もしあの戦国大名が天下を取っていたら
2014年12月1日 (月) 12:13時点における>むらまさによる版 (CO:自分で投稿を否定しないで整合を持たせて書いて下さい)
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明智光秀
- 前提として山崎の戦いで勝っていた。
- 明智光秀の評価は「正義のために暴君を討った英雄」となっていた。
- どうかな。足利尊氏とか天下取ったのに評判悪いし。
- 信長・秀吉の評判は悪い。
- これもまた微妙。
- 三日天下という言葉はない。
- 同様の意味のことわざはナポレオンの百日天下か。
- 果たして光秀自身が将軍なりなんなりになれるのか。信長でも右大臣になるまでには相当時間かかったのに。ものすごい勢いでものすごい功績を重ねまくらないと無理そう。足利将軍あたりを呼び戻した方が現実的かも。
尼子氏
- 条件としては経久の子政久が戦死せず大内の大寧寺の変で一気に介入して勢力を拡大し新宮党とも敵対せずにできれば可能かと。
- まず前提として有田中井手の戦いで勝ち、毛利氏を傘下にする。
- この場合元就は何も活躍せず終わっていた。
- 大寧寺の変で大内家・陶家を一気に滅ぼし中国地方を制圧。政久も父に劣らぬ武将だったので晴久のようなことにはならなかった。
- そして北九州に進出、諸侯を傘下におさめる。
- いずれにせよ天下を取るのは晴久。
- しかし毛利家に苦しめられることもなかったので巷にいわれるほど暗愚にはいわれることはなかった。むしろ内政手腕は一流だったので名君扱い。
- 「尼子ハルヒさの憂鬱」などとは言われなかった。
- 石見銀山の開発が早まっていた。
- しかし毛利家に苦しめられることもなかったので巷にいわれるほど暗愚にはいわれることはなかった。むしろ内政手腕は一流だったので名君扱い。
今川氏
- まずは義元が桶狭間で勝っていた。
- その後は齋藤・六角を倒して上洛。
- 六角は滅ぼさないと思う。将軍を保護するようなのを、滅ぼしていくとは思えない。そこまで今川は、強くないと思う。
- 六角が上洛を邪魔しなければそうだろうが、邪魔した場合は戦わないとどうにもならない。
- 足利家の親戚なので、養子だのなんだのこじつけて室町幕府の将軍になる。
- 天下を取った後は公家化が進む。
- 戦国時代の文化と言えば茶道や鷹狩りではなく蹴鞠だった。千利休なんて出番無し。
上杉氏
- 天下統一まで
- 天正6年3月の遠征前に死亡せずに、関東侵略、信長を打倒し、京へ上洛した。
- 天下統一後
- 幕府が越後春日山付近に開かれる。
- 下にも書かれているが、上杉謙信が足利氏存続中に上洛できていれば管領などの形で幕府を支えたのでは。
- 足利氏は将軍として存続するが、上杉氏が管領あたりの役職で鎌倉時代の執権北条氏の様に実権掌握という感じか。
- もしくは養子縁組などを駆使し、足利家に政権を返還する。
- 全国の大名家が新潟の積雪・寒さを経験することになる。
- 下にも書かれているが、上杉謙信が足利氏存続中に上洛できていれば管領などの形で幕府を支えたのでは。
- 直江津が港として栄える。
- 佐渡金山から金をたくさん産出する。
- 足利義昭を奉じて管領就任→謙信の死後に養子の景勝と景虎で泥沼の争いという、細川政元亡き後の細川家と同じ末路を辿る。
- 戦国時代再来。
- 我の強い越後の国人衆が上杉氏の天下統一に伴い勢力拡大していれば面倒なことに。
- 直江家が米沢藩主として存続する。
- 米沢は豊臣秀吉による上杉家会津移転によるものだからどうだろ。
- 現在でも政教分離が進まなかった。
- 毘沙門天信仰が盛んに。
上杉管領家
- 内輪もめがすぐにおさまるのが大前提。
- 戦国時代に突入してすぐに関東を統一。
- 後北条氏の出る幕はない。
- 上洛後、室町幕府の内乱に加わる。
- 細川家に代わり実権を握る。
- 結果として戦国時代は史実より短かった。
柴田氏
- 本能寺の変後、明智光秀を討てば可能。
- 織田一族は信孝の系統が生き残る。
武田氏
- 天下統一への道
- たぶん、武田勝頼が天下を取る。
- そのため勝頼の方が信玄よりも有名。武田信玄はちょっぴり通好みの武将。
- 正確には、武田信玄→京まで上る、武田勝頼→全国統一。
- いや、信玄が上洛、勝頼がほぼ統一、仕上げるのは勝頼の子の信勝あたりになるだろう。
- そのため勝頼の方が信玄よりも有名。武田信玄はちょっぴり通好みの武将。
- 武田政権時代
- 武田幕府が開かれる。
- 信長のように足利将軍を放逐するとは考えにくい。養子に入るか執権に収まるか。
- 不便なので、拠点を甲斐からどこか開けた場所に移す。
- 「人は石垣、人は城」が国是になっていた。
- 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」
- 仏教の扱いに苦慮する。
- その他
- 史料が多く残るので、山本勘助の実体がよりはっきりする。
- 富士山は、当然山梨県に含まれる。
- ほうとうがメジャーな食べ物となる。
- 由緒ある家紋であるため,某ヤクザの家紋も別の形になっていた。
- 赤備はもともと武田氏家臣のものなので、井伊家が赤備を軍装とすることはない。
- よって、ひこにゃんの誕生は絶望的。
- 当然信長の野望は無い。
- 変わりに信玄の野望がある。
- ・・・と思ったら信玄の野望は本当にあるらしい。
- これかな?
