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==こんな[[スーパーマリオシリーズファン|スーパーマリオ]]は嫌だ==
※編集される方は「[[Chakuwiki:お願い/ざんねんなモノ事典]]」をご覧ください。
#きのこやスターを取ると、小さくなるかやられてしまう。
*「選手」とありますが監督としてざんねんだった方も含みます。
#*敵キャラ全員踏んづけるだけでも小さくなるかやられてしまう。
==は行==
#*キノコを何重にも摂取するとその分だけ大きくなり、続けているうちに画面を覆いつくしてしまう大きさにまでなる。
;板東英二
#**マリオが超巨大化する作品ってあったよな確か。
#元祖・甲子園のエースとして活躍。中日ドラゴンズのピッチャーだったが・・・。
#スーパーキノコが[[北朝鮮|某国]]産。
#*中日時代、様々な副業に手を出して、ことごとく失敗したことがある。
#*むしろ[[中華人民共和国|ここ]]だろ。
#引退後、タレントや俳優、司会者として活躍。
#マリオが金正日。
#*そのころには、板東が中日ドラゴンズにいたことを知る者は少なくなっていた。
#*ルイージが金正男。
#何回か「水曜日のダウンタウン」に出演していたが・・・。
#3D化後のグラフィックがリアル路線。
#*2016年放送の「早朝リアル脱出ゲーム」では寝起きで機嫌が悪かったというのもあるが、企画内容を説明する仕掛け人の小峠の頭を叩くという行為をやらかした。
#*クリボーを踏むと飛び散る。
#**のちに企画の趣旨を理解し小峠に謝罪しなんとか企画は遂行され、事なきを得た。
#*マリオはMGSのスネーク張りのおっさんに。
#*2019年6月放送の「中継先にヤバめの素人が現れてもベテランリポーターなら華麗にさばける説」では最後に登場。
#キノコが嫌い。
#**ヤバ目の素人(役の男性)を強引に押しのけるなどのっけから不穏になり、そのままVTRからスタジオの画面に切り替わりVTRを見て唖然としているスタジオ出演者。最後のナレーションも「恐らくオンエアでは板東全カット」で締められた。
#一度バグワールドに入ると二度と戻れない。
#*2020年1月放送の「子供からもらった松ぼっくり、家まで持ち帰らざるを得ない説」でも最後に登場。最初は女の子からプレゼントされた松ぼっくりを嫌な顔をせず受け取ったが・・・。
#全てのステージが全自動マリオ。
#**ロケバス待ちの時間に松ぼっくりをポイ捨て。さらに仕掛け人の女の子から握手を頼まれても拒否するなどの鬼っぷりを見せてしまう。
#当たり判定がスペランカー並み。
#***その後スタッフがネタ晴らしをしたがその際、前回カットされたことに触れ「差別用語でも使ったらカットするんじゃないですか」「これから言うやつを使わなかったら2億ください」とスタッフに対し無理難題を突っ掛ける始末であり、またもスタジオ出演者をドン引きさせた。
#コインが百枚集まるたびに1UPキノコに交換しに行くムービーが流れる。
#消費税が導入されて1UPが100枚→103枚→105枚になった。
#*そして108枚になるんですね。わかります。
#*[[もし消費税が○○だったら|10%にもなる…遂に25%!]]
#ワールドを移動するごとにパスポートに押印されるムービーが流れる。
#本当に麻薬中毒者の幻覚をゲーム化したものだ。
#真のラスボスはピーチ姫。
#*クッパに誘拐されたのは実は狂言で、自分に言い寄ってくるマリオをカメ一族を使って抹殺しようとしていた。


==こんな大乱闘スマッシュブラザーズは嫌だ==
;張本勲
#舞台が[[兵庫|兵庫県]][[神戸市]][[神戸市/須磨区|○○区]]。
#現役当時は、喧嘩速さで有名。
#*もちろん[[サンテレビ|このテレビ局]]が全面バックアップ。
#*巨人時代、広島での試合の際、移動のバスに乗る時カープファンから野次られ、ブチ切れてバットを持って大暴れしたことがある。
#**もちろんおっ!サンも参戦。・・・勝てるかは知らんが。
#現役引退後は、東京放送(TBS)の解説者として活躍。「サンデーモーニング」のスポーツご意見番は、もはや彼の代名詞。
#*ステージは水族館
#*しかしながら、毎週賛否両論が相次ぐことが多い。
#ダメージ1パーセントで飛ぶ。
#**特に番組中で彼の意見を批判したフリージャーナリストの江川紹子を降板に追い込んでしまった事件は有名。
#アシストフィギュアがオタク向け美少女。
#**アドリブか利かず、台本通りにしか進行できない司会の関口宏に「'''喝'''」を入れることが何回かあった。
#他社キャラクターが参戦する。
#*[[THE IDOLM@STER|アイマス]]キャラが参戦して、大乱闘sm@shブラザーズ。
#*[[もしスマブラにあのキャラが登場したら|ここ]]に書かれているキャラクターが総出演。
#**むしろ希望w
#*代が進むとだんだん任天堂キャラがいなくなる。
#**ソニー以外はキャラクターを提供。スマブラ時期だけソニーが不調になる。
#(旧)CIが似ている、というだけで[[山陽電気鉄道]]がスポンサーに就く。
#ダメージを受けるとだんだん顔がボコボコになっていく。
#*マリオはともかく、ぜルダやマルスだと・・・
#観客が明らかに特定のキャラをえこひいきしている。
#キャラはフィギュアという設定なので激しい衝撃を受けると腕などがもげる。
#操作できるのは雑魚キャラや原作ではちょい役だったキャラばかり。
#*たまに主役級が出るときは聞いたこともないような古い作品からの参戦。
#CERO A作品お断りの「黒い任天堂バージョン」を出す。


==こんな[[鉄拳シリーズファン|鉄拳]]は嫌だ==
;平松政次
#某芸人のゲームだ。
#「カミソリシュート」と言われた速く切れ味鋭いシュートを武器に大洋ホエールズのエースとして通算201勝を挙げ、巨人キラーとしても有名だが、チームが弱かったせいもあって一度もリーグ優勝を経験できないまま引退した。
#*登場人物の顔が白塗り。
#*スケッチブックを持っている。
#*当然負けたら「ガビーン」。
#**そこは首をつって・・・でしょう。
#***それだと引っかかるだろう。
#*キャラの動きは全てパラパラ漫画で表現。
#技が少なすぎる。
#技コマンドの入力が難解。
#よく見たらタイトルが「鉄拳」ではなく「鉄研」だった。
#*鉄道研究部を舞台にした格ゲーであり、鉄道模型や線路で相手を殴る様になっている。
#*むしろ鉄道総研。リニアやフリーゲージトレインが突っ込む。


==こんな[[戦国BASARAファン|戦国BASARA]]は嫌だ==
;広岡達朗
#クールな真田幸村や、暑苦しい伊達政宗。
#川上哲治に対して「(自分の送球を)捕る努力をするべき」と言い放ち、川上との確執が表面化した後、追われるように巨人を辞めた。
#いかなる攻撃にも全くのノーダメージな(つまり倒せない)本多忠勝。
#吉田義男とは同じセ・リーグの遊撃手としてライバル関係にあったが、現役時代吉田は盗塁王を獲得するも広岡は無冠に甘んじ、吉田が阪神タイガースの、広岡が西武ライオンズの監督として対決した1985年の日本シリーズでも敗れている。
#すべて史実どおり。
#千葉ロッテマリーンズのGM時代にメジャー監督であるボビー・バレンタインを監督に招聘するも、野球観の違いなどから確執を起こし、1995年シーズンのロッテは2位であったにもかかわらずバレンタインを解任した。しかし翌年は一転して5位に転落し自らがGMを辞任する結果となった。
#よくみたら「熱気BASARA」だった。
#よくみたら「天国BASARA」だった。
#よくみたら「日産BASSARA」だった。
#コーエーの戦国無双相手に訴訟を起こす。
#*敗訴する。
#中の人つながりで銀魂の土方副長が登場し、Let's Partyする。
#その年に放送される大河ドラマとタイアップして毎年新作を発売している。そのため戦国時代どころかそれ以外の時代の人物も登場する。


