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==日本==
初めて国旗はつくったものの・・・・・・。少しでかすぎ。
===GI(JpnI)===
====フェブラリーステークス====
#中央競馬のGIで毎年最初に行われるGIレース。
#1984年から1993年まではGⅢの「フェブラリーハンデキャップ」だったが、1994年にGⅡ昇格。レース名も「フェブラリーステークス」に改称された。
#*中央競馬と地方競馬の交流競走が拡大されるなか、1997年には中央競馬のダート重賞競走として初めてGIに格付けされた。
#「フェブラリー(February)」は英語で2月のことだが、1999年のみ1月(31日)にレースが開催されたことがある。
#*この時の勝ち馬は岩手のメイセイオペラ。
#2003年は東京競馬場の改修工事の影響で中山競馬場のダート1800mで開催された。


====高松宮記念====
== 国家設定についての感想と皆さんへ。 ==
#春のスプリント王者決定戦。かつての名称は「高松宮杯」。
#ジャパンカップダートがチャンピオンズカップとして2014年に移動するまでは唯一の中京競馬場かつ第三場としてのG1レースだった(代替開催の新潟でのスプリンターズステークスは除く)。
#1995年まではG2で2000mであり、夏の中京の中長距離決定戦だった。
#1996年春のスプリント王者決定戦としてG1に格上げされてから最初のレースのファンファーレは'''いろんな意味で'''伝説。
#*また、この年には三冠馬ナリタブライアンが参戦するというのも話題になった。
#2011年は中京競馬場の改修工事の影響で、阪神競馬場での代替開催に。


====大阪杯====
*一応,「九州の乱」から「伊勢の変」までの流れをそれなりにつくっては見たのですが・・・・・・。確かにいろいろあって難しいというか、範囲の設定が分かりづらい面がなきにしもあらずのような・・・・・・。
#2017年からG1昇格。かつての名称は「産経大阪杯」。
*wiki自体は編集がしやすい分,削除や追加がしやすいため,どの辺がOKでどのへんがOUTか分からないところで手探りをしていた部分がありましたが,なんとかここまできたというか、いろいろあったというか・・・・・・。
#GII時代にも有力馬がシーズン初戦としてこのレースに出走することが多く豪華な面子になることが多かった。
*ということで、基本的にはこの国の歴史に関しての変動はNGとだけお伝え致します(関連付けで面白いものがあれば,そのまま掲載致します→[[日本モンキーパーク帝国]]の流れは結構おもろいですね)。
 
**[[九州帝国]]、[[伊勢帝国(牛国)|伊勢帝国]]についても同様です。
====桜花賞====
***[[タカラジェンヌ国]][[近鉄こてこて帝国]][[新九州共和国]][[尾張国]][[なら平城京国|奈良帝国]]等については、ノートのコーナーでその後の歴史についての記述募集を設定しますので,そこで書いても構いません。
#1939年にイギリスの1000ギニーを手本として創設。
*その他は面白いネタがあれば追加しても結構です(卑猥なネタはNGですが・・・・・・)。
#*当初は「中山四歳牝馬特別」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1947年から。
#**阪神競馬場での開催になったのは1950年から。
#阪神競馬場の改修前は前半のペースが早くなりやすく「魔の桜花賞ペース」と呼ばれていた。
#*改修後は順当な結果になることが多くなっている。
#岡部幸雄騎手は旧八大競走の中で、このレースだけ勝てなかった。
#桜花賞の名の通り、スタート地点の付近には毎年桜が咲いている。
#*どうやら、桜の木の幹を冷やしたりして開花時期をずらしているらしい。
 
====皐月賞====
#1939年にイギリスの2000ギニーを手本として創設。
#*当初は「横浜農林省賞典四歳呼馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1949年から。
#**その名の通り、1942年までは横浜競馬場で開催していた。現在の名称になった年から中山競馬場に定着。
#「最も速い馬が勝つ」と言われている。
#2011年は震災で中山競馬場が被災したため、東京競馬場で代替開催。
#*オルフェーヴルが三冠馬になったのはこの年。この為、戦後唯一クラシック三冠を制した馬で、三冠戦限定で中山を走っていない競走馬になった。
#**そして同じ年の有馬記念を制し、中山も制覇。
 