- 誰かが信虎の野望とか言い出す。
- ・・・と思ったら信玄の野望は本当にあるらしい。
- 変わりに信玄の野望がある。
- 勝頼は名君として知られていた。
伊達政宗
- 統一まで
- 単独で秀吉に対抗できたとは考えづらいので、たぶん秀吉に叛旗を翻した家康、および小田原で抗戦中だった北条家と連携して秀吉軍を撃破、その後徳川・北条と三つ巴の権力闘争がおこなわれて勝ち残るというシナリオか。
- だいぶ時間がかかりそうだけど、政宗がダントツに若いのがポイントかな。にらみ合っているうちに家康と氏政が死ねば、次の代の秀忠や氏直相手なら政宗に分がありそう。
- 関が原の戦いは東の伊達勢力と西の毛利勢力との戦いになる。
- 秀吉が亡びた後、政宗が徳川・北条とにらみ合っているうちに、毛利は島津・長曽我部あたりと競り合ってそう。結局、日本の中央部を誰が押さえるかで勝負が決まるような。
- 統一後
- 仙台が日本の中心地に。
- この場合政宗自身が仙台に本拠を置いていないので、それはない。会津若松かな。
- 政宗の性格からすると、信長同様、本拠地を移すことにあまりためらいがないように思われる。京都までは行かなくとも、関東地方か東海地方あたりまで進出し、そちらに中心を置いたのでは。
- 鎖国しなかった。
- 日本でキリスト教が完全に根付く。
- もしかしたら江戸に本拠地を置いてたかも?
- 日本史での東北地方のウェイトが大きくなる。
- 東北地方が清王朝における満洲みたいな扱いになって、かえって閑散としてしまったりして。
- 徳川家は忠輝(家康の六男、政宗の娘婿)の家系が嫡流として続く。
- えーと、この状態でも忠輝と五郎八姫との結婚はあったんだろうか? 秀吉の死後、家康が伊達を味方につけるために画策した縁談だったと思うが。
- 陸奥宗光の実家は親藩大名。
- そして現在
- 東北地方の高校が既に甲子園で優勝している。
- 仙台の政令指定都市移行が史実より早まっている。
- 青函トンネルの開業が早まった可能性も。
- 東北新幹線は1982年の時点で青森まで開通。
- 北海道新幹線も同時に開業している。
- ロッテオリオンズが現在も仙台を本拠地にしている。
- ジェフの本拠地も仙台だっただろう。
- 仙台平野は広いので、500万人くらいの都市にはなっていたかもしれない。
- 「城=天守閣」という誤解が生まれなかった。
長宗我部氏
- 古来からの「流刑地」土佐が日本の中心に!・・・無理かな?
- 四国統一の時はすでに白地(阿波池田)に本拠を移していたからねえ。
- 海運がめちゃくちゃ発展する。
- 紀貫之と言えば古今和歌集よりも土佐日記。
- 早めに四国統一。
- 瀬戸内、熊野の水軍を配下に治め、日本最強の海上勢力となる。
- 安芸氏や本山氏が全国レベルの知名度になる一方、今川氏はマイナーな存在で終わる。
- JR四国全線が電化されている。
- 長宗我部版本能寺の変後、河野水軍が仇を打つ形になり、河野通有に接ぐ偉い武将が天下を治める。
- が、実史では金子のほうが伊予では勇猛っぽいから、いつのまにか金子幕府...で朝鮮がやたら金子氏の出自は朝鮮だと言い張る。
- 河野氏がそんなに迅速に動けるとは思えない、明智ポジションは無く、単に金子が仇をとって天下を取ると思う。
- しかし関が原の戦いで長宗我部氏の天下は終わる。
- 一領具足制度を全国的に施行、日本は国民皆兵国家として全世界から恐怖される。
- 四国がもっと発展……するかな?
- 大阪と広島が今ほど発展していない。
- 坂本竜馬は上士の家に生まれたことになっていた。
- そもそも坂本竜馬が倒幕に画することもなく、普通に過ごしていけたかと。
- 長宗我部氏は秦の始皇帝の一族(だと当人たちは信じている)なので、秀吉と同じく明に出兵し、祖先の土地を取り戻そうとする。
- 法華津氏の知名度は史実より高かった。
北条氏
- 天下統一への道
- さあ難しいぞ。取る気もない天下をどうやって取ろう?