==こんなスペランカーは嫌だ==
;福本豊
#史上最強と言われるほど、主人公が屈強。
#1988年の本拠地最終戦で、当時の阪急監督である上田監督がうっかり失言してしまったせいで引退させられてしまった。
#*当たり判定の基準が緩過ぎ、全然死なない。
#*上田監督「去る山田、そして福本」
#**おかげで誰でも一発でクリア可能。
#国民栄誉賞を辞退したのは、有名。
#**結果、クソゲーとすら認識されていない。
#*表向きは「立ちションベンもできんようになるがな」という理由だったが、実際は「王さんのように野球人の手本になれる自信がなかったから」と週刊ポストの記事でコメントしている。
#*後世では、江田島平八や範馬裕次郎と並び称されるキャラに。
#引退後は、ABCやサンテレビの解説が主な活動。
#コントローラーのボタンを押しただけで死ぬ。
#*しかし、必ず脱線することから「居酒屋中継」と呼ばれるように。
#**スコアボードに0が並ぶのを「たこ焼きみたいや」とか、延長戦突入で「加古川の人、帰られへんで」などに代表される、いわゆる「福本語録」が関西芸人のネタにされる始末。
#「世界の盗塁王」として有名だが・・・
#*西宮球場で、本物の競走馬と100メートル走対決をしたことがある。
#**因みにこのイベント、当初福本は断るつもりでいたが球団社長から「公表した以上取り止めるわけにはいかない。西宮球場に来てくれるファンのためにも…」と頼まれたため、「一晩悩んだ末に仕方なく」受諾した。


==こんな[[Grand Theft Autoシリーズファン|グランド・セフト・オート]]は嫌だ==
;藤井秀悟
#警察が実に真面目に仕事をする。
#ヤクルトのエースとして頭角を現し、2001年の日本一に貢献したが、数々のエピソードを残す。
#*ワイロなんてもちろん通用しない。
#*サッカー観戦で風邪を引く、「笑っていいとも!」に偶然観客として観覧していた所をすっぱ抜かれる、奇襲作戦を見抜かれるetc。
#*逮捕されると多額の罰金を払うか、刑期が終わるまで出てこられない。
#ヤクルト時代、巨人戦で巨人ベンチから野次られ、泣いた事がある。
#**但し陪審員を買収したり[[逆転裁判ファン|どこぞの弁護士]]を雇うことは可能。
#日本ハムからFA宣言するも、危うく浪人になりかける(結局拾われる形で巨人に移籍)。
#*ある程度ゲームが進むと、主人公の人相書が街中に張られる。
#FAで巨人に移籍するも、2年でFAで移籍した村田修一の人的補償でDeNAに移籍。江藤智・工藤公康以来の3例目となるFA移籍選手が人的補償で放出という事態に。
#**Wanted Carl Johnson $1,000,000とか
#*一旦逃げ切ることに成功しても、警察官に出会うと手配度が元のレベルまで上昇する。
#*交通違反でも手配度がつく。
#**IVだと料金所を払わずに通過しただけで☆が一つ増えるんですけど。
#**速度超過、反対車線走行、信号無視、路上駐車などは全て取り締まりの対象になる。
#**所々にネズミ捕りやオービスが仕掛けられている。
#*一旦指名手配されると、時効になるまで解除されない。
#*警察官が度々職務質問をしてくる。
#ゲームが進むにつれて街中の通行人の数がどんどん減っていく。
#*市民武装と市民暴動のチートを入れると数分でマップ全体がゴーストタウンと化す。
#**しかもよくみたら日章旗を燃やしながら[[ロサンゼルス|リトルトーキョー]]を襲撃している。
#ミッションのやり直しが一切効かない。
#物を壊すとその被害額が所持金から差し引かれる。
#*街路灯や信号機を倒しても修理費を取られる。
#*当然遺族への慰謝料や葬式代も天引き。
#*線路に入ると列車の運転が停止され、その分の損害額も所持金から差し引かれる。
#すべての車に鍵がかかっており盗めない。
#*IVでは停まっている車全てがロックかけられているが。(但し窓を割って盗むことは可能)
#LCSにIIIが、VCSにVCが収録されている。
#「GTA [[東京|Tokyo]]」が製作される…のはいいが、ゲームの中身が[[日本人 (ステレオタイプ)|こ]][[ベタな「勘違い日本」の法則|れ]]のオンパレード。
#ゲームが進むにつれて、住人の防犯意識が向上していく。
#主人公のやった犯罪が全てラジオで報道される。
#*fallout3のギャラクシー・ニュース・ラジオか(あっちは善行悪行全部報道するけど)
#舞台が18世紀後半(アメリカ独立直後)。
#*乗り物は馬車だけ。
#*幌馬車、駅馬車、裸馬が選べる。
#*武器はリボルバー、マスケット銃、ダイナマイト、弓矢の他、輸入品の「日本刀」も選べる。
#ストーリーを進めるとだんだん住人がゾンビ化していく。
#オンラインでは、男性プレイヤーと女性プレイヤーの出会いの場が設けられている。
#*参加するためには身分審査と高額の会費を払わなくてはならない。
#ゲーム中には子供や車いすの身障者登場し、流れ弾でも当てようものなら、すぐに負け犬扱いされる。


==こんな[[モンスターハンターファン|モンスターハンター]]は嫌だ==
;藤川球児
#モンスターに新アクション「交尾」「排泄」が追加される。
#阪神のクローザーとして圧倒的な実績を持つ・・・が、その実績のせいでシーズン終盤になるにつれ酷使されるようになっていった。
#ハンターがモンスターに喰われる。
#*その結果終盤の肝心な試合で炎上してしまいそれがもとで試合を落とすことが多々あった。
#3死すると一定確率でハンターが不具になる。
#2007年9月には10連投の疲労が抜けないなか3試合連続で登板しすべて炎上してしまった。
#*救済処置として素材を使った義手・義足が実装される。体力の上限は低下するが攻撃力・防御力は上昇する。
#*その炎上による敗戦で8連敗を招いてしまった。
#**さらには義手・義足が武器化。最終的にハンターは全身凶器のサイボーグと化す。
#2010年9月30日の対横浜戦では優勝に向けて落とせない試合でありなおかつ矢野燿大の引退試合という大事な試合で2点リードの9回表にクローザーを任せられるも・・・。
#モンスターが高台ハメを使う。
#*制球に苦しみノーアウト1・2塁に、次のバッターである村田修一にスリーランホームランを被弾。逆転を許してしまう。
#3死すると、一定確率でハンターが死亡してしまい、データを消される。
#**この試合を中継していたサンテレビのアナウンサーの'''「行くな!行くな!越えるな!」'''の絶叫からの沈黙、そして十数秒の沈黙のうちに絞り出された'''「悪夢のような現実がそこには待っていました」'''は今も阪神ファンの記憶に刻まれている。
#女性キャラで3死すると二次創作のエロ漫画みたいな展開へ(専用のムービーが入る)
#その結果出る予定だった矢野は引退試合に出られなくなり試合終了。引退セレモニーのみに出たがその時に花束を渡したのは村田だった。
#ケルビやガウシカをハンマーで気絶させた状態で、なぜか角ではなく毛皮を剥ぎ取るという鬼畜のごとき所業に及ぶハンター。
#この試合以降、某所ではクローザーで炎上した投手のことを「○川○児」と揶揄するようになった。
#精力剤として大型モンスターの男性器が珍重されている。
#メジャーにも挑戦したが、何度も故障者リスト入りしたためまともな活躍ができなかった。


