ざんねんなサッカー事典

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クラブ

日本

横浜フリューゲルス
  1. 全日空のクラブチームが母体となり、佐藤工業も資本参加してJリーグに加盟したが、佐藤工業の撤退で横浜マリノスに合併された。
  2. 準ホームタウンを九州に定めたため、移動が非常に過酷だった。
  3. 天皇杯は2度(1993年度と1998年度)制したものの、リーグ戦は1996年度の3位が最高だった。
  4. ファーストユニフォームは白基調だったため、対戦相手によってはホームなのにセカンドを着用した試合もあった。
鹿島アントラーズ
  1. Jリーグ屈指の強豪チームではあるが、東京方面から本拠地のカシマサッカースタジアムまでのアクセスが良くない。
    • 東京駅から高速バスで2時間以上。
    • 鹿島線・鹿島臨海鉄道の運行本数が少ない。
東京ヴェルディ
  1. 読売グループが撤退してからの迷走っぷりが激しい。
  2. Jリーグ初期は三浦知良やラモス瑠偉などを擁し、Jリーグ連覇を達成するなど強豪チームであったが、半ば川崎市に追い出されたようなかたちで2001年に味の素スタジアムに本拠地を移転。さらに2006年にはJ2に降格し、2008年に一度J1に復帰するも1年でJ2に再度降格、現在はJ2に定着してしまっている。
    • ↑「半ば川崎市に追い出されたようなかたちで」というと川崎市が悪いように見えるが、実際は、ヴェルディ側が「東京を本拠地にしたい」と何べんもホーム移転を要請していて、等々力の改修など全面的バックアップを行ってた川崎市の行為を足蹴にしたためである。自分たちが勝手に「移転したい」と言って、望みどおりに移転できたのだから、いわば自業自得である。
  3. ホームゲームでの入場者数もFC東京が2万を超えているのに対して東京ヴェルディは5~6000人程度。それに加えて上層部の客席を開放していない。
ジェフユナイテッド市原・千葉
  1. 古河電工を祖とする名門でありオリジナル10の1チームだったが、近年はJ2に定着してしまっている。
    • 古河時代は2部降格がなかった。
大宮アルディージャ
  1. 同じさいたま市をホームタウンとする浦和レッズの陰に隠れがち。
  2. 成績でもJ1とJ2を行ったり来たり。
湘南ベルマーレ
  1. フジタ撤退後はJ2を10年彷徨い、J1復帰後もJ2と行ったり来たり。
水戸ホーリーホック
  1. J2初年度に参加できず、J1ライセンスの条件を満たすべくスタジアム構想も停滞しているため、2019年時点ではJ1に昇格できない。
  2. 良く名前をまちがえられる。
柏レイソル
  1. 好不調の波が非常に激しい。J1優勝を果たしたと思っていたら数年でJ2降格なんてことも。
ヴィッセル神戸
  1. 阪神淡路大震災に遭い出資母体だったダイエーが撤退、有力スポンサーが現れぬまま民事再生法を適用して楽天に身売りされた。
鳥栖フューチャーズ
  1. Jリーグ準会員まで漕ぎ着けたが、PJMジャパンの撤退により資金繰りが悪化したためJリーグ昇格を果たすことなく解散。
  2. ディエゴ・マラドーナ加入の可能性もあったが、スキャンダルでオジャンになったらしい。
大分トリニータ
  1. 胸スポがなかなか定まらない時期があった。
    • 初期のペイントハウスが経営悪化してから、小室哲哉、その後パチ屋やマルチが付いたり胸スポなしもあるなど迷走したが、2011年にやっとダイハツ九州に落ち着いた。
  2. J2降格から2シーズン目でJ3降格も経験した。
アビスパ福岡
  1. 2部制移行初期はギリギリでJ1残留したものの、2001年を最後にJ2降格してからはJ1復帰しても1年で逆戻りの状態が続いている。
  2. 一時はユニスポがなかったこともあるほど経営がおもわしくなく、システムソフトが買収するまでライセンス剥奪危機に瀕していた。
浦和レッドダイヤモンズ
  1. 今でこそJ屈指の強豪クラブとなったが、初年度は最下位に終わり「Jのお荷物」扱いされたり、J2降格を経験するなど、その道のりは険しかった。
    • これを代表するのが1999年J1最終戦の 「世界で一番悲しいVゴール」 (後述) 。
  2. 1993年と1994年にリーグ戦で着用したセカンドユニフォームのカラーは水色だったが、このユニフォームを使用した試合では1つも勝てなかった。
サンフレッチェ広島
  1. Jリーグオリジナル10でありながら2012年のリーグ初優勝までは三大タイトル制覇経験が無く、一時期までの川崎のような準優勝コレクターだった。
  2. 2008年の2度目のJ2、史上2クラブ目の勝ち点100以上得点100以上のダブル100まであと1得点だけ足りなかった。

