トーク:国鉄103系電車
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ノート移設について[編集 | ソースを編集]
- トーク:国鉄113系電車を、ご参照下さい。--I.T.Revolution 2019年1月8日 (火) 21:17 (JST)
活躍(した)路線[編集 | ソースを編集]
東日本[編集 | ソースを編集]
東北[編集 | ソースを編集]
- 103系を2両編成に改造した105系も存在した。
- 今は新秋津に行くと見ることが出来る。
- 然し、209系改造の研修車に押し退けられた。
- 今は新秋津に行くと見ることが出来る。
- ずっと郡山にいた編成が奇跡の復活。シングルアームパンタ化、トイレ取り付けなどを行い運用復帰したが、平日の朝しか走っていないので乗車チャンスが少ない。
- この際塗装をスカイブルーに戻した方がいい。
- 最北の103系。
- 2012年のATACS(新型のATC)導入により、205系に置き換えられる予定。E233でも入れればいいのに。
- その前の2009年に引退しましたね。
- あそこは車体幅とかの関係でE233とかは入れないらしいよ。
- 外見は103系そのものだが走りだすと…という車両が存在していた。
- 最終的に本物の103系に「昇格」して川越線に移籍した。
- これと似た例に中央本線の「外見は115系そのものだが…」がある。
- こちらは「昇格」することなく解体された。
- 中央本線ではなく身延線ですね。
- 鶴見線にはこのプロトタイプである「外見は101系だが…」がいた。
- こじつけかもしれないが、JR東の103系としては最後の路線だが、103系と同じモーターを持つ車両としての最後の路線は、ここではなく中央線であったりする。
- JR化された際に運行番号表示幕が種別表示器に改造され大型化された。
- ドアも化粧板仕込みのものに変えられた。
- 阪神電車と同じドアブザーが付けられた。
- 車掌乗務&肉声でもドアブザーを聞くとワンマンカーに乗っか感じがする。
- 417系(一部)やキハ40系気仙沼線ワンマン車でも同様にドアブザーがつけられていた(ただし音程違い)。
関東[編集 | ソースを編集]
- この線を最後にJR東日本から103系は消滅・・・と思われたのだが・・・
- これもそうだけど、東京駅に入る武蔵野線・京葉線の103系も結構最後のほうまで残ってた。最後まで都区内に乗り入れていたというのは、正直意外だったと感じる。
- 「ひらけポンキッキ」の「ぼくはでんしゃ」という曲に地上に転用されたばかりの地下鉄乗り入れ車(1000番台)が登場した。
- 車体の色がエメラルドグリーン一色だったので転属から少し後。ちなみに埼京線の103系も登場。
- 爆音を上げて疾走していたのは有名。
- E231/E531より乗り心地よかったよね…冬場は寒かったけど。それは今もか。
- 203系の導入で105系改造以外で余剰になった地下鉄用車両で常磐快速線の15両運転が始まった。(それまでは10両だった)
- エメラルドの高運転台はJRになってから登場。それまではカトーのNゲージのみだった。
- 廃車後インドネシアに渡った車両も。
- 一部編成の西船橋寄りの先頭車の窓の一部が埋められていた。
- ATS-P設置のスペースが無くやむなく。
- 上の画像の編成は「三鷹駅・電車区開業75周年記念号」に使用され、廃車後西日本に売却され山陽線で活躍している。
- 画像のコメント、俳句?
- 残念ながら、2010年に両端クハが、2011年にモハ6両がすべて廃車になり、写真の元ケヨE38編成は全車廃車になりました。
- 画像のコメント、俳句?
