2007年2月6日 (火) 19:44時点における220.211.41.212 (トーク)による版 (→‎成祖・永楽帝)
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  1. 時代は「漢から明(かんからみん)」へ
  2. 日本から海賊が襲来。
    • 後半はほとんどが明の国民。
  3. ワコー船舶(株)の不祥事が問題になる。
    • その後ワコー船舶を乗っ取り朝鮮半島を荒らしまくる
    • その行為を「ワコーる」と言い習わしたらしい(風説)
  4. ヨーロッパの商人以上に活躍した冒険家がいた。
    • 誰だよ。
      • 鄭和さんだよ。キンタマがないのに冒険しまくった漢だい。
  5. たらこ唇の皇太子の威徳が近隣諸国に恐怖とともに伝わり、一部の国の海産加工品の名称にその影響を残す。
    • 逆、逆!>海産加工品の名称
  6. 日本で金色の寺を作った坊主将軍が「ワイの国と貿易してちょーだいな」と擦り寄ってくる。仕方なく貿易する。
    • 日本側はなぜか看護婦を連れてきたらしい。
    • 看護婦萌えわその頃から?!

太祖・洪武帝

  1. 乞食坊主から成り上がったチャイニーズ・ドリームの体現者。
  2. 人から坊主上がりだと言われると激怒した。
  3. 2種類の肖像画が残っているが、同じ人とは思えない。
  4. やたらめったら功臣を粛正したが、庶民には意外と人気があった。

建文帝

  1. 太祖の孫。彼の父(太祖の長男)は太祖より先に死んでしまった。
  2. 祖父さんが辺境の守りにと残してくれた叔父たちの軍勢を恐れ、取りつぶそうとしたが、逆に攻められてやられてしまったかわいそうな皇帝。

成祖・永楽帝

  1. 甥の建文帝を亡ぼして即位。
  2. しかし、建文帝が生きているのではないかと生涯びくびくし続けた人。
    • お気に入りの宦官・鄭和に、大艦隊を率いさせて南アジアやアラビアまで行かせ、大いに威武をふるったが、実は建文帝を探すためという裏の目的があったらしい。

仁宗・洪煕帝

宣宗・宣徳帝

英宗

  1. 宦官・王振に乗せられて、モンゴル征伐のために親征するがボロ負けし、捕虜になってしまった。野戦で捕虜になった皇帝は中国史上この人くらい。
  2. なんとか帰ってみると、弟の景泰帝が帝位に就いており、幽閉されてしまった。踏んだり蹴ったり。
  3. 景泰帝が病気になったので、ようやく英宗派の廷臣たちの力で皇帝に返り咲いた。同じ王朝で2回即位したのは中国史上この人くらい。

代宗・景泰帝

  1. 兄貴がモンゴルに囚われている隙に即位したが、病気になってひきずり下ろされた。

憲宗・成化帝

  1. 19歳年上の愛妾(萬貴妃=「お万の方」ってとこですな)に頭が上がらなかった。
  2. 他の女が成化帝のタネを身ごもると、萬貴妃が片っ端から堕胎させていたのを知らず、自分がタネ無しだと思いこんでいた。

孝宗・弘治帝

  1. 萬貴妃の魔の手を奇跡的に逃れて出生した幸運な人。
  2. 明朝の皇帝ではいちばんまともな人だったようだが、惜しくも35歳で病没。

武宗・正徳帝

  1. ラマ教にはまった。
  2. 16年の治世中、ほとんど朝廷に顔を出さなかった。

世宗・嘉靖帝

  1. 正徳帝の従弟だが、自分の実父にどういう称号を与えるかということで廷臣たちと大喧嘩し、以後24年間、ほとんど朝廷に顔を出さなかった。

穆宗・隆慶帝

神宗・万暦帝

  1. 48年間も在位していたが、ほとんど朝廷に顔を出さなかった。
  2. 豊臣秀吉の侵攻への対応で、財政は大赤字に。

光宗・泰昌帝

  1. 即位一ヶ月で謎の死をとげた。

熹宗・天啓帝

  1. 宦官・魏忠賢がやりたい放題。

毅宗・崇禎帝

  1. 意欲はあったが空回りばかりしていた人。ちょっと徳川慶喜に似ている。
  2. 李自成の大軍に包囲された北京城内で首を吊って自殺。宦官がひとり付き添っているだけだった(一説には、その宦官すら席を外していた)という、中国史上もっとも孤独な死をとげた皇帝。