もし三陸が1つの県だったら

2015年3月28日 (土) 11:26時点における>無いですによる版 (→‎全般)
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  • 現実の宮城県気仙沼以北と、岩手県の三陸沿岸が融合して、一つの県になっていたら。

全般

閉伊県
  1. 宮古が県庁所在地で「閉伊県」か、釜石が県庁所在地で「釜石県」になっている。
  2. 三陸が独立した行政区域になるため、現実と違って、内陸部の県庁から冷遇されることは起こらなかった。
    • 三陸沿岸と平泉が別の県になる為、平泉の社寺を世界遺産に登録しようという運動は起こらなかった。
  3. 「鴎の卵」が、閉伊県の名物菓子になっている。
  4. リアス式海岸なので、鹿嶋や小名浜のような大型コンビナートは建設されなかった。
    • 高度成長期の工業化は、史実の富山県のような方式で実施されていた。平たく言うと、1945年以前の伝統産業と、1945年以後の重工業が融和されているような方式。
  5. 第二次大戦前の国立高専として、釜石高等工業学校と宮古高等商業学校が存在した。これらは、第二次大戦後の学制改革により合併され、「閉伊大学」となっている。
    • 「閉伊大学」には、海洋工学に関する学部も設置されている。
    • 宮古キャンパスには一県一医大構想で医学部も新設され、史実よりも医療過疎が改善されていた。
    • 平成に入って「閉伊県立大学」が設立され、看護学部のほか遠野キャンパスに全国的にも珍しい民俗学部が立地していた。
  6. 「北東北広域連携推進協議会」には、言うまでもなく閉伊県も加入していた。
  7. 岩手県は東北地方では唯一の内陸県となっていた。
    • 閉伊県の分がないので最も広い「県」は福島になっていて、三陸や遠野の観光地がない分影が薄くなっている。
  8. 県域地方銀行として、「三陸銀行」と「閉伊銀行」が存在する。
  9. 高校スポーツ界では、釜石高校、宮古高校、宮古工業高校の3校が、花園の常連校になっていた。
    • 京都府(山城地方)と列んで、日本有数の「ラグビー王国」と呼ばれている可能性が高い。
    • 甲子園では、大船渡高校か閉伊県立高田高校が常連になっていた。
    • 当然、花園の常連校には、釜石工業高校も加わっている。
    • 宮古や釜石に作られた私立高校が県外からの留学生を集めてスポーツ強豪校になっていた。
  10. 昭和初期の大地震では閉伊県庁も津波被害を受けた。
    • それを教訓に、県庁はかなり内陸部に移転していた。
  11. 観光では、海の幸をテーマにしたグルメバトルが名物イベントになっている。
    • 山側の観光地としては、遠野や龍泉洞が定番。
  12. 県の出先機関などの地域区分は北から「九戸」「宮古(下閉伊)」「釜石遠野(上閉伊)」「県南(気仙・気仙沼)」の4つ。
  13. 右上の地図だと、旧本吉町は閉伊県に含まれていない…そして旧気仙沼市・旧唐桑町は気仙郡ではなく本吉郡なので、本吉郡が分断されていることになる。
    • 旧本吉町は平成の大合併で生活圏が近い気仙沼市に越県合併か、志津川町・歌津町とともに合併して本吉市になっていた(この世界では三陸=閉伊県のイメージが定着しすぎて南三陸という名称は付けにくいと思われるため)。
    • 史実では、同じ気仙郡だった気仙沼と大船渡が明治政府によって別の県にされた為に、気仙沼が宮城県本吉郡に入れられたんじゃなかったっけ?
  14. 平地が極端に少ないため、県庁所在地で人口集中する宮古市or釜石市には人口の割に高層マンションやオフィスビルが林立していた。
  15. 2012年の東北魂祭は閉伊県で開催され、宮古の船山車&手踊りか、釜石の虎舞が参戦していた。
    • 岩手県の開催は2014年以降になっていた。