====天皇賞(春)====
#通称「春の盾」。
#平地のG1では最長の3200㍍を走る。
#後述の秋にも言えるが、1980年までは一度天皇賞を制した馬は次の天皇賞に出走できない「勝ち抜き制」があった。これは天皇賞の権威を下げずに優勝馬を早期に繁殖馬にさせるという考えがあった。
#*この為、1955年まで優勝した馬は次に目標とするレースがなくなり引退する馬が多い為、より一流のレースを求めて「勝ち抜き制」がない有馬記念が創設されるきっかけになった。
 
====NHKマイルカップ====
#前身レースはダービートライアルの「NHK杯」。
#外国産馬クラシック解禁以前は外国産馬がこぞって出走していたため「マル外ダービー」と呼ばれていた。
#ファンファーレを担当するのは「N響」ことNHK交響楽団。通常のファンファーレよりテンポをゆっくりにして厳かな雰囲気を出している。
 
====ヴィクトリアマイル====
#春の古馬女王決定戦で、マイル女王決定戦。
#安田記念の一ヶ月前に行われ、ウオッカなどヴィクトリアマイルの上位馬が安田記念の馬券圏内に絡むことが多い。
 
====優駿牝馬(オークス)====
#1938年にイギリスのオークスを手本として創設。
#*当初は「阪神優駿牝馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1946年から。
 
====日本ダービー(東京優駿)====
#1932年にイギリスのダービーを手本として創設。
#「最も運のある馬が勝つ」と言われている。
#今日はダービーめでたいな
#*この言葉から関係者などでは日本ダービーは競馬界の大晦日と捉えることが多く、ダービーが終わった翌週以降から2歳新馬戦が始まる。
 
====安田記念====
#レース名の「安田」は競馬法制定や東京優駿(日本ダービー)の創設などに尽力し、日本中央競馬会の初代理事長も務めた安田伊左衛門に由来。
#1951年に「安田賞」の名称で創設。現在のレース名になったのは1958年から。
#馬券がかなり荒れやすいレースで、三連複や三連単が高配当になることもしばしば。
 
====宝塚記念====
#有馬記念のようなビッグレースを関西にも、という声の元1960年に創設。
#現在の6月下旬開催になったのは2000年から。それ以前は6月上旬や7月上旬に開催されていた年もあった。
#1999年からは専用のファンファーレが使用。
#過去京都競馬場で7回(1966・1969・1974・1976・1991・1995・2006)、中京競馬場で1回(1980、芝2400m)開催されたことがある。
#今年も貴方の、そして私の夢が走ります。
 
====帝王賞====
#6月の大井競馬場で行われるダート界の上半期の総決算。
#東京大賞典よりも十年以上早く地方・中央との交流重賞になっており、距離も1986年から2000mに固定。
 
====ジャパンダートダービー====
#7月の大井競馬場で行われるダート版日本ダービー。
#かつてはダービーグランプリと凌ぎを削っていたが、現在では日本唯一のダート三歳馬最強決定戦となっている。
#一ヶ月前の各地方競馬で行われるダービーシリーズの決勝戦の役割を担っている。
 
====秋華賞====
#他の牝馬三冠やクラシック三冠と異なり、手本となる海外のレースが存在しない。
#エリザベス女王杯が古馬女王決定戦に移行する為、それに替わるレースとして1996年に創設。
#*牝馬三冠時代のエリザベス女王杯は2400mだったのが、このレースでは400m短い2000mとして施行されている。
 