==こんなピクミンは嫌だ==
;藤田平
#1週間経つとピクミンが枯れる。
#ベストナイン7回、首位打者1回、そして阪神生え抜き初の2000本安打などの実績を挙げたが、結局一度も優勝出来なかった。
#ピクミン1匹でチャッピーの群れを一掃できるくらい強い。
#*しかも1984年引退の翌年にチームは初の日本一になっている。
#好感度の概念がある。
#上記の実績があるにも関わらず、ほとんどミスタータイガース扱いされていない。
#*低いとピクミンたちがオリマーに反乱を起こす。
#(暗黒時代だったこともあるが)阪神の監督としては全く良い成績を残せなかった。
#ピクミンの色と能力が一致しない。
#*1995年・二軍監督として10年ぶりに復帰も新庄剛志と対立。
#*例:赤なのにバクダン岩を使えるが火に弱い。
#**オールスター明けから一軍の監督代行を務めたが17勝36敗で勿論最下位。オフには新庄引退騒動も起こった。
#ピクミンの数が増えるとすさまじい処理落ちが発生する。
#*1996年・「鬼平監督」と呼ばれるほどの熱血指導も成績には結びつかず。
#*増やし過ぎると、種の保存の法則が働いて集団○○する。
#**千葉での試合後に東京駅で暴走したファンに詰め寄られる事態も発生、結局シーズン終盤の9月11日に監督を解任された。
#**餌が大量に必要となり、自然環境破壊になってしまう。
#*唯一の功績は二軍監督時代から目を付けていた平塚克洋(オリックス)をトレードで獲得し、レギュラーに定着させたことぐらいか。
#生物がダメージを受ける時の描写がリアル。
#*戦闘後の地面には血や食べられたピクミンの残骸が散らばっている。


==こんなゼルダの伝説は嫌だ==
;別当薫
#主人公の名前がいつの間にか「ゼルダ」に変更されていた。
#後に「球界の紳士」と呼ばれた程の知的な風貌とは裏腹に、現役時代は攻・走・守三拍子揃った選手として大阪タイガース・毎日オリオンズで活躍。
#舞台の「ハイラル」とは中国内モンゴル自治区に実在する都市のことである。
#*日本プロ野球が2リーグに分裂した1950年には打率.335・43本塁打・105打点・34盗塁という驚異的な記録を残し、松竹の岩本義行と共に史上初のトリプルスリー達成者として歴史に名を刻んだ。
#剣だけで謎解きができる。
#ただ監督としては4球団(毎日→大毎・近鉄・大洋・広島)で20年も監督を務めたが、何故かリーグ優勝には縁がなかった。
#最終ボスはコッコ。
#「マスターソード」とはバーの主人が持っている剣のことだ。
#妖精は基本的に[[ニコニコ動画ファン/作品別/あ・か行#ガチムチパンツレスリングファン|半裸の大男]]の姿だ。
#姉妹作としてリンクやガノンが鉄道会社を経営する「ゼルダの電鉄」が発売される。
#*ご丁寧に順法闘争やストライキ、団体交渉のイベントまで用意されている。


==こんなストリートファイターは嫌だ==
;星野仙一
#全てのプレイヤーキャラクターに飛び道具を持っていない。
#2008年の北京オリンピックの野球競技・日本代表で監督を務めるも、メダルなしの4位に終わった。
#パンチやキックを一発食らうだけで死ぬ。
#2013年の楽天で達成するまで、3度(中日で2度阪神で1度)日本シリーズに挑戦して日本一になれなかった。
#EDでリュウが表彰式に出るはずが、人を{{あきまへん}}した疑いで警察に捕まってしまう。
#*1988年・1999年・2003年の3回。その時の対戦チームは88年のみ西武で、他はいずれもダイエーだった。
#プレイヤーキャラクターが全員老人。
#たまに車やバイクが走ってくる。<!--他の格闘ゲームであったような-->
#*もちろん当たるとダメージ。
#飛行機に乗るのだから、まずはパスポート取得が必要だ。


==こんな星のカービィは嫌だ==
;堀内恒夫
#一定確率で、グラフィックが全く同じ有毒の雑魚キャラが登場する。食ったら即死。
#巨人のV9時代のエースだったが、監督としては1年目の2004年は3位、翌2005年は5位に終わっている。
#*敵が回復アイテムに毒を盛ってくる。
#*そのため巨人の球団史上初の胴上げ未経験監督となってしまった。
#移動方法が「歩く」だけ。
#2005年の本拠地最終戦では堀内監督にブーイングが飛び、最終戦セレモニーが中止になった。
#*走れるのは無敵キャンディを取った時のみ。
#巨人がレギュラーシーズンで目の前で相手チームの胴上げを許した試合が(2019年現在)5回あったが不運にもそれらを全て現地で立ち会っている。
#コピー機能が発動する確率がランダム。
#*1975年の広島(後楽園/当時巨人投手)、1995年のヤクルト(神宮/当時巨人投手コーチ)2005年の阪神(甲子園/当時巨人監督)、2006年の中日、2016年の広島(東京ドーム/日本テレビ解説者)
#*ソードナイトを吸い込んだハズなのにマイクになったりする。
#なぜか[[自由民主党|自民党]]から出馬し参議院議員となったが、政治家としては特に実績を残せずに、挙句の果てに安倍首相からは「アンチ巨人でした」と言われる始末。
#フィールド上の全ての物が吸い込める。ボスですら吸い込みで瞬殺。
#「手心プレイ」なんてない。そのため中ボスやボスに1回でも負けても又同じ強さのまま戦わなくてはならない。
#ゲームオーバーを連発するとカービィに「下手くそ!」と言われる。
#敵に1回でも当たったり攻撃が当たったりすると即ミスになってしまう。
#コピー能力は一定時間しか使えない。
#*一定時間経過すると「スカ」に戻ってしまう。
#敵キャラの中には偶にカービィを見つけると引っ切り無しに追いかけてくる者もいる。
#*例えドアを抜けても1ステージクリアしてもずっと追いかけてくる。
#スリープを発動させてしまうと起き上がるまで3分ほど掛かる。
#*がんばり早起きを使っても1分位コントローラーを弄らなければならない。
#軽いので風に飛ばされ易い。そのため強風が吹き荒れるエリアでは操作を一寸でもミスると入ってきた扉の場所まで戻されてしまう。
#*場合によっては振り出しからなんてこともある。
#クラッシュは運が悪いとセーブデータまで飛ばしてしまう。
#SDXのOPが流れた後運が悪いとあの呪いのBGMと共に「おきのどくですがカービィ○号はきえてしまいました。」というメッセージが出てくる。


