常陸太田市

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常陸太田市の噂

  1. 水戸八景が二箇所ある。一つは太田落雁、もう一つは山寺晩鐘。太田落雁は栄町愛宕神社近くの坂を降りた辺り、山寺は西山研修所近くにある山の寺のこと。
  2. 合併のおかげで茨城県内最大の面積を誇る。
    • 旧常陸太田市、金砂郷町、里美村、水府村の合併。一時期、金砂郷町の町長がヤリ手で、太田市を吸収・合併する勢いであったが、「小が大を飲み込むようなことは問題、金砂郷市になったら、太田市民から物凄く恨まれるだろう、月夜以外は歩けない」と言って棚上げにされたらしい。
    • 金砂郷市ではさすがに露骨だから、折衷案として、「弩いなか市」が取り上げられたことがあった。これは、これでボツになったが。
      • それを採用していたら、全国から勇者扱いされていただろう。
        • やはり、そうか。失敗したかな、いろんな見方・考え方があるからなぁ。
        • 下手な「ふるさと創生事業」なんかに金を使うより、ずっと効率的・効果的ではなかっただろうか?何しろ、提案だけでこれだけ全国区になるんだから。
  3. 日立南インター近くにあるメルセデス・ベンツの陸揚げ基地が存在するのは、地元出身の大物政治家故・梶山静六がベンツが好きだったという噂がある。
  4. 常陸大理石から出荷される大理石の一部が粉末にされ、ビスケットや菓子類の重さを嵩上げするために使われている、と言う噂がある。
  5. 志満津が京成になり、魚の富田屋もなくなって、肉の片岡は細々と営業しており、あの辺一帯の商店街が激変した。
  6. 旧市街は衰退が夥しく、至る所で「シャッター通り」になっている。七夕祭りが出来た頃の賑やかさが懐かしい。
  7. 実はPOMジュース(えひめ飲料)の工場がある。
  8. 秋田から墓参りに来る人が多い。
  9. 2003年東西金砂神社で72年ぶりの大祭礼が執り行われた。平安時代から挙行されているもので、72年に一度、神霊が宿る神体を両神社から日立市水木浜まで、時代装束を身にまとった約500人の大行列をともなって渡御する神事。
    • それぞれ17日間の渡御だが、出社日が異なるため10日間の大イベントとなり、延べ100万人の人出でにぎわった。by「金砂大祭礼」茨城新聞社より
  10. 市の西方に位置する西山荘は水戸黄門(正確には水戸藩第二代藩主徳川光圀公、別称義公)様の隠居地である。実に質素な造りで、元藩主といえども華美贅沢を慎んでいたことが分かる。
    • 金正日よ、少しは見習え。ブクブク太りやがって、豚か!
      • 水戸藩は超財政難(かつ税も高かった)だったので、贅沢したくても出来なかったかも。まぁ、国民が飢えててもお構いなしの北の将軍様とは比べちゃいけない。
        • なにしろ、国家事業でやってもおかしくない「大日本史」編纂事業で経営を圧迫したからなぁ。
    • ちなみに瑞龍山は歴代藩主の墓地である。一山すべてが墓地で一代ずつ作られており、藩主、正夫人と並んでおり規模雄大である。明の学者朱舜水(いわゆる朱子学の祖)もここに祭られている。
    • 戦後間もなく李徳全女史(軍閥馮玉祥夫人、中国赤十字会長、全協商常務委)が朱舜水のお墓にお参りに来たことがあった。
    • 黄門様も若い頃はかなりヤンチャしてたと言う話も。
  11. 義公のモットーは、先憂後楽。文京区の後楽園はこのモットーの一部を使って命名されたもので、水戸藩上屋敷跡。しかし、最近の風潮は全くこの逆、先楽後憂で実に嘆かわしいものだ。
  12. 常陸太田市に郵便を出すのを誤って、単に太田市と書いて出すと、最初は島根県大田市、次いで群馬県太田市と回されてやっと届くことに、一人でムカツイテいる、そんなに知名度が低いのか、と。
    • 太田なんて大きい田圃がある場所なんだから、日本全国何処にあってもおかしくない名前なんだよ。
    • でも島根は「おおだ」。近県からの発送の場合は大体「群馬県太田市」→「常陸太田」→「島根県大田市」の順番(でも一番最初ではない)
      • っていうか、郵便番号ちゃんと書け、アレは市内住所まで細分化されてるんだから。
  13. 水郡線の支線の終点。太田止まりにすれば客がみんな降りてくれると見込んだが,実際は誰も太田まで来なくなってしまった。
    • 日立電鉄線が廃線になったため,日立との交流はほぼ皆無(特に学生)。

金砂郷の噂

  1. 旧金砂郷町は、蕎麦のコシヒカリと言われる「常陸秋蕎麦」の名産地。蕎麦を美味く食べさせる所も多いが、アピール不足からか観光客に定着しきれていない。
  2. 松平から北に行く道路(袋田・大子に通じる)は蕎麦街道と呼ばれており、蕎麦粉を販売したり、蕎麦をたべさせる店が多くある。
    • 勤労感謝の日前後に新蕎麦試食の大会が開かれる。
      • 蕎麦粉と蕎麦自体は確かに美味い。東京神田あたりの老舗でもこれほどの蕎麦とは仲々巡り会えないかも。しかし、おしいかな蕎麦街道沿いの数店で食すと、「つゆ」と天麩羅がいまいち。
      • 確かに蕎麦通は蕎麦だけの味を楽しみ、つゆに浸けない食べ方もあるのだろうが、ましてや天麩羅など蕎麦の脇役としての捉え方もあるのは解るが、常陸秋蕎麦の名を全国区にするには、やはりその辺の努力も必要なのでは。(さすらいの蕎麦食い男)
        • 蕎麦通だけあって流石にポイントを突いている。確かにその通りなんだが、開き直れば、それは、標準と言うか東京の味ではないか、あの辺の人間が食するのはやっぱりあの味なんだよ。それではやっぱり全国区にはならないか。

里美の噂

  1. 元は、小と賀の合併だったっけ?!
  2. 「里美牧場」....「マザー牧場」を想像して訪れると、そのギャップに愕然とする。広大すぎる敷地に牛が、い・・・居ない。少なくとも人の目に付く所に居ない。
  3. 一応一般開放もしているのだが、ほとんど観光としての体裁は皆無だ。しかも辿り着くまでの山道が狭すぎる。対面する場所が悪いとクルマのすれ違いが不可能となる。ヨーグルトとか美味しいのにね。
    • ↑「里美牧場」は常陸太田市にあるのだが、高萩市ではない。高萩市にも牧場があるけど。byピーター・バカラン
      • ↑?何で高萩が出てくるのかワカラン。意味をおせーて。ちなみに県内に牧場なんて沢山あるけどね。
        • ↑移動させただけのことだろ。そんくらいは大目に見ろよ。
          • 「里美牧場」に隣接する最も近い隣町が単に「高萩」だけなんだろう。騒ぐなよ。
  4. 349を通ると一旦日立市に入ってまた戻る。初めての人は「あれ?戻ってきちゃったか・?」とびびるかも。
  5. みのもんたの出身地らしい

水府の噂

  • 山だらけ
  • 竜神大吊橋周辺は道路が整備されている。つり橋は徒歩のみ・有料で通行できるが,渡った先には鐘一つ。