====菊花賞====
#1938年にイギリスのセントレジャーステークスを手本として創設。
#*当初は「京都農林省賞典四歳呼馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1948年から。
#「最も強い馬が勝つ」と言われている。
#2015年はキタサンブラックが勝利したが、事実上の馬主である北島三郎が表彰式で勝った時の公約だった「まつり」を熱唱したため、最終レースの発走時間が遅れたのは有名な話w
 
====天皇賞(秋)====
#通称「秋の盾」。
#1984年に2000㍍に短縮された。
#*それ以前は春と同じ3200㍍を走っていた。
#1978年に八大競走では唯一と思われるカンパイ(スタートのやり直し)が発生した。
#2002年は東京競馬場の改修工事の影響で中山競馬場での開催に。
#1970年代から1990年代にかけて、「秋の天皇賞は1番人気が勝てない」というジンクスが存在していた。
#*1985年→シンボリルドルフがゴール前でギャロップダイナに交わされ2着。
#*1991年→メジロマックイーンが2コーナーでの斜行により18着に降着。
#*1992年→トウカイテイオーが乱ペースに巻き込まれ7着。
#*1998年→サイレンススズカがレース中に故障を発生し競走中止。
 
====エリザベス女王杯====
#秋華賞導入以前はこのレースが牝馬三冠路線の最終戦。
#*距離も現行の2200mより200m長い2400m。
#*唯一桜花賞、オークス、エリザベス女王杯で三冠を達成したのはメジロラモーヌのみ。
#前身レースは「ビクトリアカップ」。
#2010年・2011年とイギリスからの遠征馬スノーフェアリーが連覇を達成しており、国内の平地GIでは唯一となる海外馬の連覇を果たした。
 
====ジャパンカップ====
#11月に行われる国際招待競走で、日本初の国際G1。
#*また、賞金の規模などから有馬記念や日本ダービーなどの八大競走と同格。
#1981年に創設されたが、創設から十年間日本馬の優勝は2頭しかいないなど、日本と外国の差は大きく開けられていた。
#90年以降は日本競馬のレベルの向上があり、現在は日本と海外の合計勝利数は日本が大きく逆転している。
#しかし、2010年代に入ると日本の芝と海外の芝の違いからの日本特有の高速馬場が祟り、加えてジャパンカップ後の数週間後に香港国際競走があるのか、海外招待馬の数が減少。
#*特に2019年は海外招待馬が一頭もいないという非常事態に。
#近年上記の通りとやかく言われるジャパンカップだが、それでも天皇賞(秋)と有馬記念に並ぶ下半期古馬クラシック三冠の二戦目で、一年の東京競馬場を締めくくる大一番なのか、高い注目度は変わらない。
#*加えて、ジャパンカップのみ日本競馬で唯一最終レースに行うG1競走でもある。(第11レースにやるのだが、この日の東京競馬場は11レースのみ)
#2014年からスイスの高給腕時計メーカーのロンジンがサポートしており、ゴール版の近くにロンジン製のタイマーが設置されている。
 
====チャンピオンズカップ====
#2000年、ジャパンカップダートという名で東京競馬場に創設。その名の通り、ジャパンカップのダート版として国際招待競走として2100mで行っていた。
#東京競馬時代は2007年までジャパンカップの前日開催。この為、ホープフルステークスがG1に格上げされるまでテレビ東京で中継される唯一のG1レースだった(後は一回だけNHKマイルカップを日程の都合で中継したのみ)
#*2004年のみジャパンカップと同日開催。
#2008年からは阪神のダート1800mに移行し、ジャパンカップの翌週日曜に固定。だがこの頃からジャパンカップ以上に多くの問題点が上がることに。
#*まず、ジャパンカップ創生期と違い、既に日本のダート馬は世界レベルに達しており、海外馬が優勝したのは2003年の一回のみ。後は全て海外馬が惨敗。
#*そしてダート競馬が盛んなアメリカと日本の馬場に使われるダートの違いが問題点の槍玉に挙げられ、海外招待馬が一頭もいない年が続出した。
#**アメリカはパワーが求められる赤土に対して、日本(というかJRA)はスピードが求められる砂を使っていた為、慣れない海外馬が苦戦することに。
#*加えて、右回りの阪神に移行したことで、左回りのコースしかないアメリカから招待馬が来るのかという疑問が武豊騎手などの関係者から疑問が相次いだ。
#**武豊騎手は左回りのコースである中京でやった方がいいと指摘した程(因みに府中にはダート1800mは設定できない)
#上記の声を受けたのか、2014年から左回りの中京1800mに移行。だが、招待馬なし連続が祟ったのか、単なる国際競走のチャンピオンズカップに改名することに。
#日本のダートグレード競走にとってはJBCクラシックや東京大賞典と並ぶ事実上の古馬ダートクラシック三冠の一つである。
 