==こんなロックマンは嫌だ==
==ま行==
#ボスに弱点武器を使うと大ダメージを与えられるが、ボスの攻撃が明らかに激しくなる。
;前川勝彦
#特殊武器はボスからではなく、全てフィールド上のアイテムを取って習得する。
#高校時代はPL学園で2回甲子園に出場。1996年のドラフト会議で地元の近鉄から1位指名を受け入団。
#明らかにライト博士よりワイリーの方が善人の設定だ。
#2年目の1998年に12月1日に予定されていた契約更改をすっぽかし、更にフロントに対して「'''今日は11月31日だと思った'''」と発言し、免許証を没収されてしまった。
#名前の元ネタが'''岩石男'''。<!--本当は音楽のジャンルからとられてるらしい。-->
#4年目の2000年に登録名を本名の「克彦」から「勝彦」に変えると頭角を現し、チーム最多の8勝・リーグ最多の8完投を挙げ、オールスターゲームにも初出場。
#2001年もチーム最多の12勝を挙げ近鉄のリーグ優勝に貢献したが、好不調の波が激しかったこともあり防御率はリーグワーストの5.89を記録してしまった。
#2002年は防御率こそ改善されたが勝ちに恵まれず、シーズン終盤には得意だったはずの西武にも打ち込まれ、最終成績は4勝11敗・防御率4.87。
#*契約更改時にフロントから「V逸の戦犯は前川と磯部(公一)」と言われてしまう。
#2003年も4勝2敗・防御率7.38と不振に終わり、オフに川尻哲郎とのトレードで阪神に移籍。
#*因みに4勝のうち3勝は中継ぎで挙げたものだった。
#阪神でも先発として期待されていたが全く活躍できず、2005年のオフに相木崇とのトレードでオリックスに移籍。
#オリックス1年目の2006年は24試合に登板し1勝7敗・防御率4.37の成績に終わったが翌年以降の活躍を期待されていたが…。
#*年が明けた2007年1月6日に無免許でひき逃げ事件を起こし逮捕。その後保釈されたがオリックスからは契約の解除を通告された。
#*高校の先輩の福留孝介(当時中日)からは「これで人生終わりにしちゃったようなもん」「あんなヤツのことをもうこれ以上話す気になれん」とコメントされてしまった。
#その後マイナーリーグやメキシカンリーグ、四国アイランドリーグなどで野球を続けたがNPB復帰は叶わず2011年に引退。


==こんなグレイトバトルは嫌だ==
;真中満
#キャラ選が微妙すぎる。
#現役時代はそこまでざんねんな部分は無く、現役引退後も二軍の監督として2013年にイースタンリーグの優勝を、その後2014年10月に一軍の監督に就任し、翌2015年にヤクルトをリーグ優勝に導いている。
#*ウルトラマンゼノン、仮面ライダーデルタ、クラスターガンダムで開始、とか。
#しかし2015年のドラフト会議のこと、ヤクルトと阪神は高山俊を1位指名としたためくじ引きでの抽せんとなった。
#明らかに敵を擁護した内容。
#*ヤクルトは真中監督、阪神は当時の監督だった金本監督がそれぞれくじを引いたが、くじを確認した真中が即座にガッツポーズをしたことで金本は外れたと思ってくじを確認せずに席に戻る。
#ウルトラマングレートしか登場しない。
#**当然多くの観客やTVスタッフ、ドラフトの模様を見ていた視聴者、そして高山自身もヤクルトが交渉権を獲得したのだろうと思った瞬間だった。
#ストライクガンダムしか出てこない。
#だがくじを確認した事務局が真中の引いたくじがハズレだと気づき慌てて阪神側のクジを確認する間に真中へのインタビューが始まってしまった。止められなかったのである。
#*交渉権獲得の訂正が発表され改めて当たりを引いた金本へのインタビューが始まり、金本は「ビデオ判定でホームランに覆った心境」とコメントした。
#真中がガッツポーズを暴発したのはくじの紙に左側に印字されているドラフト会議のロゴを当たりと勘違いしたのが原因であり、翌年以降はハズレには完全な白紙にするという措置が取られた。
#*しかしドラフトが近づくたびに彼のやらかしは度々穿り返されることとなった。


==こんな[[wikipedia:ja:仮面ライダー クライマックスヒーローズ|仮面ライダークライマックスヒーローズ]]は嫌だ==
;松井秀喜
#オリジナルキャストが一つもなく、すべてのライダーの声をゲーム独自の声優が担当している。
#星稜高校時代の甲子園での4打席連続敬遠事件で一躍時の人に。
#*もちろん、最新のライダーも例外ではない。
#巨人時代に、東京スポーツにAV愛好家であることをすっぱ抜きされたことがある。
#フォーゼだけ強化フォームがない。
#バトルロイヤルモードがあり、そのモードは自分以外のライダーを全て倒さなければならない。
#「'''仮面ライダー'''クライマックスヒーローズ」なのにスーパー戦隊が参戦する。
#*「オーズ」でコセイジャーが、「フォーゼ」ではゴーカイジャーが参戦して、「超」でゴーバスターズが参戦。
#**「スーパーヒーローズモード」ではディケイドvsゴーカイレッド、フォーゼvsレッドバスターなどのミッションまでいる。
#**ライダーと戦隊のタッグには「'''シマシマヒーローズ(フォーゼ&レッドバスター)'''」もある。
#*戦隊や石ノ森ヒーローならまだいい。一番アレなのは仮面ノリダーが参戦する事だ。
#チョイスが王蛇、サイガ、コーカサスみたいな悪役ばっかりだ。


[[Category:こんなゲームは嫌だ|あくしよん]]
;松坂大輔
#1998年の甲子園で横浜高校を優勝に導くなど伝説になり、入団した西武でもエースとして活躍。
#*2度のWBCやシドニー・アテネの2度の五輪など、国際大会でも活躍した。
#ポスティングで大リーグに移籍し、ワールドシリーズで勝利を挙げるなど大リーグでも活躍。しかし、彼が輝いたのはここまで。
#西武時代、交通違反(駐禁・スピード違反)を犯した上に球団本部長が身代わり出頭して揃って書類送検されるという失態を犯す。
#*この騒動で柴田倫世(当時日本テレビアナウンサー、現在の妻)との交際までバレてしまった。
#2015年にソフトバンクに入団して日本球界復帰するも、怪我などもあり3年間で1軍登板は1試合のみとファンからは給料泥棒呼ばわりされる結果に。
#*登板した試合でも打ちこまれるなど散々な結果に。
#*中日移籍後にソフトバンク戦に先発し勝利投手となった事から更に反感を買う結果に。
#2018年に中日に移籍しそこそこ投げるものの、こちらでも「ファンに肩を引っ張られ負傷」「練習日に練習をサボってゴルフ」「グリーンカード(アメリカ永住権)取得のためキャンプを一時離脱」とやはりグラウンド外で話題を作ってしまった。
#2008年シーズン終了時点の日米通算勝利数は141勝。この時点ではほぼ確実と思われていた名球会入り(200勝)がもはや絶望的に。
#*1980年度生まれのプロ野球選手は彼の名前を取って「松坂世代」と呼ばれる黄金世代になったが、ここまで名球会入り選手がゼロ。
#**ちなみに野手の最多安打は村田修一の1865安打。
 
;村山実
#かの有名な「天覧試合」で、長島茂雄に打たれたホームランを「あれはファールだった」と、ずーーーっと言い続けていたのはあまりにも有名。
#芦屋市のマンションを自ら購入して自分自身の会社の本社にしたが、その自宅マンションが1995年の阪神・淡路大震災で被災し、しばらく自家用車で寝泊りをする生活を強いられていたというエピソードもかなり有名。
#監督1年目の1988年に春季キャンプで自ら打撃投手を買って出たが、無理しすぎて股関節を痛め人工関節手術を受けることになってしまった。
 
