もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本
2016年2月21日 (日) 17:16時点における>Mf Bunkyo Districtによる版
大阪環状線
建設されていなかったら
- 現在も天王寺~京橋~大阪が城東線・大阪~西九条~桜島間が西成線と呼ばれている。
- 列車の運行は天王寺~大阪~桜島間となっている。
- むしろ関西本線天王寺以西が複々線化されて湊町(JR難波)折り返しとなる。
- JR難波駅はくろしおやはるかなどの特急列車の始発駅になっていた。
- OCATは地上11階建ての「なんばMIO」になっていた。なんばウォークもJR難波駅前まで延長されていた。
- 列車の運行は天王寺~大阪~桜島間となっている。
- 交通科学博物館は弁天町にない。
- 梅小路蒸気機関車館とともに京都にあったかもしれない。
- 弁天町駅周辺の再開発計画もなく、ORC200も建設されていない。
- 長堀鶴見緑地線の終点は大正ではなかった。
- 大正区は市電廃止後鉄道のない区になっていたことから区内には昭和のうちに地下鉄が開業していた。長堀鶴見緑地線ではなく千日前線が延伸されていたかもしれない。
- 千日前線が千日前方面でなく大正方面に延伸で、野田阪神から大阪空港方面に伸びていた。
- その頃はまだ大正区の造船や鉄鋼業などが元気だったから。
- 四つ橋線難波駅の駅名は今でも「難波元町駅」のまま。
- 一方、長堀鶴見緑地線は大正(史実とは異なり千代崎に近い場所に駅が設けられる)から境川、市岡元町を経て弁天町に路線が延びていた。
- 千日前線が千日前方面でなく大正方面に延伸で、野田阪神から大阪空港方面に伸びていた。
- 大正区は市電廃止後鉄道のない区になっていたことから区内には昭和のうちに地下鉄が開業していた。長堀鶴見緑地線ではなく千日前線が延伸されていたかもしれない。
- 阪神なんば線は昭和のうちに開業していた。
- なにわ筋線も阪和線の延長として国鉄時代に開業している。
- 「くろしお」や「はるか」はもちろんのこと、関空・紀州路快速や大和路快速もこちらを経由するようになっていた。
- 関空快速は、京都行になり、「はるか」は、金持ちのガイジンさんが散財するためだけのものとなっていた。
- 「くろしお」や「はるか」はもちろんのこと、関空・紀州路快速や大和路快速もこちらを経由するようになっていた。
- 路線名はなんば線ではなく西大阪線のまま。桜川-西九条のルートも史実とは異なり、大正橋・境川を経由するルートだった可能性も。
- JR東西線も大阪駅を経由する形で早期に開業していた。
- なにわ筋線も阪和線の延長として国鉄時代に開業している。
- 新今宮駅がないわけだから、南海天王寺線は現存している。
- JR難波も今みたいな凋落ぶりではない。どころか汐見橋にも好影響を与えていたはず。
- しかし、地下鉄が大正方面にできるまでの話。
- ただ、城東線が湊町に延長されていたら話は別で、天王寺-湊町の電化・複々線化に合わせて新今宮駅も開業し、その後の天王寺線は史実と同じ経過を辿っていた。
- JR難波も今みたいな凋落ぶりではない。どころか汐見橋にも好影響を与えていたはず。
- 天保山方面の開発は遅れていた。貨物線は残っているとしても。
- 戦後直後に大阪市が地下鉄で環状線を建設した。
- 市電がいまでも走っている。
- 大阪ドームは現在地に作られなかった。
- 当初の予定通り天王寺公園に建設されていたかもしれない。
東側にも退避駅があったら
- 関空快速なども快速運転していたかもしれない
- 昔は天満と桜ノ宮を通過してました。
JR東西線
国鉄時代に開業していたら
もともとJR東西線は片福連絡線として国鉄時代に計画され、1981年に運輸省から認可されたもの。国鉄の財政難で着工・開業がJR化後にずれ込んだが、もし国鉄時代に開業を果たしていたら?