====阪神ジュベナイルフィリーズ====
#かつての名称は「阪神3歳ステークス」。1991年から牝馬限定競争となり「阪神3歳牝馬ステークス」を経て現在の名称に。
#朝日杯とはうってかわって勝ち馬が牝馬クラシックの主役に躍り出ることが多い。
#牝馬限定競争以前は勝ち馬が×××な末路を辿ることも…
 
====朝日杯フューチュリティステークス====
#1949年、『朝日杯3歳ステークス』として中山に設立された2歳馬チャンピオン決定戦。
#*最初はスプリント戦だったが、十年後から1600mのマイル戦となり今に至る。
#*2001年からは馬齢表記を国際基準に合わせたことで現名称に。
#朝日杯の冠名が示す通り、朝日新聞が正賞であるが、実はこのレースの誕生がきっかけで多くのマスメディアが競馬の社賞を寄贈するきっかけになった。
#*設立以前、競馬に関わる不祥事が多発し競馬界に悪影響が及ぼしていた。当時の朝日新聞も競馬そのものを社会悪と見なす声が多かった。
#*そこで当時の競馬会の重鎮である中村正行氏が「新聞社の名が付ければ競馬界のイメージ改善に繋がる」と考え、当時の朝日新聞編集局長信夫韓一郎氏に社賞の提供を持ちかける。
#**信夫氏は競馬ファンであり、反対派を説き伏せて認可。中村氏が発起人となり三歳馬のチャンピオン決定戦として設立したのである。
#*朝日新聞が競馬に対しての方針を転換したことにより、他のマスメディアにとって大きな刺激となり、以降毎日王冠やNHKマイルカップなどが生まれるのである。
#1990年までは関東馬(美浦厩舎所属馬)による三歳馬決定戦だったが、阪神3歳ステークスが牝馬限定となった為、所属問わずの牡馬三歳馬決定戦に。
#2歳馬チャンピオン決定戦であるこのレースは数多くのクラシック優勝馬を輩出するなど登竜門として有名なレース'''だった'''。が……。
#1994年にナリタブライアンが三冠を制してから2013年にロゴタイプが皐月賞を制するまで、朝日杯優勝馬のクラシック優勝馬が一頭もいない事態になってしまう。
#*その期間中には種牡馬で有名なフジキセキや有馬記念二連覇のグラスワンダー、最初のJBCクラシック三連覇のアドマイヤドンなどの名馬が優勝したものの、いずれの馬もクラシック三冠を一つも勝つことができなかった。
#**フジキセキに至っては皐月賞で故障し引退を余儀なくされてしまう。
#*対照的にラジオNIKKEI杯(2005年まではラジオたんぱ杯)2歳ステークスはアドマイヤベガやヴィクトワールピサなど三歳クラシックを制した馬が続々と出ている為、「朝日杯を格下げし、ラジオNIKKEI杯をG1にしろ」という声が出たほど。
#*皐月賞の2000mより400m短い1600mで、かつ大外不利な中山のスタート地点にも原因があるという。
#2014年からラジオNIKKEI杯がホープフルステークスに改名する形で交換となり、阪神に移動。これに伴い阪神でやっているもう一つの朝日杯がチャレンジカップからセントライト記念に移動。
#*これによって阪神ジュベナイルフィリーズと同じスタートとなり大外不利の問題は解消されたが、移転以降未だにクラシック三冠を一つを制した馬は現れていない。
#**一応、NHKマイルカップや香港マイルを制したアドマイヤマーズを輩出できたが。
#*更には2017年からホープフルステークスがG1に格上げされた事で、2歳馬マイル王決定戦という立ち位置が微妙な状態に。
#武豊騎手が未だに勝利がないG1レースとしても有名。
 