- 特にトンネル内では車内放送やお客様の話し声が、うるさいモーター音のせいで聞こえにくいという伝説があった。
- DDM試験車でVVVF制御に改造された車両が存在した。
- 伝説の(?)千ケヨ304編成。
- DOM試験車自体は静かだが、両隣のモハの爆音で結局はうるさい。
- そのマインドはE331系に引き継がれました。
- 伝説の(?)千ケヨ304編成。
- 東の管内で最後まで大目玉の車両がいた。
- スカイブルー一色の車体は現在も201系に受け継がれている。
- 首都圏の路線でありながら撤退が遅れたのは、この形式でないと入れない運用が存在していた為。朝夕に東金線や外房線に直通する列車がそれ。
- 103系が最初に導入された路線。
- サザエさんに出てくる電車のモデルは恐らくこれ。
- E231系に置き換えられる気配がない。
- 火曜版の最後のOPと一部の作品では205系に置き換えられている。
- 前照灯が1つだから、101系の可能性もある
- それどころか、舞台は世田谷のはずなので、本当なら地元の駅にJR線が走っている時点でおかしい。
- わざわざ山手線乗りに毎日遠い駅行ってるんじゃないの。
- 渋谷ならわかるが…。
- わざわざ山手線乗りに毎日遠い駅行ってるんじゃないの。
- E231系に置き換えられる気配がない。
- 5年で走ルンですに置き換えられた。
- 205投入以前は860両あったのに…
- で、103を置き換えた209もたった2年でE233へ置き換え完了。
- 蒲田の車両は横浜線用と共通の車両があった。
- 最後の編成は東海道線の113系と連結して長野の解体線へ送られた。
- 最後の編成の廃車回送があったときはえらい騒ぎになったらしい。
- 方向幕が行先別に色分けされていた。
- 「弁天橋」行は白色(205系は「扇町」行と同じく赤文字)。
- 「新芝浦」行及び「海芝浦」行は紺色。
- 「大川」行は黄色。
- 「浜川崎」行及び「扇町」行は赤。
- 茶色い偽物が走っていたことがある。
- 前に「横浜線」とデカデカと書いたプレートを付けていた。
- 車体の色が山手線と同じウグイス色だったので、誤乗防止のため。
- 混色編成があった時代はスカイブルーが先頭になる事もあり、紛らわしかったそうな。
- ていうか、長い間東神奈川所属車がウグイスで、蒲田所属車がスカイブルーだった。
- 101系に混じって活躍したが、101系より前に撤退。
- 今でも奈良線や阪和線で、クハのみですがここのやつが走っています。
- 末期は高運転台の車ばかりだった。
- 鶴見線の予備車(3+3両編成)も走っていた。
- JR東日本の省エネ電車のCMに切断された車体が映っていた。
- 東西線に乗り入れていた編成は外見と色が違う。
- やたらと故障が頻発したため209系やE231系に置き換えられたという説がある。
- 床から火を噴いた車両もあるらしい。
- しかし総武線を追い出された一部の車両は武蔵野線に転属したという噂が。
- 209系500番台登場の理由は実際に103系故障が頻発したため、E231系量産化の目途が立つまでの間、E231系タイプの車体と209系の機器を組み合わせて手っ取り早く103系を置き換える、というようなことだったと思う。
- 山手から転属してきた後期型が多く、保全工事がほとんど行われなかったのも一因。
- 当時ニュースのみならず「笑点」の大喜利でネタにされるぐらい深刻だった。
- 走行音が「新幹線よりうるさい」と言われていたらしい。
- その結果、民営化後に速攻で205系への置き換えが決定したらしい。
- それを置き換えた205系も結構な爆音をまき散らしている。
- 当初は新幹線の最高速度が騒音防止として100km/hに制限されていたので、103系の通勤快速が新幹線を抜くことがあった。
- 山手線205系導入の言い訳がここで103を使うためだった。
- 73系から改造された車両はここに集結した。
- 運転席をのぞくと73系当時の車番が書かれてたのが見えた気がする。
- 上からそのまま塗り重ねたのか、連結面の形式記載部に73系時代の記載が浮き出ていたものがあった。
- 転属初期の頃は3・4・6両編成の車両が配属されていたので3・4・6・7・8・10両編成での運行があった。
- 後に4・6両の編成で統一される。末期の青梅以東では都区内に入らないにも拘らず堂々の10両編成が見られた。
- 最初は京浜東北線ATC化によるお下がりを集中的に入れていたので、青い車両で運行されていたらしい。