- おそらく大阪駅経由になっていた。
- JR東西線という路線名にはならなかった。
- 片町駅は現実の大阪城北詰駅の場所で地下化されて存続。
- 片町線・福知山線に203系が投入されていた。
- あるいは常磐緩行線から103系1000番台が転入していた。
- もしかしたら207系900番台がこっちに投入されたかも。
- カナリアとオレンジの帯を巻く。
- 片町線の快速運転は史実より早く開始されていた。
- 大阪城北詰は片町、大阪天満宮は南森町、北新地は桜橋、新福島は福島、海老江は野田阪神駅、御幣島は歌島橋、加島は竹島となっていた。
- 某所で竹島駅がネタにされる。
- JR西日本ですら野田阪神の仮称を捨てたのに国鉄が(地名化しているとはいえ)他社名を含む駅名を採用するなど尚更ありえない。
- 北新地は桜橋の仮称ではなく片町線大阪駅となっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。
待避線が設けられていたら
- おそらく待避線設置駅は御幣島・大阪天満宮
- 東西線新快速は予定通り運転される。
- おおさか東線直通快速も増発
- 関連項目
片町線
天満橋乗り入れが実現していたら
1960年代、片町線を片町から天満橋に延長する計画がありましたが結局実現しませんでした。もしこの時片町線が天満橋に延長していたら…
- 片町線沿線は現実より早く発展していた。
- 木津までの全線電化も国鉄時代に実現していたかも。
- 天満橋駅は地上駅となっていた。
- その後JR東西線開業時に片町駅ともども地下化。
- 京阪の地上ホームを間借りする形になっていたかもしれない。
- JR東西線の起点は天満橋駅となり、そこから現実の京阪中之島線のルートで中之島に向かっていた。
- 中之島からは海老江を経て尼崎に向かう。
- JR東西線は淀屋橋経由かもしれない。
- 中之島からは海老江を経て尼崎に向かう。
- 京阪中之島線は建設されず、代わって京橋からJR東西線のルートで北新地を経て福島に向かう新線ができていた。
- 福島からは阪神本線に直通。
- 現実の北新地駅が「京阪梅田」という名前にになっていた。
- 京都市中心部と堂島・桜橋の間の移動は京阪が主流になっていた。
- 片町駅が廃止されることは無かったため、学研都市線の愛称よりもまだ片町線の正式名称で親しまれていた可能性も。
- 車両は天満橋延長と同時に、武蔵野線同様に防火対策改造を施した101系1000番台が投入され、旧型国電は史実より早く姿を消していた。
- もし天満橋延長が大阪万博と同時期なら、自動改札機も天満橋駅に国鉄で最も早く設置されていた。
湖西線
大阪直通ルートが片町線経由だったら
1974年に関西と北陸の短絡ルートとして開業した湖西線ですが、東海道本線の線路容量が限界に達することが懸念されたため、計画段階では東海道本線山科~片町線長尾間に新線を建設(桃山~新田間は奈良線を共用)し、片町線経由で大阪に乗り入れる構想もありました。結局この計画は中止になりましたが、もしこれが本当に実現していたら…
- JR東西線は湖西線開業と同時に開業していた。
- この場合「JR東西線」という路線名は付かず、別の路線名になっていたと思われる。
- 北新地は大阪に統合されており、大阪以東が片町線・以西が福知山線を名乗っていた。
- 当然環状線・東海道線とは改札内で乗換可能。
- 現実の総武快速線・横須賀線のような形態になっている。
- 北新地は大阪に統合されており、大阪以東が片町線・以西が福知山線を名乗っていた。
- この場合「JR東西線」という路線名は付かず、別の路線名になっていたと思われる。
- 「サンダーバード」「雷鳥」などの大阪発着北陸線特急は北新地駅発着となっていた。
- 北新地駅は近鉄と阪神の大阪難波駅と同様の構造となり、1線を特急列車が使用していた。
- 北陸線の特急は京都駅を経由しないため、代わりに山科駅に停車していた。
- 片町線と奈良線は湖西線開業と同時に全線が複線電化されていた。
- 山科から来た新線と奈良線との合流地点は桃山ではなく六地蔵付近となっていた。
- 六地蔵駅(JR)も史実より早く開業していた。
