「もしあの区間に国鉄が連絡船を運航していたら」の版間の差分
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#*えちごワンデーパスが1,500円、ツーデーパスが2,500円、現実の佐渡汽船の同区間カーフェリーが2等2,320円(全て大人料金、2012年1月現在)なので、ワンデーパスは無理かもしれないがツーデーパスの範囲には含まれているかも。 | #*えちごワンデーパスが1,500円、ツーデーパスが2,500円、現実の佐渡汽船の同区間カーフェリーが2等2,320円(全て大人料金、2012年1月現在)なので、ワンデーパスは無理かもしれないがツーデーパスの範囲には含まれているかも。 | ||
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#(存在していたとして)直江津~小木間の航路は周遊券の指定地接続線から外れていた。 | #(存在していたとして)直江津~小木間の航路は周遊券の指定地接続線から外れていた。 | ||
#*「周遊指定地 佐渡 乗換駅」の表記は新潟駅にしか存在しなかった。 | #*「周遊指定地 佐渡 乗換駅」の表記は新潟駅にしか存在しなかった。 |
2021年8月10日 (火) 09:45時点における版
新規追加はエリアごとに東から西、北から南(海岸線の位置基準)になるようにお願いします。
北海道
江差~奥尻
- 名称は「奥尻連絡線」
- 江差駅は江差港に作られた。
- 奥尻島に国鉄バスが走っていた。
- 遅くとも江差線廃止と共にJRは運営から離れていた。
- 実史で江差線「木古内⇔江差」間の廃止で、バス転換を引き継いだ函館バスにより運行かな?その場合、社名は、「HBフェリー」かも。
函館~小湊
正確には航路再開(一時期青森港が使えなかったことによるもの、その後常設航路化の陳情があった。)
- 岸壁が小型のものしかないため船も小型のみだった。
- そのため青函航路現役時はあくまで補完航路の位置づけだった。
- 青函航路廃止後青函トンネルを通過できない危険貨物列車のため存続している。
- 小湊駅から国鉄小湊港線から開通。
- 旅客輸送はほとんど期待できないためJRグループだとしてもJR貨物の運航だった。
- そのため青函貨物をこちらに移行していた。
函館~大間
- 大間線はもちろん全線開通していた。
- 戸井線もできてたら戸井港発着だったかも。
- 青函トンネル東ルートの伏線とも言われてたかも。
- 青函連絡船廃止の頃にJRグループから分離される。
日本海側
新潟~両津
- 佐渡島に国鉄バスが走っていた。
- そうなると佐渡島内のバスは現在は新潟交通佐渡ではなくJRバス新潟(仮)かJRバス信越(仮)だった可能性もある。
- 新潟県内のバス事情も多少変わっていたかもしれない。
- むしろ国鉄佐渡線構想が実現していた。
- そうなると佐渡島内のバスは現在は新潟交通佐渡ではなくJRバス新潟(仮)かJRバス信越(仮)だった可能性もある。
- JR東日本に引き継がれていた場合、当航路が「土日きっぷ」のエリアになったため、佐渡島の観光客は現実よりも増えていたかも。
- えちごワンデーパスが1,500円、ツーデーパスが2,500円、現実の佐渡汽船の同区間カーフェリーが2等2,320円(全て大人料金、2012年1月現在)なので、ワンデーパスは無理かもしれないがツーデーパスの範囲には含まれているかも。
- 佐渡汽船は存在していない。
- (存在していたとして)直江津~小木間の航路は周遊券の指定地接続線から外れていた。
- 「周遊指定地 佐渡 乗換駅」の表記は新潟駅にしか存在しなかった。
太平洋側
久里浜~金谷
- 名称は「久金(きゅうきん)連絡船」?
- 横須賀線は久里浜の港まで延長されていた。
- かつての「東京湾フリーきっぷ」はJRだけで完結できていた。
- 複線化も進展していた。
沼津~松崎
- 鉄道敷設法別表第61号の先行航路として開業。
- 名称は伊豆箱根鉄道に併せて「西伊豆連絡船」か。
- 松崎から国鉄バスが下田まで走っていた。
- 駅が設置される予定の町にも寄港していた。
- JRバスの撤退と共に廃止される。
- 前述の伊豆箱根鉄道にでも譲渡されたか。
伊良湖~師崎
- 国鉄渥美線、あるいは武豊線師崎延伸は実現していた。
- 前者のみの場合、武豊~師崎に国鉄バスが走っていた。
- 武豊線の電化が早まっていた。
伊良湖~鳥羽
- 豊橋鉄道渥美線が伊良湖まで延伸の上JRに
- 最低でも快速列車は走っていた。
- 渥美線が豊橋駅に乗り入れる代わりに、新豊橋駅が名鉄の所有となりJRと線路を共用しなくなった。
- 参宮線が延伸し中之郷周辺まで
- 複線化されていたかも。
- 全線ではなく、交換駅の連続するところだけの複線化ならやりそう。
- 複線化されていたかも。
- 快速みえが特急に格上げ。
瀬戸内海
明石~岩屋
- 名称は「明岩連絡船」。
- 読み方はみょうがん? めいがん?