;森祇晶
#横浜ベイスターズ監督時代は成績不振に喘ぎ、特に2002年は勝率3割台と落ち込み、シーズン終了まで14試合を残したところで解任された。
#*なお、森監督のBクラスは2002年のみである。
#**この頃から暗黒時代が再来したので、チームを弱くした元凶とも言われやすい。
#西武ライオンズ監督時代には、たくさんの名選手を輩出し、黄金時代を築き上げたものの、ある年に堤オーナー(当時)から「監督やりたかったら、どうぞ。」と言われてしまう。
 
==やらわ行==
;柳川福三
#1961年のシーズン中に日本生命から中日ドラゴンズに入団。
#*この入団を巡って社会人野球界とプロ野球界の関係が大きく冷え込み、社会人野球はプロ野球との関係断絶を発表した。
#柳川自体もそれほど活躍できず1965年限りで引退。
 
;山内一弘
#2271安打、396本塁打(本塁打王2度)、1286打点(打点王4回)、首位打者1回と言う紛れもない大打者である。
#しかし指導者として残念エピソードが多い。
#まずロッテの監督として3年務めたが、2度前期優勝しながらどちらも総合優勝できなかった。
#*中日の監督を務めた際には初年度こそ2位だったが2年目は5位、3年目は途中休養させられた。
#**与那嶺監督から谷繫監督の間、唯一「燃えよドラゴンズ」の歌詞に出ない監督だった。(ニコニコ動画にPVが入った動画はあるが)
#趣味に「コーチ」と書くほど教えるのが大好きであり、監督時代には相手チームの選手(ペナント争いをしていた広島)にまで指導をしていた。
#*確かに多くの打者を一流に育て上げたが、落合博満には<big>当初</big>理解されず、イチローとは打法を巡ってかなりいさかいがあったとされる。
#**当初「イチローを見いだせなかった」存在は土井正三であったが、近年は打法を強引に改造しようとしたされる山内の方がやり玉に挙げられやすい。
 
;山崎康晃
#自分でタイブレークを作ってしまうことが多い。
#ネットで太ってしまったことが話題になってしまった。
 
;山本浩二
#2013年のWBCで3連覇を目指す侍ジャパンの監督を務めるも、ベスト4で終わった。
#同級生で実績が上のはずなのに「星野仙一の舎弟」感が強い。
#広島の監督を2度務めたが、2度とも最終年は最下位に終わってしまった。(1993、2005年)
 
;山本八郎
#「ケンカ八郎」と呼ばれるほどの喧嘩っ早い性格で、東映時代に2度も出場停止処分を受けてしまった。
#*実は山本の退場処分はこの2回だけなのだが、その2回があまりにも強烈だった。
#1度目は1958年5月10日の南海戦(駒沢)、判定を巡って一塁塁審の角田隆良へ暴力行為を働き退場。
#*この時はファンからの署名活動により、1ヶ月半後の6月23日に出場停止処分が解除された。
#2度目は1959年5月30日の近鉄戦(駒沢)、ホームへの猛烈なスライディングを敢行したが近鉄のキャッチャー・加藤昌利が完全にブロックしアウトの判定。
#*加藤はボールを持ったままの右手で山本の肩を軽くたたいて諭したが、殴られたと勘違いした山本は振り返りざま加藤の左首筋にパンチ。殴られた加藤もよろけた後に持っていたボールを山本目がけて投げつけた。
#**これをきっかけに両軍ベンチ入り乱れての乱闘に発展。結局山本の非を認めた東映の岩本義行監督が山本を自主的に退場させることで決着した。
#*福井・永平寺での約20日間の精神修行の後、シーズン終盤の9月にようやく復帰した。
#1962年のオフに監督だった水原茂との確執もあり、1963年に近鉄バファローズへ移籍。
#*中心打者として活躍するが、1967年にはサンケイアトムズへ移籍。ここでは出場機会に恵まれず、同年限りで現役を引退。
#引退後は関西テレビの解説者・鴨川シーワールドでのシャチの飼育係・大阪で実家の生花店などを継ぐなど、球界からは完全に一線を引いた。
 
;湯浅禎夫
#初代日本シリーズ優勝監督であるが、前述の平和台事件の元凶になってしまい、責任を取って辞任することになった。
#*プロアマ両方で功績を残したにもかかわらず野球殿堂入りを果たしていないのは、平和台事件の影響だと言われている。
#*湯浅と共に「大正三大投手」と呼ばれた小野三千麿(慶應義塾大学→大毎野球団)と谷口五郎(明治大学→大連実業団)は殿堂入りしているのだが…。
 
;吉原正喜
#戦前の巨人軍で正捕手として活躍したがビルマ戦線で戦没。
#*前線で同じく巨人の捕手だった内堀保と出会い終戦後のチーム再建を誓い合ったが生きてグラウンドに戻ることは叶わなかった。
#*昔のキャッチャーとしては珍しく俊足だったためもっと長く活躍していたら日本野球の捕手像そのものが変わっていたはず。
#野球殿堂入りしたほどの名選手だが名前の正確な読みが把握されていない。
#*Wikipediaの見出しでも「まさき」と「まさよし」が併記されているほど。
 
;渡辺久信
#西武黄金時代のエースとして工藤公康と共に優勝に貢献。最多勝3度記録、ノーヒットノーランも達成、さらに女性人気も非常に高かったのだが……
#*93年以降成績が下降、2つ年上の工藤がその後7回も二ケタ勝利を上げたのに対しこちらはゼロだった。結果勝ち星で99勝(台湾除く)もの差がついてしまう事に。
#20代半ばごろからかなり頭が薄くなっていた。<sub>その点でも工藤や秋山幸二と差が付いてしまった</sub>
#最後の三年間は台湾に渡り指導者兼選手として活躍したが、そこで屋台飯にはまって太ってしまった。
#2008年に西武監督に就任。初年度に日本一になるがその後はいわゆる「俺達」が蔓延、その後西武は日本シリーズに一度も出場できていない。
 
;和田豊
#阪神タイガースの監督就任時に「ちょっとしたスパイスで優勝できる」と豪語したのだが・・・。
#*その年のタイガースは早々と優勝争いから脱落し、リーグ5位に終わった。
#監督就任中に週刊新潮に過去の不倫をすっぱ抜かれてしまった。
#*しかもその中で不倫相手に送ったとされるメールが公開されたのだが、その文章が読んでて恥ずかしくなるような内容だったため、以降阪神タイガースを揶揄するスラングの中にその文章を基に「阪神タイガーチュッ」が加えられてしまった。
#ただ選手としては暗黒時代の阪神に17年間在籍し1739本の安打を記録、ベストナインにも2回(1992年・1994年)選出されるなど決してざんねんではない。
 
==関連項目==
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2020年9月20日 (日) 23:00時点における版