リーグ

北米サッカーリーグ
  1. 1960年代のサッカーブームに乗り創設されたリーグだったがアメリカ人選手の育成がうまくいかなかったことなどが原因で84年に消滅。
    • ペレ、ベッケンバウアー、ヨハン・クライフといったような南米や欧州の人気選手に頼りきりだったところが響いた。
    • 一時期は現在のMLBばりに全30チームまで膨れ上がっていたが…。
  2. アメリカ人に受けようとしてFIFAルールとはかなり異なる決まりも取り入れていた。
  3. 現在のプロリーグであるメジャーリーグサッカーは、スタジアムでお客はサッカーを見ない という意味が分かりにくい前提でサッカー場をサッカーパークにしたりだとかフードメニューを充実させたりとかの地道な営業努力でそれなりに栄えている模様。
日本プロサッカーリーグ (Jリーグ)
  1. 日本を代表するリーグではあるが、人気の面では海外に伸び悩む部分も多い。
    • 国内のサッカーグッズのショップでも、Jリーグのクラブのグッズより海外のクラブのグッズの方が多い場合もある。
      • そのためか、最近は東南アジアのサッカー途上国での売り込みに必死。

人物

伊東輝悦
  1. 「マイアミの奇跡」を呼ぶゴールを決めたことで有名だが、ワールドカップは1998年フランス大会は選出されど出番はなく、2002年日韓大会は怪我明けもあって選出されなかった。
ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ
  1. 登録名ウィル。1998年に大分トリニータへ入団、3年間で49得点を挙げ2001年にコンサドーレ札幌へ移籍。
    • コンサドーレでは24得点を挙げ、得点王&ベストイレブンを獲得。J1残留にも貢献した。
  2. ここまで書けばただの優良助っ人だが、とにかく素行が悪過ぎた…。
    • 気性の荒さ・体重をコントロールできない自己管理の甘さ・自己中心的なプレイ…それらの問題が、翌2002年に移籍した横浜F・マリノスで一気に噴出してしまった。
      • ナビスコカップのジェフユナイテッド市原戦で中西永輔、立石智紀を故意に負傷、練習法をめぐり当時のラザロニ監督と対立。
        • 挙句の果てには10月26日のジュビロ磐田戦でチームメイトの奥大介がパスを出さない事に腹を立て、奥を後ろから蹴ったetc…。
  3. 最後の一件が原因となり、マリノスを解雇。翌2003年はコンサドーレに復帰したが怪我に悩まされ、更にリハビリ中に札幌の居酒屋で暴行事件を起こしてしまう。
    • 罰金などの処分にとどまったが、処分が甘すぎると北海道新聞がウィルとコンサドーレのフロントの処分内容を激しく糾弾。
      • その後レンタルで古巣のトリニータに復帰したが活躍出来ず2003年限りでクラブを退団。
  4. しかしピッチの外ではサポーターと交流するなど極めて温厚な性格で、また上記の素行と高所恐怖症・ウクレレ好きなどの人間臭さとのギャップから「俺王」のニックネーム(札幌ではその功績から「俺王様」とも呼ばれた)でサポーターからは親しまれた。
ゲルト・エンゲルス
  1. 1998年10月に横浜フリューゲルスの監督に就任するも、その直後にフリューゲルスの合併(事実上の消滅)が発表。
    • 合併発表以降のリーグ戦・天皇杯全試合に勝利するも、結局チームは解散…。
      • エンゲルスはフリューゲルスの天皇杯優勝後に「カップ戦優勝チームが消滅するなんてドイツではあり得ない」と語った。
  2. 1999年にジェフユナイテッド市原の監督に就任したが、成績不振によりファーストステージ限りで解任。
  3. 2000年6月から加茂周の解任に伴い京都パープルサンガの監督に昇格。J2への降格を食い止めることは出来なかったものの翌2001年はJ2優勝。翌2002年もJ1で総合5位の好成績を残し、天皇杯も優勝。
    • 関西のJリーグのクラブでは初めてのタイトルだった。
      • しかし2003年はオランダ・PSVに移籍した朴智星の穴を埋めきれず、6月に解任。サンガもJ2へ逆戻り。
  4. 2004年2月から浦和レッズのヘッドコーチに就任。ブッフバルト、オジェックをサポートし、2006年の浦和のJ1優勝に貢献する。
    • 2008年3月にオジェックの解任に伴い監督に昇格。一時期リーグ戦9試合負けなしと好成績を収めたが、北京オリンピックの中断期間終了後は失速。
      • 当時の主力だった永井雄一郎がエンゲルスの采配を公然と批判する事態にも発展。
        • 永井はこの年限りで浦和を退団し、清水エスパルスへ移籍。
      • 結局33節のガンバ大阪戦に敗れ5年ぶりの無冠が決定したところで解任。
  5. 2011年10月よりモザンビーク代表の監督に就任するも、ブラジルワールドカップ・アフリカ予選の途中で成績不振を理由に解任。
奥大介
  1. 引退後が残念だった。
    • 2013年、妻の佐伯日菜子へのDV容疑で逮捕。起訴猶予となったもののそれと引き換えに離婚。
    • 翌年、宮古島で再出発を目指そうとした矢先に交通事故で死亡。
小倉隆史