- 当然ながら明石海峡大橋の架橋と同時に廃止。
- JRバス「大磯号」などが事実上の代替路線となる。
- 山陽新幹線の停車駅が、西明石→明石駅に変わっていたかも。
- 鉄道先行の観点から、岩屋~洲本間に国鉄バスが走っていた。
- 洲本~福良間は当時あった淡路鉄道線にお任せ。
- 後々岩屋~洲本に国鉄淡路島線が開通し、その後淡路鉄道線も買収されていた。
- この場合、鳴門~福良間の「鳴福(めいふく)連絡船」も存在したかも。
- となると「国鉄線⇔国鉄連絡船⇔国鉄バス⇔淡路鉄道⇔国鉄連絡船⇔国鉄線」という連絡運輸が設定されることになる。
- 神戸鳴門ルートには鉄道が通っていた。
- 洲本~福良間は当時あった淡路鉄道線にお任せ。
和歌山~小松島
- 南海和歌山港線は、国有化された。
- 但し、歴史的経緯から南海電鉄とは線路を共用するかたちとし、南海の列車もそのまま(使用料無しで)乗り入れる。飯田線の豊橋~平井(信)と同様。
- 久保町、築地橋、築港町の3駅はJR駅として今も存続。飯田線の船町、下地駅のような存在。
- 和歌山港-水軒間は史実通り廃止になっている。
- 久保町から先は和歌山県が線路を保有していることを考えると、国有化ではなく南海と共に第二種鉄道事業として乗り入れを選んだ可能性が高い。県が保有していない和歌山市-久保町間は上にある通り国鉄と南海が線路を共用する形になるとは思うけど。
- 名称は「和小(わしょう)連絡船」。
- 阪和線の紀伊中ノ島駅から紀和駅への連絡線が造られ、天王寺~和歌山港間に快速が運転されていた。
- 使用車両は急行「きのくに」と共通運用のキハ58系か。電化後は113系青帯車。
- 電化も実史より早かった。
- 車両はいずれ223系に置き換えられていただろう。
- 所要時間が1時間程かかるので、指定席が設けられたと思われる。そのため愛称も設定されていた。
- 和歌山線がここまで衰退することはなかった。
- 南海和歌山市駅が史実以上に賑わっていた。
- 場合によってはこちらが新快速を名乗る。
- 普通列車は和歌山-和歌山港間のピストン運行になっている。
- 天王寺駅の連絡線が完成後は新大阪発着になっている。
- 使用車両は急行「きのくに」と共通運用のキハ58系か。電化後は113系青帯車。
- 和歌山駅が東和歌山駅のままだったかも。
- 国鉄小松島線は廃止されなかったかもしれない。
- 小松島市は現実ほど衰退しなかった。
- もし小松島線が廃止されていた場合、現実どおり四国側の発着地を徳島港に変更、「和徳連絡船」と改称されていた。
- 競合相手である南海フェリーの便数に影響が出ていた。
- 民営化後はJR西日本とJR四国の共同運航になっていた。
- 大阪~徳島を青春18きっぷで移動する人が多くなっていた。
- 船は明石海峡大橋開通後の2000年まで宇高連絡船と同型のものが使用されていた。宇高航路の伊予丸と同型の「紀伊丸」「淡路丸」が就航し、瀬戸大橋開通で宇高連絡船が廃止された後は讃岐丸が転属して2000年まで使用された。2000年以降はそれらの船の引退と同時に鉄道車両の航送を廃止してカーフェリーに転換していた。
三原~今治
- 瀬戸大橋開通までは本州から愛媛県へのメインルートとなっていた。
- 三原駅への「ひかり」停車は現実よりも多かった。
- 特急「宇和海」は国鉄時代から今治~宇和島間で運転されていた。
- しまなみ海道の本州側起点は三原になっていた。
- 広島県東部の中心都市は福山市ではなく三原市になっていた。
- 名称は「三今連絡船」
- サンコン連絡船?