※編集される方は「Chakuwiki:お願い/ざんねんなモノ事典」をご覧ください。

  • 「選手」とありますが監督としてざんねんだった方も含みます。

は行

板東英二
  1. 元祖・甲子園のエースとして活躍。中日ドラゴンズのピッチャーだったが・・・。
    • 中日時代、様々な副業に手を出して、ことごとく失敗したことがある。
  2. 引退後、タレントや俳優、司会者として活躍。
    • そのころには、板東が中日ドラゴンズにいたことを知る者は少なくなっていた。
  3. 何回か「水曜日のダウンタウン」に出演していたが・・・。
    • 2016年放送の「早朝リアル脱出ゲーム」では寝起きで機嫌が悪かったというのもあるが、企画内容を説明する仕掛け人の小峠の頭を叩くという行為をやらかした。
      • のちに企画の趣旨を理解し小峠に謝罪しなんとか企画は遂行され、事なきを得た。
    • 2019年6月放送の「中継先にヤバめの素人が現れてもベテランリポーターなら華麗にさばける説」では最後に登場。
      • ヤバ目の素人(役の男性)を強引に押しのけるなどのっけから不穏になり、そのままVTRからスタジオの画面に切り替わりVTRを見て唖然としているスタジオ出演者。最後のナレーションも「恐らくオンエアでは板東全カット」で締められた。
    • 2020年1月放送の「子供からもらった松ぼっくり、家まで持ち帰らざるを得ない説」でも最後に登場。最初は女の子からプレゼントされた松ぼっくりを嫌な顔をせず受け取ったが・・・。
      • ロケバス待ちの時間に松ぼっくりをポイ捨て。さらに仕掛け人の女の子から握手を頼まれても拒否するなどの鬼っぷりを見せてしまう。
        • その後スタッフがネタ晴らしをしたがその際、前回カットされたことに触れ「差別用語でも使ったらカットするんじゃないですか」「これから言うやつを使わなかったら2億ください」とスタッフに対し無理難題を突っ掛ける始末であり、またもスタジオ出演者をドン引きさせた。
張本勲
  1. 現役当時は、喧嘩速さで有名。
    • 巨人時代、広島での試合の際、移動のバスに乗る時カープファンから野次られ、ブチ切れてバットを持って大暴れしたことがある。
  2. 現役引退後は、東京放送(TBS)の解説者として活躍。「サンデーモーニング」のスポーツご意見番は、もはや彼の代名詞。
    • しかしながら、毎週賛否両論が相次ぐことが多い。
      • 特に番組中で彼の意見を批判したフリージャーナリストの江川紹子を降板に追い込んでしまった事件は有名。
      • アドリブか利かず、台本通りにしか進行できない司会の関口宏に「」を入れることが何回かあった。
平松政次
  1. 「カミソリシュート」と言われた速く切れ味鋭いシュートを武器に大洋ホエールズのエースとして通算201勝を挙げ、巨人キラーとしても有名だが、チームが弱かったせいもあって一度もリーグ優勝を経験できないまま引退した。
広岡達朗
  1. 川上哲治に対して「(自分の送球を)捕る努力をするべき」と言い放ち、川上との確執が表面化した後、追われるように巨人を辞めた。
  2. 吉田義男とは同じセ・リーグの遊撃手としてライバル関係にあったが、現役時代吉田は盗塁王を獲得するも広岡は無冠に甘んじ、吉田が阪神タイガースの、広岡が西武ライオンズの監督として対決した1985年の日本シリーズでも敗れている。
  3. 千葉ロッテマリーンズのGM時代にメジャー監督であるボビー・バレンタインを監督に招聘するも、野球観の違いなどから確執を起こし、1995年シーズンのロッテは2位であったにもかかわらずバレンタインを解任した。しかし翌年は一転して5位に転落し自らがGMを辞任する結果となった。
福本豊
  1. 1988年の本拠地最終戦で、当時の阪急監督である上田監督がうっかり失言してしまったせいで引退させられてしまった。
    • 上田監督「去る山田、そして福本」
  2. 国民栄誉賞を辞退したのは、有名。
    • 表向きは「立ちションベンもできんようになるがな」という理由だったが、実際は「王さんのように野球人の手本になれる自信がなかったから」と週刊ポストの記事でコメントしている。
  3. 引退後は、ABCやサンテレビの解説が主な活動。
    • しかし、必ず脱線することから「居酒屋中継」と呼ばれるように。
      • スコアボードに0が並ぶのを「たこ焼きみたいや」とか、延長戦突入で「加古川の人、帰られへんで」などに代表される、いわゆる「福本語録」が関西芸人のネタにされる始末。
  4. 「世界の盗塁王」として有名だが・・・
    • 西宮球場で、本物の競走馬と100メートル走対決をしたことがある。
      • 因みにこのイベント、当初福本は断るつもりでいたが球団社長から「公表した以上取り止めるわけにはいかない。西宮球場に来てくれるファンのためにも…」と頼まれたため、「一晩悩んだ末に仕方なく」受諾した。
藤井秀悟
  1. ヤクルトのエースとして頭角を現し、2001年の日本一に貢献したが、数々のエピソードを残す。
    • サッカー観戦で風邪を引く、「笑っていいとも!」に偶然観客として観覧していた所をすっぱ抜かれる、奇襲作戦を見抜かれるetc。
  2. ヤクルト時代、巨人戦で巨人ベンチから野次られ、泣いた事がある。
  3. 日本ハムからFA宣言するも、危うく浪人になりかける(結局拾われる形で巨人に移籍)。
  4. FAで巨人に移籍するも、2年でFAで移籍した村田修一の人的補償でDeNAに移籍。江藤智・工藤公康以来の3例目となるFA移籍選手が人的補償で放出という事態に。
藤川球児
  1. 阪神のクローザーとして圧倒的な実績を持つ・・・が、その実績のせいでシーズン終盤になるにつれ酷使されるようになっていった。
    • その結果終盤の肝心な試合で炎上してしまいそれがもとで試合を落とすことが多々あった。
  2. 2007年9月には10連投の疲労が抜けないなか3試合連続で登板しすべて炎上してしまった。
    • その炎上による敗戦で8連敗を招いてしまった。
  3. 2010年9月30日の対横浜戦では優勝に向けて落とせない試合でありなおかつ矢野燿大の引退試合という大事な試合で2点リードの9回表にクローザーを任せられるも・・・。
    • 制球に苦しみノーアウト1・2塁に、次のバッターである村田修一にスリーランホームランを被弾。逆転を許してしまう。
      • この試合を中継していたサンテレビのアナウンサーの「行くな!行くな!越えるな!」の絶叫からの沈黙、そして十数秒の沈黙のうちに絞り出された「悪夢のような現実がそこには待っていました」は今も阪神ファンの記憶に刻まれている。
  4. その結果出る予定だった矢野は引退試合に出られなくなり試合終了。引退セレモニーのみに出たがその時に花束を渡したのは村田だった。
  5. この試合以降、某所ではクローザーで炎上した投手のことを「○川○児」と揶揄するようになった。
  6. メジャーにも挑戦したが、何度も故障者リスト入りしたためまともな活躍ができなかった。
藤田平
  1. ベストナイン7回、首位打者1回、そして阪神生え抜き初の2000本安打などの実績を挙げたが、結局一度も優勝出来なかった。
    • しかも1984年引退の翌年にチームは初の日本一になっている。
  2. 上記の実績があるにも関わらず、ほとんどミスタータイガース扱いされていない。
  3. (暗黒時代だったこともあるが)阪神の監督としては全く良い成績を残せなかった。
    • 1995年・二軍監督として10年ぶりに復帰も新庄剛志と対立。
      • オールスター明けから一軍の監督代行を務めたが17勝36敗で勿論最下位。オフには新庄引退騒動も起こった。
    • 1996年・「鬼平監督」と呼ばれるほどの熱血指導も成績には結びつかず。
      • 千葉での試合後に東京駅で暴走したファンに詰め寄られる事態も発生、結局シーズン終盤の9月11日に監督を解任された。
    • 唯一の功績は二軍監督時代から目を付けていた平塚克洋(オリックス)をトレードで獲得し、レギュラーに定着させたことぐらいか。
別当薫
  1. 後に「球界の紳士」と呼ばれた程の知的な風貌とは裏腹に、現役時代は攻・走・守三拍子揃った選手として大阪タイガース・毎日オリオンズで活躍。
    • 日本プロ野球が2リーグに分裂した1950年には打率.335・43本塁打・105打点・34盗塁という驚異的な記録を残し、松竹の岩本義行と共に史上初のトリプルスリー達成者として歴史に名を刻んだ。
  2. ただ監督としては4球団(毎日→大毎・近鉄・大洋・広島)で20年も監督を務めたが、何故かリーグ優勝には縁がなかった。
星野仙一
  1. 2008年の北京オリンピックの野球競技・日本代表で監督を務めるも、メダルなしの4位に終わった。
  2. 2013年の楽天で達成するまで、3度(中日で2度阪神で1度)日本シリーズに挑戦して日本一になれなかった。
    • 1988年・1999年・2003年の3回。その時の対戦チームは88年のみ西武で、他はいずれもダイエーだった。
堀内恒夫
  1. 巨人のV9時代のエースだったが、監督としては1年目の2004年は3位、翌2005年は5位に終わっている。
    • そのため巨人の球団史上初の胴上げ未経験監督となってしまった。
  2. 2005年の本拠地最終戦では堀内監督にブーイングが飛び、最終戦セレモニーが中止になった。
  3. 巨人がレギュラーシーズンで目の前で相手チームの胴上げを許した試合が(2019年現在)5回あったが不運にもそれらを全て現地で立ち会っている。
    • 1975年の広島(後楽園/当時巨人投手)、1995年のヤクルト(神宮/当時巨人投手コーチ)2005年の阪神(甲子園/当時巨人監督)、2006年の中日、2016年の広島(東京ドーム/日本テレビ解説者)
  4. なぜか自民党から出馬し参議院議員となったが、政治家としては特に実績を残せずに、挙句の果てに安倍首相からは「アンチ巨人でした」と言われる始末。