- 今川存続が条件。義元が実力どおり織田を倒し、東海を制する。
- 大勢力になった今川の力を借りて上杉・武田を抑える。その間に東北をなんとかする。
- 義元の死後二代目があの通りなのでうまいこと崩して吸収。上杉・武田も次世代なのでなんとかなる。かも。
- 史実に近いシナリオなら盟約を裏切って駿河に侵攻した武田家を今川との同盟を存続した北条が攻め入り、そのまま武田を殲滅&今川救援のため徳川も攻めて併呑、東海→畿内方面への勢力拡大。
- 北条幕府
- この頃には足利将軍の種は尽きているか尽かしているので遠慮なく征夷大将軍任官。
- やっぱり小田原に幕府を開く。
- 京から西には興味はないので投げっぱなし。鎌倉幕府と同じ調子でいこうとする。
- その後
- 海外交易と殖産で力を付けた西国大名に倒される。維新は100~200年は早かった。
- この場合とっくに自ら開国してる国家が西洋列強を待ち受ける。封建制を色濃く残した独特の近代国家が出来上がった。
- 領国はしっかり経営するので容易に崩れず東西別国になっていたかも。
- 小田原評定がいい意味で使われる。
毛利氏
- 天下統一への道
- 戦国時代で少数の兵による大勝利といえば、有田中井手の戦いもしくは厳島の戦い。
- 決して桶狭間の戦いではない。
- 厳島の戦いは後世の捏造が激しいからなぁ・・・勝てた理由の大半が運だったっぽいのは桶狭間と同様のようだが。
- 決して桶狭間の戦いではない。
- 室町幕府の扱いに苦慮する。
- 室町時代の後に短く鞆時代がある。
- 毛利元就の死後に天下をとっていた場合、毛利家で一番有名なのは輝元。
- と言う事で元就は三国志の曹操のようなポジションになる。
- 長男・隆元は死なずに済んだかもしれない。
- 毛利政権時代
- 家系ゆえに幕府は開かない。
- 毛利氏は土師氏の流れを汲んでいる。かなり大雑把に言えば菅原道真と同系。
- 「源氏でなきゃ征夷大将軍になれない」というのは俗説に過ぎんけどな。
- 名目上足利家の者を将軍とし、実権は毛利家の当主が握るというスタイルになっていた。
- 鎌倉時代の執権政治に近い形。
- 小早川氏と吉川氏は100万石を越える大大名となる。
- 輝元がそのあとの当主が「毛利御三家」を作ったため、吉川・小早川の立場は低下し、史実の松平家程度になる。
- 毛利御三家とは、吉川・小早川・穂井田のことである。
- ラストエンペラーを(毛利元就の庶子である)穂井田家から輩出したことが滅亡の一因と言われるようになる。
- 全員毛利に名字を戻しているかも。
- 椙杜・出羽・天野・末次も一門としてそれなりの地位となった。
- 小早川秀包「俺は・・・?」
- 輝元がそのあとの当主が「毛利御三家」を作ったため、吉川・小早川の立場は低下し、史実の松平家程度になる。
- その他
- 山口県からあれほど多数の首相が輩出されることはなかった。
- 下手をすると山口県自体存在しなかった。
- 名前はともかく国の主要な貿易港として栄えることは間違いない。
- 弓が武士の主流に扱われ、鉄砲がそんなに重要視されなかっただろう。
- 郡山城が修学旅行のコースに組み込まれる。
- 原爆は広島に落とされていない。
- その前に第二次大戦で枢軸国側だったかどうかも…
- さらに皇居が東京にあるのか?
- 広島大空襲で徹底的にやられるため。代わりに小倉か京都に落とされる。
- 和三盆が矢三本に。
- 和三盆の名前は盆の上で三度研ぐことに由来しているのでそれはない。
- 厳島神社の世界遺産登録が現実より早くなっていた。
本願寺を中心とする一向宗
厳密には戦国大名ではありませんが、当時戦国大名同様に活動していた、戦国大名に準ずる存在として取り上げてみました。
- この場合、大阪の石山本願寺が史実における江戸城に相当する存在となる。
- 山科にあった本願寺の跡が聖地化される。
- 山科本願寺を法華一揆で潰された恨みとばかり、法華宗を弾圧するかもしれない。
- 山科にあった本願寺の跡が聖地化される。
- 本願寺による天下統一が実現するとしたら、それを実現していたのは顕如か次世代の教如もしくは准如。
- 天下の主としての肩書きは道鏡以来の”太政大臣禅師”もしくは”法王(法皇ではない)”。
- 当然発足当時は祭政一致のガチガチの一向宗専制国家となっている。
- 黒船来航までこの体制が維持されていた場合、確実に攘夷を実行し、諸外国と戦争になる。
- その結果、日本の近代化がありえたかどうかは疑問。
- 黒船来航までこの体制が維持されていた場合、確実に攘夷を実行し、諸外国と戦争になる。
- 身分制度は士農工商の上に僧侶が立つ”僧士農工商”の5身分制。
- 当然キリシタンは禁教。