阪神タイガース/暗黒時代
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暗黒の17年間の噂
- 1992年に優勝を逃したのは「八木の幻のホームラン」のせいだと今でも主張する。
- その元凶はラッキーゾーンの撤去だったりして。
- 「中継ぎ課」「神のお告げ」「F1セブン」など、この時代の阪神を語る上でネタに欠かさない。
- 川藤がコーチを2年間やっていたことを知っている。
- 守備走塁コーチって・・・。
- オマリーと関川と野田が移籍先で大活躍。
- しかし、関川・久慈の代わりに獲得した矢野・大豊もチームに貢献。
- 矢野輝弘は暗黒時代から抜け出すのにも貢献した。
- 矢野が出て行って久慈が代わりに入った中日が突如優勝し、久慈がまた阪神に戻ったら突然阪神が優勝した。どっかの本では「不幸な矢野と幸運な久慈」と揶揄されていた。
- 矢野が移籍してきた当初、活躍できなかった時ファンに「関川返せ、久慈返せ!」と野次られたらしい。
- しかし、関川・久慈の代わりに獲得した矢野・大豊もチームに貢献。
- FAで獲った石嶺と山沖・・・。
- 松永も入れようや。
- 奴はトレードできてFAで出て行った。典型的な失敗トレード。
- 松永も入れようや。
- 「猛虎!破竹の2連勝!」とデイリースポーツに書かれる。
- 阪神が3連勝しただけでも奇跡と言われていた。
- キャンプの50m走のタイムが1面になった事もあるぞ。
- デイリーはこの時期の阪神に慣れたのか、阪神の戦果を大本営発表みたいに報道できるようになった。それは今も変わらず。
- 阪神が3連勝しただけでも奇跡と言われていた。
- 「3連戦のうち1つくらいは勝つだろう」と思って3試合のチケットを取ったら、3試合とも完封負け。
- デイリースポーツの一面に「坪井4の2、行けるぞ新人王!」とでっかく書かれ、その下に小さく「チームは5連敗」と書かれていたことは内緒だ。
- 一応、特別表彰はして貰えた。川上憲伸・高橋由伸・小林幹英と争ったから(新人王は川上)
- 彼に限らずルーキーは活躍していた。
- でも、いつの間にか忘れられていく。
- 19時からの野球中継が始まったとき、既に先発投手は降板。
- 紳助が「阪神戦は18時から放送せえへんと先発投手が誰だかわからへん」と言ってたなあ。
- 4番の打率が2割5分・・・。
- 3番だけど、バースは86年に.389も打った(シーズン日本最高打率)。
- 一方で新庄と桧山が巨人の清原と年間三振数を競っていた時代も……
- そういえば、たけし軍団にも負けたなあ。
- その翌日、日光猿軍団と試合させようや!とか冗談を言った思い出がある。これで本当に試合やって負けた日には・・・。
- ちなみにその翌年に阪神は2位になった
- 弁護すると、本来とは違うポジションを守ってた・・・というのもある。野手がピッチャーやったりとか。←弁護になってるかどうか微妙だけど。
- 開幕戦は捨てゲーム、もしくは相手チームに対するボーナスステージ。
- とある年の開幕戦、1回の表先頭バッターがヒットを放ち、「今年は行ける!」と思ったが、その後一人のランナーも出せずにボロ負け。
- 開幕戦の最多失点は17点(2001年ごろ)。でも巨人相手じゃ無理ないな…。
- 一時阪神の選手はオールスターのファン投票で新庄だけでチームの9割超の投票を獲得していた
- そして2001年のオールスター投票では阪神の選手に1票も入らなかった
- 「1票も」はサスガにない。1人もファン投票で選ばれなかったって事でしょ?
