もしあの人が健在だったら/プロレスラー

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2010年7月4日 (日) 20:08時点における>羞恥心なしによる版 (→‎日本・女子)
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日本

ジャンボ鶴田

  1. 後に三沢光晴と共にプロレスリング株式会社ノアを旗揚げし、自身はスタッフとして参加。
    • ○子を追放して全日本プロレス分裂を防いでいた。
  2. あるいは大学教授となってレスリング部の指導に当たっていた。
    • 教え子がオリンピックに出場したときにはアニマル浜口並みにマスコミ露出が多くなっていた。
      • 「気合いだ~!」のごとく「オー!」が流行語になっていた。
  3. それでも藤波辰爾との対戦は実現しない。
  4. 「鉄人」から受け継いだ技をまた誰かに継承していた。
  5. レスラーとしては引退し、菅直人の誘いで民主党から出馬していたかも。
    • 衆議院に当選した場合、同じ元レスラーで自民党所属の馳浩議員との舌戦が名物となっていた。
      • もしくは山梨県知事選に出馬していたかも。

橋本真也

  1. 今なお「ハッスル」を主戦場としていた。
    • 2007年よりIGFに移す。
  2. 新日か全日のどっちかで「闘魂三銃士興行」が実現していた。
  3. 小池栄子と坂田亘の婚約発表を見て「俺がくっつけたんだぜ!」と自慢しまくっている。
  4. 今度こそ適切な場面で「時は来たー、それだけだ。」と言えた。
  5. 冬木弘道の未亡人と再婚していた。

三沢光晴

  1. 予定通り2009年をもって現役を引退していた。
    • 「エロ社長」の封印を解放してメディアに進出し、ノアのアピールにいそしむ。
  2. 潮崎のシングル戴冠も無かった。
  3. 杉浦とマシンの抗争やノアマシン軍団の結成も無かった。
  4. 小橋建太の結婚発表が早まっていた。
    • 結婚式で仲人を務めていた可能性も。

力道山

  1. 全日本プロレスは誕生しなかったかも知れない・・・
    • 仮に馬場が力道山の考えを無視して全日本を結成したら馬場と生涯対立していただろう
  2. 引退試合の時に全盛期のジャイアント馬場と夢の対決が実現する
  3. 引退後は現役時代より引き続いて実業家として活躍する傍ら、トレーナーとしても活躍。
  4. 格闘技界のご意見番となり、『関口宏のサンデーモーニング』にレギュラー出演者し、「格闘技界の長嶋茂雄」的な存在になっていた。
  5. 三木道三とのコラボが実現。
  6. 引退後も度々トラブルを起こしていた。
  7. パンシロンのCMに生身の体で出演していた。

海外

アンドレ・ザ・ジャイアント

  1. 医師から注意を受けても、やっぱり大量の飲酒は欠かさなかった。
  2. プロレスラーとしての人気に陰りが出始めた頃から、日本ではバラエティ番組への出演が多くなっていた。
    • 「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」にキラーカンとともに出演。
    • 何かの車のCMで元宝塚の女優たちと共演し、『ベルサイユのばら』のパロディでアンドレを演じていた。
  3. 引退後も日本でジャン・アレジ並みのネームバリューは保っていた。
    • でもフランス人だと言う事はあまり認識されなかった。
      • 1998年の「日本におけるフランス年」で、アレジと共にPR活動を行っていた。
  4. 魔界倶楽部やラブマシンズに参加していた。
  5. ビッグ・ショーの親父(キャラ)でWWEで暴れていた。
  6. また古舘に様々なバリエーションの「一人~」と呼ばれてしまった。
  7. 『ハッスル』に登場して和泉元爾と対決。

ホーク・ウォリアー

  1. 2007年現在もアニマルとのタッグチーム「ロード・ウォリアーズ」は健在。
    • ジョン・ハイデンライクは1人で活動していた。
  2. 佐々木健介とのタッグ「ヘル・レイザース」も継続。
    • ひょっとしたら「ヘル・ウォリアーズ」(アニマルとのコンビ)はなかったかも。
      • いや、3人でチームということも。
  3. 日本で健介ファミリーの一員として活動していた。
    • 今日の全日ヘビーがさらに盛り上がっていた。

モンスター・リッパー

  1. 希望通り日本で引退試合をしていた。
  2. 全女の崩壊を誰よりも悲しんでいたと思う。

日本・女子

門恵美子

  1. アジャ・コングらとともにOZアカデミーに参加していただろう。
  2. 吉田万里子の「息吹」旗揚げはなかったかもしれない。

ジャッキー佐藤

  1. 窮地に陥った全女の姿を見兼ねて、何らかの形で救いの手を差し伸べていただろう。
  2. 一夜限りのビューティ・ペア復活もありえた。
    • 史実どおり全女解散に至った場合、最終興行で復活した可能性が高い。
  3. 後進の指導にも力を注いでいた。
    • 教え子たちを従えて新団体の旗揚げもしていたかもしれない。

プラム麻里子

  1. キューティー鈴木や尾崎魔弓の影が薄くなっていた。
  2. やはり怪我に泣かされ続け、活躍の機会が少なかった可能性も。
  3. 30代中頃に結婚、現役引退。
    • そして、女優に転向。

関連項目