ページ「もし今でも『アメリカ横断ウルトラクイズ』が続いていたら」と「もし今でも『ザ・ベストテン』が続いていたら」の間の差分

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1992年を最後に打ち切られてしまった[[アメリカ横断ウルトラクイズファン|アメリカ横断ウルトラクイズ]](1998年に1度復活したが)。もし打ち切られていなかったら?
#「CDTV」は番組自体が存在しない。


#2001年はテロの影響で中止になっていたかもしれない。
[[Category:歴史のif検討委員会|さ へすとてん]]
#*復活しても反米テロの標的になっていた可能性も。
#*それ以前に中止になった年があるのでは?(1995年=阪神・淡路大震災、2008年=世界金融危機、2009年=新型インフルエンザの影響)
#*あったとしても第9回や今世紀最後と同様にNYが決勝になっていない。
#福沢朗が数年司会者を務めたのち、羽鳥慎一にバトンタッチ。
#*そしてラルフにスイッチ。
#**この調子だと次は菅谷大介…かな?
#***桝太一のようです。
#放送時間は史実の「今世紀最後」のように120~150分×2回程度に縮小されていた。
#*当然チェックポイントも縮小されていた。
#*東京ドーム~ハワイが前編、アメリカ本土上陸以降が後編となった。
#大学のクイズ研究会が現実よりも多数存続していた。
#*彼らが志向するクイズの難易度もウルトラレベルを超えることがなかった。
#**一方でオープン大会などでは「学生系」や「長文」への志向が史実以上に強まっていたと思われる。(他局のクイズ王番組も存続していれば尚更)
#1998年スタジオ司会は伊東四朗と松本明子だったが、続いていたら高島忠夫→伊東四朗ではあるが、松本明子ではなく[[日本テレビ|NTV]]の女子アナだった
#*西尾由佳理あたりか?
#「全国高校クイズ選手権」は1990年代末期~2000年辺りで終了。
#*むしろ統合され、高校生がアメリカ横断をしていくクイズ番組に。
#**地方予選を縮小し、チーム戦から個人戦に改められる。
#**春休みにあらかじめパスポートを取得。
#**第34回で実現するらしいですが…。
#*あったとしても、今のような知力偏向番組になることはなかった。
#というか、またやるらしいが(開局60周年までの5回限定とか)。
#*この金融危機では無理だろ?
#*北京五輪の時期に1回復活するつもりだったが没になったという。
#日テレはまれに見る経営難に陥っていたかも。
#当然「お笑いウルトラクイズ」の中断もなかった。
#打ち切るほどの経営、日本経済でなかった場合、[[もし南西放送が開局していたら|こうなった]]。
#*[[宮崎]]にも開局。
#**東国原知事は第4局(テレビ朝日系)開設まで公約にしただろうか。
#TBSかフジがユーラシア大陸横断ジャンボクイズを実施、ニューヨーク決戦という幻の企画も実現したかも。
#このご時世なので、優勝賞品は一層ケチ臭いものになっていた。
#TBSの「史上最強」、フジの「FNSクイズ王」も存続しており、さらにはテレ朝もクイズ王決定戦を立ち上げていたと思われる。
#*その名も「クイズステーション」
#*「ワールド・クイズ・クラシック」や「THE クイズ神」の様な各局のクイズ王同士が対決する番組は史実よりも早くから放送されていた。
#DSやWiiでもゲームが発売された。
#*GBAやGCも。
#他局のバラエティ番組で「ウルトラクイズでどこまで行けるか」といった企画が行われていた。
#1回くらいは海外の同様なクイズ番組とのコラボが実現していた。
#*実際にアメリカやイギリスでウルトラクイズを参考にしたクイズ番組が放送されていた。
#*史実通り続いていたら遅くても高Qで同様の企画があった大会の年(2006年)までにはやっている。
#徳光和夫のあのシュプレヒコールも健在。
#*しかし内容が問題になる頻度がだんだん上がっていった気がしてならない…。
#第21回大会(1997年)では、香港に上陸していた。
#*ちなみに史実では高Qが香港に上陸していた。
#どこかしらで罰ゲームにクレームを付ける視聴者が出てくる。
 
[[Category:もしあの番組が今でも続いていたら|あめりかおうたんうるとらくいす]]

2008年3月30日 (日) 00:13時点における版

  1. 「CDTV」は番組自体が存在しない。