- チームの弱さは初期の楽天と良い勝負
- 松井在籍時の巨人に「30点」取られて敗北した
- 「巨人vs阪神」の伝統の一戦が「巨人vs中日」にとって変わる噂が絶えなかった
- 弱体化し過ぎて阪神身売りの噂が絶えなかった
- 甲子園優勝校にも負けるのではないかとも毎年のように噂された。
- PLより弱いのはお約束だったもんなぁ
- 村○ファンドによって一過性の暗黒時代がもたらされた事もある。
- 天罰下り済み。
- 周りはみんな半袖の時から始まるストーブリーグ
- それも着出した頃。
- 「鯉のぼりを下ろす頃には…」
- 東スポが「阪神1位!!」と見出しを書いたが「評論家によるセリーグ最下位予想」のことだった。
- 早ければ梅雨明けと同時に、来年のことを考え始めるが、4番とエースピッチャーには、まだ見ぬ新外国人を指名する。
- 「甲子園球場をPL学園の本拠地にするよ」とマンガに書かれていた。
- ピッチャーが好投している時に限って、打てない打線
- でも、打線が爆発すると投手陣が大炎上。
- 「明日も勝~つ!」は、当然禁句だ。
- 日ハム時代も見事に発動。何故か所属チームではなく、阪神に。
- 桑田佳祐に「今年の阪神は8位」と言われた事がある。当然、反論も出来ず・・・。
- ちなみにこの御仁はアンチ巨人。巨人が負けた日のラジオでは「松田(巨人ファンのドラマー)ざま見ろ」とよく言う。
- カラオケで六甲おろしを歌うと、映像に出てくるのは85年のV戦士
- その映像を見て、85年を懐かしく思う。
- 藪の一発病、今岡のやる気のない走塁、桧山のセカンドゴロ量産は、暗黒時代後期を語る上で欠かせない。
- 1992年の成績は2位ではなく準優勝である
- この年のセ・リーグは首位から最下位までのゲーム差がわずか9という大激戦(というよりダンゴレース)だった。だから成績的には大したことは無いのだが、それでも準優勝である
- 常勝の中日が最下位。阪神と中日の立場が逆転した年だった。
- ヤクルト優勝の際は甲子園で胴上げを見る羽目に。場内は帰れコールだったらしい。
- ちなみに98年の横浜、02年の巨人(試合は相手のサヨナラ暴投で勝ったが)の際はそんなことなかった。
- ヤクルトのときは優勝争いしてて、その年は色々とお互いあったからな。
- ちなみに98年の横浜、02年の巨人(試合は相手のサヨナラ暴投で勝ったが)の際はそんなことなかった。
- この年のセ・リーグは首位から最下位までのゲーム差がわずか9という大激戦(というよりダンゴレース)だった。だから成績的には大したことは無いのだが、それでも準優勝である
- 再建請負人のノムさんですら再建失敗。おまけに嫁の不祥事まで。
- ただ赤星や井川らが育ったのは事実。もちろん、2003年の優勝は移籍組が活躍したからというのもあるが。
- 赤星や井川らが育った事については、今最近の強めの阪神の基礎や土台を築き上げたとしてノムさんの功績は大きいかも。
- ただ赤星や井川らが育ったのは事実。もちろん、2003年の優勝は移籍組が活躍したからというのもあるが。
- 最下位が指定席。
- 最下位ではなく、「6位入賞」である。
- 巨人を3タテしただけで、その3タテした試合のビデオが売られたらしい。
- 2リーグ分裂~99年までの甲子園で巨人を3タテした全カードの映像集だった。ここで訂正。
- こういうのを見て憂さを晴らしていたのだろうか・・・。
- 暗黒末期の頃、阪神タイガースの人生ゲームが売られたらしい。
- 私、持ってます。
- サンテレビの夏休みちびっ子解説者にまで、ダメ出しを受ける
- 山田勝彦の打率=山田の身長。
- 「4番ファースト藪」ってありましたよね???
- 2000年ごろの、遠山と葛西のワンポイントスイッチに似てる…。
- 99年前半戦の快進撃には、野村監督の人形が作られたらしい。
- その年は首位に短期間だったもののなったことがあった。
- そのときに飛び込んだファンがいる。
- 1999年ということもあって、ノストラダムスに絡めて「ノス虎ダムス」なんて本も刊行された。恐怖の大王はノムさんとサッチーだったとか。
- 何となく暗黒時代の阪神って今のベガルタと共通点ありそうな気がする
- 何年だったか忘れたけど、村山が長嶋から疑惑のHR打たれた展覧試合と同じ日に、岡田がガリクソンから逆転満塁HRを打って、大騒ぎになったことがある。
- 平成元年のことだった。展覧試合の30年後だった。
- 13ゲーム差をひっくり返される大失態。暗黒臭がしてきたorz。
- 「若手育成に失敗」、「贔屓で起用した選手が小さくまとまった」育成面でも暗黒臭がする。
- この辺、2006年ごろのアンチ巨人による巨人批判と共通していないか?