====ホープフルステークス====
#1984年、『ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス』として関西馬の3歳(現2歳)牝馬最強決定戦として阪神1600mで開催し始めた競争。当時はG3に格付け。
#*朝日杯にもあるが、当時の3歳馬の環境は東西に棲み分けされており、東西別に牡馬・牝馬それぞれチャンピオンを決めていた。当時の関東馬の3歳牝馬最強決定戦は現在のフェアリーステークスの前身、テレビ東京杯3歳牝馬ステークス。
#1991年からは東西別のチャンピオン路線をやめ、それまでの阪神3歳ステークスが阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)になった為、皐月賞と同距離の2000mとなった『ラジオたんぱ3歳ステークス』にリニューアル。これによって3歳牡馬限定戦に移行。
#*2001年からは馬齢表記を2歳に改め、2006年からは『ラジオNIKKEI杯2歳ステークス』に。
#朝日杯と対照的に、1994年から2013年までの間、アドマイヤベガやヴィクトワールピサなど3歳クラシックを制した馬を数頭輩出。
#*クラシックを制していない優勝馬の中には地方馬で初の国際G1を制したコスモバルク(北海道)やJBCクラシックを三連覇したヴァーミリアン、ジャパンカップを制したエピファネイアなど名馬も数多く輩出している。
#2014年からホープフルステークスに改題し、朝日杯と交換する形で中山に移行。これによって皐月賞と同じコースで行うことに。
#*同時にG2に格上げされるが、何故かラジオNIKKEI杯の冠がなくなる。代わりにラジオNIKKEI杯は重賞に昇格された京都2歳ステークスに移行。
#そして、2017年G1に昇格。だが、朝日杯から一週間以上の後に組まれたことや有馬記念の後の年内最後のG1レースになったことなどから賛否両論に。
#*2019年まで三年連続で東京大賞典前日の12月28日に固定し、有馬記念の後に開催。最も全て平日や土曜日に行われた事で、久しぶりにテレ東がG1レースを中継できたが。
#**2020年は日程の都合上、有馬記念前日でかつ中山大障害と同日開催。
#*ホープフルステークスがG1に格上げされたのは、朝日杯が阪神に移動した事によって中山の馬事会関係者が反発したのが原因だそうだが…。
#*加えて、現レース名に改名してから格上げするまで日本ダービーを制したレイデオロを除いて出世した優勝馬がいないことから議論に拍車をかけていた。こうした経緯から、一部ユーザーからホープレスステークスと揶揄されることも。
#**最も、G1に格上げされてから優勝したサートゥルナーリアが皐月賞を制した為、面目は保たれているが果たして。
#***2020年にはコントレイルが同レース→皐月賞→ダービーを無敗で連勝した。もはや皐月賞のステップレースの座を弥生賞から奪ったと思わざるを得ない。
#現レース名に改名されてからは一度もないが、武豊騎手は阪神時代何度も制している。が、ホープフルステークスよりも先に朝日杯を制した場合、全G1グランドスラム達成扱いになるんだろうか…。
 
