さいたま帝国

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さいたま市が日本国から分離・独立してできた国。 しかし2010年12月26日、日本に復帰した。

  • 国名:さいたまていこく(The Empire of Saitama)。日本語表記はさいたま帝国。通称はさいたま、玉と略される。
  • 首都:うらわ市(うらわし)
  • 民族:さいたま人(さいたまじん)、東京人ほか
  • 公用語:さいたま語(さいたまご)
    • 語彙・文法など日本語に極めて近いが、ひらがなを多用する傾向がある。
  • 国是:
  • 宗教:主にさいたま教(さいたまきょう)(太陽を唯一の神とする宗教)

政治

  • 皇帝:初代 つちやよしひこ
  • 首相:初代 あいかわそういち

軍事

  • 作戦の立案と実行までの間にほとんどタイムラグがないのが特徴。
  • 突撃の時は「さいたまー!」と叫びながら。

経済

産業

  • じゅうまんごくまんじゅう
  • そうかせんべい

農業

  • ぶろっこりー
  • さやまちゃ
  • むらさきさつまいも

歴史

2001年

  • 5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併してさいたま市が誕生。

2003年

  • 4月1日 - 政令指定都市に指定される。

2005年

  • 4月1日 - 岩槻市を併合。

2006年

  • 8月4日 - さいたま市議会が埼玉県庁を占拠。さいたま市の独立を求める。(さいたま革命
    • 日本政府がさいたま市の政令都市の指定を解除する。
  • 8月10日 - 上尾・桶川・北本・鴻巣・伊奈町に侵攻。
  • 8月14日 - 鴻巣・行田・東松山・吉見町に侵攻。
  • 8月20日 - 熊谷市に侵攻。しかし暑過ぎるので撤退。
  • 8月23日 - 朝霞・志木・ふじみ野・川越・鶴ヶ島・坂戸・滑川町・小川町・寄居町が合併。東上市を名乗りさいたまと全面対決へ。埼玉県庁を川越に移転。
  • 8月29日 - 入間・狭山・所沢・飯能・日高・秩父・横瀬町が合併。『西武市』を名乗りさいたまと全面対決の姿勢を示す。
  • 西武市と東上市、『西埼玉連合』を設立。
  • 9月2日 - 入間基地から発進した航空自衛隊機、さいたまを初空襲。朝霞からは陸上自衛隊がさいたま市内に侵攻。どさくさにまぎれて練馬区を併合。
  • 9月8日 - 西埼玉連合対さいたま市最大の激戦となる荒川の戦いが行われる。西埼玉連合、さいたま軍に押し戻される。
  • 9月11日 - さいたま、荒川を渡り川越に侵攻。西埼玉連合・東上市崩壊。埼玉県庁は所沢に移動。
  • 9月13日 - 川越から新宿線沿いに西武市内に侵攻。これが俗に言う『西武新宿戦線』。
  • 9月14日 - 所沢市域に侵攻。入間市に県庁を移転。
  • 9月15日 - 入間市域に侵攻。埼玉県・西武市は最後の望みを賭け、元大滝村役場に県庁を移転。俗に言う『秩父大本営』
  • 9月17日 - 秩父市域を完全に占領。西武市は消滅。
  • 9月18日 - 埼玉県が降伏。これにより、埼玉県がさいたま市の支配下となる。
  • 同9月18日 - 唯一生き残ってた熊谷に、敗走した議員団による埼玉県臨時議会が成立。
  • 9月19日 - 日本国からの独立を宣言。土屋義彦を皇帝とする帝国が成立。
    • 同時にさいたま市の合併を解消。
  • 10月1日 - 涼しくなってきたので熊谷の臨時議会を攻撃。熊谷市も併合する。
  • 10月2日 - 地名を全てひらがなにする。
  • 10月14日 - 首都をうらわ市に制定。
    • おおみや市がこれに反発。
  • 10月27日 - 漢字を全て廃止する法律ができる。