- かといって、ここで岡田が辞任すると吉田辞任後の阪神と同レベルになりそうな……
- 「若手育成に失敗」、「贔屓で起用した選手が小さくまとまった」育成面でも暗黒臭がする。
- 2008年、阪神ファンが巨人のホームランになる打球を妨害したが、実は暗黒時代には新庄の打球を妨害して2ベースにしてしまった。
- 現在はみんな座っているけど、暗黒期はガラガラのアルプススタンドで立って応援。
- もしくは席で横になって野球鑑賞。
- それでも流し素麺や麻雀をしていないだけマシだと思う。
- エイプリルフールで「阪神優勝!」と会見したら、その年最下位になったらしい。
- 1998年のこと。87年から2001年まで15年中10年が最下位と言う惨状だったから、吉田監督も関係者もみなやけくそだった。
- 同年放送された「テツワン探偵ロボタック」のある回で、敵キャラが虎ファンで「今年は優勝だタイガース!バッティング対決」というものをやっていた。
- さらに、その回に出て来た暗号が85年のスタメンの背番号。
- その2年前に放送されていた「激走戦隊カーレンジャー」のある回でも、虎ファンのメンバーが阪神のハッピを着て「今年こそ頼むで」と神社に願掛けに行っていた。
- 同年放送された「テツワン探偵ロボタック」のある回で、敵キャラが虎ファンで「今年は優勝だタイガース!バッティング対決」というものをやっていた。
- このエイプリルフールの優勝会見は同年の寅年にちなんだものだったらしい。
- 1998年のこと。87年から2001年まで15年中10年が最下位と言う惨状だったから、吉田監督も関係者もみなやけくそだった。
- 1995年にサンテレビジョンが阪神球団60周年を記念し、「今年の阪神はいつ60勝するか」と視聴者クイズをしたら、130試合中46勝しか出来なかった。
- そして「出来ない」と書いた視聴者が実際にいて、正解となったらしい・・・
- 途中から、「ホームラン60発はいつか」に変更してクイズをまた出したとか。
- 2008年にサンテレビは「優勝時の岡田監督の胴上げ回数」を視聴者クイズとして流し、この伝説の続きを作った。いい意味じゃないだろうが・・・
- この年は阪神・淡路大震災があり、同じ関西球団のオリックスがリーグ優勝して神戸市民を勇気付けたのに対して、西宮市に本拠を置く阪神は前年の戦績を大きく下回って4位から6位に転落、明暗がはっきり分かれることになった(それでも人気までは逆転しなかった)。
- 「オリックスは震災に見舞われたファンに元気を与えてくれたが、阪神はファンを失望させた」と某ラジオ局のDJが言っていた。その同じ局で別のDJが「オリックスはみんなの夢をかなえてくれたが、阪神は現実の厳しさを教えてくれた」と言っていた。
- もしサッカーのようなシステムだったら8部リーグ辺りまで降格していたかも知れない。
- 阪神だけ1軍を他球団の2軍にし、2軍は3軍として草野球専門球団にしたらどうか…って話を飲み屋で当時はしていたと、暗黒時代を懐かしむファンから聞いたことがある。
- 上にもあったが91年にたけし軍団に2軍が負けたので、プロ野球界の面子を保つためにはこれもしょうがない・・・って。じゃあ翌92年の戦績は何なんだ?
- 因みに98年に18連敗した球団も阪神と試合した翌年の92年、同じようにたけし軍団と戦って負けたんだが。
- また、ノムさんが社会人野球のシダックスの監督になった時に、阪神2軍と試合してシダックスが勝った。
- しかし一方で、2軍は1軍が最下位常連だった時期に優勝や日本一を経験したりしている。それもノムさんが1軍監督だった頃(1999年と2001年)。そのときの2軍監督は岡田。
- 阪神の珍プレー特番でもよく取り上げられた。
- 「阪神二軍日本一、野村阪神首位一日」と締めくくった1999年。
- 2009年3月、暗黒時代になった原因と言われたカーネル人形が24年ぶりに発見される。
- 呪いが解けるのか、それとも眠りを妨げられたカーネル人形の呪いが増大するのか・・・。
- 2003年と2005年に優勝している以上、呪いのことは「日本一出来ない理由」として今後は語られるのかと思っていたが……既に海に流されていてもおかしくないと思っていたので、発見は正直驚き。
- その後、オープン戦では阪神災難続き・・・。
- ファラオの呪いのように掘り起こしたのがやっぱりマズかったか?
