もし日本航空123便墜落事故が○○だったら
2013年11月30日 (土) 11:37時点における219.101.94.162 (トーク)による版
起きていなかったら
- もちろんJL123便に搭乗していた著名人は全て健在。
- 坂本九は家族全員で歌手・タレント活動を続けている。
- 平井堅と「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」を、Re:JAPAN(吉本興業のコーラスグループ)と「明日があるさ」をデュエットしていた。
- 日本テレビで放送されたドラマ「明日があるさ」のテーマ曲も歌っていた。
- 紅白歌合戦の常連になっていた。2000年代にはトリ(場合によっては大トリ)を務めていた。
- 一方、趣味の陶芸(茨城県の笠間焼)でも力を発揮し、芸能界屈指の陶芸家にもなっていただろう。
- 連続テレビ小説『梅ちゃん先生』に、下村建造役で出演していた(史実では高橋克実)。
- タモリに代わって、「ミュージックステーション」の司会者を担当していた。あるいはタモリと共に司会をしていた。
- 美空ひばりの葬儀にも真っ先に駆けつけていた。
- 平井堅と「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」を、Re:JAPAN(吉本興業のコーラスグループ)と「明日があるさ」をデュエットしていた。
- 中埜阪神タイガース元社長はチームのリーグ優勝・日本一を選手とともに祝っていた。
- むしろ神宮(優勝時の球場)と西武球場(日本一決定時の球場)に駆けつけてファンと抱き合って号泣かも。
- 北原遥子は大活躍を見せ、宝塚同期の黒木瞳が地味な存在になっていた。
- 連続テレビ小説『純と愛』に、狩野晴海役で出演していた(史実では森下愛子)。
- 清國が妻子を失わず、伊勢ヶ濱部屋も没落しなかった。
- 息子が力士になっていた可能性もある。
- 落語家になる息子は存在しなかった。
- 実際親子ともに「清國二世」の活躍に向けて相当やる気だったらしい。
- 立浪一門という名称はなかった。
- 旭富士の部屋は「安治川部屋」のまま。
- 息子が力士になっていた可能性もある。
- 坂本九は家族全員で歌手・タレント活動を続けている。
- JA8119は90年代前半に退役。
- 「御巣鷹山」の名前が有名になることはなかった。
- 日本で航空機事故の代名詞と言えば未だに「雫石」(1971年全日空58便)だった。
- もしくは「羽田沖」(1982年日航350便、1966年全日空60便)。
- 逆に、その後のボーイング747の安全対策が遅れてしまっていた可能性も。
- 「しりもち事故」が起因となった航空機事故が注目されるのは、2002年5月25日の「チャイナエアライン611便空中分解事故」が発生した時。
- 『沈まぬ太陽』が書かれていたかは微妙。仮に書かれてたとしてもアフリカ篇だけだったと思う。
- 『クライマーズ・ハイ』は存在しない。
- JR西日本と福知山線脱線事故が題材の「沈まぬ太陽」が書かれていたと思う。
- むしろアメリカ同時多発テロまたはオウム真理教事件が題材の「沈まぬ太陽」が書かれていたかと・・。
- 山崎豊子の作風などから考えると前者は多分ありえない。
- 明石家さんまが東京~大阪の移動に飛行機を使い続けるので、新幹線のグリーン車が静かになる。
- そのかわりファーストクラスが相変わらずうるさいまま。
- 娘の名前は『いまる』にはならなかった。
- 機体の塗装やJALのロゴマークも変わらなかった。
- しかし最近やっぱり太陽のアークに変更された。
- エアシステムと合併するほど凋落していなかった可能性はある。
- 経営統合の原因は高コスト体質やバブル期の無秩序な副業拡張、JASの経営不振などなのでそうはならない気がする。
- しかし最近やっぱり太陽のアークに変更された。
- 『アップダウンクイズ』はもう2,3年続いていたかも。
- 2013年2月現在も続いていた可能性もありえる。
- 経営破たんが実史通りの時期に起これば、その時点で番組終了。
- 裏番組の「タッチ」や「キテレツ大百科」は大コケしていたかも。
- 「こち亀」アニメ化もなかった。
- 2013年2月現在も続いていた可能性もありえる。
- 逆にANAが問題視されていたかもしれない。(現実においても前輪の故障やらボルトの脱落やら・・・)
- 2000年代には日航も労使紛争と整備不良で問題を起こしていたので、同じ結果だったと思いますが。
- つまりはどっちも同じレベルって訳ですか。
- 場合によっては、しりもち事故の際適切な措置がすでに行われたら、未然に防がれていたかもしれない。
- 2000年代には日航も労使紛争と整備不良で問題を起こしていたので、同じ結果だったと思いますが。
- 東京~大阪間で航空機のシェアが現実より高くなっていた。
- JR東海は割引切符で対抗するようになる。
- 東海道新幹線のグリーン車は2両、もしくは1両だったかもしれない。
- 「ひかりレールスター」のような列車が東海道新幹線にも登場していた可能性がある。
- 「ひかり」は全列車小田原・静岡・浜松駅停車となり、「のぞみ」の一部列車がこれらの駅に停車していた。
- 2000年代末にはB747の後継機としてA380の国内線仕様が導入されている。1機当たり800人以上という世界最大のキャパシティを誇る機材が次々に就航している。
- 1994年の関空開港後も相変わらず伊丹が逼迫しているため、神戸空港の開港も史実より5年早かった。表向きは阪神大震災の復興事業として建設された。
- 大阪~福岡間に関しては航空のシェアが60~70%となり、山陽新幹線は苦戦を強いられるようになっていた。
- 「ひかりレールスター」が国鉄時代に登場していた。
- 九州新幹線は建設されていなかったかもしれない。