====有馬記念====
#日本中央競馬会理事長の有馬頼寧(よりやす)が、中山競馬場の新スタンドの竣工を機に「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案。当時としては珍しかったファン投票で出走馬を選出する方式が採用され、1956年に「中山グランプリ」の名称で創設された。
#*第1回中山グランプリは大成功に終わったが、その直後の1957年1月9日に有馬頼寧が急逝。有馬の功績を称えて第2回から「有馬記念」に改称された。
#1996年には世界の競馬史上最高額となる875億円を売り上げた。
#6回コーナーを回る特殊なコースということもあり、外枠(15番枠・16番枠)はかなり不利。
#このレースがラストランになる馬も多い。
#シンザン、TTG対決、オグリキャップ・トウカイテイオーの復活、ダイユウサクの大激走、メジロパーマーの逃げ切り、ナイスネイチャの3年連続3着、グラスワンダーVSスペシャルウィーク、ディープインパクトの初黒星…名勝負・名場面多し。
#競馬場の改修や震災による被災で多くの重賞が別の競馬場で代替開催、又は競走スケジュールの変更で移動となるなど、G1を含めた大半の重賞が別の競馬場で開催経験がある中、有馬記念は創設から現在に至るまで一度も中山以外の開催はない(日本ダービーは最初目黒でやっていた)。
#*マイルチャンピオンシップも創設から京都での開催が続いていたが、2020年は京都競馬場の整備工事に伴い、阪神競馬場で施行される予定。
#1997年の生ファンファーレについてはお察しください…。
#1年の〆を飾るレースだけあってか、世相を表した馬券決着になることがある。2001年のマンハッタンカフェ-アメリカンボスや、2012年の今年の漢字「金」でステイゴールド産駒と「キン」グカメハメハ勝ち馬で決まった例とか。
 
====東京大賞典====
#年末の大井競馬場で行われるダート界や地方競馬は勿論、日本競馬の一年の総決算。
#*東京大賞典は毎年12月29日に固定されており、その日の前日までJRAの一年の開催を終えている。
#前身は秋の鞍。その名の通り、最初は10月の2600mで行い、その後は距離や開催日変更やG1各付けを経て、2000mの年末のビックレースとして定着。
#2011年からは国際競走に昇格。これを期に年に一度の国際G1ファンファーレが生演奏されている。
 
===GII(JpnII)===
;東海ステークス
#GⅢのウインターステークスとして1984年に中京競馬場のダート2200mで創設。1990年に距離が100m延びダート2300mでのレースに。
#*1997年のGⅡ昇格を機にレース名を「東海ウインターステークス」に改称。この年から[[東海テレビ]]が優勝杯を提供(2012年除く)。
#*1999年は中京競馬場の改修工事の影響で小倉競馬場のダート2400mで開催された。
#2000年に開催時期が12月から5月に変更。更に同時期に行われていたダートのオープン特別の「東海ステークス」と統合され、現在のレース名に。
#2010年から2012年までは中京競馬場の改修工事の影響で京都競馬場のダート1900mで開催された。
#*2013年の競馬番組改正で平安ステークス(京都)と開催時期が入れ替わり、現在の1月開催に。
 
;弥生賞ディープインパクト記念
#1964年に弥生賞として創設。1984年に中山競馬場芝2000mの競争として設定され、皐月賞へのトライアルとなった。
#*そして2020年に三冠馬ディープインパクトの功績を称える競走として同馬が初めて重賞を勝利した弥生賞を「弥生賞ディープインパクト記念」という名称に改めた。
#**そしてここ5年の勝ち馬は全てディープインパクト産駒である。
#クラシックへのトライアル競走という位置づけだが、近年はホープフルSや朝日杯フューチャリティSから皐月賞へ直行する馬が結果を残しており、やや立ち位置が微妙になりつつある。
 