- 対巨人戦でも2008年から引きずって11連敗・・・
- やっとストップ、しかし前監督7敗は自分のせいなのに全部現監督のせいみたいに言っていた・・・。
- OBの無責任な現体制批判も暗黒復活の兆しかなぁ。
- オープン戦とペナント戦は全く別物だった。
- オープンで無駄に力を使っていた。
- それでペナントで力が出なかったかも。
- オープンで無駄に力を使っていた。
- 甲子園球場には失策という名前のコントを見に行っていた。
- 巨人をはじめとする他の球団選手にどれだけ笑われ、さらにどれだけTVのネタにされただろう・・・
- ゴロが失策で本塁打になってしまったことまで・・・
- 凡フライでもちゃんとキャッチできるかどうか常に不安な状態で試合を見ていた。
- 監督は常に口笛を吹いていた。
- あのノムさんも吹くようになった。
- 定位置につくことが確定すると、とたんに強くなった。
- シーズン終わりがけに連続安打とか……
- すべての出発点は掛布とバースの不遇引退・解雇だった。
- この1988年には球団社長の自殺まで・・・チームもフロントも空中分解した。
- 他球団(特に巨人)にとって当時の阪神は、一番戦いやすいチームだったかも。
- 「楽勝」と思いながら余裕こいた奴も多かったかも。
ダメ外人列伝
- バース2世が何人来たのだろう・・・
- 可能性があったのは、マーク・ジョンソンくらい。
- グリーンウェルの3億円!!
- 地震でホンマ苦しいときの金を巻き上げて、あれでアメリカ嫌いになったわ。
- グリーンウェルの3億円!!
- 可能性があったのは、マーク・ジョンソンくらい。
- シーズン途中に入ってくる外国人は、決して救世主ではない
- 強くなっている最近でも、マシな途中入団の人は少ない。
- 駄目外国人ばかりの中活躍してくれたキーオは希望の光だった。
- フィルダーも忘れないで。一年しかいなかったけど。
- オマリーもマシな方だった。首位打者になったりしたのにヤクルトに飛ばされたのが今でも不思議。
- 長かった暗黒時代だけど、心底嫌われてる選手がダレル・メイだけ1人ってのは意外かもしんない。次点は松永浩美だけど、彼の存在は余程の野球ヲタ以外には忘れ去られてる。
- メイに関しては、「TO HIM」問題があったからだろうけど・・・。
- 阪急ファンにとっては今でも「3割20本30盗塁が期待できる最強のスイッチヒッター」なんだが。
- 上にもあるがグリーンウェルを忘れてはいけない。
- 忘れますた。
- 忘れさせて下さい。
- 「マクドナルド」は、ファーストフード店のことではない。
- 彼のユニフォームには「MacDONALD」と書かれてたような・・・aも要るのか?
- 打ってクレイグ、頑張りマース
- マースは名前が似ているだけでバースの再来にされてしまった。
- 懐かしの「誇大広告(=CMに偽りあり)」コンビ。
- 阪神が自前で獲得した外国人選手が大活躍した記録は、90年代からほぼ途絶えている(暗黒脱出した今なお同じ。まともなのは2005年のスペンサーくらい)。
- その点は今の巨人と共通していたり。
- 肝心なところでジェフ・ウィリアムスを忘れていた。
暗黒時代のファンたち
- 阪神が弱かった頃にガラガラの甲子園で応援していた人こそ、本当の阪神ファン。そしてそういう人は決まって、現状に嫌気が差して球場に来ていない。
- あの頃は、負け試合を観に行った事のスラングに「芝生鑑賞をして来た」というモノがあった。
- うちの学校では「小/中連体の下見に行ってきた」というのが流行った@西宮
- 「高校野球の下見に行って来た」ってのも聞いた(大阪→尼崎在)。
- 暗黒から応援していて、今は鼻高々な人ももちろんいる。
- ただし関西以外で。名古屋地区や関東地区だと鼻高々。
- この頃の自由な阪神のほうが好きだった人も少なくない…はず。
- あの頃は、負け試合を観に行った事のスラングに「芝生鑑賞をして来た」というモノがあった。
- また、ヤクザだが選手応援歌作曲センス最高の中虎連合応援団がいなくなり、健全だが応援歌作曲センス皆無のダサ黄色ジャージ応援団が跋扈していることに憂いている。
- 個人的な話で申し訳ないが、シーツの応援歌のファンファーレだけは評価してる。それでもアリアスの「メシアフロムUSA」には負けてるけど・・・。
- 「や~ってくれたね~、タイガース~♪家庭円満、タイガース~♪」
- 「ランランランラン黒い星 ランランランランまた増えた」