- 南武線同様、後期は高運転台のATC搭載先頭車ばかりで運行されていた。
- あとを継いだ201系の青梅線系統専用車は中央線の快速と同時にE233系への置換えが行われたばかりか、中央線本線運用の201系より先に消えてしまった。
- 90年代半ば、八高線からの黄緑色の103系も乗り入れていた。
東海[編集 | ソースを編集]
- VVVF制御に改造された試験車両が存在した。
- 東海カラーに変更されたが、ラッシュ時ぐらいにしか走らなかった。
- ただし、211-5000導入以前は3両編成が組める唯一の形式だったためか、昼間の運用もあった。
- 内装は211-5000に倣って改められた。
- 登場時は水色。
- ごく初期の頃にはウグイス色も紛れていたらしい。
- どちらも横浜線からやってきた。
- ごく初期の頃にはウグイス色も紛れていたらしい。
- 配置当初の編成パターンは6+4だったが、7+3に改められた。
- 定期運用は瑞浪までだったようだ。
- 一時期、釜戸行きもあった…、と記憶している。
- 普通列車だけに充当されていたようだ。
- 神領所属車は初期型ばかりなうえ少数だったため、313系への置き換えが早かった。
- 名古屋エリアではドア数が多く座席数が少ないため103系の評判が113系よりも芳しくなかった。
- 関西本線(名古屋-亀山)
- ごく限られた期間に限られた運用だったようだ。
- 私が目撃したのは'90年代半ばに夕方、3両編成で亀山行き。
- 岡多線
- 方向幕だけ用意され、実際に運用されたことはないようだ。
西日本[編集 | ソースを編集]
関西[編集 | ソースを編集]
- トップナンバー、クハ103-1が走っている。
- しかし最初に製造された編成とは違かったり…
- しかも相方はクハ103-2。
- 2011年3月に引退決定。長い間ご苦労様でした。
- 京都鉄道博物館にオレンジ色になって保存されました。
- 実はクハ103-1というのは2代目だったりもする(初代は試作車に与えられる900番台に改番された)。
- しかし最初に製造された編成とは違かったり…
- 武蔵野線のお下がり(画像の編成)の中間車が走っている。
- 2011年3月から4月にかけて廃車された。
- 2011年3月のダイヤ改正からしばらくはオレンジ色・黄緑色の車両も多く走っていた。異なる色の車両が混結された編成もあった。
- 2015年3月、227系の導入により國鐵廣島の103系が全廃され、現役最古の車両が走っている。しかし、阪和線も新車導入が決まっており、走れる時間も残りわずかとか。
- 2016年3月より225系5100番台投入。2017年度までに122両製造され、103系と205系を置き換える予定。
- それでも羽衣線はしばらく103系が残るような気が…。おそらく和田岬線とともに最後まで103系が残る路線になりそう。
- 2018年3月17日に置き換え予定。
- それでも羽衣線はしばらく103系が残るような気が…。おそらく和田岬線とともに最後まで103系が残る路線になりそう。
- 2016年3月より225系5100番台投入。2017年度までに122両製造され、103系と205系を置き換える予定。
- 阪和線の103に乗ると稀に一方のモハがMT55でもう一方がMT55Aの編成に乗る事がある。
- 大阪環状線に先立って2017年に引退(羽衣線除く)。
- 一時期、武蔵野線から転属した車両の一部が走っていた。
- 譲渡の話が出たときには、8両全部(ほぼ)無改造で大阪環状線に投入されると思っていた。
- 昭和末期の東京の国電を思わせる風景が今でも見られる。東京の中央線もどきの201系、武蔵野線もどきの103系だけでなく、山手線もどきの103系(奈良電車区)まで運用されている。
- 大阪環状線でこれが走ってるのを見て、大阪ってせいぜいその程度かと愕然とした。(by広島人)
- 駅間距離が短いため、103系の性能には丁度合っている。ただ発電ブレーキのため電力消費は大きい。
- 大阪環状線に新車導入らしい、ついに大阪環状線の103系は駆逐される。長い歴史についに終止符が…。
- 2017年10月、ついに引退決定。
- 引退する日は「103」に因んで10月3日ということらしい。
- 「OSAKA POWER LOOP」のLA3は9月に一足先に運用離脱。
- 最後まで残ったLA4が10月3日、ついに引退してしまった。48年間ありがとう!
