- 環境保護団体が必死に反対することは必至。
- 板付へ移転せず雁ノ巣飛行場を沖合へ拡張していれば、そんな団体はまだ存在しなかったのに。
- とても綺麗な海岸なので、埋め立てられるのも悲しいから今のままでよかったのかもしれない。
- いっそのこと、長い誘導路で現ターミナルまで結んでしまえ!
- 旧津屋崎沖案
- 西鉄宮地岳線が空港まで延伸。廃止になることは無かった。
- それどころか地下鉄も直通し、乗客も増えていた。
- 北九州からも利用圏となり需要集約効果で就航都市が増え華の欧州北米直行便もデイリー運航。
- 今では世界遺産「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」への悪影響を心配される。
- 佐賀空港移転・乗っ取り案
- おそらく、佐賀から南に向けて空港アクセス鉄道ができる。
- あるいは西鉄が柳川付近で分岐し筑後川を横断してくる可能性もある。
- 北九州空港移転・乗っ取り案
- 新北九州空港なら小倉から鋤崎山と高蔵山の間を抜けて新幹線建設。
- 経営はJR西日本か?
- 旧大刀洗飛行場
- 久留米市大喜び。
- 甘木線は第三セクターになることはなかった。
- むしろ電化されていた。
- 九州自動車道・大分自動車道・長崎自動車道の建設が早まった。
- 四国新幹線の建設が早まり、旧太刀洗飛行場付近で博多や長崎・佐世保など各方面に分岐していた。
- 九州新幹線のルートにも影響を及ぼした可能性がある。
- 佐賀空港は存在しない。
佐賀空港が大牟田周辺
- あまり変わらない。
- 少しだけ便利になる。
- 西鉄天神大牟田線が大牟田まで完全に複線化される。
- 沿岸道路はもっと有意義に活用されている。
- 料金が取られている。
- 熊本空港を使う人が減る。
- 「なんで福岡県に空港が三つもあるんだ!」と非難を浴びる。
- そうならないために荒尾に作る。
- 「なんで熊本県に空港が三つもあるんだ!」
- そうならないために荒尾に作る。
- 佐賀県でないのでそもそも佐賀空港でない。(南福岡空港、新福岡空港、大牟田空港)
- 千葉にある新東京国際空港みたいなネーミングなんだろう、きっと。
- 両県の力関係を踏まえると羽田空港が「神奈川空港」か「川崎空港」を名乗っている以上に不自然。
関連項目
佐賀空港が唐津市
- 第2次大戦中に陸軍飛行場の建設反対運動が多かったことは忘れられる。
熊本空港が熊本新港周辺の西区
- 市電が西方面に向かって延長していた
- 現実でも延伸計画が一切進んでいない状況なのでそれはないかと。
- 熊本駅・空港を中心に西区がもっと栄えていた
- そもそも名称が「港区」になっていた可能性あり。
- 対岸に位置する島原の観光PRも大々的に行われる。
- 上記福岡空港が板付ではなく戦前から当地に存在した場合,九州の中心都市とされ,新鋭機が導入からまもない時期から飛来する。
- ↑の「当地」とは熊本空港。熊本市は戦後も九州の政治都市(青森県に例えるなら青森市)で,大企業や国の出先は多くが2020年現在も熊本に置く。
- 「福岡空港」は雁ノ巣飛行場の拡張扱いで,大浜飛行場(玉名郡大浜町→玉名市)は存在せず,ここに雁ノ巣と同時期に建設されたことか。名称はおそらく熊本飛行場。熊本空港はその拡張扱いか。
- 航空がまだ特権階級のものだった時代に空港一つで都市の地位が逆転ということはありえないのでは。
- さらに大陸(特に朝鮮・満洲)との連絡を考慮すると九州の寄港地が熊本では無意味に南に迂回することになってしまう。
- ↑の「当地」とは熊本空港。熊本市は戦後も九州の政治都市(青森県に例えるなら青森市)で,大企業や国の出先は多くが2020年現在も熊本に置く。
- 天草空港は存在しない。代わりに熊本港~本渡港の高速船が存続。
熊本空港が玉名市
大分空港が坂ノ市沖
当初は坂ノ市沖を埋め立てて建設される計画でした。
- 日豊本線の坂ノ市駅から空港アクセス鉄道が建設されていた。
- 路線名は「大分空港線」。
- 宮崎県北部民の多くが,飛行機に乗る際,この空港を利用。その代わり大分県豊前地方の住民は,新幹線小倉駅・北九州空港を利用。
- 宮崎県北部民の大分空港利用を考慮し,坂ノ市駅に一部の「にちりん」が止まる。
- キヤノンの工場は安岐には無かった。
- 大分市内の工場が現実よりさらに大きくなっていた。
- R197の大分東バイパスの大分宮河内IC以東が大分空港道路になっていた。
- もちろん自動車専用道路になっていた。
- 大分東バイパスの米良~宮河内は現実世界の東九州自動車道の大分光吉~大分米良と同様に東九州自動車道に並行する一般自動車専用道路(A'路線)になっていた。