- 負けソングの方が聞く機会が多かったことは秘密だ。
- このコーナーで「85年の優勝がきっかけで阪神ファンになったら…、大乃国(康:第62代横綱)が横綱になったのでファンになったら…。そして僕の仇名は疫病神に決まりました」という視聴者のハガキが紹介されたことがある。
- 「負ける気せんね」と「ハイハイ敗」って言うのか。曲は聴いたことあるが、曲名があるとは知らなかった。
- 「なんぎやなぁ」は1987年の流行語。しかし本当の難儀はここから16年も続いた。
- 1987年、「一昨年の優勝が嘘みたい…」という台詞も流行った。この台詞の通りだった。
- 「ランランランラン黒い星 ランランランランまた増えた」
- 苦しい時は、あの85年の栄光の映像を見て耐えてきた。
- 10点のリードでも逆転されるんじゃないかとハラハラしながら観戦。
- でもいつだったか、1回に満塁ホームラン2本打った時はやり過ぎだと思った。
- そう言えば昔、徳光が「阪神が優勝する事はハレー彗星が来るのと同じ位の珍事」って言ってたけど
- 空き巣に入られた家主が一番嘆いたのが「頼むから優勝記念のライターだけは返してくれ。もう二度と手に入らんのやから」・・・
- わかるぞ~~、わかるぞ~~
- 1985年のこと。この発言の2年後だったか、暗黒突入は。
- 空き巣に入られた家主が一番嘆いたのが「頼むから優勝記念のライターだけは返してくれ。もう二度と手に入らんのやから」・・・
- 負けることを前提に試合を見に行く。ゆえに万が一勝ってしまったら、球場の外でも馬鹿騒ぎ。
- 大量得点をあげて勝つと、自分の身に良からぬことが降りかかるのではと、不安になる。
- いつかバースが選手として帰ってくることを、本気で願っていた。
- 「ああ、ここにバースがおったらなぁー」と呟いた人もいたはず。
- ファンの合言葉はあと100連勝すれば逆転優勝できるから。
- シーズン前に先発投手の勝利数を予想して合計すると、余裕で100勝を越える。しかしその内容は「藪18勝、川尻15勝、湯舟15勝、中込13勝、山崎10勝」のような到底不可能な設定。
- シーズン中は、3日に1回はファンを辞めようと思っていた。
- 圧倒的な負け試合の中トラッキーのパフォーマンスが唯一の楽しみだった・・・
- この頃からファンをやってる人は、2007年オールスター明けの驀進劇~嘘のような連敗を見て心のどこかでホッとしたハズ。
- 「9連勝したら10連敗する」なんて事が多々あったモノだ。暗黒時代は。
- 2008年の戦績(13ゲーム差からのV逸)を見ても、この時代からの阪神ファンの中には「当然だろう」「むしろ安心した」と思う人が少なからずいるらしい。
- 当時からのファンは、「自分が観戦したから負けた」とか、「自分がファンだから最下位」とかいう考えが染み付いてしまっているので、強い今でもチームに申し訳なくて観戦できない。
- そのためどれだけ他球団とゲーム差が離れようと、リバウンドを恐れる阪神ファンは今なおいる。
- 怪我をしたり物をなくした日は、試合に運が向いてくると思って観戦に行った人もいるらしい。もちろん、更に憂鬱になることの方が多かったらしいが・・・
- これと関係あってか強くなっている最近でも、負けかけていると「見てたら負ける…」と思い、テレビのチャンネルを変えたくなる。
- 甲子園などの球場で見ているときも、ピンチになると目をそらしたくなる。
- 3連戦で「斉藤・桑田・槙原」をぶつけてくる読売は、血も涙もないと思っていた。
- 槙原だけは嫌な思い出ばかりでもないけどね。
- 槙原は伝説のバックスクリーン3連発や新庄の敬遠球サヨナラのイメージが強すぎる。
- だが、槙原が出てきたら勝てる気が全くしなかったのも事実。
- 槙原の阪神戦成績は38勝10敗と、阪神戦がもっとも得意だった。2つの負け試合が有名すぎるために意外な印象がするが。
- 兵庫出身の村田が阪神戦にやたらに強かった。
- 1回の攻撃、1番和田豊の応援歌を歌い始めた時が、試合で一番楽しい時だった。
- 「おとこーならいーのちかけーてーぼーるーにーくーらーいつーけー♪」
- 「ゆけよーゆけよーわだゆたーかーおまえーのーでんばんだぜー♪」
- その次が「こーのーいちだにかーけろー♪」だった事がある。暗黒史に残る謎の「スタメン2番・桧山」・・・(しかも開幕3連戦でやった)
- 2番は「レツゴーレツゴーてるーよし」がデフォじゃないのか!?