- あるいは「予備連絡船」。伊予と備後を結ぶので。
広島~松山
- 名称は「広松連絡船」
- あるいは駅名から取って「宇三連絡船」かもしれない。
- 松山市の広島志向が現実以上に強くなっていた。
- 広島と愛媛でテレビ放送の相互乗り入れが行われていたかも。
- 国鉄宇品線は連絡船がある限り存続している。
- 名前も役割も似ている宇野線と時折混同されていた。
- 乗り継ぎ割引制度が「広島に発着する新幹線」-「松山に発着する特急・急行」間にも適用されていた。
- 本四備讃線開通前の寝台特急「瀬戸」は東京-宇野・宇品を結んでいた。
- 「宇品」駅を「広島港」駅に改称する案が出る。その際宇品(広島港)発着の寝台特急が「安芸」を名乗る。
- 仁堀航路は存在しないか、その代わりとして運行が開始された。
- 三津浜駅に今も特急が停車している。
- しかし、港から駅まで少し距離があるので国鉄バス→JR四国バスで連絡。
- ↑のちにJR松山駅に直接連絡するようになり,三津浜駅に特急が止まらなくなる。
- しかし、港から駅まで少し距離があるので国鉄バス→JR四国バスで連絡。
八幡浜~別府
- 路線名は「国鉄九四連絡船」となっていた。
- 別府港の最寄り駅として予定通り新別府駅が開業していた。
- 八幡浜側は駅から港との距離が離れていたので国鉄バスでの連絡になった。
- 「新別府駅」じゃなくて「別府港駅」だと思う。
- 現在も存続していたら最長片道切符の旅で四国を経由することができた。
- 船名は「九重丸」や「石鎚丸」といったあたりが想定される。
- 民営化後にJR四国の所有になっていたら元宇高連絡船が使用されていたかもしれない。
宿毛~佐伯
- なるとすれば宿毛観光汽船を買収して宿毛線の支線扱いとする。
- 宿毛線は宿毛までは完成していたかもしれない。
- おそらく中村線・宿毛線共々土佐くろしお鉄道に引き継がれていた。
九州
博多~郷ノ浦~厳原
- 路線名は「国鉄壱岐・対馬連絡船」か?
- 博多臨港線は旅客化されていた。
- もちろん壱岐・対馬にも国鉄バスの路線がある。
- 「国鉄対馬線」の構想も出そう。
- 関釜連絡船に「壱岐丸」や「対馬丸」が就航することはなかった。
三池~島原
- 路線名は「三島(さんとう)連絡船」。
- 国鉄が大牟田駅から三池港まで運炭を兼ねて連絡線を建設していた。
- 三池港駅から博多駅まで急行が走っていた。
- 島原鉄道が国有化されていた。
- 但し、現在でもJRかどうかは不明。
鹿児島~桜島
- 桜島港から垂水方面へのバス路線は国鉄バスだったのだから、実現していたとしても不思議ではない。
- 名称は「桜島連絡船」。
- 宮島と同様に、桜島フェリー(桜島町営→鹿児島市船舶部)も並存するかたちだったかも。
- 西鹿児島駅が中心駅の地位を確立した時点で、西鹿児島駅→鹿児島駅、鹿児島駅→鹿児島港駅への改称が行われた。
- よって九州新幹線部分開業時の駅名改称騒動はなく、「鹿児島中央」という駅名も存在しない。
- JR九州バス桜島線は廃止されなかったかも。
- 戦前からあった場合、国鉄大隅線を(志布志から)垂水~国分ではなく垂水~桜島港に変更していたら今もJR大隅線として残っていたかもしれない。
鹿児島~那覇
- 名称は「鹿那(かな)連絡船」。
- 普通に「沖縄連絡船」とかのような気が。
- 戦時中は米軍に度々撃沈されていた。
- 戦後途絶えるも沖縄の本土復帰とともに復活。
- 長距離の為1日1便か2便となる。
- 寝台特急「なは」の愛称は文字通り沖縄連絡を意味するものとなっていた。
- もちろんこの連絡船と接続するダイヤ。
- 「JR沖縄バス」という会社がJR九州傘下に存在した。
- JRバスに対抗するために、既存バス会社は1~2つに合併していたかも。
- 史実の沖縄高速バス111番系統も「国鉄沖縄ハイウェイバス(沖縄高速線)」として開業。JR沖縄バスに引き継がれ現在も運行中。
- 沖縄ではバスターミナルを「駅」と呼ぶことが一般化していた。
- 青春18きっぷは利用できなかった。
- 「JR九州沖縄支店」は那覇港の近くに存在していた。
- 恐らく、定期旅客船が多数発着する泊港に置かれる。
- 「途中駅」として奄美大島などを経由していたかもしれない。
- 採算が取れないため民営化後に奄美まで短縮or廃止されていた。
- 奄美まで短縮したらもっと採算取れないと思う。
- 意外に、(実史の)博多~釜山間の国際航路を運行する「JR九州高速船」が、この区間も運行するとか。
- 鉄道敷設法には沖縄の路線計画も存在していた(実際にどれほど建設されたかは不明)。