- 「のぞみ」のデビューが数年早まっていた可能性がある。
- 当時の運輸白書などを見る限り事故による落ち込みはそこまで大きくなかったので現状とあまり変わらなかったかもしれない。
- 2000年代後半になって日本航空の経営が悪化することはなかった。
- 史実どおり悪化していたとしても経営破綻は起きていない。
- それでもジェットストリームは変わらない。
- 1990年代前半には公立高校における修学旅行の航空機利用が解禁されていた。
- 折からのバブル景気の影響を受け北海道・沖縄はおろかアメリカやヨーロッパへの修学旅行も当然となっていた。
- 現実より航空需要が高くなっていたため中部国際空港は2000年頃には開港していた。
- 静岡空港の開港も史実(2009年6月4日)より若干早くなっていた。
- 逆に航空の安全性自体が史実より低いものになっていたかもしれない。この事故以前、日本の航空会社による乗客が死亡する事故は数年に1回起きていたようだが、この事故以降は25年間で1回しか起きていない。
- 1989年のユナイテッド航空232便(DC-10)の事故では誰も助からなかった。
- 史実では運航乗務員が御巣鷹山事故の事例を参考にして油圧ダウン時の操縦をある程度訓練していたので乗員乗客の3分の2が助かった。
別の時代に起きていたら
- 1966年
- この年は航空事故が多発していました
- おそらく航空需要は現在にいたるまで低迷したまま。
- 当時やその後の航空輸送の動向を考えるとそれはない。
- 日航が連続事故を起こした1972年でも乗客数は国際線・国内線ともに増えている。
- 事故機がコンベア880の場合、翌年あたりまでに全て売却されていた。
- 翌年からの世界一周便の運航はなかったかもしれない。
- 柳田邦男が『マッハの恐怖』の中で取り上げていた。
- この時点で安全対策などが改善され72年の連続事故は回避できたかも。
- 1970年
- 事故機が史実通り747の場合は同機種で世界初の死亡事故になっていた。
- 新鋭機の大幅なイメージダウンによりボーイングの経営がさらに苦しくなっていた。
- 史実と同じ東京~大阪便の事故の場合、万博へ向かう途中だった乗客のエピソードがマスコミに多く取り上げられていた。
- この場合機種は727かDC-8と思われる。
- 747導入に伴う塗装変更にも何らかの影響があった。
- 1972年
- 事故を起こしたのは国内線用のDC-8-61か。
- 類似点の多そうな5月15日の羽田での暴走事故が史実より深く記憶されていた。
- 発生時期が変わらない場合は連続事故真っただ中での発生なので流れは史実とあまり変わらない。
- あるいはもっと安全対策が進み11月のモスクワでの墜落事故くらいは回避できていたかもしれない。
- 1974年
- 油圧が原因の場合、パリのトルコ航空DC-10墜落事故と同じ年ということもありワイドボディ機の油圧に関する問題が世界的に注目されていた。
- オイルショックとも相まって日航の経営はさらに悪化していた。
- 路線の大幅縮小の恐れもある。
- 同時期にハイジャックが相次いだこともあり「呪われた航空会社」などと一部で言われていた。
- 1978年
- マスコミに成田空港反対過激派を騙り偽の「犯行声明」を送りつける悪質な事件が発生していた。
- 史実同様の修理ミスが原因の場合日本でのボーイングの印象は悪化していた。
- 日系航空会社でのエアバス導入がもう少し活発になっていた可能性がある。
- 3年前(1982年)
- 羽田沖にも墜落していたら日航は運行停止。
- そして倒産・・・。
- 日本のナショナルフラッグキャリアで唯一の国際線運航会社(ともに当時)をそう簡単に潰すとは思えない。
- 世界第2位の経済大国が国際線を一切飛ばさなくなるという選択肢はさすがにまずいのでは。
- 上述の72年の連続事故(死亡2件、全損2件、一部破損1件)の際にも運行停止にはなっていない。
- 3年後(1988年末)
- 発生時期が昭和天皇の崩御と重なれば日本中は大混乱。
- 発生した日が大晦日だった場合、1988年のレコード大賞と紅白歌合戦は中止になっていた可能性もある。
- 史実と変わらない報道体制なら少なくとも前者は合間に大量のニュース速報を挟みながら無理やり放送していた。
- この事件がきっかけでバブルが史実より速く崩壊していた。
- 現実の事故ではそれに伴う景気の落ち込みは発生していないのでそれはない。
- 原因に関係なく一部で「完全民営化の弊害によるもの」と呼ばれていた。
- 日航の事業多角化は大幅に抑えられた。
- 後に発生する経営の悪化はそこまでひどくならなかったかもしれない。
- 翌年からの新塗装が「事故からのイメージ回復狙い」とみなされる。
- 2005年
- 原因に関わらず同年発生のJR福知山線脱線事故と無理やり結び付ける論者が出てくる。
- 書籍などで「2005年は公共交通の安全が問われる年だった」とまとめられている。
- JASとの統合に伴う何らかのトラブルなどが原因ではないかと疑われる。
- 日航のワンワールド加盟はもう少し遅れていた。
- 「機種:747-200、原因:機体の老朽化」といった展開が予想される。
- この3年前に発生した中華航空B747の空中分解事故と瓜二つの展開になっていた。
- 2009年
- 経営再建問題で一部から「こんな企業は救済しなくていい」という声が上がっていた。
- 旧型機の退役スピードがより早まっていた。
- 事故機はおそらく747-300か-400D。
- 「JET STREAM」は事故直後に打ち切られていた。
- 米同時多発テロ時のユナイテッド93便のように多くの乗客が機内からメールなどで情報などを伝えていた。
- Chakuwikiでは事故直後から大規模な投稿規制が敷かれていた。
- 一部は2013年時点でも継続中。