ま行

前川勝彦
  1. 高校時代はPL学園で2回甲子園に出場。1996年のドラフト会議で地元の近鉄から1位指名を受け入団。
  2. 2年目の1998年に12月1日に予定されていた契約更改をすっぽかし、更にフロントに対して「今日は11月31日だと思った」と発言し、免許証を没収されてしまった。
  3. 4年目の2000年に登録名を本名の「克彦」から「勝彦」に変えると頭角を現し、チーム最多の8勝・リーグ最多の8完投を挙げ、オールスターゲームにも初出場。
  4. 2001年もチーム最多の12勝を挙げ近鉄のリーグ優勝に貢献したが、好不調の波が激しかったこともあり防御率はリーグワーストの5.89を記録してしまった。
  5. 2002年は防御率こそ改善されたが勝ちに恵まれず、シーズン終盤には得意だったはずの西武にも打ち込まれ、最終成績は4勝11敗・防御率4.87。
    • 契約更改時にフロントから「V逸の戦犯は前川と磯部(公一)」と言われてしまう。
  6. 2003年も4勝2敗・防御率7.38と不振に終わり、オフに川尻哲郎とのトレードで阪神に移籍。
    • 因みに4勝のうち3勝は中継ぎで挙げたものだった。
  7. 阪神でも先発として期待されていたが全く活躍できず、2005年のオフに相木崇とのトレードでオリックスに移籍。
  8. オリックス1年目の2006年は24試合に登板し1勝7敗・防御率4.37の成績に終わったが翌年以降の活躍を期待されていたが…。
    • 年が明けた2007年1月6日に無免許でひき逃げ事件を起こし逮捕。その後保釈されたがオリックスからは契約の解除を通告された。
    • 高校の先輩の福留孝介(当時中日)からは「これで人生終わりにしちゃったようなもん」「あんなヤツのことをもうこれ以上話す気になれん」とコメントされてしまった。
  9. その後マイナーリーグやメキシカンリーグ、四国アイランドリーグなどで野球を続けたがNPB復帰は叶わず2011年に引退。
真中満
  1. 現役時代はそこまでざんねんな部分は無く、現役引退後も二軍の監督として2013年にイースタンリーグの優勝を、その後2014年10月に一軍の監督に就任し、翌2015年にヤクルトをリーグ優勝に導いている。
  2. しかし2015年のドラフト会議のこと、ヤクルトと阪神は高山俊を1位指名としたためくじ引きでの抽せんとなった。
    • ヤクルトは真中監督、阪神は当時の監督だった金本監督がそれぞれくじを引いたが、くじを確認した真中が即座にガッツポーズをしたことで金本は外れたと思ってくじを確認せずに席に戻る。
      • 当然多くの観客やTVスタッフ、ドラフトの模様を見ていた視聴者、そして高山自身もヤクルトが交渉権を獲得したのだろうと思った瞬間だった。
  3. だがくじを確認した事務局が真中の引いたくじがハズレだと気づき慌てて阪神側のクジを確認する間に真中へのインタビューが始まってしまった。止められなかったのである。
    • 交渉権獲得の訂正が発表され改めて当たりを引いた金本へのインタビューが始まり、金本は「ビデオ判定でホームランに覆った心境」とコメントした。
  4. 真中がガッツポーズを暴発したのはくじの紙に左側に印字されているドラフト会議のロゴを当たりと勘違いしたのが原因であり、翌年以降はハズレには完全な白紙にするという措置が取られた。
    • しかしドラフトが近づくたびに彼のやらかしは度々穿り返されることとなった。
松井秀喜
  1. 星稜高校時代の甲子園での4打席連続敬遠事件で一躍時の人に。
  2. 巨人時代に、東京スポーツにAV愛好家であることをすっぱ抜きされたことがある。
松坂大輔
  1. 1998年の甲子園で横浜高校を優勝に導くなど伝説になり、入団した西武でもエースとして活躍。
    • 2度のWBCやシドニー・アテネの2度の五輪など、国際大会でも活躍した。
  2. ポスティングで大リーグに移籍し、ワールドシリーズで勝利を挙げるなど大リーグでも活躍。しかし、彼が輝いたのはここまで。
  3. 西武時代、交通違反(駐禁・スピード違反)を犯した上に球団本部長が身代わり出頭して揃って書類送検されるという失態を犯す。
    • この騒動で柴田倫世(当時日本テレビアナウンサー、現在の妻)との交際までバレてしまった。
  4. 2015年にソフトバンクに入団して日本球界復帰するも、怪我などもあり3年間で1軍登板は1試合のみとファンからは給料泥棒呼ばわりされる結果に。
    • 登板した試合でも打ちこまれるなど散々な結果に。
    • 中日移籍後にソフトバンク戦に先発し勝利投手となった事から更に反感を買う結果に。
  5. 2018年に中日に移籍しそこそこ投げるものの、こちらでも「ファンに肩を引っ張られ負傷」「練習日に練習をサボってゴルフ」「グリーンカード(アメリカ永住権)取得のためキャンプを一時離脱」とやはりグラウンド外で話題を作ってしまった。
  6. 2008年シーズン終了時点の日米通算勝利数は141勝。この時点ではほぼ確実と思われていた名球会入り(200勝)がもはや絶望的に。
    • 1980年度生まれのプロ野球選手は彼の名前を取って「松坂世代」と呼ばれる黄金世代になったが、ここまで名球会入り選手がゼロ。
      • ちなみに野手の最多安打は村田修一の1865安打。
村山実
  1. かの有名な「天覧試合」で、長島茂雄に打たれたホームランを「あれはファールだった」と、ずーーーっと言い続けていたのはあまりにも有名。
  2. 芦屋市のマンションを自ら購入して自分自身の会社の本社にしたが、その自宅マンションが1995年の阪神・淡路大震災で被災し、しばらく自家用車で寝泊りをする生活を強いられていたというエピソードもかなり有名。
  3. 監督1年目の1988年に春季キャンプで自ら打撃投手を買って出たが、無理しすぎて股関節を痛め人工関節手術を受けることになってしまった。
森祇晶
  1. 横浜ベイスターズ監督時代は成績不振に喘ぎ、特に2002年は勝率3割台と落ち込み、シーズン終了まで14試合を残したところで解任された。
    • なお、森監督のBクラスは2002年のみである。
      • この頃から暗黒時代が再来したので、チームを弱くした元凶とも言われやすい。
  2. 西武ライオンズ監督時代には、たくさんの名選手を輩出し、黄金時代を築き上げたものの、ある年に堤オーナー(当時)から「監督やりたかったら、どうぞ。」と言われてしまう。