2007年

  • 5月4日 - さいたま政府は東京都に対し池袋地方の割譲を要求。
    • 東京都はこれを拒否。日本政府は遺憾の意を表明する。
  • 5月9日 - 池袋を奇襲攻撃。
  • 5月18日 - 豊島区と北区を併合する。
  • 10月18日 - 千葉県知事が「さいたま人は漢字も読めない馬鹿」と発言。
  • 同10月18日 - つちや皇帝は千葉県知事の発言に激怒。「ちょうばつこうい」と称して千葉県に宣戦布告。(玉千戦争
  • 10月21日 - 千葉県に侵攻。
  • 10月24日 - さいたまに隣接するとんがってる地域を占領。
  • 11月3日 - 千葉市陥落。千葉県が降伏する。
  • 11月11日 - 千葉県はよの条約を受諾。これにより、さいたま帝国に隣接する野田市・流山市・松戸市及び、沿岸部の領土を全てさいたま帝国に譲渡。千葉県は海を失う。
    • 念願だった海を手に入れ、さいたま国民は大喜び。11月11日を「海の日」に制定する。
  • 11月23日 - 戦艦「さいたま」の進水式。その様子は国営放送のテレビさいたまで全国生中継され、初めての海に国民は皆感動、胸を躍らせた。

2008年

  • 6月23日 - さいたまの語源となった聖地・多摩に侵攻。つちや皇帝が「これはせいせんである」と声明。(玉多摩聖戦
    • 「埼玉(さきたま)古墳説」を完全否定。
  • 7月14日 - 奥多摩町・桧原村を占領。
  • 7月25日 - 青梅市・あきる野市・日の出町を占領。
  • 8月1日 - 福生市・羽村市・瑞穂町を占領。西多摩郡全土を併合する。

2009年

  • 1月7日 - 反さいたま帝国同盟「23区隊」が(区から市になりたがっていた千代田区と、先に占領された、練馬区、豊島区と北区を除く19区によって)結成される。
  • 1月12日 - さいたま帝国は、「23区隊」に唯一参加していない、東京・千代田区(特にアキバ)に侵攻。しかし「何の役にも立たない上に、意外にわがまま」でお馴染みのオタクが、だれにとっても意味不明な猛反発を起こし、撤退を余儀なくされる。みんな頭の上に「?マーク」が出るが「それがオタク」の一言で、とりあえず後回しにされる。識者は「スイスの独自性と同じ原理」と指摘するが、みんなとてもイヤ~な気持ちになる。
  • 1月20日 - いつの間にか「バチカン衛兵と同じ真の聖戦士」とまで思い上がっていたオタクに「ゲド戦記は失敗だったね。やっぱり世襲制は、、、」と、痛い所を突付くと各個に自爆した。
  • 日本国側は、23区隊から選抜したエリート舞台部隊として、「ろっぽんぎひるずぞく」と言う、余りにも急ごしらえなカリスマっぽいピープルを作ってみるが、排他性が強すぎて支持を得られずパンク。昭和初期の銀座のイメージを残す老人達に出動を要請するも、おもらしでヘルパーさんに怒られて帰ってしまう。
  • 自分の子供に対しても「我々のお仕事は、、、そう!イメージ!いいイメージを演じてあげるの!さいたま帝国のドロ付き大根供に!」と錯乱状態な「23区隊」は、さいたま帝国議会で「とてもおもしろいひとたちだったけど飼ってあげるのはいや」と抹消が採決される。
  • 1月23日 - 日本国側は“東京が奪われる!!”と思い、再び京都が首都に
    • 人口の問題だと名古屋・大阪が反発。
    • これにより東京都知事、石原慎太郎が「首都じゃなくなったなら、もういいや。飽きた。」といって突然辞任。これにより23区隊は大混乱。
    • すぐに次の知事がドクター中松に決定する。戦線になぞの発明品が投入される。
  • 1月31日 - あいかわ首相の提案により、23区隊対策として、鉄道の輸送力を生かした戦術の採用が決定。
  • 2月7日 - JR高崎線を確保する為に上野まで侵攻。
    • 赤羽、東十条、王子、田端、西日暮里、鶯谷では23区隊の守備隊が激しい抵抗を見せたが、指揮系統の不統一と、ドクター中松知事の発明品がほとんど何の役にも立たなかった事により、わずか一日で上野まで制圧される。
  • 同2月7日 - さいたま本隊の動きに合わせて、さいたま帝国の千葉県部隊が江戸川を渡河しようとするものの、23区隊に全ての橋を爆破されてしまい、千葉県から東京都への直接の侵攻を断念。また、東京の26市・5町・8村による連合部隊も23区への攻撃を開始。主に杉並区・中野区の制圧を目指す。
  • 2月8日 - さいたまを経由して千葉県部隊が葛飾区・柴又に侵攻。(葛飾柴又の戦い
    • 激戦の末、さいたま軍が勝利。
    • この戦いで葛飾の英雄、両津勘吉が戦死する。
    • さいたま帝国は両津勘吉の驚異的な身体能力を調査する為、遺体を本国へ持ち帰る。
    • 実は影武者であったことが判明。本物はいまだ逃走中。
  • 4月2日 - 群馬県でさいたま帝国への編入合併を望む、群馬・さいたま党(通称:ぐんたま党)が結成される。
    • しかしその実態は、さいたま帝国への懐柔工作する組織であった。(ふるさと工作員)
  • 9月半ば - 群馬県南部で"さいたま編入論"が高まる。
  • 12月10日 - 群馬県南部の市町村で「さいたま帝国編入条例」がことごとく可決される。
  • 12月14日 - 併合を阻止したい北部は「反さいたま北部同盟」を結成する。
    • しかし、みなかみ町までもが「さいたまにへいごうされたい」と言い出し、北部同盟が困惑する。
  • 12月22日 - 北部同盟が南部に特殊部隊を投入。