  1. 2016年に名古屋グランパスのGM兼監督を務めるも、クラブ史上最悪となるリーグ戦17戦未勝利の成績不振で休養、クラブも史上初のJ2降格。
イビチャ・オシム
  1. 2010南アフリカワールドカップを目指す日本代表監督に就任したが、脳梗塞に倒れ1年ほどで退任。
ジョゼ・オスカー・ベルナルディ
  1. 当時JFLだった京都パープルサンガをJリーグに導いたが、Jリーグ初年度は開幕17連敗を喫し途中で解任された。
釜本邦茂
  1. ガンバ大阪初代監督を務めたが、1年目は年間7位、2年目は10位と奮わなかった。
加茂周
  1. 1998フランスワールドカップを目指す日本代表の監督を務めたが、アジア最終予選での苦戦により途中で更迭された。
  2. 1999年、京都の監督に就任も、成績不振のため翌年6月に解任された。
木村和司
  1. マリノス監督としては1年目は8位に低迷、2年目は首位争いに加わるも秋に失速して5位に終わり、結果に拘った守備的なサッカーに「内容がない」と判断され解任。
小林大悟
  1. 2005年にヴェルディのJ2降格が決まると「必ず1年でJ1に復帰します」と決意を固めたが、フロントとの確執が原因で大宮に移籍。発表後にブログが炎上し一時閉鎖に追い込まれた。
  2. その後、ヨーロッパを経て清水で日本復帰を果たすも、持病の腰痛が悪化したため出場機会に恵まれず、手術も行い長期欠場。
ジネディーヌ・ジダン
  1. 選手と監督の双方で素晴らしい業績を残した人物だが気性の荒さで問題を起こしたことがある。
    • 有名な06年W杯の決勝での事件以前にも相手選手に頭突きを喰らわせて出場停止になったことがある。
    • 他にも相手選手踏み付けやロッカールームの扉破壊といった前科も。
城彰二
  1. エースストライカーとして臨んだ1998年のフランスワールドカップで得点を決めることが出来ず、帰国後に水をかけられてしまった。
反町康治
  1. 2008北京五輪日本代表監督に就任するが、U-23となったアトランタ大会以降初の全敗に終わった。
柱谷哲二
  1. 現役時代は「闘将」と呼ばれ活躍したが、監督としては2002年のコンサドーレ札幌では公式戦13戦わずか2勝で途中解任(チームもJ2降格)、2008年の東京ヴェルディでも降格に導いてしまうなど不甲斐ないため、「凍傷」に変わってしまった。
早野宏史
  1. 1999年からガンバの監督を務めるが、成績が上向かず2001年2ndステージ途中で辞任。
  2. 2004年シーズン途中より柏の監督も務めたが、同年は最下位で入替戦行き、翌年にJ2降格。
福田正博
  1. 2002年2ndステージ名古屋戦で現役最後となるゴールを決め、お立ち台で「負けないよ」(「負けられないよ」の言い間違いだとか)と言い放ったが、この試合で首位に立った浦和は以降のリーグ戦全敗、カップ戦も敗退、翌年まで公式戦11連敗、12戦未勝利の長い低迷期に入ってしまった。
  2. クラブタイトルに縁がなかった。
    • 浦和の初タイトルは引退翌年の2003年のナビスコ杯だった。
    • 2008年から2年間コーチも務めたが、無冠に終わった。
松木安太郎
  1. セレッソ大阪監督としてはJリーグ1試合最多失点記録を出すなど成績不振により1年で解任。
  2. その後ヴェルディ監督に復帰も、半年で解任された。
  3. サッカー代表戦の解説によく呼ばれるが、とにかくうるさいと評判。
ディエゴ・マラドーナ
  1. 一部からは神様扱いをされるほどの伝説的な名選手だったが現役時代からスキャンダルが付きまとっていた。
    • 特にドーピングや麻薬使用などクスリ関連の問題が多かった。
    • マフィアとのつながりが噂されたこともある。
    • 空気銃乱射やインタビューでの暴言などマスコミとも関係がよくない。
  2. 引退後は不摂生な生活のせいで一時期体重120kgを超えていたこともある。
三浦知良
  1. とにかくワールドカップに縁がない。1994年アメリカ大会はかの「ドーハの悲劇」、1998年フランス大会は日本初出場を果たすも自身は本大会直前で外れてしまった。
山下芳輝
  1. 所属した福岡、仙台、柏が悉くJ2降格してしまい、「降格請負人」「疫病神」などと揶揄された。
  2. 2005年シーズン途中、大宮に期限付き移籍。こっちでは残留したものの、短期間で降格した柏に戻り翌シーズンJ2でのプレーになった。
  3. 選手晩年はいずれも当時JFLの栃木、琉球でプレーした。
ラモス瑠偉
  1. FC岐阜監督時代は1年目こそ順位を上げたものの、2年目はあわやJ3降格の成績に終わり、3年目は途中解任された。
ゲーリー・リネカー
  1. Jリーグ発足時に名古屋に当時のJ最高年俸で移籍するが、2シーズン在籍で目立った活躍はなかった。
呂比須ワグナー
  1. 2012年シーズンのガンバの監督就任オファーを受けるも、当時はS級ライセンスを持っていなかったため、表向きはヘッドコーチだった。
  2. その後、S級ライセンスが認められ、2017年シーズン途中にアルビレックス新潟監督就任も、16戦未勝利でJ2降格。
和田拓三
  1. 5年間で所属した横浜FC、ヴェルディ、千葉、福岡の4クラブをJ2降格させてしまった。