- 中日に行ってまた阪神に戻った久慈か・・・。沖原に応援歌を譲ってもらえずヒッティングマーチ2番だったな・・・。
- 2番は「レツゴーレツゴーてるーよし」がデフォじゃないのか!?
- 「おとこーならいーのちかけーてーぼーるーにーくーらーいつーけー♪」
- 負け試合を見せられ、「二度と見に来るか!ボケ!」と捨て台詞を残し、次の日も同じ席で観戦
- 阪神ファンの悲しき習性。今の横浜ファンより熟成されていただろうか。
- 子どもの時、「何で阪神は勝てないの?」と親父に聞いたら「阪神だからに決まっとるやろ!」と言われ、それ以上何も言えなかった。
- 僕も昔、「何で阪神と巨人はこんなに強さの差が激しいの?」とオカンに聞いたら「阪神と巨人は、小6と小1の喧嘩みたいなもんやから、しゃーないやん」と言われて納得せざるを得なかった。
- ぶっちぎりで指定席への道を突っ走ってた時、七夕の短冊に「阪神が優勝しますように」と書かれているのを見て、思わず泣きそうになった
- 優勝は無しでも良いから3位にはなってくれって言っていた人がいたぞ
- ゴメン、絵馬に書いたわ。
- 5位のことを「セリーグの5本の指に入った」と言う。
- 15年前の虎の涙が、今、美味い!
- 2008年現在で唯一の現役、檜山がそんなに貢献しているかどうかは微妙なところである。
- 「焼酎」の話よ。
- 2003年に阪神百貨店の優勝セールで日本酒買ったけど、2年後に飲む事になるとは思わなかった。
- 2008年現在で唯一の現役、檜山がそんなに貢献しているかどうかは微妙なところである。
- 新聞の順位表は下から見てしまう。
- イチローの打率よりも、勝率が低くなったらどうしようと戦々恐々。
- 俺が小学生の頃、ポケモンで阪神はコガネライコウズだよなと言ったらライコウ好きの俺の友達がきつい一言(以下↓)
- 「ハア!あんなチームライコウが可哀そうだよ!、阪神はゴ○○○ズで十分だよ!」と言っていた
- ちなみに「ゴ○○○ズ」はポケモンですら無いし・・・
- 「せめてゲームの中だけは・・・」とファミスタやパワプロに現実逃避を試みるも、ちっとも現実逃避になっていなかった。
- 「最下位を脱出した」だけで、道頓堀川へ戎橋から飛び込む人がいた。
- 当然のことではあるが、最近以上に大阪の巨人ファンが少なくなかった。阪神ファンとしては、地元にも関わらず、(色んな意味で)肩身の狭い思いをせざるを得なかった。
- 友達や先輩に好きな球団を聞いたところ、大阪にも関わらず「巨人」と答える人が多く、がっかりした。
- 続けて「何で巨人なん?」と聞くと「阪神ショボいやん」と答えていた。確かに無理なかったな。
- こういう人たちに限って、星野監督時代ににわかで阪神に乗り換えてきた…。
- “仲間”が増えたのは少しうれしいが、素直に喜べなかった。
- 素直に喜べなかったというよりも腹が立った。
- 「よく巨人を捨てれたな」とも思った。
- 友達や先輩に好きな球団を聞いたところ、大阪にも関わらず「巨人」と答える人が多く、がっかりした。
- ペナント中、試合が無い日だけほっとすることが出来た。
- 試合に勝てた日も心穏やかになることは出来なかった(後遺症が怖かった)。
- ペナント中の試合が無い日だけでなく、ペナント終了後の“本当の”ストーブリーグに入った時もほっとできる。
- ある意味、気分転換のしやすい時だった。
- 序盤だけ好調ということが多かったため、優勝した2003年も実はずっと阪神半疑(半信半疑)だった。
- 6月、7月、8月と月が変わる度に、「そろそろダメだろう」と思っていた。この年も死のロードは大きく負け越したからなお更。
- そしてそれが現実になってしまったのが2008年……暗黒時代からのファンだからまだ耐えられたが、やはり悲しい。
- 当時の阪神に慣れてるだけに、2、3位で優勝を逃した時「昔(つまり当時)を思えば、恵まれている」と思う。
- 余りに球団が不甲斐無かったため、ファンが抗議で応援するのをやめてしまった時期がある。
- 「鳴り物中断」と週刊誌にも書かれた。
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