- ちなみに11月にクハ103-843が京都鉄道博物館で期間限定展示される予定。最後の雄姿を京都で是非!
- 2017年10月、ついに引退決定。
- 実は朝晩に大和路線に快速として乗り入れている。201系もそうだが。
- 環状線103系引退を前に奈良区の221系に置き換えられました。
- USJ仕様の車両が走っている(もちろんN40更新済み)。
- それも、今年(2012年)のダイヤ改正で広島送りになっていたりして・・・。
- ついに1編成のみになってしまいました。全廃も時間の問題。
- 大阪環状線から直通のオレンジの編成も多い。
- 関西唯一のカナリア色の103系だった。
- 戸袋窓を埋めたカナリア色。
- 末期は、阪和線や201系と同じスカイブルーに変えられた。
- 207系増備の際に大阪環状線に転属され、同系初期車を淘汰した。
- 大半は福知山線尼崎~宝塚間電化とともに投入された高運転台の後期タイプだが、1994年に起こった脱線事故で廃車になった車両の補充として1両だけ低運転台車が存在していた。
- なぜか他線の中古ではなく新車が投入された。
- 宝塚以北の複線電化とともに新三田まで運行区間が延長された。
- 以前はウグイス色の前面に黄色が入ったカラーだった。
- 現在はウグイス色に白線。
- 一時期奈良線に岡山向けのマスカット色が入っていたことがある。最初見た時奈良線の新ラインカラーかと思った。
- 国鉄時代、水害で多くの車両が使用不能になったため関東からしばらくの間借りられていた。
- 103系の貸出ってあったっけ?廃車予定の101系を関西に回して使ってたのは有名だけど。
- 開業したばかりの、おおさか東線にも走っている。
- 未だに方向幕未設置の、山手線投入当初っぽいのが居るのは気のせいでしょうか?
- 全部廃車になりました。
- 最近、運転士から「暑いから何とかしてくれ」と苦情が来たらしい
- よく、和歌山線(高田~王寺)・万葉まほろば線(桜井線)が、忘れられている。
- 過去には天理留置の運用もあった。
- 奈良電車区4連の方向幕に、「みやこ路快速」や「大和路快速」幕が入っている。
- 2012年3月11日(?)ダイヤ改正で、大和路線・おおさか東線・和歌山線・万葉まほろば線から撤退する。(201・221置き換え)
- 3月17日のダイヤ改正。
- 奈良線に201を入れると、変電所がぶっ飛ぶ。
- 2012年10月現在、まだ走ってます。
- それどころか2015年、大阪環状線・阪和線では新車への置き換えが発表されている中、ここは一向に置き換えのニュースなし。
- 奈良線は2030年以降もIGBT-VVVFの新車を投入できるような線路状況ではない。まさかの廃線もありゆる。
- 複線化工事が始まった際、変電所の工事も始まり将来的に低騒音のVVVF車両も乗り入れができる線路に生まれ変わるそうだ。
- 最近阪和線からスカイブルーの編成が転入してきた。しかもそのうち一編成はナラ区のどの103系より古い車両……
- こうしてみると結構運用範囲が広い。ここで挙げた以外にも朝晩には大阪環状線に乗り入れる運用がある。しかも大阪環状線内の周回運用まで設定されている。
- 奈良線に至ってはお国からいちゃもん付けられる?始末…証拠
- まさかの50年超過の車両も疾走中。
- 大和路線・おおさか東線系統は、大阪環状線からの201系の転入に伴い、2018年1月24日を以って引退。
- 奈良線も205系1000番台の転入で一部が運用離脱。ついに同線からの全滅のカウントダウンが…
- 更に0番台も4両編成に短縮されて転入し、オール205系化を目指すことに。
- 奈良線も205系1000番台の転入で一部が運用離脱。ついに同線からの全滅のカウントダウンが…
- 見るからに恐ろしい×××××な車両がある。