試合・シーズン展開

世界

1934FIFAワールドカップ
  1. 開催国イタリアの代表選手の大半がアルゼンチンからの帰化選手。
  2. 審判もムッソリーニに忖度してまともなジャッジができなかった。
  3. 前回優勝のウルグアイは自国開催だった前回大会に欧州勢があまり参加しなかったことに抗議するため不参加。
1966FIFAワールドカップ
  1. グループ4でイタリア北朝鮮に敗れる大波乱。
    • 帰国後、イタリアの選手はファンから腐った卵やトマトを投げつけられた。
  2. 開催国のイングランドが優勝したが、一方で決勝(イングランド対ドイツ)戦のハーストのゴールはノーゴールだったのでは?という疑惑がある。
1994FIFAワールドカップ
  1. グループリーグ終了後、コロンビア代表のアンドレス・エスコバルが射殺された。
    • この事件の影響か大会終了後、日本サッカー協会はオウンゴールの名称をそれまで使われていた「自殺点」から「オウンゴール」に変更する事を発表した。
  2. マラドーナ(アルゼンチン代表)が大会中のドーピング検査で陽性と判定され大会から追放。
  3. 日本は「ドーハの悲劇」で、フランスは「パリの悲劇」で、それぞれ出場を逃した。
  4. グループCのドイツ対韓国戦で、ドイツサポーターからのブーイングに対して中指を突き立てたシュテファン・エッフェンベルクが強制帰国。
  5. 最後はロベルト・バッジョのPK失敗で幕を閉じた。
2002FIFAワールドカップ
  1. 開催までの経緯がすでにざんねん。
  2. 共同開催になった関係で使用スタジアムを間引きして悲喜こもごも。
  3. FIFA100年の歴史というDVD中の誤審のコーナーで半分を占めるほどの誤審が相次いだ。誤審が出たのが韓国の相手に集中した事から審判買収説まで出るほど…。
    • FIFAの調査では買収の事実は認められなかったそうだが、そもそも当時のFIFAの副会長が韓国人だったという時点でお察し下さいとしか…。
2010FIFAワールドカップ
  1. 音(ブブゼラ)がざんねん。
    • フランスの中継では「この音の周波数だけ音量を下げる」という対処までしたとか。
  2. ボールがざんねん…を通り越していた(ポストの上的な意味で)。
2014FIFAワールドカップ準決勝 ブラジル対ドイツ
  1. 開催国として出場したブラジルが準決勝でドイツに1対7で大敗を喫した 「ミネイロンの惨劇」 。現地では自殺者が出るほどの大事件につながった。
  2. ブラジルのメディアは選手を痛烈に批判。
    • エストラ紙は「これまでブラジルサッカー界最大の恥辱として批判され続けてきた1950年の準優勝メンバーにおめでとうを言いたい。昨日我々は本当の恥辱とは何かを知った」と逆説的にブラジル代表を皮肉った。
      • Lance紙はほぼ白紙、metro紙は真っ暗な中に浮かび上がる1-7のスコアボードという、一見手抜きにも見える悲しみを1面にした。
        • Lance紙に関してはあなたの今の気持ちを教えてほしい、そしてあなた自身の一面を作ってほしいというコンセプトでこのほぼ白紙の一面を出したとのこと。
      • ジア紙に関しては当時のブラジル監督を「地獄へ行け」と一面で断じた。
  3. 次のロシア大会でブラジルは準々決勝まで進出したが、ドイツは…。