- 道路名は「大分東道路」。
- 40m道路はとっくの昔に佐賀関まで延伸している。
- 大分県央空港は計画されなかったかも。
- 国東半島の過疎化が現実より進んでいる。
- その代わり大分市一極集中が進む。下手すれば別府市を吸収し、大分市の人口が50万人を越えたかも。
那覇空港が違う場所
- 金城・鏡水・大嶺地区はとっくに住宅街。
- 沖縄都市モノレールは建設されないかまったく違ったルート。
- 市街地に出るのに10分なんて到底無理。
- 離着陸時に風向きによっては必ず住宅地の真上を通る。
- ただし、現在の位置でも南側の離着陸では埋立地は通っている。
- もっとも、那覇が琉球政府所在地→県庁所在地であったのに、旧小禄飛行場ほど好条件な場所はない。
- 市街地に近いし、滑走路が双方とも海に突き出し住宅地の真上を通らないため。
- 那覇港トンネルはない。
- 那覇西道路の終点は那覇空港ではなく那覇港だった。
- とっくに首里城の景観がどうのこうのといわれるくらいの超高層が建っている。
候補地
- 東飛行場
- 鉄道与那原線が復活。
- 南西石油が別の場所。
- 中城湾南側はとっくの昔に埋め立てが進んでいる。
- 沖縄自動車道からの分岐道路が西原IC付近から建設された。
- 長年那覇にない那覇空港だったが、1975年に西原町が編入されて、名実ともに那覇空港になっていた可能性もあり。
- 南城市大里(旧村)の丘にぶつからないよう、飛行機はカーブを描いて離着陸していた。
- カーブは那覇・南風原上空経由と佐敷経由の2通り。
- はっきりいって危険。事故すらおきた可能性あり。
- でもって、結局沖合い展開。
- というか、そのために真っ先に返還されている。
- 航空ファンから「東の那覇、西の啓徳」と呼ばれていた。
- 中飛行場(嘉手納基地)
- 沖縄空港という名前になっていて、那覇空港という名前自体が存在せず。
- 軍用機に加え民間機の騒音に悩まされていた。
- 民間機は夜間9時以降の飛行ができない。
- 結局那覇か西原沖に海上空港が誕生する。
- 北飛行場が自衛隊基地に化けていたか、北飛行場が自衛隊・民間空港、中飛行場が米軍基地というわけ方だったかもしれない。
- 現那覇空港が今も米軍基地という可能性すらあった。
- 訂正:中飛行場が自衛隊・民間空港、北飛行場が米軍基地。
- 沖縄市・嘉手納町はりんくう都市として発展。
- 鉄道嘉手納線が復活し、さらに名護まで延びる。
- 史実での鉄道整備計画の難航ぶりからしてそこまで簡単にできるような気がしない。
- 1986年発見された涌田釜のために、沖縄県庁は1990年沖縄市に移転していた可能性がある。
- 北飛行場(読谷補助飛行場)
- 中飛行場と逆ケースになる。
- 普天間飛行場
- 世界一危険な空港としてその名を轟かせる。
- 危険は言い過ぎ、世界の空港から見たらむしろ
- 滑走路は3キロまで延ばされ、自衛隊使用部分はコンパクトにされてる
- プロ市民は民間利用にも文句つけたのだろうか・・・・・
- (実際の)三沢空港みたいに、展望デッキなどからの航空機撮影が厳しく制限される。
- 危険は言い過ぎ、世界の空港から見たらむしろ
- 移転問題は全く進んでいない。
- 米軍は普天間から身を引いて自衛隊との共同利用だから移転はないでしょ。海抜も一番高く、地震・津波防災には最適。
- →だから史実の米軍基地も2番目に海抜の高い伊江島でいいって(by某氏)
- とっくに沖縄市までは鉄道あるいはモノレールが開通してる
- 国道330号が空港アクセス道になってる
- 某氏のストレスが非常に楽になる
場所同一で、滑走路の向きが違う
現在の滑走路は島の形に平行になるようにほぼ南北ですが、これが嘉手納と同じ斜めだったら
- 離陸してすぐの低空飛行がないため、危険度や燃料消費がその分減る。
- 那覇市街地はもっと厳しい高さ制限だった。
- 久茂地は45m制限だっただろう。
- 制限を逃れるため、旧沖縄県営鉄道与儀駅周辺が実際より大きく発展する。
- 航空ファンから「東の那覇、西の啓徳」と呼ばれていた。
- 那覇港(那覇埠頭)はフェリーが入れなくなる。
- 結局マリーナ化される。
- 湾岸道路(泊大橋)が開通しない。
- 市街地の上を飛ぶので市民はひやひやだ。
- 観光客は「沖縄って都会だったんだ」と現在の向き以上に真実を知らされる。
- そしてあの事故が起きた直後には・・・・・・・
- その前に起きなくて済んだか?
- 1999年頃に沖合い展開が行われ、滑走路は1310m離れてもう1本建設された。