- 全て改造先頭車で前面貫通式。
- 電化された姫路~寺前間を走る。車体色はワインレッド。
- 最近トイレが付きました。
- 103系では珍しくボタン開閉式の側引戸が付いている。
- JR東西線関連で207系が集中投入されたため、1990年代前半に早々と撤退した。
- ちなみにラインカラーは大阪環状線と同じオレンジ色だった。
- 松井山手駅で分割併合する4+3両の7両編成もあったが、分割併合する部分は片方は先頭車だったもののもう片方は中間車だった。貫通路は鉄板で塞がれていた。
- 他へ転属する際に元に戻されたのは言うまでもない。
- この部分の先頭車は電気連結器が付いている関係で5000番台の番号が与えられていた。大半は中間車からの先頭車化改造車だが、1両だけ当初からの先頭車が存在した。
- 207系投入後電気連結器は撤去され、改造先頭車は2500番台に改番された。今もJR西日本に残るクモハ103は全てこのタイプ。
- ユニット窓・ヘッドライトのシールドビーム化が行われた1次改良車はここに大量投入された。
- 学研都市線よりも早く1994年に207系投入により撤退。車両は初投入の岡山をはじめ各所へ転属。
- 103系の高速性能の悪さを露呈した路線。
- 国鉄時代は前面の行先表示器に単に「普通」とだけ書かれていた。
- スカイブルーの103系6両編成が運行されている。通勤専用路線の為、運行は朝夕限定で休日は1日2本しか運行されない。
- 車内には広告が無い為、奇妙な光景に映るかもしれない。
- 乗務員の訓練車も兼ねているらしい。
- 阪和線から高運転台が一本転入してきた。
- が、一度も営業運転につくことなく吹田送りに。何がしたかったし。
中国[編集 | ソースを編集]
- 当初はマスカット色をしていた。
- 後に日根野から移籍してきた同系が導入された。
- 2010年に京都や日根野からの113系に淘汰され全廃。
- 武蔵野線で走っていた編成をJR東日本から購入して走らせている。
- 2010年に関西からの113系に置き換えられて廃車。
- 岡山口には関西のお古もいる。
- これも113系に置き換えられて廃車。晩年は広島からの貸出車輛がそのままの塗装で走っていた。
- トイレが後付けされた車両がある。
- カナリヤ色が何故かここに復活しそうです。
- ・・・しかし、いまや呉線の快速用だけしか走っていない。
九州[編集 | ソースを編集]
- 外観はまるで別車両。
- 最初は古臭い水色だったが、JR九州カラーになってからは印象がかなり変わった。
- 旧塗装は119系とそっくりだった。
- 前面は105系、側面は201系(ドア窓が小さい)。
- 但し戸袋窓は最初からなかった。
- 6両固定と3両+3両がある。
- これは元々6両編成だったのを分割し、先頭化改造を行った結果。
- 3+3編成は併結してラッシュ時の都心運用に土日の通過駅多数な快速運用、分割しての末端ローカルワンマン運用と各地の103系が行ってきた様々な運用を1本で全てこなすマルチユーティリティっぷり。
- だがしかし、6両固定編成は2015年に305系に置き換えられ、現在は3両編成で、西唐津~筑前前原間のみ。
- JR九州は保有車両全て(除キハ31)にトイレ設置改造を行った結果、日本で唯一地下鉄での運用がある車両でありながらトイレ付きと言う異色車に。
- だがMSEの登場以降はそうじゃなくなった。
- 地下空間でウ○コする経験をしたい人は是非乗車を(w
- 1000番台・1200番台亡き今、現存する103系の中で唯一地下鉄に乗り入れるグループであるが、ATO未設置・ワンマン非対応・抵抗制御であるため、福岡市交車や303系と比べると明らかに見劣りする。
- 上にも書いたけど、203系をこちらにも入れていればいくらかマシだった気がする。