日本

1993年Jリーグチャンピオンシップ第2戦 鹿島アントラーズ対ヴェルディ川崎
  1. Jリーグ初代チャンピオンが決まる一戦だったが、カズのPK蹴る前にジーコがボールに唾を吐き退場。そのPKが決まり試合は1-1で終わり、1戦目を獲ったヴェルディが初代チャンピオンに。
1997年JFL コンサドーレ札幌対川崎フロンターレ
  1. 札幌がJFLからJリーグに昇格を決めた年であり、ホームの厚別では無敗で「厚別不敗神話」が生まれたシーズンでもある。
  2. 川崎フロンターレとH&Aで2戦しており、2回とも後半終盤まで1-3で押されていたところを、バルデスのゴールラッシュでひっくり返し、2戦ともVゴール勝ちを拾うことができた。
    • ここで川崎との勝ち運を使い果たしてしまったのか、以降、対戦の舞台をJリーグに移すも、2019年現在までリーグ戦で一度も川崎に勝つことができていない。(公式戦ではカップ戦で1度勝ったきり)
1999年のベルマーレ平塚
  1. メインスポンサーだったフジタの経営不振により、主力選手(呂比須ワグナー、名塚善寛、小島伸幸、田坂和昭、洪明甫)が他のクラブへ移籍。
  2. J1は1stステージ・2ndステージ共に最下位に終わり、J2への降格が決まってしまった。
1999年J1最終戦 浦和レッズ対サンフレッチェ広島戦
  1. 他チームの試合が終了し、浦和の降格が既に決定した段階での延長戦後半、福田正博による 「世界で一番悲しいVゴール」 。
    • Vゴールを決めた直後の福田に池田学が抱きついてきたが、実は当時新人だった池田には試合に集中させるため、延長戦に突入した時点で降格が決定したことを伝えていなかった。
2000年の柏レイソル
  1. 年間総勝ち点でリーグ最多となったものの、最終節の鹿島戦でスコアレスドローに終わりチャンピオンシップを逃した。
    • 年間最多勝ち点クラブがチャンピオンシップを逃したのはこれが唯一である。
2000年のヴァンフォーレ甲府
  1. 第4節のベガルタ仙台戦の勝利を最後に、第33節のアルビレックス新潟戦に勝利するまで、6連敗と19連敗を含む26試合未勝利を記録してしまった。
  2. 入場者数も浦和レッズ戦を除き3000人を超えた試合が開幕戦のみであり、1000人を割る試合が5試合もあった。
  3. 途中退団者が発生し選手が不足したことから、フィジカルトレーナーだった鶴田道弘と急遽プロ契約を結んだ。
2002年度全国高校選手権岡山県大会決勝 作陽対水島工業
  1. 延長前半に作陽の青山敏弘が放ったシュートが決まったかに見えてVゴールで作陽の勝ちと思われたが、ボールはポストに当たって跳ね返ったのを水島工のGKキャッチしたため主審が思い込みでノーゴールと判定。試合はPK戦までもつれ水島工が勝利し全国大会へ。
  2. しかし、このノーゴール判定に作陽が抗議し、誤審と認める結果になったが、試合結果までは覆らず再試合もなし。
  3. 一方の水島工は試合後に世間から大きな非難を浴び、退部者も出た。本大会も秋田商業に1-3で初戦敗退。
2009年 J2第8節 東京ヴェルディ対サガン鳥栖
  1. 試合が開始して、わずか9秒でヴェルディの菅原がレッドカードを貰って一発退場。
  2. 開始初っ端から退場者が出て、数的に優位のはずのサガン鳥栖だが、いざ試合が終わってみたら2-0でヴェルディが勝ってしまった。
2009年のジェフユナイテッド市原・千葉
  1. 古河電工時代から2部降格がなかったが、ついに初のJ2降格が決まってしまった。
2012年度全国高校選手権決勝 京都橘対鵬翔
  1. 予定されていた2013年1月14日は大雪に見舞われた為延期。
  2. 19日に改めて行われたが、センター試験と重なり(両校とも進学校だが幸いにも出場選手は誰も受けなかった)、生中継もtvkとMRTの2局にとどまった。
2013年の大分トリニータ・2014年の徳島ヴォルティス
  1. どちらも1年間、ホームでの勝利が全くなかった。