;青葉賞
#1984年に「日本ダービー指定オープン競走」として4歳(現3歳)馬限定の特別競走として東京競馬場の芝2400mで行われていたが、1994年から重賞(GⅢ)に昇格。
#*翌1995年からはダービートライアルに指定され、上位3頭まで日本ダービーへの優先出走権が与えられていた。
#**2001年にはGⅡに格上げ。2010年からダービー優先出走権は上位2頭までになった。
#2020年現在、このレースをステップに日本ダービーを勝った馬は未だに存在しない(最高着順は2012年・フェノーメノのハナ差2着)。
#テレビ東京の社杯であるため、このレースを中継するときは必要以上に「テレビ東京杯」をアピールする。
#一時期藤沢和雄厩舎の馬がこのレースを使うことが多かった。シンボリクリスエス・ゼンノロブロイでこのレースを連覇しており、次走のダービーでも2年連続で2着に入っている。
 
;札幌記念
#夏競馬で最も格が高く、唯一のG2レース。
#*数少ない定量戦である為か、このレースに出走する有力馬が多く、関係者からスーパーG2と呼ばれている。
#このレースが開催される日の札幌競馬場の来場者数は他の日と比べて圧倒的に多いのか、同時期に行われる北海道マラソン開催日と被らないように設定している。
#*2013年は札幌競馬場改修の為、函館競馬場で開催。これにより中央競馬で唯一福島競馬場がG2以上の開催経験がない競馬場になってしまった…(小倉はかつてある)。
#ジャズ奏者マルタさんが'''サックスだけ'''で生ファンファーレを演奏したレースがこれ。
#*函館・札幌の重傷ファンファーレは他のファンファーレよりも難易度が高いのか、生演奏時には動画サイトでネタにされがちだが、今はある程度評価が高い。
 
;セントライト記念
#初代三冠馬のセントライトを記念して1947年に創設された重賞競走。
#2011年までは「ラジオ日本賞セントライト記念」だった。朝日杯FSの阪神への移動もあり2014年から現在の「朝日杯セントライト記念」に。
#1988年・2002年・2014年は中山競馬場の改修工事の影響で新潟競馬場での開催だった。
#神戸新聞杯に比べると菊花賞には若干繋がりにくいレース。
#*グレード制導入以降、セントライト記念に出走した後に菊花賞を制した馬は僅か6頭しかいない。
 
;富士ステークス
#1981年のジャパンカップ創設に伴い、同競走への出走馬と帯同馬向けに設定された芝1800mのオープン競走(レース名なし)が起源。1984年から現在のレース名に。
#1997年から距離が1400mに短縮され、スプリンターズSの前哨戦として位置付けられた。1998年から重賞(GⅢ)に昇格。
#2000年のスプリンターズSの開催時期の移動(12月→9月or10月)もあり、本レースの開催時期も11月から10月に移動。
#*距離も1600mに延長され、マイルCSの前哨戦に。
#2020年からGⅡに格上げされた。
 
===GIII(JpnIII)===
;根岸ステークス
#1984年からオープン特別として施行されていたレースを1987年から重賞に格上げ。
#*現在の1回東京の開催になったのは2001年から。
#「根岸」は江戸時代末期に日本初の近代競馬場として横浜に開場した「根岸競馬場」から来ている。
 
;ダービー卿チャレンジトロフィー
#1969年にイギリスからレスター・ピゴット他2人の騎手を招待し、東京競馬場と京都競馬場で「英国騎手招待競走」が計4競走行われた。
#*その際東京で行われた競走の一つに、第18代ダービー卿エドワード・ジョン・スタンリー伯爵からトロフィーの寄贈を受けたことを記念し、「ダービー卿チャレンジトロフィー」が創設された。
#創設時は東京競馬場で11月に行われたが、1981年に中山競馬場へ変更。1990年からは施行時期が春の中山開催に繰り上げ。
#*2011年のみ、東日本大震災の影響で阪神競馬場での振替開催となった。
#当初の距離は芝1800mだったが、1984年から200m短縮されて芝1600mに。1990年には更に距離が短縮され芝1200mになったが、1996年から距離が芝1600mに戻った。
 