- 203系はアルミ車体。姪浜から先の筑肥線は海べりに線路敷かれてるから、グレーに塗るかクリアー塗料塗るかしないとアルミ地が腐食する可能性高い。
- そもそも世代が違うw。(103系=設計自体が1963年、303系=1999年製造)
- 実は一部の車両(3両編成の分)はワンマン対応。ただし地下鉄線内のワンマンではなく自社線の末端区間でのワンマン運転用。
- 上にも書いたけど、203系をこちらにも入れていればいくらかマシだった気がする。
- 比較的新しい車両なこともあって2014年に入っても廃車はゼロとお隣も真っ青の103系にあるまじき残存率。だがついに置き換え決定。
- 新型車両のイメージ画像(?)と新形式(?)が遠まわしに発表されている。これがイメージ画像通りであれば、分割編成の行方も安泰とはいえず、最後の103系と呼ぶのは厳しくなるかもしれない。
- 303系の検査を福岡市営地下鉄に委託している所から、JR九州では直流対応車が嫌煙されている事が見受けられる。後継車両が本格的に登場したら、ここでは安泰と言えないどころか、この項目と関係ないがJR九州管内の415系も危ない。
- 置き換えの理由は福岡市交に懇願されたため。なぜか地下鉄区間内ばかりで故障を頻発していた。
その他[編集 | ソースを編集]
乗り入れ先の路線[編集 | ソースを編集]
- 抵抗器から出る熱がすざましく、夏は車内がサウナ状態になり乗客や営団から苦情が殺到したため早々と203系に置き換えられた。103系は快速線に転属したが、しばらくは千代田線カラーで走っていた。
- 一部は105系に改造され民営化後はJR西日本に帰属したが、皮肉にも203系の方が先に廃車されてこちらの方が後まで生き残る結果となった。
- 国鉄が電気代の差額をかなりの額営団に支払っていたらしい。
- 鉄板焼き電車と呼ばれていた。
- アルミ車体の301系と一緒に走っていた。途中で帯の色が黄色から水色になった。
- こちらは営団→東京メトロ側の車両も抵抗制御(後に改造されたが)の5000系で、乗客からのクレームが来なかったのか、2003年にE231系800番台が出るまで置き換えられなかった。
- 後に営団→メトロ車の05系への置換えや5000系の改造が進んでも中々置換えの話が出なかったのは、千代田線と比べてJR車両の運用数自体が少なかったからか。
- 大半は1200番台だったが、一部に常磐緩行線→常磐快速線から転用された1000番台があった。一度は地下鉄乗り入れから撤退した後に別の路線で乗り入れ運用に復活したことになる。
- 福岡市地下鉄はワンマン運転対応路線だが、この車両はそれに対応していないのでツーマン運転。
- 車両性能格差も大きいが、置き換えの予定はまだないらしい。しかも203系が千代田線に入った頃に新規で投入された。
- しかも乗り入れ当初から格差があった。
- 地下鉄直通車としては貴重なトイレ付き編成。
- 地下鉄線内で何らかの不具合を起こすと交通局のHPで「車両不具合による運休(JR車両)」と名指しされる場合がある。
- さすがに福岡市がJRへクレームをつけてスクラップor地下鉄出禁になった。
海外[編集 | ソースを編集]
- 冷房が付いているから特別料金を払わないと乗れないらしい。
- 色は黄色とオレンジ、後に青と銀に塗り替えられた。大きなスカートと投石防止の金網がついている。
- そして今度は湘南色帯に。どうみても中央西線です。
- 行先表示がそのまま残っている(「快速 東所沢」とか・・・)。
- かと思うと「ジャカルタ・コタ」とカタカナ表記の表字幕が・・・。おそらく日本語のわかるインドネシア人の仕業かと。
- そしてここでも205系の餌になってしまった。
- 大阪の電車はインドネシアより古いという野次まで生まれた。