2014年 J1第2節 浦和レッズ対サガン鳥栖
  1. 浦和サポーターが差別的横断幕を掲げたため、次のホームである第4節清水戦を無観客試合とする処分が下された。
2014年 J1第34節 アルビレックス新潟対柏レイソル
  1. 試合会場のデンカビッグスワンが大雪により試合中止。翌々日に鹿島の本拠地であるカシマスタジアムで代替開催となり、新潟はシーズン最終戦を本拠地で開催できなかった。
    • 翌日以降も雪で状況の改善が見込めない、アウォーズが3日後で早期の成績確定が必要など色々な要因があった。
2015年の大分トリニータ
  1. J2降格から2年目のシーズンだったがまさかのJ3降格。J1経験クラブ初のJ3となってしまった。
    • しかも、大分は2008年にJリーグカップを制したため、タイトル保有チームでも初の降格となってしまった。
2016年の名古屋グランパス
  1. シーズン後半で敗けが続いた結果、年間成績が16位となり翌年はJ2リーグに降格してしまった。これによりJリーグ発足当初から参加している 「オリジナル10」 でJ2以下への降格経験がないのは鹿島アントラーズと横浜F・マリノスのみになってしまった。
2017年のブラウブリッツ秋田
  1. J3優勝を果たしたものの、Jリーグのクラブライセンス制度を満たしておらずJ2に昇格できなかった。なお、同年2位の栃木SCはJ2どころかJ1ライセンスを保有していたため、こちらはJ2に昇格できた。
2018年 J1第33節 清水エスパルス対ヴィッセル神戸
  1. 審判のジャッジミスで、後半アディショナルタイム(AT)が20分近くも取られたという、世にも珍しい誤審が話題になった試合。
    • 後半ATは当初4分の表示であったが、ATに入ってから接触プレーが続く荒れた展開となり、それでプレーが止まるたびにプレイ時間を上乗せしていった結果、延びに延びて18分50秒という長い時間となった。
    • ATに入って13分経過したところで、セットプレーから清水GKの六反がゴールを決め3-3のドローに持ち込む。
    • いつまで経っても終わらない試合に両チームの選手のイライラが募り、神戸のウェリントンが清水の選手を倒して警告を受けたことで両チーム一触即発の乱闘騒ぎになる。
      • 結果的に2枚のイエローカードを受け、退場になったウェリントンは、ピッチから去る際に、ATでゴールを決めた六反を投げ飛ばすという暴挙に出る。
  2. 神戸にしてみれば、ATに入るまでは勝っていたのに、常識はずれの延長時間のせいでGKに同点ゴールを決められるわ、退場者を出すわで踏んだり蹴ったりである。
  3. 清水にしてみれば、何とか同点にできたものの、ケガ人が続出するわ、引退により最終試合となる兵働のセレモニーにケチが付くような結果になるわで踏んだり蹴ったりである。
2019年8月17日 J1リーグ第23節 清水エスパルス対北海道コンサドーレ札幌
  1. 前半終了時点で0-2だったのが、後半の札幌の猛攻により最終的に札幌の8得点で完封勝ち。
    • しかも清水はゴールキーパーを交代しなかった。
2019年8月23日 J1リーグ第24節 サガン鳥栖対ヴィッセル神戸
  1. フェルナンド・トーレスの引退試合だったが鳥栖が1対6で敗戦。
  2. この試合は神戸も、アンドレス・イニエスタが前半45分に左大腿付近を負傷したため途中交代となってしまった。
2019年のFC東京
  1. ラグビーワールドカップが本拠地の味の素スタジアムで開催され、その上味スタ以上の同じ規模で他チームに影響なく使えるスタジアムが都内にはないことなどにより、第23節 (8月24日) から第31節 (11月9日) までアウェイ8連戦を余儀なくされた。
    • その直前の期間で変則的にホーム3連戦が2度行われることとなった。
  2. 前半戦で主力として活躍していた久保建英が、シーズン中にレアル・マドリードに完全移籍した。