やらわ行

柳川福三
  1. 1961年のシーズン中に日本生命から中日ドラゴンズに入団。
    • この入団を巡って社会人野球界とプロ野球界の関係が大きく冷え込み、社会人野球はプロ野球との関係断絶を発表した。
  2. 柳川自体もそれほど活躍できず1965年限りで引退。
山内一弘
  1. 2271安打、396本塁打(本塁打王2度)、1286打点(打点王4回)、首位打者1回と言う紛れもない大打者である。
  2. しかし指導者として残念エピソードが多い。
  3. まずロッテの監督として3年務めたが、2度前期優勝しながらどちらも総合優勝できなかった。
    • 中日の監督を務めた際には初年度こそ2位だったが2年目は5位、3年目は途中休養させられた。
      • 与那嶺監督から谷繫監督の間、唯一「燃えよドラゴンズ」の歌詞に出ない監督だった。(ニコニコ動画にPVが入った動画はあるが)
  4. 趣味に「コーチ」と書くほど教えるのが大好きであり、監督時代には相手チームの選手(ペナント争いをしていた広島)にまで指導をしていた。
    • 確かに多くの打者を一流に育て上げたが、落合博満には当初理解されず、イチローとは打法を巡ってかなりいさかいがあったとされる。
      • 当初「イチローを見いだせなかった」存在は土井正三であったが、近年は打法を強引に改造しようとしたされる山内の方がやり玉に挙げられやすい。
山崎康晃
  1. 自分でタイブレークを作ってしまうことが多い。
  2. ネットで太ってしまったことが話題になってしまった。
山本浩二
  1. 2013年のWBCで3連覇を目指す侍ジャパンの監督を務めるも、ベスト4で終わった。
  2. 同級生で実績が上のはずなのに「星野仙一の舎弟」感が強い。
  3. 広島の監督を2度務めたが、2度とも最終年は最下位に終わってしまった。(1993、2005年)
山本八郎
  1. 「ケンカ八郎」と呼ばれるほどの喧嘩っ早い性格で、東映時代に2度も出場停止処分を受けてしまった。
    • 実は山本の退場処分はこの2回だけなのだが、その2回があまりにも強烈だった。
  2. 1度目は1958年5月10日の南海戦(駒沢)、判定を巡って一塁塁審の角田隆良へ暴力行為を働き退場。
    • この時はファンからの署名活動により、1ヶ月半後の6月23日に出場停止処分が解除された。
  3. 2度目は1959年5月30日の近鉄戦(駒沢)、ホームへの猛烈なスライディングを敢行したが近鉄のキャッチャー・加藤昌利が完全にブロックしアウトの判定。
    • 加藤はボールを持ったままの右手で山本の肩を軽くたたいて諭したが、殴られたと勘違いした山本は振り返りざま加藤の左首筋にパンチ。殴られた加藤もよろけた後に持っていたボールを山本目がけて投げつけた。
      • これをきっかけに両軍ベンチ入り乱れての乱闘に発展。結局山本の非を認めた東映の岩本義行監督が山本を自主的に退場させることで決着した。
    • 福井・永平寺での約20日間の精神修行の後、シーズン終盤の9月にようやく復帰した。
  4. 1962年のオフに監督だった水原茂との確執もあり、1963年に近鉄バファローズへ移籍。
    • 中心打者として活躍するが、1967年にはサンケイアトムズへ移籍。ここでは出場機会に恵まれず、同年限りで現役を引退。
  5. 引退後は関西テレビの解説者・鴨川シーワールドでのシャチの飼育係・大阪で実家の生花店などを継ぐなど、球界からは完全に一線を引いた。
湯浅禎夫
  1. 初代日本シリーズ優勝監督であるが、前述の平和台事件の元凶になってしまい、責任を取って辞任することになった。
    • プロアマ両方で功績を残したにもかかわらず野球殿堂入りを果たしていないのは、平和台事件の影響だと言われている。
    • 湯浅と共に「大正三大投手」と呼ばれた小野三千麿(慶應義塾大学→大毎野球団)と谷口五郎(明治大学→大連実業団)は殿堂入りしているのだが…。
吉原正喜
  1. 戦前の巨人軍で正捕手として活躍したがビルマ戦線で戦没。
    • 前線で同じく巨人の捕手だった内堀保と出会い終戦後のチーム再建を誓い合ったが生きてグラウンドに戻ることは叶わなかった。
    • 昔のキャッチャーとしては珍しく俊足だったためもっと長く活躍していたら日本野球の捕手像そのものが変わっていたはず。
  2. 野球殿堂入りしたほどの名選手だが名前の正確な読みが把握されていない。
    • Wikipediaの見出しでも「まさき」と「まさよし」が併記されているほど。
渡辺久信
  1. 西武黄金時代のエースとして工藤公康と共に優勝に貢献。最多勝3度記録、ノーヒットノーランも達成、さらに女性人気も非常に高かったのだが……
    • 93年以降成績が下降、2つ年上の工藤がその後7回も二ケタ勝利を上げたのに対しこちらはゼロだった。結果勝ち星で99勝(台湾除く)もの差がついてしまう事に。
  2. 20代半ばごろからかなり頭が薄くなっていた。その点でも工藤や秋山幸二と差が付いてしまった
  3. 最後の三年間は台湾に渡り指導者兼選手として活躍したが、そこで屋台飯にはまって太ってしまった。
  4. 2008年に西武監督に就任。初年度に日本一になるがその後はいわゆる「俺達」が蔓延、その後西武は日本シリーズに一度も出場できていない。
和田豊
  1. 阪神タイガースの監督就任時に「ちょっとしたスパイスで優勝できる」と豪語したのだが・・・。
    • その年のタイガースは早々と優勝争いから脱落し、リーグ5位に終わった。
  2. 監督就任中に週刊新潮に過去の不倫をすっぱ抜かれてしまった。
    • しかもその中で不倫相手に送ったとされるメールが公開されたのだが、その文章が読んでて恥ずかしくなるような内容だったため、以降阪神タイガースを揶揄するスラングの中にその文章を基に「阪神タイガーチュッ」が加えられてしまった。
  3. ただ選手としては暗黒時代の阪神に17年間在籍し1739本の安打を記録、ベストナインにも2回(1992年・1994年)選出されるなど決してざんねんではない。

関連項目

ざんねんな野球選手事典
日本人 あ~こ/さ~の/は~わ
外国人 あ~こ/さ~の/は~わ