もしあのJクラブの監督が○○だったら

2014年3月12日 (水) 07:15時点における>北原あやめによる版 (ソートキー変更)
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就任しなかったら

イビチャ・オシム(千葉)

  1. ジェフは今ごろJ2を彷徨っていた。
    • 少なくとも、2009年以前にJ2降格の憂き目に遭っていたのは間違いないだろう。
    • ただ、同時のGMを務めた祖母井氏の事なのでオシム氏に匹敵する様な監督を招聘していたかも知れない。
  2. 日本代表の監督就任もなかった。
    • 代表監督には岡ちゃんが復帰していたかも。あるいはシャムスカとか。
    • フッフバルトが就任して「ギドジャパン」がという可能性もある
      • ッフバルトね。
    • 契約が残っていたけどガンバの西野朗とか
    • 当時フリーに近かったセレーゾが就任してたと思う
    • 関塚監督をフロンターレから引き抜く…という可能性もありえたかもしれない。
  3. 阿部勇樹は欧州へ移籍していた。
    • 或いは浦和への移籍が早まってジェフ時代の阿部はフリューゲルス時代の遠藤の様にマイナーな存在になっていた
  4. 巻誠一郎が代表に選ばれる事もなかった。
  5. SMAPの草薙がやっている「悲劇の監督オシモ」もなかった。
  6. 今の監督はアマルじゃなかった(2007年現在)。
  7. リトバルスキーはアビスパ福岡では無くジェフ千葉の監督に就任していた

ハンス・オフト(浦和)

  1. タイトル獲得はおろか、2度目のJ2降格を味わっていた。
  2. 負けが重なる度にサポーターが減っていった。
    • 今もなおホームゲームは駒場。埼スタは超赤字スタジアムと化した。
  3. そして大宮と合併し、「さいたまレッドアルディージャ」となっていた。
  4. 史実通りブッフバルトが監督になっても、最高でも中位争いにとどまった(移籍組を除き、当時の主力がオフトの元で育った選手が中心だったため)。
    • 一昔前のガンバや、名古屋のようなポジションに落ち着いていた。

ペリクレス・シャムスカ(大分)

  1. ポタフォゴの監督をもう少し長く務めていた。
  2. 当然「シャムスカ・マジック」もないので大分は2005年にJ2降格していた。
    • 同年のJ1優勝争いにも大きく影響した。
      • 浦和やガンバが大分相手に星を落とすことはなく、最終節前にセレッソが首位に立つ可能性は低かった。よって「長居の悲劇」は再発せず。
    • ただ降格を機に身の丈に合った健全経営に移行→その後リーグ側から6億円もの借金をするような事態にはならなかったかも知れない。
  3. 九州勢のタイトル獲得は未だに無い。
  4. 2009年の14連敗はなかった。

ミハイロ・ペトロヴィッチ(広島)

  1. 少なくとも、2012年の優勝はなかった。
  2. 当時の監督代行だった望月一頼が昇格していた。
    • 実際この時点でセレーゾとハシェックに断られ、なり手がいない状況だった。
    • この年はその後も残留争いを余儀なくされ、場合によってはJ2へ降格していた。
  3. ポポヴィッチが日本で監督になることはなかった。
    • 大分はともかく、ゼルビアに関しては大きく歴史が変わっていたかもしれない。
      • もしかしたら町田ゼルビアのJ2昇格はなかった可能性も。1年早くアルディレスが就任してれば分からないが…
    • FC東京は大熊清がそのまま続投していた…か?
  4. 当然その後浦和の監督になることもなかった、と考えると現在(2013年)は誰がやっていることやら?
    • 順当にいけばひとまず堀孝史の昇格か、または福田正博を監督に就任させたか…だと思う。
    • 槙野智章・森脇良太が浦和に移籍して来ることもなかった(柏木陽介はミシャ就任前に既に移籍していたので史実通り?)
      • あと、西川周作・李忠成も。
  5. J2降格で監督解任・辞任がこれまでの規定路線だったので、2007シーズンのJ2降格決定時にミシャを解任しなかったことのJリーグへの影響は少なからずあったと思う。上の大熊もその一人だけど。
    • これを考えると2011年の柏の優勝も無かった可能性がある。

西野朗(G大阪)

  1. もしかしたらリーグ優勝はおろか、史実(2012年)より早くJ2降格の憂き目に遭っていたかもしれない。
  2. 二川孝広、橋本英郎のブレイクは勿論、大黒将志の日本代表入りは無かった。
    • 遠藤保仁にも影響はあったかもしれないが…まあ、あまり大きくない気もする。
  3. 吉原宏太、都築龍太、新井場徹などの移籍は無かった。
    • 2002年以降の浦和、鹿島の成績にも少なからず影響を与えているのは必至で、川崎か千葉が一度はリーグ優勝しているかもしれない。