;アーリントンカップ
#1992年に阪神競馬場がアメリカのアーリントン国際競馬場(2000年からはアーリントンパーク競馬場)と姉妹提携を結んだのを機に、それまで存在していたペガサスステークスを「アーリントンカップ」に改称。
#2017年までは1回阪神の開幕週に開催されていたが、2018年からは皐月賞の前日の開催に。
 
;アンタレスステークス
#中央競馬と地方競馬のダート重賞競走の整備の一環として1996年に創設。
#*第1回は阪神競馬場で6月下旬(6月29日)に開催されたが、翌1997年からは開催時期が大幅に繰り上がり京都競馬場で5月上旬の開催に。
#*2000年以降は4月下旬(開幕週)の開催になったが、2012年にマイラーズカップと開催時期・開催場を交換し阪神競馬場での開催に戻った。
 
;福島牝馬ステークス
#古馬牝馬路線の拡充を目的に2004年に新設された、春の福島開催で唯一行われる重賞競走。
#*2011年(第8回)のみ、東日本大震災の影響で新潟競馬場での振替開催となっている。
 
;福島記念
#秋の福島開催に行われる芝2000mの名物重賞。
#競馬場の名を冠した第三場の記念重賞の中では唯一夏の主場開催とは異なる時期にやっている。
#*以前はマイル戦になる前の中京記念も同じだった。
 
;チャレンジカップ
#1950年に「チャレンジカップ」の名称で創設。1953年には朝日新聞からの賞寄贈を受け「朝日チャレンジカップ」と改称。
#*それ以来ずーっとこのレース名だったが、2014年に朝日杯FSの阪神競馬場への移動の影響で「朝日」が取れ、レース名が「チャレンジカップ」に戻った。
#開催時期は1969年から2011年まで9月の開催だったが、2012年から12月の開催に繰り下げとなった。
 
===地方競馬(ダートグレード以外)===
;ばんえい記念(BG1)
#年度末の3月下旬に行われるばんえい競馬の総決算。旧名は農林水産大臣賞典。
#*1988年から帯広に固定。それまでは各競馬場を転々としていた。
#年度最強馬を決めるレースであり、1トンのソリを引いて行われる。
#*よくばんえいの馬は1トンのソリを引いているという話があるが、実際に1トンのソリを引くのはこのレースのみ。
#**その証拠に普段はスタート直後軽々と超える第一障害が、このレースになると第一障害でも立ち止まる馬が多くいるなど一目瞭然である。
#1トンのソリを引いている以上、1着の馬でも完走するまで4分前後かかり、ほぼ全頭完走するまでも10分以上かかるなど、平地の競馬は愚かばんえいでも最も過酷なレースである。
#*なので最後の一頭が完走するまで目を見離さない現地のお客や視聴者も多い。
#帯広単独開催に移行してからはほぼ毎年陸上自衛隊による旧重賞ファンファーレと現重賞ファンファーレのメドレー生演奏が恒例。
 
==関連項目==
*[[日本中央競馬会]]
*[[競馬場/中央競馬]]
*[[競馬場/地方競馬]]
[[Category:競馬|きようそう]]

2007年3月31日 (土) 19:54時点における版

初めて国旗はつくったものの・・・・・・。少しでかすぎ。

国家設定についての感想と皆さんへ。

  • 一応,「九州の乱」から「伊勢の変」までの流れをそれなりにつくっては見たのですが・・・・・・。確かにいろいろあって難しいというか、範囲の設定が分かりづらい面がなきにしもあらずのような・・・・・・。
  • wiki自体は編集がしやすい分,削除や追加がしやすいため,どの辺がOKでどのへんがOUTか分からないところで手探りをしていた部分がありましたが,なんとかここまできたというか、いろいろあったというか・・・・・・。
  • ということで、基本的にはこの国の歴史に関しての変動はNGとだけお伝え致します(関連付けで面白いものがあれば,そのまま掲載致します→日本モンキーパーク帝国の流れは結構おもろいですね)。
  • その他は面白いネタがあれば追加しても結構です(卑猥なネタはNGですが・・・・・・)。