2010年

  • 1月13日 - 西への侵攻が開始される。
  • 1月20日 - 伊勢志摩制圧。
  • 2月5日 - 滋賀・伊賀制圧。
  • 3月6日 - 自衛隊VSさいたまぐん(埼日戦)
  • 5月16日 - 日本国首都制圧。日本国全面降伏。よって日本列島は「さいたまれっとう」に。
  • 9月4日 - 外国への進出を開始する。
  • 9月11日-北京を占領、埼京(さいきん)と改名。しかし『さいきょう』と間違って読まれる。
  • 9月13日-埼京をさいきんに改名。
    • さいきん-大連間に埼京線を整備。
  • 9月19日-「さいきん」で伝染病が流行。「じょきん」作業開始。
  • 9月23日-
  • 10月10日-秩父で有志によるChichibian Self-Defenseが結成される。ひそかに独立を目論む。
  • 10月19日-Chichibian Self-Defenseが蜂起。「みつみねぐち」一帯を占領。

後に「だいにじちちぶじけん」と命名。

  • 10月22日-「さいたまぐん」が到着。独立派、あえなく敗北。
  • 10月23日-秩父鉄道複線化
  • 11月1日-中国の大半を制圧。中華人民共和国政府は青海省バヤンカラ山脈に立て篭もる。ちなみに、後の中国の史書では、新さいたま帝国も中国の歴史の一部とされ、『埼』王朝とされる事となる。
  • 12月24日-国連安全保障理事会で、さいたま帝国への軍事行動を承認する決議が採択され、自衛隊、在日米軍が侵攻。
  • 12月25日-さいきんに駐留している「かんとうぐん」、さいきんを臨時首都(首都は元祖さいたま)として独立を宣言。新たに帝国国民となった中国人に配慮してか、一部漢字(埼・玉など)を復活。
  • 12月26日-さいたま帝国無条件降伏、さいたま帝国日本復帰。
  • 同日-多くの要人がさいきん政府に亡命。
  • 同日-さいきん政府、だいさいたまれんぽうていこくを名乗る。さいきんを第二新さいたま市に改名。
  • 12月27日-元さいたま帝国国民による大規模な反乱運動が起こる。「たかさきせん(日本名:高崎線)」「チチビアンレイルウェイズ(日本名:秩父鉄道)」を占拠。→「湘南新宿ライン,宇都宮線,東海道線,横須賀線,埼京線,りんかい線」のダイヤが大幅に乱れる。
  • 12月28日-埼玉県の新県都が春日部に決定。

同日-埼玉県西部、入間県として埼玉県から分離。県都は川越に。さいたま市のあった所はさいたま遺跡として記念公園に。

  • 12月29日-新さいたま帝国、東京に向けて「だんどうみさいる」を発射。さいたま遺跡に着弾、同地は消滅。

2011年

  • 1月5日-さいたま帝国、ロシアに侵攻。1週間で沿海州をほぼ制圧。
  • 1月19日-サハリンと千島列島を1週間でほぼ制圧。
  • 1月22日-シベリア鉄道等を制圧。翌日「湘南新宿ラインモスクワ経由横浜行き」を設定。(5本/日)
    • ちなみに、モスクワのさいたまご表記は、「もすかう」