就任していたら

関塚隆(札幌)

関塚隆は2004年から2008年まで川崎フロンターレの監督を務め、J1昇格、さらに首位争いに加わりACL出場にまで導きましたが、川崎だけでなくコンサドーレ札幌も監督就任オファーを出していました。もし、川崎でなく札幌の監督に就任していたら…

  1. 代わりに柳下正明が川崎の監督になっていたかも。
  2. 札幌がJ1昇格を2005年までに決め、2008年現在ではJ1中位に定着した可能性が高い。
    • 低予算なので大物選手の獲得は無いが、優秀な下部組織を持つ札幌だけに若手選手の台頭は著しくなっていた。
  3. 一方、川崎はJ1になかなか辿り着けず、中村憲剛らは移籍していただろう。
    • それよか、今現在で引退していた可能性もあっただろう(関塚監督就任後にレギュラーに定着したため)。
    • 少なくともJ1に昇格できていたとしても、残留争いの常連となっていただろう。
  4. 札幌の鹿島色は強くなっており、現在までに一つぐらいはタイトルを獲得していたかもしれない。
    • 相馬直樹も札幌に移籍して現役引退し、その後監督に就任していたかも。

長澤和明(山形)

1996年、モンテディオ山形ジュビロ磐田の初代監督でクラブをJリーグに昇格させた長澤和明(女優長澤まさみの父)に監督就任のオファーをしましたが、当時小学生だった娘・まさみが静岡を離れたくない、と拒否したため話は流れ、代わって長澤の紹介で大学時代のチームメイトだった石崎信弘(現コンサドーレ札幌監督)が監督に就任しました。その後石崎が監督として色々なクラブを渡り歩くことになる訳ですが、もしまさみがゴネずに当初の予定通り長澤が山形の監督に就任していたら果たしてどうなっていたでしょうか?

  1. 名監督・石崎の誕生はなかった。
  2. 代わりに長澤が石崎が監督を務めたクラブ(モンテディオ山形→大分トリニータ川崎フロンターレ清水エスパルス柏レイソル→コンサドーレ札幌)で指揮を執っていた。
  3. (家族で山形に引越していた場合)長澤まさみの芸能界入りもなかった可能性大。
    • 芸能界入りは生田智子(ゴン中山夫人)の薦めだったので。
  4. 常葉学園サッカー部の監督として高校選手権に出場することもなかったかも。

辞任していなかったら

  • 年は辞任した年を書いて下さい。

岡田武史(札幌・2001年)

  1. 少なくとも2003年はJ1。
  2. 横浜F・マリノス監督就任もなかっただろう。
  3. 柱谷哲二が「凍傷」と呼ばれることもなかった。
  4. 山瀬功治はマリノスに移籍しなかった。
  5. ハーフナー・マイクも札幌ユースからトップに昇格していた。

関塚隆(川崎・2008年)

2009年シーズンに復帰した関塚隆監督ですが、その前年はJ1優勝を含むタイトル奪取を期待されながらも、フッキの移籍騒動による心労や自らの健康問題を理由にシーズン途中の辞任を余儀なくされました。
もし、2008年シーズンに何事も起きずに辞任せずにフルシーズンで監督を務めていたら…。

  1. それでもフッキの退団騒動は回避できなかった。
  2. 優勝争いに加われたかどうかは微妙なところ。
    • 史実では高畠勉監督(現・ヘッドコーチ)の就任後に成績を上げた感がするので。
  3. 我那覇の出番はもう少し増え、戦力外通告で川崎を去ることもなかった。
    • ドーピング騒動がひと段落ついたところで代表に返り咲いていた。
    • レナチーニョの加入は無く、ジュニーニョ・鄭大世・我那覇の3トップになっていた。
  4. 確実に2009年あたりで一つぐらいはタイトルを獲得しており、ガンバ時代の西野監督並みの長期政権になっていた。
    • U-22の監督にはおそらく城福浩が就任していた(当然、史実通り2010年に東京の監督を退任していたら)。
    • そのあとの低迷期は無く、2010年以降の川崎の成績は史実よりも良くなっていた。

内田一夫(甲府・2010年)

2010年シーズン、甲府をJ1へ導きながらも指導経験の乏しさを疑問視したクラブの判断で、1年限りで退任となった内田監督。もし、翌年も内田監督が指揮を執ったら…

  1. 少なくとも翌年、甲府が1年でJ2へ降格することは無かった。
    • となれば、ハーフナー・マイクは残留していたはず。
  2. 城福浩は相馬直樹の解任と共に、川崎の監督に就任していた。
  3. 逆に浦和がJ2へ降格し、冬の時代が到来していた可能性が。