交通

  1. 宮古が県庁所在地の場合、国道46号は宮古~盛岡秋田のルートになっていた。
    • この場合、東西連絡高速道路が開通した場合も、宮古~盛岡~秋田のルートで開通している。
  2. 三陸沿岸の鉄道路線の錯綜が起こらなかった。
    • 国鉄時代に、仙台~石巻~気仙沼~宮古~八戸のルートで、「三陸本線」が開通していた。
      • 三陸本線の特急列車として、「うみねこ号」「とど号」が走っている。
      • 東北新幹線開業後は宮古が県庁所在地の場合は山田線が、釜石が県庁所在地の場合は釜石線が改良され、新幹線に接続する特急列車が運行されていた。
        • そもそも山田線ではなく「宮古線」になっていた。
        • 電化されてのちにミニ新幹線が走っていたかもしれない。
      • 東北新幹線開業前には、常磐線と三陸本線を経由して上野(東京)と八戸を結ぶ「日本東海岸縦断特急」が運行されていた。
        • 湘南新宿ラインみたいに、三陸本線から常磐線に直接乗り入れする普通列車が運行されているかも。
      • 同じリアス式海岸の紀勢本線の全通が戦後なのを考えると国鉄時代に入らないと無理か…それでも史実よりは数十年早まっていただろうけど。
      • 閉伊県民の生命線であるため、東日本大震災の際も、BRTなどと中途半端なことはせず、県の強い要望で翌年までには全線鉄軌道で復旧していた。
      • 「本線」を名乗るなら、山陰本線に代わって「偉大なるローカル線」の異名を持っていたかも。
    • 史実の仙石線と気仙沼線が「三陸本線」に組み込まれ、小牛田と女川を結ぶ路線はそのまま「石巻線」になっていた。
      • 史実の大船渡線(気仙沼~一関)が「気仙沼線」を称していた。
      • 三陸本線の石巻~気仙沼は、前谷地を経由せず、飯野川を経由するルートになっている。
      • 岩泉線は小本方から先に建設されていたかもしれない。
  3. 徳島と同じく、「電車」が走っていない都道府県となっている。
    • 上記のように宮古線か釜石線が新幹線接続路線として電化されていたかも。
  4. 国道13号国道45号の経路が、史実と逆転していた。即ち、三陸沿岸が国道13号になり、山形県内陸と秋田県内陸が国道45号になっている。
    • むしろ45号の代わりに6号線を三陸海岸沿いに八戸(青森)まで延伸していそう(あとで復帰した沖縄以外の全都道府県庁所在地に30番台以下の直轄国道が必ず通っているから)。
      • または史実のR45→R14として以下の国道番号が1ずつずれるとか。
      • となれば、常磐沿岸が国道6号で、三陸沿岸が国道14号か。
  5. 三陸自動車道が、2000年代後半には仙台から宮古まで開通していたかもしれない。
    • この場合、三陸自動車道が開通した地域に、工業団地が建設されていた可能性も有る。
    • 山陰縦貫道や東九州道が21世紀になっても全通していないのを考えると二戸~久慈、盛岡~宮古、花巻~釜石、一関~気仙沼などの横断高速道路の方が優先されていそう。
  6. 宮古に本社を置くバス会社として、「三陸交通」が存在する。
    • 山田以北に岩手県北バスの路線バスは運行されておらず、山田以南に岩手県交通の路線バスは運行されていない。
  7. 高波災害を考慮して、空港は建設されず、ヘリポートが幾つか建設されていただろう。
    • 確かに平地が極端に少ない県土だから、列島改造以降の空港建設ラッシュでも空港を諦め、三沢・花巻・仙台空港へのアクセス強化を重視していたかもしれない(史実でも南紀白浜空港みたいな事例はあるけどさ)。
  8. 南北の幹線道路が、史実より多く建設・改良されていた。
    • 山側幹線国道である国道340号が、史実よりも改良されていた。
      • 住田から峠越え路線が開通して千廐を経由し、津山(宮城県)が国道340号の南側ターミナルになっていたかも。
    • 海側幹線国道(史実での国道45号)が3/11巨大地震で水没したことを考えれば、3/11巨大地震が起こる前に、国道340号と海側幹線国道の間に、もう一つの幹線「県道」が建設されていただろう。
      • 昭和三陸地震やチリ地震津波を教訓として県を挙げての一大事業と位置付けられバブル崩壊前までに完成していた。
    • 史実では国道45号のボトルネックのバイパスとして自動車専用道路(将来の三陸道)が少しずつ建設されているのに対して、この世界では国道45号の現道、45号のバイパス、更に三陸縦貫道と別々に整備され、良い意味で二重投資になっていた。
  9. 釜石が県庁所在地であるか否かに関わらず、釜石線は当初から省線か、軌間1067mmの花釜鉄道として建設された。越県連絡路線として整備が急がれ、難工事の末に昭和初期に鉄軌道での全通を果たしていた。
    • この世界では宮沢賢治はどこの軽便鉄道をモデルに「銀河鉄道の夜」を書いたのだろうか…??

メディア

  1. 当然、閉伊県には岩手日報の支局が存在しない。
    • 一応宮古市にだけ閉伊総局がある。閉伊県のトップシェアは下記の「閉伊日報」か?
      • 否、岩手日報は宮古に総局を設置しないだろう(茨城県水戸に下野新聞(栃木)の総局が設置されてないのと同じ)。
    • 県外の新聞だと、河北新報(宮城県仙台の地元紙)が宮古総局を設置している(河北新報は、東北の各県庁所在地に総局を設置している為)。
  2. 3/11巨大地震が発生した場合、新聞やテレビにおける県名は「閉伊」と表記され、「岩手」は表記されなかった。
  3. 県域テレビ局として「三陸テレビ」や「閉伊放送」が存在する。
    • NHKの県域放送局として、NHK宮古放送局が存在する。
      • 勿論、連続テレビ小説「あまちゃん」は、NHK宮古放送局が制作に関与し、NHK盛岡放送局は関与しなかった。
        • 「あまちゃん」の舞台となる架空の都市は、モデルである久慈を捩って「十字」になっていたかもしれない。
    • 宮古の民放テレビ局か、NHK宮古放送局のどれかが、「三陸・北上高原の昔話」というローカル番組を制作していただろう。
    • フジテレビの番組「HEY!HEY!HEY!」の公開ロケが、閉伊県内で実施されていたかも。
  4. 県域新聞として、「閉伊日報」(本社:宮古)が存在する。
    • 「三陸タイムス」とか「デイリーリアス」とかも頑張っていそう。
  5. 天気予報は、閉伊県北部として宮古(宮古地方気象台)、閉伊県南部として気仙沼(気仙沼測候所)の予報が報じられている。
  6. 史実の宮古エフエム放送は、「閉伊エフエム」か「エフエム宮古」という名称で、1980年代に設立された。設立に際しては、宮古の民放テレビ局のどれかが関与した。