- 路線名は六地蔵~近江塩津間が「湖西線」となっていた。
- 新田~長尾間は「山城線」とかいう路線名が付けられた可能性がある。
- 京都市営地下鉄東西線の三条京阪~六地蔵間は建設されなかった。
- 京阪京津線は現在も京津三条駅発着。
- 長尾~吹田操車場間に貨物新線が建設されていた。
- 当初は貨物専用だったが、民営化後に旅客化され、京阪電鉄のライバルとなる。
- 京阪特急に対抗して奈良線経由で「京阪路快速」が運行されている。
- 結局北陸線特急はこれを経由して大阪駅発着に戻っていたかも。
- 当初は貨物専用だったが、民営化後に旅客化され、京阪電鉄のライバルとなる。
- 湖西線と大阪方面を結ぶ直通列車が増発されていた。
- 宇治市から大阪市内まで乗り換えなしで結ばれていた。
- 京阪宇治線の利用客は現実以上に減少していた。
- 琵琶湖線のダイヤは現実より良かった。
- 特急列車は結局、所要時間増しで京都・新大阪を通らないのを理由に計画段階で断念される。代わりに米原方面の貨物列車がこっちを経由するようになり、殆どが貨物列車となる。
- 実際には片町線に入った後、星田より先は新大阪までは、新幹線の鳥飼基地などを通る新線(現在のおおさか東線とは別)を経由する予定だったらしい。
北陸本線
敦賀駅以南が直流電化時に京都支社に編入されていたら
敦賀が直流になり、金沢支社のままでは色々な弊害が出てきました。京都支社になれば改善出来ると思います。
- 今のように新快速が近江今津で10分も止まる上に増解結があり、さらには乗務員交代だけでなく列車番号まで変わる・・・ということがなくなる。
- 時間帯によっては近江舞子以北で快速運転する速達タイプの新快速ができていた。
- 停車駅は安曇川・近江今津・近江塩津の3駅となっていた。
- 一部列車は敦賀まで8連で運行する。
- 小浜線が飛び地になるので、一緒に京都支社化または福知山支社化。
- 車両の表記は、「京ツル」「福ハマ」
- 敦賀~小浜が京都支社、小浜~東舞鶴が福知山支社
- 小浜線は京都支社じゃなくて福知山支社に入れ替えだろ。
- 小浜で支社を区切った奴が悪い。
- ICOCAは敦賀まで導入。新疋田は簡易改札。敦賀はICカード対応の自動改札機導入。
- 待合室のCHAOやホームの売店でもICOCAが使えるようになる。
- CHAOは金沢のものなので、CHAO閉店 → 跡地にDaily in 開店。
- 当然ICOCA使用可能。
- いやいや、キオスクだろ、キオスク
- CHAOは金沢のものなので、CHAO閉店 → 跡地にDaily in 開店。
- 新疋田に券売機は付くんですか?
- 近江塩津や余呉を見てる限り付かないのでは?
- 待合室のCHAOやホームの売店でもICOCAが使えるようになる。
- 敦賀港線で旅客営業するときは、どこが担当?
- 普通に考えたら京都でしょう。
- 永原折り返しはなくなる。
- 大阪近郊区間が敦賀駅まで拡大されていた。
- 名実共にアーバンネットワーク入りするだろうから、駅名標のラインカラーが変わる・・・ってことはないか。湖西線も特にラインカラーの設定はなかったはずだし。
- 列車接近音が、京都駅のテケテケか新大阪みたいなベル音になる
- 敦賀地域鉄道部は、当然京都支社管内に移管され、自動的に南今庄までが、京都支社の管轄となる。
紀勢本線
単線区間が全て複線化されていたら
- 特急がその分増発できる。
- 多少の動物の衝突事故があっても、さほど関係なくなる。
- 紀伊田辺以南は線形が特に悪いので、複線化に合わせて新線建設などの改良工事が行われていた。
- 和歌山県の過疎化速度が、悪くても鈍化していた。
熊野市~尾鷲間が建設されなかったら
紀勢本線の熊野市~尾鷲間は険しい地形の関係で同線では最後に開通した区間ですが、もし同区間が建設されなかったら…。
- 新宮~熊野市間はJR西日本に帰属している。
- 1978年の和歌山~新宮間と同時に電化されている。
- 三重県の熊野市以南は名古屋よりも大阪志向が強まっていた。
- 熊野市以南の地域では和歌山県への編入運動が起こっていた。
- 名古屋発着の特急「南紀」はなかったかもしれない。
- かわりに「くろしお」が熊野市発着となっている。