スタジアム

宮城スタジアム(ひとめぼれスタジアム)
  1. 2002 FIFAワールドカップの会場の一つだが、最寄駅から遠すぎるなどの理由でその後はほとんど使われず。
  2. オマケにそのワールドカップで日本トルコに敗れてしまった。
柏の葉公園総合競技場
  1. 陸上競技場だったために柏レイソルのサポーターからの評判が悪く、Jリーグの試合は開催されなくなった。
国立霞ヶ丘競技場
  1. FIFAが定める座席数に届かなかったため、2002 FIFAワールドカップを開催できなかった。
  2. 一般的には単に「国立競技場」と呼ばれている。
    • 「霞ヶ丘」という地名があまり知られていないような気がする。
東京スタジアム(味の素スタジアム)
  1. 当初は陸上競技場として開業予定だったが、サブグラウンドの竣工が遅れたため、トラックに人工芝を敷いて球技場として開業。
  2. その後サブグラウンドが完成して陸上競技場になったが、利用料が高額なことや人工芝を外す手間などから陸上競技場としては使われなくなった。
  3. そのため実質陸上競技場ではないのにピッチとスタンドの距離が遠く観戦しづらい。
  4. 2002年のFIFAワールドカップに使用されなかった。
横浜国際総合競技場(日産スタジアム)
  1. フットボール観戦ではあまりにもピッチが遠かったり、1階スタンド傾斜が緩いなど劣悪な状態にある。
  2. 野球の横浜スタジアムとよく混同される
    • そのためスポンサーをつけて「日産スタジアム」と呼ばれるようになった。
  3. 2008年オリンピック招致を睨んで建設されたが、国内選考で大阪に敗れた。
豊田スタジアム
  1. 2002 FIFAワールドカップ会場から落選。
  2. 開閉式屋根が付いているものの、コストの問題から開けっ放しに…。
  3. 名古屋グランパスが準本拠地として使用しているが、勝率が悪く鬼門と化している。
御崎公園球技場(ノエビアスタジアム神戸)
  1. 開閉式屋根を付けたため芝の生育状況が悪くなり、ヴィッセルが移転を検討するほどに。
広島広域公園陸上競技場(エディオンスタジアム)
  1. 2002 FIFAワールドカップの開催条件となっていた改修が費用対効果に合わないと断念され、落選。
  2. 陸上競技場のため見づらい、アクセスもいまひとつなため広島サポは新スタジアム建設を待ち望んでいる、

関連項目