- 天王寺発着の夜行普通列車が「はやたま」に改称されず「南紀」のままだった。
- 「紀伊」の特急格上げもなかったか、和歌山線経由で和歌山に発着していた。
- JR化後は快速「みえ」に尾鷲編成が併結されていて、多気駅で分割併合が行われていた。
- 路線名は亀山~尾鷲が「紀勢東線」、熊野市~和歌山市間が「紀勢西線」となっている。
- 未だにJRバスが矢ノ川峠を登り降りしている。
- 2000年代半ば頃に三重交通へ路線譲渡されていた。
可部線
2003年に可部~三段峡間が廃止された可部線。もしこの可部線が別の道を辿ってたとしたらどうなっていたでしょう。
存在しなかったら
- 可部町・安佐町は広島市への編入が遅れていた。
- 芸備鉄道(現芸備線)が可部経由のルートになっていたら可部町についてはあまり変わらない。
- アストラムラインのルートが現実と大きく変わっていた。
全線廃止されていたら
可部までしか開業しなかったら
- 赤字83線にはならなかった。
- 桃鉄に三段峡駅(?駅)は存在しなかった。
- 三段峡の観光客数はずっと低調。
- 国道191号に沿った小規模な延伸が提案されていた。
河戸まで電化していたら
- 河戸が可部駅に、今の可部駅は南可部駅になっていた。
- 河戸駅があったのは「亀山1丁目」なのでそれはない。
- ここに関しては史実通りだとは思うけど、駅名と地名が一致しないなんてよくある事でしょ。
- 河戸駅があったのは「亀山1丁目」なのでそれはない。
- 廃止は河戸以北になっていた。
- おそらく「可部~河戸間電化と同時に河戸以遠廃止」という形になっていた。
浜田まで開業していたら
阪和線
最初から国鉄路線として開業していたら
- 駅間距離は現実よりも長くなっていた。
- 紀州路快速が日根野以南各駅停車になっても、駅数が少ないのでそれほど所要時間は延びなかった。
- 区間快速かB快速のどちらかが存在しない。
- 天王寺駅は当初から関西本線・大阪環状線と直通可能なようになっていた。
- 特急「くろしお」は国鉄時代から新大阪・京都発着となっていたほか、阪和線から大阪駅に直通する電車も国鉄時代から存在した。
- 「あすか」も阪和貨物線を経由せず天王寺に停車した。
- 東和歌山駅は阪和線が開業した時点で「和歌山」駅に改称されていた。
- 一時的にせよ南海の路線になることはなかったため、三国ヶ丘駅は開業しなかった。
- 遅くともJR化後に「地元からの要望」として開業したんじゃない?
- 阪和線じゃなくて、紀勢本線の一部かもしれない。
- 鳳までは戦前に複線電化されていたものの、鳳以南は長らく非電化、さらに日根野以南は単線であった。鳳-和歌山の複線電化はヨンサントオ改正時で、同時に雄ノ山峠越えの区間はトンネル新線に付け替えられて勾配が緩和された。
- 堺市駅は堺駅として開業していた。
- 2面3線の駅が現実より多かった。
複々線化されていたら
- 急行線ホームは堺市、三国ケ丘、鳳、和泉府中、東岸和田、熊取、日根野に設置。
- 阪和線のダイヤに余裕ができていた。
- 新快速か特別快速が設定されていた。
- おくれ出てもある程度緩和できた
大阪起点だったら
- 大阪駅のホームが増えていた
- 大阪環状線の大阪〜今宮間は複々線、今宮〜天王寺間は3複線となっていた
- 線路別複々線なので、福島・野田・芦原橋・大正には阪和線の駅は設けられなかった
- よって関空・紀州路快速は上記4駅を通過
- 線路別複々線なので、福島・野田・芦原橋・大正には阪和線の駅は設けられなかった
- 天王寺駅の阪和線ホームはなかった
- おそらく阪和線は複々線化されていた
- 阪和短絡線も複々線化
- 関空・紀州路快速は天王寺始発の環状線経由、普通の快速は大阪始発となっていた
- 各駅停車ももちろん大阪始発。しかし上記4駅は通過
- 和歌山県民は難波より梅田に行くようになっていた
大和路線
複々線化されていたら
- 複々線区間はJR難波~奈良
- 奈良折り返しの大和路快速が増えていた
- 大和路快速が飛ばしまくってた
- むしろ新快速になっていた
- ラッシュ時にはJR難波始発の大和路快速も設定され、増発されていた
- ラッシュ時は大阪方面からの五条行きも増えていた
- 近鉄に勝っていた